霧島ななみ
 時々、目を閉じてしまうほどの潮風が吹いている。今は夜で、国分町の片隅で、僕は男の旅らしく女を買った。森の都に吹く風は海の香りがする。気のせいか、春のせいかもしれないし、ただ単純に酒に酔っているからかもしれない。もうすぐ午前0時を過ぎ、僕は窓を閉めてベッドに横たわる。シャワーを簡単に浴び、フリスクを一粒かじった裸の女が寄り添ってくる。
 「あれ? 霧島? 霧島ななみ、じゃね?」
 「人違いでしょ」
 彼女は彼女のくちびるで、僕のくちびるを封じ込めた。

 「……」
 「……」
 「……」
 「……」

 仙台なんて、もう今までに何度も訪ねて、正直、うんざりしている。東京にいて一泊二日の旅というと<伊豆伊東>か、<北関東信州>か、<福島宮城>に相場は決まっている。今どき、会社の慰安旅行というのも珍しいけれど、それにつきあう部下も今更、どうかしているかもしれない。
 「どうせ暇ですから」と上司に言った。
 「どうせ暇だろ」と上司は笑った。
 「どうせ暇。そうだね、どうせ暇かも」と、綾瀬も言ってみた。

『喜多方ラーメンと松島笹カマと、国分町の牛タン・ツアー』

 僕は同期の綾瀬とやっとの想いで風呂上がりの浴衣宴会をふけ、街に繰り出した。上司がコンパニオンの制服を得意げにグルグルと振りかざしながら何度も二次会に誘ったが、どうせキャバクラだろうと思うキャバクラには興味が湧かなかった。
 ――女ということよりは、
 往路のバスの中で飲み過ぎたせいで、もうこれ以上のアルコールに興味がなかったからかもしれない。酔い覚ましのつもりが全然間にあっていなくて、結局、人通りの激しい繁華街を、歩けば歩くほど、より以上に気分が悪くなっていった。それとも、その時の僕には国分町という街が似合っていなかったかも知れない。空気。多分、空気が場違い。
「やっぱり、デリヘル呼んで、そのまま寝る」
不機嫌に任せた素っ気ないその言葉に、綾瀬はつれなさそうにひとこと言った。
「じゃ、ソープ」
その場で別れ、僕はとにかくある種、必死に、ホテルに戻った。

 「ここのホテルのベッドって、柔らかすぎるんだ」
 「ベッドは柔らかい方がいいんじゃないか」
 「リズムが合わなくて、なかなかイケないのがどうかなっていう」
 「なかなかイケないから、いけないって感じで」
 「最後の最後までイケないと、やっぱりそれもいけないことで」

 案の定、二日酔い気味に次の朝を迎え、バイキングでケチャップべっとりなスクランブルエッグと油で炒め過ぎなウインナーソーセージを必要以上に胃に納めて、復路、松島で笹カマを買って、観光バスは上りの高速道路に乗った。
「人違い」
と、一蹴されてそれ以上は素性を訊けなかったけれど、どう考えても、やっぱり昨夜の彼女は「霧島ななみ」本人に間違いないと終始、気がおさまらなかった。笹カマはどうやらやっぱり、笹カマの味しかしなかった。どこかのパーキングエリアで買った牛タンも、やっぱり、牛タンの味しかしなかった。霧島ななみもやっぱり霧島ななみだと思うけれど、綾瀬はこの笹カマも牛タンも、
 「さすが地元で、今までで最高に旨いね」
 と、何度も言って、僕の三倍も四倍も口に頬張っていた。
 <もう間もなく那須塩原です>とバスガイドが言った。
 「……霧島ななみ。出身はたしか、岐阜だったはず」
 ひとりごちる僕に高速バスは本当に高速バスみたいに、時速120kmで、どんどんどんどん、仙台から遠退いていく。

