game
 
 昼下がりの小児科入院病棟はほのかな薬品の匂いと、病気の子供たちの不快ではない汗の匂いと、そろそろと忍び寄る秋の葉っぱの匂いで満たされていた。看護師や子供が通り過ぎるたびに、風が吹き込んでくるたびにそれらは微妙に比率を変え、私の思考もそれに応じてわずかには変化する。けれども私の思考は基本的には一貫していた。
 この間9歳になったばかりの娘の病室はこの待合スペースとは反対側の廊下を左に折れた突き当たりにある。衰弱しきってしまって満足に動けない娘はその個室のベッドに横たわり、静かに、眠るか覚醒するかを繰り返している。
 ただそれだけの娘の毎日を見守るだけの私の毎日はもうどうしようもなく疲弊しきっていて、月並みな言い方だが、この子の代わりに私が死んでしまいたいという思いが心の底から絶えず湧き出ては全身に粘着し、私自身の気力を容赦なくそいでいく。
 担当医が形だけの外来にやってくるこの時間には娘の元を離れ、こうして背もたれのない簡素な長椅子に腰かけながら、じくじくと悲劇を噛みしめるのが私の最近の習慣になってしまっていた。私なんかよりも娘の方がずっと哀れで辛い目に遭っているのに、娘は私には信じられないくらい平然と日々を過ごしていた。
 妻は娘を生んだ直後に逝ってしまった。生まれながらに病弱だった娘にとってはこうしてベッドに横たわっているのが日常となってしまっているのだろう。親としてはなんともやりきれない話であるが、曲がりなりにもこの歳まで生きていてくれただけでも感謝すべきことなのかもしれない。
 先週だったか、外来後に担当医に呼び出された私はある程度は覚悟していたはずの宣告を受けた。風が心地よい午後だった。
 3か月後、というと年末あたりになるのだろうか、その時はやはり真夜中で、しんしんと雪が降っていたりするのだろうか、娘の身体は冬に磨かれるコンクリートよりも冷たく尖っていくのだろうか、そしてその時を迎えた後の私の世界はどうなってしまうのだろうか。娘は何のために生まれてきたのか、私は娘に何もしてやれないのか、そんなことばかり考えてしまう。
 ふとテレビの方を見やるとテレビショッピングが放映されていた。万能ミキサーの紹介かなんかで、いかにもなアメリカ人の家族やその友人たちが朝食を作りながら、わざとらしい展開に持ち込んでいる。その中に娘と同じくらいの年齢の金髪の少女を見つけ、何気なくぼんやりと眺めていると急に少女がカメラ目線に振り向き、私と見つめ合うような状態になった。テレビの粗い画素で表現するには勿体ないほどに冴えわたる青い瞳。あまりにも不自然すぎる少女の行動に驚き、戸惑っていると、

