万年筆で世界を終わらせる方法について |
*** 日が傾き始めた小学校の教室で、少女は放課後、読書に耽っていた。ペラリと、時折紙が擦れる柔らかな音が響く。やがて物語が終わり、融けるような澄んだ読後感に浸りながら顔を上げると、現実が突如として現れた。 「はあ……またやっちゃった」 彼女――群青(ぐんじょう)ソラは、物語に没頭し過ぎる余り時間を忘れ、気が付くと電気も点いていない教室で一人ぽつんといる状態になっていることがあった。帰宅が遅れると、母にまた叱られる。彼女は憂鬱な気持ちになる。 ずっと、本だけ読んでいられたらいいのに。 彼女はかっこいい主人公の冒険譚が好きだった。 ランドセルを背負うと、教卓の上にある花瓶に入った花がしおれかかっていることに気付いた。 群青ソラは、小学校低学年の頃から本の虫だったために友達は少なく、卑屈であったが、優しい子だった。 群青ソラは、花瓶の中に水が入っているかどうかを確かめるために手を伸ばす。触れた瞬間、花瓶は斜めになって重心を失い、くるりと半回転して――地面に落ちた。 「きゃっ」 やっちゃった――怒られる、怒られる怒られる……。どうして、自分はこんなにドジなのだろう。どうして、主人公のように格好よくなれないのだろう。あんなに、あんなに読んできたのに。 「あれ……」 頭を抱えていると、教室の入り口からこちらを覗いている男子がいた。 ――見られた。 群青ソラは、体を震わせ、頭を抱えながらも、その子と目を合わせることしかできない。自然と目の前が滲んでくる。 「まだ残ってたの? 早く帰りなさい」 廊下の奥から女性の声が聞こえる。教室の入り口に突っ立っている男子に向けてかけられた言葉だが、彼女はびくりと体をこわばらせる。なぜなら、彼女の担任の声だからだ。 「ん? どうしたの、〇〇くん」 担任が教室を覗く。瞬間、目を見開き、両手を口に当てて、みるみる間に顔を青ざめさせていた。もう、だめだ。 「だ、誰が花瓶を割ったの! これ、先生の大切なもらい物だって言ったでしょ!?」 呆然とする。私です、と群青ソラは言い出したかったが、喉が震えて声が出なかった。どうしよう、どうしよう――。 その時、男の子が口を開く。 「別にいーじゃん、また買えば」 「また、〇〇くんが悪さしたの!?」 「うっせー、ばーか」 担任の発狂する声が響く。何と言っているのかはもう聞き取れなかった。その男の子は、ちらりと群青ソラを見て、ウインクした。 彼女は呆然とする他ない。彼が自分を庇ったのだと気付くまでに時間を要した。 それに気付いた時、思い出したのは、本の中の主人公だった。 群青ソラにとって、それは衝撃だった。小説は、小説の中だけの話だと、そう思って――諦めていた。しかし、目の前に、主人公がいる。 ――私も、なりたい。 漠然と、そう思った。 いつの間にか、彼女は、正義の味方を目指していた。上手くいかないことも多かったが、昔よりかは、価値ある人間になれたと思う。 群青ソラは、未だ○○の名を思い出せない。 *** 「お前は一体何を考えてるんだ。もうちょっとしっかりしろ……頼むから。こっちも鍵がないと困るんだよ。ったく……」 担任の小林先生は、僕を見上げてため息をついた。七月の暑さに混じって、空気を揺らし、僕の頬を撫でた。 教員数百余名のこの高校は、職員室が他の学校に比べてまあまあ広いと思う。その職員室で、僕は叱られていた。正直ちょっと泣きそう。だって豆腐メンタルだもの。 図書室の鍵が無くなってしまったらしい。 僕はただ目を逸らすことに専念し、後ろで組んだ指で手悪戯をする。 「――と、もうこんな時間か。いいか、図書館の鍵が見つかるまで使用禁止だからな。それじゃあ、もう帰っていいぞ」 「はい、失礼しました」 一時間も拘束されちゃった。早く妹に原稿の感想を伝えないといけないのに。とりあえず心の中で、担任の髪の毛が一日一本ずつ生えなくなる呪いをかけておいた。 この高校の図書室は、図書委員が解錠し、所定の位置に鍵をかけることになっている。そして、放課後、最後の利用者がその鍵を職員室に返すのだ。 僕が昨日の、最後から二番目の利用者である。断じて最後ではない。最後は、ルナだ。 僕が二年三組に足を運ぶと、ルナが椅子の背を前にして、そこに顎を置き、面倒くさそうに雑誌をめくっていた。 ルナ・ラヴクリフト。生粋のイギリス人である。癖のある金髪がその特徴だ。両親の仕事の都合で、日本で生活している。日本生活は長いらしく、外見以外は本当、日本人らしい。だって、柿の種が好物だし……。今も、お徳用の透明なボトルが机の上に置いてある。たまに手を突っ込んでは取り出し、ぼりぼりと食べている。 「ルナ」 「ああ、有葉(あるは)っち。ちわっす」 常に半分閉じている眠そうな瞳が僕を捕らえる。噂によると一日最低十二時間は寝ないと物凄く機嫌が悪くなる。ナルコレプシーを名乗っているが、実際はただ寝たいだけの人である。理樹くんに謝れ。 「……何読んでるの?」 「言っても分からないと思いマスが」 中身が英語というところからして、もう僕には理解不能だ。恐らくは、論文誌なのだろう。彼女は物理と数学のエキスパートである。自らも論文を発表したことがあるらしい。正直、僕には全く想像できない世界だ。いわゆる天才少女なのである。そして、その影響か知らないが、制服の上にいつも白衣を羽織っていた。白衣があるから油断しているのか、ブラウスのボタンは結構大胆に開いている。 前に何で白衣を着ているか尋ねたことがあったが、「知と痴を外見で表現してみました」らしい。それから僕は転んだ拍子にブラウスの中に手が入ってしまわないかと、非常にたのし……危惧している。 「図書室の鍵、知らない?」 「……ああ、昨日のことデスか。いつものところにかかってなかったので、そのまま帰ったデス。忙しい身デスから」 「……そっか、分かった」 「図書委員の人がどこかへやってしまったんじゃないデスか?」 「だろうねー」 「…………いや、そうじゃなくて、そう先生に言いにいけばいいじゃないデスか」 考える。 先生に言いに行けば、図書委員の人が呼び出され、怒られるだろう。きっと、鍵を紛失してしまったことに本人は気付いているはず。反省もしているだろう。それなら、先生に怒られる必要はない。僕が怒られることで全てのカタはついたんだ。あとはこっそり鍵を戻しておいてくれればそれでいい。 「言いにはいかないよ」 そう言うと、ルナは不快さを含んだ視線を容赦なく投射してくる。 「……そういうところ、有葉っちはあるデスよね。自分が何とかすればそれでいい、みたいな」 「ああ、まあな」 生返事をする。別に考えを衝突させる必要なんてない。 僕は、正しい選択をする。困惑した時こそ理性的に、何がベストなのかを考える。その時持っている能力を最大限に活かして、その時できる最善の選択をしてきた。今回の選択も、正しい。 「それじゃ」 僕とルナの関係は普通のクラスメイトだ。そこまで仲良くもないため、話題を早々に切りあげる。ルナはあまり親しい友人を作らない。それは、忙しくて作れないのかもしれない。 「あ、有葉っち。妹ちゃんが来てたデスよ」 「撫子(なでしこ)が?」 僕の妹、橘撫子。一つ下の学年であり、僕と同じ高校の一年生である。がんばり屋で、勝ち気で、少し我が強いけど、純粋な、兄想いの良い子だ。背が小さく、少し顔に幼さが残っているけど、整っている。兄として鼻が高くなる自慢の妹である。可愛い。可愛過ぎない? ねえ、可愛過ぎませんかね? 「有葉っち、声に出てマス」 「あっ」 「…………シスコンなんデスね」 あー、たまんねえわその蔑む目。もうね、最高。思わず涙が出そうになるもの。 「あのね、確かに僕は妹を愛してるよ。でもね、シスコンじゃない。家族愛だよ。健全ですから」 「じゃあ、両親と妹さん、どっちを取り――」 「妹」 「…………」 元々半目がちな彼女の瞼がさらに水平になり、僕をじっとりと見つめる。僕はつい本音が出てしまった気まずさから話題を元に戻す。 「……それで、撫子は何だって?」 そう言えば、今日、一緒に帰る約束をしていた。それなのにわざわざ僕を訪ねるなんて。 ――まさか。またなのか。 「今日は一緒に帰れなくなったと言ってたデス」 「なん、だと……」 最近、彼女は僕と一緒に帰ってくれない。撫子はいつも、 『撫子、一緒に帰ろうぜ』『嫌よ』『…………』『……で、どこで待ち合わせ?』 という見事なツンデレで快諾してくれるのだが、最近はその快諾後に、急に予定が入ることが多い。委員会や仕事関係、友人と一緒に帰る――なら納得できる。涙を飲むけど納得できる。 しかし、一緒に帰っている相手は群青ソラさん。僕の隣のクラスで、蒼い瞳と長い睫毛が特徴的な、神秘的な印象を受ける少女。見る度に、いちいち仕草が一枚の絵画のように感じてしまう。いつも教室の隅で文庫本を読んでいるイメージがある。 撫子とは学年も違うし、特に接点らしい接点は確認できていない。友達とは判断しにくい。 普通ではない何かが起きているような予感がした。 「シスコンも行き過ぎると犯罪デスよ」 「あー、家族愛熱いわー。心温まるわー」 僕はごまかしつつ自分の席に着く。教室で撫子の書いた小説の原稿に全て目を通しておくことにした。 家に帰ると、すぐに撫子の部屋に行った。彼女が書いた原稿、『無能探偵タダヒト』の感想を伝えるためだ。 が、その前に。 「お兄ちゃんは撫子に大事な話があります」 「……何?」 彼女は回転椅子を回し、足を組み、ベッドに座っている僕を見下す。うわー、意味もなく不機嫌そうな撫子も素敵ー。 だがな、今日の兄は譲る気はないぞ。 「どうして急に群青さんと一緒に帰るようになったんですか。お兄ちゃんはとてもとても気になります。学校でも親しげな様子はないし。今まで全然接点もなかった。どうして突然こんな――」 「別にいいでしょ? 何? だめなの?」 視線が突き刺さる。 「あ、いや、ぜんじぇんいいです」 ……よし! 今日はもうこの話は終わり! 「で、有葉。感想は?」 一瞬で本題に入る。即物的な妹であった。 「……ん、まぁ、いいんじゃない、かな」 僕はA4の紙に印刷され、右上をダブルクリップで綴じられた百二十ページの原稿をベッドの上に置き、表紙を何ともなしに見つめた。 「何それ、何か適当じゃない? ちゃんと読んだ?」 疲れた目を癒そうと目頭を押している僕を見据えて軽く溜め息をつく。僕はそこから不機嫌度フェーズ三を感じ取り、冷や汗一瞬、言い訳を開始した。 「読んだ読んだ! 穴が開くくらいに読んだ。むしろ何で穴開かないのかなって不思議に思うくらいに読んだ」 撫子が目を細めて訝しむ。僕は俯き加減に目を逸らした。あれ、顔に汗が。どうしてかなぁ、この部屋エアコンついてて涼しいのになぁ。 「……つーか、あれじゃないっすかね。僕の意見なんか聞かなくても撫子には担当編集さんがいらっしゃるんですし……」 「別にいいでしょ? たくさんの人に読んでもらうのが大切なの。それとも私の話、つまらなかった?」 「そんなことないよ! もうね、撫子は天才。うん、本当、超おもしろかったから。アルティメット銀河おもしろかった。こんな小説書いちゃうなんて僕の妹は自慢の妹……です」 彼女は眉間にしわを寄せる。あ、聞こえたよ。お兄ちゃんには「あん?」っていう重低音が聞こえた。 撫子は栗色の髪を、ひまわりの飾りがついたゴムでおさげにしている。ツインテってだけでもう、ね。萌える。たぎる。お兄ちゃん満足。だけどこれを言うと二度としてくれそうにないので褒めたりしたことはない。 彼女は不機嫌になると胸元に垂れる髪を指とくるくると回すのが癖である。もちろん、今もその動作をしている。 僕はひやひやしながら彼女の顔色を窺うが、今は自分の原稿に視線を落としているようだった。「う〜ん、どこが駄目だったのかな」と唸っている。だからおもしろいって言ってるじゃないですか。兄への信頼\zero。 彼女は高校一年生にして小説家である。既に中二の時には新人賞を取ってデビューしていた。ミステリ作家なのだが、十代の読者へ向けて青春テイストのミステリを書いていて、それが割と売れている。バカ売れ、とまではいかないが、レーベル売上の二十位以内には入る。 その撫子なのだが、何故かたまにプロット(物語の大筋)を書いては僕の所へ持って来る。そして僕が一番おもしろそうと言った物語を書き、出来上がると必ず僕に読ませてくるのだった。そんなやり取りは、客観的に見れば微笑ましいのかもしれない。 しかし、僕には良いアドバイスをできる器量などないのだった。兄としては心苦しい。 「……もっと何か感想ないの? 有葉の思ったこと教えてよ」 撫子は、いつから僕のことを名前で呼ぶようになった。たまに、本当にたまに、機嫌が良い時に「お兄ちゃん」と呼んだりもする。 「そうだなぁ……この主人公タダヒトの無能っぷりはウケた。頼んだジュース買ってこれない辺り好き。コーラ頼んで紅茶って、ふふっ」 「そんなことはプロットの段階から分かってたでしょ?」 「あ、はい」 空気がとげとげしくなってきた。 「まぁ、うん、その……主観を排すれば面白かったぜ」 「…………」 ずい。 な、なんだろう。撫子が椅子から乗り出して僕を睨んでいる。 「そうじゃないわよ。私が求めてるのは有葉の感想。主観の感想なのよ」 主観か。そうなると、うん。ああなってしまいますよね。何とかオブラートに包んだ表現を脳内検索する。その間に僕の思考を悟ったのか、撫子が視線で釘を刺す。 短くため息をつく。仕方ない。正直に言おう。 「まあ、おもしろくなかった」 「はあ!? 掌返し過ぎよ!」 「まず、青春テイストなのに人が死に過ぎじゃない? タダヒトの兄が真犯人だったっていうのもいただけない。清水さんが犯人だと思ったら、そいつ兄に操られてたとか、そんなんアリなの?」 そう。本当は現地ガイドの清水さんが殺人犯だったのだ。しかし、それもタダヒト兄の精神的操作の結果。真犯人はタダヒト兄だった。衝撃の展開である。 「あれ? 有葉、『後期クイーン的問題』知らないの?」 知っているに決まっている。むしろ、知らないやつがいるのだろうか? 「王女様は三十代後半になるとエロくなる、みたいな話だろ?」 「ぜんっぜん違う!」 オーバーリアクション気味に頭を振った。おいおい顔赤くするなよ。初心だなぁ。 「おじいちゃんに習ったことあるでしょ? 簡単に言えば『犯人が操られてるだけで真犯人が別にいた』ってことに焦点を当てた問題のこと。論争になったのよ。逆に言えば論争になるくらいの常套手段ってこと」 「犯人とは別にそれを操ってる人が出てきてもアリってことか」 「そう。他には?」 「ん〜、そうだな。やっぱ無能なのに探偵って無理がある。それに出だしが暗くて物語に入りにくい。それと、やっぱ読後感がね。もっとスカッとする感じじゃないと」 「ミステリに爽快感を求めないでよ! 馬鹿!」 「だ、だって主観で感想言ってって言うから……」 涙目にならなくても……。 「……はあ。分かったわ。この話、担当さんにも止められてたのよね」 「じゃあなんで書いたんすか」 「…………」 そう言うと彼女は黙ってしまう。担当に止められていたのに書く理由。 僕が、彼女が持ってきたプロットの中で面白そうと言ったからだろう。 「なあ、撫子。あくまで僕の意見だ。そんな気にするなよ。僕より父さんや母さんの意見を聞いた方が参考になると思うぞ」 「…………」 なおも黙る。ショックを受けたように俯いてしまった。 何故、僕ばかりに作品を読ませ、その度にダメ出しをさせ、そのくせ落ち込むのだろう。 「誤字とか、その他細かい点は原稿に赤入れしといたから。総評も裏に書いてある」 僕が原稿を手渡すと、彼女はさっそく裏の総評を見る。 「分かった。…………馬鹿」 髪をくるくるといじり、覇気のない悪態をついた。 「はいはい。それじゃ、僕は部屋に戻るよ」 「……うん、分かった。また………………読んでね」 撫子は『読んでね』のタイミングで僕を一瞥する。睨まれるかと思ったが、その視線は単純に僕の様子を窺っているようだった。 僕は深くは考えず、そのまま部屋を後にしようとドアを開ける。 「有葉」 「? なんだい、妹よ」 僕のふざけた調子とは異なり、彼女はまるで告白するかのように体をこわばらせ、 「……小説、書いてよ」 と、言葉を絞り出した。 「………………………………………………………………………………………」 思わず三点リーダーを無駄使いしてしまった。 それくらいに、予想外の一言だった。 僕は数秒考えて、 「気が向いたらな」 そう言って僕は妹の部屋を後にした。 彼女はデビューしてから何作か僕が面白そうと言った話を書き、編集に無理を通して出版した。そしてその本は大体にして往々、売れなかった。 つまり、僕のアドバイスはまるで役に立たないのだ。 ――当然だ。 僕と撫子の姓は橘(たちばな)である。祖父は橘恒彦(つねひこ)。文学作品からエンターテインメントまで自由自在に書き連ね、本格SFからラブコメまで型なしの物語を作り、小学校低学年からお年寄りまでの心を掴んだ。世界中が知っている伝説の小説家である。 そんな僕のじいちゃんであるが、半年前に亡くなった。 僕の父と母は同じく小説家である。つまるところ、橘一家は全員小説家である。 ――否、僕以外は。 僕と撫子は生まれた時から本で遊び、時には本で殴り合い、そして本を読んで育った。同時に物書きとして祖父に育てられ、小学校高学年の頃には形だけの長編小説が書けるようになっていた。 明らかに僕は祖父に期待されていた。僕はいわゆる速筆家であったのだ。長編小説を月に三本コンスタントに書くことができる。妹からは「どれも似たような話だし、どこかで見た事あるような話。それにご都合主義過ぎる」と言われていたけど。 そして、年月が経ち――僕が中三、撫子が中二の時だった。 じいちゃんから指導を受けた後、撫子が「いいアイデアが思い付いた」と言った。僕もその時は、自信のあるアイデアを思い付いていたので、そう伝えた。 僕と撫子は、作品を書き終わり、別々の出版社の新人賞に応募した。 とんとん拍子で最終選考まで行き、僕等は喜んだ。 ――でも、ある日。 『盗作なんじゃないんですか?』 出版社からそう電話がかかってきた。二つの出版社に、同一の審査員がいたのだ。それによって、僕と撫子の作品は設定やキャラ、展開が似通っていることが明らかになった。 『ご家族らしいですね。どちらがどちらを盗作したんですか?』 もちろん僕も撫子も、盗作どころか、お互いがどんな物語を書いているかすら知らなかった。じいちゃんから同じ指導を受けていたからなのか、よく二人で話し合っていたからなのか分からないが、その時、僕と撫子は奇跡的に同じような作品を紡ぎ出していたのだ。 必死に考えた。これは、貴重なデビューの機会だ。 正直に本当のことを言う――それが真先に浮かんだ。しかし僕は却下する。下手をすると、二人共デビューできなくなるからだ。 慎重に、間違えないように、その時持てる全ての能力を使って、何度も考えた。 結果。 『僕が盗作しました。別にいいじゃないですか。まあ、バレたならしょうがないっすね』 僕が出版社にそう電話した。僕は選考対象外となり、撫子はデビューを決めた。 その日から、僕は小説を書いていない。 もちろん後悔はしていない。僕に後悔はありえない。 いつも注意して、冷静になって、最善だけを選んできたからだ。そうすれば必ず最良の結果が得られる。僕の選択は――正しかった。 だからこそ妹は、僕の希望の星なのである。 「やめやめ、気分が暗くなる」 僕はベッドから起き上がり、とりあえず机に向かってみる。 暇である。三年間、暇じゃない時がない。 何か熱意を注ぐものがあった方が健全だよなぁ。執筆をやめてから、僕は何にも打ち込むことがなかった。今だって帰宅部だし、勉強もやろうという気は起きないし、彼女だって作ろうと思わない。つ、作ろうと思わないからいないだけだかんねっ! 勘違いしないでよ! 「僕のツンデレとか誰得だよ……」 僕は鍵のかかった机を開け、中からB6サイズの縦書きのメモ帳を取り出した。開くと、そこには僕の考えた物語のネタがびっしりと書かれている。いわゆるネタ帳である。 「結局、僕にはこれしかないのかねぇ……」 僕は暇な時、こうやって自分の想像力に任せてネタ帳に書きなぐる。内容は世界観の設定であったり、キャラの決めセリフであったり、掛け合いであったり、とにかく思い付いたことをつれづれなるままに書き連ねるわけだ。 ああ、暇つぶしだ。そしてストレス解消だ。 結局はネタ止まり。僕はもう二度と小説を書くことはない。 ふと、思い出す。 『のう、有葉。ペン一本で世界を変えたいと思わんかね?』 これがじいちゃんの口癖だった。僕が執筆を止めてからも度々僕にそう言った。 そりゃあ、変えたいさ。 だけど、じいちゃん。僕はもう精一杯やったんだぜ。 別に盗作騒動だけが問題じゃない。あれがなくとも、僕は執筆をやめていた。 妹が二か月で一本小説を仕上げる間に、僕は六本書いていた。どれも自分では最高に面白いと思う傑作だ。一つでも、一文でも妥協したことがない。 新人賞に応募し続けた。……しかしまるで通らない。 誰も読んでくれない。誰もおもしろいと言ってくれない。 そんな小説は、この世にある意味がないんだよ。 せいぜい趣味、自己満足でとどめておくべきなんだ。 そして僕は自分のためだけに物語なんて書けやしない。小説一本、約十万字。熱意がないとそんな分量書けるはずがない。僕の熱意、それは『これを読んだ人に面白いと言ってもらいたい』、それだけに向いていた。 ああ、そう言えばじいちゃんはこんなことも言っていたっけ。 『百人がつまらないと言っても、たった一人が感動し、一生傍に置こうと思う小説を書きなさい』 ははっ。そんな小説が書けたらな。 僕はポケットサイズのネタ帳に何気なくじいちゃんの名言を書く。 が、しかし、 「あれ? ……インクがないのか」 文字が汚らしく擦れてしまう。ちなみに僕は万年筆を使っている。何故万年筆かというと、……まぁ、かっこいいからだ。 「…………」 他に理由はないよ? 机の一番上の引き出しを無造作に開ける。中に代えのインクがあったはずだ……が。 「ん……?」 見慣れぬ木箱が入っていた。縦十八センチ、横八センチ、高さ四センチ程の大きさ、さほど重くはなく、くんくんと嗅いでみるとヒノキの香りが森林を思い出させた。 何も書いていないので、とりあえず開けてみる。 「……万年筆、か? なかなか良さそうだな」 漆黒の光沢があり、まるで宝石のような模様が施してある。ウン十万としそうな高級感が漂っていた。それでいて非常に軽い。 ペン先の感じから、使われた後のようである。 じいちゃんのお古、かな? 何かの記念品とか。深味と貫録を感じさせる。 箱の底を見ると、何やら紙が折りたたまれて入っていた。さっそく開いてみる。 『にゃんぱすー! 有葉くん、元気かな? (のんのんが面白くて仕事が全然進みません。今日はもう四周もしています)有葉くんがこの手紙を読んでいる頃、多分お父さんは部屋で仕事に追われています。担当編集の植松さん怖いからね……仕方ないんだよ。(植松さんは独り身三十代前半の女性です。恋愛がうまく行かないからといってお父さんにあたるのは止めてほしいですね)この前なんて――』 「なんの手紙だよ! かっこが多すぎて読みにくいわ!」 どうやら父からの手紙のようだった。無駄に長いので飛ばして重要そうなあたりを拾って読む。 『――というわけで、おじいちゃんの遺言でこの万年筆《源》は有葉くんの物です。今まで渡すのを忘れていたお父さんをどうか許してください。こんな大切なことを忘れるなんて……忘れるのは〆切だけにしたいですね。怒られるのが怖くて、有葉くんが学校に行っている時にこっそり机に入れておきました。それじゃあ、大切に使いなさい。にゃんぱす』 どんだけ好きなんだよ。 『※なお、この件に関してのいかなるお問い合わせも受け付けておりません。聞かれても知らない振りをするのでご理解ご協力、よろしくお願いします』 「秘技、散千裂片(サウザンドスクラップ)!」 読み終わると同時に、僕はその手紙をバラバラに千切り、ゴミ箱にねじ込んだ。父はこんな性格をして純文学を書くから恐ろしい。しかも強面だし。ギャップ狙ってんの? 