熱と涙で着飾って



「あんたちゃんと勉強してんの?」
 部活を終え、家に帰るなり居間で待ち構えていた母が突っかかってきた。
「一応はしてるよ」
「そんなこと言ってさ、家で勉強してる姿なんて見たことないんだけど。受験生でしょあんた」
「もうすぐ総体なんだってば」
「インターハイにいけるならまだしもねぇ」
 母が勉強のことで絡んでくるのはここのところ毎日だが、今日はやけにしつこい。
「いくんだよ、インハイ」
「本気で言ってんの、アンタ?」
 いつものことながら話にならない。
「なんのために部活やってると思ってんの」
 こんなくだらない話はさっさと終わらせて、部屋に引き上げようと思った。背を向けて歩きだす。
「じゃあアンタなんで塾なんて通ってんのさ。その時間、道場に通ったほうが有意義じゃん」
 その言葉が妙に気に障った。立ち止まり振り返る。
「塾に通ってインハイ行く奴なんていくらでもいるだろ。てかさ、母さんは俺に勉強してほしいの、してほしくないのどっちなの」
 怒った表情を見せると、母はさすがに言い過ぎたという顔をした。
「ま、とにかく勉学をおろそかにしすぎるなってこと。じゃあ私もう寝るから」
 そう言うと母はそそくさと居間を出て行った。普段なら大なり小なり怒りが沸いて言い返そうとするところなのだが、なぜか俺はなにをするでもなく立ち尽くしていた。
 妙に心が沈んでいるのに気づいた。なんでこんな気分なんだろうと考えようとして、思いとどまる。
 もうすぐ総体なんだ。俺は部活をしなければいけない。面倒臭いことは、考えなくていい。さっさと風呂に入って寝て、朝練にいかなければ。




