そんな夜の独り言 |
私は小さな頃から見る夢で今でも見る夢が一つだけ有る。それは空を飛ぶ夢なのだが、その格好と云えば決してテレビヒーローの様な格好の良いものでは無く、表現するなら紐で吊るされた亀みたいなもので、いくら手足をジタバタさせて藻掻いてもヒーローの様には進まない。夢見判断の本によれば疲れていたり、不安が有る時に現れる夢らしいのだが、社会に出た今でも然して原因は想い当たらない。一度その事を二つ年上の姉に話した事が有るが、それは抑圧された性的夢の現れだと笑われたので、以後夢の事は誰にも話さない事にしている。 私の姉は音大を卒業後隣町の小学校で音楽を教えていて、私から見ると何処と云って秀でている処も無い女性なのだけれども、世間の目はそうでも無いらしい。家庭内で云うなら長女とゆう事も有り、小さな頃から父にも母にも何かと頼りにされていたし、教師に成った今では近所の人達迄姉を見る目が違って来ている。此処だけの話し、幼い頃一緒に立ちション便だってした事が有る姉が教壇に立ち、素知らぬ顔をして生徒に授業をしているかと想うと可笑しくて仕方無い。それに何と云っても不思議な事は男性にも姉は人気が有り、知人に限らず初対面の男性にだって人気が有るのだが、これは生まれ持った容姿と性格とのバランスなのだろうか?とも考えるのだが、鼻は低いし目だって垂れているし、スタイルの事を挙げるなら私だって負けていないつもりだ。なのに世の男性達は姉の何処を見ているのだろうか?と腹立たしくも成る。此処迄話すと私が姉を大嫌いなのだろうと想うかも知れないが、それは違う。血が繋がっているからと云えば身も蓋も無いのだが、結局の処は其処に落ち着く。小さい頃の姉は何に対しても私のお手本で、一番身近なライバルだった。一般的に個人差は有るだろうが、兄弟、姉妹を持つ者は大なり小なりそんな感情を持っていたのではないだろうか?小中高大と学校を卒業して成人を迎え、生きる為に働き、幾つかの恋愛を経験し結婚をする。その過程の中でいつしか競っていた気持ちが自身の内面へと向けられ、生活の中で受けた様々な経験が個人人格の形成に繋がって行く・・それが代々受け継がれ各家系の相に成り、俗に云う血ではないかと近頃想える様に成って来た。そう思い出すと不思議な物で、姉は私に似ているし、母にも似ている。容姿こそスレンダーとグラマーで異なってはいるが目の垂れ具合と云い鼻の形等、姉を責められた物でも無い。それに近頃、性格仕草迄似て来ているらしい・・これはやはり代々受け継がれて来た血の仕業だと恨めしくも想うが、今は家系の定めを受け入れようと二十七歳の私はほのぼのと想っている。 「佳美ッ!今朝私の歯ブラシ使ったでしょッ?」 私の姉である。 「毛先が潰れたから、ちょっと借りただけでしょ」 「何云ってるの。借りるなら借りると一言云うものでしょ?歯ブラシくらい買い置きしておきなさい。それに私の化粧水を使うのも止めなさい。本当にルーズなんだから」 姉はこのルーズとゆう言葉をよく使う。辞書で引くと[loose]ゆるい・だらしがない。と有るが、それは姉の主観で私には当て嵌まらないと思っているし、歯ブラシの件で云うなら合理的だと云って欲しい。しかし姉の云う道理が尤もな事も分かってはいるが、何かに付け線引きした様なきっちりした性格が私には受け入れられず、捻た考えに成ってしまう。確かに教職に就く人は何かしら信念とか拘りとかが有って、又それが無いと選ばれし聖職には就けないし、続けられないと想うのだが、姉の場合それが非常に細かい。家庭内ではもっと大らかで明るく有って欲しいものだと常々思うが、これも長女として育てられたその家系とゆうものなのだろうか・・・。 昔こんな事が有った。