地球止まりの浪人生
「先生、浪人って何ですか? 私、意味が判らないから調べてみたんです。ネットには、浪人は古代、戸籍に登録された地を離れて他国を流浪している者のことを意味し、浮浪とも呼ばれたと書いてありました。身分は囚われず全ての民衆が成りうるとのことでした。先生、私以外にどれくらいの民衆が浪人となったんですか?」
「いや、お前、民衆って言うなよ。まあ、あれだよ。この学年で、どこの大学にも受からなかった生徒は今のところ五十人くらいだよ」と先生は加熱式タバコを左の掌でクルクルと回しながら言う。昔、祖父がこんな感じでクルミを二つ掌でいつも回していた。私はその回転に視線を合わせる。
「田村はさ、頭良いんだからさ、来年は大丈夫だよ。ただ、芸術関係の学部は難しいからさ。いくら頭良くてもダメな時はあるんだよ。だからさ、勿体ないから来年また頑張ろうぜ?」と先生は掌の加熱式タバコの回転速度を高めていく。
「先生! 目が回るわ! クルクルクルクル止めてよ! っていうか、職員室って禁煙じゃないんですか?」と私は先生の掌で回転する加熱式タバコの機器に人差し指を向ける。回転が止まる。
「だから吸ってねーだろ。職員室は吸っちゃ駄目だけれどクルクルしちゃいけないとは言われてねーんだよ。まあ、イラつくよな。お前は浪人が決定しているし、俺はタバコが吸えない。ちょっと待ってろ」と先生は席を立つ。職員室の出入り口付近に二つドアの冷蔵庫がある。一人暮らしに丁度良いくらいの大きさだ。真っ赤な冷蔵庫。先生は冷蔵庫から紙パックの飲み物を出してグラス二つに注いでいる。真っ赤な冷蔵庫を閉める。私の方へ歩いてくる。

「こういう時はさ、飲むヨーグルトを飲むんだよ」先生がグラスの片方を手渡してくる。
「こういう時ってどういう時ですか?」と私は先生を睨みつけながら受け取る。
「イライラしているときだよ」と言って先生は自分のグラスに入った飲むヨーグルトを一気に飲み干した。それを見た私のイライラというかムカつきがクルクルクルクル。心の遠心分離機のスピードが最高潮まで上がってしまった。私は先生の隣に用意されたパイプ椅子から立ち上がる。思いっきり先生の机へ右足で蹴りを見舞った。「うわー!」と先生は驚いて叫ぶ。その先生の叫び声に被せる様に私はより大きな叫び声をあげた。「わぎゃー!」とハッキリ発声してやった。そして職員室のベランダ側の窓を開けて、飲むヨーグルトを外へ向かってぶちまけた。
「頭良いんだからさってなによ! 本当に頭良いっていうのは生まれて一度も外に出ないで青森のリンゴ農園で育って、小学六年生になって生まれて初めて外に出てリンゴが木からボトって落ちたのを見た時に、あれ? もしかして、地面には何かを引っ張るチカラがあるのかしら? これ、引力って名付けようかしら。って気付けるヤツのことを言うのよ! 知識を蓄えるだけなら誰でも出来るわよ!」という私の怒鳴り声の後、静寂。職員室は無音に包まれる。耳の奥底からキーンという高音が現れる。

