Chris -Part 1- |
1.The girl has hazel eyes 退役軍人全員に割のいい仕事を与えてくれるほど、アメリカの経済には余裕が無い。 空軍では輸送機のパイロットをしていた。物資や人員を目的地へ運ぶ、それだけだ。死体も大して見ちゃいないし、俺の身を案ずる女もいなかった。 職探しの為に求人誌を見ていると、丁度運送業の仕事に空きがあった。オフィスからの連絡を受けて、依頼品を目的地まで運ぶ。乗用する車は依頼によって異なる場合もあり、マニュアル操作は勿論、なるべく多くの乗り物を運転出来る事が条件ときた。大型飛行機まで操縦出来る俺にはうってつけの話だった。 面接代わりに運転技術を見たいと、郊外の山間へ呼び出された。待っていたのは新型のアウディと、ブルネットの女が一人。彼女を助手席に乗せ、黒光りする高級車を走らせる。曲がりくねった山道を猛スピードで飛ばした。頂上付近の展望台でUターンし、同じ道を更に早いスピードで下る。 「合格よ」元の地点へ戻ってくると、彼女はそう言った。 「どうも」エンジンを止め、俺は答えた。「仕事はいつからだ?」 「連絡するわ」 「分かった。……あんたはこれが仕事なのか? 男の隣に乗ってドライブするのが」 「普段はオペレーターよ。人事も請け負うの」 「なるほど。名前は?」 「ジャニスよ」 「よろしく、ジャニス」 握手を交わし、俺は車を降りた。 「しばらく、私が担当で運送の指示を出すわ」運転席へ移ったジャニスは言った。 「そりゃ楽しみだ」 彼女が去ると、俺は自分の乗ってきたレンタカーで帰路についた。 最初に運んだのは黒いアタッシュケースだった。ルールとして中身は見ない、質問もしない。その二つを厳守するよう達しがあった。依頼主が用意したそこそこ年代物のボルボに乗り、目的地へと向かった。 そこは市街地から少し外れた、人気の無いエリアだった。 「中を見たか?」シルバーのワーゲンから降りてきた受け取り主は、開口一番にそう訊いてきた。ノータイでグレーのスーツを着こなし、金縁のサングラスをかけ、ブロンドの髪を短く刈り揃えた男と、ブラックスーツの取り巻きが四人。ここまでベタベタな裏稼業の連中もいるのかと半ば呆れた。 「ケースをトランクに入れたのは依頼主で、俺は手も触れちゃいない。指紋取るか?」 ちょっとおどけて見せたが、そいつは二秒ほど睨んだだけだった。生真面目な奴だ。 「行け」部下にケースを取らせると、男は言った。 「依頼主に、あんたから代金を受け取るよう言われたんだが」 「口座に送ると伝えたはずだ」 「俺は知らない。どうすりゃいい?」 「てめぇで考えろ」よりにもよって、奴は腰から銃を取り出し、俺の額へ向けた。 「オーライ、オーライ! ちょっと待ってくれ、電話するから」真面目な上に気が短いときた。厄介な奴だよまったく。 俺は上着の内ポケットから携帯を取り出した。その動作に反応して部下も銃を取り出すもんだから、気が気じゃなかった。 「ほら……ただの携帯だ、NOKIAの。撃つなよ?」 リダイヤルを押し、耳に当てる。「……もしもし?」 〈商品は無事に渡ったか〉依頼主は言った。 「半分ってとこだ。支払いについて揉めてる」 〈代金を受け取れと言っただろう〉 「向こうのお偉方は、振り込み支払いの約束だと言ってる」 〈データは信用しない主義だと、奴には散々伝えたはずだ。キャッシュしか認めん〉 「やっぱり現金じゃなきゃダメだと」 「ふざけんなよ、てめぇ」男がうなった。 「おいおいおい、勘弁してくれよ」 「こっちのセリフだ、クソ野郎」 そこへ一台のベンツがやってきて、似たような格好をした黒髪の男が降りてきた。ただしシャツの色は赤で、金のネックレスをしていた。 「おい、お前誰だ?」赤シャツの男が言った。 「てめぇこそ誰だ?」 「……どうして俺の荷物を持ってる?」 「何言ってんだ。こいつは俺の商品だ」 「嘘つけ、中を確認してみろ」 男はアタッシュケースを開けた。俺からは蓋で遮られて、中身は見えなかった。 