避難所
 日曜日。晴れ。
 ワタナベさんの声が聞こえる。来ているのだろう。受付係のおばさんと話しているようだ。せみの声を食べて入道雲が膨らむ。
 今日はまだひげを剃っていない。となりの居室からひげ剃り機の音が聞こえる。バナナを一本食べ、トイレの水道でペットボトルに飲み水を汲んでくる。人の子供が通路を駆け、大人の気怠い叱り声が聞こえる。冷房を点ける。
 私の住む居室はがらんとしている。私と一人のおばあさんだけだ。青年も家族連れも退所した。この避難所はだいぶ静かになった。無人の一角の畳にほこりや髪の毛が落ちている。転がっている靴下が漫画のイヌのイギーのように見える。聞こえてくるうなりはとなりの居室のおじいさんのひげ剃り機なのか、外のせみのうなり声なのか、分からない。
 携帯で、武田邦彦のブログを読む。コメント欄は疲れそうだから読まない。中鬼と大鬼のふたりごとというブログを読む。放射線や原発に関する文言。それから脳トレのアプリを一回する。がらんとした居室の片隅で、ぐったりしてそれをすると脳年齢が二十歳くらいらしい。同室のおばあさんは別の広いホールでテレビを見ているのだろう。
 トイレで鼻をかむ。大便向けの個室にあるトイレットペーパーで盛大にかむけれどまだまだ残っている感じがする。おじいさんとおばあさんが性やタバコや入れ歯について話している。
 突然おじいさんから缶詰めのさばをもらった。さばの味噌漬け。そろそろ昼飯だ。
 昼飯は冷やし中華が支給された。鼻水であまり味が分からない。町にチャイムが鳴る。
 新しいせみが鳴き始める。居室を覗くおばさんがめざといのか、私がもらった缶詰めを指差して驚いた様子をして去った。子供がでたらめな歌をせみのように口で鳴らす。冷房を点けてあるけどおばあさんが窓を全開にしたので暑い。退所した青年の使っていたゴミ箱を、おばあさんが私に使えと言うので使うことにする。窓を閉めよう。ひげをさっき剃った。
 日記をノートにつけていると、おばさんが来て支援物資があることを伝えてくれたから、私とおばあさんが居室を出て、サンダルを履いて、弁当が普段つまれる所から、トマトジュースとティッシュボックスとお茶を取ってよたよたと居室に戻る。冷房しているので、窓を閉めましょうよとおばあさんに言うと、おばあさんが窓を閉めた。服を窓辺に干していたようだけれど。
 遠くのテレビから昼ののど自慢が聞こえる。
 うんこを出したくなったから、居室を出て裸足にサンダルでそばの暗いトイレに入ったら、人が大便向けの個室でうんこを出しているようだったので、何も出さずに居室に戻る。
 震災による避難所とは言え、支援物資をもらう際には、乞食だなと思う。
 トマトジュースの小さめの缶のものを一本飲む。すでに飲み干したペットボトルとトマトジュースの空き缶とタオルを持って、トイレに入り、うんこを出す。トイレットペーパーにはエコロジー生活向けの家電を宣伝する内容の絵や文字が黄緑色で印刷されていた。テレビののど自慢を避難者が集まって見ている。私は空き缶などを濯いで、ごみを置く場所の袋に入れた。
 居室の隅にある私用の低い長机に、アイテムのように食料を並べてある。
 冷房が天井で、便座の脱臭機能がトイレで、そしてせみが外で、うなる。居室の畳も、壁も天井も、暗い白色がかっている。
 去年ふられたひとから、ふられる前にもらったメールを三通ほど読み返す。
 鼻をかむと疲れる。思い切りかむと体力を消耗するが、思い切りかまないと自分も他人もすっきりしない。鼻が詰まっているといびきを盛大にかきやすいし、すると他の避難者たちに夜、迷惑がかかる。
 昼寝もせずに脳トレのゲームをしている。 性欲が溜まっている。同じ部屋のおばあさんが風呂に行くという。私は携帯でネットを眺める。文芸サイトの詩と相談サイトの哲学問答を口呼吸しながら読む。
 居室を出て、風呂に向かう。ひし美ゆり子に憧れながら歩く。私は家庭が欲しい。
 無人の風呂場で乳毛を剃る。人が来たので湯船には浸からず身体だけ洗って上がる。
 脱衣所そばの暑い部屋で扇風機を使う。節電を促す貼り紙を見かける。