「にしても……おじいちゃんの遺品、か」 それなりに嬉しかった。おじいちゃんが僕を指名して、これを受け継がせたということだからだ。何故、僕にこれを託したのだろう―― 「…………」 万年筆を見つめる。このペンから幾多の物語が、人々の心を震わせた物語が紡ぎだされたと考えると、何故か目頭が熱くなった。 分かっている――。 あくまでネタ帳だ。ストレス発散の手段だ。 そう自分に言い聞かせ、僕はプロットを書くことを決意した。 ――僕だって、書きたいよ。 ベン一本で、世界を変えたい。 もしかしたら――もしかしたら、このペンなら―― この三年間、思い付いてネタ帳に書いてそこで留めていた話。ストーリー。小説。 僕はネタ帳を開く。 『異世界ミステリ』、違う。『SF』、これでもない。 B6のサイズにしては非常に分厚いメモ帳を僕はめくる。めくってめくる。 そして見つけた。 『異能バトルファンタジー』 そう、これだ。新しいページを開き、そしてペンを走らせた。 ☆設定 ある日、高校の校庭に隕石が落ちてきて突き刺さる。主人公は困惑する中、世界中で尖った隕石が降り注いだことを知る。それはソロモンと呼ばれ全部で七十二本降った。その日から主人公は異能に目覚める。異能に目覚めたのは主人公だけではなかった。多くの人間が目覚めていたのだ。そして同時に、同じような異能を使う異形、《鬼》が世界に溢れた。 世界にソロモンが降った日、ソロモンからは《魂素子(ソウルエレメント)》という物質が放出された。それが人々の体内に入り、能力の源となっていたのだ。《鬼》はその《魂素子》の結晶が暴走した姿である。 ソロモンは、《魂素子》を集めて触れると、何でも一つ願いを叶えることができるという絶対的力を持っていた。《鬼》達は、《魂素子》を集め世界を滅ぼそうとする《鬼神アバル》というリーダーの下、組織的に行動するようになる。それに対抗して《光護隊(ナイト)》という組織ができあがり、主人公もこの一員である。 《鬼神》率いる《鬼》達と《光護隊》の、異能者達の戦いが繰り広げられる異能バトルファンタジー。 ☆キャラ 主人公:――― ――――― ――― 「こんなもんかな」 僕は取り敢えず湧き上がるままに筆を動かし、スピードが落ちてきたあたりで万年筆を置いた。とりあえず設定とキャラについて少しだけ書いてみた。 ――王道だな。 普通の高校生が異能に目覚め、悪の敵と戦う。僕がよく書く物語のパターンだった。努力、友情、勝利の鉄則に則って僕は物語を作る。 これが一番面白いと思うからだ。僕が一番好きな物語の形である。 そこには、絶対的な悪が存在するから。 現実のような、報われない――悪になりたくないのに、演じなくてはいけない者はいないから。そんな、間違ったことは起こらない。全てがきちんと整理されて、分かりやすくなっている。 このままストーリー進行についてのプロットを書こうかと思ったが、僕の場合、こういう時は一度頭を冷やした方がいいと経験則で知っている。 僕はベッドに身を預ける。そのまま沈んで溶けてしまう様な錯覚に陥った。久々にこんな高速で筆を走らせたから疲れたのかな。 アイデアというのは思い付いた瞬間が一番新鮮でおいしい。だからその瞬間に書き起こすのが一番良い。 僕は、曖昧になった境界で、まどろんだ意識をそのままするりと手放す。 そう――手放してしまった。 「はっ」 起き上がる。息が荒い。鼓動が早く大きい。何か嫌な夢を見ていた気がする……。 時計を確認すると午後十時だった。 お腹が鳴った。あー、晩飯食べてないや。起こしてくれてもいいのに。 僕は両腕を上げ、背中を逸らせる。背筋が伸びて気持ち良い。頭もスッキリした。 このまましばらく執筆しようか。眠る前に考えたアイデアを書きとめておかないと。 僕は先ほどと変わらない机の上の原稿に少しだけ書き加える。 ふと、撫子のことを思い出す。彼女は、僕が筆を置いてから何かと僕と小説を関わらせようとしてくる。 『小説、書いてよ』 ぼそぼそとした彼女の声が蘇った。まるで、押さえていた何かが滲み出てしまったかのような声。 プロット……見せたら喜んでくれるかな。 僕は万年筆とネタ帳をポケットに突っ込んで妹の部屋へと向かう。ただ雑談の中で、プロットを書いていることをぽろっと言うだけのつもりだった。 「おーい、撫子」 コンコン、と部屋をノックするが反応がない。 「……? 入るぞ?」 そっと部屋を開けてみると、真っ暗だった。電気を点けてみると、当然のようにそこには妹の姿がなかった。 あー、あれか。さっそく担当さんと打ち合わせに行ったのか。あいつは行動が早いからなぁ。そのうち帰ってくるだろう。 とりあえ―― え、ええ、えええええ。 え――? 何だ? 部屋を出るときにふと窓の外を見た。何かよく分からないものが目に映る。 僕等が住んでいるのは住宅地で、通っている高校も近い。窓から見える距離だ。だけど、見慣れない風景――風景と呼んでいいのだろうか、物体がそこにはあった。 僕は窓に近づき、なおも変わらない物体を見て窓を開ける。 おい―― あれは――、なに、なにが、あそこに―― 「岩が、地面に突き刺さってる……のか?」 あろうことか、その岩はライトアップされていた。 「はあ!?」 何だあれは――? 細長いひし形の岩が、高校の校庭に突き刺さっている。学校は三階建てであるが、それよりも一・五倍くらい高かった。 咄嗟に思い出すのは、隕石。 いやいや、これは僕が書こうとしている小説の話だ。しかもまだ設定段階だし、隕石にするかどうかはまだ悩んでいる最中である。 「な、なんだよこれ……」 ――夢か? ほっぺをつねった。痛い。でも夢の中でも痛みって感じることあるし……。 でも、分かる。頭がはっきりしている。思考を妨げるものが何もない。夢の中では複雑的な思考ができないが、実際今はできている。 つまり、ここは夢ではない。 「と、なると目の錯覚……?」 目を擦るが、外の景色は消えない。 何が、どうなっている? 僕は窓を閉め、早足で部屋を出て階段を下りる。とりあえず何か、確認。確認だ。 居間には誰もいなかった。晩御飯の後の食器は片付けられていない。何かどんぶりものだったのだろうか? 三人分のどんぶりが出ている。 母は筆がノっている時は家事を後回しにする癖がある。今がまさにそうなのだろう。そういう時は父が家事を行うのだが、……父も今筆がノっているのか。というか、三人分ということは、晩御飯の後に撫子は打ち合わせに出かけたということになる。こんな夜遅くに……予定がよっぽど詰まっているのだろうか。 「……?」 ふと、不自然なものが目の端に映る。 居間の隅に小さな黒い――仏壇? じいちゃんのか。 今まで出していなかったのにどうして急に出してきたんだ……? 違和感。この世界に対する懐疑心が膨らむ。 いや、今はそんな思考は置いておこう。現状確認が一番だ。 確かめよう。この目で。――学校まで行って。 あの突き刺さった『岩』を見に行こう。 「うっわぁ……」 間近で見ると異様な大きさだった。透明だが、白く濁っている。中で光が散り散りになってしまったのように、乱れて輝いていた。表面はツルツルしていそう。隕石ならば、大気圏で溶けたのだろう。……それ以上のことは分からない。 なぜならその未知なる物体にはあまり近づけないからだ。半径三百メートルあたりに立ち入り禁止のテープが張り巡らされている。さらにその内側には、柵。緑色で、ひし形の網目で組んである柵。 ――そう、柵だ。僕の身長よりも高く、有刺鉄線まである。 こういうのって一日だけでは出来上がらないよな……。少なくとも僕が寝ている間には絶対に無理だ。 「何が、何が起きてるんだよ……」 取り敢えず僕は自転車を停める。 ――もっと知りたい。 僕は混乱しながらも、どこか冷静だった。加速する血液を、きちんと思考に費やすことが出来ている。 僕はテープを乗り越え、そして柵を上り始める。有刺鉄線の切れ目から、体をくねらせて侵入した。何回かちくりとした感触があり、針が服と肌を切り裂いたのが分かったが、そんなことは気にならない。 「よっと」 僕は着地して、前進する。 周りからライトアップされていることを考えるに、この『柱』は監視されている。ライトの中に入るのはまずいだろう。 テープの内側の家屋は、どこも電気が点いていなかった。がらんとしている。恐らく人が住んでいない。 ――ここだけじゃない。 ここに来る道中でも、いつもよりどの家も暗かった。……怖い。不気味だった。 だんだんと『岩』が大きくなる。もう、言い訳は出来ない。目の錯覚だと誰が言えよう。 「どういうことだよ!」 これはまぎれもない現実だ。 それが分かっただけでも十分な収穫だった。しかし、僕の足は止まらない。まるで魅せられたように『岩』に向かってただ進む。 綺麗だ――。もっと近くで見たい。ここまで来たんだ、ぎりぎりまで行ってやろう。 そう決意を固めた時だった。 「?」 暗闇の中に、何かがいた。 何か――人型をしている。僕と同じくらい、一七五センチくらいの背丈。こつこつと軽快に足音を鳴らして、僕に近づいてきている。 なんだよ……。なんなんだよ。 さすがに足を止めた。というか、後ずさった。 本来なら立ち入り禁止エリア内だ。ここで誰かに会うのはまずい……さすがに来すぎたか。向こうも僕の姿は見えているだろう。しかし、まだ影しか分かっていないはず。 冷や汗がこめかみを伝う。 一瞬の空白の後、僕は来た道を全力疾走で引き返す。 「はあ、はあ……!」 何かがまずい。よく分からないけどまずい。 何も分からない。一体何がどうなってるんだよ! 追ってきていないか確認するために振り返―― 「――ッ!」 息が止まった。 人影は真後ろにまで迫っていた。 僕は恐怖で体が硬直し、足がもつれる。なす術もなくその場で転んだ。 「す、すいません。すぐに出て行きますんで」 腰が抜けて思うように力が入らない。 向こうの顔はなおも確認できない。暗い。――黒い? 直感として、人間ではない。 「…………」 人影は反応せず、ただゆっくりと一歩一歩僕に近づいてきている。 ――ヴン。 低周波音と共に、影の手に現れたのは巨大な斧……バトルアックスだ。黒い光を纏っている。 「マジかよ……」 どっから出したんだよ、そんなでかい斧。 これって、あれじゃん。僕、殺されるパターンじゃん。 「あの、勘弁してくれませんかね。本当、すぐ、今すぐ、出て行きますんで」 苦しい笑みを浮かべてみるが、反応はない。 斧をゆっくりと振り上げる。それと同時に腕がにょろりと伸びて、僕に届くくらいの長さになり、人型を失った。 汗が冷たくなる。 とりあえず何か武器になるもの。何かないか……。めちゃくちゃにポケットに手を突っ込むと、万年筆があった。取り敢えず取り出し、構えてみた。 無理だ。どう考えても対抗できない。 「だから、あの! 僕は――」 斧が刹那の制止を止め、振り下ろされる。 くっ――! 死ぬのか……? ここで? あの斧でずたずたにされるのか? 恐怖が諦めに変わった瞬間、 ――ガキンッ! 高い金属音が響いた。 「は……?」 瞑った目を恐る恐る開くと……、目の前にはまるで作り物のような、近未来フォルムの日本刀で斧を受け止めている女子の姿があった。 女子――、最初のイメージは白であった。白い服、白く淡い光を纏う刀。 まるでどこかの高校の制服のような恰好。羽織っているパーカーの裾が長く、スカートと同じくらいの高さまできている。全体的に白を基調としたデザインで、暗い視界の中で、一際目立っていた。 「ぐ、ぐぎゃあぁ……!」 斧を持っていた異形が、苦しむように奇声を発した。 ……まさか、この女子、強いのか? 上からの攻撃プラス武器そのものの重さで、アックスの方が有利に見えるが、武器はギチチ、と火花を散らしながら均衡していた。 いや、均衡させてやっている、といったところだろうか。異形の方が全身に力がこもっているのが、苦しい表情から分かるが、一方女子の方は涼しい表情である。 やがて、彼女は刀を一振りし、バトルアックスを薙ぎ払った。その動作はまるで指を鳴らすように軽快である。 敵は後方に吹き飛び、背中を打つと同時にアックスから手を離してしまう。すると、まるで原子に分解され空気に溶け込むような過程を経てアックスは無くなった。 「が、がああっ!」 異形はうねうねと伸びた腕をくねらせた後、その場から信じられない跳躍力で去って行った。それを確認してから、彼女もくるくると刀を回し、地面に突き刺す。すると、アックスのように一瞬ゆらめき、空気に融けていった。 「ああ、《カタストロフ・スラッシュ》する前にいなくなっちゃった……」 「えっ」 何? 必殺技とか? ちゃんと名前付けるんだ……。 彼女が振り返る。目にかかるくらいに少し長い前髪を分け、異様に長い後ろ髪が遠心力で一様に散る。『岩』を照らすライトにより逆光になり、彼女の輪郭だけが輝いていた。最初に認識したのは――ブルーの瞳。 ……映画みたいだなぁ。 第一の感想がこれである。表現もへったくれもない。小説家になれないのも頷ける。というか、むしろ最近の映画のCG技術に感心する。 「生きてる?」 感情のこもっていない声を発する。言葉の意味的に僕を心配しているようだが、表情はどこまでもクールで、心配しているように見えない。 「お、おかげさまで」 彼女は僕に手を差し出してくる。 「有葉くんはこんな所で何をしているの?」 「ああ、それは…………って、ええ!? なんで名前――」 ぐい、と手を引っ張られ、僕は起き上がる。華奢な体躯からは想像できないような力だったので、面食らってよろけてしまい、気付いたら目の前に彼女の顔があった。 唇が近い。文字通り、目と鼻の先。 「あ、ちょ、あの」 僕は慌てて一歩下がる。恐らく顔が真っ赤になってしまっていると思う。 そんな僕を彼女は不思議そうに見つめる。 顔が近づいて思い出した。 彼女は、群青ソラ。僕と同じ高校に通う、隣のクラスの人物である。そして、最近妹と謎の急接近を果たした人物でもある。 「……それでどうして立ち入り禁止エリア内にいたの? 外出する時は私から二メートル以上離れないように約束したはずだけど」 「え? 何それ、知らないよ。つーか怖いよ」 どんな約束だよ。 というか、そんなことよりこの状況だ。彼女は何やら刀を出して戦っていたし、ぜひ説明を求めたい。 「群青さん。さっきの刀は……? というか、このでかい岩……柱は何なの? 何が起きてる?」 彼女が相変わらず無表情のまま、口だけを開き答えようとすると、それを遮るアクションがあった。 シュタッ、と彼女の隣に人影が現れたのだ。 「や、やっと追いつきまシタ……」 「……」 言葉を失う。 身軽過ぎるフットワークでその場に現れたのは、癖毛の金髪を肩まで伸ばした真っ白な肌の――非常に整った顔立ちの、しかし目だけ眠そうな外国人だった。スラリとしていて、何故か白衣を着用し、小脇には柿の種が入ったボトルを抱えていた。 「あれ? そこにいるのは有葉っちじゃないデスか」 「………ルナ」 知っている。こいつはルナ・ラヴクラフト。さっき、教室で話をしたばかりだ。 問題は、ここにルナがいること。物理法則を蹴り倒す勢いの跳躍でやってきたこと。 「ルナちゃん。置いて行ってごめんなさい」 「もー、何のためのツーマンセルデスか、一人で行動したら危ないデスよー?」 頬を膨らませるルナ。続けて小声で彼女の耳元で囁く。 「というか、有葉っちに能力を見られたデス……?」 群青さんは首肯した。それを見てルナは小さくため息をついて「面倒なことになりそうデス……」と脱力する。 違う、こうじゃないだろ。意味が分からない。どうしてルナと群青さんが話している? 学校で話しているのも見た事ないのに。 「……それで有葉くん。こんなところで何をしていたの。ここで先月も人が殺されているのは知ってるはず」 まるで僕を責めるように質問を重ねる。 「あ?」 それに僕は母音で反応した。 あえてではない。『先月』というワードに圧倒的違和感を覚えたのだ。先月って何だよ。この状況になったのはせいぜい僕が昼寝をしている六時間とかそこいらだろう。 「先月って、どういうこと?」 「先に私の質問に答えて。ここで何をしていたの」 目を細め、僕に訝しる視線を投射する。雰囲気的に答えないとやばそうだ。 「この柱が気になって見に来たんだ……誰でもびっくりするだろ。こんなものが急にできてたんだから。これ何なの? 一体何があったんだよ……答えてくれ!」 僕はライトアップされた白濁色のタワーを指し、叫ぶ。もう限界だった。訳が分からなくて、全てが恐怖でしかない。 「あー、有葉っち、『柱』って、ソロモンのことを言ってるデスか?」 「……ソロモン? あのでかいものはそんな名前なのか?」 ソロモンと聞いて最初に思い出すのはソロモン七十二柱。イスラエル王国三代目のソロモン王が願望を叶えるために使役した七十二体の悪魔のことである。 ……僕が今回書いたプロットのモチーフにしたものだ。 「明らかに有葉っちの様子がおかしいデスね。能力を見て驚いたというのもあるかもですが、それだけじゃないように思いマス。ソロモンのことを失念しているなんて……」 「とにかく私の能力を見られたからには一度本部に来てもらわないと」 「本部……?」 「これ以上の話は、私からはできない。本部に一緒に来て」 冷たい視線で射られて、僕は手を引かれるがままになった。 本部は、歓楽街のビルの地下に存在していた。いや、何の本部かは分からないけど。 連れてこられると、まるで応接間のような場所に一人でいれられた。中には取り調べ用なのか、一つの机を挟んで、椅子が向かい合って置かれている。 群青さんは、「ここで少し待っていて」と言い残し、どこかへ行ってしまった。 僕はとりあえず椅子に座り、周りを眺める。窓が一つもないので、妙な拘束感を覚えた。 「ソロモン、か……」 ここまでの偶然はあるのか? 考える。これは、どうなんだ。確かに、偶然の可能性はゼロではない。ここまでの偶然、奇跡は――宝くじの一等に三回連続あたるようなものだろう。それはもう、偶然の範疇を超えている。何かの、必然だ。だったら―― この世界は――僕の小説の世界なのではないだろうか。 僕は、何かしらの方法で自分の小説の中に入ってしまった……。発想を飛躍させ過ぎか? そんなことはない。現実に、あの大きな岩が校庭に突き刺さっているんだから。 仮に、仮にそうだとして、……まだ設定とキャラを大まかに決めただけだぞ、世界も何もあるのか。 僕や群青さんなどがいること、本来は接点がないルナと群青さんが話していること、街そのものは僕のいた世界と同じであるということから、イメージとして一番近いのは世界が僕の書いたものを元に上書きされたという感覚だろう。 ――んな馬鹿な。 そうだとしたら、どれだけドキドキワクワクすればいいんだよ。能力者が実際にいる世界なんて楽し過ぎるだろう。 「ちわっす、さっき振りデスね、有葉っち」 「……ああ」 白衣の少女が入ってくる。脇にはファイルを挟んでいた。先ほどのイギリス少女、ルナ・ラヴクラフトである。柿の種も忘れない。 「ごめんなさい有葉っち。せっかく本部まで来てもらいましたが他の職員は取り込み中デス。結局私が面談をやることになったデス。面倒くさいデス……」 面談……? 「それで、見ちゃったんデスよね、異能力。驚きました?」 「……まあ、うん」 どうやら、僕が見た群青さんの刀の能力は、一般人であるところの僕が見てはいけないようなものだったらしい。 「反応薄いデスね……。どうせあれデスか。能力者のこと噂でもう知ってたんデスよね。最近はネットとかでも能力者関係のものは出まくりデスから。情報統制が意味ないくらいに漏洩してマスよ……。でも、クラスメイトが能力者だったんデスからもうちょっと驚いてくれてもいいんデスが……。しかもソラっちは日本トップ。アタシはイギリストップで、ここでは二位デス」 彼女はボトルの中から柿の種を一つ取り出し、しげしげと眺めた後、ぽいっと口に放る。 「それで、えーっと……いろいろ聞くことがありマスからね。能力が一般人に知れると面倒くさいんデスよ。しかも、《鬼》に襲われた方としても調べなきゃなりませんし……。まずは何から話しましょうかねぇ」 《鬼》と言ったか……? 「ルナ。僕、目覚めたらこんな状況で――ソロモンとか、全く何のことだか分からないんだ。とりあえずあの柱に関することから頼む」 「何も?」 「ああ、さっぱりだ。起きたらあんなもんが地面にぶっ刺さってた」 「そこから、デスか。……ふうん」 ファイルに顔を向けながら、目だけを僕に向けてくる。天才少女故に瞳の奥で何か思惑が巡っているのだと勘ぐってしまう。 「いいデスよ。説明しマス」 面倒くさがると思ったが、意外にも彼女はすんなりと話し始めた。 ある日、世界中に七十二本の隕石が降り注ぎ、地面に突き刺さったこと。それはソロモンと呼ばれ、多くの《魂素子》と引き換えに何でも願いを一つ叶えてくれること。能力者は、《魂素子》をうまく扱える人物であること。《魂素子》の結晶体である《鬼》という化け物が《魂素子》を狙って人間を攻撃してくること。 「日本だけじゃなく世界中に《鬼》は出現していマス。そしてその世界中の《鬼》のボス、《鬼神》が日本にいるらしいんデスよ」 バリバリと柿の種をかみ砕く音がする。 そう、か……これは―― 「あなたを襲ったのも《鬼》デス。《鬼》は人型を模しているだけで知能はさほど高くありませんが、それを統べる《鬼神》は完璧に人間に化けれます。ただ、武器が黒いので、能力を発現させたら分かっちゃいますけどね。……最近ソラっちがやたら有葉っちに付きまとってたのは、《鬼》から守るためってことデス。有葉っちばかりをそんなに護衛するのは……責任を感じているからデスかね……」 ルナは目を伏せる。責任……? 何の話だ? それはいいとして、そう言えば、さっき群青さんも外出する時にはどうこう、と言っていた。僕には群青さんに付きまとわられていた記憶などない。僕はさっきまで普通に過ごしていたはずなんだ。 ――確信する。 やはり、これは僕の書いた設定を元に現実が上書きされている。 何故だ――。原因を探る。そしてすぐに僕は気が付いた。 今回のイレギュラーはこれしかない。 じいちゃんの万年筆。これなのか――? ちょっと待てよ……。 「……………………」 思考する。もし、万年筆が原因ならば、この万年筆はどういう代物だ? 《物語の設定を書くと、それを元に現実が上書きされる》ものなのか? ――限定的過ぎる。 もっと単純、シンプルにいこう。 そう、例えば―― 《書いたものが現実になる》とか。 僕は、制御し難い昂揚感に襲われた。もしそれが本当にその通りなら、無敵じゃないか。 僕はポケットに手を突っ込むと、ネタ帳に万年筆が挟み込んであるのを確認する。 「聞いてマス? 二度説明するのはダルいデスよー……」 彼女は肘付をして、面倒くさそうに口に柿の種を放り込んでいた。 「おう、聞いてる」 僕は適当に相槌を打ちながら、万年筆とネタ帳をゆっくりと取り出し、膝の上で開いた。万年筆の蓋も取る。相変わらず万年筆は軽かった。 机の上には、ルナが持ってきたボールペンがある。 僕はこっそりと膝の上で筆を走らせた。 『目の前の机の上にあるボールペンが消える』 どうだ……? 「それで有葉っちには取り敢えず、能力者に関することを口外しないと誓ってもらうデス。それを破ったらどうなるかということもこの書類に書いてありマスから」 ルナがファイルから書類を取り出す。僕は、不自然にならないようにボールペンを視界に入れた。 ――カタ。 「……!」 ボールペンが揺れる。そして、カタカタカタカタカタカタリ――。 そして、震えていたボールペンは、一瞬で、跡形もなく消えた。まるで透明になったように、周りに何の影響も及ぼさないまま、消え去った。 「ルナ……」 「どうかしまシタ?」 「……ちょっと、喉が渇いたんだけど、飲み物取って来てもらってもいい?」 「……? いいデスけど」 「ああ、お願いな」 彼女は不審そうな視線を数秒残すが、そのまま部屋を出て行く。僕はドアが閉まったことを確認して、万年筆を見つめる。 「す、すげえ……! ちょ、これ、本当やばいんじゃ……」 これがあれば、本当に何でもできるんじゃないか? じいちゃん。確かにこんなペンを持っていれば、ペン一本で世界が変えられるよ。 