 暗転、した。

 空とか地面とか風とか、そういう概念が存在しないような暗闇、というよりは黒い光の中を何の手ごたえもなく浮遊している。自分がどんな気分なのかもなんだかうまく掴めない。消耗のあまり突発的に死んでしまったのかとも一瞬思ったけれどそんなことはなく、この不可思議な状態を心中で整理する間もなく、眼下には視界を覆うほどの巨大な区画が音もなく、一瞬にして現われていた。
 私はこれを知っている。
 巨大なそれを見下ろしながら、まず最初にそう思った。小さな玉を転がして落ちる箇所を予想するタイプの、カジノなんかでよく見るようなルーレットなので、知っていてもおかしくはないのだけれども、なんせ大きさが尋常ではなかった。ひとつの街くらいの大きさなのではないかというそのルーレットには数えきれないほどの溝があり、そのすべては見渡しきれなかったのだけれど、私にはそれが100万箇所あるとわかった。
 どうしてわかったのか自分でも説明できないのだけれど、そんなことさえも極々自然に受け入れられた。もしかしたら私は生まれながらにこのルーレットに馴染んでいるのかもしれない。私の人生はこれに出会うために用意されたのかもしれない。そういう風に思わせてしまうほどの隙のない威圧感、絶対的に支配していながらもそれを明確には認識させないような、親しさめいた何かがこのルーレットには緻密に配置されていた。けれども間違いなく危険なそれを眺めてみる。
 私の心は期待のような感情と恐怖のような感情との間を行き交ってはいるが、それも時間の問題で、しばらくすれば期待の方が打ち勝つであろうことは明白だった、恐怖は確かに存在しているが、それが逆に期待感に彩りを与えてしまっている。私は次第に胸が高鳴っていくのを感じ、それを自制しようと目を閉じた。それでもほんのわずかな瞼の隙間から、悪魔みたいな生きものが入り込んでくるような気がした。
 今私の中にはひとつの考え、というかルールのようなものが浮かんでいる。それはとてもじゃないがまともなものではなく、馬鹿馬鹿しくて自分でも信じられないくらいだ。もうすぐこのルーレットは回りはじめ、私はそこに小さな白い玉を落とす。玉はこの100万箇所の溝の淵をカラカラと乾いた音を鳴らしながらいつまでもいつまでも転がり続け、やがてどこかに落ちて収まる。そこが緑色でなければ、つまり赤か黒の溝に落ちれば私の勝ちとなり、娘は救われてこれからも順調に生きることが出来る。そして、100万箇所の中のたったひとつの緑色の溝の中に落ちてしまった場合には、私たち親子がどうこう以前に、60億人以上の人類が生きているこの世界自体が誰か、おそらく今の私が置かれている状態を創り出した悪魔みたいな生きものの手に落ちてしまう、というものだった。
 私は目を開けた。どうしてこのような考えに至ったのかまったく見当もつかなかったけれど、そこには無視できない、どこか暗い匂いが漂っている。そして気がつくと私の右手には小さな白い玉が握られていて、ルーレットも音もなく回転を始めていた。白昼夢は一気に現実味を帯びてくる。手のひらから汗が滲む。私はひとりっきりで、何の前触れもなく、何の説明もなく、重大な決断を迫られていた。突き抜ける不安に煽られてあてもなく叫んでみても、誰も応えてくれない。吸着されるだけの感情は哀しいほどに欠陥だらけだった。
 けれどもここはひとつ、まじめに考えてみようと努める。私は今、自分の娘の命とこの世界とを天秤にかけていて、たったひとりの少女の命と60億人以上の人々の運命のどちらが重たいかなんて考えるまでもないことではあるが、私にとってはどれだけの人間の運命を預けようと、娘の命の方が大事ではある。娘の居ない世界でたとえどれだけ平和に時が流れようと、私自身が満たされることは決してないだろう。
 それに賭けとはいっても、100万分の1の確率を回避すればいいだけのものだ。この賭けに必要なのは幸運などではなく、むしろ乗る勇気だけなのではないか、そうだ、そうに決まっている。もし負けたとしても既存の世界なんてなくなってしまっていて誰かに責められるわけでもないのだし、逆にこの機会を逃してしまえば私は一生後悔することになるだろう。
 決めた、やるぞ。
 自らにそう言い聞かせながら、右手の中の白い玉を祈るように強く握りしめる。近くに緑の溝が見当たらないのを確かめてから目を閉じ、震える右手を宙に差し出して力を抜いた。白い玉が零れ落ちていく、一瞬の沈黙の後にカラン、と盤面に届いた音がした瞬間、さらに汗が噴き出してきた。もう戻れない……。

 私は看護師に肩を揺さぶられて我に返った。そこはもうさっきまでの待合スペースで、薬品と子供たちの汗と秋風が運ぶ葉の匂いが入り混じった空間がやけに懐かしく感じられた。
 その日は夜が白むまで寝付けなかったが、ほんの束の間の眠りの中で、私は夢を見た。
 夢の中の視線は私と娘のふたりを少し遠くから見守っていて、私は車椅子を押しながら娘と楽しそうに話しこんでいる。しかしいつの間にか娘は車椅子から飛び降り、痩せ細った足からは想像もつかないほどの軽快な足取りで、夢の中の固定された視線の方へと走ってくる。不気味なほどの軽快で迅速な足取りで、息を乱すこともなく笑顔でやってくる。なにかこちらに向かって親しげに話しかけているようだが何も聞こえてこない。そして夢の中の私はというと娘の異変には気づかずにのうのうと歩き続けている。空っぽの車椅子を押しながら。そんな夢だった。