「……クソ」 「それ見ろ」 「持ってけ、紛らわしい」 奴は赤シャツの男にケースを渡した。 「こっちのセリフだ!」俺はわめくように言った。「あんたは現金支払いだよな?」 ……ホント、勘弁してくれ。 「おたく、どういう業界を相手にしてるんだ?」なんとか仕事を終えて帰宅した俺は、オフィスに電話をかけた。「リッチなギャングにしか見えなかったぞ。求人情報に書いとけよ」 〈書いたら広告載せてもらえないでしょう?〉電話の向こうで女が言った。 「今のとこ、電話じゃあんたとしか話してないが」グラスに注いだミネラルウォーターを飲んでから、一息置いて俺は訊いた。「社員は何人いるんだ?」 〈少ないわよ。狭い業界だから、人数は必要ない〉 「そうかい。オフィスの所在地も偽物だろう。行ってみたら税務署だったぞ」仕事を受けた俺も俺だが。 〈あなたは黙って荷物を運んでくれればそれでいいの。報酬、ちゃんと届いたでしょ〉 「死にかけた割には少なかったがな」 〈わがまま言わないの。なかなか出来る経験じゃないでしょう? ジェイソン・ステイサムみたいでかっこいいわよ〉 「銃見るのはもう飽きた。俺は飛び込み選手でもないし、マーシャルアーツも使えない。ただの退役兵だ」 〈いざという時に備えて、鍛えておく事ね〉 「言うだけなら簡単だ」 〈三五歳で退役……輸送業務にしては若いわね?〉 「視力が落ちただけだ。詮索しない主義じゃなかったのか?」 電話を切って、俺はシャワーを浴びた。背中に残ってた冷や汗の感覚が、排水溝に流れていった。 視力が下がったのは事実だ。 仕事を続けようと、個人的に矯正手術を受けた。しかしレーシック式は角膜を切除する為、軍ではICL式以外認められていなかった。時既に遅く、退役するかニュージャージーでUCAV(無人戦闘機)の操縦をするかの選択に迫られ、俺は軍を去った。テレビゲームみたいに画面の中で民間人を爆撃するのだ。そんな事をやっていれば、人として持つべき感情を失いそうに思えて恐ろしかった。 新しい仕事に関しては、もちろん毎回トラブルが起こるわけじゃなかった。基本的には依頼主も受け取り主もちょっと強面で、運ぶ物がおそらくはドラッグや銃なんかの危険物、もしくは札束だってところ以外、普通の運送業だった。 時には人を運ぶ事もあった。大抵若い男が目隠しをされて、口にはダクトテープ、手首には結束バンドという簡易SMプレイスタイルだ。後部座席に乗せるとムームー言ってやかましいから、鎮静剤を打ってトランクに突っ込む。多分、敵対組織の情報を吐かせる為に行う誘拐を専門にしている業者が存在するんだろう。何度か同じ顔を見た。 勿論そんな仕事を口笛吹きながらこなす事など出来ない。帰宅したらウィスキーを一瓶空け、朝方までテレビを見る。 ある日、同じように縛られて俺の前に突き出されたのは、まだ生理も来てないような少女だった。 「下院議員の娘だ。大事に扱ってくれ」依頼主の太った男は言った。 「ちょっと待ってくれ。どこぞの組織の人間なら、裏の世界だけでカタが付くから素直に運んだんだ。警察が絡むようなゴタゴタは避けたい」 事務所からの電話では、女としか聞かされていなかった。 「通報しないよう脅してある。当たり前の事だろうが」 「逆探知でもしてるのか?」 「俺の役割はさらうところまでだ。技術的な事は知らん」 「計画の全容も知らず加担したのか?」 「……」 バカなのかこいつは。 「他をあたってくれ」 「雇われの身で勝手に決めてんじゃねえぞ」 奴の内ポケットから銃が出てきた。また厄介な事になってきた。 相手の風貌が以前d@(4を向けてきた連中よりも劣るからか、いくらか冷静な俺は溜め息をついた。 「社を通して送る報酬とは別に一万。それで手を打とう」 「ふざけた事抜かしてんじゃねえぞ。報酬は身代金の中から出るんだ、一銭たりとも増額は出来ねえ」 「なら商品を失うまでだ」 車の助手席側のドアを開け、グローブボックスから銃を取り出し、俺は少女にそれを突きつけた。