好奇心が僕の心を支配する。 もっと多くの実験を重ねたい。何か条件があるのかもしれないし。 大丈夫だ、焦る必要はない。ゆっくりでいいんだ。ペンがある限り、無限に書き続けられ―― 「……あっ」 僕は一つの懸念にぶちあたる。 インク。 このペンのインクはあとどれくらい残っているんだ? インクが特別なのだとしたら、まずい。この力は非常に限定されていることになる。 僕は万年筆の後ろのキャップを外し、中を覗き込む。 「え?」 息を飲んだ。 インクが入っていない。中は空洞だったのだ。どうやって書けていたんだ……? 僕がペンを逆さにして振ると、 もにゅ。 「……?」 何かが出てきた。しかしすぐ引っ込んでしまう。今度は強く振る。 にゅるり。 「うわあ!」 僕は驚いて椅子から転げ落ちる。ペンから何かが出て、それは浮遊して部屋の中を飛び回る。それはやがて姿かたちを変えた。 人―― 身長は一四〇センチほどだろうか。触れたら吸い込まれそうな漆黒の髪をサイドテールに結い、鮮血をビー玉にしみこませたようなつり目で僕を睨んでいる。体躯からは小学生と予想できるが、僕を品定めするような表情とは不釣り合いであった。服装は赤い和服で、藤の模様があしらってある。それがまた少女のイメージと一致しなかった。 僕の尻餅をついている姿を数秒見つめた後、口を開く。 「ほほう……。てっきり恒彦が久々に呼び出したのかと思ったのだが、お主は誰じゃ?」 「ああ……えっと……」 僕は立ち上がり、椅子を直して座った。彼女は和服の袖を口元にあて、僕を睨む。 「もっと驚いてもよかろう、人間。恒彦は大層面白い男じゃったというのに」 「えっと、じいちゃんの知り合い?」 「じいちゃん……? つまりお主は恒彦の孫か?」 僕は首肯する。 「お、おお!」 すると彼女は目を見開き、顔いっぱいに笑顔を咲かせた。そして―― 「お主がか! お主が有葉か! うおー、良い匂いがするぞぉ!」 何故か抱きついてくる。さっきの不気味な雰囲気は霧散していた。 「待て。……待てったら。…………待て! 何だよ急に!」 「うにゅ……」 無理矢理引きはがすと、分かりやすく落ち込んだ。 何か変な人を呼び出してしまったらしい。じいちゃんの知り合いと言うことはなかなかの歳? いわゆる合法ロリなのだろうか。 「で、えーっと。完全に僕の予想なんだけど、このペンの化身的な人?」 「化身とはひどいぞ! 余はもっと高貴な者じゃ。……聞いて驚け、神じゃぞ! 神! 掲示板に画像を張り付けるあの神とは一線を画する本物の神じゃ!」 不気味な見た目とは裏腹に親しみやすい神だった。 「それで、何の用かな」 「お主が無理矢理出したのじゃろうが!」 「あぁ、うん……そうだったかも」 「お主が余、《源》の継承者かー、たくさん遊んでくれ」 ミナモトがこの子の名前なのか。 「僕は橘有葉――」 「知っておるよ。さっき名前呼んだじゃろう。『ご主人様』って呼んでもいいかの?」 「何でだよ! 普通に有葉って呼んでくれよ。つーかどうして僕の名前を知ってる」 「ひ・み・つ。ピース! いえい!」 殴りたくなる神様だった。 「……あの、聞きたいことがたくさんあるんだけど。あいにく今は時間がなくてね」 「呼び出しておいて勝手じゃな! でも有葉の役に立ちたいから説明するぞ!」 腕を組んで無い胸を張った。テンションが高い神様だな。なんだか僕もノリでいろいろ納得してしまっているような気がするけど……。 「じゃあ、頼む」 「うむ」 そして彼女は、一息置いて重々しく口を開く。 「How to use it」 パクリかよ! その後、彼女が口で説明したことをまとめるとこんな感じになる。 ・この万年筆で書いた物語が現実で始まる。 ・設定を加えたり、イベントを起こすなどができる。 ・基本的にキャラクターに何かさせることはできない。 ・ただし、モブキャラにはモブキャラの範囲で動かすことが可能 ・物語を一度始めると、続きを書かなくても勝手に動き出す。 「ふーん。……キャラクターに何かさせることはできないんだな」 モブキャラはOKなのか……。物として扱える、ということかな。 「基本的にはの。キャラは生きた人間。それがこの力、《上書き(オーバーライト)》のすごいところじゃ」 「《上書き》、ねぇ……」 「で、まだまだあるのじゃが、次のは結構使える能力だと思うぞ? この万年筆を使う者、つまりお主じゃな。お主が自分に対して書いたことは全て実現されるのじゃ」 「基本的にはキャラには干渉できないって言ったけど、僕だけは例外ってこと?」 「そうじゃ。お主は作者じゃからな。本来物語にいてはならぬ存在じゃ。だが、物語を動かすために動かねば――」 ガチャリ、とドアノブが回った。 瞬間、ミナモトは一瞬僕と視線を合わせ、吸い込まれるように万年筆の中に逃げて行った。僕も慌てて机の上のネタ帳を膝の上に置く。 「お待たせデス」 間一髪だった。ミナモトを見られたら話がややこしくなる。 ルナが紙コップで僕の前にコーヒーを置く。 「ありがとう」 僕は一口コーヒーを含みながら、万年筆の後ろのキャップを閉める。 とりあえず、ミナモトの言ったことが正しいか一発テストしてみるか。 『ルナ・ラヴクラフトは唐突に自分のカップ数について語り始める』 「で、話の続きデスねー。どこまで話したましたっけ? ……あー、有葉っちを襲ったのが《鬼》だって話までデスか」 「……」 やはりだめか。……べ、別に残念じゃないし。ちなみにルナの胸は小さすぎず、大きすぎず、判定しづらいところである。形良ければ全て良し。それが僕のスピリット。 結局、この力は何なんだ? 何のためにあるんだ? どうしてじいちゃんは僕にこれを託したんだ? ……疑問は尽きないが、取りあえず今は保留にしておく他ない。 今は、現状を認識する。これで精いっぱいだ。 ルナは脇に抱えたファイルを机の上に再び置き、一口コーヒーをすするとまた話の続きを始めた。 「日本で確認されているソロモンはあれだけデス。そして一応表ではただの隕石ということになっていマスね。《鬼》とか能力者とか、そういう話は、一般人は知らないデス。世界は普通に回っているんデスよ。……ふう」 彼女は眠そうな目をさらに眠そうに閉じる。 そうなのか。僕はここまで詳細に設定していない。きっかけは僕が与え、後は世界に則する……のだろうか。ミナモトが言う、一度始めた物語は勝ってに進む、というやつの一環だろう。 「ソロモンが落ちて来てから治安は目に見えて悪化しましたね。《鬼》が暴れすぎなんデスよ。特にソロモンの周りでは。だからこの街から引越してしまう人も少なくないデス」 だから、僕が外に出た時、あまり家に電気が点いていなかったのか。一軒家を放って引越してしまうほどに治安が悪化したって相当じゃないか? 「で、そんな《鬼》たちを放っておくわけにもいかないデスよね?」 この辺の設定はやはり一緒なのか。 「そこで、主に《鬼》たちを退治して回ろうという集団が出来まシタ」 「なるほど。それが《光護隊》というわけか」 そしてここが光護隊本部。街の中にさりげなく作るとは、なるほど手が込んでいる。 「――!?」 僕の言葉に彼女は大袈裟に反応する。今までのゆるい雰囲気が嘘のように、目をかっと見開き僕と距離を取った。 「な、なに? どうした?」 「有葉っち、どうして《光護隊》の名を知っているんデスか」 「え……?」 明らかに僕を警戒している。中腰になり、いつの間にか両手には紫色のハンドガンが握られていた。デザインは群青さんの刀のように近未来的だ。それから察するに、彼女も能力者なのだろう。 どうしてこんなに僕に敵意丸出しなんだ……? 《光護隊》という名を知っているのはそんなにまずいことだったのか。目が乾き、筋肉が膠着する。 「えーっと、ネットの噂で知って」 「《光護隊》という名は部隊の中でも知らないものがいるような呼び名デス。ネットに流れるなどありえません。それを何故、橘有葉、あなたが知っているんデス?」 「えっと……」 「ごまかそうとしないで。……立ち入り禁止エリア内にいましたよね? まさか《鬼》? いや、知能はある。……それなら《鬼神》……?」 「ち、違うって、ルナ。友達にそんなもん向けるなよ……」 しかし、彼女の眼光は鋭くなるばかりだ。 「……《鬼神》は普通の《鬼》とは違い、能力が完全に把握されていない。人型になり、人間に混ざれるという情報……あれが、既存の人を乗っ取るという意味なら……《鬼神》が有葉っちの姿を模している……アタシたちを油断させ、本部に誘導させるために――」 ルナがぶつぶつ言っている。その姿は空ろで、まるで自分の世界に閉じこもり僕のことを忘れているように思えるが、銃口だけはきっちりと僕の額を狙っていた。そして考えがまとまったのか、顔を上げ、零度以下の視線で僕を見つめた。 「橘有葉。質問に答えてください。どうして《光護隊》の名を知っているんデスか」 必死に思考を巡らせる――。 《光護隊》という呼び名は高い地位の人物しか知らないと考えられる。僕がそんな人物と内通しているというのは不自然。……他に《光護隊》の名を知っているとしたら―― 「……そ、そうだよ、アバルにこの前襲われた時に何か口走っているのを聞いたんだ」 そう。《光護隊》を敵視し、調べているであろう《鬼神アバル》だ。 「アバルとは誰デスか?」 ピシリ、と空気が凍った幻聴が聞こえる。呼吸が喉で止まる。 「き、《鬼神》だけど……」 こう答えるしかない。一層目つきが鋭くなる。 今の答えは非常にまずかった。思わずアバルと言ってしまったのが運のつきだ。 「どうして能力者イギリス代表であるアタシも知らない《鬼神》の名を知っているんデスか? おちょくっているんデスか?」 疑いを深めただけだ。しかも敵のボスの名を知っているって、墓穴を掘っているようなものだ。いよいよ弁解のしようがない。 「アタシにはこの場であなたを殺す権利があるんデス。そういう地位にいるんデスよ……どういうつもりデスか。一人で本部に忍び込んで何か出来ると思ったんデスか? 残念でしたね。そう簡単にはいかないデス」 煽るように早口で言葉を浴びせられ、僕の鼓動は速く、大きくなった。 僕が《鬼》だと決めつけている。 「だから、僕は《鬼》じゃない! まず、能力を使えない! 《鬼神》も《鬼》も能力を使えるんだろ? それだったら、僕は絶対に違う!」 「確かに能力者を判定する装置はありマス……が、それを欺くことも出来るかもしれません。……警戒するに越したことは、ない……以前のように、元本部が《鬼神》によって壊滅させられたような、あんなことは、絶対に繰り返してはならない……」 「何言ってるんだ! 僕は違う!」 「だったら証明してください! 早く。早くして。アタシが引き金を引けばあなたなんて一瞬であの世行きなんデスよ。……早くしてください!」 悪寒が走る。この目は本当に僕を殺そうとしている目だ。正常な瞳の輝きだとは思えない。不信、憎しみ、殺意を体全体で感じた。 どうする――? 本当に、死ぬぞ。さっきせっかく助かったのに……。 背中にTシャツが張り付いて気持ち悪い。鼻に汗が滲む。心臓がうるさい。骨が軋む。 ――手に力がこもる。 万年筆。 これで何とか乗り切れないか……? 例えば、もう一度飲み物を取りに行かせるとか――だめだ。キャラの行動は動かせない。 この場からルナを去らせればいい。どうすればこの場からいなくなる? キャラを動かせない、このペンで。 「早く! 何とか言ってください!」 黙れ、僕の思考を乱すな。 ――普通に考えて、この場からルナがいなくなるのは、今の状況以上に大変なことが外で起きた場合だ。『それどころじゃない』と思わせなければならない。 「ちょ、ちょっと落ち着いてくれ。一度座れよ。今のルナは冷静じゃない」 「ふざけないでくださいッ!」 僕はうまくルナの注意を顔に向けながら、死角の膝の上で万年筆を走らせる。 『橘有葉が言う。 「違う。僕は《鬼神》じゃない」 その瞬間、轟音が響く。 《鬼神アバル》が部下の《鬼》たちを大勢引き連れ、《光護隊》本部に攻め入ってきたのだ。その後、本部の人間全員で対処し、一晩かけて何とか追い返すことに成功する。』 どうだ――? これなら僕を疑っている場合じゃないだろう。それにこれはルナを操作しているわけではないし。自分自身のセリフを入れたのは、アバルが攻めてくるタイミングを定めるためだ。 「ルナ、いいか。『違う。僕は《鬼神》じゃない』」 「…………」 が、しかし。 いつまで経っても轟音は響かなかった。……どうなっている? 「――!」 そして僕は一つのことに思い当たる。アバルだって、一人のキャラクターじゃないか。 この万年筆では、キャラは動かせない。どうする、どうするどうするどうする。 「ぼ、僕は、本当にただの一般人なんだよ!」 焦って声が大きくなる。 「だからそれを証明してくださいと言っているんデス!」 「どうやってだよ!」 「それはあなたが考えてください! そっちが果たさなくてはいけない責任デス!」 どうやって『それどころじゃない』と思わせればいい? 「これでは埒が明かないデス。……あと一分。それ以内に証明できない場合は、アタシが人類の平和のために、あなたを……殺しマス」 「ちょ、ちょっと待って――」 「六十、五十九、五十八……」 僕の制止を聞かずにカウントを開始する。 心臓がマラソンの後のように激しく鼓動する。思考と時間が加速する。何か言わなくてはと口を開くが、結局何も言葉は紡がれない。 落ち着け、落ち着け、落ち着け! 混乱してはだめだ。 どうにかしてこの場からルナを排除しなくては―― 大地震を起こすか? いや、それでどうにかなるとは思えない。そもそもさっき失敗したことから考えるに起こせるのかも怪しい。携帯に着信を入れるとか……だめだ、一瞬隙を作ったところでどうにもならない。それに、隙を作ってここから逃げたとしても、すぐに追いつかれてしまうだろう。 不確定要素が多すぎるんだ――さっきみたいな失敗を今度したら本当に命がない。 ――考え方を変えよう。 彼女を納得させればいい。僕が《鬼》じゃないと証明できればいいんだ。 「…………」 これは、僕の作った世界だ。僕は作者だ。この世界のデザイナーだ。 そして僕は今大ピンチに陥っている。僕は今まで多くの小説を書いてきた。 ――思い出せ。 こんなピンチを、僕はどうやって登場人物に乗り越えさせてきた? そうだ、この状況をまるまる小説だと考えろ。 考えることは得意だろう。考えて考えて考え抜いて――ベストの選択肢を、手に入れろ。理にかなった展開を、起死回生の一手をひねり出せ―― 目の前が暗くなる。目を開いているのだが、頭が信号を受け付けないのだ。聴覚も消え、やがて世界に自分一人になったような錯覚を覚える。集中し過ぎると、いつもこのようになる。全ての細胞を、物語を紡ぐためだけに動かす。 そして、そして―― 「……ルナ」 「三十五……なんデスか。こうやってお喋りしている間もアタシの腕時計は止まらないデスよ」 「少しだけ待ってくれないか?」 「待たない。前みたいに本部を襲撃させやしないデスよ」 「前に襲われたのか?」 「しらばっくれるな! そうじゃなきゃこんなところに本部を構えていないデス。《鬼神》のせいで多大な被害がもたらされたんデスよ!」 「……そうか」 「あと十五秒デス! 証明してください!」 「せっかちだな、落ち着けって」 「黙って下さい!」 「…………」 「七、六、五、四、三、――」 カウントが二になった時、 よし。ようやく書き終わった。 会話で僕の手元に注意させないように配慮しながら、僕はペンを走らせていた。 ――ゼロ。 そのカウントと同時に弾丸が発射される。右手、左手に持たれたハンドガンそれぞれが、僕の心臓と喉元を予想通りに狙ってきた。 そして僕はそれを二つのコンバットナイフで切り裂く。 刃は小さいが、軽く、リーチが短いために間合いを詰めたら必殺の武器となる。そのナイフの中の部分はくりぬかれ、白く淡い光を放っているために近未来的な印象を受ける。 「なッ!?」 僕は机を飛び越え、一歩でルナとの間合いを詰める。首を跳ねる一歩手前で止めた。 「……まったく、ダメじゃないか、ルナ」 僕が耳元でそう言うと、彼女は膝を折り、その場で放心状態になる。 ――こんな人間離れした動きが本当にできるとは思っていなかった。しかし、その驚愕を表情には出さないように抑える。 僕はコンバットナイフを離す。すると、粒子となって消えて行った。 「ルナ、《鬼神》の武器は黒く光るんだよな? 僕のは白い光りだっただろ? ……これが、僕が《鬼神》じゃない証拠だ」 「な、なんで……」 「ルナ、今まで秘密にしていてごめんな。僕は《光護隊》の長である神城代表の側近なんだ」 口から出まかせである。神城代表。僕が登場人物リストで既に作っていた名前だ。 「神城代表の……?」 「そう。本部の警戒態勢を試すためにこういうことをさせてもらったんだ。今までのは全部演技。……だめでしょ、僕が本当に《鬼神アバル》だったらどうするの? また本部が壊滅してたよ?」 「え? あ、……えっ」 彼女は困惑する表情を隠そうとしない。予想外のことが重なり、パニック状態に陥っているのだろう。 確かにこの状況、不自然だ。 だが、結局思考の行きつく先は一緒。僕は自分が《鬼神》でないことを証明した。これは覆らない。論理的思考で物事を考える彼女にとって、これ以上の良い作戦はない。 ――勝った。 僕はあの窮地で一つの注意事項を思い出したのだった。ミナモトが最後に説明していた。このペンの使用者は、物語上どの立場にもなれる。自分に対して書いたことは全て実現される――。 つまり、この万年筆で『橘有葉は実は強力な異能者であり、ナイフを生成できる。』と書けば、その通りになるというわけだ。 間一髪だった……ひらめきがあと二秒遅れたらアウトだった。 僕はこの世界の能力について特に定義していなかったのだが、どうやら主に武器を作りだすという能力らしい。それと身体能力のアップか。 「でも、ちゃんと最後まで疑ってたのはよかったと思う。そういうのは、きちんと代表には伝えておくから。それと、ここでのことは群青さんにも秘密でお願いね。……まあ、驚くのも無理はないって。でも、そういうことで。一つよろしく」 「なに……どういう……」 彼女はまだ困惑した様子だったが、僕はその場を後にした。 そして僕は何事もなく、外に出ることができた。ネオンが怪しく光る歓楽街である。若者や怪しげな格好をした女性の姿がちらほらと見える。 あー、あっぶね。本当あっぶね。マジでさっきのは死ぬところだったって。 能力者がいる世界を堪能する前に、あやうく殺されるところだったよ……。これで心置きなくこの世界を楽しめる! ……あー、でも、この世界ってどうやったら終わるのだろう。ちゃんと、帰れるのだろうか。 そんなことを考えていると、 「もう終わったの?」 背後から声をかけられた。 「え? あ、あぁ、群青さんか。びっくりした」 そこには壁にもたれている群青さんの姿があった。 「サインはしてきた?」 「サイン?」 「私達の情報を漏洩させた場合についての処罰について、そしてそれの同意書」 「ああ――」 考える。 『もー、何のためのツーマンセルデスか、一人で行動したら危ないデスよー?』 そうルナは言っていた。ツーマンセル……それは二人でチームを組んで行動しているということだ。《光護隊》での行動は、群青さんとルナは一緒だと考えていいだろう。 そうなると、さっきの出来事は、口止めしていても明るみになる可能性は高い。 あれはあくまでもその場しのぎの方法だ。これ以上何か疑われる可能性を残しておくのは得策ではない。――これが、正解だ。 「群青さん、実は――」 僕は、自分がどうやら能力者らしいということを話した。代表の側近だとか、そういうことは言わないでおく。ただ、あの場で能力があることが判明したとだけ伝えた。 「え? そうだったの……? ……そっか」 それを聞いて群青さんは何故か悲しそうに視線を落とした。 「それじゃあ、私がもう守らなくてもいいってこと?」 「……」 現状把握が難しい。そう言えば群青さんは僕をつきっきりで護衛しているのだった。何故だ? ……まあ記憶が少し混濁していることにすれば、いけるか……? 「ごめんね、記憶が混濁してて……」 そう言うと、彼女の表情に一瞬、陰りが見えた。 「……やっぱり、その原因って……あれ、だよね。……ショックだっただろうし……」 何の話だ――? 僕は、出来るだけ早く本部のあある歓楽街を去りたかったので、適当な理由をつける。 「ほら、今日ももう遅いし、明日は月曜日だから学校だしね。僕はもう帰るよ」 「……? 学校? 何言ってるの。学校はもう二か月間休み」 「はい? ……え、それってどういうこと?」 「ソロモンが降って来てから学校なんてない。校庭に刺さっているんだし、あそこは禁止エリア内なんだから」 まあ……こんな状態で学校とか言ってられないか。 「でもそろそろ立ち入り禁止エリア外に作ってる校舎が出来上がるから。あと一か月くらいでまた始まると思う」 「そっか……」 戸惑う。 僕は、とんでもないことをしてしまったのではないか? 何か取り返しのつかないことをしてしまったのではないか? ――この万年筆を使って。 「そもそも、どうしてソロモンの周りはどうして立ち入り禁止エリア内なの?」 「あれが大量の《魂素子》と引き換えに願いを叶えるっていう説明は受けた?」 僕は首肯する。 「《鬼神》は今、まだ《魂素子》を集めているだけだけど、それが十分に溜まったら、ソロモンに触れる必要がある。そのために敵はソロモンを死守しなくてはならない。あの近くには常に《鬼》たちが潜んでいて、危険。だから立ち入り禁止になってる。表向きでは、隕石が倒れた場合の被害が出る地域ということになってるけど」 細かく決まってるんだな。そんなこと全然考えてなかった。自分の物語が勝手に動くっていうのは作者としては複雑な気分……。 「やっぱり……、ショックで記憶が飛んでる、のかな」 何故か僕は寂しそうな目で見られる。 「な、なんだよ。別にちょっと忘れてただけだって」 それにしては忘れ過ぎか。 「……ソロモン周辺が危険なことは、絶対に橘くんなら知ってるはずだもの」 「え? どうして?」 何か含みのある言い方だった。 「変に隠しても意味がないと思うし、向かい合うのがあなたのためにもなると思うから言うけど――」 言うけど―― その言葉の先を、僕はうまく理解できなかった。 「何、言ってるんだ……?」 が、しかし、その言葉は僕に疑惑を与えるには十分だった。 「だから、―――」 「は?」 嘘、だろ。 群青さんの気まずそうな視線が僕に突き刺さる。それは直接的なメッセージだった。 今言ったことはまぎれもなく、本当だと。 僕は走って家に帰った。 一刻も早く確かめたかった。今、何が起きているのか。僕は今、どういう立場なのか。 「有葉!!」 玄関を開けると、父が待ち構えていた。鬼の形相である。 「お前、どこに行ってたんだ!」 「え……どこに行ってたって……ちょっとコンビニに」 「長すぎるだろ! せめて携帯を持って行け!」 「ご、ごめん」 僕は見たこともない父に戸惑う。 「お前だって分かってるだろ? あんまり心配かけるな……」 ああ―― 心配、しているのか。 今まで僕が夜に外出することなどよくあった。僕の妹の撫子だってそうだ。特に彼女は編集との打ち合わせもあり、夜に外出することはよくあることだ。 だから、この心配の仕方は異常だった。 「有葉。……勘弁してちょうだいね。あと一週間で引越すんだから」 母まで出てきた。悲しそうに僕を見ている。 「引越す、のか……」 やめろよ―― おかしい、こんなのはおかしい。何かが絶望的に狂っている。 主要なパーツが揃っていない。 だって、おかしいだろ。今はもう十二時を過ぎている。 さすがにこんなに長く打ち合わせなんてありえない。 ……なあ、撫子。 「ごめんなさい……」 僕は謝り、まだ整わない息を吐きながら両親の間をすり抜けて居間に入る。 ――仏壇。不自然だ。 僕はゆっくりとした足取りで仏壇の前に立つ。そして、閉まっている扉に手をかけた。 徐々に開いていく。 ちらりと見える写真。 息を飲んだ。 「!」 瞳孔が開くのを感じる。 ――遺影は、僕の妹、撫子のものだった。 