「ど、どうして飲むヨーグルトを外に?」と先生に問われる。
「あれは勢い」と私は空になったグラスを持ったまま先生の隣のパイプ椅子へ戻る。座る。
「お前、勢いってなんだよ……。まあ、良いけれど、いや良くねーけれどだ! 馬鹿かお前は。……。あれだよ、お前さ、いまの話が出来ることがすげーよ。その通りだと思うよ。ニュートンが引力を発見しましたって話を読んで覚えて試験に合格するわけだ。俺たちに出来ることなんてそんなもんだよ。だから、お前はやっぱり凄い。だって、青森のリンゴ農園で生まれて閉じ込められてたヤツが初めて外に出た時に、地面が質量を持ったものを引き付ける力があるってことを発見したわけだろ?」と先生は加熱式タバコの機器を机に置いて話し始める。
「私は千葉県出身で醤油工場の工場長の娘です」と少しだけ微笑みながら答える。
「え? お前のお父さん凄いじゃん。工場長なんだな。マジか。じゃあ、工場長の娘、優子ちゃん。俺はお前より頭良いんだぜ? 俺が青森のリンゴ農園で育って、小学六年生になって生まれて初めて外に出てリンゴが木からボトって落ちたのを見たとしたら、その木を月まで伸ばすことを想像するよ。で、その木が月に到達してからリンゴが木から離れたら、どこに落ちるかを考える。たぶん、リンゴは月に落ちるぜ。だから地球以外の星にもモノを引っ張る力があるって証明できる。お前は頭良いけれど、現在の俺までは到達していない。地球止まりの優子ちゃんだ。浪人して、頭の良さに磨きをかけて、俺がいる月までやって来いよ。今日はもう帰れ」と先生は薄汚いタオルを抽斗から取り出す。席を立って、ベランダへ向かって歩き出す。
「わかったよ先生。しょうがないから浪人になる。だって、私以外にも五十人くらいの民衆が浪人になるんでしょ?」と私はもう完全に笑顔になって。「いや、お前、民衆って言うなよ」と先生は笑い声を上げながらベランダの飲むヨーグルトをタオルで拭い取ってくれている。

 私、先生のこと、けっこう好きかも。だから、月を目指すよ。


 (2,072文字)
小松菜 みず
2023年08月11日(金) 21時58分39秒 公開
■この作品の著作権は小松菜 みずさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
物語の疾走感を大事に書いています。
何卒よろしくお願いいたします。

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No.4  小松菜 みず  評価:--点  ■2023-09-02 16:06  ID:ELoqBiWqZQs
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>陽炎さん

ご返信遅れまして大変申し訳ありません。
感想いただきまして、ありがとうございました。
引き込まれて、仰って頂きうれしいです。
すごく素敵な解釈を頂き光栄です。
また、このようなご感想を頂戴できるように頑張りたいです。
陽炎さんの作品も読みたいと思い、サイト内を探してみましたが、
うまく検索出来ずでした。
うまく探してみようと思います。
では、有り難うございました。

No.3  陽炎  評価:40点  ■2023-08-29 16:28  ID:.T.XHKIbJ8o
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はじめまして、拝読させていただきました
書き出しからして、なんだなんだと引き込まれてました

優子ちゃんはとっても頭がいいのに
浪人することになってしまって
リンゴが木から落ちて地球に引力があると
発見できるくらいの賢さで
だけどあと一歩及ばず、だったところを
先生は、だからお前は地球止まりなんだよ、と
洒落たことを云ってくれます
月までたどり着けよ=大学受かれよ
と、さりげなく応援している先生、ナイスです

面白かったです
No.2  小松菜 みず  評価:--点  ■2023-08-13 23:08  ID:ELoqBiWqZQs
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>えんがわさん

感想いただきありがとうございました。
職員室の風景、その他先生などの視覚的な描写についてアドバイスをありがとうございます。まさに、その通りだと思いました。
次回掲載させていただくときには、えんがわさんのアドバイスを確り取り入れて物語を描こうと思います。
今後とも何卒とよろしくお願いいたします。
No.1  えんがわ  評価:30点  ■2023-08-12 21:44  ID:PyFRimgEhSs
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最後の一文を読んだ後、タイトルへと帰り、なんというか「いいな」と思いました。
自分も浪人したことがあるんですが、あの独特のショックから立ち直ろうと一歩を踏み出すまで、が結構いい感じに切り取られていると思います。

作中はそこまでテンポが良いわけではないですが、少しまどろみのある会話とか自分、けっこう好きですよ。

高校時代、先生と生徒いうよりは友達のような感覚で二人が楽しく生活していたんだろうなというバックグラウンドも見え、そこから必然的にある別れのようなものも少しスパイスとして滲み、青春してるなっていう若い、というか、まぶしいものが溢れていて。
そういう空気感を演出できるのは、武器になると思います。
これから主人公が、大学に限らず遥かな未来に漕ぎ出すだろうなぁ。まぶしい。

ひとつ思うのは、職員室の風景とか、先生の容姿とか視覚的な描写を増やせば、よりシーンが立体的に映るかなって思いました。
総レス数 4  合計 70

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