恐怖に震えた彼女は目隠しの間から涙を流した。 「おい待て! ……OK。五千でどうだ」 「身代金を増額すりゃいいだろう。九千」 「七五〇〇」 互いの対象に銃を突きつけたままの膠着状態が三〇秒ほど続いた。 「……警察が来ても、俺の事は知らせるな」そう言い、俺は銃のハンマーを戻した。 「分かった」 男が車に乗って去ると、俺は少女を後部座席に乗せた。 隣に座り、目隠しとダクトテープを外す。 「怖がらせて悪かった」 ハンカチで涙を拭ってやりながら言った。 「俺はただ金の為にこの仕事をしてる。人を傷付けるのは好きじゃない」 「でも、私を殺そうと――」 「あれは君じゃなく、奴を怖がらせたかっただけだ。弾は本当に撃つ時にしか装填しないし、まだ使った事も無い。全部そこに入ってる」そう言いながら、先程開けたグローブボックスを指差した。 「……これからどうするの?」 「まずは携帯を買う」 近くにあるコストコへ向かった。 駐車場に車を入れると、少女の結束バンドも外した。 「逃げないでくれよ。しばらくしたら、君をうちへ帰す」 「本当?」 「ああ。だが、仕事も大事だ。両方を成立させる為には、君の協力が必要だ。いいな?」 「うん」 親子のフリをしながら店に入る。まずは棚に並んだ使い捨ての携帯を手に取った。それともう二つ。 「それは何?」 「ここを出てすぐに使うものだ」 カモフラージュの為に、パンやスナックや飲み物もカートに入れて、レジへ向かった。 「これをあの黒いセダンの、後ろのナンバープレートにこっそり付けてきてくれ。ニューヨークのRMV 825だ。身を屈めて、かくれんぼするみたいに進むんだ」 駐車場へ戻りながら、購入した発信器を袋から取り出し、電源を入れて少女に渡した。彼女は素直に従い、すぐに俺の車へ戻ってきた。本当にかくれんぼしているように、楽しそうな表情だった。 「ちゃんと付けたか?」 「うん」 「OK。それじゃあ車に乗れ」 発車して少し進むと、やはり後ろからセダンが尾けてきた。確認の為に何度も角を曲がりながら、しばらく車を転がす。受信機の画面を見ると、やはり同じ道にセダンがいる。 「シートベルトを。ジュースこぼすなよ」 アクセルを踏み込み、車の列を縫うように走った。セダンも追ってくる。 少女は悲鳴を上げた。次々と迫りくる車を避け、歩道へ車輪を乗り上げる。歩行者が慌てて逃げた。 目に付いた脇道へ乗り入れ、更にスピードを上げた。 セダンはしつこく追ってきた。狭い路地を二台の黒い車体だけが疾駆し、時折そこを歩いていた浮浪者が驚いて飛び退く。 通りに出ると反対車線に入った。セダンも姿を現したが、左側から突っ込んできたタクシーに進行を阻まれた。衝突音が遥か後ろで微かに聞こえ、次の交差点を左折してからスピードを緩めた。受信機の画面に映ったマークは止まったままだ。 「何だったの?」少女が言った。 「分からん。君に関係ある事だけは確かだ」 「ちょっとこぼしちゃった」 「おい! ……報酬にクリーニング代も上乗せするか」 ポケットに入れている、自分の携帯が鳴った。 「もしもし?」 〈勝手な事をされては困る〉 受け取り主だ。 「あんたの部下か。尾行するぐらいなら、自分で商品を運んだらどうだ?」 〈リスクが低いに越した事はない。スーパーで何してた?〉 「食料調達だ。悪いか?」 〈通報してたんじゃないのか?〉 「警察と仲良く出来る商売じゃない。勘違いするな、俺は味方なんだ」 〈……引き続き別の部下を監視に付ける。逃げようなんて思わない事だ〉 返答する前に電話は切れた。「――お好きに」 「次はどうするの?」 「目的地をまだ言っていないから、指示が来るはずだ。もうしばらく、ドライブに付き合ってくれ」 「いいよ。……何かかけてもいい?」彼女はそう言いながら、身を乗り出してカーナビに手を伸ばした。 「ラジオで我慢してくれ。この車最近買ったばかりで、まだ音楽は入れてないんだ」 普段合わせているチャンネルが車内に流れる。 