微分積分 |
目を覚ますと、一面が灰色だった。 しばらく考えて、それが窓越しに見える空の色だと気付く。どうやら教室で眠っていたらしい。ふあ、と間延びした声であくびをしたら、目頭から涙が溢れた。 「なんだ、まだ残ってたのか」 静まり返った放課後の教室に、少しかすれた藤木先生の声が響いた。背後を振り向くと、彼が教室の後ろの方に立っていた。 「ここに座っていられるのも、あと何日もないですし」 「そうか」 つい先月にはセンター試験も終わり、このところは推薦で合格が決まっている生徒しか登校してこない。今頃、由香や葉子も私立受験に向けて最後の追い込みをしているだろう。 「早野は宝条大の推薦だったっけ」 「はい」 私の短い返事を聞き、藤木先生は特に感慨もなさそうに続けた。 「良かったな」 「そうでもないです」 突っ伏して机に額を押し付けると、すえた木の匂いが鼻をついた。まとわりつくような湿気で、額に触れる机は湿っている。 「どうして?」 私の返事が意外だったのか、藤木先生が首を傾げた。 「別に、私は宝条大が第一志望じゃないですから」 「そうなのか」 「受験してたら、もっと偏差値の高いところを受けていました」 「お前、少しくらい遠慮しろよ」 藤木先生は苦笑して、ぽりぽりと鼻の頭を掻いた。何か言いにくいことがあるときの、彼の癖だった。 「恩師の母校にそれはないだろ」 「失礼しました」 「分かればよろしい」 藤木先生は私が一年の頃から数学を担当している。分かればよろしい、という口癖は、クラスの男子によく真似をされていた。 「先生」 「ん?」 「大学って、どんなところですか」 藤木先生が教室の隅に移動する。雨足が強くなってきたのか、窓を叩く雨の音がわっと大きくなった。窓のサッシに手をかけて、彼は口を開いた。 「楽しいところだよ」 「漠然としてます」 「高校の部活なんかより自由で、気楽な繋がりもある」 自由で気楽な――。 「サークル、ってやつですか」 「ああ」 「他には?」 「好きな授業を自分で選べる」 「つまらない授業しかなかったら?」 「それはロクな大学じゃない」 気取っているようで、嫌味な印象を感じさせない人だった。こうやって、軽口を言おうとして語尾に混じる彼の照れ臭さみたいなものが、私は好きだ。 「そういえば」 「はい」 「二組の小野とはうまくいってるのか」 「知ってたんですか」 「教師の情報網を舐めるなよ」 それって答えなきゃいけないことですか? と私が尋ねると、彼は黙って首を振った。そのいかにも申し訳なさそうな表情に気を良くして、私は彼の質問に答えてあげた。 「もう別れました。受験で忙しかったので」 「――理由はそれだけ?」 彼の質問には答えず、私は立ち上がった。ぎぎ、と椅子が床を擦る音がした。 「どこに行くんだ」 「校内を見て回ろうと思います。もう見納めなので」 彼が薄く開いていた窓を閉め、鍵をかける。私たちは二人並んで教室を後にした。 *** 高校二年の、夏休みのことだった。 私は、藤木先生が開いていた夏期講習を受けるため、休日の学校にいた。教室には私と藤木先生の二人きりで、これから昼食を摂ろうというところだった。机の上で包みを開き、母親に作ってもらった鮭のおにぎりを頬張る。 水筒に手を伸ばしたとき、教壇でお弁当を広げた藤木先生が尋ねてきた。 「そうそう。訊こうと思ってたんだけど」 「私ですか?」 俺とお前しかいないだろ、と藤木先生が苦笑する。汗が額を流れて鼻筋に滑った。 半袖のシャツを羽織った彼は、嫌味なくらい涼しげな顔で質問を続けた。 「昨日から佐藤と石田が来てないけど、どうかしたのか」 「……ああ、聞いてませんか」 「ん?」 「夏期講習、出るのやめたそうです」 「どうして」 「先生の教え方が下手だから」 藤木先生の箸が卵焼きを取り落とした。そして、「そういうのはもう少しオブラートに包んでくれよ」と彼はうろたえた。 「嘘ですよ。まあ、単に私たちの折り合いが悪くなって」 「折り合いって、早野と?」 「ええ」 「何かあったのか」 それほど興味がある風でもなく、藤木先生は再び卵焼きのキャッチを試みる。 私はおにぎりを包んでいた風呂敷をたたんで、鞄に仕舞った。 「じゃあ、先生にも分かるように話しますね」 「よろしく」 「佐藤さんと石田さんには、嫌いな女子生徒がいるそうです。