正義のもののふ |
『正義のもののふ』 通勤ラッシュはつらい。人は集団になればなるほど凶暴になる。私は電車の中でぎゅうぎゅうに詰められていた。背中に感じるやわらかい感触にちょっとした幸運に感謝する。今日は本当に運がいい。と、思った矢先、大声で泣く子供が現れた。激しい泣き声に耳を塞ぎたくなる。周りの人間もそろって嫌な顔をする。私は正義感で音がする方向に進もうとする。人ごみの中ではうまく進めない。私の周囲の人間はさらに嫌悪感を浮かべる。早く私がこの状況は打破しないと。それが私が正義によって与えられた使命。 ついに泣いている子供にたどり着く。ドアのすぐ近くの手すりに寄りかかっている。二、三歳の男の子のようだ。何が気に入らないのかは分からないが、全力でないている。母親らしき人物は見当たらない。 私は大きく息を吸い込み、叫ぶ。 「だめじゃあないか! 他の人の迷惑だぞ! 静かにしろ!」 男の子は泣き止み、大きく目を見開き、私を見つめる。その後、さらに大きい声で泣き出す。この糞ガキが。 「黙れといっているのが分からんのか!」 糞ガキは今度は何の反応もしないようだった。周囲を見ると怪訝そうな顔をしている。このままじゃ、他の人たちが可哀想だ。 私はこの糞ガキの頭を全力でぶったたきたい衝動にかられる。だが、私も社会人だ。大人気ないことはできない。だが、このままではいけないことは分かっている。どうにかしなければ。 私は気づいたら、男の子の口を手でふさいでいた。男の子は苦しそうにしているが、これも一つの訓練だ。我慢は大切だぞ。 後ろから肩を叩かれた。今度は何だ! 「あ、あの。こ、子供なんだから多めに見てあげましょうよ。お、大人気ないですよ」 制服を着た気弱そうな青年が私に話しかけた。 「て、手をどけてあげてください。く、苦しそうですよ」 この青少年は私がどういう思いをもって、この子供の口を閉ざしてやっているのか分かっていないようだ。 「社会を知らない小僧がえらそうな口をきくな! そのどもりをどうにかしてから出直して来い!」 私は厳しく言い放った瞬間、電車のアナウンスがなる。そんなものはどうでもいい。電車が駅で止まるならば、とりあえずこの子供を連れて降りなければならない。 背後から怒声がとぶ。 「ちょっとあんた! うちのタケシに何してんのよ! 離しなさいよ!」 母親か。どこに行っていたのだ。手が濡れているからトイレだろうか。厳しく注意してやらないと。私は子供の口を手で押さえたまま言う。 「この子供が泣き止まないのだ。他の人に迷惑だ。いったいどういう教育をしているんだ! 非常識だぞ!」 「そんなことはいいから離しなさいよ! うちのタケシから離れて!」 この女ヒステリックになってやがる。これだから女は嫌だ。 女が俺に掴みかかってくる。こんなに混雑しているのに、迷惑だとは思わんのか。ただでさえきつい電車の中を私たちから離れようとしている人たちのことも考えろ。 電車が停車し、揺れる。ドアが開く。私は、子供を連れて電車を降りる、俺にしがみついている女も連れて。たくさんの人に押され、バランスを崩す。俺は地面に手をつく。瞬間、思い切り尻を蹴り上げられる。 「いてぇ! 何しやがる!」 悠然と立つ一人の男がいた。 「クズが」 一言つぶやいて去っていく。激しい怒りを感じ、その背中をおいかける。奴は悪の権化だ。何の罪も無い人間の尻を蹴り、罵倒して何事も無かったかのように去っていく。許さない。許さないぞ。 私はほどなくして悪を見失った。それから、あの馬鹿な母子を探したが、見失った。悪を三人も逃してしまった。自己嫌悪する。 いつまでも悔やんでいても仕方ない。今日も国のため、社会のため一生懸命働こう。私は正義の忠実なしもべなのだから。 |
紫苑
2014年02月17日(月) 23時32分54秒 公開 ■この作品の著作権は紫苑さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.3 昼野陽平 評価:20点 ■2014-03-02 18:45 ID:NnWlvWxY886 | |||||
読ませていただきました。 テーマは良いなと思いました。 ただもうちょっと登場人物を暴れさせるといいかなと思います。 自分からは以上です。 |
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No.2 青海斗馬 評価:20点 ■2014-02-19 23:33 ID:BQAkycmOfIM | |||||
初めまして。新参者ではありますが、拝見させていただいたので感想を。 電車の中でよく見かける光景ですね。ここまで来ると、正義を振りかざす男性もある意味では怒鳴り散らす悪に見える。そう言ったところでしょうか。 ssとしてはちょうどいい長さですが、もう少し転の辺りで刺激があると楽しいかなと思いました。 稚拙な意見ですね。済みません。 |
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No.1 家達写六 評価:20点 ■2014-02-18 13:37 ID:0H/tY0Rvzkg | |||||
日常のよくある光景を大げさに取り上げ、ブラックなショートショートに仕上げる。狙いはよくわかるのですが、描写が全体的に淡々としているのと、主人公の行動が戯画化されすぎているせいで、ストーリーとしての面白みが薄かったように感じました。ただ、正義とは何かを深く考えるきっかけになるという点では、一定の意義があると思います。 | |||||
総レス数 3 合計 60点 |
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