「……ジャズ?」 「いいだろ?」 彼女は首を振り、チャンネルを変えた。 「……ジャスティン・ビーバーか」 「ワン・ダイレクションも大好き」 「近頃の子供はみんなそれだな」 ローンで買ったクライスラーが、甲高い少年の歌声で満たされる。どうにも締まらないな。 「名前は?」少女に訊いた。 「アレンよ。あなたは?」 「規約で言っちゃいけない事になってる」 「先に訊いたのに、そんなのずるいわ」 確かに、フェアじゃない。 「クリス」俺は名前を言った。「クリス・ルーサーだ」 ……なんか変だな。 曲が変わり、日本語の――おそらくはアニメソングが流れる車内で俺は呟いた。 この少女を誘拐した連中の意図がどうにも腑に落ちなかった。 何故依頼料を支払って運び屋を雇う? しかもその金は身代金から出すときた。一切関わりの無いような相手と山分けするって事だ。 こいつは確実に裏がある。 「もしもし?」 オフィスへ電話をかけた。二回コールした後、すぐに相手が出た。 〈どうしたの?〉 「やぁジャニス。今回の報酬、いくらだった?」 〈三万よ。確認するような数字じゃないでしょう?〉 「身代金はいくらだ?」 〈待って〉キーボードを叩く音が微かに聞こえた。〈二〇万ね〉 「そうか」 〈何か引っ掛かるの?〉 「もしもの話だ。取引に失敗して、金が手に入らなかったら、報酬はどうなる?」 〈それはあなたの腕次第でしょぅ?〉 「人質が俺の手を離れ、受け取り主が取引をしている最中に想定外のトラブルが起こった場合だ。何も言ってなかったか?」 〈言っていなかったわ。……確かに、なんだか変ね〉 「金は二の次って事だ。人質の――アレン、お父さんの名前は何だ?」 「ジョセフ・コーマックよ」 「ありがとう。コーマック下院議員の経歴に、何か関わりはないか?」 〈過去の政治活動に重点を置いて調べてみるわ〉 「頼む」 〈……人質と交流を?〉 アレンとの会話に疑問を持ち、彼女は言った。 「話し相手がいれば退屈しないからな」 〈その曲は何?〉 「ラジオだ。もう切るぞ」 クスクス笑うジャニスの声が耳に残った。「……子供好きなのか」 まだ連中からの指示が来ていないので、車は市内をグルグル回っていた。無駄にガソリンを消費したくはないんだが、次の監視がどこに付いているかも分からないから、下手な行動は取れない。 「このまま帰っちゃえばいいのに」アレンは言った。 「また追手が来るぞ。今度は数を揃えてくるだろう」 一五分程経ち、ジャニスから調査結果が報告された。監視が迫ればすぐ分かるよう、立体駐車場の一階に駐車して電話に出た。 〈活動に関して特に問題は無いわね。裏の業界から支援を受けたわけでもないし、至ってクリーンよ〉 「じゃあ、思い過ごしだったか」 〈そうでもないみたい。去年の九月、代謝性肝疾患を患っていた娘のアレンが肝臓移植を受けてるの〉 「重病だったんだな」ルームミラーで、後部座席の彼女と目が合った。「それで?」 〈アレンとの関連があるという可能性も頭に置いて、今回の依頼主であるマフィアのリーダー、ルドルフ・ベックについても調べてみたの〉 「何か見つかったか」 〈彼にもアンジェラという一人娘がいて、胆道閉鎖症を患っていたわ〉 「こっちも先天性の重病か」 〈その通り。確認の為にUNOS(アメリカ臓器移植ネットワーク)のデータに侵入して、リストをチェックしてみたの〉 「結果は予想通りだったか?」 〈少し違うわね。リストにあったのはアレンの名前だけ。アンジェラは三歳の頃に死亡〉 「ともあれ、狙いは娘の復讐ってところか」 〈そうみたいね。どうする?〉 「依頼を受けた以上、報酬が支払われるまで仕事を放棄するつもりはない」 〈身代金を受け取っても、娘の命の保証はゼロよ。どちらもハッピーエンドに出来る?〉 「もちろん善処する」 電話を切ってすぐに、依頼主から着信が入った。 「待ってたぞ」 〈何故建物に隠れてる〉 「休憩中だ。外に停めると日差しがきつい」 〈ハドソン川の流れに沿って走れ。