私が未だ幼稚園の頃、小学校から帰って来た姉と近くの公園でよく遊んだのだが、その日の姉は公園に居た同級生と遊び始め、幼い私は公園内の池の畔で一人遊びを始め出し、何かの拍子で池に落ちてしまった。お姉ちゃん助けてッ、お姉ちゃ〜んと助けを求める私に姉が気付き、友達と共に駆け寄って来たが水を呑み声に成らず、私が水面から消えかけた時姉は勢い良く池に入り私の手を取り浅瀬迄引き上げてくれた。幸い水を大量に呑む事も無く大事には至らなかったが、夕方帰宅した父に姉は小っ酷く怒られた。この頃からだろうか、姉は礼儀正しい正義感溢れる少女に変わった様な気がする。もしあの時、仮に姉が私を助けなかったとすると友達は姉を蔑み陰口を叩かれていただろうし、姉も自己嫌悪に陥りそれ以後の姉は大きく違っていただろう。その事件の事はこの歳に成っても一度も姉は口にした事が無いが、忘れてしまった訳でも無いと想っている。無意識の内に体が突き動かされ妹を助けただけ、と姉は結論付けているからなのだろうか?いつか姉に聞いてみたいと想っている。例えば私に妹が居て、事件から妹を助けたとする・・それを恩着せがましく幾つに成っても話すだろうか?私なら話さない。いつ迄も小さな頃の良い想い出として心の中で妹を応援しているに違いないし姉もそう想っている、と自分を慰めている。あの時水中から引き上げてくれた姉の暖かな手の温もりを私は今も忘れていないし、これからも一生忘れる事は無いだろう。 皆さん、貴方の心の中にはどんな想い出が仕舞われてますか? 昔母がこんな事を云っていた。祖父は町の行事に等に招かれたりする偉い軍人さんで、祖母は現代でも名の知られる士族の出らしい。祖父は軍事を退くと現在の高台に土地を購入し、祖母と子供達を連れ辺鄙な場所に移り住んだらしい。住み始めた当時は草木が生茂りとても人の住めた状態では無かったらしいが、ご近所の手も借り開拓を進め、今では町が一望出来る一等地に成ってはいるが、当時は祖父と祖母の喧嘩の種で仲違いが絶えなかったらしい。そんな頑固な祖父と気丈な祖母の元で父は心身を鍛え、いつしか偉く無くとも名声が無くとも、只当たり前の人としてこの地で母と生きる事を決意したに違いない。と、今の私にはそう想える。そう考えると姉の性分は祖父と祖母に育てられた父の影響で、それが家の家系なのだと恨めしく想う。どちらかと云えば姉は祖母の血を引き私は祖父似の様で、近頃煩わしい世間の柵から逃れのんびり暮らしたいと想う事がよく有る。例えば人里離れた農村で家畜を飼育し野菜を作り、時偶好きな絵を描き町の画廊で収入を得る。これが現実なら何と素晴しい人生だろかと想うが、現状は小さなデザイン会社で事務兼アシスタントを受け持っている。月末にも成ると取引先の支払いやら給料計算、それに締切間近の企画書等体が二つ有っても足りない日が続く。だが学生時代から目指していた職業にも陰ながら携わる事が出来たし、人並みの生活も送れているから私の小さなプライドも細やかながら充たされている。強いて云うならいつしかこんな私にも恋心を抱いてくれる変わり者が現れ、この平凡な生活から連れ出してはくれないかと未だ淡い乙女心は息衝いている。 皆さん、ここで一句。人里を離れて咲きし山桜・・・佳美。 「佳美!紀美子さん来られたわよ?」 「お母さん、上がって貰って」 この紀美子とゆうのは一つ年下の会社の唯一の同僚女性で入社当時から馬が合い、近所とゆう事も幸いし休みの日等はお互いの家を行き来する仲だ。幸か不幸か彼女は一人っ子で、悩みの有る時等は昼夜問わずワイン片手に尋ねて来て話し込む事も少なく無いのだが、話した通り、私は煩わしい事や柵が苦手で、彼女にとって良い相談相手かどうか不安に感じる時が有る。そんな時には苦しい時の姉頼み、書斎から姉を引っ張り出しアドバイスをして貰っている。