嫌いではない |
家の近くのコンビニでデザートのアイスクリームを買うと、その店主と思われるオジサンに「はい。ご褒美にスプーン付けときますね」と言われる。これ、必ず言われる。これ、なんのご褒美なのかが解らない。 「それ、鈴木さんがカワイイからだと思うよ」と同僚の菅野(かんの)さんは言う。たぶん菅野さんは女の子には「カワイイ」と言っておけば良いんだ。それさえ言っておけば女の子は頬をピンク色に染めながら「こんなわたしで良かったら」と言ってくるんだ。そういうもんなんだってば。という勘違いも甚だしい状態の男性なのだと思う。おそらく究極的に単純な思考回路の持ち主なんだと、わたしは判断している。 そんな究極単純思考持主の菅野さんが見えてきた。橋の上で待っている菅野さんが見えてきた。わたしはショルダーバックを肩から外し、右手に持ってぶらぶらさせる。ちょっとぐったりとした雰囲気を醸し出しながら、菅野さんが待つ橋の上へ向かう。暑いし熱い。そりゃいつの間にか七月四日だ。暑い。こりゃいつまで経っても人見しりだ。熱い。 「どうしてそんなに、なんていうか、バックを引き摺るように持って歩いてるの? 重いの?」 「いやあ、なんとなく、こんな感じで良いかなーって思いまして」 いやあ、この鞄はぜんぜん重くはないんですよ菅野さん。仕事の資料とかまったくもって入ってないんですよ菅野さん。この鞄の中身で一番重量があるのは『爽健美茶』なんですよ菅野さん。鞄が重いかどうかなんて気にしなくて良いんですよ菅野さん。ハト麦玄米月見草ドクダミハブ茶プーアール。なんていうか、わたしは別にこのデートを楽しみに、嬉々としてこの橋の上までやってきたわけじゃないんですよっていう態度を示しておきたかったから、ちょっとぐったりとした雰囲気を醸し出したかったんですよ菅野さん。喜んで来ましたって思われるのだけはちょっとだけシャクに障るって感じなんですよ。ねえ。菅野さん。 二人で並んで歩く。二人の間には微妙な距離が存在している。付かず離れずな距離。友人として一緒に歩いているなら、ちょっと近距離過ぎる。だけど、恋人同士ならもっともっと密接な距離を保ちながら歩くはずだ。そう、これが、この距離感が現在のわたしと菅野さんとの関係を如実に表す距離なんですよ。と思う。 そう。そういえば、三日前。わたしは菅野さんと四センチの距離に近づいた。 あの日、わたしは仕事を終え、この右手でぶらぶらさせている鞄に『おーい! お茶』を突っ込んでオフィスを出た。階段への入口を曲がったときに、突然、菅野さんが現れた。「うおーい! お茶っ!」と叫びたくなるくらいの、出会いがしらに正面衝突するか否かのところでお互いが瞬時に回避した。菅野さんは上司の浜田さんと会話の途中だったらしく、一瞬、驚きの表情は見せたが、すぐさま小難しい表情を復活させながら「おつかれさま」とだけ言った。わたしは「おつかれさまです」と言いながら、上司の浜田さんだけに視線を合わせながら、一度も菅野さんを見ないで階段を下りて行った。 わたしは階段を降りながら思った。いまのは至近距離の最高記録だったな、と。菅野至近距離記録は四センチです。と、口には出さずに心の中だけで発しながら、五階から一階まで階段を下りた。守衛さんに「おつかれさまです」と会釈と視線を交えて挨拶し、ドアを押しあけて外に出た。ウチの会社の眼前にそびえ立つ高級で高層なマンションが橙色の陽を浴びていた。立ち止まり、見上げながら「この至近距離記録は更新されません。というか、させちゃいけません」と口に出して、しっかりと声を発してみたのを覚えている。 「なんかボーっとしてるよね。大丈夫?」という菅野さんの声で現在に引き戻された。 「あ」と言いながら私は立ち止まる。菅野さんは眉間に皺を寄せながら、わたしの左横から視線を送ってくる。菅野さんはなんだか不思議な表情をしている。怒っているようにも心配しているようにも、どちらとも判別がつかないような表情をしている。ま、たぶん、怒ってはいないのだろう。こういう表情しか出来ない人なんだろう、と思うことにした。 