送る |
「それでは、足袋に草鞋を」 兄は黙してゾウリのような草鞋を受け取り、棺へと向かい、母の足にそれを履かせる。その動きはゆるりとしながらスムーズで、滞りが無い。 「ついで、弟さんは、手甲を」 手甲は、手の甲に付ける四角い布で、四方に凧のような紐が垂れている。それを母に付けさせる。腕が思ったよりも軽く、そして思っていた以上にひいやりと冷たかった。簡単な作業なのに、妙に定まらないというか、この位置で本当に良いのかと惑い、時間をかけてしまった。最後まで母に見せるのは不器用な息子の姿だ。 次いでショートカットのおばさんが、何やら荷物箱をごそごそする。しばらくして、死に化粧の用意だとわかった。紅をひく。頬を塗る。所作は一筆書きのように早い。霞んでしまった顔に、見る間に色が宿る。 兄は言う。 「綺麗です。生きている時みたいだ」 僕の見ていた母は、家で化粧水もせずに、高い声で愚痴を言いながら、台所のテーブルを布巾で拭いている姿だ。だから、生きている、という形容が何か空しく聞こえた。生きているみたい、だけど、その生は母の生活とは離れたものだ。 そうだ、母は死んだのだ。 朝の台所は冷房がまだ行き届いていなく、熱がまだ滞っていた。 兄の作った目玉焼きは、少し焦げている。我が家では何時も醤油をかけてたから、兄がそれに中濃ブルドックソースをかけているのが新鮮だった。 「お前も、これから家で一人なんだから、自炊に慣れなきゃいけないぞ」 「アニキ、俺でも、これくらいは作れるよ」 「んっ、何だ、こんなに太っちまって。食事管理、出来てないだろ。コンビニや惣菜じゃ、どんどんメタボになるぞ」 東京に出て働いている兄は、現在の過食気味の食生活が、酷い拒食症の反動だということを知らない。 「親父も、糖尿だったし。おふくろも、年取ってからは。お前もこれからなんだから」 「んっ、んん」 「俺も中年さ。嫁さんから、これ以上服のサイズを変えたら、絶交よー、なんてな」 兄は少し笑って、お腹をさする。驚いたことに、ずっと痩せ身だと思っていたそれが、ふっくらしている。 「家系なのかもしれないね」 なんて答えた。 「娘にゃ、継いで欲しくないもんだ」 和やかで、久しぶりだ。このような空気で食卓が続けば、母の入院後の、味もわからないで胃に詰め込んでいる毎日から、立ち直れるのかなと思った。兄は二日後に、東京に帰ってしまうけれど。 通夜が始まった。 家族葬とのことだったが、親戚が二十人ほど、それに農協か何かの役人が数人、土地の関係かどこかの建設会社の部長、とこじんまりとしたものだった。お経を唱える住職は、父の葬儀の時のそれは体調不良で出られず、隣の市から呼ばれた、随分と若い、それでも僕よりも一回りは積んでいるのだろうけど、肌の艶のいい坊さんだった。お経は低音で響きながら、芯と抑揚があり、時に泣きたくなるほどに高くなることもあり、時に漢字の連なりがゆるやかに沈み、会場全体を包んだ。 坊さんって言うのは、歌手なんだなみたいな、鎮魂歌なんだなみたいな、自分の言葉にすると悔しいほどに軽くなってしまうけれど、お経は母を送る歌声に聞こえた。産声の対極にある、終わりを祝うような。ダメだ、自分が言うと、どんな思いも軽くなってしまう。 焼香の所作。茶黒い香を摘み、額の高さまで持ちあげ、少し念じ、香炉の中に落とす。頭ではわかっていても、直ぐ前に兄が見本のようにきちんとしたのを真似ても、どうにもぎこちないものになってしまった。自分でも実感する。 三十分。 僕の太った足は悲鳴を上げ、これ以上は保ちそうもなかった。正座を崩し、あぐらへと変える。事前に正座の補助をする椅子を勧められ、「いーよ」と強がった結果が、これだ。兄も親戚も何も見なかったように、平然と葬儀を続ける。そのまま葬儀は滞りなく終わった。 終わった後の宴会のような送別会のような宴で、礼儀良くそれでいて朗らかに酒を注ぎ、会話を運ぶ兄を、テーブルの隅でじっと見ていた。 酔ったとき特有の場を考えない大きな声で、親戚のおじちゃんがこう言ったのを覚えている。 