姉の話しはいつも的確で、彼女に限らず私迄背筋を伸ばされる想いがする。そんな姉が居る事を彼女はいつも羨ましく云っているが私は返答に困ってしまう。彼女にしてみれば兄弟姉妹が居る人達が羨ましくて仕方無いのだろうが、居る者は居る者で其れ也の悩みが有る事も理解して貰いたい。 「佳美さん、ちょっと聞いてよ」 ・・・やっぱり始まった。母も心得たもので、二人分のグラスを紀美子に持たせている。 「どぅしたの、今日は?」 話しは今付合っている彼がデートの約束スッポカし、今朝釣り仲間と海へ出掛けてしまっていたと云う。過ぎた事は仕方がないと彼女は落ち着きを取り戻してはいるが、約束は一週間も前から決まっていたのに何故事前に知らせてくれなかったのかが許せないらしく、何より今朝携帯に彼女から連絡を入れなければそのままシカトされていた風だったと目を吊り上げる。男女間の事は姉には難問なので取り敢えず恋愛経験豊富な?私が答える事にする。姉の言葉を借りればその彼はルーズと云う他有り得ず、社会に出てからのルールからすると致命的で、会社で有れば始末書或いは謹慎物で有る。しかし恋愛感情が加わる交際とも成ると、相手との関係を優位に運びたい駆引きみたいなものが有ったり、それ以前喧嘩していてその腹癒せだったりと一概に判断出来ない。彼女には悪いが個人的な私の意見を打ちまければその恋は終わった、と成るが、彼の云い分を聞いてみない事には生半可な事は云えない。かといってここで彼女を甘やかす様な辻褄をこじつけた話をすると、これから始まるかも知れない様々な恋愛観を持つ男性との恋愛に対して頓珍漢な理解しか出来ないピーマン女が出来上がってしまう怖れが有るから、ここはグッと堪えて建前を宣おうとした時、母から聞き付けた姉が二番目の妹分のご機嫌伺いに部屋に入って来た。 「紀美ちゃん久しぶりじゃないの〜、元気にしてた?」 「それがお姉さん、ちょっと聞いてよ」 姉は話を聞き終わるなり駄目よそんな男、終わりにしなさい。と以前から筋道を立てて相談を受けていた姉が感情剥き出しに冷たく云い放った。私は引っ繰り返る程驚いたが、奇麗事を並べ立て様とした自分の本心を代弁してくれた様で、何か胸がスッとしたし少し恥ずかしく成った。結論として、後日当人同士で話し合いをする事に納まり呑みかけたワインもそこそこに夕方紀美子は帰って行った。 それから数日が過ぎた正午過ぎ、私は取引先へ締め切り間近の企画書を提出した後、近くの公園で弁当を食べ様とベンチに腰掛け、回りを見渡すと池の畔で何やら話しをしている紀美子と彼氏を見つけた。私は仲直りをして愛の一つも語り合っているのだろうと弁当の封を解き食べ始めた時、紀美子の罵声が聞こえ、立ち上がった彼は紀美子を池に突き落としてしまった。私は直ぐに二人の元へと駆け出したが、溺れかけている紀美子に薄笑いを浮かべその場から立ち去って行く彼の姿がもどかしい。私は紀美子を岸に助け上げると群がる公衆の目も気にせず彼の背中に向かって、このバカヤローと叫んでいた。紀美子はお姉さんの云う通りだったと声を張り上げ泣き崩れ、その後体調が優れないからと云って自宅に帰って行った。その夜、昼間の一件を姉に一部始終話したが、これからの彼女にとって必ず良い人生経験に成るだろうから、今はそっとして置いて上げようと優しい声でそう云った。その後、幼い頃私が池に落ちた時の事を聞こうとも想ったが、今は只妹を助けたかった一心な姉の衝動が痛い程よく理解出来、私にとっても幼い頃の淡い想い出として移り変わって行く事だろうと想えた。 皆さん、親友に対して本音で語り合っていますか? 「佳美さん、行きましょう!」 先週めでたく?二十八歳を迎えた私に、終業後町の居酒屋で同僚達が祝ってくれる事に成っている。