呼吸が一層荒くなる。瞳が震えて瞬きを忘れた。 僕の妹、橘撫子は、群青さんとツーマンセルで活動していた能力者だった。そして、一か月前――ソロモンの周辺で《鬼》に殺害されたらしかった。 「どうなってやがる……!」 僕は頭を抱えて自分の部屋の机に突っ伏す。 この世界が始まってからもっていた違和感――それは妹がいないことだった。ここでの僕は、数日前に妹が死んでから意気消沈し、部屋に引きこもっていたらしい。 当たり前だ。 僕は、妹を尊敬していた。撫子の兄であることを誇りに思っていた。あいつが活躍するのを心から望んでいた。僕の分まで頑張ってくれと、そう思っていた。 そんな撫子が、殺された――? 「ふざけんなよ……!」 ふざけんな、いい加減にしろよ。冗談だろ……。 ――冗談じゃないんだ。 これは、現実。 僕が《上書き》したせいで、妹が死んだ。 それってつまり、僕が妹を殺したってことじゃないか。 この世界が楽しそう――そう思ったことが信じられない。僕は、自分を心底軽蔑した。 治安が悪い。それはつまり、罪もない一般人が多く殺されているということだ。 ――僕のせいで。 悪夢だ。こんな地獄は一刻も早く終わらせなくてはいけない。 僕は荒い手つきでネタ帳を取り出し、設定を書いた部分をリングから外してびりびりに破り捨てる。 「……くそ」 しかし、世界は終わらない。どうすれば終わるんだ……? そうだ、ミナモト―― 僕は思い出して万年筆の後ろのキャップを外す。すると、にゅるりと中から滑り出すように彼女は現れた。 「有葉! また出してくれて嬉しいぞ! 取りあえず最近の本を全部読ませてくれ!」 彼女は何も知らないようにはしゃいでいた。 「ミナモト。教えてくれ、この世界は終わるのか?」 しかし、僕の様子から雰囲気を悟ったようで、大人しくなった。 「……あー、妹子が死んだことを気にしておるのかの?」 「おまっ、知ってたのか!」 「そりゃあ、一度目覚めてからはペンの中にいても外の音くらい聞こえるからの」 彼女は僕の本棚から適当に本を取り、ベッドにうつぶせになって読み始めた。人が死んでいるのに、どうしてこんな態度なんだ……? 「そんな気にするな。別にいいじゃろう、キャラがいくら死のうが神である余とこの世界の神である有葉には影響しない。ここは二人だけの世界、他は全て偽り」 「何……言ってるんだよ……」 その発言で、隔たりを感じる。 「頼むよミナモト……僕の妹なんだ! 大切な妹なんだよ! 妹がいたから、僕は自分に諦めがついたんだ……妹が、書いてくれるから……」 「そ、そんな落ち込むことか! この本を読んでから説明しようと思っておったが……今した方がよさそうじゃの」 ミナモトは本を閉じ、起き上がってベッドに腰掛ける。 「妹は生き返るのか!? この世界はちゃんと終わるのか!?」 「この世界を終えることは可能じゃ。そして世界を閉じた時、有葉以外は、この世界の記憶を全て失って、物語が始まる前の状態に戻る」 「そ、それは妹が生き返るってことか?」 「そういうことになるの」 良かった――! 体中の力が抜けて、意識が一瞬遠のく。 「じゃがの。条件がある」 「条件?」 「そうじゃ。世界を閉じるには、能力使用者のお主が、余の能力が宿ったもの――つまりは万年筆で《この物語はフィクションです。》と記せばよい。お主だけじゃぞ? 他の人に渡して書いてもらっても意味はない。閉じられるのは、この世界を始めたお主だけじゃ」 何だ? 簡単じゃないか。それなら今すぐにでもできる。 「じゃが、その前に一度始めた物語を物語として終わらせなくてはならん」 「……どういうこと?」 「お主だって知っておるじゃろう? 物語は始まりがあれば終わりがあるのじゃよ。つまり、序破急とか起承転結とか――そういう『面白いストーリー』としてきちんと成立させろ、ということじゃな」 「……」 つまり、この万年筆は《書いたものが現実になる》のではない。《書いた物語が現実になる》んだ。 これで書いたものは物語として開始される。 そして終わらせるには、物語として完結させなくてはいけない。 そうしないと撫子は生き返らない。 「そう、今のこの世界は物語なのじゃよ。元々この力は、作家が、自分の作った設定やストーリーが自然かどうかを確かめるためにあるものじゃ。だからこそ、キャラクターは現実の人間を使う。少しでもよりよい物語を作るための宝具の一つが、余なのじゃよ」 でも……これはただの物語じゃない。虚構や妄想じゃない。現実に、撫子は死んでいる。 「誰もここが作られた世界だとは知らない。知っているのは余とお主だけ。そして、この世界を導いてやれるのはお主だけじゃ。まあそう難しいことじゃない。恒彦なんかこの能力を片手間で使いこなしておったし」 「それは、じいちゃんの実力だから出来たことだろ……」 「さきのお主。ほとんど何も知らない状態で混乱しておったじゃろうに、よくあんな機転を利かせられたの。集中力は、恒彦の遺伝か? いいのう、かっこいい!」 僕はとりあえず、妹が助けられることを知り、興味がミナモトへと向いた。 「それで、ミナモト、君は一体誰なんだ?」 「今更か! いつ聞いてくれるのかと待っておったのじゃぞ! ぷんぷん丸!」 彼女は立ち上がり、得意げに髪をなびかせた。 「余は藤原香子の筆、《源》じゃ。《上書き》の力を得し物語の神である」 ファンタジーだった。しかし、今この世界をファンタジーにしてしまった僕は、本来の驚きを発揮できない。ただただ言葉を失うだけだった。 「……で、藤原香子って誰?」 「なんじゃ、知らんのか? 紫式部と言った方が分かりやすいかの?」 「む、紫式部!?」 「なんじゃ、そんな驚くことか」 紫式部って、あの紫式部なのか? 「香子が源氏物語を書いている最中に神となったのじゃ。だから《源》と言う」 とんでもない物を持っているな、じいちゃん。 「とりあえず、有葉よ。余とお主は今、契約状態にある」 「契約……?」 「そう。余の力を使うのじゃ。もちろん対価は払ってもらう」 ククク、と笑う。対価という言葉は何ともマイナスなイメージだ。僕は少しだけ体が強張る。 「お主は余の宿ったもので物語を書き、余に捧げねばならん。そんな難しいことじゃない。普通に、この世界を終わらせればその瞬間に余に物語を捧げたことになる。面白い物語であるほど大量のエネルギーを得ることができる。このエネルギーがないと、余は消滅してしまうのでな……。幸い今は、恒彦のおかげでお腹いっぱいじゃが。余は最高ランクから一個下の神じゃしな」 「そう、か……でもそれだと、僕が物語を書かなかったらお前、死んじゃうんじゃないのか?」 「そうじゃよ! ……じゃが、お主も死ぬ」 「え……?」 「契約、じゃからな。この力を力を行使することによって、普通なら人間の命は尽きてしまう。しかし、余が守っておるのじゃ。……じゃから、有葉が死んでも余は死なん」 「何かそれずるいな」 「かわいいのう。余がお主を放っておくわけないじゃろ? 死なせない。他の人間なぞ死んでも構わんが、有葉だけは、守る」 面白い話が作れないと死ぬ、か。エンターテインメントに、文字通り命を懸けるということになる。 「余とお主は一蓮托生、運命共同体なのじゃよ。……これからよろしくの」 そう言い、彼女は僕に抱き着いてきた。 「はすはす! はすはす!」 そして僕の胸に顔を擦り付けてくる。懐きすぎだろ。 「まあ、……よろしく」 ――これは、挑戦だ。 じいちゃんがこの万年筆をくれた意味。 小説を書くことをやめてしまった僕に、面白い物語を作らないと死ぬ呪いがかかっている万年筆をくれた意味。 面白い小説を書いて見せろ―― そういう橘恒彦の挑戦だ。 僕は創作を諦めた。……違う、諦めたふりをしていたんだ。 僕は、小説を書くことが好きだ。物語を作ることが好きだ。自分の物語を面白いと言ってもらいたい。 ――いいだろう、じいちゃん。その挑戦、受けて立つ。 このペン一本で、この世界を最高に終わらせてやる。 そして、妹を、世界を、救ってみせよう―― 次の日、僕は机に向かってひたすら考えていた。これからの物語進行をどうするか。なかなかに難しい。 まず、この物語の主役だが、ばらばらに引き裂いたネタ帳のページを張り付けて確認すると、刀使いの設定をしていた。おそらくこういう異能系の物語では能力が被ることはないのだろう、メインキャラで同じ能力の使い手が二人いないのは異能ファンタジーの鉄則だし。 だとすると、この周辺の刀使いは一人。 ――群青ソラだ。 彼女がこの物語の主人公ということに―― 「あはは! これ面白いの! ちゅぶらっかって、ちゅぶらっかって!」 笑い声に僕の思考は遮られる。 ちゅぶらっかって何だよ……。ちょっと気になんだろ。というかそんなことが書いてある本、僕の本棚にあったか? ベッドの上で寝転び、文庫本を読みながら足をばたばたさせている少女がいた。ミナモトである。少しは協力しろよ……僕だけの問題じゃないんだから。 何故か彼女、今日はキャミソールにショートパンツという格好である。 「ミナモト、今日は和服じゃないんだな」 「えー、だって暑いしのー、七月はあっついあっつい」 俗っぽい神様だった。 「あの、『夏でも和服』みたいなキャラじゃないの?」 「あの時和服で登場したのは、あれが正装だからじゃ。余の立場を表すものじゃし、お主にとっては分かり易かろうと思って気を遣ったのじゃよ。もう余については分かったのじゃから、コスプレみたいな衣装を着る必要もなかろう?」 正装なのにコスプレとか言っちゃったよ。 「で、でも……有葉が、和服の方が好きって言うなら……」 やめろ、顔赤らめるな。 「猫耳でもいいぞ?」 「いらんし、神様が猫耳ってどうなんだよ」 いや、好きだけどね。猫耳嫌いな男子とかいるの? 「あー、馬鹿にしたー、お主、猫耳馬鹿にしたー。この近くに猫宮神社ってあるじゃろ?」 「え? まあ、あるな」 「あそこの神様、………………別に猫耳じゃないの」 「ちげーのかよ! ちょっと期待しちゃったじゃん……」 「そんな物語の中の神様みたいのおらんしー」 猫宮神社。参拝客の多い神社だ。猫宮神社の境内にある焼却炉に、願いを書いた紙を入れると願いが叶うとか。灰になって天に昇り、神様に届くらしい。 受験の時には世話になった。 「ああ、今ので思い出したが。物語の最中に、この世界が物語だと知られるのは不都合じゃからな。お主も気をつけろ。この世界の主人公には特に、気付かれないようにな」 「え? ああ」 それは当然の事のように思う。自分が物語の主人公だと確信している主人公……それはもう物語ではない。そうなったら、この世界はもう終わらないのだろう。 「それよりミナモト、本が面白いのはとても分かるけど、僕の話を聞いて欲しい」 「ちょっと待っておれ。もう少しで読み終わる」 「……」 ミナモトは昨日も深夜アニメを見ていたし、今日もずっと僕の本棚の本を端から読み漁っている。『面白い物語』が大好物らしい。まあ、物語の神様だしね……。 十五分程待つと、彼女は本を閉じ、満足そうな表情を浮かべた。 「……それで、なんじゃ?」 「用なんて一つしかないだろ。ほら、考えたんだけど」 僕は机の上の原稿用紙を彼女に見せる。 「ふむ」 彼女は僕から原稿用紙を受け取り、目を細めて読み始めた。 現在、この世界では物語が展開されている。異能バトルファンタジーだ。 主人公は群青ソラ、敵は《鬼神アバル》、最終的にそこを戦わせて群青さんに勝ってもらえばいい。それが結、物語の終わりだ。 しかし、動機が問題である。 確かに《鬼神アバル》は人々を襲う悪で皆から恨まれる対象なのだけど、群青さんがもっと個人的に恨んでいる必要がある。そうしないと盛り上がらない。 「これプロットかの?」 「そうだよ」 彼女は渡されたA4の紙を受け取り、視線を何回か上下させる。 「……ほう、なるほど。まあ、いいんじゃないか?」 「適当だな!」 「というか、有葉。別にわざわざ見せてくれんでもいい。余の力が宿ったもので書かれたものは筒抜けじゃからな」 「そうなのか……。知ってたとはいえ、反応が適当過ぎるよ。おい、神様だろ、言うなれば読みのプロなんだろ。ちゃんとアドバイスしてくれよ、頼む。頼みます!」 土下座まで披露する。実は、人生初土下座だったりする。プライドなんていらない。世界の命運がかかっているんだよ。何としても、ミナモトからアドバイスを受けたい。 僕が頭を下げると、彼女は何かを思い付いたように顔を輝かせた。 「それじゃあ、余とべろちゅーしてくれたら考え――」 「よし、一人で考えるか」 前言撤回である。 「ひどいぞ! 余は神なんじゃぞ! もっと甘えさせろ!」 「うるさい、勝手にラブコメ展開にされちゃ困るんだよ。僕は一刻も早くこの世界を終わらせたいんだ。……そして撫子を生き返らせる」 僕がそう言うと、彼女は分かりやすくため息をついた。 「はあ……そんなつまらないことに固着するな。性欲なら余で発散すればいいじゃろう?」 「妹を何だと思ってんの!? 確かに撫子は可憐で、小説を書くのに忙しいのに勉強にも手を抜かないがんばり屋で、いつもはツンケンしてるけど常に僕のことを気遣ってくれるような優しさがある魅力的な女の子だよ。だけど、妹だから! いずれは別の男の元へ行ってしまうんだよ! くそ! 許さん! お兄ちゃんそんなの許さんぞ!」 「うわぁ……有葉ってシスコンなんじゃな……」 「皆して蔑んだ目しやがって! シスコンじゃなくて家族愛だから!」 「お主が妹子のために世界を終わらせたいのは分かった。……まあ、これでやってみる価値はあるんじゃないかの」 相変わらず適当なため、ミナモトからアドバイスを得る事は諦めた。ミナモトは僕以外の人間に興味が無さすぎる。どうなってもいいと、本気で考えていそうだ。 とりあえず僕は、自分が作ったプロット通りに進めるために、詳しい物語を書き進めていった。 僕は家の付近の住宅街の路地に潜む。見据えるのは曲がり角だ。あそこから彼女達は来るしかない。 近隣住民に、『家の近くで黒い人影がうろうろしている』と通報をさせた。メインキャラは動かせないが、モブキャラを動かせるというのは割と使える。そして僕の設定だと警察と《光護隊》は繋がっていて、ソロモン関係の案件は全て《光護隊》にまわされるはずだ。かつ、ここはソロモン周辺部。敵の監視もあるであろう危険な区域には実力があるものが派遣されるはず。……群青さんは日本本部でトップの実力を誇っているとルナから聞いている。 ……来るはずだ。 本部からこの場所に来るまでの最短経路を考えた場合、この目の前の通りを来るしかない―― 「あら、有葉くん。こんなところで身をひそめて誰をストーカーしているの?」 背後からの声に体が飛び跳ねる。 「ちょっ、え、ええ? あー、群青さん……どうやってここに……」 「普通に、建物を飛び越えて」 普通じゃないだろ。 そう言えば、能力者は身体機能が著しく上昇しているのだった。わざわざ道を通るとは限らなかった。予想外である。 そして群青さんの背後にはもう一人、白衣のポケットに手をつっこみ、小脇に柿の種のボトルを抱えている少女――ルナである。 彼女は眠そうな瞳で僕を無表情に見つめる。 「あー、ルナもいるんだ。ふ、二人こそこんなところで何やってるの?」 「通報があったんデスよ。この辺に《鬼》が出たと。昼間からお盛んな奴らデス」 ルナが口を開くとドキリとしてしまう。昨日のあれは、いろいろと苦しいからだ。天才少女である彼女の前では看破されてもおかしくない。しかし、昨日のことに触れる空気はなかった。 よし、取りあえずは予定通りだ。僕はほっと胸をなで下ろした。 起承転結。これは物語を作る一つの体系である。 『起』で物語のきっかけを作り、『承』で話を展開させ、『転』で最大の盛り上がりを設け、『結』で物語を締める。 今回の場合、既に主人公が異能を手にしているところから考えるに『起』の段階は終わっている。つまり今は『承』である。 『承』では『転』に向けた準備をする。 群青さんとアバルとの間に特に個人的な因縁がない今、それを作る機会だ。 アバルに対する強い恨みや怒りの感情を起こさせないといけない。具体的に言えば、アバルには群青さんの大切な人を痛めつけ、さらってもらう。 僕の作ったプロットは以下の通りだ。 【プロット】 群青さんと僕が出会う(済)→群青さんと仲を深める→鬼神アバルが攻めてきて群青さんと僕を襲い、僕がピンチに→群青さん、何かを乗り越えてパワーアップ→決戦。 そして『群青さんと仲を深める』、の段階が現在、今ココである。自分が彼女にとって大事な人となればいい、ということだ。何故か彼女、僕を執拗に守っていたみたいだし、そこまで難しくないだろう。……きっかけさえあれば。 そう――きっかけ。それを作るのが今だ。 僕が今まで読んできた異能バトル系の物語では、ヒロインのピンチにかっこよく助けに入れば、ヒロインはその人のことを好きになる。 「もしかして、有葉くんが倒しちゃった? そんな実力があるならぜひ《光護隊》に入って欲しい人材だけど」 敵に襲われ、ピンチになった群青さんを助ける。 ――しかしルナ、君が今、邪魔だ。 「あー、いや、そんなことないけど。でも、『近くにいそうだよね』」 『近くにいそうだよね』、この発言は、僕の書いた物語がスタートする合図である。前回は別の原因で失敗したが、これ自体に問題はないはず。 そう、そしてこれを合図に―― ――ヒュンッ。 音速を超えた何かが、群青さんとルナの間の足元に突き刺さる。アスファルトをやすやすと貫いていた。矢である。しかし、木製ではなく、近未来的なデザインの黒い鉄製。そう、これは能力者――《鬼》からの攻撃だ。 《鬼》もモブキャラとしてペンで操作が可能である。 「――ッ!」 僕以外の二人が素早く散る。ルナは右に、群青さんは左に跳んだ。 分断成功――。二人の間に攻撃を放てば逆方向に跳ぶと思っていた。僕も群青さんの方に跳ぶ。彼女達の手には、刀、ハンドガンとそれぞれの武器が握られていた。僕も指先に力を込め、コンバットナイフを具現化させる。それを逆手に握った。 「もう一体、来る!」 群青さんの声に反応して後ろを振り返ると、そこには槍を持った《鬼》が僕に跳びかかって来ていた。全身が黒く、目が血走っている。 すんでの所で攻撃を刃で弾き、群青さんと共に住宅の屋根に着地した――瞬間、彼女の後ろから再び矢が飛んで来る。彼女は感知していない。僕は能力者としての運動能力を最大限に活かし、間に入ると同時に矢尻を刃の先に軽くひっかける。鮮烈な火花が散る中、矢は方向を微妙に変え彼女の頭の横を通過し、槍の《鬼》の太腿に突き刺さる。 「おごあっ!」 跳躍中だった《鬼》はバランスを崩し、家屋の壁へと激突した。勢いよく土埃が舞う。この周辺にはほとんど住民がいないことが幸いしたようで、中に人は居なく、人的被害はなかったようだ。 「やったか……?」 僕の声に反応したかのように、不敵な笑みを浮かべた《鬼》が引いた土埃の中から姿を現した。 空気を裂くような音を微かに耳が広い、それに反応するがままに腕を振るう。再び飛んで来る矢を弾いた。 僕は群青さんに視線を向けると、彼女はその視線の意味を汲み取ったのか、頷く。そして少し離れた家屋の屋根に着地したルナに向かって言う。 「ルナちゃん、あなたは弓矢の《鬼》を。私たちは槍の《鬼》と戦う」 「了解デス」 そしてルナは弓矢が発射されたであろう方向へ跳躍する。それを見ていたのか、こちらに向かう矢の攻撃はなくなり、全てがルナの方へ集中した。 ――正しい判断だ。ハンドガンを使用する能力者であるルナは、飛び道具の特性について僕等よりも知っているはずだ。だから、弓矢の《鬼》を任せるのは正しい。 そしてここまで予定通りだ。 物語を作るというのは、先を見越す計算能力が必要である。起こしたいイベントにスムーズに移行させる――二年以上もブランクがある僕でも、まだそのような計算能力は残っていたらしい。自分の思い通りにストーリーを作る……あの感覚を、僕は思い出しかけていた。 その時、一瞬、僕の意識は戦闘から逸れていた。 その間に槍の《鬼》が彼女に向かって一直線に跳ぶ。 「群青さん!」 油断だった。本当はあそこの間に僕が入り、《鬼》と戦う予定だったのに―― 群青さんはぼうっとしており、右手に刀こそ持っているが、ぶらんと両腕を下げている。まるで戦闘をする体制ではなかった。このままだと、あの槍の猛進に貫かれる。 思考が加速する。 ナイフを投げる? 間に合わないし、武器は手から離れたら粒子状に分解してしまう。 僕の武器を飛び道具に変更する? 万年筆はポケットに入っているが、書いている時間がない。 ――あ。 《鬼》は不気味な笑みを満面に浮かべ、槍が彼女の体をつらぬ――、かなかった。 片足分だけ体をずらし、攻撃をひらりとかわす。《鬼》は勢いを落とさぬまま横を通り過ぎた。彼女と《鬼》の間はもう五メートルは空いている。お互いにもう攻撃範囲外であった。 ――しかし、彼女は刀を振るう。ブレードが空気に裂け目を作り、作られた斬撃が飛んだ。《鬼》の背中に食い込み、そして肉を絶ち、骨を砕く。気付けば《鬼》の体を貫通していた。 ああ、そうだ。彼女は、群青ソラは『日本本部でトップの実力を誇っている』のだった。それなら、あれくらいは軽くやってのけるのだろう。 「ぐぎゃああぁぁッ!!」 《鬼》は断末魔の叫びをあげる。途端、ふわりと因果から解放されたように《鬼》の体が解け、天に吸い込まれていった。 その場に残ったのは、淡く光る黒色の物体であった。重力の影響を受けずに浮遊し、まるでブラックホールのように全てを拒絶し静かに存在していた。 「何だ、あれ……」 群青さんがそれに向かって斬撃を飛ばす。すると不思議な物体だったそれは、ゲル状となり、あたりに散った。 「あれは《魂素子》。私達の中にもあれのもっと小さいものが入っている。《魂素子》を破壊しないと《鬼》が復活するか、《鬼神》に回収されてしまう。《鬼神》は《魂素子》を集めているから」 何だか、感動的だった。こうやって、自ら想像した世界が展開されている。目の前に、物質として存在している。妄想家なら誰でも夢見ることではないだろうか。 ――もちろん、僕はこの世界を壊すのだけど。 そのための今回の戦いだった。最後まで予定通りとはいかなかったが、それなりにかっこいい所を見せられたのじゃないだろうか。さて、好感度は……? 「有葉くん。矢を弾いてくれてありがとう」 彼女は無表情に、そう言った。表情からは分からないが、これは素直に受け取ってよいだろう。なかなかの好感触、このまま続けていけば絆が深まっていくはず! むはは、この勢いでハーレムでも作っちゃおっかなー! 僕は、最高に調子に乗っていた。心の中でガッツポーズしていると、彼女が付け加える。 「――だけど、ああいうの必要ない。私は強いから」 「はえ?」 思わず変な声が漏れた。 「それじゃあ、私はルナちゃんと合流して本部に戻るから」 「え、あれ、ちょっと、まっ」 その時、既に彼女は目の前から姿を消していた。 それから一週間。僕は、違う敵を用いて同じような作戦を何度も決行した。 しかしその度に、 「有葉くん。どうして私への攻撃を防ぐの。必要ないんだけど」 とか、 「あの敵からの攻撃、私、利用しようと思っていたんだけど」 とか、 「どうして私の行動の邪魔をするの?」 とか、 「有葉くんって今まで彼女いたことないでしょ?」 おい待て。これは戦いと直接関係ないだろ。しかも当たってるのが妙に傷付く……。 結局、好感度が上がっているような気はしなかった。 むしろ下がっているんじゃないかな……てへぺろ。 「もう、僕には無理だ……くそう! 女心とか分かんねえよ! かっこよく助ければそれでいいんじゃないのかよォ! しかも一緒に戦うとかさー、吊り橋効果や共同作業っていう特典付きのはずだろォォッ! 何がどうなってやがんだよ!」 ――途端、頭の中に電流が流れる。 「はっ、まさか…………ツンデレ……?」 「お主。現実逃避は小説読むだけにしとけ」 相変わらずベッドでごろごろしながら本を読んでいるミナモトが僕に声をかける。 「うっさい! ここが既に小説の中だろ!」 僕は成す術もなく、部屋で苦しんでいた。ミナモトはたまに声をかける程度で無頓着である。……あのね、何度でも言うけど、君にも関係ある話なんだよ? 