正面に顔を向ける。いつのまにかわたし達は東京タワーが大きく正面から迫ってくるように感じられるところまで来ていた。けっこうな距離を歩いたた。二人ともけっこうな距離を無言のままで。 「鈴木さん」 「なんでしょう」 「この横断歩道を渡ると」 「はい」 「あそこにサイゼリアがあるんだけれど」 「ありますね。あそこにサイゼリヤ」と、わたしは少し意地悪をしてみる。店名を間違ってるから。 「ああ、サイゼリヤがあるんだけれど」と、菅野さんは言いなおす。いままで間違って店名を覚えていたよ! という風に、驚いて洗うのを一旦停止したアライグマみたいな表情でサイゼリヤの看板を凝視している。 わたしは「ぷ」と笑ってしまい、菅野さんは「ふ」と照れくさそうに笑っている。 わたしは菅野さんが破顔したときの表情は嫌いではない。 ◇ 壁にピカソが描いたような、もちろんピカソが描いていない絵が飾られている。わたしはこのサイゼリヤという偽イタリアンレストランが嫌いではない。安価な割に美味しいし、長時間居ても罪悪感が芽生えない雰囲気だから。 夕刻の店内は若いカップルや仕事帰りの会社員で埋め尽くされている。フリードリンクを取りに席を立つ人々。そんな風にグラス片手に店内をうろつく人々はもう、どの男性と女性とがセットなのかが判別できないくらいに点在してしまっている。東京ディズニーランドの土産物屋でかかっているような曲が、彼や彼女やらの嬌声を掻い潜って幽かにわたしの耳に届く。 「なにを食べようか」と、菅野さんはメニューを開く。わたしにもメニューが見えやすいように角度を調整しながら。 「この、肉サラダが美味しいんだ」と、菅野さんは微笑みながらわたしを見つめる。わたしは一瞬だけ菅野さんと視線を絡ませるけれど、すぐさまメニューに視線を落とした。 「菅野さんはこれ食べてくださいよ」と、わたしは『イカ墨のパスタ』を指さしながら微笑んでみる。たぶん菅野さんの瞳には意地悪そうな表情のわたしが映っているんだと思う。彼の苦笑からそんな風に判断できた。 「いや、僕は生臭い食べ物は基本的に食べられないから」 「え? じゃあお刺身とか食べられないんですか?」 「いや、刺身は大好きだよ」 刺身だって生臭いのに? と、私は口に出さずに表情だけで菅野さんに問いかける。 「いや、なんていうか、マグロの刺身はそんなに生臭くないから食べられるんだ。なんか気持ち悪くなければ食べられるんだよ。イカ墨はさ、なんだか気持ち悪いし、食べる必要もないように思うし」 「なんですかそれ。というか、イカ墨に対して凄く酷いことを言うんですね。許せないです。きちんとイカ墨に謝って欲しいと思います」 「え」と、菅野さんはメニューから顔を上げて、驚きの表情を携えながらわたしを見つめる。だから見つめられるのは苦手なんだってば。そしてやっぱり菅野さんはアライグマに似てる。いつも眼の下に隈があるから。 「ごめんなさい」 ええええ。謝ったよ。首を左右に傾げながら「僕、若干納得してませんが」みたいな感じだけれど、菅野さんは謝ったよ。しかもテーブルに開いて置かれているメニューの中の『イカの墨入りスパゲティー』の写真に向かって。これは笑えるけれど、菅野さんを困らせ過ぎたかもしれない。だからわたしは「言いすぎました。ごめんなさい」と、謝った。 「え」 「いえ、さすがに」 「さすがに?」 「謝らせるまではさせるべきじゃなかったと」 菅野さんは苦笑しながら、わたしから見て右下に視線を落としながら大きく溜め息を吐いた。ごめんなさい。わたしはこういう人間なんです。 ふと、わたし達が座っているテーブルの傍らから視線を感じた。振り向くと二五歳は過ぎているだろうと推測できる「昨日、宮城県の山がいっぱいある方面から上京して来ました」みたいに垢抜けていない雰囲気を身にまとった男性の店員さんが、オーダーを厨房に伝えるための大きめな電卓のような端末を持って、わたしと菅野さんを「これ、話しかけて良いのかな? 恋人同士なのかな? オフィスラブかな?」