性格が暗くて、クラス運営にも非協力的。だけど、私は彼女と会ったことがないので、どんな人なのか知りません」 「うん」 「夏期講習の休憩時間に、二人はその女子生徒の悪口を言い始めます。私が黙って聞いていると、『早野さんもそう思うでしょう』と同意を求めてきました」 卵焼きが藤木先生の口に吸い込まれる。ぱくり。 「昔から私、そういうの、嫌いなんです」 否定も肯定もせず、藤木先生は曖昧に頷いた。へんに親身な教師を演じないところは、この人の良いところだ。新聞の社会欄を眺めるような無関心さで、彼はお弁当と私の顔を何度か往復した。 「いいんじゃないの。好きでも、嫌いでも」 「たぶん、私の悪いところは、それを口に出しちゃうことです」 それでも人間、心の根は変わらないもので、私は中学の時から何度か似たような経験をしている。そして、そういう時の自分が驚くほど不器用なことも知っている。 私が黙っていると、藤木先生は不思議なカタカナ用語を口にした。 「そういうコケティッシュな話し方、やめた方がいいんじゃないの」 「なんですか? そのティッシュって」 「背伸びしてるってこと」 藤木先生は椅子に座ったまま、「まだ子供なんだからそんなに強がるなよ」と言って、私の顔に箸を向けた。示し合わせたように汗が頬を伝い、顎先から落ちる。 「じゃあこれからは正直になります」 「分かればよろしい」 「というわけで、暑いから今日はお開きにしません?」 正直に思っていたことを話すと、藤木先生は乾いた笑い声を上げた。 「別にいいよ。どうせ待ってても、早野一人みたいだし」 アイスを奢ってくれると藤木先生が言うので、私はその日、初めて彼の車に乗った。 私はバニラ、彼は抹茶のアイスを選んだ。食べ終えてから抹茶も試したくなったので、運転席の彼に顔を近づけてみた。試すほどのものではなかったと、後で後悔した。 *** 一階に降りる。保健室の前を通り過ぎ、特別棟に続く渡り廊下に出た。こん、こん、と足元の木板が音を立てた。 「雨の日には滑るんですよね、ここ」 「この廊下は雨が直接入ってくるからなあ。来月の職員会議で言っておくよ」 四月になり、私がこの学校を去っても、藤木先生はこの場所で数学を教え続ける。そのことが、私にはなんだか不思議だった。 「学校って、水槽みたいだと思いませんか」 「水槽?」 「定期的に中身を入れ替えて、古くなってきた水は捨てる。変わらないのは学校っていう器だけ」 静かな渡り廊下の中心で、地面に落ちるわずかな雨音だけが、浮き上がって聴こえる。私の主張をしばらく吟味してから、藤木先生は答えた。 「捨てる、って表現は感心しないな」 「そうですか?」 「そういう話し方、直した方がいいって言っただろ」 「たぶん私は――」 あっ、と声を上げた時には彼に右腕を掴まれていた。雨に濡れた木板に足を滑らせて、転びかけたところを支えてもらった。 「やっぱり危ない」 ため息をつくように彼は零した。渡り廊下のことを言っているのか、私のことを言っているのか、よく分からない口ぶりだった。 雨の匂いが鼻先を通り過ぎた。とくとくと脈を打っていた胸の音が、ゆっくりと一定のリズムに収束していく。 「たぶん私は――十八歳の私は、この場所にいつまでも残っている気がします」 ふいに彼が手を離した。そのことを、私はもう寂しいとは思わなかった。 「思い出として?」 「生霊みたいなものです」 「怖いな、それは」 そう言って、彼は困ったように笑った。潤んだこげ茶色の瞳と、笑ったとき頬にできる笑窪が、彼を実際の年齢より幼く見せている。 「寂しくなります」 「それは俺のセリフだよ」 偽りのない心から出た言葉に思えた。その自然さが、今はちょっと癪に障る。 「どの口が言うんですか」 「いや、つい」 幸せを手にした人間特有の気楽さで、彼は謝った。もうすぐ渡り廊下が終わる。 ……結局、先生にとって私は何だったんですか? 喉元まで出かけた言葉を飲み込み、私は特別棟に足を踏み入れた。 *** 十月に行われる秋の文化祭、美術部では作品の展示をしている。 運動部と違って明確な引退時期というものはないが、例年、三年生は文化祭を終えると部活に顔を出さなくなる。 文化祭期間中は、部員が交代で特別棟の美術室に待機する。見学者が来たところで何かするわけではないけれど、見張りは必要だというのが、顧問の立花先生の考えだった。 