 体育館のライトを見上げる。飛び交う歓声、応援団が足を鳴らして地鳴りを作る。
 高校総体。
 高校生最後の夏。空手家達の甲子園。受験と並ぶ、高校生活の大一番。

「斎藤、負けたよ」
 部員の川田が人をかき分け、俺を見つけると隣に座った。試合を待つ選手達でコートのまわりには座るのも一苦労だ。
「見えたよ。Cコートだったろ。…泣いてたな」
 コートから離れるやいなや斎藤は人目をはばからず泣いていた。俺も負けたらあんな風に泣くのだろうか、と考えてしまう。
「残ったのは俺達だけか」
 俺と川田以外の部員は全員敗退した。最後の高総体だ。その意味は重い。
 今も、目の前のコートで負けた選手が涙を流しながらホールから去って行った。
「高柳はBブロックだったか?じゃあすぐそこのコートだな。俺の試合もAコートだから、すぐそこだよ」
「おう」
「まぁ、あれだ。それにしても熱いな。飲み物何本か持ってくればよかったな」
「まぁな」
 今日の川田はよく喋る。緊張にのまれまいとしているのだろうか。
 俺が相槌だけをうっていると川田も何も言わなくなり、しばらくの沈黙が訪れた。決まりが悪くなってなにか喋ろうかと思っていると川田が再び口を開いた。
「なぁ高柳、昨日の結団式でみんなで言った言葉覚えてるか」
 川田の声のトーンはさっきとは打って変わって真剣なもので、少し驚く。
「覚えてるに決まってる。『西高インターハイ出場』だろ」
 喋りながら気持ちが沈んでいくのを感じた。なぜか母との会話が頭にちらつく。
「残ったのは二人だけだ。みんなのためにも絶対勝たないとな。誰かが、インハイにいかないと」
 川田がこんな改まったことを言うのも珍しいなと思った。しかしそれも仕方ないことでもある。次の試合は自分の相手も、川田の相手も強豪校のインハイ出場候補だったからである。
 正念場だった。自分と川田、どちらかが生き残らなければインハイにいくという約束は果たせない。
「川田選手いますか!?西高の川田選手!」
 隣のコートで審判が声を張り上げるのが見えた。
「もう俺の試合か。じゃ、いってくるわ」
 拳を合わせると川田は立ち上がる。
 見上げた川田の表情は、今まで見たことのない、鬼気迫るようなものに変わっていた。
 会場に熱気が渦巻いていた。自分のまわり、観客席、どこを見渡しても温度とは別な、異様な熱量を感じる。その熱が連鎖してまた新たな熱を生む。そして川田も、その一部となっているのだと思った。
 コートに向かうにつれ川田は観客の視線にさらされ、もっと大きな『熱』に飲み込まれていった。さっきまでそこにいたのに、もう川田は別の空間の人間に見えた。
 試合が始まる。
 川田の動きは軽快だった。リードこそはしていないが、互角といっていいほどに相手に喰らいついている。
 しかし試合も中盤に差し掛かったころ、相手の胴回し回し蹴りが決まった。あまりに綺麗な決まり方だったために会場がざわめいた。蹴りが決まったという事実よりも、それがいけなかったんだと思う。
 そして会場にざわめきが生まれたのと同時に、川田が体にまとっていた『熱』が消えたのが見えた。
 川田は無防備になっってしまった。コートに立っていながら、高総体という舞台から切り離された。
 あとは一方的で、川田の見せ場はこなかった。
 試合終了のタイマーが鳴る。相手校の観客席から歓声があがる。
 川田は負けた。
 あまりにも淡泊な終わり方だった。川田が蹴りを喰らって『熱』を失った時に、もう勝負は決していたように見えた。試合さえも支配する、あの『熱』は一体なんなのだろう。
 そんなことを考えていると、重い足取りでコートから離れた川田が目の前で膝から崩れ落ちた。
 そして自分の両肩に手をかけるとうめくように言った。
「頼む、高柳」
 道着に血がにじむ。出血に気がついていないようだ。
 そうだ、もう最後なんだ。自分が負けたら全てが終わる。
「西高の高柳選手!」
 名前が呼ばれる。
 「まかせろ」とだけ言って川田の手をなるべく丁寧に肩からはがし、立ち上がる。
 視界が広がり、会場の視線が俺に移る。
 防具を装着しコートに踏み入れる。雑音が遠くなった。この時間は嫌いだ。
 なぜか。なんのことはない、冷静になるからだ。自分は会場の空気に乗れていないと気付いてしまう。『熱』をまとえていないと気付いてしまう。
 たった今、それを失った川田は負けた。相手選手は全く堂々と構えている。自分も川田のようになるのだろうかと考えて、気付いた。
 俺、震えてる。
「はじめ!」
 いきなり右の拳が飛んできた。はっとして思わずバックステップで逃れる。
 自分を殴りたくなる。試合前になんてくだらないことを考えているんだと後悔した。
「前に出ろ!」
 川田の声が聞こえた。
 そうだ、勝たなければ。川田のために、みんなのために。三年間を無駄にしないために。
 思い出す、地獄のようだった夏合宿。寒さに震えた冬稽古。
 自分の体が『熱』を帯びていくように感じた。
 そうだ、この感じだ。俺達はがんばってきた。
 報われないわけがないではないか。
 前蹴りで相手との距離を突き放す。しかし相手は構わずにまたも執拗に距離を詰めてくる。もう一度、と放った前蹴りは体を寄せられ殺された。バランスを崩した俺と相手はそのまま場外の審査員席までなだれ込んだ。
 ストップがかかる。仕切り直しだ。
 大丈夫、と思った。押されてはいたが、自分の動きができるようになっていた。
 自分の拳を見つめる。『熱』はまとえている。
 試合が再開される。
 距離が詰まると同時にお互いの右足が浮いた。あっちも中段回し蹴り。かまわない、このままいく。『熱』が体を動かす。
 音が響く。お互いの蹴りが脇腹にヒットした。手ごたえはある、いける。
 しかし数秒遅れて、呼吸ができないことに気がつく。呼吸器官が凍りついているようだった。
 だが、相手も動けない。同じなんだ、苦しいんだ、と願うように表情をうかがった。