ある地点に辿り着いたら、また指示を出す〉 「了解した」 車を出すと、購入したプリペイド式の携帯にイヤホンマイクを取り付け、今度は警察へ電話をかけた。 〈こちら911〉 「ジョセフ・コーマック議員の誘拐事件について話したいんだが」 〈……何者だ?〉 やはり通報は済ませていたか。 「今回の件に関与させられた……運送業者だ。娘を運んでいる」 〈そこに人質がいるのか?〉 「ああ」 〈ちょっと待っていてくれ〉 少し間が空き、担当が変わった。 〈本件を担当している、ニューヨーク市警のサイモン・ロジャー警部だ。まず一つ、君に誘拐の意思があるのかどうか確認したい〉 「金で依頼を引き受けただけだ。誘拐の意思は無い」 〈何故こちらと連絡を取ろうと?〉 「娘の命が危ないという事が分かったからだ。おそらく目的は身代金じゃない」 〈どういう事だ?〉 「監視の目がある為、長くは話せない。今分かっている事と指示を出すから、メモを頼む」 〈分かった〉 俺は先程得た情報を、ソースは伏せて相手に伝えた。 〈となると、最初から娘を殺すつもりである可能性が高いのか。君に犯行の意思が無いのなら、近くの署へ来てもらえれば助かるんだが〉 「襲撃を受ける危険性がある為、それは避けたい。表向きは要求に従うつもりだ。今かけている携帯を基地局から追ってくれ」 〈分かった。一度議員に代わるから、娘の声を確認させてくれ〉 また少し間が空いた。 〈もしもし?〉 予想よりも少し若い、コーマック議員の声がした。アレンの歳を考えれば当然か。 「さっきも警部に伝えたんだが、長くは話せない。少しだけだ」 俺はコードに付いたマイクをアレンに向けた。「お父さんだ。何か言いたい事はあるか?」 「パパ大好き!」 「……これでいいか?」 〈無事なんだな。本当に良かった〉 「明るくていい子だ。安全に帰したい」 〈よろしく頼む。君は救世主だ〉 「いや、ただの運転手だ。警部に代わってくれ」 〈――私だ〉 「おそらくこの次に連絡を取る事は無い。追跡はバレないように頼む」 〈協力に感謝する〉 「一つ訊いていいか?」 〈何だ?〉 「俺は罪に問われるか?」 〈……相手に人質を引き渡せば、懲役は免れんだろう。私の携帯番号を教えるから、何かあったら知らせてくれ〉 指示通りハドソン川を左手に望みながら車を走らせる。依頼者からの電話が来た事で、俺達の間には軽い緊張感が生まれていた。俺が本当に味方なのか、それともやはり悪人の一人なのか。アレンの中ではそんな疑念が浮かんでいた。 「このまま私の事、悪い奴に渡すの?」彼女は言った。 「相手の出方次第だ。少しの間我慢してもらう事になるかも知れないが、ちゃんと家には帰す」 「本当?」 「両親の墓に誓うよ」 バックミラーの中の彼女は、眉間に皺を寄せた。 「あなたのパパとママ、死んじゃったの?」 「いいや、二人とも今年で七〇歳だ。いつ逝ってもいいように、ボストンにある墓を買ったのさ」 「空っぽのお墓なんかに誓わないでよ」 「まあ、心配するな。君は俺が守る」 今度はにやけ顔になった。「それってプロポーズ?」 「それじゃ俺の方が危ない奴だ」 「どうして?」 俺は溜め息をついた。「一五年経ってまだ俺を覚えてたら、また誰かに誘拐してもらえ」 再び電話がかかってきた。車を停めて応じる。 「もしもし?」 〈右手に貸し倉庫が見えるか?〉 言われた通り右を見てみる。倉庫やコンテナが並ぶ敷地が目に入った。 「ああ、あった」 〈七二番だ。そこで娘を待つ〉 「分かった」 ハンドルを切って車線を越え、敷地に乗り入れる。倉庫と倉庫の間に出来た道に人気は無く、後を尾ける車もいなかった。 歩く程度のスピードで、端から端までを縫うように進みながら、目的の倉庫を探す。 「七二……七二……どこだ?」 なんだか、自殺志願者が死に場所を探しているような気分だった。良いものではない。 一つだけシャッターの空いている倉庫があった。 「あそこ?」とアレン。 「多分な。怖いか?」当然だろう。 