とは云っても私を含めて四人の、細やかなそして暖かい誕生会で有る。そこの居酒屋のラーメンは個人的にも好きでよく利用していたが、女一人だからか何かと常連客に絡まれる事が続いたから最近足も遠離っていた。会社を出て県道を数分歩くと陸橋脇に味わいの有る古びた店が見え始め、軒先に吊るされた提灯の明かりが行く人々に寄っていけと誘いかけている。暖簾を潜ると厨房には、髭面の大将と未だ若い女将さん、それに常連客の赤茶けた面々が変わり無く揃っていて、カウンターには若いカップル達もチラホラ見えている。それを横目に何食わぬ顔で奥の部屋へと入って行き、二つ目の部屋で靴を脱ぎ畳の間に上がって座卓を囲むと、幹事の中村君が事前にオーダーしていた数種類の一品料理とアルコール類が並べられていて、次いで厨房からメインのキムチ鍋が運ばれて来ると乾杯の音頭と共に誕生会とゆう名を借りた呑兵衛達の暖かい宴が始まった。 九時を回った宴も酣の頃、今日の私はどうした事か酔いの回りが早い。これは誕生会を開いてくれた同僚の暖かな気持ちがそうさせているのだろうか?とも想えたが、他の三名も一様に出来上がっていて、中村君とチーフの吉永さんはクリエイター成る者の心構えによる世の中への影響に付いて議論を戦わせていて、紀美子はとゆうと彼との別れを想い出しているのかボロボロと涙を零しながら和やかに酎ハイを呑んでいる。それを見て一気に酔いが冷めてしまった私は、トイレを済ませた後少し風に吹かれ様と表に出掛けた時、敷居に足を躓き玄関先で醜態を晒す一歩手前、私の両肩をがっしりとした手が受け止めてくれた。惨めな姿に成っていただろう災難から助かったと顔を上げると、何とストライクゾーンど真ん中の苦み走った良い男で有る。私は小躍りでもしたく成る様な気持ちを抑え、丁重にお礼の言葉を並べ見惚れていると、早く中に入ろう?と歳の頃なら小学低学年だろうか、キリリとした顔立ちの少女が男性の傍らからそう云った。その後近くのカラオケ店で二次会を受け帰宅したのだが、ベッドに入ってもあの男性が忘れられない。これは世間で云う一目惚れか?と男性評には辛口の私がいつに無く浮ついている。しかし時既に遅し、その男性には娘が居た!と純情な乙女心を片隅に追いやりその夜は眠りに就いた。 皆さん、赤い糸が見えたのはいつですか? 公私共に順調な月明けを迎えた第二土曜日、春の兆しに誘われて久しぶりに姉と共に街の大型百貨店迄バスに揺られる。百貨店に着くと駐車場も店内も買物客でごった返していて、姉は三階の婦人服売り場で春先の普段着にとペイルカラーのセーターとそれに合わせたペンシルストライプのタイトスカートを黒か紺かで小一時間程迷った挙げ句、結局私の云った同彩色でライトグレーに決めてしまった。姉は仕事柄か服のコーディネートには余り関心が無く、思春期には大抵の女の子が読むファッション雑誌等には目も呉れず、ひたすら参考書片手に勉強机に向かっていたからだろうと想っている。私はとゆうと、姉が商品を吟味している間に前々から欲しかったLeeのブルージーンズを大枚叩いて一本買った。ジーンズと云えばリーバイスが王道だけれど、私はいつか雑誌で見た、どこか無骨なカーボーイ云々と謳うキャッチコピーを鮮明に覚えていて、今度ジーンズを買い替える時にはと、先月の誕生日を兼ね自分自身にプレゼントをした。それにどこか女性的で懐かしい響きの有るLeeとゆうブランド銘も私は気に入っている。それから姉とあれやこれやと店内を練り歩き、小腹も空いて来たので一階のハンバーガーショップでセットを頼み席に着こうとした時、奥の席に座っている子供連れの男性とバッタリ目が合ってしまった。 「!!」 「あッ!