現実 |
私はここからの景色が好きだ。誰もいない砂浜から望む、何者にも縛られない壮大な海。目を閉じれば、聞こえてくる。心休まる波音。風のささやき。 なにかあると私は必ずここにくる。親に怒られた時、部活で失敗した時、自分の将来に悩んだ時。自分だけの世界に入れる。結論はでなくてもすっきりする。そう、ここは私の部屋よりも大切な場所。 沖縄にいくつもある砂浜を全部みたわけではないが、ここが一番きれいだと思う30メートルもない砂浜だが他に何もない。海しか見えない。そこが気に入っている。いつかの台風で流れてきた流木を椅子にして海を見つめる。 ここは私の家から自転車で10分ぐらい。親にも兄弟にもいってない、自分だけの秘密の場所だ。いや、正確には私たち2人の秘密の場所。 しかし、彼女は夢の中でしか会えない。だが、夢にもかかわらず場所はいつも決まってこの砂浜。特に何をするでもなくずっと夕陽の海を眺めて2人で話す。夕陽は何時間も同じ位置を保ち、こない夜を待っている月が遠慮がちに遠くに見える。私たちを退屈させないためか波は時に大きく時に小さく音を変える。 彼女はいつも同じ格好でそれが少し私を安心させる。真っ白なワンピース、少しヒールのあるサンダル、つばの大きな帽子。ワンピースは夕陽に照らされて少しオレンジっぽく見える。一方私はいつも学生服。一年生から履いているズボンはおしりの部分が光沢をおび、10センチ近く伸びた身長のせいですこし丈が短い。白いスニーカーに白いワイシャツ。自慢の一張羅だ……自慢ではないな。 現実でも会えないかといつもの一張羅に身を包み、何回も足を運んでいる。だが、いっこうに現れてくれない。いつも期待して行ってしまうから、だれもいない砂浜は私をひどく落胆させる。 ひとりでみるいつもの景色は時間とともに表情を変える。夜は少しずつ、だが着実にせまってくるし月も輝きを強める。暗くなると海は不気味さをおび、波は恐怖を煽る。 あまり遅くなると親がうるさいため、暗くなるまえに帰る。 私はまだ15歳の中学生だ。そう、今年は受験の年。教室内は自然と受験生の雰囲気がでて、先生からも今年は大事、今年は大事。とクドいぐらい言われている。成績の優秀な者はとっくに受験モードにはいっているが、私といえば学校ではひとりで、家ではテレビと漫画を読みあさる。部活を引退した今、いままでなかなか無かった自由な時間は無駄に消費するだけになった。成績は中の上。この成績なら地元の高校には受かるだろうといっこうに勉強をしない。 地方の地域にはよくあることだが、中学卒業とともに働き始める者もいる。実家が漁師の者、農家の者、高校には行きたくない者。家庭の事情うんぬん。 まだ働きたくないと高校進学を希望しているが、母親から毎日のように言われる「勉強しなさい」と言う言葉に嫌気がさして就職も考えないわけではない。それに親だけが原因ではない。一年生のときから必死にがんばった部活の最後の大会で、格下の相手に負けた。一点差で。 敗因は私だけのせいではない。しかし、私のミスが失点に繋がったことはそこにいた誰が見ても明白だった。取られたものは、取り返せばいいものだがキャプテンの不調もありその日相手のゴールネットは揺れることはなかった。この試合をきにチームメイトからいじめられるようになった。いじめというほどではないが、無視される。これほどきれいに存在が消されるのかと感心してしまうぐらいにだ。 引退した今、部活の友達とかかわらなくても平気なのだが、いじめの主犯のひろが厄介な存在だ。チームのキャプテンでリーダー格の彼はいわば、この学年のトップに君臨する。 容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能。彼に従わない者はいない。仲間につけるとこれほど頼もしいやつはいないが、敵にまわすと生命力の強い外来種より厄介な存在だ。そんなひろとは小さい頃からの親友で、いわゆる幼なじみになる。昔から遊びと言えば、同じボールを追っかけていて最初はよきライバルであったが、いつの頃からか差が広がってきた。私自身ドリブルはひろには負けない自信があった。努力もした。しかし、後輩から言われた一言で私のいままで思っていた自信は木っ端みじんとなった。まるで陶器を落としてしまったように。「ひろさんのドリブル。だれも止められないですよ。」第三者から言われる意見は、私的な意見を含まないため説得力を増す。自身の最高傑作であった陶器が人に評価されず、よくよく見てみると駄作であったように、この落胆ぶりは計り知れない。 