 「やっぱり、霧島ななみだよ。昨日のデリ嬢」
 僕は隣の席で酔い痴れる綾瀬に言った。
 「誰、それ。霧島ななみって」
 綾瀬は興味無げにまた笹カマを頬張り、またビールで胃に流し込んだ。
 「ほら。専門学校の時の、クラスのアイドル」
 僕も笹カマをひとくち、そしてビールを煽る。
 「ああ、七瀬奈菜な」
 と、どうでもよさそうな声を出す綾瀬に、僕は少しムッとして、
 「それは隣のクラスだろ」
 と、あきれてみせた。

 「ななせななな」

 仙台駅の新幹線ホームに降りると、携帯電話のデジタルは夜9時15分を表示していた。東京駅でツアーは解散して、僕は無理やり綾瀬を口説いて、また再び、仙台行きを誘い、新幹線に乗せることにした。なんだか、昨日の出来事がやっぱり気になって「本当に霧島ななみだったか」を確かめようと、どうしても意地になった。
 「いいじゃん、霧島ななみなら霧島ななみで」
 と、当然、綾瀬は面倒くさがったが、最後の最後「ぜんぶおごる」のひとことで綾瀬は気持ちよくつきあってくれた。
 <郡山>を過ぎたあたりで缶ビールにストローを刺して飲むふざけた綾瀬がいる。
 「こういう馬鹿も悪くない」
 と、どこかクールな綾瀬らしく、僕に気を使ってそう、言って見せた。
  
 「脇腹はやっぱりくすぐったい訳で」
 「じゃあ、胸元にキスしてあげるシ」
 「胸元ってなんだか豪徳寺のセブンイレブンって感じしない?」
 「分からないよ。羽根木公園のローソンって感じ」
 「やっぱり霧島ななみだよね」
 「私は仙台アイドルAKB学園の『峰岸みなみ』です」
 「だから、脇腹くすぐったいってば」
 「動かないで。歯があたって口が血だらけ」

 仙台駅の、どう見ても格安にしか見えないビジネスホテルに宿をとり、タクシーで向かった国分町の居酒屋で適当に腹ごしらえをしつつ、彼女に貰った名刺の店に電話したら、「今日はあ、彼女はあ、休みだあ」と東北訛りの受付の声は僕に言った。そんな訳ない。昨日の彼女はそうは言っていないと事実を伝えたが、受付は「昨日と今日は違うう」と面倒くさそうに突き返した。一気に酔いが醒め、茫然として途方に暮れた僕と綾瀬がいて、「そんなはずない」と、もう一度、野暮ったく確かめてみたが、電話は容赦なく、何の味わいもなく、事務的に一方的に切られてしまった。

 「きっと、霧島ななみじゃないんだよ」
 と綾瀬は苦笑いで言った。
 「霧島ななみは霧島ななみだよ」
 悔しくて仕方なかった。
 「じゃあ、霧島ななみでいいだろ」
 綾瀬の気の毒そうな言い方がむしろ癪にさわる。
 「霧島ななみ、知らないんだよ。綾瀬は」
 「知ってるよ。クラスのアイドルで、お前の元カノの親友だった女な」
 綾瀬はそう言うと、口に含んだウーロンハイの氷を、悪戯な子供みたいに思い切りかじった。

 「……」
 「……」
 「……」
 「……」

 午後11時過ぎの国分町の、やることもなくなって途方に暮れ、仕方なくドアを開けた行きずりのキャバクラは、なんだかどこにでもありそうな錦糸町みたいなキャバクラで、それが気に障ってますます憂鬱になった。午後11時過ぎのキャバクラ嬢もやっぱりどこでもありそうな錦糸町みたいなキャバクラ嬢で、だから、本当にとことんまで憂鬱になってしまった。
 鼻にピアスの男が膝まづいてキャバクラ嬢に耳打ちした後、
 「いきものがかりって、いいよね」
 と、そのキャバクラ嬢は不自然に僕に言ってみる。
 僕は「いきものがかりなんて知らないよ」と答え、「指名だろ。去れば」と、とにかくどうでもよくなっていた。
 「東京人なのに、いきものがかりも知らないのね」
と、つまらなそうなキャバクラ嬢。
 「いきものがかり以外は、大抵のことは知ってるよ」
 多分、いきものがかり以外のことは、本当に、大抵、知っていると確信できた。
 