 居室に戻って2ヶ月ぶりくらいにきっこのブログを見る。思えばきっこのブログを読んだから私は自主避難してきたのだろう。
 ひし美ゆり子や小林夕岐子の画像を眺める。乳を出して口をひらく女の動画を眺める夕方。私は家庭が欲しいのだと思うけれどそのことをあまり人に言わない。
 トイレで着替えて鞄を持って事務室に入り、避難所の臨時職員の仕事をする。申し送り書を読み、避難者へのお知らせという文書を作り、避難者各班に配布する。壁に掃除当番表を貼る。少し遅れての夕飯をとるために、食事してきますと言って事務室を出るとき、私の声が小さいせいか職員さんたちが聞き取りにくそうな顔になった。
 居室ではおばあさんが幼児たちと遊んでいて、となりの部屋からおじいさんの歌が聞こえる。ご飯を食べて歯を磨く。
 事務室でパソコンに向かい、文書の細部をひたすらいじる。求人情報などを印刷して掲示する。
 夜の10時で消灯。他の臨時職員さんたちがひそひそ話をしている。
 事務室であめを舐める。
 夜中の1時になる頃に、次の時間帯の当番の人が来て、仕事をその人に引き継ぐ。
 マスクをして寝る。

 月曜日。晴れ。
 7時半になる少し前、朝の掃除が始まる。他の人達は大人も子供も老人も、朝食を済ませたらしい。私はそのころに起きる。布団をたたむ。つけていたはずのマスクが顔から取れている。
 皆が掃除をしはじめる中、目立たない洗面所へ行き、舌のこけをスプーンでこそぎ取ってから、歯磨きをする。
 通路で掃除機をひきずる婦人と出くわし、先日その人とは長話をしたから、挨拶を交わす。避難所ぐらし4ヶ月目にして初めて人に自分から挨拶した。元気ないよと言われた。
 自分の班が当番になっている所へ行き、ほとんど掃除が済んでいて、私は椅子を2つほどテーブルから下ろす。
 おじさんが弁当のあるテーブルを拭いてと言っているので、白いタオルにアルコール液をスプレーしてテーブルを拭く。若い奥さんが近くにいて緊張した。
 老夫婦が掃除機のコードを協力して巻いている。私はほとんど何もしなかったので、掃除機の長いコードを巻くくらいの面倒は引き受けようかと思いながら、じっと老夫婦を眺めていた。
 老夫婦は別の所でその掃除機を使うらしく、私は掃除をやめて弁当のご飯とおかずと割り箸を取って居室へ戻る。
 壁に向かって朝飯を食う。お茶を注いで飲むために、支給されたマグカップをゴミ袋から取り出して、使おうとしてマグカップの匂いを嗅ぎ、底を覗くと何かで汚れている。黒いマグカップの底に黒い汚れがついて少し光っている。
 せみがシャーシャー鳴いている。朝刊を読む。
 文学賞についての記事を眺める。
 文芸サイトに昨日の日記を投稿する。
 避難所に来ている子供たちは元気で、子供同士でならお互いの言葉に耳を傾けあうようだが、親御さんや大人が子供たちの言葉を受け取っていないようだ。不憫に思う。
 受付係の婦人に、親業という育児上の工夫を知らせたいけれど、それほど親しくないし、人妻と親しむことは自分の今後のためにも他の家庭のためにも止すほうが良いだろうし、機会でないような気がする。他人を変えようとしてはならないらしいことをトイレで思い出す。
 私は自主避難してきたが、他の人々は国や市から避難を勧められて来ている。他の世帯には避難生活を支援するお金としてか、数十万円が配られたが、私はいくらも貰えない。口寂しい乞食だ。
 他の市の職員さんが居室の前に来て、何か短くぼやいて去る。その人に東京電力からの精神的負担に対する賠償金をどう貰えるのか訊ねたかったけれど、なかなか私は人と会話をするに際してふんぎりがつかない。
 居室を出る。窓の外から近くの野球場で細かい人々が野球をする光景と、応援のガラガラした声が届く。
 洗濯室の洗濯機から洗濯が済んだ服を取り出して乾燥機に入れる。洗濯室は涼しい。天井の冷房のせいだろう。乾燥機の下にあるバケツの水を捨てる。
 トイレで頭を洗う。居室で携帯に日記を書く。
 別々の世帯のおじいさんとおばあさんが大きなテレビの前で並んで座っている。
 通路で子供が、おもらしをしたのか、泣いている。