そのころからだろう。ひろと一緒に帰らなくなったのは。家も近所であるからいつも一緒に帰っていたが私の器が小さかったこともあり、一緒にいたくなかった。それもあってか、学校での部活以外の友達からも無視されはじめた。自業自得のところもある。無視だけなら耐えることはできたが、物がなくなるようになってからは、私自身、時に自分を抑えることができなくなることがあった。しかし、騒がない。悔しさを押し殺して家まで持ち帰る。両親にあたることはしなかった。いや、以前一回母親にひどいことをいってしまったとき、驚くと同時にすごく悲しい顔になったのをみてから、あたるのをやめた。やめる代わりに話さなくなった。反抗期とでも思ってくれたらいい。けしていじめられてるとは思われなければ。 そのころから彼女に出会うようになった。学校でも家でも話さない日々。私の唯一何も気にせず話せるのは彼女ただひとりだった。 いじめがエスカレートすると彼女にあう頻度も高くなった。私自身それを望んでいたし、彼女がいなかったら捌け口のないダムのようにいつか自分が崩壊してしまいそうだった。彼女が夢にでてきて目覚めると気持ちはすっきりし、なんとか一日を耐えることができた。 しかし、さすがにこればかりは耐えられなかった。朝学校に行くと黒板にはこれでもかと私を誹謗中傷した言葉が並べられ、机はゴミ箱をひっくり返されていて汚い。呆然と立ち尽くす私を見てにやにやするクラスメイト。何も考えられなかった。なにもかんじなかった。これは怒りを通りすぎておかしな域まできたのか、はたまたまったく違う次元のところにきてしまったのか。実に冷静に落ち着いていた。どうすることもできなかったので、先生が来るまで机のそばに立っていた。先生が到着すると一角だけひどく散らかった机とそのすぐそばに立つ私を見て驚き、黒板を見て察し、はあーとため息をつくと自習にすると言って私をつれて教室をでた。 私は先生は、先生だけは現実で私の味方になってくれると思っていた。しかし、その口から発せられたまるで私を悪者であるかのような言葉に、背中に痛いような痒いような、針でも刺したいような痛みが走った。そして、いままでのたまりにたまったストレスという名の水は一気にそして勢いよく流れ出した。その水は押されるがままに飛び出し、鉄砲水のようにまわりを圧倒し、やがて水はどす黒く津波のようになにもかものみ込み、恐怖を与えた。自分では止められなかった。もうどうにもならない荒れ狂った私が電池が切れるまで暴れまくる。人間ストレスを溜めすぎると最終的には自分自身を痛めつける。むやみやたらと壁や机、ドアを殴った両手は血だらけで冷静になるとひどく痛みを伴った。それからはよく覚えていない。母親が学校に来て抜け殻のような私をみて驚いていた。家にかえって部屋に閉じこもり眠った。彼女に逢いたかった。逢っていつものように話して少しでも私を、ストレスを楽にしてほしかった。静かに眠りにつく。 彼女はいつものかっこうでいつもの場所にいた。急いで駆け寄ると「どうしたの?」と優しく微笑んだ。私は赤子のようにえんえん泣き、彼女に甘えた。そして、いままであってきたいじめを話しこれではもう学校にはいけない、来年からどうしようかと話した。いっそのこと死んでしまいたいとまでいった。もうあっちの世界には戻りたくない。ずっとこの世界で2人でいたいといったが、彼女は優しく言った。「生きていればいいことあるよ。今回の件は時間が解決してくれる」と。 しかし、もう私は現実と向き合う勇気がなかった。弱音ばかりはき、いつ夢から覚めてしまうのかとおどおどしていた。 そんな時彼女が言った 「私はこの海が大好き。ここでこの海を見ることが唯一の楽しみだったの」 彼女がはじめて自分のことを話したときだった。 「私は昔、この近くに住んでいたのよ。あなたが生まれるずっと前」 それから彼女はゆっくりとそして優しく語り始めた。 「そのころは私も15歳、弟と妹がいたわ。2人ともとってもかわいくて、素直で私の自慢の兄弟だったの。そのときは戦争中だったから食べ物も少なくて外遊びもできなくて毎日逃げ回っていたわ。でもお母さんと私たち兄弟3人で厳しかったけどなんとか楽しく生きていけたの。 でも戦場はひどくなる一方だし、日本が負けてるのは目に見えていたからこのまま敵に捕まるか、どこかで4人で死ぬか母と話していたわ。父のことがあったから母は最後まで躊躇していたけど。 