「いや、でもミナモト。群青さんがツンデレ説はあるでしょ」 「余も万年筆の中から見ていたが、とてもそうは思えないの」 「うぃっす……」 分かってはいた。 本物のツンデレは撫子のような子だ。僕を睨んで「馬鹿!」とか言いながらも、部屋から出て行く時には「また読んでね」と言ってしまうタイプ。 それに比べて群青さんは、僕を散々蹴り倒した後に「ごめん。はい、これ薬」と言って唐辛子を塗り込むタイプ。 「この作戦は断念した方がよさそうだな……。関係、向上してないし。別のプロットを一から考えるか……」 最初からやり直しだ。しかし、そっちの方が結果的に早道だということだってある。 「あ、それ無理じゃぞ」 ミナモトがポテチをつまみながら本のページをめくる。ふざけんな、油の染みができるだろ。……いや、そうではなく。 「無理って……? どういうことだよ。別にプロットを直しちゃいけないなんてルールないだろ?」 「あれ? 言ってなかったかの。お主、この万年筆でプロット書いたじゃろ?」 「え、うん」 「一度書いたものに関して、それを取り消すことはできん。」 「……………………………………………………………………………………」 ほほう。なるほどね。つまりあの書いたプロットはもう取り消せないと。 僕が群青さんと仲を深めるルートしか残されていないと。険悪なムード漂ってんのに。僕は笑顔で言う。 「いやいや、ご冗談を。そんなことしたら詰みじゃないですか」 にっこり。 しかし、ミナモトは足をばたばたさせながら適当に答える。 「えー、本当じゃけどー」 「……………………………………………………………………………………」 うすしお味のポテチがミナモトの口内で咀嚼に合わせて小気味良い音を立てる。 「マジで言ってんの!? ふざけんなよ! 受け入れるのに三点リーダーを計六十四個も使っちまったじゃねえかよ! 何でそんな大事なルールを最初に言っておかないんだ!」 さすがにミナモトは本を閉じて、僕へ向き直る。顔にびっしり汗をかいており、僕と目を合わせない。ゆっくりと口を開いた。 「いやいや――」 「聞かれなかったし、とか言ったら部屋の本を全部ゴミに出すよ」 「お、お主! なんと恐ろしいことを言うのじゃ! それでも物書きか!」 「図星かよ! 忘れてただけだろ。もう……どうすんだよぉ……」 「…………」 怒る元気がなくなってきた。分かっているのか? 群青さんとのデートが世界のアライブに関係してくるんですよ。第三者機関が僕と群青さんのデートを監視すべき事態だろ。 「うっ、ぐずっ、そんな怒ることかの……うぅ……」 しばらくミナモトが静かだと思ったら俯いて嗚咽を上げ始めた。 おい、最近の神様って泣き虫なのかよ……。天界にもゆとり教育とかあるの? 「いやぁ……ごめんな? その、僕も八つ当たりみたいになってたし」 彼女はベッドからずり落ち、そのまま内股で座りながら目をこする。 「ゆ、許してくれる……?」 「……!」 涙目での上目使いは卑怯だ……! 「うん、許すって。怒ってないよ。怖い思いさせてごめんな」 ロリっ子ってすごい。もう、僕が悪いみたいになってるもん。例え自分が悪くても、相手に謝らせることができてしまう。《原罪の一方通行》とここに命名。見てくれ、親指を噛みながらの上目使い。その瞳は純真そのもの。大人の世界なんて何も知らないのさ。 「本当か!? わーい! じゃあ今夜は人間界で古くから伝わる夜の仲直りの儀を執り行おうぞ!」 だが、その幻想をぶち殺す! 「遠回しに言ってもだめだから。悪いけど僕、ロリコンじゃないし」 「えぇ!? 現代日本人の三人に一人がロリコンなのに!?」 「え、そうなの!?」 むしろそっちの事実の方にびっくりだよ。 さて、どうしようか。どれだけ彼女を責めたところで事態が良くなるわけじゃない。もっと建設的に考えよう。 つまり、どうやって群青さんと深い仲になるか、だ。 「あ、一つアドバイスじゃ、有葉。たまには協力者らしいこともするぞ」 彼女はさっきの態度とはうってかわってけろりとし、ベッドに寝転ぶ。態度が少しいらっとするが、アドバイスをくれるというのなら、ありがたく受け取ろう。 「すごく大切なこと言うからの。よく聞いてくれ」 「おう、何だよ」 そして彼女は人差し指を立て、得意げに言う。 「お主のやり方に問題があるとすれば、それは『ご都合主義過ぎる』ところじゃ」 「ご都合主義……?」 「さっき言っておったろ? こうこうこうすれば女性が落ちるはずだー、みたいなことを」 ピンチを格好よく助ける、のことだろう。 「考えてみるのじゃ。お主が作る物語と、この《上書き》の世界、どう違う?」 小説と、この世界。どう違うか。僕はすぐに思い付く。 「自分の物語だとキャラは自分の思い通りに動かせるけど、こっちだとそうはいかないところ、だろ?」 「そうじゃ。お主の書く物語では、キャラクターは絶対にお主より頭が悪い。有葉が考えもしないようなことをさせることは不可能じゃ。だけどこの《上書き》の世界では、キャラクターは生きた人間。お主の思い通りに行くとは限らない。つまり、お主が小説の定石で使っているパターンが適用できないことの方が多い、ということじゃ」 思わず息を飲む。閃きの切っ掛けを得たような気がした。 確かに、言われればそうだ。 僕が書く小説のキャラクターは僕が考えもしないようなことはできない。 そう、例えば――ピンチを助けられたのに悪態をつく、とか。そんなことは僕の思考パターンに存在しないものだ。 だけど、この世界ではそういうことが起こりえる。 キャラが作者を超越する―― 「そう、か。そうだ。そうだな。……なるほど。ありがとうミナモト! たまにはお前もやるな。家でだらだらしてるだけかと思ったよ」 「じゃろ! じゃろ! 褒めて撫でて抱き締めて接吻して抱いて!」 「はいはい、よくやった。助かったよ」 ベッドに腰かけて足をばたつかせている彼女に対し、僕はくしゃくしゃと頭を撫でる。つややかな黒髪が僕の指の間をくすぐったく通り抜ける。 「え、えへへ……」 満足そうな笑みを浮かべる神様。もっと無理難題を要求していた気もするが、それはお流れということで。 「よし、それじゃあさっそく行こうか」 僕が万年筆を持って部屋から出ると、ミナモトは万年筆に吸い込まれる。 「あ、ちょっ、お主! もうちょっと余韻にぬわあああぁぁぁぁ…………」 キャップを締めて、いざ、参らん。 まず、問題はどこに行けばいいかということであろう。 例えば、群青ソラの自宅。それが分かれば苦労しない。もしくはツーマンセルの相方であるルナ・ラヴクラフトの自宅。これも分かれば苦労しない。 こうなって初めて思い出す。僕は彼女と距離を詰めようとしていたにも関わらず、メアドさえゲットしていなかったのだ。 結局、いつものように通報があったことにして、二人を呼び出した。場所は中心街のはずれである。 「……あら、最近あなたに会うことが多い気がする、有葉くん」 「…………」 目の前には二人。群青さんとルナである。 ルナとはあの日からも表面的な会話しかしていない。たまに僕をじっと見つめていることがあるけど、一体何を考えているのだろう。天才少女であるところの彼女の考えなんて、僕には到底分かりそうもない。 「それで、《鬼》はどこ?」 「ああ、そのことなんだけど、僕がもう倒しちゃったんだ」 「……そうなの」 彼女は残念そうに視線を落とした。ルナは、今日は一段と僕を見つめてきている。 「ルナ、何か用?」 「いえ、特に何でもないデスが」 ボトルに手を突っ込み、掌ひっぱいに柿の種を握り、口に突っ込む。半分ほどはぽろぽろと地面にこぼれた。 本当、何を考えているか分からない。 「それじゃあ、私とルナちゃんは帰る」 「それなんだけど、ちょっと待ってくれない?」 「…………何?」 群青さんがクールな瞳で振り返る。 「群青さんに、大事な話があるんだ」 そう言って、ルナに目配せした。 「…………分かりまシタ。ソラっち、アタシは帰ってますね」 意外に空気を読める人であった。素直だ……そしてそれが意外だった。韜晦しているだけなのではないだろうか、と疑ってしまう。 ルナが立ち去り、群青さんと僕、二人だけになる。 群青さんは、明らかに訝しむ視線を僕にぶつけてきた。 「それで、大事な話っていうのは?」 「そうだね……とりあえず、歩きながらでいいかな?」 彼女は数秒固まった後に首肯した。 僕は思う。 僕は、群青さんを今までキャラクターとしてしか見てこなかった。彼女はこの物語の主人公である前に、一人の人間だ。この世に生を受け、愛され、育てられ、悩み、笑い、泣いて、生きてきた。そんな人生がある。それを忘れてはいけない、前提にしなくてはいけない。 一人の人と深い仲になるには、仲良くなるためには、やはり本音で話す必要がある。 趣味や、好物や、自分の考えや、感情や、そういうものを吐きだしていく中で、相手との共通項が見つかる。同意する。それを積み重ねることによって、安心するんだ。「ああ、この人は自分の言うことを分かってくれるだろう。ある程度、自分と同じ理屈で物事を考えているだろう」そう思うことによって、心の距離はぐっと縮まる。 だから僕は、聞くべきことを、聞くべきタイミングで、聞くべきだったのだろう。 表面をなぞるような言葉のやり取りで済ませるべきではなかったんだ。気にしないふりが一番良くない。 空を仰ぐ。世界が《上書き》される前の世界と何も変わらない曇り空だった。 靴音を聞く。彼女のローファーのヒールがかつかつと鳴った。 「………………」 さっきから無言で二人、並んで歩いている。 「……じゃあ、ここら辺にしようか」 「ええ」 人がいない場所を選ぶ必要があった。それでいて、落ち着ける場所。 僕が選んだ場所は猫宮神社の境内だった。神社というのは、人の心を落ち着ける場所だ。話すのには意外に向いていたりする。 賽銭箱の横の石段に腰掛ける。すると、彼女も少し離れて座った。 「それで、大事な話っていうのは? そろそろ話してくれてもいいんじゃない。ここまで焦らしておいてやっぱり止めたとか言うの?」 「いやいや言わないって。そうだね、僕が群青さんと話すことって言ったら――」 笑顔で、出来るだけ何でもないことのように言った。 「――撫子のことだよ」 この世界にはいない僕の妹。 世界が《上書き》される前、撫子と群青さんには関わりがあった。その関係が何だったのか、僕はずっと気になっていた。 「撫子ちゃんのこと……って?」 「世界が……こうなる前に、僕の妹と急に仲良くなってただろ? それが気になって。どうしてかなって、ね」 クラスの人とはほとんど話さない。クールで、孤高な群青ソラ。 それが、一体どういう繋がりで僕の妹と知り合った? なんで僕の妹と仲良くなったのだろう。想像がつかない。 だからこそ、そこに何かがあると思う。 群青ソラにとっての大切なもの、人生哲学、こだわり。それを知れば、多分僕は彼女と仲良くなることができる。少なくともそのきっかけが掴める。 群青さんは、不思議そうに僕の顔を覗き込んだ。 「撫子ちゃんから聞いてないの?」 「うん、それが聞いても詳しく教えてくれなくて……ただ、助けてもらったって言ってたけど」 「大切な話って言うから何かと思ってたけど、こんな事だったの」 こんな事、か……。はずしたか? これは群青さんにとってのキーではない……? 「別にいい、隠すことじゃないし……撫子ちゃんが隠してたのは、有葉くんを心配させたくなかったから、だと思う」 「心配?」 「ある日、私が下校している時、撫子ちゃんが男に絡まれてたの。多分、三年生」 「なんだと!? 撫子にちょっかいかけてるやつがいるのか! 誰だ! 名前と住所と志望大学と口座番号を教えろ!!」 「…………」 僕の叫びは風にさらわれていく。冷たい視線を浴びながら、僕は咆哮するライオンのような姿勢で立ち上がっていた。 「……撫子ちゃんがあなたに話さなかった理由が分かった」 「べ、別に、シスコンとかじゃないしっ……」 彼女は僕の言い訳に対して無反応だった。 「それで、困っているようだったから私が助けたの。その後、撫子ちゃんがどうしてもお礼をしたいって言うからお茶をごちそうになって……その時に、ちょっと昔話をしたのよ。まあ、それから、ね」 「――何の話を?」 これは、良い傾向じゃないのか? 何か聞き出せそうな雰囲気だ。 「それは、秘密」 が、踏み込めなかった。 ですよねー。ここで聞き出せたら、それこそご都合主義ですよ。そう簡単に、腹を割って話せないだろう。それが自然だ。 後は、ここからの話題転換。自分の弱みを言いまくる作戦だ。 人は、相手が自ら弱みを見せると、こちらも何か見せなくてはいけないという気持ちになる。それが、本音でのトークに繋がっていくのである。 さて、まずは僕が、修学旅行が楽しみ過ぎて寝付けずに遅刻して行けなかった話から。 と、僕が話そうとした瞬間に、彼女が口を開く。 「……それで? もう話は終わり?」 「え? まあ、うん…………」 僕は意識外からの一言に、言葉を濁してしまう。 「じゃあ――」 僕はその時、これからどうしようかと考えていた。必死に考えを巡らせていた。タイミングを、計りかねていた。 しかし、そんな思考を一時停止せざるを得ない発言が、彼女から飛び出す。 「――今度はこっちから聞きたいことがあるんだけど」 「……え? 何?」 彼女は、僕のことを食い入るように見つめる。 「立ち入り禁止エリア内にあなたがいた日、ショックで記憶の一部を健忘していたあの日ね。その後本部で何があったの?」 ボロが出たか、と思った。僕が気にしていたことだ。あの時の対応は、すごく無理あると思うしなあ。だって、代表の側近って、ねえ。 しかし、ネタバレは絶対にだめだ。 主人公に、この世界が作られた物語だと知られること。主人公がメタっていること。それはもう物語ではない。 だから僕は、ごまかすしかなかった。 「まあ、よく覚えてないんだけど……能力が発現した、のかな」 曖昧で、抽象的に答える。あまりつっこまれるとまずい。覚えていないで通すべきだ。 「よく覚えてない、ね。……ルナちゃんが、あの日から様子がおかしくて」 「ルナ?」 「何だか心ここにあらず、と言うか。たまに何かぶつぶつ言ってるし、一日十二時間以上寝てるし、柿の種しか食べないし……」 「いや、それは元からだろ」 しかし、彼女の心配する姿は新鮮だった。 「それで、たまに言うのよね。『メモ帳』って」 「! ……メモ帳、ね」 それは、僕のネタ帳のことだろうか。今も、万年筆と共にズボンの左ポケットに入っている。これには僕が操作してきた今までのことが書いてある。見られるわけにはいかない。 「それで、あなたのポケットに入っているメモ帳なんだけど、見せてもらえないかしら」 「はっ」 予想外の言葉に、息が漏れる。 気付かれていた……? 確かに僕は彼女のすぐ傍でこのネタ帳に万年筆で書きこんだこともある。その時、見られてはいないと思っていたが……実はバレていたのか? 鼻頭にじっとりと汗が滲んでくる。 「あ、メモ帳、か……いや、今日は持ってきていなくて」 そう言いながら、僕はポケットからそっとメモ帳を取り出す。彼女は僕の右側に座っているので、左ポケットは死角のはずだ。 「本当、見るだけでいいの。ルナちゃんの言うことって鋭いことってあるし、多分あなたのメモ帳とは何の関係もないんだろうけど……気になるだけだから。あなたが今後ろに隠したメモ帳を見せて」 「!! な、え、ちょっと、」 僕を見つめる。その表情には怒気を含んでいる気がした。 上半身を僕の方に乗り出してくる。僕はネタ帳を背後に隠し、のけ反った。 「…………」 「…………」 至近距離で、彼女が僕を覗き込む。僕は目を逸らして、必死に考えた。 ・この万年筆で書いた物語が現実で始まる。 ・設定を加えたり、イベントを起こすなどができる。 ・基本的にキャラクターに何かさせることはできない。 ・ただし、モブキャラにはモブキャラの範囲で動かすことが可能。 ・物語を一度始めると、続きを書かなくても勝手に動き出す。 ・僕に対して書いたことは何でも実現される。 ・一度書いたことを消し去ることは不可能。 ルールが思い出される。この場を切り抜ける何かがないかと、頭が働く。 ネタ帳を見せてしまうか? そこに書いてあることと、今までの行動を結びつけて考えられることなんてあるか? ――やめろ、こんな楽観的考えじゃだめだ。こういう時は、見たら必ずこの世界の仕組みに気付かれると思わないといけない。 ネタ帳を見られるのはアウト。これは、絶対だ。 最善だけを選べ、考えろ。 「ねえ、見るだけなの。内容も誰にも言わないし」 高圧的な視線が僕を貫く。 この空気の中、見せない選択肢はあるのか? ――作るんだ。そういう空気に誘導する。 「すぐ済むから」 ぐっ、と近づいてくる。 ……違うよな。そうじゃない。 ――冷静になれ。僕を物語の登場人物だと思い込むんだ。この状況を、どう利用するか。そう考えろ。意味のなかったものを伏線にしろ。ピンチをチャンスにしてカウンターを決めろ。 視界が濁る。形而上の何かが弾けた。 現状を認識し、自分の能力を想定し、可能な選択肢の枝を伸ばす。ポキリポキリといらない選択肢から消し去り、残ったものから選び取る―― 猫宮神社。撫子。本音を聞き出す。距離を縮める。ミナモトの言葉の端々。 書け。書け書け書け。掴め。支配しろ。この世界の神らしく、コントロールしろ。俯瞰するのは僕だ。 ――そして、一つの考えに思い至る。 「有葉くん?」 「あ、ああ、ごめんごめん。メモ帳、ね。……実はこれ、ネタ帳なんだよね。僕が小説を書いてるって話は知ってる?」 「撫子さんから聞いたけど。今は書いていないんじゃなかった?」 そこまで知っているのか。妹から何か聞いているのか? 「まあね。でも、いつかは書く。だからそのためにネタ帳を作っているんだ。日常の中でどんな発想を得られるか分からないから、いつも持ち歩いてるだけで……だから、見せるのが恥ずかしいんだよ」 「そう……。でも、中身のこと、誰にも言わない。約束する」 「いやぁ、だからね。群青さんに見られること自体が恥ずかしいというか」 「いいじゃない。物書きなら自分の書いたものを人に見せるのが本分でしょ?」 「…………まあ、そこまで言うなら」 そして僕は、隠していたネタ帳と万年筆を面前に出す。 「恥ずかしいから、声に出して読んだりはしないでね」 「そんなこと、しない」 彼女は、何も疑うことなく、ネタ帳を読み始める。 「…………」 そして、途中からはぱらぱらとめくるだけになった。本当に、ただのネタ帳だと思ったようだ。 ――書かれていたはずの、世界を動かした文たちは、きれいさっぱりなくなっている。 「……なに、これ」 そして彼女は最後のページに至る。途中は何枚か空白だったはずだ。目に付きやすいように最後のページに書いてあるもの。 『撫子にまた会いたい』 訝しむ視線でネタ帳を眺める彼女に、頃合だと思って言う。 「知らない? ここは猫宮神社。近々ここに来ようと思っててね。……あそこの焼却施設、煙突があるとこね。ゴミを燃やすものなんだけど、あそこに願いを書いた紙を入れると叶うらしいんだ。灰になって、天に昇り、神様にまで届くんだって」 まさか、猫耳の話が伏線になるとは。 「……知らなかった」 群青さんは、感心するように、同情するように、言った。 撫子にまた会いたい。まごうことなき本物の僕の本心だ。 「そうだね、それじゃあ僕は今からこれを燃やすけど、どうせだし、群青さんも何か書きなよ。……はい、これ」 そして僕は笑顔で、それを、最後の切り札を、万年筆を――渡す。 「え、でも……私はいい」 「えー、どうせだしやろうよ。……ソロモンが降って来てから、世界はこんなになってしまった。……本当に、めちゃくちゃだ、なんかあるでしょ?」 僕のせいで、世界は――壊れてしまった。本当の神様が、秩序立てて、間違わないように、外れないように創った法則を、横槍を入れることによって崩してしまった。 だから、その責任は、僕のものだ。 「書いた願い事は、誰にも見られちゃいけないんだ。僕も見ないんだし、どうせ燃えてなくなっちゃう……別にいいんじゃない?」 「……まあ、うん」 そして僕は、ネタ帳の最後の一ページを破り、ネタ帳本体を彼女に手に戻す。そして先に焼却場の方に行き、願い事を書いた紙を入れ、燃やした。 しばらくすると、彼女も立ち上がり、こちらに来る。 「書いた?」 僕がそう聞くと、こくりと控えめに頷く。手の中に、二回折りたたまれた紙があった。あそこに――彼女の本音がある。本当の願いが、ある。 「はい、ありがとう」 彼女は僕にネタ帳と万年筆を返す。 そして――彼女は、願い事を書いた紙を、ぱちぱちと燃える火の中に落とした。黒く削られるように燃え、そして灰になるまで五秒程だった。 彼女の本音は、失われてしまった。 群青さんは、レンガで囲まれた火の前で手を合わせる。そのまま目を瞑り、何かを願っている様だった。そんな作法はないんだけどなぁ。 邪魔してはいけないと思い、僕は境内の、元の階段に一人戻り、座って待った。 「ふう……危なかった」 ――状況、終了。 彼女の願いは、手に入れた。 まず、ネタ帳から僕が世界をコントロールした文が消え、最後のページに言葉が残っていたのは、ペンの力である。 『このネタ帳の中の、《上書き》の力で書かれた文を全て消す。そして最後のページに、《撫子にまた会いたい》という記述を残す。その後、今書いているこの文章を消す。』 背後に隠しながら、そう書いていた。 そして、願いを手に入れた方法―― 僕がプロットを書いて見せたあの時、ミナモトは言った。 『別にわざわざ見せてくれんでもいい。余の力が宿ったもので書かれたものは筒抜けじゃからな』 群青さんに万年筆を渡したのは、世界を改変させるためではなく、ミナモトにいわばカンニングをさせるためである。 問題は思考の誘導だった。 例えば、願いを書け、と突然言われても『世界が平和でありますように』だとか『健康』だとか、当たり障りのないことを書くかもしれない。それが懸念だったが、既に僕は『撫子のこと』という、彼女のなにがしかに関わることについての話題を振っていた。 きっと、彼女の思考は、そちらへ向いているはず。当たり障りのないことを書く確率は減っているように思う。 しかし―― 「ミナモト、群青さんは、何て書いてた?」 ペンから、彼女の声が返ってくる。 「お主。それは、『正義の味方になりたい』じゃ」 「正義の味方……?」 「いや、本当じゃよ?」 何だ……? 適当に書いたのか? おい、作戦失敗かよ。どうする――、何か、彼女と仲良くなる手は他には……。 「有葉くん、待っててくれたの? もう話が終わったのなら、別に帰っててもよかったのに」 「え? ああ……」 そこで思い出す。彼女が一生懸命に祈っていたことを。 ――これは、本当の願いなのか? だとしたら、意外だ。彼女はクールで、何事にも無関心そうで、正義の味方なんていう熱血な何かと結びつきそうにない。……だからこそなのか? 取り敢えず、正義の味方関連の話を振ってみようか……。 ちょうどいい僕の失敗談があったな。 「そういえば、何か思い出した話がある。よかったら聞いてくれる?」 「……何?」 彼女は座らずに、僕の前に立っていた。 「本当、くだらない話なんだけど、僕が小学校の頃の話なんだ」 そして僕は話し始める。 「なんでだか忘れたけど、放課後残ってて、結構遅くなってたんだよね。親に怒られるといけないと思って、僕は急いで教室から飛び出した。その時、ふと隣のクラスを覗いたら、女の子と、割れてる花瓶があったんだ。女の子が落としちゃったのかな? バラバラになっちゃってて――」 しばらくその女の子と「あちゃー」みたいな感じで目を合わせていると、運悪く先生が来てしまって……と、話を続けようとした。 が。彼女の様子が明らかにおかしかった。 「うそ、でしょ……有葉くんがっ……」 信じられないというように目を見開き、うろたえている。こんな顔の群青さんを見たことがなかった。 何? これは話のオチを言う前に話を潰すボケなの? そんなふざけた様子ではなかった。瞳孔が開き、目には涙が溜まっている。 「な、何? どうかした? 大丈夫?」 「…………い、いいの。