 その時だった。

 自分の体を覆う『熱』が全て吹き飛んでいくのを感じた。相手の目は真っすぐ俺を射抜いていた。心の根幹を全て見透かされているような気分になった。
 相手は、微塵も『熱』をまとっていなかった。最初からずっとだ。
 代わりに、何もなかった。そのままの人物がそこに立っていた。
 俺は『熱』の正体に気付いてしまった。
 また相手の足が浮くのが見えた。思わず、脇腹をかばうように構えてしまう。しかし相手の蹴りの軌道は上がり続け、目の先に現れた。
 視界が揺れた。




 鏡を見る。ちょっと目の上が腫れているだけで、特には問題なさそうだ。
 扉の開く音が聞こえて振り返る。
「選手控え室なんかにいたのか。マネージャーも探してたぞ」
 部屋に入ってきたのは顧問だった。
「すいません」
「お前はみんなと泣かないのか」
 それは何気ない一言だったはずだ。しかしそれは心に深く響いた。
 確かに自分は泣いてなかった。他の部員、後輩、マネージャー含めてボロボロと泣いていたというのに、涙は湧いてこなかった。
 その光景をしばらく見つめてみたものの、やはり泣けなかった。そしてなにか悪いことをした気分になりその場を後にし、ここにいる。
「まぁ、あれだ、かなり健闘したよ。インハイ常連校に」
 黙っていると、気をつかってくれているのか顧問が口を開いた。
「先生。俺って相手校の何分の一の練習量だったんですかね」
 考えていたことが自然に口から漏れてしまった。こんなことを聞くことはもう無意味なのに。
 顧問は怪訝そうな顔をしていた。
「そんなこと言ったってな、あの高校は空手するために全国から選手集めてるんだぞ。正月しか休みはなくらいに練習してるのも知ってるだろ?」
 たしかに、そうだ。とうに知っている話だ。
「だがな、お前はそれに恥じないくらい部内で一番練習していた。胸張って泣いていいぞ」
 慰めのつもりなのだろう。しかし顧問の言葉はさらに自分の気持ちを暗くさせた。
 俺は『部内』で一番頑張っていただけだった。
「でも先生…」
「我慢せずに泣くことだな。貯め込んどくと辛いからな。じゃ、早く来いよ」
 食い下がると顧問は自分を軽くあしらい選手控え室を出て行った。
 また部屋が静かになる。会場の歓声がとぎれとぎれに聞こえ、あの『熱』を思い出す。

 そうだ。試合をする前から自分はインターハイをあきらめていた。いや、もっと前からあきらめていたのかもしれない。
 もう自分が全力で部活と向き合っていないことに気付いてしまっていた時からずっと。
 だけど、自分が部活に費やしてきた時間を、努力を無駄だと考えてしまうのが怖いから、蓋をしていた。今思うと母との会話はその蓋を少しずらしたのだ。
 気付かなければ、綺麗なままでいられたはずだったのに。自分がどうしようもなくみじめだった。みじめで、みじめで、かわいそうだった。救いが欲しかった。
 ふと部員達の姿を思い出す。
 みんなが泣く様は、綺麗だった。
 みんなで肩を震わせ泣く光景はドラマや漫画によくみる感動シーンそのものだった。 
 そうだ。泣いたらいい。
 泣けば、自分も『綺麗』になれる。
 そう考えると心が、体が軽くなるようだった。
 眼が充血していくのを感じる。喉がふるえる。
 だが、はっとして息をのむ。

 鏡の自分が見つめていた。

 蹴りを喰らって腫れあがった眼。ふてくされたような表情。美しさはどこにもなかった。
 うつむき、歯をくいしばって耐える。
 泣いたら、だめだ。
 泣いたら、負けだ。

