彼と言刃と独り言

 一体いつから彼がそこにいたのかを、俺は知らない。
 俺が生まれたすぐからかもしれないし、生まれる前から俺が彼の喉や耳介の裏に棲んでいたのかもしれない。如何せん、俺に確かめる術は無い。
 小さい頃は、彼がいることにすら気づかずに、都合よく振り回されていた。『存在』として認知できていなかった、幼子が俺達もしくは俺達と似た存在を『存在』と認識できたならば、その子はきっと天才だとか謳われるに違いない。
 成長するにつれ、彼の輪郭はよりはっきりとしたものへ変わり、リアルな手触りを以て俺の隣に在るようになった。ある時は『彼』、ある時は『彼女』、ある時は『(性別的にすら縛れない何か)』。だから俺は、普段は彼を『彼』としてはいるが、この『彼』は男女どちらも含む広義での『彼』である。
 彼は自分を「けい」と言った。
あくまでも言っただけで、名づけたのは俺かもしれない。
 俺達は、いつも一緒にいた。
 何をするにも、どこへ行くにも一緒。
 別に、どちらから誘っているわけではない。気づけば一緒、という程度である。
 が、唯一、俺が創作活動する時だけは、俺から京を引き寄せて隣に座らせることが多かった。なぜなら、俺の作品達を作り上げるための材料を提供してくれるのが、他ならぬ京だからである。京無しで、俺の創作活動は進まない。京の作る言葉達を、俺が紡ぐことで俺達の『作品』はできあがっていた。思えば詩も小説も、果ては宿題のレポートまで皆、京の渡してくれたカードで書かれている気がする。
 いや皆ではない。京の渡すカードには、二、三の問題点があった。
 まず京は、嘘がつけない。「嘘も方便」「リップサービス」的な言動はほとんどできず、正直な気持ちのカードしか出せないため、どんなに回りくどくなっても「思っていないこと」は言葉にしない。
 小中高と、何かしらの感想文の際の京はてんで役に立たなかった。言葉に関しては完全なるボキャ貧の俺が脳細胞をフル活用して、先生の検閲に引っかからないよう書くので、感想文・レポート系の宿題は異様に時間がかかっていた。
 次に、京の選ぶ言葉にはわかりやすい偏りがあった。食べ物と同じように、言葉にも好き嫌いを持っていたのだ。
 どうしても必要な時だけは、俺の引き出しから出せるが、それでも横からぶうぶう文句を垂れられるのはいい気分ではない。やれ耳障りが悪いだの、感情が薄いだの、基準は京だ。言葉から連想されるものが嫌(たとえばドライブ→車酔いなど)は気持ちわからなくもないが、それじゃ話もできんだろうと宥め宥め筆を進めている。
前に友人との会話の最中に「『辛くても笑顔で頑張る』とか意味不明。そんな不味いものドブ川にでも棄ててしまえ」なるカードを差し出してきた時は、さすがに焦って引き出しを探ったりもした。

 こう見ると、反抗精神旺盛な子供のようだが、京の本性は驚くほど臆病で、優しい温みを宿している。ただしそれと同量の、嗜虐的で残忍な発想もまた、持ち合わせている。
 人の心に鋭利な刃を容赦なく突き立てて、涙が出るほどの激痛と一生消えない傷を負わせる方法を知っている。
 一方で、塞ぎきれない割れ目や拭いきれない涙を受け止め、自分の痛みに変換して軽減させる方法も知っている。
 とはいえ、一般社会にいる以上、前者が振るわれた回数はごくわずかである。俺が必死に止めているから、というのもあるが、振るわなければ気が済まなくなるような状況が予想される場合、京の方から「カードを出さない」宣言が出ることも少なくない。
「私が選んだ言葉では、誰も守れやしないだろう」
 そう言って塞ぎ込む。ここでの『誰』は俺と他者だが、大抵7:3で俺のが多い。ともに在る存在だから、ある意味当たり前かもしれないが、京の俺への感情は時として異常な色の熱を持つことがあるから笑えない。