大丈夫、大丈夫だから……」 そう言う彼女は、僕の隣に座り、自らの膝の部分に顔をうずめてしまう。髪で横顔が隠れ、どんな表情をしているかうかがえない。 「え、でも……具合悪いの?」 「いいから…………続きを話して」 え、何。僕の話ってそんなおもしろい? 参っちゃうなあ。 彼女の反応は芳しくなかったが、僕はとりあえず話し続けることにした。 「その割れてる花瓶は、隣の担任が大事にしていたものなんだ。それをその子も知ってたんだろうね。すごく泣いて、顔ぐちゃぐちゃにして、すごく情けない顔してて――」 「……そこはカットして」 「えっ」 「カットして」 彼女の威圧的な言葉を問答無用でのむ。 「……それで、タイミング悪くその担任の先生が来ちゃって。僕はね、正しい選択をしたいと思った」 間違えないように、その時持っている全ての判断力を存分に発揮して、後悔しないように、最善を、選び取る。それが、僕の生き方。誰にも譲れない、僕の哲学だ。 「その女の子はすごく反省してたんだよ。だからこそ、あんなに泣いたんだろうし。これ以上怒られるのは可愛そうだと思って、彼女を助けようとした」 だけど―― 「だけど。花瓶が割れた現象には、犯人がいなきゃいけない。必要な悪だった。だから、僕が花瓶を割ったことにしたんだ。その女の子は、たまたま僕が割った花瓶の後片付けをさせようと、僕が無理矢理連れてきたことにした。――そうして、罪を被ったんだ」 今考えると、浅はかだった。 「でも、所詮は小学生だから。考えが甘い。僕は、自分が怒られてそれで済むと思っていたんだ。だけど、母親が呼び出されて、一緒に謝ることになった。その時の母さんの悲しそうな顔を見て、『ああ、これは僕だけの被れる責任じゃなかったんだな』って思ったもんだよ。まあ、そういうことが学べたんだから、後悔はしてないけど」 「…………」 「以上です……が」 「…………」 話が終わったのに、彼女に反応はなかった。ん? 盛大に滑ったってことでいいのかな? それとも、こんな落ちじゃ許さないってことで話の続きを待っているのかな? 「あの、本当、もうこれ以上続きはないんだけど……僕は小学校でそんなことばっかりしてたから元々悪ガキ扱いだったし、立場は変わらなかったよ。……その女の子がその後どうなったかも知らないし…………あのー……?」 僕が顔を覗き込もうとすると、 「だ、だめ!」 「あがッ!?」 僕の胸に飛び込んでくる。しかし僕らは座った状態であり、受け止めるには腹筋は足りずにそのまま後ろに倒れ込んだ。手すりの足に後頭部を勢いよくぶつける。頭の中で星が散った。 「ちょ、ちょっと……どうしたの、群青さん」 群青さんは僕の上に覆いかぶさり、胸のところに顔をうずめていた。 今まで彼女がいたことのない僕にとって、これは今まで経験したことのないことだった。心臓が体全体を震わせるほどに強く早く鼓動を打ち、目が泳ぐ。何が何だか分からない。 こんな時どうしたらいいんだ! くそッ! 今月のToLOVEる読んどくんだった! 「有葉くん……有葉くん……有葉くん有葉くん有葉くん……!」 「は、はい」 虚ろに僕の名を重ねる。それに対し、どもって「はい」と答えるのが童貞の僕の限界である。 「……私も、有葉くんみたいな正義の味方になりたい……ずっと、目指してた」 彼女は、自分でコントロールできないように、言葉を吐き出した。 「だから、困ってる人を助けたくて……困ってる人とできるだけ一緒にいたの……そうすれば、何かあったらまたすぐに助けられる」 そこで思い出すのは、妹のこと。急に、妹と一緒にいるようになった、群青さん。 「……有葉くんみたいに、格好良くなりたくて」 格好良い、か。そんなわけはなかった。僕の責任内で収まらなかったのだから。……それでも、あの時の彼女の心が少しでも救われたのなら、本望だけど。 「《鬼》を倒すときも、全部自分でやりたかった……。有葉くんを守って戦いたかった……だけど、有葉くんが強くて……そんなチャンスが無くて……だからっ」 彼女の行動の不自然な点が全て腑に落ちる。 こういうことだったのか。彼女は、人助けをしたかった。人を守りたかった。正義の味方になりたかった。 だから……だから、この世界で、妹を失って塞ぎこんでいたはずの僕につきまとっていたのだろうし、《鬼》戦の時も、僕がピンチを助けるほどに嫌な顔をしたのだろう。 彼女は、正義の味方になりたかったんだ。 「それなら――群青さん。君はかっこよかったよ。刀を振るって一撃で敵を仕留めるのも、常にクールな態度も……」 彼女は、僕の胸でこくりこくりと頷く。泣いているのか、僕の胸が湿っていた。 「だから――」 だけど――だけど、正義の味方とは、犠牲だ。世界のため、皆のために見返りを求めずに行う、ボランティアだ。そして、責任だけはとらなくてはいけない。あくまで、自己満足。それを肝に銘じる必要がある。そしてよく考えなくてはいけない。自分が守ろうとしているそれは、自分の身を滅ぼしてまで守りたいものなのか。 本当の正義は、悪を騙るのだと僕は知っている。そんな現実が嫌で、僕は妄想の世界に逃げ込んだ。小説で、都合の良いヒーローを描いた。知っている、これはエゴだ。 そんな気持ちを封じて、僕は……。 「だから、僕にも手伝わせて欲しい。君が正義の味方でいられるように、僕は君を守る」 そんなヒーロー像を、僕は壊したくない。せめて、この世界では。僕の作った、この世界でだけは。 「絶対に、守るよ。何があっても群青さんのしようとしていることは守る。それが正しいと信じてるから。僕は群青さんの味方になる。多分、僕は君を理解できるはずだから」 「うん……うん……!」 彼女は、僕の胸から顔をあげた。 「!」 そして思い出した。そのぐちゃぐちゃな泣き顔は、彼女なのだと。花瓶を割ってしまった、あの子なのだと。 ……ずっと、誰かに認めて欲しかったのだろう。孤独なヒーローは、寂しいから。 「それじゃあ、またね、有葉くん」 神社の外で、にこり、と微笑む群青さん。 「う、うん」 見た事のない彼女に、どう対処したらいいのか分からなかった。 「ばいばい」 「お、おう」 何歩から歩いては振り返り、僕に小さく手を振る。非常に可愛らしい仕草だった。 そして、ついに彼女は見えなくなる。 「はあ……なんか、疲れたな……でも、これで、距離は縮まったって考えてもいいのかな?」 ペンの中から返答が聞こえる。 「いいじゃろうな。……よし、さっそく帰って、今度は余にあれをやらせてくれ。胸にうずくまるやつ!」 「やったら家にあるアニメDVD全部捨てる」 「ぬおっ!? 何が不満なんじゃ! 余は可愛いであろう!?」 「まあ、そうだね。顔は可愛い」 「なんかとげとげしいの……。何が問題なのじゃ? ロリが問題――」 いつものような、ミナモトとのやり取りであった。 気を抜いていたんだ。一段落ついたと思っていた。後は、適当な手段でアバルを呼んで、僕がさらわれればいい。それで全てのかたがつくのだと、安心しきっていた。 頭のどこかにはあったはずなんだ。 群青さんにさえ、ネタ帳を怪しまれた。それなら―― 「こんにちは。有葉っち」 バリバリと、何かを噛み砕く音がした。自分の骨が砕かれる音かと錯覚する。 後ろを振り返ると、柿の種を貪るルナが立っていた。ひぐらしが不気味に鳴き、木々がざわめく。そんな夕刻に、真っ赤な陽を浴びて全身を紅に染めたルナがいたのだ。肩の当たりでくるくると癖がついた金髪をなびかせ、片手にはボトルを抱えている。白衣がマントのように仰々しく揺れていた。 「よお、ルナか」 出来るだけ自然に振る舞うが、手に汗が滲むのが分かった。 「話は終わったんデスか?」 「ああ、ちょうど終わったところだ」 僕とルナの間は、五メートルは空いているだろう。話すのには少し遠く感じる。しかし、彼女はそれ以上近づこうとはしなかった。そして、僕も近づかない。 「ふーん、ちょうど良かったデス。アタシも有葉っちに少し話がありましたから」 「喫茶店でも行くか?」 「いんや、すぐ済む話デスから。このままで」 当たりを見回す。人の気配がしなかった。こめかみを冷たい汗が伝った。 「有葉っち。……こう、違和感を覚えませんか?」 「違和感? ……別に。ルナは何か?」 彼女はにやりとした笑みを抑えるようにしながら言う。 「びんびん感じマスよ。アタシが持っている違和感――感覚、直感というのは――」 ぼそぼそと、まるで思いつきのように、独り言のように、彼女は言った。 「――この世界は間違っている」 僕は俯いた中、目を見開く。 ああ、これは――まずい。 キャラクターが、作者の考えを俯瞰している。神の作った世界の粗に気付いている。 「何だよそれ。やっぱ頭が良いやつっていうのは考えることも違うのか? こんな、全能力が中途半端みたいな僕にはさっぱり分からないな。世界が間違っているって、そりゃあ確かに人間が作った社会だから、それに対しての矛盾っていうのには気付いているさ。僕も高校生だ。世の中の全てが正しいとは思わない。だけどお前が言うそれは違うんだろ? もっと――」 「動揺を発言で消そうとしている」 「! ……」 「あはっ! あはは!」 ルナは、黙った僕を見ておかしそうに笑った。 「……ずっと思っていました――」 そして彼女はソロモンを見据える。 「あれはどこから来たのか。調べようと思って削り取ろうとしたら、ダイヤモンドカッターでも削れなかった。だから検査機をソロモンのところまで運んだんデス。そうすると、アンノウン、未発見物質。……いいんデス。そこまではいい。問題は、あれが宇宙から降ってきたことデス」 「…………」 「あんな質量のものが降ってきて、どうしてまるで被害がないのか。砂粒だって流れ星になるほどのエネルギーを消費する。それなのにソロモンは、この巨大隕石は、最初からそこに存在したように――クレーターも残さずに、ただ校庭に突き刺さっている。……おかしいと思いませんか?」 それは、……それは僕の作った設定の甘さだ。 「そして《魂素子》と呼ばれる、ソロモンから発せられた物質。人に感染し、武器を生成する能力を与える。武器、ということ、それにソロモンが落ちた場所が全て陸地であることから、武器を知っている知的生命体の意思が関係していると決定できマス。例えば武器という概念を持つ宇宙人が、地球に送った贈り物だとしましょう。でも……《鬼》が発生している。――宇宙人からの攻撃だと考えた方がいい事態デス」 僕は、ただ聞くことしかできない。 「それに対して、国がなんら対策をうたないことがおかしい。ありえない。非現実的デス。どうして《光護隊》なんていうものに任せておくのか。それに、《魂素子》を集めれば願いが叶えられるんデスよ? もっと、国同士が戦争して取り合ってもいいような状態デス。それなのに――、ただ、《光護隊》に任せて放置しておく」 そこで彼女は、僕に視線を戻す。 「それらからアタシが出した結論は――、馬鹿な何者かが、世界の理を創り変えた、ということデス」 全てバレている、のか? 僕がやったこと、全部。 「そして、最近頻発しているおかしな点。例えば、有葉っちは能力者であるのに能力波計に反応しないだとか、ここ数日《鬼》の出現が全てアタシたちツーマンセルの近くで起きているとか、そこに必ず有葉っちが居合わせるだとか、そしてまるでアピールするように派手に《鬼》を葬るだとか――、神城代表に側近はいないだとか」 僕は、自分の感情のコントロールに入っていた。焦るな、冷静になって対処法を考えろ――ルナは僕の動揺を誘っているだけだ。そして、口を滑らせるのを待っている。ここで否定したら、認めることになる。下手なことは言わないことだ。 起こり得る、最悪の結末。 この世界が僕の意思により創られたものだと群青さんにバラされること。 この世界に、終止符が打てなくなる。 「そしてまさか、ソラっちを落としてしまうなんて、驚きデス。ここ数日の連続《鬼》襲撃事件は、そのための布石だったんデスね。いや――、伏線、デスか?」 「…………」 「だんまりデスか……。この世界はギャルゲーデスか? それにしては設定に凝り過ぎデスよね。まあ、そういうギャルゲーがあってもいいデスが。目的が達成できたのなら、早く元に戻してくれまセンかね。このふざけた偽物の世界を」 考えろ。どうする。どうにかこのことを黙ってもらいたい。どうしたらいい? 何か取引を申し出るか……。 僕が思考し、黙っているとルナは叫ぶ。 「たまったもんじゃないんデスよ! 世界は正しかった! 寸分の狂いもなく、美しく、全ての調和を取って、どこまでも対称的に、厳かなルールに則って、存在していたんデス! それを、こんな思い付きみたいなルールに書き換えて、何がしたいんデスか!? アタシは、この世界の法則を解き明かすことが人生の目標なんデス。巻き込まれただけじゃないですか……早く、元に戻してくださいよ!」 痛々しく感じた。ルナは、こんな――声を荒げるような人だったか? 違う。そうではなかった。でもそれは……彼女にとって、ほとんどが許容範囲の取るに足らないことなだけかもしれなかった。僕は、彼女の逆鱗に触れてしまったのだ。これこそが――ルナの、ルナという人の、本音だ。心の叫びだ。僕は、それにこたえられる何かを持っているのか? 何も、何もない。何一つ、整合性のある、「それならしょうがない」という何かを、僕は持っていない。この世界を作ってしまった罪に対する、意思や情熱を、持っていない。 だからもう、僕には正直さしか残っていない。 ……どうせ、もうバレている。隠しても無駄だ。 「…………必ず、この世界は元に戻す」 「! 認めるんデスね。……それなら、早くしてください! 人だって死んでるんデス! その責任が、あなたに取れるんデスか!?」 「それは……」 責任。その言葉が重くのしかかる。僕だってこんな風になるなんて思ってもいなかった。だけど、結局は僕のせいでこうなっているんだ。責任は、僕が取るしかない。世界を終わらせ、元に戻す責任。 ――いや、待てよ。それなら、僕と彼女は同じ立ち位置にいるんじゃないか? うまく説得すれば、力強い味方にな―― 「おい、そこの小娘」 その時、いつの間にかミナモトが隣にいた。ペンから出てきたらしい。目つきが鋭く、いつもの甘えん坊の子供のような印象は消え去っていた。まるで化け物のように、この場に大きな存在感を発する。 何を考えている? これじゃあ、余計にややこしくなるだけじゃないか。 「ふーん……有葉っち、その人は誰――」 風が吹いたことを、髪が乱れたことで知覚した。隣からミナモトが烈風と共に消え去り、ルナのみぞおちに拳を叩きこむ。衝撃波が爆音のように耳をつんざいた。岩なだれを防ぐ防壁にルナは叩きつけられ、防壁は大きく崩れる。ルナの姿は土埃で確認できない。ミナモトの服が突発的に発火する。――摩擦熱。彼女の動きは、この世界ではあまりにも刹那的過ぎたのだ。彼女はそれを手でぱたぱたと払いのける。炎はまるで意思を持つように消えた。一瞬の出来事過ぎて、僕は咄嗟には動けない。 「やれやれ、摩擦か……手加減せぬとな」 ミナモトが――この世の憎悪を凝縮させたような、背筋を凍らせる笑みを浮かべた。 「おい! ミナモト! よせッ!」 土埃の中から発砲音が聞こえる。ルナが煙の中からミナモトを狙ったのだろう。弾がミナモトの額を一直線に狙ってくる――が、彼女は余裕の笑みを浮かべて、人差し指でピン、と空に向けて軽く弾丸を弾いた。それはルナが発射した時よりも数倍の加速を見せ、空間が断絶するような歪みを生じさせる。そして、摩擦によって消失した。――瞬間、数発の発砲音と共にルナがミナモトに突進する。土埃の中から初めて姿を現した。ルナは弾を軽くかわす。超接近戦になった。このままルナはタックルするつもりだろう。ミナモトも拳を突きだす。 「ハッ!」 しかし、ルナが取った行動は跳躍。ミナモトの頭の上を一回転して飛び越える。そして拳銃でミナモトの頭部を殴ろうとする。ミナモトは殴りのモーションのままだ。と、ミナモトはくるりと首を半回転させ、カッ、と紅い瞳で彼女を見る。――睨み。僕の全身が粟だつ。直接の視線を受けたルナは、動けないでいた。そしてその一瞬が、命取りとなる。ミナモトはルナの顎を、足を百八十度にして蹴りあげる。ルナが吹き飛ぶ速度をミナモトは上回って先回りし、今度は空中から地面へ、肘うちで沈めた。 地面が爆散し、建物が倒壊するような重音が地響きとなった。 クレーターのような穴が、出来上がっていた。 「な、なんだよ……これ……!」 僕はその大きな穴に飛び込む。その中心で、ルナを足蹴にして見下しているミナモトの姿があった。ルナは血を吐き出し、ミナモトを虚ろな目で睨みつける。 「かはッ、……お前は、人デスか……違いマスね。……こんなことをできるのは――」 「人間風情が話しかけるな。余に話しかけて良い人間は、有葉のみ。本来なら小娘ごときに触るのも汚らわしいわ」 止めなくてはいけないのに、動けなかった。あまりにもミナモトの纏う雰囲気が恐ろしかったからだ。動いた瞬間に、生命という生命が奪われると直感した。 「得意ぶって暴くのは楽しかったか? 世界の秘密に到達したと思ったか? ……サブキャラごときが調子に乗り過ぎじゃ」 「うるさいデスね……。知っていマス? アタシはイギリスでトップの能力者、なんデスよ……日本では、ソラっちに次ぐ能力者デスが…………喰らえッ!」 まるで息絶えるかのような雰囲気から一変し、いつの間にか発現していたハンドガンを握りしめ、ミナモトに向かって撃つ―― しかし、弾丸は源の額をすり抜けるだけだった。 「すり、抜け…………チートデスか……よくないデスね……本当によくない」 「そろそろ眠れ、小娘」 そしてミナモトは高く跳躍する。跳躍と言うよりは高速浮遊と言った方がいいかもしれない。重力にさえ縛られない動きであった。 「――《神威(かむい)》ッ!」 そして、横に縦に斜めに回転し、遠心力をつけて蹴りをルナに入れようとしたその瞬間。 「やめろッ!」 僕がとっさに間に入り、コンバットナイフによって蹴り――かかと落としを受け止めた。 ギチギチギチッ、とクロスしたナイフの刃が火花を散らせ、そこを中心にした力場のようなものが発生する。 「お主ッ! どけ!」 「ふざけるな! どくわけないだろ! 何やってんだよ、ルナを殺すな!」 「いいからどくのじゃ! 余の足の直線上から外れろ!」 「何……?」 途端、力場が振動を始める。ナイフの刃がドロリと溶け始めた。僕は、命の危険を感じて咄嗟に避ける。――瞬間、目の前が、光に包まれた。それと共に、耳に痛みが走る。少ししてから、それが音だと気付く。 ドォン、という音が体を震わせる。光りもなくなり、目が慣れる。 「何だよ、これ……」 目の前の光景は、惨憺たるものだった。 ミナモトのいる場所から波状に、地面が大きく崩れている。目視できない程に遠くまで破壊痕は続いているようだった。ミナモトがこれをやったのか……? 「そうだ、ルナ……!」 ルナは波状のギリギリ外にいた。この攻撃は受けていないようである。目を見開き、何かぶつぶつと言っている。 「お主! 大丈夫か!?」 ミナモトが走り寄ってきた。膝を着く僕の顔を心配そうに、覗き込んでくる。もうその瞳は、見慣れたミナモトのものだった。 しかし、僕はそれを無視して立ち上がり、ルナに駆け寄る。 「ルナ! 聞こえるか!?」 「う、ふふふ、ふふっ」 ルナは口から血を流し、苦しそうに笑う。 「アタシに、何かあったら……橘有葉が………《鬼神》だと、そう本部の人に……頷かせてきました……もう、終わりデス。自分で創った世界で、自分のルールに、縛られて…………死ぬんデス、よ」 「いいから、もう喋るな! 手に力は入るか?」 「……敵の、心配デスか……どういう、つもり……かふッ」 口からドロリとした血を吐き出す。意識が薄れているようだ。目の焦点が合っていない。 僕は彼女をゆっくりと起こし、背負う。抵抗はなかった。 「お主、何をやっておるのじゃ!」 ミナモトをギロリと睨む。 「うるさい! 病院に運ぶんだよ!」 「何を言っておるのじゃ! そいつが生きておったら、このことを全部バラされるかもしれんのだぞ? ここの主人公がそれを聞いたらもう終わりじゃ」 「んなこと分かってんだよ! いいから黙れッ!」 ミナモトは眉をひそめ、泣きそうな表情をして俯く。 僕は、能力者の身体能力を使って、ルナを病院に運んだ。 ルナ・ラヴクラフトの意識は四日経った今でも、戻らなかった。 僕は、部屋でじっとしていることしかできない。たまに彼女の入院している病院に足を運ぶが、様子は何も変わらなかった。 「…………」 僕は、自分の部屋でこの先どうするかを考えていた。一方、ミナモトはベッドに座り、申し訳なさそうに頭を垂れている。 あの日から、絶縁状態が続いている。 「……ミナモト」 「な、なんじゃ?」 僕が話しかけたことが嬉しかったのか、目を輝かせる。しかし、僕の表情を見て悟ったのか、元の表情に戻った。 「どうして、ルナを殺そうとしたんだ。……怒ったりしないから、正直に話してほしい」 冷静にミナモトから話を聞くためには、心の整理と準備をする必要があった。それに、四日も日を要した。 正直、僕はミナモトという人格を、もう信用できないでいた。今でも、許せない。人を殺そうとした。 ミナモトは、ぽつりぽつりと話し始める。 「……余は、有葉を怒らせるつもりはなかったんじゃ……。ただ、あの金髪の小娘は、物語を終わらせる上で絶対に障害になると思ったから……じゃから、殺すしかないと思った」 「その障害って言うのは、この世界が僕に創られたものだと知っているってことか?」 「そうじゃ。もし、青目の小娘にでもバラされでもしたら、主人公が主人公の枠組みを離脱する。この世界が終わらなくなってしまう」 「ああ、それは分かる。……でも、それでどうして殺すんだ。説得とかあるだろ」 「説得したとしても、それは不確実じゃ。物語が終わらなくなるという危険を百%回避するには殺すしかないと思った」 論理としては分かる。だけど―― 「まったく分かんねえ。全然、理解できないよ。どうして、どうしてそこで殺すってなるかな……。分かってるのか? 人が死ぬということが。目の前で、友人が死ぬってことが」 僕は、できるだけ冷静に述べる。感情的にならずに、ミナモトを理解しようとする。 頭を抱えると、彼女は申し訳なさそうに言う。 「余からすると、お主が何故そんなに人の死にこだわるか分からん。……所詮ただのコマじゃろ? しかも重要なコマじゃない。殺したって、世界が元に戻れば生き返るのじゃ」 「何言ってんだよ……! 人間はコマじゃない。生き返るとしても、殺したという事実は消えない。……お前は、やっぱり神なんだ。人の形をしてるから、勘違いしてたよ――。人間じゃないんだ。人の気持ちなんて、これっぽっちも分かるわけないよな。人の形をした、神だ……僕らとは、違う構造で、できてる――」 僕の努力をあざ笑うかのように、僕とミナモトの距離は一ミリも元に戻らなかった。いや、最初から、近づいていなかったんだ。 「ミナモト、確かにお前の言う事は理屈が通っているように見える。だけどな、それは……『殺人鬼から君を守る』って言って、その人を殺し、『殺人鬼からは守ったでしょ?』って言うようなもんだ。そんな手段の上で成り立つ目的なんて、認められない。何をしてもいいわけじゃないんだ」 「……でも、そんなことでこの物語は本当に終わるのかの」 「終わらせる。必ずだ」 せめて、物語の中だけは綺麗であってほしい。必要悪なんかいらなくて、悪は人間じゃないよく分からないもので、皆が幸せになれる。誰一人として、報われない人物がいない。そんなエンディングが欲しい。 「とにかく、これは、僕の小説だ。アドバイスをするのはいい、つまらないと言うのもいい。そんなのは勝手だ。だけど、――手を加えるな」 ミナモトは俯いて答えない。 「……ミナモト、僕は、お前とは組めない。いざと言う時に、人を殺そうなんていう選択肢が出てくるようなやつと、組めないよ。根源的恐怖なんだ。同族が殺されてるんだから」 「でも、有葉にそんなことは絶対にしない!」 「でもだ。僕は、友達を殺そうとするやつを、許容することなんてできないよ」 それ以上、ミナモトは何も言わなかった。 もう物語が終わるまで、もう少しだった。 僕はプロットを確認する。 