 賭けをした日からもう3カ月が経つ。さすがに賭けをしてからしばらくはろくに眠れず、食事も喉を通らずで看護師からも心配されるほど追い込まれていたが、最近はある程度平穏を取り戻しかけている。なぜなら娘がこの3カ月の間に驚異的な回復を遂げたからだ。担当医も驚き、喜んでくれている。もちろん一番喜んでいるのは私で、喜びとともに、安堵した気持ちも強かった。よかった、私は賭けに勝ったのだ。そしてやはりあれは私の白昼夢などではなく、実際に行われた賭けだったのだろう。
 待合スペースの長椅子に腰かけている。今日は娘も一緒だ。まだ普通の9歳の子と比べるとたどたどしいが、私の手を借りながらならある程度は歩けるようになってきた。今はまだ娘の病室からここまで来るのがやっとだが、これぐらいの弱弱しさでいい。私たちはこれからもずっと一緒に生きていられるのだから、今はまだこれくらいでいいのだと思う。
 カラン、と落ちたのはビー玉だった。すぐ傍にある小さなテーブルの周りには病衣姿の子供たちが4人ほど集まっていて、何やらよくわからない遊びに興じている。テーブルからひとつだけ落下したそれは窓の方へと転がっていく。子供たちは気づいているのかいないのか誰もそれを拾いに行こうとせず、よくわからない遊びを続けている。徐々に速度を失って静止へと走っていくビー玉をぼんやりと眺めているうちに、白い玉がルーレットを転がる音と心臓の高鳴りが頭の中でよみがえってきた。なんとなく、不安になる。思考が錯綜する。
 あの賭けは、私だけに行われたものだったのだろうか?
 100万分の1とはつまり100万回に1度は負けるということだ。私が賭けに勝ったのかどうかはともかく、この世界には60億以上の人が生きている。私のように切羽詰まっているあまりに賭けに誘われてしまう人間なんて、100万ではくだらないだろう。いつか誰かがこの賭けに負けてしまうかもしれない。そして私にはその人間を責める資格などない。私があの賭けを心の底から望んだことは確かなことで、つまり、私はいったい何をしてしまったんだろうか? 私はもう、ある意味では人間ではないのかもしれない。
 自分の存在が急に希薄になった気がした。鼓動は繋がったひとつの騒音として際立ち始め、血の気が引いた体はすぐに熱くなる。身体はそういった顕著な反応を示しながらも、実体として私の感覚には迫ってこない。駆けだしたり、わめき散らしたい気持ちが浮かんではすぐに消えまた浮かんではすぐに消え、結局なにもしない。なにも、出来ない。
 どうしようもなくて娘を強く強く抱きしめる。もはやこの世界に存在すべきではない私は、抱きしめることで身体の震えから逃れようとした。愛しくて可哀そうな、私のすべて。
 あってはならないあってはならないあってはならないあってはならない。
 声にはならないように息をする。
 あの日見たテレビショッピングの映像は今日も流れていて、絵に描いたようなアメリカ人たちが朝食を作りながらアメリカンジョークを交わし合っている。ひとりの男性がアップになって自慢げに商品の説明をしている後ろにはあの日見た金髪の少女が小さく映り込んでいて、なにかしゃべりながらこちらに笑いかけている。冴えわたる青い瞳が、顔の中で輝いていた。

 心配しなくていいよ? 「game」はパパで終わったから。
 
 それは腕の中で黙っている。顔をうずめたまま、ひたすら抱き返してくる。甘えているのか、戯れるようなゆるい吐息が次第に重く、低く流れだしていく。
 それが咳をいくつか放った時、こいつも笑っているのかもしれないな、ふとそう思った。笑い声を誤魔化すような咳の仕方だった。あってはならないことがまたひとつ、頭をよぎっている私は固く目を閉じた。瞼の裏を、涙がじんわり焦がしていく。

 がっかりしないでね?

 風がどこか遠くの人々の臭いを運んでくる。
 絶望とも恐怖ともつかないような、よくないものがさっきまで確かにここにあったのだけれど、すぐに次の、なにか別の、私の知らない多幸感のようなものに今は満たされている。浅ましくて切ないけれど、私が気づいていなかっただけで、私は、おそらく私たちはそういうふうに出来ている。

 ずっとずっと、こうしていたい。

 やさしく抱きしめられながら、最後にそう思った。閉じた瞼も開かれていく。
 病気の子供たちの、不快ではない汗の匂い。



みずの
2011年10月03日(月) 20時23分03秒 公開
■この作品の著作権はみずのさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
読んでくださいましてありがとうございました。
これは片桐秀和さんの「game」という作品をリライトさせていただいたものなのですが、片桐さんには快く協力していただきまして感謝しております。
ありがとうございました。
そしていろいろと申し訳ありませんでした。
ご意見、ご感想などございましたら忌憚なくお申し付けください。
よろしくお願いします。

ちなみに、片桐さんがお書きになった方の「game」は三語小説傑作選の中にあります。

この作品の感想をお寄せください。
No.3  みずの  評価:0点  ■2011-10-08 23:50  ID:tUYcy0OjL5E
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うちださま

感想ありがとうございます。なんかまぁかなり好意的に解釈してくださった点は非常に嬉しく思います。
確かにミキサーとルーレットは微妙に掛けてはいましたが、あとはフカヨミですねw
「わかっちゃう世界」→そうですね、そんなカンジで書いたのでそう読んでいただけると助かります。
「単純化した物語を作る力をさけている」
↑これもその通りだと思います。まぁこの点は今回も改善できませんでしたし、しばらくは課題として残ると思います。

