ブルジバル・リンガルゲア・マサヒカリィ
 空に現れる雲のうち、いくつかは卑猥な形をしている雲があることに気付い
た研三は流れては消えていくのをぼんやり眺めていた。暑い日であった。ムカムカする湿気を含んだ風が研三の首を撫でながら通過していく。だからというわけではなかったが、研三もまたムカムカしていた。ああ誰か殺したい! と思う。 つい最近、隣のクラスの名前しか知らない男子生徒が大麻で補導されていたことを思い出す。麻薬でもやれば少しはムカつかなくなるのかも知れないが、いったいどういうルートで手に入れたのか、研三には解らない。イラン人か、インターネットだろうかと推測する。あるいはインターネットでイラン人から買うのか。どちらにしろ研三の少ない小遣いで大麻を購入するのは難しいと思えた。だから大麻のことは考えないことにして、しばらく眼を閉じて妄想に耽ることにした。隣の席で真面目にノートを取っている祐子を自宅の押し入れに拉致監禁し性奴隷にして夏休みの間中暴力的なセックスに明け暮れる生活を夢見る。無論、研三はそんなことはしない。出来ない。しかし空想するのは誰にも止められない。違法でもない。だから研三はまだ観たことのない武藤祐子の性器を思い浮かべる。大陰唇と小陰唇の形状、陰毛の量、感度の良さ、そういったことを具体的に、克明に。と言っても彼の知る女性器はすべてインターネット上でダウンロードしたもので質感や臭いなどはイメージする他ないので、やはりなんというか、どこか平面的でリアリティに欠けていた。自分の陰茎を祐子の膣に挿入するところを想像しても臨場感に欠ける。例えば挿入時およびピストン運動時の際に相応しい擬音はズブンなのかヌポッなのか、あるいはズコンかバコンか、それとも文字では表記し得ない音なのか、パソコンやテレビのスピーカーを通して出る音はなんとなく違う気がする。そんなことが気になって空想に身が入らなくなりすぐに興醒めしてどうでもよくなった。ああ、こんな下らないことを考えるのは止めて真面目に生きよう。学生らしく勉学に励もう。今は英語の授業中なのだから、英語を学ぼう。
「The announcer said after the hesitating news. It is a morning of Brazil.」
 意味は解らないが、とりあえず黒板の英文をノートに書き写してみた。
 アナウンサー……アフター……ニュース……それはブラジルの朝です。
 研三は解る単語を頭の中でパズルのように並び替えて読んでみたが、文章の意味はなんの事やら解らなかった。ブラジルで何かあったのだろうか? 研三が考えていると英語教師は武藤祐子を指名した。
「アナウンサーはニュースを躊躇った後に言いました。ブラジルの朝です」
 はいそうですねよくできました、と英語教師は満足げに頷き、再び黒板にチョークを走らせた。だが研三は納得がいかなかった。何か文章としておかしい気がした。ニュースを躊躇う? どういうことだろう。トチったって事か? しかし教室内に不穏な空気はなかった。理解していないのは、自分だけのようだった(起きている生徒の中では)。日本語すらよく解っていないのに英語なんて習得できるはずがない。
「やれやれ、のび太くんは本当にダメだなあ」 とドラえもんの声で言う。しかし実際に声に出しているわけではなくて心の中で言っただけだったので自分から最も近い位置にいる隣席の武藤祐子も誰も研三に訝しげな視線を投げる者は居なかった。

のび太(研三)「そうさ、ぼくはダメなやつなんだ……でもドラえもんだってポケットがなけりゃただの鉄屑だろ」
ドラ「そうだね。ぼくもダメなんだ。君もぼくも、ただの糞尿製造マシンさ」
の三「おれは機械じゃないよ」
ドラ「同じさ。少し構造が違うだけ。はらわたが配管で、脳はコンピュータだってだけの違いさ」
の三「というか、お前はクソしないだろ」
ドラ「と思うじゃん? 実は出してるのさ。口から粒子状にしてね。質量保存の法則ってのがあるからね」
の三「口からクソしてんの?」
ドラ「そうさ。君たちはぼくが出したクソ粒子を空気と一緒に吸ってんだ。知らなかったろ」
の三「……お前マジホントくそったれだな」
ドラ「クソくらえだよ、フニャマラくん」
の三「お前はタマなしじゃねえか」
ドラ「ナニィ、それをいっちゃーおしまいだよ!」
の三「あーおしまいいおしまいだ!」