先日は・・・」 「あの時は酔ってしまっていて・・有り難うございました」 「いえ、お互い様ですよ」 姉が後ろから誰なのよぅ〜と、私の脇腹を突っ突く。 「あッ!私の姉です」 「そうですかぁお姉さんですか。良かったらご一緒しませんか?」 私は先日の事も有り丁重に断ろうとした時、又姉が突っ突く。 「えッえぇ」 姉は私の困惑した顔を横目にそそくさと席に着いてしまい、娘さんと楽しそうに話を始め出してしまった。 「すいません。折角の休日なのに」 「いえ、この子も嬉しいと想いますよ。住まいはこの近く何ですか?」 「バスで東へ三十分位の所です」 「そうですか、私も東部何ですよ」 それから他愛無い世間話をしながら届いたハンバーガーを食べ始めた時、姉と話していた娘がこんな事を云った。 「料理が下手だからいつもこぅなの。ねッ、叔父ちゃん?」 ???私は耳を疑った。・・・叔父ちゃん?娘じゃなかったのか?その男性は川瀬芳文といってリフォーム会社の営業をしている三十八歳で、休日には自営業を営んでいる姉夫婦の子供、栞ちゃんを預かっているとゆう事だった。誤解が解けた事で片隅に追いやっていた乙女心が一気に心の中を占領し、味気無かったハンバーガーも俄然旨味が増して来た。私は心の中で彼を文さんと呼ぶ事にしたが、顔は健さんに似ている。 「この後姪と五階のゲームセンターで遊んでから四時に此処を出ようと想っていますが、良かったら一緒に帰りませんか?」 私の顔は誰が見ても綻んでいる事は否めないだろうが、姉との予定が有るからと残念そうに断ろうとした時姉の指がお尻を突っ突く。 「えッ!ええ、喜んで」 「そうですか、では四時に地下東口駐車場で」 それから私達は席を立ち、店内の中央ロビーでベンチに腰を降ろした。 「ねぇ佳美、素敵な男性じゃないのぅ。いつ何処で知り合ったの?」 姉は本来陰の有るとか渋い男性は好まないのだが、この文さんは例外らしく興味津々な面持ちで尋ねて来る。 「じゃぁ何、居酒屋で酔っぱらっていた処を助けられたの?」 「そぅよ、何か文句有る?」姉は醜態を晒していた私に、よくも態度を変えずに声を掛けてくれたものだと有り難がっていたが、少し変わり者かも知れないわねと笑った。その後店内のアロマテラピーでマッサージを受け、四時十五分前に地下東駐車場に続くエスカレーターに乗り地下に降りると、栞ちゃん一人が待っていて姉を見る成り駆け寄って来た。どうやら子供の目から見てもスレンダーな姉は好感が持てるらしく、すると私はおばさん?なのだろうか・・・。 「叔父ちゃんは?」 姉が聞くと車で待っていると答え、姉の手を引き歩き始めると型の古い外車が私達の前で停車した。左座席には勿論文さんがハンドルを握り、栞ちゃんは姉の手を引き後部座席に乗り込んでしまったから私は仕方無く助手席に座った。文さんは出会った時の印象とは異なりとても気さくな人柄で、帰りの道中姉も私も楽しい時間を過ごす事が出来た。自宅に着いた別れ際、お姉ちゃん良かったね!またね、と栞ちゃんが私に手を振った・・・。 皆さん、子供の目は侮れませんね? この六月、姉は十二年付合った幼馴染みの彼と結婚をする。昨年暮れに高校の担任だった先生が仲人を引き受けてくれ厳かに結納の儀が取り交わされていて、その頃からだろうか、姉の顔は穏やかに変わった様な気がする。それは生涯共にする伴侶との揺るぎない心の絆が形と成り取り交わされた事で、確かな人生設計が持てた事に有るのだろうか・・私も妹として何かしら誇らしく肉親の一人として心から姉の門出を祝福したいと考えている。只一つ気がかりなのは、いつかこんな私もこの家から巣立って行き、これから年老いて行く両親の事を考えると私の身の振り方も慎重に成らざるを得なく成り、婚期も益々先の話しに成るだろうと予感しているのだが、こればかりは私一人の思惑ではどうにも成らない。