「ベック!」中に入り、声を上げた。 「こっちだ」 近づくと、シルバーのBMWの傍に声の主らしい男と、用心棒らしき大柄な男がいた。 「二人だけか」俺は廻りを見回した。「用心の為に、もっと大勢いるのかと」 「威圧感を与えてしまうんでな」ベックはアレンの方を見て微笑んだ。 「随分と優しいな」 「当然だ」 この時、俺の想像と相手の意思に、微妙な食い違いを覚えた。 「……調べはついてる。娘を殺したところで、あんたの娘は戻らんぞ」 「俺が殺す? この子を?」ベックは愉快そうに笑い声を上げ、それから沈んだ表情を見せた。「お前は勘違いをしているようだ」 「何がだ?」 彼は右手を上げ、指を順番に折った。「俺はコーマックに恨みを持ってる、これは正解だ。その原因は娘を奪われた事、これも事実だ」 「どこが違うんだ」 「考えてみろ」 アレンはこちらをまっすぐに見上げていた。そのヘーゼル色の瞳に、自分の顔が映る。 ベックの方へ視線を戻すと、彼もこちらを見据えていた。 「……奪われたってのは、そういう事なのか」 その瞳も同じ色である事に気付き、俺は愕然とした。 奴には、全てを奪われた。 そう言ったベックはこちらへ近づき、アレンの頭に手を置いた。 「アンジェラが俺達夫婦の娘ではない事に気付いたのは、一歳の誕生日を迎える少し前だった。どちらにも似ているところが見当たらなかった」 「確認したのか」 「唾液を検査にかけた。俺とも妻とも、一致しなかった」彼は手を動かし、ブロンドの髪をゆっくりと撫でた。「それでも俺は、娘を愛した」 アレンは、初めて知るその事実に対して何か言いたそうにしているが、言葉が出てこない様子だった。 「三歳で死んだそうだが」 「そうだ。肝疾患より、もっと悪い病気だった。そう気付いた頃には、治療も手遅れだった。妻は彼女の後を追い、睡眠薬を一瓶空けた」彼は片膝をつき、アレンと目線を合わせた。「この子の行方を追ったのはそれから二年後だった。妻と娘の両方を失うショックからは、しばらく立ち直れなかった。……多少無茶な手も使って、幾つかの病院から出産当時に生まれた子供のリストを手に入れ、調べを進めてゆくと、コーマックの名に辿り着いた」 「決め手は――」 「病名だ」 「やはりな」 ベックは立ち上がると、俺に指示した。「電話をかけろ」 「誰に?」 「調べがついたって事は、警察と連絡ぐらい取っている筈だ。コーマックとも話しただろう」 行動は大方お見通しのようだ。銃を突きつけられているわけでもないが、彼からは逆らえない気迫を感じた。 「理由は?」 「奴の口から、真実を言わせろ」 俺はプリペイドの方の携帯を取り出し、番号を押した。 しばらくコールが続く。 〈もしもし?〉ロジャー警部が出た。 「今どこにいる?」 〈君の近くだ〉 「娘の命が危ないと話したが……少し事情が変わってきた」 〈どういう事だ? 犯人はそこにいるのか〉 「ああ、奴と一緒だ。コーマック議員は?」 〈車に同乗してる〉 一人で来させろ。ベックが言った。 「こっちに来るよう伝えてくれ。一人で」 〈身代金の受け渡しか〉 「そんなところだ」 〈受け渡しそのものが目的ではないという事か?〉 「……言う通りにしてくれ。答えはすぐに分かる」 電話を切った。 「おそらくカメラかマイクを仕込んでくる」俺は言った。 「両方かも知れないな」とベック。 「いいのか?」 「目的は奴の罪を明らかにする事だ。好都合さ」 「マフィアの言葉とは思えないな」 ベックは下を向き、静かに笑った。「ただの仕事だ。男は誰だって、ヒーローになりたいと願いながら育つ」 彼は煙草を取り出し、口に咥えた。用心棒がライターの火を近付ける。 「なぜその仕事を?」 「一二歳の頃、両親を事故で失った。貧しい町で生まれた俺には他に身寄りも無く、裏稼業のファミリーに身を寄せ、稼ぐしかなかった」煙を吐き出し、彼はまた車の傍に戻り、ボンネットにもたれかかった。「自分の人生を守る為には、他人の命を奪う事も厭わぬようになった」 「この子をわざわざ誘拐したのは何故だ?」 