 研三は脳内劇場に幕を下ろすと暗澹たる気分になった。自分の頭の悪さにウンザリした。下劣としか言い様がない。こんなに馬鹿に生まれるならいっそのことキチガイに生まれたかった。ふと、机の上に立ってオナニーショーを開催してやろうかと思ったがそんな度胸はないし、あまりにも意味がなさすぎるので止めた。それにそれはキチガイというか変態だ。
「アイアム・フォーティーン・アイ・フロム・イースト・タウン」
 他校に知られるほどの馬鹿として有名な大谷が田舎くさい発音でなにか喋っていた。どういう設問だったのか研三は聞いていなかったので知らない。
「アイム・カントリー・セブンイレブンッ! アイ・イズ・フロム・イン・セブンッ・エレブンッ!」
 野球部でもないのに五厘刈りの青々とした坊主頭の大谷は、顔を真っ赤にして活動家のように叫んでいた。
 研三は、なぜあんな狂ったようなやつが特殊学級に入れられずに野放しになっているのだろうと疑問に思った。理科の授業中に堂々とズボンを降ろしてオナニーをし始めたときは本当に引いた。しかし今はそんな大谷が眩しく見えた。「アツい。これが超越するということか」 そう思った。
「はい、ありがとう。うん、もう座っていいです。うん、はい。ありがとね」
 英語教師にそう言われて大谷は着席した。まがい物の英語を少し喋っただけなのに彼は何故か肩で息をしてた。その興奮冷めやらぬ様子はまるでラウンドの間にコーナーに戻ったボクサーのようだった。
 口を閉じたままの笑い声で教室が若干ざわめき始めた頃、授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。研三にはその鐘の音が「お前は今日も無為に過ごした」と告知しているように聞こえた。まったくそのとおりであった。
「しかし今日という日はまだ8時間半ほど残っている……。ボールはまだ生きている」
 最終ラウンドのロスタイムで逆転サヨナラ満塁ホームランを打つ自分を妄想したりしているうちにホームルームも終わり、研三は放課後を迎えた。 部活にでも入っていればそれに精力を注ぐ事も出来たが研三は帰宅部だった。全力で帰宅する、というアイデアが浮かんだが、具体性が一切なかった。全力で走って帰るにも研三の家は学校から200メートルほどしか離れていない。それでは30秒位で終わってしまう。次に考えたのは逆にゆっくりと、太極拳をするような速度で歩いて帰ろうかと思ったが恥ずかしくて一人では出来ない。というよりは誰かに誘われたってそんな馬鹿丸出しな事はしたくなかった。
「もう、馬鹿なくせにすぐにそうやって人の目を気にするんだから」
 心の中でドラえもんにそう言われて研三は苦虫を噛み潰したような顔をして下駄箱から外履きを出して履き替えた。視線を上げると、玄関の壁に竹馬が立て掛けてあるのが目に入った。
 どこの馬鹿がこんなものを持ってきたのか。
 研三がそう思った瞬間、何物かが彼の視界に入りこみ、竹馬に手を伸ばした。大谷であった。
 大谷は「キリリッ」 と硬質な音が聞こえてくるほど真剣な顔で竹馬に乗ると、一歩一歩地面に突き刺すようなぎこちない足取りで外に出た。
 研三は意味が解らなかった。
 もちろん、今日の大谷は竹馬に乗って家路を行くようだ、ということは解るが、その行動の意味が解らない。なす術なく大谷の後ろ姿を観ていると、他の生徒が騒ぎはじめた。
「おい、見ろよ! 大谷が竹馬に乗ってるぞ!」 
「ホントだ!マジワケわかんねぇ」
「大谷なら仕方ない」
「ああ、さすがだな!」


 研三は他の生徒に混じって、今は見上げるほどの高さにある大谷の背中を追った。なぜそんなことをしているのかを訊くために。しかし大谷は何か話し掛けられるのを拒絶するような緊張感を漲らせているので、一度足を地に着けたり、信号で休んでいるとき等のタイミングを見て声を掛けようと思った。
 それにしても危なっかしい。
 研三はテレビで観た生まれたてのキリンを思い出していた。あの時のキリンも長い足をガクガクさせて七転び八起きしていた。野生において、立てない者には死が待ち受けているのみである。まさに文字通り必死であった。
 しかし別に外敵に狙われているわけでもない大谷が何故こうもタイトロープダンサーのような緊迫感を醸せるのか、研三には見当もつかなかった。もしかして誰かと競走でもしているのだろうか。それとも将来サーカスに入団するための練習でもしているのだろうか。大谷なら、ありうる。
「おっ、どうしたどうした!」
 見物してた生徒の囃すような声で研三ははっとした。なんの起伏もないごく普通の歩道であるから油断したのか、大谷はバランスを失って竹馬の上でゴーゴーダンスのような動きをして必死に安定を取り戻そうとしていた。しかしそれが研三には、被弾して黒煙を吐きながらキリモミしている戦闘機のように見えた。
 しかし研三はハラハラもドキドキもしなかった。他人事だからではない。確かに、大谷は竹馬の足置きの位置をかなり高いところにセットしているので倒れると危険である。打ち所が悪ければ大ケガをするだろう。しかし倒れる前にひょいと降りればいいのだけことである。自分ならそうする。もちろん大谷もそうするだろう。
 研三はそう思った。
 誰もがそう思っていた。
 みんな。
 風も、
 雲も、
 お天道様も。