 <4番テーブル“みなっち”ご指名ありがとうございます>

 例えば霧島ななみは、綾瀬が言うように、専門学校時代の恋人の親友で、当時の僕の恋人に似て、割と大人びたルックスの、でもその見た目よりも幼い性格にギャップがあって、たしかに「なるほどアイドルイメージだな」という記憶が蘇える。当時の僕の恋人は見た目も性格もすべてが大人っぽくて、今にして思えば単に無理に背伸びしていただけでしかなかったと思うけれど、卒業を待たないでこっちが追い付くのに疲れ、あっさりと別れた。

 例えば霧島ななみは恋人と別れた僕に、親友として親友に同情気味に「割とシビアなんだね」と言った。シビアという言葉があまりにも霧島ななみには似合わないので、可笑しくて僕は爆笑してしまった。
 「なんで、笑うの?」
 と、霧島ななみは僕にえらく憤慨した。
 「だって、シビアじゃないし」
 本当にシビアじゃないシビアという言葉だった。

 <二日連続の当店ご指名、ありがとうございます>

 「どうして、デリヘルやっているの」
 「だからね、仙台だから」
 「仙台だと、なんでデリヘルなんだよ」
 「仙台は仙台。仙台だから仙台。仙台はデリヘルって感じで」
 「昨日は、人違いとか嘘ついて」
 「だから、私は仙台アイドルAKB学園の『峰岸みなみ』だってば」

 仕方なくホテルに戻り、ダメもとでもう一度、霧島ななみの店に電話したら今度は別の受付が対応して「峰岸みなみは出勤しています」と言った。なんで嘘をついたのか、頭にきて咎めようと思ったが、目的も違うし、それも野暮と思って、早速、指名した。もう深夜0時近くになっていたが、待つ時の時間は長く感じて、ドアを開けて再会した霧島ななみは、僕の待ち侘びた笑顔に何かを悟ったような満面の笑顔で返した。学生の頃とは全然違う、如何にもデリヘル嬢です。と言わんばかりのギラギラしたパンダメイクでも、やっぱり霧島ななみは正真正銘の霧島ななみだった。

 「笹カマとか、牛タンとか、食べた?」
 と、霧島ななみはことを終えて、帰り際に僕に訊いた。
 「食べたけど、笹カマはやっぱり笹カマだった」
 と、僕は正直に答えた。
 「笹カマは笹カマ。仙台は仙台だよ」
 霧島ななみは部屋を出ていき、僕はそれなりに充実感を抱いて、ゆっくり窓を開けた。
 昨日と同じ目を閉じてしまうほどの潮風が吹いていた。森の都の潮風。潮風は潮風。ずっとずっと潮風。

 「脇腹はやっぱりくすぐったい訳で」
 「じゃあ、胸元にキスしてあげるシ」
 「胸元ってなんだか初台のセブンイレブンって感じしない?」
 「分からないよ。等々力のローソンって感じ」
 「やっぱり霧島ななみだよね」
 「私は仙台アイドルAKB学園の『峰岸みなみ』です」
 「だから、脇腹くすぐったいってば」
 「動かないで。歯があたって口が血だらけ、血だらけで」

 早朝の東北新幹線の上りの窓の外に、春の日曜日の仙台の静かな街が並んでいる。
 「仙台ってどうよ」とポツリ訊いてみる僕に、綾瀬は同じ窓の外を見て、
 「霧島ななみは霧島みなみだよ」
 と、つぶやいてみせた。
キットキャット
2011年05月02日(月) 02時45分50秒 公開
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■作者からのメッセージ
二度目の投稿になります。よろしくお願いします。
5月12日 改定

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No.8  キットキャット  評価:--点  ■2011-05-05 22:20  ID:heA3e64V7ZQ
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licoさま、ありがとうございます。