「コーマックに自覚させる為だ。奪われる気持ちをな」 独身の俺にも、彼の話がこの件の動機に繋がるのは、自然な事のように思えた。 入口の方から足音がした。振り向くと、ブリーフケースを携えた男がいた。 「コーマックか?」俺は言った。 「そうだ。金を持ってきた」 ベックは煙草を捨て、靴の裏でもみ消し、人差し指でこちらへ来るよう示した。 「頼む、娘を返してくれ」 「無理な相談だ」彼は冷やかに言った。「事実を洗いざらい話せ。そしたら少しは考えよう」 コーマックの顔から脂汗が引き、代わりに血色が悪くなるのが分かった。 「何の事だ?」 「分かってる筈だ」 「パパ……」アレンが口を開いた。「本当の事なの?」 「概要は聞いた」俺は言った。 コーマックはブリーフケースを下に置いた。その手は細かく震えていた。自分の娘に罪を告白するという理由だけでの怯え方ではない。おそらく、警察が会話を聞いているんだろう。 「お前に選択肢は無い。早いか遅いかだ」とベック。 数秒の沈黙が流れた。 「……大事な時期だった!」コーマックは言った。「選挙運動の最中に子供が生まれた。寿命は数年も無いと宣告を受け、妻には肝臓の病気があるとしか伝えられなかった。……一番近くで活動を支えてくれていたからだ。余命を知れば娘へかかりきりになり、私の事は気にかけられなくなる。それで――」 「医師に、肝臓病で生まれた子供のリストを要求した」最後の言葉は俺が受け継いだ。 「ああ。……これでもう隠し事はない。娘を返してくれ。金もちゃんとある」 コーマックがアレンの方へ手を差し伸べると、彼女は一歩退いて距離を取った。 「アレン……」 「どっちが悪者なの?」彼女は涙を流した。「私はどうすればいいの?」 ベックは中空を見つめ、しばらくの間考えた。 「……悪人しかいない」彼は言った。「一方は正義を求めながら悪事を働き、一方は悪意を抱きながら善人を装う」 「この子にはあんたの血が流れていて、コーマックに育てられた」俺は言った。 「そうだ」彼はアレンの傍へ歩き、再びその頭に手を置いた。「正義を求める心を受け継ぎ、善人としての行いを見てきた。君はいつも正しい選択をするだろう」 「娘に触るな――」 「お前の娘じゃない!」コーマックの言葉に、ベックは怒鳴った。「それ以上、勝手な都合で、この子を振り回すな」 「振り回したのはどっちだ! そもそも誘拐などしなければ、アレンを混乱させる事はなかった。時期が来たらこの子にも、妻にも話そうと考えていたんだ」 「今がその時期だ。お前の背中を押してやった」ベックは吐き捨てるように言った。「自分から話して、俺に親権を譲るつもりでいたのか?」 「マフィアの娘にしようとは、考えていなかった」 「確かに俺は、この手で何人ものクズに落とし前をつけてきた」アレンの頭から離した手を、コーマックの方へ向けた。「だが生まれたばかりの子供の人生を奪おうとはしない」 ベックの言葉に、コーマックは反論を飲み込んだ。 「俺がマフィアなら……」彼はジャケットの中に手を入れた。「お前は悪魔だ。俺がこの子に付けようとしていた名前とは、正反対の存在だ」 「待て」俺は咄嗟に、彼の手を服の上から押さえて言った。「彼女の信頼を得たいんだろう。相手を殺した方が負けだ」 「言ったろう」ベックは食いしばった歯の間から言葉を漏らした。「俺は恨みを晴らしたいんだ」 「愛する者の為には、我慢も必要だ。そうだろ?」 「この件で、しばらくは塀の中だ。その間あいつが娘を引き取り、育てるのを我慢しろっていうのか」彼は手に力を込めた。「まっぴらだ」 「事実を告発すれば、コーマックも刑罰を受ける。あいつが引き取る事はない」 「となると誰の手に渡る? 奴の妻だ。話を聞く限り、入れ換えの事実を知らない。娘は知ってる。……どんな生活が待っていると思う?」 「おそらく妻も、薄々勘付いている筈だ」 ベックの息はどんどんと荒くなっていった。