教室の隅にある椅子に腰を下ろして、私はその日、一人で退屈を持て余していた。 がらがら、と音を立てて教室の扉が開いた。グレーの背広を着た藤木先生は、私の姿を認めて軽く会釈した。 「へえ、これはまた」 「こんにちは」 ゆっくりとした足取りで、彼は私たちの作品を見て回った。 「これ、早野が作ったのか」 三年最後の文化祭のために、私は石膏で作った彫刻を展示していた。作品の載せられた机の上に、『早野麻衣』と書かれた白いプレートが置かれている。 「上手いもんだなあ」 「三年間やってましたから」 彼は少し思案したように俯いてから、顔を上げた。私をじっと見つめる。 「もう早野が三年か」 「久々に会った親戚の子みたいに言わないでください」 「微分積分、分かったか?」 「おかげさまで」 高校二年の夏休み、数学の成績が振るわない生徒たちのために、藤木先生は夏期講習をしてくれていた。まだその頃は、センター試験も受けるつもりだった。 「変動を細分化するのが微分で、その逆が積分です」 「ずいぶん観念的な理解の仕方だな」 「計算はつまらないから」 いつもそうするように、藤木先生は鼻の頭を掻いた。 「お前、少しくらい遠慮しろよ。いちおう俺が教えてるんだから」 「でも数学は好きです」 「それって矛盾しないの?」 「しません」 藤木先生は私の作品に近づくと、表面を撫でるように触れた。 「どこかで見たことのある手だな」 私が作った石膏は、人間の手首から先をかたどったものだ。 自分でもよくできていると思う。 「それに、どうしてチョークを握っているんだよ」 「三年間、ずっと見ていた手です」 彼の手が黒板に並べる文字を目で追い、毎日ノートに書き写した。数学教師のくせに、数式より日本語を書くのが上手い人だった。 「手にも、肖像権とかって発生するの?」 「知りません」 「早野が将来有名な芸術家になったら、これにも高い値段が付くかな」 「自分の才能が怖いです」 大学に行ったら美術からは離れるだろう。教員免許は取ろうと思っているけれど、もう美術はやらないつもりだった。 ふと目を上げると、彼がすぐそばで私を見下ろしていた。 「君は、つむじが時計回りなんだね」 藤木先生は私の耳元で囁くように言った。瞬間、背中に震えのようなものが走る。気が付くと、彼の唇が私の耳たぶに触れていた。 「誰かに見られてるかもしれないですよ」 「例えば?」 「顧問の先生がたまに様子を見に来るのは、自然なことだと思います」 「君は意地悪だね」 乱れたスカートの裾を伸ばして、私は彼から目を逸らした。本当に、立花先生がここに来てしまえばいいのに、と私は心の底から思った。 *** 渡り廊下を抜けて特別棟の階段を上がる。美術室の前で、藤木先生が立ち止まった。 「鍵はかかっていないみたいだよ」 がらがら、と懐かしい音を立てて教室の引き戸が開く。中からは粘土と溶剤の混じったような匂いがした。 「やっぱり薄暗い理科室とか美術室っていうのは、不気味なものだな」 「なんだか怖いので、抱きついてもいいですか?」 一瞬、居心地の悪い沈黙が二人の間をよぎった。 彼は困惑した様子で、私の表情を窺う。 「それは本気で?」 「冗談です」 安心したように、彼はため息をついた。 「早野は読めないよな」 「それって褒め言葉ですか」 「褒めてる」 「光栄です」 本当は分かっているくせに、彼はいつも分かっていないフリをする。こんな風にずるく立ち回るのが大人になるということなら、私はちょっと将来に幻滅してしまう。 「立花先生はお元気ですか」 「うん。ちょっと体調の悪いときもあるけど」 「予定日は」 「五月」 美術部の顧問である立花先生は、今は産休をとって休んでいる。もうすぐ藤木先生との子供が生まれるらしい。 視線を上げると、彼と目が合った。見つめ合うことが、口づけや抱擁より親密な行為になることもあれば、こんな風に痛みを伴うこともあるのだと、私は知った。 「楽しみですね」 「ああ」 目を逸らさずに見つめていると、彼の方から視線を泳がせた。私は屈んで彼の瞳を覗き込んでみる。その奥に見える微かな感情の揺れに気が付いて、私は得意になる。 吸い寄せられるように顔を近づけていくと、彼は明らかに顔をしかめた。手を伸ばして私の両肩を押し戻す。 