 居室は冷房が効いていて心地よい。私はいつまでひとりなのだろう。事務の仕事のように他人に申し送りをし引き継いでしまえそうな簡単な暮らしをしている。顔のない人間か。そして引き継ぐほどの価値もない。
 ここの田舎の人々の暮らしは素晴らしそうだけれど、よく分からない。冬が来れば雪が深いそうだが、暗さは少ないらしい。
 居室におばあさんと幼子たちが玩具を持って来て騒がしく、またとっとと居なくなる。
 大人が気だるい声で昼飯時を知らせ、数人の子らがご飯だよと叫んでいる。
 弁当とおかずとまだ読んでいない新聞を取って来て、便所の水でみそ汁を作る。便器に流れる水ではなく、トイレの水道水で冷たくぬるいわかめのみそ汁。
 同じ部屋のおばあさんに、合唱や体操のイベントへ参加するかどうか訊ねる。また明日の3食ぶんの弁当を注文してよいか訊ねる。
 新潟の新聞を見ながら弁当の肉やカレーコロッケを食う。放射線で汚れた牛の肉を人々が食べたらしい。
 黒いマグカップに烏龍茶を注いで少しずつ飲む。新聞を眺め終えてから弁当の残りを食う。
 女児が残酷な天使のテーゼを歌っている。窓を閉めているうちはせみもあまりやかましくない。新聞の記事は大人向けのものよりも子供向けの方がずっと分かりやすい。
 脇が汗ばむ。
 テレビのある部屋で人々が語らっている。私はよそよそしい気分になる。弁当の箱を返しに行き、あまり他人に目をくれないようにして、器を洗ったり、乾いた洗濯物を居室に持ってきたりする。
 先日退所した青年からは暗い鏡を貰った。
 明日の弁当の数を書いた紙などを事務室へ持って行く。事務室は静かで、職員さんたちは眠たそうにしていた。
 婦人の職員さんから用事を言い渡され、机に向かってメモをしたためる。汗をかいている自分の体臭が気になり、早く事務室から出たかった。
 用事を言い渡されたので、階段を上がり、他の班の居室にお邪魔し、明日の弁当の数を用紙に書いてもらい、預かって事務室へ届ける。
 居室に帰ろうとすると、受付係の人に呼び止められ、職員さんが私を探していると言われたので、また事務室へ下りていき、美人な職員さんから弁当注文に関する数字のミスを指摘された。
 居室に戻るとその職員さんが来て、明日の弁当について別の質問をし、私が答えあぐねると職員さんはさばさばした様子で去る。わりと美しい人なので私は少しまごつくのだった。
 昼下がりは暑くて、より、ばかになりそうになる。せみがうじゃうじゃ鳴いている。大気が攪乱されている。どこかのテレビからやや古いドラマの音声が届く。俳優の喋り方が古いのだろうか。
 避難所で配布されるプリント類を綴じてきたファイルの中身の殆どはもう不要な紙なので、らくがき帳にする。プリントの空いているスペースにネズミや人を描く。先日の心理検査で受けたロールシャッハテストの絵の中にいたネズミや、先日の空想の折に思い描いたおばさんなど。通路から見えないようにこそこそと描く。漫画も描ければいいのに。
 らくがきしていると時の過ぎるのが早く、夕方の4時を過ぎたので、お風呂に行く。
 浴室は無人で、自分のお尻を鏡に映して見るとやっぱりきれいではなく、人目に触れることは慎まれる尻だ。そういう慎ましさだけは清らかで可憐だろうかと思い、少しだけ救われる。湯船に浸かりながら空と木々の葉を眺め、自分やこの世界に必要な仕事とは何かと考え、また考えつくことがなかった。入浴時間が限られているので早めに上がると、避難者のおじさんが脱衣所に入って来て、私は自分の股関を真っ青なタオルで隠し、恐縮しながらどうもと会釈して、ロッカーの陰でトランクスと下着と服を着る。おじさんが深い溜め息をついたのは暑さのせいなのか私への嫌悪感からなのか分からない。それから一人で椅子に座り扇風機の風に当たった。
夕方
2011年07月18日(月) 09時07分20秒 公開
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No.5  夕方  評価:0点  ■2011-08-14 06:10  ID:xkyrp59vkSk
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カメクンさん、感想をどうもありがとうございます。実はお久しぶりです。