今まさに恨みを晴らせるというチャンスをふいにする事は、彼の中の正義が許さなかった。 「この子が安心して過ごせるのは、その身が実の父に渡った時だけだ。そう思わないか?」 彼は体を捻り、俺の手を振りほどいた。胸元のホルスターからベレッタが現れ、その銃口をコーマックへ向けた。 次の瞬間、二発の銃声が轟き、ベックの体から血が流れ出した。 「ボス!」用心棒が叫んだ。 見ると、コーマックは足元から取り出したデリンジャーを構えていた。 「……娘は絶対に渡さん」震える声で彼は言った。 「クソ野郎!」 用心棒はク―ガーを構え、彼に五発撃ち込んだ。 俺は、悲鳴を上げるアレンをこちらに振り向かせて抱きしめた。絶望的な状況だった。 「ニューヨーク市警だ!」ロジャー警部の声だ。大勢の警官と共に倉庫へ入ってきた。 「遅過ぎだ!」俺は彼に怒鳴った。「今まで何してた?」 「こんな事になってすまない。君が電話の男か」 「あんたらは何か起こらないと行動に移せないのか」 「コーマック氏に盗聴器を付けていた」ロジャーはそう明かした。「まさか彼が撃つとは」 「話は全部聞いたのか」 死体となった二人はストレッチャーに乗せられて運ばれ、用心棒は手錠をかけられていた。 「ああ、聞いた」ロジャーは近づいてきた部下に指示を出すと、髪を掻き上げて疲れた表情を見せた。「何が正義なのか、分からなくなるな」 「この子は誰に引き取られる?」 「やはりコーマックの家族という事になるが……事件の説明をしたり、彼女の意思が固まるのを待たなきゃならんからな、時間が必要だろう。しばらく、保護施設へ入れる事になると思う」 「施設なんて嫌」アレンは俺の腹に顔を埋めたまま、怯えた声で言った。 「本当の家族じゃないところへ、抵抗なく帰れるのなら、私達は何も心配しない」 ロジャーが言うと、彼女は首を振った。 「どうしたもんか」彼も首を振った。 「……クリスのとこがいい」とアレン。 「クリス?」 「俺の事だ」ロジャーには名乗っていなかった事を忘れていた。「仕事柄、家に帰る事が少ないんだ。育児は出来ない」 「ならやはり、嫌がるだろうが施設に――」 「いや……待て」一つだけアイデアが浮かんだ。「ちょっと、電話をかけていいか?」 報酬を受け取るまでが仕事だ。 警察の前で身代金の一部を抜き取る事など出来ず、この仕事は失敗したものだと思っていた。しかし数日後に口座の残高を確認すると、予定の報酬に二万ほど上乗せされた金額が振り込まれていた。 「どこから出た金だ?」ジャニスに訊いた。 〈なすべき事をした対価よ。ボーナスはあの子の為に使って〉 「なすべき事をした記憶が無い。依頼者は死に、娘を渡す事も出来なかった」 〈なら、報酬はいらないの?〉 「いや……」 〈依頼が来たわ。今から行ける?〉 「場所によるな」 〈どこにいる?〉 「実家だ。ウェストチェスター」 〈丁度いいわね。ロックランドで品物を受け取って、ハンプトンズへ送って欲しいの〉 「重さは?」 〈約一二〇〇グラム〉 「人間ではなさそうだ」 〈ナビの方へ座標を送るわ〉 「頼む」 電話を切り、ソファにかけていたジャケットを羽織った。 「仕事か?」テレビを見ていた父が言った。 「ああ」 キッチンから、焼き上がったマフィンを持って母が出てきた。 「あら、もう出かけるの?」 「悪い。いつも急に予定が入るんだ」 「気をつけて」 母の後について、エプロンを身に付けたアレンが出てきた。 「次はいつ来るの?」 残念、と書かれた顔でそう言う彼女に向かって、俺は膝を屈めた。「暇が出来たらいつでも。電話してこい」 「分かった」 「じゃあ、行ってくる」 頬にキスしたアレンの頭を撫で、トレーの上に乗ったマフィンを一つ取り、俺は次の仕事へ向かった。 |
TAKE
2013年12月08日(日) 12時10分44秒 公開 ■この作品の著作権はTAKEさんにあります。無断転載は禁止です。 |
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