 俺が外側を見ている傍ら、京は俺達より内側を見ている。外面を塗り固めているのが俺なら、内面を押し広げているのは京だ。
 外面といっても、そんな高尚なものではなく、安っぽい紙粘土みたいなものだから、時々失敗して『外界』や京に突き破られている。そうして俺がはにかむと、決まって京は嫌そうに「なぜ拒絶しないのか」眉を潜める。
 前述のとおり、京は馬鹿正直で他者より身内を優先する。身内贔屓が過ぎると窘めたところで、「他者のため自分を顧みないでいられるのは、どこかしら自分が壊れていることに気づいていない奴と、真正のお人好しだけだ」などと小難しく返され、最終的に俺が折れて終わりである。
 ただ、どうしても折れるわけにいかない場合もある。
 そういう時は、俺も京も感情をぶつけ合う羽目になる。語彙は京のが多くとも、上手く理由を並べる術を知らないので、知らず知らず感情論に発展してしまうのだ。
 特に理不尽な要求や、説教などに俺が屈したあとの京は、俺ですら手に負えないほど興奮している。
 なぜ屈したのか、なぜ防御も反論も回避もしなかったのかと、ありとあらゆる言葉で遠慮容赦なく罵ってくる。俺が理由をつけて反論すると、急所めがけて飛びかかってくる。
 殴って、蹴り飛ばして、首もとに指がかかることも珍しくはない。
 決して京は(物理的に)俺を殺しきれないのだが、故に目一杯の力を込めて頸椎諸共へし折らんばかりに締め上げてくる。こうなったら最後、諦めて京の気が済むまで苦痛に耐えるしかない。
 京が我に返ったら、そっと頬に触れて「大丈夫」と囁く。
「お前は悪くないよ。俺のことが心配だったのだろ、嫌ったりしないよ」
 前髪を掻き上げて、薄い瞼を撫でてやる。「優しい京」こうしないでいて、京が酷い自己嫌悪から壊れない保証など一切無い。
 誰より優しくて、不器用で、臆病で、残忍で、可哀想な京。
 実際そうなのだ、京は自分にリミッターが無いことを知っている。寸止めのできない質だから、明日は潰されるか、噛み千切られるか、犯されるか、キレるとどこまでいくかわからない。
 何度か『最悪』に限りなく近い状況も経験したことがあるが、あれは流石に怖いと感じざるを得なかった。

 だが、どんなに罵られようと暴力を振るわれようと、俺の方から京を突き放そうと思ったことは無い。京を受け止めて、社会に馴染めるよう調整するのが俺の本来の役目であるからだ。だがその前に、京が俺にしている以上に、俺が京に、言葉も思考も感情さえも、依存していることが理由として大多数を占めていた。
 本来の俺は、役目以外の部分では、自分一人では右も左も決められないほど乏しくて無味乾燥な存在なのだ。それが、彼とともに在ることで、初めて存在を認知できるようになり、色を持ち、温度や輪郭を保てるようになる。
 京と俺は、表裏一体。二人で、一つ。
 優しくて不器用で臆病な京だけが、器だけで空っぽな俺を満たすことができる。俺は熱く鮮やかに迸る京を、安い壁とフィルターで覆って溢れかえらないよう守っている。
 でも、優しい彼はそれが我慢ならなくて、暴力に訴えてでも俺に『拒む』ことを覚えさせようとする。俺が絶対にできないことを知りながら。
「頼む、口にしてくれ。一言『嫌だ』って。それだけでいい」
 涙ながらに縋りつく京が愛しくて、自分が情けなくて、誤魔化すために俺は彼を撫でて、抱きしめ、瞼に口吻る。
「……可哀想な、京」
 そう呟いて――
 空っぽな理性は、優しくて残忍な本能を、今日も許し続けていくのだ。

時雨ノ宮 蜉蝣丸
2015年09月24日(木) 01時14分39秒 公開
■この作品の著作権は時雨ノ宮 蜉蝣丸さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
これ小説じゃないよって言わないで。

『言葉』『自分』『依存』をテーマに2段構成の30字を62行で1Pという、意味不明な縛りで書きました。
正直に言うと7割くらいは作者の実体験と持論「言葉は生き物」に基づいたものになっております。

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