少年の色
 この日、祐太は二学期から通う新しい小学校に来ていた。
 前回はこの学校への転入手続きで母親と一緒だったが、今日は一人。祐太は次に学校に行くのは九月の始業式だと思っていた。
 だが、新しい担任から奇妙な宿題を出されたせいで、学校に訪れるのを余儀なくされている。祐太は頭を悩ませていた。いっそ宿題を投げ出したい気分。でも、あとで転校初日から、「宿題忘れました」と言うのも恥ずかしい。だから先生にもう一度聞くことにしたのだ、「宿題の意味がわかりません」と。
 祐太の言葉を素直に受け取った先生は、少し困ったような顔をした。
「先生は、『これから祐太くんが住むこの町の景色を絵にかいてきて下さい』と言っただけですよ」
「そうだけど……」
 先生の宿題には他に約束ごとが一つあった。使っていい絵の具の色は赤、青、黄色に白と黒だけ。だから困ってしまったのだ。これでは家の庭にあるアサガオを描こうとしても葉っぱの緑色がない。近所にある海を描こうにも、泳いでいる人の肌を塗りつぶす色がない。たった五色だけでどうやって色分けしろというのだろう。
「これだけの色じゃ、ぜったい無理だよ」
 祐太が口を尖らせると、不安げな顔をしていた先生がくすくすと笑い始めた。
「ああ、そういうことね。ふふふ」
 祐太の顔が朱に染まった。何がおかしいのだ。恥ずかしいのを我慢して聞いたのにバカにされた気がして、祐太は頬を膨らませる。
「あはは、笑ってごめんなさい。先生の説明が悪かったようね。それじゃあヒントをあげましょう」
 そう言うと先生は祐太をある場所へと案内した。そこは二学期から祐太がお世話になる学校の教室だった。もちろん夏休みということで教室には誰もいない。中身が空っぽになった机が椅子と共にきれいに並んでいるだけだ。人気の無い教室を一望すると、先生は後ろの壁に並べて貼ってある絵を指で示した。
「ここに並んでる絵はね。先生が言った五種類の絵の具だけしか使っていないのよ」
 祐太は目を丸くした。画用紙の上には目がチカチカするくらい沢山の色が乗せられている。それらは指定された五色とは違う色だった。
「真ん中に男の子と女の子でボール遊びをしている絵があるでしょう。あの男の子が持っているボールは、赤と黄色を混ぜて作ったものです。こっちの女の子のリボンは赤と白。みんな五つの色のどれかとどれかを混ぜて、自分だけの新しい色を作っているのよ」
 しばし呆然とした祐太の信じられないような顔つきを見て、先生が目を細める。
「だまされたと思ってやってごらんなさい。きっとびっくりするわよ」
 先生は微笑みながら別れ際に、「祐太くんの絵を楽しみにしていますね」と言った。

 帰宅途中、白銀に輝いているねこやなぎを見ながら、本当にこんな色が出せるのかと祐太は訝しんだ。さえぎるもの一つない空と大地の間をとぼとぼと歩きながら、どうしたらいいのかなあと祐太は考え続けるはめになった。
 家に着いて自分の部屋に入ったあとも、祐太は疑問を続けていた。それでも一応机に向かい、画用紙を準備して水はけで表面を舐めあげる。次いで五色の絵の具を手に取って、その中から赤と黄色を筆ですくいパレットの上でくるくると回した。すると二色が渦を巻き、しばらくするとどちらも跡形もなく消えてしまった。残ったのはパレットに準備していない色。それは教室に飾ってあった絵に使われていたのと同じ、きれいなオレンジ色だった。
「すごい」
 祐太は思わずつぶやいた。先生の言うとおり、赤と黄色を混ぜたら本当に色が変わったのだ。何度か同じことを繰り返す。一つの色を作るにしても絵の具や水の量を変えるだけで、色やその濃さが微妙に違ってくる。色の世界はとても深いものだった。そして色をかさねていくうち、アサガオの葉っぱは黄色と青で作られていることがわかった。道路の色は白と黒。オレンジ色は白を多めに加えると、祐太の肌と同じ色になった。
 しかしもっとも大変だったのは色作りよりも、『何を描くか』だった。引っ越してきたばかりのこの町は、祐太にとって馴染みのない未知の世界だったからだ。前に住んでいた都会では、祐太の視界のほとんどは灰色で埋め尽くされていた。建物も似たりよったりで、同じ所を歩いているような錯覚さえ感じていた。 
 でも祐太が越してきたこの土地は違う。学校までの道は一本だけ。だから祐太は自分がどこにいるかすぐにわかる。日によって空の色も目まぐるしく変わる。天気の変わりやすい土地だと聞いてはいたが、空一つとってもこんなにも濃さが違うことに祐太は驚いていた。
 植物は毎日あざやかな色の花を咲かせ、さまざまな虫たちを寄りそわせる。すきとおっていた田んぼの水も、ひとたび雨が降ればにごって底が見えなくなる。
 ここに住み始めて自然にも色があり、表情があるのだと祐太は強く感じるようになっていた。
 もしかしたらこの世界は五つの色だけで作られているのかもしれない。それらが混ざり合うことで彼らは自分だけの色を手に入れる。そして季節とともにその色を変えていくのだ。
 ――沢山の色に包まれたこの町をもっと知りたい。
 夏休みも終わる頃になると、祐太はそんなことを思うようになっていた。
 最初は宿題のためにと描いていた絵が何十枚にもなり、祐太はすっかり色のとりこになった。二学期が待ち遠しかったのは言うまでもない。そして二学期が始まり、秋から冬を過ごし、何度も巡った季節はつねに祐太を新しい色で迎えてくれた。
 そしてまた、今年も夏がやってくる。