みたいな感じで左右に視線を巡らせていた。店員さん。ちなみにわたしも宮城県出身ですよ。 「あ、えーと、鈴木さんは決まってるの?」 「決まってますよ」と言いながら、わたしはスープとフォッカチオを指さす。 「えーと、オーダーお願いします」と、わたしから見て右のこめかみを触りながら菅野さんは言う。 「はい! どうぞ!」とぎこちない微笑みを浮かべながら店員さんは「位置について!」みたいな感じで電子端末を構える。 「僕はタラコソースのシシリー風スパゲティーと肉サラダ。あと、ドリンクバーを二つ。そして野菜ときのこのピザを。サラダとピザは二人で食べようよ」 「はい」と、店員さんは答える。 「店員さんと二人で食べるんですか?」と、わたしは答える。 「いえ、私の返事はオーダーを了解しましたという意味です」と、店員さんが生真面目に答えた。菅野さんは「勘弁してくれ」という表情で椅子の背もたれに大きく背中を預け、仰け反って笑っている。そこで、わたしは間髪入れずに自分の注文を店員さんに告げる。 「わたしはエビグラタンで」 ええええ。アナタはさっきスープとフォッカチオを指差してましたよね? と、驚いた中近東の人みたいに目を見開きながら店員さんがわたしを見つめる。菅野さんはより大きく仰け反って笑っている。 ◇ スマホのディスプレイを見る。二三時四五分。いくら長時間居ても罪悪感が芽生えない雰囲気のサイゼリヤでも、さすがに罪悪感が芽生えてしまうほどの時間になってしまった。 菅野さんは珍しく饒舌だった。初めて二人で逢ったとき、浜松町の中華飯店で食事をしたときは凄く無口だったのに。もしかしたら、わたしの意地悪に耐性が出来てきたのかもしれない。それはまずい。次回、逢う時にはもっともっと驚かせるような意地悪を考えておかなくてはならない。というか、菅野さんは次に逢う日の話なんかしていない。それなのに、わたしは次に逢う時のことを考えている。これはおかしい。わたしらしくない発想だ。こんなことを考えては負けだ。負けるもんか! という気持ちを込めて、左隣を歩いている菅野さんを睨んでみる。 「え」 「いえ。別に」と、わたしは菅野さんに向かって微笑んでみる。菅野さんの瞳には意地悪そうな表情を携えたわたしが映っている。 東京タワーから発せられている橙色の光を浴びながら、苦笑という表情によって破顔した菅野さんを見つめながら、わたしはわたしの意地悪そうな表情を弛めてみた。 わたしは菅野さんが破顔したときの表情は嫌いではない。 ( 了 ) (4,388文字) |
小松菜 みず
2023年09月09日(土) 10時36分55秒 公開 ■この作品の著作権は小松菜 みずさんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.6 小松菜 みず 評価:--点 ■2023-09-10 23:27 ID:ELoqBiWqZQs | |||||
>陽炎さん またまたお読み頂きまして、本当にありがとう御座います。 褒めて頂き過ぎましてなんというか。もう、書いてきて良かったです。 素直じゃない小説ばかりなので、受け入れられるか不安でしたが、これからも頑張りたいと思います。本当に本当にありがとうございます。 monogataryのほうでも書き始めました。(ねこかわいいさんの作品を読んで、そのままわたしも登録してみました。) 今後もこちらと、monogataryのほうと両方頑張りたいと思います。 何卒よろしくお願いいたします。 |
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No.5 陽炎 評価:50点 ■2023-09-10 16:39 ID:.T.XHKIbJ8o | |||||