「やめよう」 「本当に勝手な人」 「すまないと思っている」 こうやって謝られるのは、これで何回目だろう。 その度に私はこの人のことを許してしまう。 「最後までずるいんですね」 私が制服についた埃を摘まみながらそう言うと、彼は泣き笑いのような表情を浮かべた。これがこの人の手口なんだよね、と落胆しながら、彼が好きだと言った長い髪に触れる。 *** 初めて彼の部屋に行ったとき、きちんと室内が整理されていることに驚いた。 「すっきりしてますね」 潔癖で几帳面な男の人はよくいるけれど、ここまで生活感がない部屋というのも珍しい。本棚とベッド、目覚まし時計や鏡の載ったラック。普段使わない物はクローゼットの中にしまってあるのか、他に家具という家具は何もない。 「洗濯はどうしてるんですか」 「コインランドリー」 「料理は」 「コンビニ弁当が多いかな」 その割に、キッチンには洗い終えた皿がいくつか並んでいる。 「本棚とか見ちゃいますよ」 彼が小さな円卓を取り出して、四本の脚を広げた。ベッドの下にしまっていたらしい。とても収納上手である。もちろん彼ではなく、立花先生が。 「ファンタジー小説なんて読むんだ。意外」 「俺はたぶん、少量の水と小説があれば数週間は生きていける」 「死にますよ」 「それも本望だな」 だったら何で数学教師なんです? と尋ねて振り向くと、彼は円卓に置かれたカップに紅茶を注いでいた。相手が何を飲むかも聞かないところが彼らしい。 「学生時代は数学が得意だったんだ。好きと得意の不一致。早野と同じだよ」 「どういう意味ですか」 「文化祭で早野の作品を見てるとき、好きだって言ってたじゃないか。数学」 「そんなの、嘘ですよ」 カップに口を付けながら、私は続ける。 「それと、プライベートでも苗字で呼ぶのはやめてもらえますか」 「どうして?」 「距離を感じるから」 「そういうもの?」 「そういうものです」 彼だけの呼び名を与えられれば、自分が大勢の生徒の中の一人から『特別』になれる。そんな風に、私は信じていたのかもしれない。 「麻衣って呼べばいいのかな」 「ちょっとそれは」 「じゃあ、『君』でいいか」 「ああ、それくらいがちょうどいいですね」 恋人でも、生徒でもない。そんな居心地の良いところに、私はいつまでもいたかった。本当に、ただ、それだけだった。 ふと、カップを置いた彼が鼻の頭をかいた。何か言いたいらしい。 「なんですか」 「こっちに来なよ」 彼は立ち上がり、ダブルのベッドに後ろ手をついて座った。 私はおもむろに腰を上げる。最近伸ばし始めた髪を手で弄びながら、布団に倒れ込んだ。彼が見ていないのを確認して、枕の下に右手を差し込む。 自分に対する相手の気持ちが手に取るように分かってしまうのは、けっこう不幸なことかもしれない。そんなことは、最初から分かっていた。 *** 思い出の詰まった美術室を歩き回っていると、藤木先生に呼び止められた。 「そういえば、あれは?」 「あれって」 「石膏。文化祭で展示してた」 「準備室に飾ってありますよ」 美術準備室は、立花先生が普段待機している場所である。 「あれはよくできていた」 「自信作です」 男の手をかたどった彫刻のモデルに、立花先生は気付いただろうか。あの日彼の部屋に行ったとき、こっそり枕の下に挟んでおいた髪の毛のこともそうだ。 愛情は常に憎しみを内包している。私のささやかな報復について、立花先生は気付いているのだろうか。 「先生の手を見せてくれませんか」 彼が訝しげな顔をする。その様子がなんだか愛おしくて、「怖くないですよ」と子供をあやすように私は促した。 「いいけど」 おもむろに、机の上に彼の手が差し出された。細く長い指の先に、短く切り揃えられた爪が並んでいた。 「相変わらず、女の人みたいな手ですね」 手のひらの窪みを指でなぞりながら、私はじっと彼の手を見つめた。背広の袖口からは微かに煙草の匂いがした。 「やっぱり俺のせいなのか」 小さな声で彼は呟いた。質問というより、独り言のような言い方だった。 「何の話です?」 「君が小野くんと別れたことや、推薦で大学を受けたこと」 思わずため息が漏れてくる。この人は、本当に、どこまでお気楽なんだろう。 「うぬぼれないでください」 「そうだな」 「先生って、自分で思ってるほどカッコよくないですよ」 「そうか」 「気も利かないし」 最初から、ぜんぶ違っていた。 