姉の言葉を借りれば、こんな私にでも好意を抱いてくれる変わり者に期待を寄せるしか無い、と今は漠然と想っている。 近頃普段無口な父が何かに付け会話を持掛けて来る。母は姉の結婚が押迫り寂しく想えて来たからだろうと云っているが、女の子二人を授かった時から将来は二人でやって行こうな?と父は云っていたらしく、良い人が出来れば後の事は考えず貴方だけの幸せだけを考えなさい、と足踏みする私の心を母は後押ししてくれていた。 皆さん、両親とは子供を頼らないものなのですか? ゴールデンウィークも間近に迫った金曜日、仕事の区切りが付いた事も有り終業後紀美子を誘って例の居酒屋へ繰り出したが、店内は連休前の開放感からか空席待ちの列が出来ていて、それを見た私達はクルリと方向転換をして店を出様とした時、後方から聞き覚えの有る声がして私の足を立ち止まらせた。振り返ると若い女性連れの文さんが手を挙げ拱いている。私は同伴の女性にムッとしたが、和やかに作り笑いを浮かべ軽く会釈をした。 「良かったら一緒にどうですか?」 私は断ろうと手を左右に振り掛けた時、紀美子が私の脇腹を突っ突く。仕方無くテーブルに近付き相席の女性に理を入れると、余程信頼関係が出来上がっているのかその若い女性はニッコリと微笑み頷くだけで、何だか妙に癪に障る。私が奥に紀美子が通路側の席に着くと、その女性は立ち上がり給水器から二人分のコップに冷水を入れ私達の前に置き席に着いた。・・・駄目だ、勝ち目が無い、と私は心の中で呟き有り難うと伝え微笑んだ。その女性は小柄で清潔感の有る佇まいで、汚れの無い澄んだ瞳は私から見てもとても好感が持て、文さんの好みはこうゆう女性かと妙に納得している自分が居た。 「ご注文はお決まりに成りましたか?」 店員の女性に紀美子がラーメンとおでんを二人分にビールを注文仕終わると、文さんが妙な仕草を若い女性に始め出し、私は直ぐにその若い女性が難聴者だとゆう事に気が付いた。文さんの話しによるとその女性は会社の同僚事務員で、名前は篠崎薫と云い紀美子と同い年。幼少期に高熱に侵された事で聴覚を失い最近健常者との狭間で仕事を続ける事に限界を感じて相談を受けていたとゆう事だった。それを聞いて何だか嫉妬していた事が恥ずかしく想え、薫さんに向い頭を下げた。 「川瀬さん、これから篠崎さんと友達付き合いさせて貰っても良いでしょ?・・ねッ、薫さんも良いでしょ?」 「私もそうさせて下さい」 紀美子が云い終わると文さんが手話で伝え始め、彼女の瞳に一瞬光が射すと頬に涙が伝い出し、申し訳ない様な嬉しい様なクシャクシャな顔で精一杯微笑み、左掌を胸の前に右掌を垂直に立て額に持って行き何度も頭を下げた。 その夜私は布団の中で、人は生まれ持ったそれぞれの運命の中で生きている者なのだと今更ながらに痛感し、祖先から受け継がれた健康な身体に感謝しながら、不幸にも障害を背負った人達に対して恥ずかしく無い様人生を全うしようと心に誓い、心地良いアルコールの酔いが私の意識を遠ざけて行った。 皆さん、それぞれの運命を背負った中で、それぞれの今を謳歌したいものですね? ゴールデンウィークに入った二日目、以前から計画していた日帰り旅行に好天を予感させる日の出に見送られ、文さんの車に私達三人は乗り込んでいた。私は気の合う仲間と旅行に出掛けるのは大学の卒業旅行以来だが、車窓から飲食物片手に各地の風景を楽しむのも流れ行く絵画を見ている様でこれも又一興で有り、それが気心の知れた仲間なら尚更結構で有る。今回の旅行には、文さん、薫さん、紀美子と私の四人だけなのだが、つい先日迄文さんが一緒なら私も連れて行けと戯けた事を姉が宣っていたが、挙式間近の花嫁がと母に咎められ漸く諦めさせた一件が有った。