「しっかりしてるな、琢也兄ちゃんは。ほんとに、大したもんだ。母ちゃんも安心してるだろ。出世頭だし、孫の姿も見せたし、孝行息子ってなもんだ」 葬儀から二日後、兄は家を出て行った。前日、色々と話した。東京でこれから会議だの、娘がお遊戯会で準主役だっただの、これで臨時の小遣いの余りが貯まってラッキーだなど。お前、しっかりやれよ。頼れるのは自分なんだからな。とそのまま慌ただしく玄関から仕事場へスーツ姿で向かっていった。 誰もいない空間で、葬儀の、人が一人死ぬということの、欠けたものを短時間で埋めようとすることの、その忙しい時間が過ぎたあと、ちょっとした、考える時間ができた。 これから、嫌というほどある時間だ。 視界の端っこに、上に段ボールが積まれているピアノが映った。 子供の頃、男の僕と兄に、ピアノ教室に通わせた母。きっと母も幼いころに、その流れる音色に憧れていたのだろう。だけど、やっぱ恥ずかしくて、小4で止めちゃったな。 小学生の時、給料日にまぐろの赤みを沢山買って、お寿司を握ってくれた母。おにぎりみたいにでっかくて、ワサビの量は当たり外れってくらい、まちまちだった。だけど美味しかったな。 その余ったまぐろのブツを猫にやっていて、その猫を本当に可愛がっていたっけ。愛猫と映った写真の顔は本当ににこやかで、富士山の入り口で撮った自慢のアルバムのトップのそれよりも、らしくて、僕は好きだった。コロと名付けられた彼も、いなくなったのはもう大分前だ。 そんなことを思い。今までそんなことを思い出せず、死後の手続きや葬式と言う儀式に急かされていた自分。そんなことを、葬儀で親戚やこれまでの知人、兄にも語り合えなかったこと。そんなことが、何か悲しかった。母の死を、母への思い出で送ってやりたかった。いや、今からでも遅くないのだろうか。 それは自分が背負っていって、少しずつ思い出したり忘れたりするものなのだろう。自然、軽くなっていくだろうそんな思いだけど、今はその重さが少し辛く、それでも何か、生きてきた重力を感じるのだった。 母は、死んだのだ。これまで生きてきて、これからはそうではないのだ。ただ、その残り香のような響きを、自分の中に映して、そうして僕も生きていき、死んでいく。 この夏を通して、6kg痩せた。 |
えんがわ
2018年09月09日(日) 00時21分40秒 公開 ■この作品の著作権はえんがわさんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.2 えんがわ 評価:0点 ■2018-10-03 22:23 ID:a51xQE8gcgc | |||||
はい! 葬式の感じはフィクションっぽくない感じで表現したかったんで、そう取っていただき、嬉しいです。 淡々とですか。 お察し通り葬式中は気持ちは抑えようとしたのですけど、どこまで抑えたら良かったのやら。うーん。悩むとしましょー。 最後の一文は、感情爆発って案もあったんですけど、少し距離を置いて6kgという数字を選びました。ピックアップしていただき、嬉しく、励みになります。ありがたや。 |
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No.1 ナカトノ マイ 評価:40点 ■2018-09-30 22:51 ID:FBK3zXcLems | |||||
お葬式って、確かにこんな感じだなと思いました。 お葬式自体は淡々と進んでいくけれど、忙しさが全て無くなった後で、やっと語りたいことがふつふつと湧き上がってくる、その様子がリアルだと思いました。 「6kg痩せた」という最後の文が全てを語っていますね。 |
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総レス数 2 合計 40点 |
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