『群青さんと僕が出会う(済)→群青さんと仲を深める(済)→鬼神アバルが攻めてきて群青さんと僕を襲い、僕がピンチに→群青さん、何かを乗り越えてパワーアップ→決戦。』 あとは、《鬼神アバル》が攻めてくるまで待てばいいだけだ。群青さんと仲を深めるという難所をクリアしたら、後は消化試合みたいなものだ。もちろん気は抜けないが、それほどの障害もないように思う。 僕はその日の午後、近くの大きな公園に来ていた。明るいうちなのに、誰もいない。やはり、この街からほとんどの人が出て行ってしまった影響だろうか。 そこにある一つのベンチで、僕は昼食とも夕食とも言えない、微妙な時間に食事を摂っていた。……というか、摂らされていた。 隣から群青さんが、食事を摂る僕を至近距離で見つめていた。ミートボールを口に運び、咀嚼する。 「有葉くん。おいしい?」 「う、うむ」 「そっかぁ……」 群青さんは頬を両の手で包み、幸せそう笑みを浮かべた。 そして反対を向き、小さくガッツポーズを作る。 「おいしいって! おいしいって! もう、嬉しいなぁ」 あの、独り言聞こえてますけど……。 群青さんはあの日から僕にお弁当を作ってくれていた。学校がないので、空いている時間に受け取り、そしてその場で食べさせられるのだった。 おいしい。確かにおいしいんだけど……群青さん、キャラ、崩壊してません? 「ねえ、有葉」 呼び捨てか……恋人みたいじゃないか……。 「ねえねえ、あるはろん」 あるはろん!? 恋人関係を超越した何かか……。 「どうしたの、群青さん」 「この後、予定空いてる?」 頬を少し紅潮させ、首を少し傾げて尋ねて来る。 「あー……この後、ルナのお見舞いに行こうかと思ってたんだ」 そう答えると、彼女は泣きそうな目をして分かりやすく落ち込んだ。 「ルナちゃん……《鬼》にやられるなんて…………」 しまった。彼女の前でルナの話題は禁物だった。群青さんは、ルナが意識不明になって一番悲しんだ人物である。今までツーマンセルで行動していたのだから、無理はない。 ちなみに、ルナは《鬼》にやられたことにしておいた。それが一番差しさわりがないからだ。 「……私も午前中にルナちゃんのお見舞いに行ってきたんだ。大丈夫かな……最近はルナちゃんがいなくなって本部も慌ただしいし……」 「慌ただしいの?」 「ルナちゃんが作戦立案してたりしたから。……でも、私、最近本部の方に顔出してないからよくは知らないんだけど……、何か大事なことを決めてるみたい」 おい、日本トップの能力者が、その大事なことを知らなくてもいいのかよ……。 「基本的に戦闘員は、何かあったら連絡が来るからね。それまでは自由行動してていいってことになってる。だから有葉くんと一緒にいても全然大丈夫なの」 「……ふうん」 ふふんっ、と言い、僕の腕にぴったりとくっついてきた。 その時、僕は何か大切なことを忘れているような気がした。 ただプロットの進行を、受動的に待つだけでは何かが足りないような……。 家ではミナモトとのことで気を遣わなきゃいけないし、外に出れば群青さんといつも一緒だ。最近、自分一人でゆっくり考える時間がなかった。 何かを見落としているかもしれない。 ……どうして、今そう思ったのだろう。何か直前の会話にヒントがあるはずだ。 直前の会話……戦闘員、自由行動、作戦立案、ルナ、大事なことを決めている、ツーマンセル……。 僕が思考を巡らしているその時、がさり、と近くの植木から音がした。 目を向けると、白い服……《光護隊》の制服を着ている人物であった。知らない中年の男性だ。 後ろからもがさり、と音が聞こえる。振り返ると、やはり《光護隊》の制服を着た男性。がさがさり、と四方八方から音が聞こえる。 いつの間にか、僕と群青さんは《光護隊》に囲まれていた。 「有葉くん……」 群青さんが、異様な空気を察知して、僕の肩に手を乗せた。 「……大丈夫」 何だろう。《光護隊》に対して、僕が何かしただろうか。 「…………何か用ですか?」 「…………」 誰も僕の質問には答えない。 その時、携帯電話の着信音が響いた。初期設定の機械的な音である。どうやら群青さんの物のようで、彼女はポケットからそれを取り出し、確認する。 「……えっ」 明らかに、彼女の表情が変わった。顔が段々と青ざめている。 「何? どうしたんだよ」 「あ、有葉くんっ」 僕にスマホを手渡す。何だろうと、僕はそこに開かれているメールに目を通した。 そこには―― 僕、橘有葉が《鬼神》だと決定が下され、目標を殲滅する旨のことが書かれていた。 僕が《鬼神》……? 何で……。 「! あ、あああぁぁ……」 思い出した。ルナの最後の言葉。ルナに何かあったら、僕が《鬼神》だと断定すると、そういう風に本部に言ってきたと。 くっ……どうする……。 「お前が橘有葉だな?」 一人の男が話しかけてきた。 「……はい……、でも僕は……《鬼神》じゃないです」 「見苦しいぞ《鬼神》め……! 親の仇!」 男の表情が、憎しみへと変わる。それと同時に彼の手に尖ったメリケンサックが装着されていた。……能力によるものだ。 「うおおおぉぉ!」 そのまま僕に殴りかかってくる。 相手は《光護隊》だ。自分が敵でないことを示すためにも反撃はすべきでない。取り敢えず、ここは攻撃を避けてやり過ごすべきだろう。 そう考えていると、ガギンッ、という金属がぶつかり合うような乾いた音が響く。 なんと、群青さんが男のメリケンサックを日本刀で止めていた。 「群青さん!」 僕が叫ぶと、彼女は困った笑みでちらりと僕を見た。彼女だって、この数を相手にするのは、きつはずだ。……いや、それよりもこの後のことを考えれば、この行動は彼女の身を滅ぼすだけである。 「群青ソラ……貴様! それは反逆行為だぞ! 分かっているのか!?」 「そっちこそ分かってるんですか……私の有葉くんに手を出したこと……後悔してもらいますよ」 「群青さん! やめろ! 僕が従えば済む話だ!」 「それは有葉くんが殺されることになる! そんなことは、絶対にさせない!! ……いいですか、皆さん。有葉くんを攻撃するということは、私を敵にまわしたと考えてください。……私の実力は、知っていますよね?」 群青さんの表情が、昔のような冷徹なものに戻る。思わず背筋がぞくりとした。 それは《光護隊》の全員も同じようで、息を飲むのが伝わってくる。メリケンサックの男も攻撃をやめ、一二歩引いている。 違う。そうじゃない。どうして敵対しているんだ。《光護隊》は味方で、一緒に《鬼神アバル》を倒す仲間だろう? 「大体どうして有葉くんが《鬼神》になるんですか!?」 「それは、ルナ・ラヴクラフトが決定したことだ」 「ルナちゃんが……?」 一瞬、彼女の表情に隙が生まれる。 「ルナ・ラブクラフトを意識不明に追いやったのは、そこにいる橘有葉だ」 「! ……何を言っているんですか。適当なことを言わないでください」 彼女の表情が再び揺らぐ。これは、まずい。どこまで知っているんだ? どこかで見ていたのか? 「彼女は『橘有葉に会いに行く。帰ってこなかったら、奴が《鬼神》だ。これは決定事項』と言って本部を出た。そして意識不明になったんだ! 病院に運んだのは橘有葉。こいつは、何かを知って、そして隠しているのは明らかだ! 後ろめたいことがあるから隠すんだろう? なあ、橘有葉!」 「…………」 僕は答えあぐねる。 「ほら見ろ! こいつが《鬼神》である以外、何を隠すことがあるんだ!?」 「何、を…………」 群青さんは汗をかきはじめていた。動揺している。 確かに、《光護隊》にとって嘘をついてここまでする意味がない。彼が言ったことは全部本当だと信じる他ない状況だ。 胸が苦しくなる。 どうすんだよ……! せっかく、せっかく群青さんと仲良くなったのに。……ここまできたっていうのに、ここで壊されるのか? そしたらどうなる? 僕と彼女の絆は、もう絶対に復活しないんじゃないのか? そんなことになったら―― この世界は一向に進まない。終わらない。元に戻らない。 ルナ……。君がやったことは、自分のやりたいことと逆のことなんだよ。 「群青さん……! 確かに、僕には隠し事がある……。だけど! ルナに攻撃なんかしてない! 本当だ……」 彼女は、こちらを振り向かなかった。僕の言葉なんて、聞こえていないかのように、反応がなかった。その背中は遠くなり、僕を見放すように感じられた。 群青さんに疑われ、《光護隊》が敵になり、僕がアバルと疑われる。 当然かもしれない。論理では、完全に僕がおかしい。負けだ。 「もう……どうして、こんなことになるんだよ……」 終わった。何もかもが終わった。もう世界は終わらない。神の操作をうけなくなった世界は、混沌へといざなわれるのみ。何のために存在しているか分からず、永遠の時を過ごすんだ。 僕は、脱力してその場に座り込んだ。 もう――なんだっていいよ。そもそも不可能だったんだ。僕より撫子の方がこの力を使いこなせる。もっと緻密に構成しただろう。まるでミステリのように、どんなイレギュラーも想定内に置き、一つの終結へと収束させたに決まっている。 ――僕には、荷が重かったんだ。 そう、全てを投げ出した時、 「……私は、有葉くんを信じる」 「……え?」 彼女は、決意したように言葉を続ける。 「私にとって、有葉くんこそが、正義。それは……あの時から変わらない」 群青さんの発言に、皆は戸惑う。 「何を言っているんだ群青ソラ! 言っていることがめちゃくちゃだぞ!」 「私は、何を敵にまわそうが、有葉くんの味方!」 「くっ……くそッ! 仕方ない。いくら群青ソラと言えどもこれだけの人数を同時に相手はできんだろう。……総員、かかれ!」 彼の合図を受け、全員が雄叫びを上げながら走り込んでくる。全方位からの攻撃だ。 群青さんは顔色一つ動かさず、日本刀を顔の前に構えた。 「有葉くん、しゃがんで」 僕がしゃがむと同時に彼女は足を踏ん張り、切っ先を地面につける。 「ハアッ!」 そして切っ先を、自分を中心に一周回すようにする。同時に、地面から大量の砂が弾丸のごとく飛び、《光護隊》を余すことなく足止めした。 「有葉くん、こっち!」 土埃の煙幕の中、彼女が僕の手を握り、跳躍する。それによって囲まれた輪の中から脱出することに成功した。 「《鬼神》が逃げたぞ! 追ええぇ!」 声を背後に、僕と彼女は逃げるしかなかった。まるで絆を手繰り寄せるように、つないだ手を離さないまま。 *** ――その時、ルナ・ラヴクラフトは病室で目を覚ました。ここがどこなのかを認識するのに六秒、どうしてこうなったのかを思い出すのに四秒要した。 細腕に刺された注射針が、ひどく気持ち悪く感じた。異質なものを体の中にいれるのに耐えられなかった。自力で針を引き抜く。 「いッ! ……つぅ……」 体に痛みが走る。軽く触診した結果、左腕とあばらが二本折れていた。 ルナ・ラヴクラフトは考える。 何故、橘有葉は自分を殺さなかったのか。むしろ、攻撃を止め、守ったように思う。病院に運んだのだって、あいつだろう。背中で揺れる感覚を微かに覚えている。 考える。――分からない。 ルナは死ぬ覚悟があった。こんな狂った世界なら、死んだ方がましだとすら思っていた。それくらいに、この調和のとれていない世界に嫌悪を感じていた。 この世界、橘有葉が何かをしたことは確実だ。 ――しかし。 あの神のような童女。能力者とは違う絶対的な攻撃。そしてバレットも当たらなかった。まるで理を異にしているかのように、透き通った。 あいつの力で世界がこうなっているとすれば―― ……橘有葉は世界を戻そうとしている。 彼は、妹のことを深く愛していたと聞いている。それなのに、絶望していない。必死に何かに立ち向かい、策を講じている―― 戻るのか? 世界は、人は、戻るのか。 ルナは、橘有葉のやったであろうことを突き止めた時、彼を殺せば全てが戻ると思っていた。そして、その考えは確かに今もある。原因を排除すれば、結果は変わる。それが世の理で、自分はその中で生きてきた。科学的な考え方だ。 橘有葉を殺してみる価値はある。 「でも、あの時の……有葉っち……」 あの危険な攻撃から、守ってくれた。十分に橘有葉が攻撃を受けてしまう可能性もあったのに。……何故だろう、少しだけ、橘有葉を殺したくない――と、そんな気持ちが溢れてきてしまう。 「なんで……どうして……」 経験したことのない気持ちに、彼女は自分の肩を抱きとめる。安心する。運ばれている時の有葉の背中の熱が、身近に感じられた。 ――今、有葉っちは、どうしているだろう。 そのことに、考えが至る。 *** 戦況は著しく悪かった。《光護隊》は全部で三十人以上いる。全員が能力者であり、こちらの逃げるスピードに必ず追いついてくる。 僕と群青さんは、林へと入っていた。ここなら逃げにくいが、追いにくいだろうと思ったからだ。スピードを落とすことは、体力を温存する上で必要だった。 「有葉くん……やっぱりこっちから《光護隊》を倒すしか」 木の陰でしゃがんで僕らは話す。お互い、息切れしていた。 「それはだめだ。《光護隊》は味方。君のいるべき場所だ」 でも、どうしたらいい。僕はポケットの中の万年筆を握る。……これを使ったとしても、どうにかなるとは思えない。 僕らと《光護隊》は戦うべきじゃない。戦うべきは、《鬼神アバル》だ。その対立構造が本物だ。そちらに誘導しなくてはいけない。 大丈夫だ。そのうち、必ず《鬼神アバル》は現れる。プロットにそう書いてあるんだから。僕と群青さんの仲は、今だって良好だ。むしろ、ひとつ山を越えてより強固になったと言ってもいいだろう。 なら、手は一つしかない。本物の《鬼神アバル》が現れるまで逃げ回る。 問題は、この四日間現れなかったアバルが、いつ現れるか分からないことだ。 「群青さん……ごめんね、本当に」 「どうして謝るの。私は有葉くんを信じてる。何も言わなくてもいい」 「……ありがとう」 「大丈夫だから。……私は、有葉くんの味方だよ」 群青さんの決意めいた表情を見て、――冷静になる。 「――!」 いつか必ず《鬼神アバル》が現れる? ……何を言っているんだ。現れるわけがない。 もう既に検証済みじゃないか。以前、本部に《鬼神アバル》を攻め込ませようとした時、それは不可能だった。なぜなら、アバルもメインャラの一人だからだ。 僕はポケットから万年筆を取り出す。 「いたぞ! こっちだ!」 男の声が響いた。 くそ。《光護隊》にまた見つかった。全然落ち着く暇がない。僕はメモ帳を開かずに、手の平に直接書いていく。 『橘有葉は《魂素子》による影響を受けない』 これは念のためだ。 『橘有葉の中に大量の《魂素子》を発生させる』 アバルは《魂素子》を集めている。それならば、大量に《魂素子》があれば僕の元へ来るはず。書いても何も体の中で変化が起きた様子はないが、影響を受けないのだから、検知できるはずもないか。 「有葉くん!」 気付くと、《光護隊》はすぐ後ろまで迫って来ていた。僕は慌てて万年筆をしまう。そして群青さんとアイコンタクトを取り、一斉に同じ方向に跳躍する――が。 すう、と彼女が落ちる。 「あっ!」 目を見開き、手を伸ばす彼女。足には、《光護隊》の男が能力である鞭が巻き付いていた。 「群青さんッ!」 僕はその手を掴み、一緒に落ちる。木々の枝を折り、地面に落下した。体中に切り傷ができるが、幸いどこも重傷ではないようだ。 「群青さん、だいじょう……ぶ……」 その時、隣にいる彼女を見て固まった。この作戦の要は、逃げることだ。 しかし、彼女のふくらはぎには枝が深々と刺さっている。苦しそうに押さえていた。 目の前が白くなる。 「い、った……」 彼女は枝へと手を伸ばし、それをずるっと抜いた。思わず僕まで鳥肌が立った。 「こっちに落ちたぞ!」 《光護隊》の声が聞こえ、複数の足音がすぐそこまで近づいてくるのが分かった。 それを聞いて、彼女は顔にびっしり汗をかいたまま、力なく笑顔を向ける。 「私を、置いていって……」 「何言ってるんだ……!」 僕がぐずぐずしているからこうなったんだよ。 「僕は、絶対に何があっても君を守るから。群青さんが殺されるくらいなら、僕が殺される方が全然いい」 主人公の君をこんなところで終わらせるわけにはいかない。もちろん、君の活躍を見届けてこの世界に終止符を打つ僕だって、こんなところで終わるわけにはいかない。 『この物語はフィクションです。』 それを書くまでは絶対に生きなくてはいけない。僕が書かなくては終わらないのだから。 「僕が背負うから。捕まって」 「……」 僕が背中を向けると、彼女は一瞬迷った末に捕まる。判断が早くて助かる。 「そこだ! やれ!」 しかし、群青さんが完全に僕にしがみつく前に《光護隊》に見つかる。もう目の前にまで迫っていた。 「……こんなところにいやがったか、くそ《鬼神》が……!」 大きな男の鋭い眼光に、僕は咄嗟に動けなかった。 手には鎖が付いた鉄球を持っている。能力によるものだ。それを繰るための大きな体格を備えている。 そして男は、ぐるんと一周、鉄球に遠心力を付加して、それを僕の頭の上に振り下ろす。 「死ねッ!」 僕も、群青さんも動けなかった。 咄嗟に助けを乞うのは、ミナモト――。 しかし、ミナモトが出てこられないように、僕は万年筆に蓋をしているのだった。大体、こんな時だけ助けを借りようと思うだなんて都合が良すぎる。 覚悟する暇もなく、僕はただ、その落ちてくる鉄球を見つめることしかできなかった。 ズドオォン! 鉄球が落ちる――が、僕の意識は続いたままだった。 「なに……?」 男が不可思議そうにあたりを見回す。 鉄球は、僕より少し左に落ちていた。何かによって軌道がズレたのだろう。そういえば、鉄球に固いものがぶつかる音が二つあった気もする。 「危機一髪――デスか」 その聞き覚えのある声は、僕の右方向から聞こえた。 そこには――きらきらと金髪をなびかせ、右腕を吊った上から白衣を羽織り、左目を覆うように頭に包帯を巻いた、ルナ・ラヴクラフトの姿があった。左腕で二丁のハンドガンをひとまとめに持っている。鉄球の軌道をずらしたのはあれなのだろう。 「ルナちゃん……! 大丈夫なの!?」 声を上げたのは群青さんだった。 「ソラっち、心配かけてごめんなさい。大丈夫デスよ」 そして笑みを浮かべた。 ルナ……。本当に、目が覚めて良かった。良かった……。死んでいなかった。なんとか、助けることができた。 それにしても、ルナが助けてくれたのか……? 「ルナ! 貴様どういうつもりだ!」 《光護隊》の男が叫ぶ。 「どうもこうもないデス。この作戦は中止。橘有葉は《鬼神》じゃない」 「なっ! 何を言っている! お前がこの作戦を立案したのだろう!?」 「その通りデス。それに関して弁解する気はありません。アタシが全責任を負いマス。申し訳ありませんでした」 男の表情が険しくなる。 「……ルナがいなくなってから、《光護隊》で橘有葉の調査をした。確かにこいつには不審な点が多い。いや、多すぎる。なんで能力者なのに能力波計に反応しない……? それはこいつが《鬼神》で、《魂素子》をコントロールできるからだろう!」 いや、そうじゃなくて……能力波とかそういうの、忘れてただけなんですけどね……。今度からちゃんと能力波とかいうのも出すようにしよう。 「悪いデスが、説明している手間がおしい。それに《光護隊》の皆さんには理解できない話デス」 「ふざけるな! ちゃんと説明しろ!」 「馬鹿にいくら説明しても無駄だと、そう言っているんデスよ」 「なっ、き、貴様……イギリス首位だか知らんが、よそ者が調子に乗るなよ……」 「うるさいデスね。それにあの日のことはアタシと有葉っちの、二人だけの秘密なんデス。ねー? 有葉っち?」 「えっ」 何? なんなの? なんで笑顔で僕に同意を求めてくるの。 「二人だけの秘密って……何?」 そして何で群青さんが食いつくの。……あの、顔、怖いですよ。 「とにかく、《光護隊》の皆さんにはご迷惑をおかけしまシタ。アタシのこういう都合で、この作戦は終了しマス。代表にもそう伝えてもらって結構デス」 「そんなことが認められるか! もはやこれは《光護隊》の決定なんだ。一個人の戦闘員の意思で変えられることじゃないッ!」 「……まだいたんデスか? 今から修羅場展開だとどうして分からないんデスかね」 いやぁ、それは困るなあ。 「何を……ふざけたことを!」 男は顔を赤くする。そりゃあ怒るだろう。 「一個人の戦闘員の意思でどうこう出来る問題じゃないと思うのなら、決定権のある代表に連絡すればいいじゃないデスか。話はそれからデスよ」 「……ちっ」 男は舌打ちをしてから、携帯電話を取り出した。恐らく、代表に電話をするのだろう。 ルナが僕の方へ歩み寄ってくる。 「ルナ、助けてくれてありがとう。……怪我はその、大丈夫なのか?」 「大したことないデスよ。《魂素子》を使えばすぐに治りマスから」 いやいや、見るからに大事そうだよ。 そして彼女はハンドガンを手放し、空いた方の手を白衣のポケットに入れる。中から取り出したのは柿の種の小袋だった。雑に開けてバリバリと食す。……なるほどね、その手だと確かにボトルは抱えられないし。でも、そこまでして食べなくても……。 「怪我は大したことないですが、あの日奪われたものは、もう大丈夫じゃないデスね……一生に一度のものデスから」 「何の話だよ! やめろよ! そういう誤解を招く言い方は!」 何なの? 悪ノリなの? 「ねえ、有葉くん? 奪ったって、一生ものの何を奪ったの?」 「ほら! さっそく釣れちゃったよ! どうすんだよ!」 「体にまだあの時の熱が残ってマス……」 「恍惚な表情やめような」 背負っている群青さんから不穏な空気を感じる。 「へえ……そうなんだ、有葉くん」 「あの、群青さん? ちょっと首が締まってるかなー、うん、苦しいかな、げほっおえっ」 とにかく、ルナによってこの場は助かったみたいだ。 「ほら、ソラっち。足の治療しますから首に捕まってないでおりてください」 群青さんは唇を尖らせながら背中からおりる。そしてルナが群青さんの元へ行こうと僕の隣を通り過ぎる際、耳元でそっと囁く。 「有葉っちは、この世界を終わらせるために行動しているんデスよね?」 小さく首肯する。 「だったら、手伝いマス。……絶対に、世界を元に戻してください。必ず、デスよ」 その声は真剣だった。 ルナは、ただ元の世界に戻したいんだ。それは、僕よりも純粋な願いだった。 「はい、布でぐるぐるしマスよー」 手を当てて治療するルナの横顔は、少しだけ寂しそうに見える。昔を、元の世界のことを思い出していたのだろうか。 彼女は、世界を元に戻すために僕に接触してきた。ルナに何かあったら僕が《鬼神》だと判断させるようにしていたことから分かるように、決死の覚悟だったのだろう。 僕は、そのルナの覚悟も背負わなければならない。 必ず、この世界を元に戻す。 ルナのためにも、もちろん――撫子を生き返らせるためにも。 ……もう随分と彼女の顔を見ていないような気がする。それだけで、僕の心は潤いを失う。ひび割れ、そこから大切な何かが流れて出てしまう。 僕にとって撫子は、自身の希望でもあった。 ――ああ、撫子の小説、また読みたいな。 「……何だとッ!? おい! 返事をしろ! おい!」 男が、携帯電話に向かって叫んでいた。その尋常じゃない対応に、僕らは一瞬で緊張に引きずり込まれる。 「騒がしいデスね、代表、何て言ってまシタ?」 「…………」 どうしたのだろう。男は携帯電話を耳から放し、呆然自失としている。群青さんが僕を見る。しかし、今の僕には、その不安げな瞳をどうすることもできない。 僕は、《光護隊》隊員に近づき、尋ねる。 「何が……あったんですか?」 「…………代表は、出なかった……本部に、本部に――」 ――あいつが、現れた。 ぱくぱくと口だけが動き、声は発せられない。 「……あいつって…………」 「終わりだ……本部がやられた。もう、隊員は……ここにいるのが全員……勝てっこない。代表もやられたんだぞ……」 携帯を落とし、頭を抱える男。僕の声は聞こえていないようだった。僕は彼の肩を掴み、強く揺らす。 「何があったんですか!」 一瞬だけ、はっとし、気まずそうに僕から目を逸らした。 「すまんな、お前じゃなかった。俺達は間違っていた。