そんなとき私が近くの畑へ食材をとりにいっている間に空襲があったの。私は急いで戻ろうとしたけどもう次々に空から爆弾落とされるし、敵の兵士が見えたからとりあえずこの砂浜まで逃げたの。家族とはなにかあったときここで落ち合う話だったから。周りは草に囲われてて見えないし、そんな広いところじゃないでしょ。だからこの場所に集合って決めてたの。でもね、空襲がやんで何時間も待ったけど結局だれもこなかった。夜はすぐそこだしどこに敵の兵士がいるかわかんなかったからずっと隠れていたわ。朝になって家のほうを見にいったけどかろうじて家があったことがわかるぐらいであとはなにもなかった。泣いたわ。たくさん泣いた。家族を守るっていうお父さんとの約束も果たすことができなかったし、独りが何より辛かった。これからのこととか何も考えられなかった。何もよ。頭は現実を受け入れようとしてるんだけど、うまく働かなくてね。あと体がね。まったく力が入らないの。家もなくなり家族もいない、こんな世界に私は耐えることができなかった。 気づいたときにはこの砂浜にいたわ。時間の感覚もおかしくなっていたから、何時にここについてどのくらいいたのかわからなかった。でも夕陽がすごくきれいに見えたの。悲惨よね。こんなときでも夕陽だけはきれいに何事もなかったかのように堂々と私を癒すようにあったんだもん。そして私はゆっくりと夕陽のほうへ歩いたの。海は暖かくて温もりすらかんじたわ。そして私は……」 そこで彼女は話すのをやめた。私は聞き入ってしまっていた。学校の 授業やテレビ番組で聞いたり見たことはあったけれど、これほど生々しくこれほど身近に戦争をかんじたことはなかった。 傑作映画をみたあとの余韻に浸るように。なにかで体の中がいっぱいにつまる感覚。それに似ていた。 その後2人とも一言も話さなかった。 私は静かに目を覚ました。泣いていた。私の悩みや相談は彼女にとってひどく腹が立つものだったかもしれない。私の話が幼稚でそしてひどくくだらないものに感じられ人間の小ささを恥じた。 彼女に逢いたい。逢って言えなかったありがとうをいいたい。 ベッドから飛び起き靴も履かないまま飛び出した。あの場所へ向かった。時刻は午後5時、夕陽が一番よく見える時間。確信していた。今度こそ彼女に逢えると。全力で走っていたが部活を引退したいま衰えるばかりの体力にすぐわき腹が痛む。しかし、私はどんなに痛んでもけして立ち止まることはなかった。左のお腹を押さえついた浜辺にはもちろん彼女の姿はなかった。しかし、夕陽に照らされて染まる砂浜に彼女をかんじることができた。 海に向かって大きな声で叫んだ。「ありがとう」 何回も何回も。膝がつくぐらいまで海に入り最後にいった。ありがとう。 暴走事件のあとから私に対するいじめは少しずつだが少なくなった。時間はかかったけれど。ひろとも再び一緒に帰るようになり高校進学のために勉強もするようになった。 母にはあのときのことを謝り、もうこれからはこんなことはないと言った。 2人でよくあった浜辺にはいまでもよくいく。悩み相談はもちろん、いろんな報告にも。変わらないその風景だが、木の陰に小さなお墓を作った。小さなお花を4つ添えて。夢にはもう出てきてくれない。寂しいがもう大丈夫。ひとりで歩いていける。 完。 |
鯨
2013年12月18日(水) 23時58分13秒 公開 ■この作品の著作権は鯨さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.2 鯨 評価:--点 ■2014-01-16 21:23 ID:L/lGFAnz2lg | |||||
昼野洋平さん コメントありがとうございます。私のほとんどのものが駆け足になってしまうのです。勉強不足ですね。 ご指摘ありがとうございます! |
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No.1 昼野陽平 評価:30点 ■2014-01-10 16:17 ID:NnWlvWxY886 | |||||
なかなか良い話だなと思いましたが、ちょっと駆け足すぎるかなと。 もうちょっと一つ一つの要素を描写するといいかなと思います。 |
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総レス数 2 合計 30点 |
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