説得力の問題はあまり自覚していなかったのですが、娘への愛情や献身の描写が足りなかったということでしょうかね?
原爆トリニティ?てのも含めて、削り過ぎてしまった部分だと今は思います。

自分としても良いのか悪いのかよくわからないような作品にはなってしまいましたが、やってよかったとは思っています。
以上です。ありがとうございました。



藤村さま

感想ありがとうございます。
確かにある程度は狙い通りに書けた気はします。
もっと抜き差し組み換えしてもよかったのかもしれませんが、僕にはその技量とアイデアが足りませんでした。
正直、ルーレットをどう扱うかに最も悩んだので、そこを素直に処理してしまったのは面白くなかったと自分でも思います。

まぁ、結果的にこのチャレンジの意義が大きかったと振りかえることが出来るように、精進していきたいとは思っている次第です。
以上です、ありがとうございました。
No.2  藤村  評価:30点  ■2011-10-08 00:28  ID:a.wIe4au8.Y
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拝読しました。
元の作品との異同は、おそらく狙いどおりの方向にうまく近づいていったんではないかなとおもいます。ただせっかくならもっと抜き差ししたり組み換えていってもよかったんではないかなあとおもいます。どちらもルーレットがみどころのひとつとして取り扱われていたのですが、素直に処理しようとしているからなのか、まだなんとなく引っぱられているような印象です。
とはいってもみずのさんがこういう作品にチャレンジされたことはおもしろかったです。原作にはない、魅力的な部分はきちんとでているとおもいました。
などと妄言を。
No.1  うちだ  評価:50点  ■2011-10-07 16:00  ID:VwBG1QpuyMo
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 三語だから時間的な要請で「説明」になってしまっている部分がこの作品では「描写」に置き換えられている。それはものすごく楽しい。読んでいてしっかりとグリップできる感じで、なんていうかやっぱ読書体験として嬉しかった。
 あと比喩表現もすごいのが沢山あった。<娘の身体は冬に磨かれるコンクリートよりも冷たく尖っていくのだろうか>とか<吸着されるだけの感情は哀しいほどに欠陥だらけだった>とか<徐々に速度を失って静止へと走っていくビー玉をぼんやりと眺めている>とか。

ふと見るテレビの映像も<万能ミキサーの紹介>で後に出てくるものの伏線になっているし(ルーレットにも掛かってるのかな、最後の〆にも掛かってくる)、<わざとらしい展開>!! とかフカヨミ大好きな僕は思ってしまう。小説的なことしてるくせに! そこを突付くんすかw とか。

あと『暗転。』と、『暗転、した。』のポイントがものすごく違う。舞台装置として小説的に処理している部分だとぼくは思ったんですけど、『(見渡せないけど)100万箇所あるとわかった。』ってことは要するに『わかっちゃう世界』なんだな、と思った。片桐さんは説明で100万の溝を確定させて、みずのさんは分かっちゃう世界にいる。不確かだけど、たぶんほんとに100万の溝だと納得させる。
この辺にぼくはお二人の創作の違いみたいなのをものすごく感じた。好悪だけで言うと、ぼくは断然みずのさんのほうが単純に好き。100%です。
つまりはリアリズムですよね。物語的に物語らしさを排除してる。
でも逆に言うと、片桐さん的なキッチリと単純化した物語を作る力をさけているようで、せっかくリライトされるなら取り込んでいかれても、読者(ぼく)は楽しかったかも。
その点についてもうひとつだけ。『たったひとりの少女の命と60億人以上の人々の運命のどちらが重たいか』は片桐さんの方では明確だけど、片桐さんの作品を読んでいなかったらみずのさんの作品だけでは説得力を持てない、<ここだけ>は完璧にみずのさんミスしてない? 
ここだけはですけど。ほかはすげー。勉強になった。
つまりは男の不在、すね。
物語性を導入している男を、完璧に削った。
あと、ぼくが読んで思ったのは片桐さんの作品でヒューマニズムと我利を対比させてる部分をズコッと抜いてある部分。原爆の実験トリニティ?かな。大気と反応して連鎖核反応が起きる!地球が火の玉になる!その確率が100万分の1だったわけで、それでも実験しちゃった科学者!みたいなのを主人公『私』の変形したエゴイズムと対比させていた部分。みずのさんはお嫌いなんですかね?ソレは聞いてみたいと思った。
とにかく楽しかったです。ありがとうございました。
また書いてね☆
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