この頃の姉は挙式が近いせいかどこか気も漫ろで、俗に云うマリッジブルーとゆうものなのだろうか?これも何事に対しても一心不乱に身を打込んで来た賜物かと不憫に想え、これから行く先々での一コマを写真に収め手土産話と共に姉を慰めてあげようかと想っている。私と紀美子はとゆうと帰宅してからの数時間を手話の習得に毎夜勤しんでいて、これを機会に篠崎さんとの交友をより深められる事が出来ればと考えていた。 車は小さな心地良い揺れと共に東回りに海岸線を走り、山間に入ると幾つかのトンネルと蛇行した道も軽快に通り過ぎ、南北に聳える山脈と長閑な田園風景がゆったりと車窓から流れ始めたかと想うと、山間に挟まれた川土手の国道沿いには新緑で彩られた渓谷が続き、眼下に流れる川はいつしか色鮮やかなコバルトブルーに姿を変えていた。車内では私と紀美子が手話で話しかけると篠崎さんは目を丸くして驚き礼を云うと、紀美子の提案で手話の尻取りが始まり皆童心の様に楽しみ始めた。 「さぁ着いたよ」 童謡を手話で楽しんでいた時文さんの目的地を告げる言葉が遮ると、車は明治維新立役者のR記念館に辿り着いていた。Rは歴史上登場する人物の中で私が最も好きな男性の一人だ。皆さんご存知の懐に手を入れ遥か彼方を見つめる写真は、いかにも土佐のいごっそうといった風貌で好きな写真の一枚だが、高校時代図書館で見た炯々と輝く目をした青年期の写真が私は今でも忘れられない。当時様々なメディアで偉人伝が取り上げられ、それをどこか冷めた想いで私は見ていたが、その写真を見る成り世に広まったRの人物像と客観的なギャップが一つに重なり、激動時代を疾風の如く生きたRの生き様を全て了解した想いを今でも覚えている。記念館は内状とは裏腹の近代的な造りに成っているが、フロアを通り館内へ入ると時代錯誤を覚えるかの様な古びたセットで、左手にはRが愛して止まなかった木造船に勇士達の蝋人形が遠くを見つめていて、今尚国の行く末を案じている様だ。右側には各部屋に仕切られた畳の間に当時の所持品が並べられ、より臨場感増して来る。特に目を引くのが姉に宛てたR直筆の手紙で、内容は兎も角色褪せた古紙に色濃く残る墨の色が時代に散ったRの無念さを訴えている様で妙に悲しい。私はR青年期の写真を今も忘れない。時代を超越し今尚輝きを放ち続ける存在感は、未来を見据えたRの生きる迫力に違いない。 皆さん、男の魅力って何なんでしょうね? 姉の門出を盛大に見送った六月も過ぎ、そろそろ蝉の声もちらほら聞こえ始めた今日この頃、最近父はめっきり老け込んだ様に想え、新聞を読む後ろ姿もどこか寂しい。姉が居なく成った事で近頃の私も何だか張り合いが無く成り煩わしかった小言も妙に懐かしい。そんな休日の朝、家に独り籠っていても気が滅入るばかりで市内の商店街にでも出掛けようかと身支度を整えた時、近頃聞いて無かった文さんからの着メロが鳴った。私は何とグットタイミングな事かと喜び勇んで通話ボタンを押したが、突然の仕事で栞ちゃんを今日一日預かって貰えないかとゆう内容のものだった。私は残念にも想ったが快く引き受け、市内に栞ちゃんを連れ立ち出掛ける事にした。暫くすると栞ちゃんを乗せた車は到着したが、砂煙を巻き上げ直ぐに見えなく成ってしまった。 「お姉ちゃん今日は一日よろしくお願いします」 「いいえ、こちらこそ」 姉が居なく成り姉妹の会話もすっかり無く成った今日、栞ちゃんの言葉も何だか心強く感じられ小心に成っている自分が何だか可笑しい。今想うと姉の小言も私の成長に必要なものだったのだなと、今更ながらに姉の影響を想い知る。 「お姉ちゃん、どぅしたの?」 「ん?何でもないわよ。栞ちゃん、今日はお姉ちゃんのお家で遊ぼうか?」 私はふと栞ちゃんと会話がしたく成り急遽予定を変更した。