泥まみれ
「先生、ぼたもちとおはぎの違いは何でしょうか。」
「ええと、春か秋かの違いじゃなかったかな。」
「じゃあフクロウとミミズクの違いは?」
「耳が有るか、無いか、かな。」
「蓮と睡蓮は?」
「ううん。葉っぱの形かなあ。」
 じゃあ、私とあの子の違いは?
 私はその質問に、どんな答えも欲しくない。きっと何を言ったって、今の私には毒でしかないだろう。話の話題も尽きてしまって私が何も言わなくなると、車内にはすれ違う自動車と、微かな寝息が交互に響くのみだった。

 私たちはH市の某美術館に向かっていた。私たちの住む地域から高速道路を走って片道2時間半ほどでその美術館に着く。そこでは県の美術展が開催されており、毎年8月になると私たち美術部員はその美術展に作品を出展するのが恒例だった。
 私が美術部の部長で、隣ですやすや寝ている男子が副部長の川上君、そして車を運転しているのが我らが美術部の顧問、山口先生だ。
「もう少しで着くからね。」
 優しい声で先生がそう言った。私は隣の副部長を起こすために、彼の肩を軽く叩いた。
「起きて、川上君。」
「…もう着いたの?」
「もうすぐで着くよ。」
「んー。」
 寝ぼけ眼の彼はぶっきらぼうで、少しだけ幼く感じた。そんなところが何だかほっとけなくて、美術部のみんなは彼に世話を焼く。彼は得をしていると、いつも思った。
 目的地である美術館に到着すると館内にはすでに別行動していた美術部員たちがいて、受付を済ませると早速、みんなで作品が展示してある展示室へ行った。
 展示室に入ってまず目に飛び込んで来たのは中央の壁に並んで掛けられている絵画たちだった。そのど真ん中に一際目立つ絵画があって、そこには題名と共に「最優秀賞」と札が付けられていた。あの子の作品だ。この作品は、何気ない教室でのワンシーンを切り取った絵で、油絵の具で描かれている。油絵というと、絵の具がこんもり乗っていて、筆跡が分かりやすいようなイメージがあったけれど、彼女の絵は柔らかくて、まるで水彩画みたいだった。幻想的な彼女の絵は多くの人を惹きつけていた。当の本人は塾の三者面談があるとかなんとかで、今日は来ていない。残念なような、これで良かったような、複雑な心境だった。彼女の絵から離れて部屋の奥へ行くと、あまり目立たない端の方に私の絵があった。題名の横に佳作の札が付いている。それを見て私は少し虚しい気持ちになった。
 30分ほど作品を見て、それから美術展開催の開会式があった。偉い人の挨拶があって、その後は講師として呼ばれた芸術家の男性が、自分の作品について講演をした。最初の方はちゃんと聞いていたが、途中で寝てしまって、どんな内容だったか川上君に聞いたら「寝ていて聞いていなかった。」と言われた。開会式の後は、作品鑑賞、他校生との交流会をした。そして気づけば終了の時間になり自分たちの作品を片付けて搬出し、帰宅するのみとなった。私と川上君は再び先生の自動車に乗せてもらうことになった。
「せっかくの遠出だし、少し寄り道してから帰らない?」
 そう先生がウキウキした様子で言った。どうやら美術館の近くに、蓮の有名な公園があるらしく、私たち3人はそこへ行くことになった。

 公園の池には蓮が水面を覆うように広がっていた。空に向かって真っ直ぐに咲くピンク色の花は、健気でとても可愛いと思った。
「汗水垂らしてやっと出来上がる君たちの作品は、まるで蓮の花だね。蓮は泥より出でて泥に染まらず。」
「その言葉ってそんな意味でしたっけ。」
「あはは、違ったかもしれないなあ。」
 先生と川上君がそんな風に喋っていた。あまり聞きたくはなかった。先生、私には耳が痛い話です。私も、私の作品もそんなに美しくも高潔でもないのです。まだ泥を被ったままなんですよ。そう心の中で私は呟いた。
私とあの子の違いは何だろう。私とあの子は同級生で、友達で、同じ美術部員で、それから、何だろうか。何が同じでどこが狂ってしまったかのか。
 とある先輩に、私とあの子は雰囲気が似ていると言われた。そう言われて、嬉しかった。あの子が私をどう思っているかは知らないが、実際に私は美術部の中でいちばん気が合うのは彼女だと思っていた。彼女を疎む理由などどこにもなかったのだ。しかし長く付き合えば付き合うほど、彼女との差異が少しずつ明るみになっていった。人としての人格、人望、芸術家としての技術、才能。どれも彼女は持っていた。彼女は完璧人間ではなかったが、それでも私の欲しいものは全て兼ね備えていた。ずるいと思った。その感情に気が付いた時には私は奈落の底へ落ちていて、それからは億劫な日々が始まった。醜い嫉妬を抱え、葛藤し、ただ他人よりも、あの子よりも優れたものを描きたいと思った。そう思えば思うほど描けなくなった。私と他人は違うことが当たり前なのに、私は他人と比べることでしか自分を測れなくなってしまったのだ。
「落ちるなよ。」
 その声で現実に引き戻された。池を覗き込む私を見て、川上君が少しいたずらっぽく微笑んでいた。
「道連れにしてやる。」
 私はふざけてそう返事をした。
「ばか。」
 彼は神妙な顔だった。そして続けてこう言った。
「俺はあんたの作品がいちばん好きだよ。」
 まあ佳作だったけど、と付け加えながら川上君は蓮の花にスマホを向けて写真を撮り始めた。君も本当に、ずるい人だよ。そういえば君の作品も、こんな風に優しかったね。私は展示室のどこかに飾れていた彼の絵を思い出した。それは、朝日の昇る田舎の雪景色だった。絵の具だと分かっていても、朝日の眩しさを感じてしまうほど輝いて、そして優しかった。川上君の無愛想な表情の下にはいつだって、柔らかい何かが潜んでいることを、みんな知っている。そう、だから君は、ずるい人だよ。私は池を覗き込むフリをして、涙が溢れないように俯いた。俯いたけれど、やっぱり抑えきれなくて、池に落ちていった涙は、ぽたん、と池に小さく波紋を作って、静かに消えた。どうか、バレていませんように。泣いていることが、醜い嫉妬が、どうか誰にも知られず枯れてしまいますように。私はそう願いながら、涙が乾くまで、池の静かな水面を、意味もなくただ見つめていた。
 私が家に帰宅したのは夜の9時頃だった。翌朝は、美術館でも公園でも立ちっぱなしだったからか、足が痛かった。効くか分からないけれどとりあえず家にあったバンテリンゲルを塗って、痛む足をさすりながら、次の部活のことを考えた。次の作品はどうしようか。先生が言っていたように、私が蓮の花であるなら、私はいつ泥を抜け出せるのだろうか。そんなことを考えた。私はリュックの中に入れっぱなしだったクロッキー帳を取り出して、昨日撮った写真を見ながら蓮の花を描いた。私の頭の中に浮かんだのは、昨日、涙混じりに見つめていた静かな水面と、蓮と、まだ泥まみれで座り込んでいる、私の姿だった。
ナカトノ マイ
2019年07月12日(金) 01時15分19秒 公開
■この作品の著作権はナカトノ マイさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
即興三語小説に投稿しようとして結局投稿しなかったのがこの作品です。お題は「ミミズク」、「バンテリンゲル」、「蓮」でした。

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