いやー、私、小松菜さんの文章好きですわ 心地よい語り口で、自然に物語に引き込まれている自分に気がつきます キャラクターの描き方がうまいですね まるで、菅野さんと鈴木さんが目の前にいるかのようで 菅野さんも鈴木さんもめっちゃキュートでラブリー 二人とも抱きしめたくなっちゃうくらい可愛らしくて キュンキュンしちゃいました 嫌いじゃない、てところがまた 鈴木さんの性格を的確に捉えてていいですね 好きって素直に云わないところに 鈴木さんの人間らしさみたいなのを感じました そしてまた、そんな鈴木さんとの時間を 心地よく感じているであろう菅野さんにも 素敵な作品でした |
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No.4 小松菜 みず 評価:--点 ■2023-09-10 13:11 ID:ELoqBiWqZQs | |||||
>えんがわ さん えんがわさん、ご感想を頂きましてありがとうございました。 >一文が少し長めかも。ゆったりとした今回はあってるのですが、緩急をつけるまで行かなくても、もうちょいテンポがあってもいいかな。 →仰る通りなのです。課題なんです。もうちょっと簡潔に書きたいのですが。いつもここがうまく行かないのです。 もっと読んで頂ける人に寄り添うリズムを身につけるために精進いたします。 にやにやして頂きまして、嬉しかったです。 ありがとうございました。 |
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No.3 えんがわ 評価:30点 ■2023-09-10 07:15 ID:PyFRimgEhSs | |||||
大好きですよ。この作品。 主人公は菅野さんのことを「好き」とは言わないんだけど、 言わないことで、むしろ大切にしているあいまいな想いが伝わってくるよー。 格安イタリアンのサイデリアの雰囲気も、そこをデートに使う二人の距離感もバッチリ出ているし。 終始、にやにやしながら、くっつくかなと予想していたら、くっつかないで、それも「らしいな」と思える作品でした。 一文が少し長めかも。ゆったりとした今回はあってるのですが、緩急をつけるまで行かなくても、もうちょいテンポがあってもいいかな。ここは自分の呼吸との相性で。 |
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No.2 小松菜 みず 評価:--点 ■2023-09-09 21:22 ID:ELoqBiWqZQs | |||||
>ねこかわいい さん またまたお読み頂きありがとうございました。 笑って頂きたくて書いているというのがありますので、非常に嬉しいです。 monogataryに行って、「海の見える喫茶店」という作品を読ませて頂きました。プロの香りがしました。すごくスタイリッシュな書き方、描き方です。また、どんどん読みに行きますね! ◆追伸 「ねこかわいい」さんという方が、2名いらっしゃいました。 しかし、作品を投稿されている「ねこかわいい」さんはお一人でしたので、たぶん間違っていないとは思いますが。 |
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No.1 ねこかわいい 評価:50点 ■2023-09-09 15:34 ID:9pxemaegKFc | |||||
笑ってしまいました。新たなツンデレの予感ですね。っていうか、菅野さんが鈴木さんにどっぷりハマってくれると良いなと思ってしまいました。 前回の感想返しで私の作品はどこに? と問われたので、一応、monogataryにいます、とご報告を。というのは実は私、どうしても横書きで出だし一字下げ作法に違和感を覚えてしまうタチでして…。そこ曲げられないの、ゆえにそういう決まりのないところに投稿しています…。変なこだわりを持つ私を許してゆるして。 |
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総レス数 6 合計 130点 |
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