 自分は試合から逃げた。自信のなさを埋めるために会場の『熱』に身を委ねた。足りないものを求めた。それで一瞬だけ『インターハイを目指すために全力を尽くす少年』を演じることができた。
 しかし役者は役者でしかない。本物に会えば、身にまとった衣装の安っぽさに嫌でも気付いてしまう。
 今、涙を流すことも同じことだ。
 だから、泣かない。
 もう一度顔をあげる。鏡には変わらず、みじめな少年の姿が映っていた。
 これが本物の俺だ。もう、大丈夫。



 バックから着替えを取り出す。道着を脱いだ時についたばかりの血の跡が目についた。
 この汚れはもう洗い流そうとしてもとれないだろう。
 だけど、それでいい。


お漬物
2011年06月06日(月) 02時27分49秒 公開
■この作品の著作権はお漬物さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
まともに小説になってないかもしれません。
色々ご指摘してくれれば嬉しいです。

この作品の感想をお寄せください。
No.2  お漬物  評価:--点  ■2011-06-06 04:06  ID:oGZ/Slc4P5s
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春矢トタンさんはじめまして。
感想ありがとうございます。
ご指摘の部分ですが、まったくもってその通りだと思います。文で気持ちを伝えるのって難しいですね。
なので、ほんのちょっとだけですが修正してみました。
No.1  春矢トタン  評価:30点  ■2011-06-07 04:19  ID:tIm2P9orRJI
PASS 編集 削除
こんにちは、はじめまして。
私も部活で同じようなこと思うことがあったので、主人公にかなり共感できました。
私は空手じゃなくて吹奏楽だったんですが。
県大会にもいけないような弱小校でした。
周りは、目指せ金賞、県大会! って感じでがんばるんですが、正直これじゃ無理だろうなーといっつも思ってて、それでも周りの雰囲気に任せて一緒に金賞! って目標掲げてました。
自分はもともと諦めてたのに、いざ銅とか取っちゃうと周り皆泣いてるから、なんか自分も一緒に泣かないと悪いような気がして、もんもんとしていました。(ちなみに吹奏楽の大会は、下位5分の3くらいはみんな銅賞です。)
結局一緒に泣いたのかなかなかったのか、正直覚えていないんですが。

この主人公は泣くのこらえましたね。

>自分は試合から逃げた。自信のなさを埋めるために会場の『熱』に身を委ねた。足りないものを求めた。それで一瞬だけ『インターハイを目指すために全力を尽くす少年』を演じることができた。
>しかし役者は役者でしかない。本物に会えば、身にまとった衣装の安っぽさに嫌でも気付いてしまう。
>今、涙を流すことも同じことだ。
>だから、泣かない。
>もう一度顔をあげる。鏡には変わらず、みじめな少年の姿が映っていた。
>これが本物の俺だ。もう、大丈夫。

この表現、とてもいいと思います。青春に浸るためうわべだけの熱狂に身を任せることを嫌悪する、というとても懸命な人物像を鋭く描写していると感じました。

ただ、この主人公素直すぎるなーと思ったのが、周りの部員に対する気持ち。

>みんなが泣く様は、綺麗だった。
>みんなで肩を震わせ泣く光景はドラマや漫画によくみる感動シーンそのものだった。 
>そうだ。泣いたらいい。
>泣けば、自分も綺麗になれる。

ここのところ。これが皮肉っぽく書いてあるならいいんですが、この書き方だと、皆はインハイに出たくて一生懸命がんばってた、って言うのを、主人公が認めているように捕らえられます。

主人公は、他の部員よりもかなり練習していたんですよね。
だとしたら、インハイに出られなくて泣いている部員を見て、偽善的なやつらだ、って思うくらいの毒があってもいいかなあ、って思いました。
好みにもよると思うんですが、そういう風にしか思えない自分に嫌悪する心理描写とかまで書けたら、主人公の人間味がぐっとましてくるかなあと思った次第です。

偉そうなこと言ってすみません。
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