「じゃあ行ってくるね」
 台所の母親に向かって祐太は叫んだ。
「今日も暑くなるからちゃんと帽子かぶっていきなさい。水分取るのを忘れちゃだめよ」
「分かってるって」
 母親の言葉を耳に流し、祐太はサンダルをはいた。ここに来た時は真っ白だった腕も、今では見事な小麦色へと染まっている。
 祐太が歩くたびに、肩に掛けているバッグがガチャガチャと音を奏でた。中にあるのは絵筆と五色の絵の具。越してきてから五年がたち、新中学生になった今もなお、祐太はこの町の景色を描き続けていた。
 ――さあて、今日はどこへ行こうかなっと。
 歩きながら祐太は今日のスケッチ場所をどこにするか考える。耳をすませば神社のある方角からお囃子が聞こえてきた。この音を聞くだけで心が踊りだす。色とりどりの提灯が下げられる夏祭りはもうすぐだ。
 祐太は小さな水たまりを飛び越えた。お囃子に誘われるように、空に向かって、勇んで、高く。
 その足は神社の境内へと続く長い石段に向かいはじめていた。
弥生灯火
2015年07月26日(日) 11時28分17秒 公開
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No.4  弥生灯火  評価:--点  ■2015-08-19 22:18  ID:dPOM8su8lqs
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数年ぶりの感想ですか。ありがとうございます。
引き込むエピソードですか。参考になります。
私は書く作品によって文体や人称を変えることが多いので、次の作品がご期待に添えるかどうか分かりませんけど、精進したいと思います。
No.3  天祐  評価:20点  ■2015-08-19 00:18  ID:ArCJcwqQYRQ
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拝読しました。
丁寧な筆致ですね。好感が持てます。
お話を書く基礎的な技術は充分ですね。
あとはストーリー。読者をぐっと引き込むエピソードが欲しいです。
いまの絵描きかただと読者は傍観者です。
お話のなかに入り込みたいけどそこまで共感できる感情移入できるエピソードがない。
そこが、大きな伸び代かと。
余談ですが、私が誰かの作品に感想を書くのは数年ぶりです。
なぜそんな気になったかというと、拙作の雰囲気にかなり似ていたからです。
これからの作品が、楽しみです。

No.2  弥生灯火  評価:--点  ■2015-07-30 20:38  ID:dPOM8su8lqs
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昼野さんへ
感想ありがとうございます。
面白み、ですか。ご指摘感謝します。
No.1  昼野陽平  評価:20点  ■2015-07-30 18:06  ID:uQhiKmCHatg
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読ませていただきました。

僅かな色で様々な色彩をつくるという題材そのものは、なかなか良いかと思いました。文章も読みやすかったです。
ただ、いかんせん話に面白みを感じなかったというか。
面白みを出すには人それぞれ様々なやり方があると思います。作者さんなりの面白みを出すことに期待します。
自分からは以上です。
総レス数 4  合計 40

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