13階段



ふと小説を読んだらじぶんが主人公になっていた、なんていうことはないけれども、ぼくは今ここにいるぼくが以前はこうでなかったぼくであるような気がしてならない、原因はわからない、なぜかぼくはこうじゃなかった、ぼくは今のぼくじゃなかった、そんな思いばかり湧いてくる、どうしてぼくはここにいるのかわからない、ここはどこだ?さっきからずっと木目の線だけを見つめている、いつものぼくならこんなことをしなかったはずだ、だいたいここはどこだ、木目が文字だった、あっ、いや、木目が木目であり、文字でもあるのか、そしてぼくはその文字を読み上げている、いつもならもちろんそんなことはしない。



ただの木目に対して、そこに文字を見出しているまぼろしの愛好者が、ぼくであり、ぼくは木目だと気づいているのにも関わらず、文字のまぼろしが同時に見えており、もちろん木目であることのほうが現実の度合いが高いことは分かっているのだが、同時にまぼろしでありながらも、文字として見えていることもまた事実、この感じは夢を見ているときの、なぜかそういう世界でそれが当たり前、のような感じ、これは夢か?わからないけれど。



ぼくはその木目、文字列を読み上げているだけなのだが、これはむしろぼくの内側のひとりごとが外に出て行って、地上の世界でこんにちはをしていると捉えるべきなのか、内側が先で、ぼくはそのひとりごとを、ノートとして地上を用いているということなのか、まぼろし、だからぼくがいなければ、文字列は外の世界になかった、ということになるのか、でも、ぼくがいなくては、外の世界を見れない、かなしい。



ぼくはまぼろしの外側に行った、木目が木目であり、まぼろしの文字列がない世界に着地していた、これは読み上げているだけでやはり文字列はいまだに見えている世界で、そこに立っていて、内側で、でもこれも木目でぼくの感情や思いというものを表現しているつもりはぼくはないのだが、これはまぼろしであるはずで、そのまぼろしの原因はぼくで、フィルターで、だからやっぱり感情や思いが含まれているのだろう、とは言ったものの国語の教科書を朗読するときのあの感じなので、よく、わからないし、これすらも木目の文字で、書かれているのはむしろぼくだとか、そんな馬鹿なことが?



ぼくの目は木目を映している、ぼくの心の声は木目が文字に見えて、それを読み上げている、あっ、いや、待てよ、まぼろしじゃないこともあるのか、木目だとおもっていたものが文字で、なぜだかぼくはそれを木目だと勘違いしているのかもしれない、とか、でも、その可能性はどれくらいのものなのだろう、線が文字?車に轢かれるよりもすくないような、そんな気がする。



木目は木目だけであることはできないとか、そういうことなのかもしれなくて、というのはぼくがいなければ木目はなく、ぼくがあるときに木目はあり、見られる、見られてしまう、木目+ぼくの枠がデフォルトで、木目は木目ではなく、木目(ぼくの一部)、ぼくのこのまぼろしは(ぼくの一部)の作用が強くなった版のやつなのかもしれない。



AAはAAという文字だけれども角二本にも見ようと思えばね、AAは文字のコードで見るとAAだけれども、絵のコードで見ると角二本に見える、ぼくはそのコードのシステムが狂ってしまったのかもしれない、とか言ってるけど、これは全部嘘でひとりごとで、ただのひとりごとでぼくの見ている景色は木目でもなく文字でもなく、たとえば富士山やパソコンの画面で、ただこういうばかみたいなことを考えているだけっていうのもありで夢オチみたいだ。



ぼくはぼく自身がどのように見られているかわからない、いまの景色の感じでは周りに誰もいないのだが、なぜこんなことを考えるのだろうか、ぼくは誰かに向かって喋っている感じがあるのだけど、その誰かは登場しない、ということもわかっている、なんとなく、それとなく、ぼくはふと誰かに見られているような気がする、もし見られているとしたらどういう風に見られているのだろう?顔や性格や、まさかこの心の内側が見られているなんてことはないだろうが、ないとも言い切れない。



まさかぼく自身が木目だったなんて馬鹿げたことはないだろうとは思うけれど、というより意味がわからないけれど、だってぼくはここでこうして考えているのだし、呼吸しているのだし、でも読み上げているのは事実だから、ぼくは自由に喋っている訳じゃないけれど、このまぼろしはぼくの思いが反映されているとは思うから(とは言っても朗読しているだけなのだが)、ぼくは生きてる、ここにいる。



木目に表示されているのは、「一語一語で積み上げられている、論理の階段を上がる」、しかしこの文字列たちにはどうも論理がなく、まるでぼくのとりとめない言葉のようだ、当たり前だが、特殊な世界、たとえば夢の世界の論理(のようなもの)があるとして、そのなかでは、当たり前だが、論理的なのかもしれない、もはやそれは論理とは呼ばない、でも、ぼくには論理といったカテゴリーがあって、それで世界を眺めたら、そこに論理みたいなものがあった、そんなこと。



木「目」、なんてことを考えてみる、木「目」、あっ、見られているという妄想はこれか、これのせいか、連想だ、木目、木目、とばかり言ってきたから、無意識の連想ゲームで見られてるっていう感じが強くなったのか、とかそんな訳ないだろなんてこと思いつつ、でもこんなバカげたことが起きている世界で、なにを言ったって、ファンタジーはファンタジーで、どうしようもない。



ふと、きみ、と思った、ぼくは見られたかった、ひとりは嫌だ、誰か見てくれ、ぼくはそんなことを思っているのかわからないが、そんな文字が書かれている、ぼくを置いていって、文字が暴走しているようだ、と思ったらぼくに同調している、のだけれども、ぼくはやはり心の中の音読で、朗読で、わからない、きみ、呟けば、たしかにぼくはひとりではないような気もする。



木目には「ここで最後」と表示されていた、なにが最後なのかぼくにはわからなくて、ぼくがどこにいるのかもわからなくて、木製階段の踏み板の木目を上がっているのか、下がっているのかもわからなくて、わからない、神様がいるのならそいつならわかるだろう、いや、そいつがぼくを上げたりも、下げたりもするのか?この踏み板を合わせ、今まで13の踏み板を踏んできた、踏み板を踏んだ分だけ、ぼくの心の中の動きが未来へと進んだから、きっとこの木目を追っていけば、このあとぼくがどうなるかわかるだろう、でもこの木目が途切れたらぼくはどうなるのだろう、あっ……「ここで最後」なのか、ぼくはやっぱり木目なのかもしれないな、と思った、そして、きみは死刑執行人だった。
黒須らいちゅう
2017年03月30日(木) 23時52分15秒 公開
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