よいかもしれませんよね……。
No.4  カメクン  評価:30点  ■2011-08-08 22:06  ID:0NFpGB.5XOc
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読ませていただきました。 避難所にいる一人の青年。無力でもあり、たまにかいま見える苛立ちや焦り。発言力は平等ではない。興味深く読ませてもらいました。

大惨事後、今まであった問題がなくなる訳ではなく、むしろ強化される事もある。
年金はまたもらえるが、仕事は時間がかかる。貯金が残っている人とそうでない人。
実際的な家事や子育て力がある人、ない人。
少し列挙
世代間の経済力格差。
フリーターの問題。
税金のフリーライドという考え。
自殺率の高さ。
いろいろと考えてしまいます。

大惨事後に生きるものとして、確かに自分を軸に一人一人今を語る事をしてもよいのかもしれませんね。

No.3  夕方  評価:0点  ■2011-07-23 16:00  ID:X/gSUuArvp2
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アドバイスをありがとうございます。なるほど……、なるほど……。詳しさが足りないのですね。
No.2  陣家  評価:20点  ■2011-07-22 06:10  ID:ep33ZifLlnE
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拝読させていただきました
本作はノンフィクションの分野にカテゴライズされるものですよね。作者様は決して日記を公開してみようとしているわけではないと思っています。
この分野はルポルタージュ文学とも言われますが、記事にしても文学にしても、筆者の立場やパラダイムが非常に重要な要素だと思います。
なぜかというとルポルタージュというのはぶっちゃけて言えばパパラッチであり、作品性を求めれば求めるほどエンターテイメント性が高くなり、そこに描かれる側との軋轢を生じる事は避けて通れないからです。
読む側とルポされる側との両方に作品性を納得させるのはやはり筆者の立ち位置の明確さでしょう。
本作では被災者の立場からのルポとなっており、事細かに被災者である筆者の一日の行動が赤裸々に描かれています。この点は確かに貴重なレポートであり、価値のある物だとは思います。
しかしながら、そこから筆者の主張するものや訴求する物を読みとるのは難しいと思います。
どこか諦観めいた無気力感が大勢を占めてしまっていますよね。日々を生き抜こうとする姿勢は感じられつつも現実感を喪失した世界に放り出されてしまったような、そんな虚無感はひしひしと伝わってくるのですが、そこからもう一歩進めてほしいと思いました。
偉そうな事を書いてそれこそ被災者の方々には申し訳ありませんが、アンヌ隊員やアンドロイドゼロにほぼリアルタイムで憧れた世代の一意見としてご寛恕ください。
No.1  622  評価:10点  ■2011-07-22 00:30  ID:I/z1Sx/aZaY
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 作者は書きたくもないことが、読者の読みたいことだったりすると思いました。例えばじいさんとばあさんが性やら入れ歯やら煙草やらについて語っていたならそれを少しだけでも詳しく書いた方がよかった。それは、作者がブログだの投稿サイトだのを見たとか、そんなことよりはずっと興味深く、関心のあることだと思います。その場にいる人間にしかわからない感情や風景があるのにほとんど書いていない。だから日記に毛が生えたようなものにしかなっていない。
 書かないことによって逆に読み手の想像力の介入する余地を持たせるという技法もあるんでしょうが、それは本作においてはそぐわないと思います。実にもったいないと思う。
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