>この狐につままれたような不思議な感覚が、なんとなく癖になりそうとでもいうか、とぼけた雰囲気がよかったです。

ありがとうございます。

>一読したときは、なんだかよくわからない、と思ったのですが

描写が足りないんだと思いました。

ありがとうございます。

No.7  キットキャット  評価:--点  ■2011-05-05 22:17  ID:heA3e64V7ZQ
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zooeyさま、ありがとうございます。

>雰囲気はあるのですが、時系列や場所などが分かりにくいので、あまりその雰囲気に浸ることができなかったかなと思います。ちょっともったいない感じが。

前作もそうですが、時間軸時系列系の描き方がどうも下手みたいですね。

春、シャワーを浴びる。
→春の朝、アパートのシャワーを浴びる。
→春の朝7時、アパートの小さなユニットバスのシャワーを浴びる。
→早春の朝7時、古ぼけたアパートの小さなユニットバスのシャワーを浴びる。
→早春の朝7時の曇り空、白く古ぼけたアパートの男の人にはきっと小さなユニットバスのシャワーを浴びる。

描写が足りないんですね。

ありがとうございます。


No.6  キットキャット  評価:--点  ■2011-05-05 21:59  ID:heA3e64V7ZQ
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まいたけさま、ありがとうございます。

>今、どういうことになっていても彼女は彼女でなにも変わっていないということでしょうか。

変わっていないのは多分、自分なんだなっていう雰囲気が醸し出るといいなあとは想いました。一生懸命自分に言い聞かせているかもしれません。

ありがとうございます。
No.5  キットキャット  評価:--点  ■2011-05-05 21:51  ID:heA3e64V7ZQ
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らいと様、ありがとうございます。

>ただ「オーソドックスなキャバクラ」というのがよくわかりませんでした。

たしかに蛇足ですね。オーソドックスはいらない気がします。参考になります。

ありがとうございます。
No.4  lico  評価:20点  ■2011-05-04 15:36  ID:dYdaXkyotak
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 読ませていただきました。

 すみません、一読したときは、なんだかよくわからない、と思ったのですが、この狐につままれたような不思議な感覚が、なんとなく癖になりそうとでもいうか、とぼけた雰囲気がよかったです。味わいのある作品だと思いました。
No.3  zooey  評価:30点  ■2011-05-02 18:56  ID:qEFXZgFwvsc
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初めまして、読ませていただきました。

ほかの方も触れているところですが、言葉を繰り返す部分がウィットに富んでいて、面白いなと思いました。
ただ繰り返すだけでなく、ラストのセリフを違和感なく導く働きもしているのかなと。
とても良かったです。

ただし、そういう書き方は、もっと饒舌な文体のほうがより映えるのではないかと思いました。
地の文にもっと語らせるとか、あるいはセリフを多くするとかするとよいかなと思います。
が、ただの私個人の感覚に過ぎないかもしれませんね^^;

あと、場面展開が分かりにくいなと感じました。
雰囲気はあるのですが、時系列や場所などが分かりにくいので、あまりその雰囲気に浸ることができなかったかなと思います。ちょっともったいない感じが。

でも、作品を包む雰囲気の出し方など、お上手だと思いました。
No.2  まいたけ  評価:30点  ■2011-05-02 11:50  ID:sTN9Yl0gdCk
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 読ませていただきました。
 雰囲気があってよかったです。
 今、どういうことになっていても彼女は彼女でなにも変わっていないということでしょうか。
 繰り返す単語に世界感がでていると思いました。
 失礼しました。
No.1  らいと  評価:30点  ■2011-05-02 04:27  ID:iLigrRL.6KM
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拝読させて頂きました。
同じ単語が2回繰り返されて、それが妙な味わいを醸し出しているなと思いました。
ただ「オーソドックスなキャバクラ」というのがよくわかりませんでした。
あと霧島ななみという名前は、桜庭ななみを連想させるなと思いました。
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