私が好きになる相手は、こんな人じゃない。他人の痛みが分かって、物事をいろいろな面から深く考えることができて、ここぞという時には決断力のある人だ。 優柔不断で、ずるくて、どんな時も自分の保身しか考えていない、こんな人じゃ――。 「おい、どうしたんだ急に……」 突然、まぶたが熱くなる。そのことに戸惑っていたら、頬を何かが滑り落ちていった。ちっとも寒くなんてないのに、震えが止まらない。わけの分からない感情が頭の中を駆け巡り、前歯がかちかちと鳴った。 「触らないで」 彼が肩に手をかけようとする前に、私はそれを振り払った。 前を見ると、彼は捨てられた子犬のような顔をしていた。 「テレビが言うには、私くらいの歳の子は、身近な大人に憧れる傾向があるそうです」 ぐちゃぐちゃになった言葉が、次々と頭の中で溢れては消える。 「だから、全然、こんな気持ちは特別でも何でもないんです」 「早野……」 一握りの楽しかった時間が、甘い感傷を伴って胸を突き上げる。懐かしさに息が詰まり、私は体中が穴だらけになってしまったような錯覚を覚えた。 彼と過ごした三年間を細分化していけば、それは忘れられない思い出に収束する。その逆に、切り取られた一瞬一瞬を積み重ねた結果が、今の私なんだ。 「後悔はしていません。先生を好きになったことも、一緒にいた時間も」 「すまなかった」 結局、最後まで私は謝られる側の人間だった。 私はお腹に力を込めて、ずっと言いたかった言葉を伝えることにした。 「分かればよろしい」 「……それは、俺の真似かい?」 「謝られる筋合いはないです。この浮気性。人でなし」 私は精一杯の強がりで彼を睨んだ。けれど、思いつめたような表情をしている彼を見ていると急におかしくなって、吹き出してしまった。涙と鼻水が同時に溢れて、顔がすごいことになっている気がした。 「もうどうでもいいです。勝手に、幸せになってください」 あと少ししたら、この寒い季節も終わるだろう。やがて訪れる春を愛でるように、私はあなたの未来を心から祝福する。私はもう、そうすることに決めたんだ。 あー、と子供みたいな声を上げて、私は窓の外に目をやった。絹糸のように細い雨が、いつまでもいつまでも、冬の空から降り注いでいた。 おしまい |
Phys
2015年09月14日(月) 22時42分37秒 公開 ■この作品の著作権はPhysさんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.1 うんこ太郎 評価:30点 ■2015-09-23 18:52 ID:NOq9WsWPkmc | |||||
読ませていただきました。上手に読みやすく書けていると思いました。まず、身も蓋もない感想からとなってしまいますが、投稿小説というのは難しいなと思います。長いものはなかなか読む気にならないし、短いと内容が不十分と感じてしまうからです。 先生と高校生の教え子の恋という、一般的には許容されない恋愛を、女子高生側からの視点で、さらっと書いていることは、良い点でも、悪い点でもあるのかと思います。悪い点として、藤木先生にとって教え子と関係を持つだけでも、おおごとのはずで、さらに立花先生という人があったのであれば、大きな葛藤が藤木先生にないはずはなく、それがきちんと描かれないのであれば、登場人物も、小説のなかに生まれる感情の揺れも、薄く、不十分な印象になってしまう気がします。一方で良い点としては、早野さんにとって、そのような葛藤すらどうでも良いものなのかもしれず、それが、高校生なのに先生と関係をもち、自分の毛を枕の下に隠してしまうような、大人びたような、短絡なような行為にも結びつき、妙に現代的な気もしてしまうのです。実際、早野さんの気持ちはよく書けていると思いました。 私としては、この作品は、例えば、四コマ漫画の一つのコマが抜け落ちてしまっているような印象です。Physさんの文章は読みやすいので、もっと丁寧に、長めの作品に挑戦してみても良いのではないかと思います。 ながながと書きましたが、楽しませていただきました。次回作も楽しみにしています。 |
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