 既に日没から数時間が経っていた。
 大下が詰め襟の第一ボタンと第二ボタン、それからカラーを外ながら言った。内ポケットからマルボロ・ライト・メンソールを取り出して車座になった友人達に一本ずつ回す。 研三は喫煙の習慣がないので躊躇ったが、見様見真似でくわえた煙草の先端に火を点ける。が、点火されない。
「吸い込みながら点けるんだよ」 隣の川原に教えられ、その通りにしたら盛大に咽せた。
「無理すんなよ」
「いや、久しぶりだったから」
 それからしばらく、靴底が砂を踏む音と、煙を吐く音だけしか聞こえなかった。
 彼らは小さな公園にいた。
 誰が誘ったのか解らない。なんとなく、みんな帰りたくなかった。
 今日の事件について話すことで、消化しようと思ったのかも知れない。
「普通さぁ、俺たちは限界ってものを知ってんじゃん」
 大下が驚くほどしみじみとした、少年らしくない口調で言った。
「知ってるって言うより、なんつーか……本能的にさ、ボールが飛んできたら避けるなりガードするなりしちゃうだろ。そういうのがないんだよ。違う世界から来たっていうか。とにかく大谷は俺らが持ってるものを持ってなかったんだよ。単に当たり所が悪かったんかも知んねえけど」
「ない訳じゃねえと思うよ」
 一本しかない電灯に寄りかかっていた研三が唾を吐いた。
「大谷はさ、ようするに死ぬ覚悟をしていたんだよ。じゃねえと、あんな事出来ねえから。俺らはみんなさ、常識的に、とか言ってビビるじゃん。死ぬ気でやる、つっても死ぬ前にやめるし、殺すって言っても実際殺さないし。ていうのはさ、死なない殺さないんじゃないんだよね、殺せねーんだよ。覚悟がないから。言い換えれば常識っていうリミッターがあるから。大仁田、んあ間違った。大谷はリミッター解除してたんだよね。完全に」
そこまで言って研三はまた唾を吐いた。上顎の喉の辺りが痒い。頭痛と吐き気がする。なぜこんなものが440円もするのかさっぱり解らない。
「……だからってアレはねえけどな」
 全員が同意を示すように顎を引いた。

 あの時、大谷は竹馬に乗ったまま棒のように倒れた。まるで手を縛られているかのように、一切の受け身を取らなかった。
 アスファルトに頭を強打した大谷は「ウオッ! ウォー!、ウオウウォー!」 と絶叫しながら、穴が空いたみたいに血が流れ出る頭を抱えてゴロゴロゴロゴロ地面を転がり回っていた。研三はそのあからさまな異常さが怖ろしくてとてもじゃないが助けの手を差し伸べることは出来なかった。そうしている間も大谷は路上に広がる自らの血の上を転がり回ってどんどん体中まっ赤になっていく。研三や周りの見物人は「こりゃエライこっちゃ」 と頭の中で大阪弁で繰り返して震驚するだけだった。
 そこにたまたま下校してきた一年の女の子が「うわ何みんななんで見てるだけなの」 と言って人をかき分けるようにして飛び出してきて、大谷がこれ以上出血しないためだろう、自身が覆い被さるようにして大谷の体を押さえ込んだ。しかし大谷は何が気に入らなかったのか、スルスルッと女子生徒の下から抜け出したと思うや馬乗りになって髪を掴み、地面に何度も叩きつけた。最初は下で「ちょっと」「やめて」「待って待って」 等と言って抵抗していたが女子生徒が意識を失うのに20秒とかからなかった。大谷は狂ったように咆吼し、ぐったりした女子生徒を裏返して地面に顔面を叩きつけたり擦り付けたり、背中の上で地団駄を踏んだり、ボディプレス(この時は必ず「ドゥーン!」 と奇声を発していた)を繰り返した。もうどっちがどこから血を流しているのか解らないくらい二人が血だるまになったころ、駆けつけた教師が大谷を取り押さえた。その際、大谷は腕に噛みついて獣のように一部を噛みちぎった。短気で手の早いことで知られていた体育教師は目つぶしからのエルボー、そして大外刈りに至る連続技を炸裂させて大谷を大人しくさせた。すぐに救急車が呼ばれたが女子生徒は内臓破裂全身打撲脳挫傷等々で既に死亡。大谷は意識不明の重態に陥っていた。生命維持装置のおかげで一命は取り留めたがいつ目を覚ますのか解らない状態でもし目覚めても体に何らかの後遺症が残るのは確実だった。