何故かとゆうとやはりそれは寂しいからで、街に出掛ける必要も無いと想えたからだった。 「お母さん、お客さんよ!」 「あら、可愛いお嬢さんねぇ。どちらの娘さん?」 「川瀬さんの姪の栞ちゃんよ」 「そう、しおりちゃんって言うの。ゆっくりしていってね?」 「はい、有り難うございます。どうぞお構い無く」 「まぁ、しっかりした娘さんねぇ。でもおばちゃんこの後お友達と出掛けないといけないからお姉ちゃんに何でも言ってね?じゃぁ佳美お願いよ」 「はいはい、行ってらっしゃい」 近頃の母は父とは違いよく出掛ける様に成った。それは手塩に掛けて育てて来た娘を嫁がせた事に有るのだろうか・・・母も又寂しいのだろうか・・・。 「お姉ちゃん、これ何?」 「それはねぇ、悪い夢を取ってくれるお守りなのよ?」 「へぇ〜。じゃぁこの網に悪い夢が引っ掛かるの?」 「そうよ」 「ふぅ〜ん。お姉ちゃんは悪い夢を見るの?」 「たまにね」 「どんな夢?」 「・・・空を飛ぶ夢よ。もがいてももがいても前に進まないの」 「ふぅ〜ん」 「何でだろうね?」 「・・・お姉ちゃんはお腹が空いてて力が出なかったんだよ、きっと」・・・姉は性的夢の現れだと言ったが栞ちゃんは空腹だったからだと云った・・・私は栞ちゃんの話を聞いて妙に納得してしまい、何だか永年重かった心も晴々としてしまった。 「栞ちゃん、ホットケーキでも作る?」 「うん」 台所でボールにミックス粉と玉子と牛乳を入れ掻き混ぜ始めると栞ちゃんは 私にこんな事を云った。 「ねぇ、お姉ちゃんは叔父ちゃんの事が好き?」 「どうしたの急に」 「嫌いなの?」 「・・・好きよ。さぁ焼くわよ!」 「は〜い」 夕方母が帰宅して夕食を作り始めた頃、表で文さんの車のクラクションが鳴り、可愛いギャングはアジトへと帰って行った。 皆さん、子供の視点とは時として優しいものですね? 学生達も心待ちにしていた夏休みを迎え、賑やかな朝から数日が経った土曜日、昨夜文さんから夕食の誘いを受けた私は自宅から市内の待合せ場所に向かってバスに揺られていた。近頃の文さんは仕事が忙しいせいか近況を尋ねる短いメールが時偶届くだけで私は少し不満に想っていた。待合せの市内中心地に在る駅脇のコンビニ前に立った時、眩しかった太陽も沈み西の空は茜色に変わっていた。暫く待つとビル角に在る駐車場から文さんが小さく手を上げながら小走りで掛けて来た。 「久しぶり。今日は遠い所有り難う」 「いいえ、嬉しいわ」 「じゃぁ店に行こうか」 文さんはそこから歩いて数分の繁華街中程に在る懐石料理屋に入ると、中居さんに案内され奥座敷の大きなテーブルを挟んで差し向いに腰を降ろした。少しの間静かな時間が流れ部屋の雰囲気にも慣れて来た頃、隣室からの笑い声を期に文さんが口を開きいつもの空気が流れ始めると私の心も居場所を見つけた。中居さん二人が懐石料理を持ちテーブルの中程に並べ置いた後鍋料理の蝋燭に火を灯し部屋を出て行った。 「佳美さん、今日の話しは他でもないんだ・・・僕と結婚して欲しい」 その後の事は上の空で殆ど覚えていない私なのだが、家迄送り届けてくれた文さんは両親に挨拶を済ませ帰って行き、左手薬指に輝く指輪としっかりしなさいと云う嬉しそうな母の言葉に私はそっと涙を拭った。 皆さん、最後迄付合ってくれてありがとう。これで私の独り言も無く成りそうです。 |
入谷緋色
2014年01月30日(木) 16時54分05秒 公開 ■この作品の著作権は入谷緋色さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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