 研三は俯いていると吐きそうになるので上を向いて意識的に深く呼吸を繰り返す。空には丸く美しい月が出ていた。上空は風が強いのか、灰色の薄い雲が月を隠してはまた現すを繰り返している。電灯には羽虫や蛾が異常なほど集まって光の拡散を妨害していた。それをじっと見ていた研三に、
「なんかこの公園、虫多くねえ?」
 名前しか知らないクラスメイトがそう言って、足下で羽をばたつかせていた蛾を踏みつぶした。足を上げると、靴底の跡の残る地面に、グシャグシャになった羽や腹に混じって、ピンク色をした無数の小さな卵が混ぜ合わさっていた。
「うわ、焼きタラコみてえ。マジキモイんだけど」
 そう言った友人の顔はデキモノや引っ掻き傷だらけで、さらに乱杭歯と腐ったモモのような歯茎をしていた。
 研三は顔をしかめた。
「お前のツラがマジキモイんだけど」
 とは言わなかった。なぜならば、それは相手を傷つけるだろうと思ったからだった。常識的に考えて。
622
2011年07月13日(水) 06時07分56秒 公開
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No.4  みずの  評価:30点  ■2011-08-02 20:24  ID:JntREJ4DlHE
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読ませていただきました。

かなり面白かったです。ちょいちょい挟む小ボケもいいカンジで楽しく読み進められました。
山田さんが仰ったように、僕も寄り道が多いとは思いましたが、この散らばり具合がかえって合ってるのかなとも思いました。
最後ちょっときれいにまとめるんかと思ったらそうでもなくて、そこもよかったです。

以上です。ありがとうございました。
No.3  山田さん  評価:30点  ■2011-07-22 18:51  ID:GuwX6j.lV5k
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 拝読しました。

 かなり面白く読めました。
 読めたのですが、もっと面白くなりそうな気がしてちょっと残念な印象も受けました。
 うまく言えないのですが、ちょっと寄り道が多いのかなと。
 物語が進むべき点があるとして、そこに進む間にあっちにちょこっと、こっちにちょこっと、と寄り道をしている感じでしょうか。
 物語に吸い込まれそうになるたびに、ちょっと引き戻されてしまう感覚というのでしょうか。
 うまく表現出来なくて本当に申し訳ないのですが、ズボッ! と突き破れそうで破れないもどかしさがありました。

 最後の「なぜならば、それは相手を傷つけるだろうと思ったからだった。常識的に考えて」ってのがすごく好きです。
 主人公の性格、立ち位置、存在そのものを総括しているようにも読めますし、皮肉な響きもあります。
 寄り道云々と書いてますが、この最後の一文のおかげで、着地する場所にきちんと落ち着いたようにも思います。
 すごく抽象的な感想で本当に申し訳ないです(汗)。
No.2  622  評価:--点  ■2011-07-15 00:20  ID:I/z1Sx/aZaY
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 ああダメだなこりゃ、イマイチっていうかイマサンくらいダメだな、消したほうが良いかな……、
 と思っていたのですが、褒めて貰えて嬉しいです。ありがとうございます。  写真は、ブルース・リーだと解らないように(肖像権とかそういうのに配慮して)加工したんですが……。うーん、もっと分かり難くすればよかったですね。
No.1  うんこ太郎  評価:40点  ■2011-07-13 12:34  ID:MSnHZH1V1XI
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すごくおもしろかったです。文章が非常にうまくて、書き慣れているのかなと。なんというか、スカッと読めました。
内容としては、主人公は逃避しているようでいて、ちゃんと現実を見つめてはいるけど、冷め切ってはおらず、
呑気なのでしょうか。悪く言えば世間知らずというかナイーブで、それが健康的だなーと思いました。
健康的な男子中学生というのは総じて笑えるものですが、その可笑しさを表現するのは簡単ではないと思います。
でも本作では、こ憎らしいくらいに上手に男子中学生たちのおかしさが描けていると思いました。
大谷の人物像と、主人公の語りの文章がうまいからだと思います。自分の中学時代すら思い出してしまったくらい、本当よかったです。
それから、ブルースリーの写真も作品の世界とあっていると思います。
おもしろかったです。ありがとうございました。
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