……お前は《鬼神》なんかじゃなかった」 「《鬼神》って……」 つまり、《鬼神》が《光護隊》の本部を襲い、壊滅させたということか? 「…………」 このタイミング。明らかに《上書き》の能力の影響だ。 何人死んだ? 僕のプロットのせいで。一体、何人の犠牲が出たんだ。本部の人間が、全員死んだ……。そもそもどうして本部に《鬼神》が攻め込む? 僕は思わず握る拳に力が入る。爪が掌に刺さり、血が滲んでいた。 「今、そいつは《鬼神》って言ったんデスか?」 ルナが群青さんの治療を終えて、僕の元へ来る。 「そう、だけど……どうして《鬼神》だって分かる? そもそも《鬼神》を見たことのある人がいれば……《鬼神》だと、……見ただけで分かるなら、僕だと間違えることはなかっただろ」 「《鬼神》はアタシ達の前では黒い影のような形で現れるんデス。でも実際は人型をしていて、人間に化けていマス」 「人間の姿を誰も見た事がないってことか……」 「違うっ……」 男が話に入ってくる。 「今日のはもう、人型だったらしい。……《鬼神》だって証拠は、その強さだ……」 「そう、ですか」 今まで姿を隠していたのに、現した理由。 もう隠す必要がないから? ……ああ、僕の中にある《魂素子》を回収すれば、ソロモンで願いを叶えるのに十分な量になるのか。だから、今回の戦いが最後になると、そういう腹積もりなのだろう。 「……何か、聞こえない?」 片足立ちで、僕の肩に捕まっている群青さんが言う。 「え? ……」 耳をそばだててみると、確かに空気が震えるような音がする。 「風じゃないの?」 「いえ、違いマスね。これは……」 飛行機のエンジン音のような唸る音は、加速度的に大きくなる。 …………来る、のか。 ズオオォォォ―― 得も言えぬ不安に襲われた。まるですぐ背後に誰かが立っているような、カーテンの隙間から視線を感じるような――じっとしていられない類の、強烈な――恐怖。 ――ォォォオオオオ! 「――何か来マス!」 ミシッと音を立てて、最初に異常を発したのは木々だった。 派手に周辺の木々の細かい枝々がへし折れ、舞う。続いて、突風。思わず顔の前に腕を持ってきてしまうような風圧。 そして、やってきたのは――暗闇だった。 「ああ……」 その人物は、空に浮かんでいる。音速並みの速度でここまで来たのだろう。 物理的に光を吸い込んでいるのだろうか。その人型の周りの空間が消失したように黒く縁どられている。黒い衣服――というより布をワンピースのように纏い、靴は履いていなかった。烏の濡れ羽色の髪がなびき、漆黒の瞳は濁っている。その全てが、居るだけでこの世を破壊するかのように、荒々しい存在感を放っていた。 そんな黒い中でも、肌だけは蒼白で、ところどころに朱がさしている――と思ったら、血液であった。よく見ると服にも血がこびりついている。 黒い人物は、まるで興味がないように、標的の僕を見下している。 「…………」 分かる。こいつが《鬼神アバル》なんだろうなあ。 こいつに僕がある程度ボコられ、群青さんが怒り、力を解放すればいい。彼女なら僕を助けてくれるだろう。今ならルナも仲間だ。一緒に助けてくれるはず。 そして、《鬼神アバル》と群青ソラは戦う。整った――整えられた舞台で。 決死の覚悟で、戦う。それは激しい戦闘になるだろう。 「もうダメだ! 俺達は殺される……!」 「えっ――」 「あの、有葉っち、あれって――」 それぞれが怯え、驚き、困惑する。その中で僕は、そのオチに、困ったような笑顔を向けるしかなかった。 ……だって、ねえ。 戦った、その末で。結末として。落としどころとして。この世界の終末として、――彼女は殺される。群青ソラに、殺害される。 そういう役目なのだから。 それが、さあ……。 「どうしてお前なんだよ、撫子」 *** 橘撫子は、母から聞かされる。有葉が、盗作をしたと。 「どう、して……」 橘撫子は、知っていた。彼は盗作などしていないのだと。こんなので、騙せると思っているのだろうか。今すぐ、抗議に―― しかし、動き出せない。今から撤回できるのだろうか。兄のことだ、もう既に手回しが済んでいるのだろう。自分にこうやって情報が渡った時点で、もう、自分は何をしても無駄なのだ。 「お兄ちゃん…………ばか、……ばか!」 兄が、自分の将来を犠牲にして、撫子に全てを託してくれた。そのくせ、何も恩着せがましいことは言わず、さも当然のように自分が盗作したことを演じる。――悪を、演じる。 兄はいつもそうだった。 「ふざけんな! 有葉! ばか!」 いつも、兄が全てのしわ寄せを受ける。世の中の、理不尽を背負う。どうしてそれで笑っていられる? 格好良いと思っているのか? そんなの――嫌だ。 確かに、兄の判断はいつも正しいのかもしれない。 だけど、撫子は思う。 自分からすれば、兄の判断は、全部間違っている。 ――兄が救われなければ、何も意味がない。こんなのは全部、兄の一人よがりだ。 もう、絶対に。兄にあんなことをさせない――、そう誓ったのだった。 *** 撫子はこちらの様子を窺っているのか、攻撃を放ってこない。こちらも身動きできないでいた。 「有葉くんっ……!」 群青さんが泣きそうな声で僕に語りかける。しかし、僕は撫子から目を離すことができない。 どうして、こうなる。撫子は《鬼》に殺されたんだろう? ルナがぼそぼそと言う。 「これは……《鬼》に無理矢理《魂素子》を注がれたか……。……撫子っちが死ぬところは……厳密に言えば、誰も、誰も見ていない……。素質があったのでしょう。そうなると――《鬼神》とは、移り変わるもの……前代の《鬼神》は、殺されたか、…………もしくは、そもそも《鬼神》の意思というのは、《魂素子》そのものの意思……?」 分からない。知らない。関係ない。 僕は、そんな設定を考えていない。そんな細かい設定、知らないよ。僕になんか、分かるはずがないんだ。 これが《魂素子》の集まろうとする意思なのかどうかなんてことはどっちでもいい。 問題なのは、倒すべき敵が、《鬼神アバル》が、撫子だってことだ――! 「ひっ! ひいぃっ!」 《光護隊》の男が、恐怖に耐えられなくなったのか、その場から逃げ出そうとする。そこでようやく撫子は動く――右手を天に掲げると、黒い粒子が集まり、巨大な首狩り鎌(デスサイズ)の形になった。 軽く振う。巨大と言っても、彼女の体より少し大きい程度だ。ここまではまるで届かない――が、その斬撃が静かに飛ぶ。まさに、無音だった。 ズリ―― 《光護隊》隊員はその斬撃によって胸が切り裂かれた。血が、血が飛び散る。 「あぁ……死にたく、ない……」 瞳孔が開いたままになる。彼は、息絶えた。あっけなく、一瞬で死んだ。僕達はそれをただ目撃することしかできない。 周りの《光護隊》隊員もようやく集まってくる。 「な、なんだこれはッ!?」 そして現状を認識したようだった。僕が《鬼神》なのではなく、本物の《鬼神》がこの場にいるのだと。 「《鬼神》……これは、くッ! やるしか……」 メリケンサックの能力者――おそらくこの場を指揮する人物である彼が苦しい表情を浮かべた。分かっているのだろう。彼女が、自分の想像をはるかに超えて強いのだと。 ――そして、そんな存在を止めるチャンスは、もう今、ここしかないのだと。 「総員……」 だから、全滅を覚悟する。死ぬと分かり、戦う。それしか方法がない。その決断を、彼はしているのだと思った。 「……かかれ! 《鬼神》を殲滅せよッ!」 理解できる。それは正しい。理性的判断だ。 論理思考はいつも正しい。全力で考えた幾多の選択肢の中から、最善を選び取る。一切の感情を排して、機械的に抽出する。 感情思考はいつも間違える。人として大事なものは守れるけど、でも、弱い。だから負ける。それでも、僕は人間でいたいから、それを破る事は出来ない。 ――だから。 だから僕は、論理思考で最善を選び取った後、その結果を、感情思考で吟味する。 この選択は、最善だけど、人としての道を踏み外さないだろうか――? と。 もしそうであった時は、選択肢から除外する。そしてまた選び直した。 ――そうやって、僕は時たま、最善の選択肢を切り捨ててきた。 例えば、ルナを助けた時のように。 でも……十分にやってきたじゃないか。僕は、正しいはずだ。限られた時間の中で、持てる全ての力を使って正解を導いてきた。倫理を犯さない範囲での最善を尽くしてきた。 考えて考えて考え抜いて――砂粒ほどの小さな可能性を、正解を、選び出して来たじゃないか。 そんな正しい道だけを進んできたのに、 どうして、 まるでとって付けたように、 ――結果だけ最悪なんだ? 「うおおおッ!!」 《光護隊》が一斉にそれぞれの能力を武器にし、雄叫びを上げる。 ……だからなのだろうか。だから、――最善を選ばなかったから。人としての倫理を全うしたかったから。そんな甘ったるい認識だったから。だから、こうなったのか。 分かっている。報われない悪になることが時には必要なように、人としての道の際(きわ)を渡り、たまには一瞬踏み外さなくてはいけないことを。そういうことが、現実では必要なのだと、僕は知っている。 でも――それでも、僕は―― 物語の中でだけは――綺麗でいたい。 だから僕は万年筆を手に取る。そして――腕に刻んでいく。 『橘有葉。浮遊が可能になる。また、能力の強化、強化、強化』 「一斉攻撃ッ!」 くそくらえ―― 「やめろおおォォォッ!」 叫ぶ。放たれた攻撃を刃で弾く。彼女との間に浮いて入る。撫子の盾となる。 弾けなかった攻撃――ニードルが僕の肩を、太腿を貫く。 発現した能力は、一回り大きなサイズのナイフになっていた。柄が手を囲むように包み、それはもう双剣の域に達していた。 「!? 有葉っち! 何をしているんデスか!」 「有葉くん! 危ないッ!」 二人の声が聞こえる。聞こえるが、聞かない。 《光護隊》の隊員が叫ぶ。 「橘有葉……! 貴様、やはりそちら側だったかッ!! お前ごと殺してやる!」 「黙れ! 撫子には指一本触れさせないッ!」 撫子を一瞥する。僕と目が合うが、僕を僕だと認識している様子はなく、まるで無機物をみるように感情のこもっていない瞳をしていた。それでもいい。僕は、撫子を守る。 「馬鹿め! 一斉攻撃を全て跳ね返すことはできないのだろう? ……全力でぶち込め! 遠慮はするなッ!!」 《光護隊》のそれぞれは能力の準備を始めた。能力により生成された武器が大きな光を放つ。さっきの攻撃とは比べものにならないくらいに威力が高いことが分かる。 「離して! 有葉くんが死んじゃう! 死んじゃうよ……! 有葉くんが、有葉くんがあぁ……! 嫌だ! やめてよ!」 群青さんが支えを失い、地面にへたりこみながら叫ぶ。ぼろぼろと涙をこぼし、必死に歩こうとするが、彼女はふくらはぎを怪我したばかりで動けない。ただもがくだけだった。 「有葉っち! どういうつもりデスか! それも何かの作戦なんデスか!? そうは見えません! 感情だけで行動しているように見えマス! 約束を破る気デスか!」 「……ルナ、…………ごめん」 僕を見て、彼女は絶望したように目を見開くが、すぐにそれは決意の表情になる。 「それなら、アタシも《光護隊》の攻撃に加わりマス」 「ああ……構わない」 それを聞き、群青さんが声を上げる。 「ルナちゃん! 何を言ってるの! 有葉くんに攻撃なんてさせない!」 「もう有葉っちは敵なんデス!」 二人が言い争っている間にも、場には《光護隊》全員の武器の光が強まっていく。 これで、いいんだ。この世界の選択は、これでいいんだ。 「お主! やめろ! 死ぬぞ!」 万年筆からも声が聞こえる。 「ミナモト……」 最近は一言も口を聞いていなかったミナモトが声を荒げた。 「お主が死んだらどうする!? 誰がこの世界を見届ける!? 他の誰かに渡して書いてもらうというわけにはいかないのじゃぞ!! この世界を創ったものだけが、この世界を終わらせることが出来ると言ったではないか!」 うるさい。知ったことか。僕の妹が、撫子が攻撃されそうなんだぞ? それを黙って見ていろって言うのかよ。そんなこと、出来るわけがない。これが、ベストなんだよ―― 光が限界まで輝き、瞬き始める。 「――今だ! 一斉攻撃ッ!」 その全てのエネルギーが、指向性を得て僕に向かってくる。 僕の双剣はこの世界でチート級に強くなっているはず。この双剣にさえ攻撃を当てれば、全てが相殺、粉砕できる。 問題は、物理的に、この一斉攻撃全てに双剣を当てられるかという問題――。 反応するしかない――! 「うおおおォォォッ!」 弾く。切り裂く。回転する――。様々な攻撃がそれぞれの角度、強さ、性質を持って僕を殺そうとする。それを拒絶するように破壊し尽くす―― ほんの数秒のことだろう。しかし、体感時間では分を優に過ぎている。 さっき貫かれた肩がうまく稼働しない。弾けない。その攻撃は、全て僕の体が盾となる。肉が、貫かれる。熱い、痛い――。だけど、撫子には一つも攻撃を通さない。 やがて、ほとんどの攻撃を弾けなくなった。僕を貫く武器の数々。 ――そうして、攻撃が終わった。 「はあ……はあ……ぐっ」 体が熱い。動かない。重い。しかし、僕はその場に浮遊し続けた。 「しぶといデスね……有葉っち」 「あ、あああぁぁぁ!! 有葉くんが、ああぁぁ……!!」 群青さんが壊れたように叫ぶ。 万年筆から、再びミナモトの声が聞こえる。 「お主! 大丈夫か!?」 「あ……あぁ、幸い……即死では……ぶごぁッ」 こみ上げてくる熱い液体を吐きだす。血液だった。 内臓のいくつかを損傷している。……放っておけば、確実に死ぬだろう。僕はそこまでしぶといやつじゃない。 だけど、なんとか――、今だけは耐えてくれ。兄として、妹を守り切ってくれ。 「ええい! もう一度だ! 攻撃準備ッ!」 《光護隊》の男が指令を発する。それを聞いて隊員達は武器を再び構える。また光が集まり始める。 もう一度は、無理だ。撫子に攻撃が通ってしまう。 「撫子……! 逃げて、くれ……!」 振り返ると、彼女はまだ僕をじっと見つめていた。その瞳は絶対零度のように静止していた。 「頼むッ……逃げろって……」 僕は彼女にゆっくりと近づく。 「ここは危ないんだ……だから……」 しかし、なおも撫子は動かなかった。 「お主、何を言っても無駄じゃ。聞こえておらん。それよりお主が死んでしまう! いいから早く自分の治療のことを考えろ!」 「うるさい、うるさいんだよ……撫子が、危ないんだ……」 全てを、助けたい。 ここは物語の世界なんだ。他の誰でもない、僕の物語。ご都合主義に皆がハッピーになれる、全員が報われる、そんな物語なんだ。 「誰も、悲しまなくたって……いいんだよ……!」 その時だった。 ぴくりと、撫子が反応する。まるで、縋るように、僕に手を伸ばす。 「撫子……! 待ってろ、今、助けて……やるからな……」 「有葉! やめろ! 危険じゃ!」 僕はその手を掴もうと、左手を伸ばす。 ――でも。 彼女の手は、僕の手に触れることはなく――、そのまま僕の肩を強く掴んだ。まるで、僕を捕らえるように。 え――? 目の前には、ビー玉のように何も感じさせない瞳。 右手には、首狩り鎌。 まるで、自動人形のように、 彼女は右腕を引き、 そして、流れるような動作で、何のためらいもなく、×××××。 ――嘘、だろ? ズブン、と鈍い音が響き、鎌の先端で僕の心臓が貫かれた。体中が死滅してしまったかのように、コントロールが利かなくなる。頭がきりきりと痛み、やがて感覚を失っていく。 感じる。僕の生命が失われていくのを。 「なっ……でし…………」 声が出ない。代わりに涙が溢れる。 やっぱり、結果は最悪だった。 何が間違っていたんだ――? 僕は、人間として、最も正しい選択肢を、選んだんじゃないのか? 何も、間違っていない。それなら、間違っているのは何だ? 橘撫子か? ミナモトか? 群青ソラか? ルナ・ラヴクリフトか? それとも、橘恒彦か? ――違う。 間違っているのは、おかしいのは―― 僕。そして、この《上書き》された世界だ。 「―――主、――かッ!? ――――おい、―――――」 聴覚が薄れて、ミナモトが何を言っているかもう分からなかった。 意識がフェードアウトしていく。 全てが不明瞭になる中、温かい何かが弾けて、僕という生命の終端を感じた。 ――僕は死んだ。 そうしてこの世界は主人公を失くし、 方向性を無くし、 作者を亡くし 物語は物語を逸脱し、 神の操作から外れ、 無秩序という名の自由を手に入れ、 ――現実となった。 オレが犯人だっ その先には誰もいない。 て ? それは ること 後に ロビエト朝の崩壊へと繋が と 喧噪の中、彼 な は る 目 。 覚 違う――! め 好 た。 加減だ。 き い 、 大学のサークルというやつはい な 反 郎 した? の 対 われは 士郎 うした? か は 救 した。 京士郎? どうした? い 無関心では 。 ? ない す と。 で ん 多分、その時僕はようやく気付いたんだと思う。 な い だから、そんな人は、 《了》 《END》 《fin》 物語が物語られ物語する。 僕は僕という枠を飛び越え、誰かになった。それは神だったり、一国の王子だったり、不幸に見舞われる男だったり、殺人鬼に真先に殺されるサラリーマンだったり、警察官に抱き締められる高校生だったり、師匠に殴り飛ばされる弟子だったり、竜に乗り回す異世界人だったり、妹や幼馴染が自分に懐いている平凡人だったり、世界の定めを狂わせようとする悪人だったり、運命の壁を打ち破ろうとする熱意を持った天才だったり―― 何年も生きて、何百年も生きて、僕は全てを経験した。 しかし、やがて一つ穴が開く。まるでブラックホールのように全てを吸い込んでいく。せっかくのわくわくする経験を、楽しかった冒険を、なかったことにしていく。 僕の私の君のあなたの物語を奪っていく。 「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」 ………………。 「…………ん?」 僕は目覚める。目覚めてしまった。 あれ? 僕は何をしていたんだっけ……。まあいいか。 それよりここはどこだろう。僕はベッドに横になり、簡素な白い服を着ている。特に体で痛い所などはない。 「知らない天井だ……」 とりあえずお約束としてこのセリフを言い、上半身だけを起こす。 首だけを動かして隣を見ると、見知った顔の人が椅子に座ってうつらうつらしていた。 群青ソラさんである。 「あれ? 群青さん……?」 僕が声をかけると、ビクッと大袈裟に飛び跳ねて目覚める。そして僕の顔を見て、静止した。時が止まったように、瞬きさえもしない。……何? こういうドッキリ? にしてはさっきビクッてなってたけど……。 「あ、あの……? 群青さーん?」 僕が彼女の視線の延長線上で手を振っていると、急にがばりと僕に抱き着いてきた。 「ちょっと、あの……」 ぎゅうぅ、と力強く抱きしめる。背骨がぽきぽきと鳴った。意外に背筋が伸びて気持ち良い。 群青さんは、ベッドの上に座り、僕と対面する格好で抱き締めているので、彼女の様子は確認できなかった。 しかし、やがて彼女の口から音が漏れる。 「……よ」 「よ……?」 「よがっだあぁぁ……」 「な、ど、どうしたの!?」 クールな群青さんとは思えない行動だった。泣いているのか、きちんと発声が出来ていない。 「有葉くんが、生きてた……よかった、本当に、よかった。さいこう……」 「う、うん……なんか、ありがと」 「もう、ほんと、すっごく心配したんだから……よかった……もう、絶対に離さない。ずっと一緒だから……結婚しましょう……」 「えぇ!?」 突然のプロポーズ。勢いあまり過ぎだろ。 僕は段々と思い出して来ていた。僕が、世界を作りだしてしまったこと。群青さんと仲良くなれたこと。ルナと敵対したこと。 少し、群青さんが愛おしくなる。そっと抱き返した。 「心配かけてごめん。……ここ、病院だよね? そもそもどうして僕、入院――入院……して、怪我……怪我、を………………あれ?」 思い出す。撫子のこと。《鬼神アバル》のこと。 「ッッ!!」 自分の中の全てが停止する。 撫子が《鬼神》、撫子が《鬼神》、撫子が《鬼神》、撫子が《鬼神》、撫子が《鬼神》、撫子が《鬼神》、撫子が《鬼神》、撫子が《鬼神》、撫子が《鬼神》―――――― 止めどなく、だくだくと、それだけが頭を巡る。 やがて、微かに外眼筋が痙攣し、眼球が小刻みに震えた。僕は、これから、これから――これから、これから、これから、どうすれば―――、どうしようも、どうすれば、何も出来ない、どうしても、どうしようも、どうすれば―― 「有葉くん!」 「はっ」 その時、僕の壊れたプログラムみたいな思考を強制停止させたのは、群青さんだった。彼女が僕の耳元で名前を呼んだことによって、意識が正常に戻る。 また引きずり込まれそうになる思考に、僕はブロックをかける。想像するな、今は情報だけを受け取っておけ、感情を封印しろ、後で考えろ―― 「大丈夫……?」 「……ごめん、大丈夫……撫子はどうなった?」 僕は、その名を出来るだけ感情を込めないように言う。 「あの後、戦いになって……私が有葉くんを回収したの。そしたら《鬼神》が有葉くんを執拗に追いかけてきて……本部の人達は、私とルナちゃん以外全員――やられた。……でも、向こうにもある程度ダメージを与えることができて、有葉くんを諦めて帰って行った」 全員? やられたのか――? あの一斉攻撃を撫子は防げたということか? いや、あの攻撃には溜めの時間がある。その隙に攻撃すれば、一斉攻撃はそもそも受けることがない。 「群青さん、足に怪我してたんじゃない?」 「そう、だから。ほとんどルナちゃんが戦った。足を引っ張ちゃった……」 彼女は抱き締める手を離し、僕に顔を見せた。涙の跡があった。 「……あれから、何日が経過してる?」 「五日、だね……」 「五日!?」 「だから、ずっと心配してたんだから」 群青さんは唇を尖らせる。 「そっか……傍にいてくれてありがとう」 「……うんっ」 僕がそう言うと、恥ずかしそうに、そして満足そうに笑った。 「ルナはどうしてる?」 「自分の家じゃないかな、戦いで小さな傷は負ってたけど……あれから襲撃もないし、そもそも……本部がなくなっちゃったから……指令もないし」 「そう、だったな……」 「お見舞いには一回、最初に来たきりで……私ともそれから会ってない。その時にルナちゃんがそれをいつも有葉くんの傍に置いておけって」 それ、と言った視線の先には、銀色のアンプのような箱だった。大がかりな機会だ。 「これ、どういうもの?」 「えっと、能力波をシャットアウトするためのものって言ってたかな」 ……なるほど。 撫子が、僕を攻撃した後もしつこく追い回していたということは、僕の中の大量の《魂素子》は手に入れていない。能力波というもの、僕はよく分からないが、能力者が出す何かだろう。能力というのは《魂素子》からきている。つまり、これが近くにあれば、僕の中の大量の《魂素子》が撫子に検知できず、僕の居場所も掴めないわけだ。 僕が五日間、撫子の襲撃を受けずに無事に入院できていたのはこのおかげだろう。ルナに感謝しないと。きっと、今まで出ていなかった能力波が出るようになったことで、何かしらを悟ったのだろう。 「ルナ、怒ってた?」 「そうだね。何だかよく分からないけど、有葉くんに怒ってたみたい……」 やっぱかー。というか、殺されるというのなら、ルナに殺される危険の方がよっぽど高かったはずだ。……気分で殺さなかったのだろうか。いや、あいつに限ってそんな……。 ――そんなことは、今考えるべき問題じゃない。 今考えるべき一番の問題は―― 僕が、どうして生きているかだろう。 それについて何か知っている人物は、一人しかいない。 「……群青さん。僕、ちょっとトイレに行ってくるよ」 「うん、分かった。……私、もう帰るね。有葉くんが無事ってことが分かって、安心したらちょっと眠くなっちゃったから……それとも、一緒に……?」 どうしてそうなる。やめろ、顔赤らめるな。僕まで恥ずかしくなるだろ。 僕はもう一度、彼女にお礼を述べてから病室を後にした。 廊下の突き当たりの小さな階段に腰かける。どうやら今は使われていない階段らしい。メインの階段はもっと使いやすい場所にあるのだろう。 「ミナモト。もう誰もいない。僕一人だ。喋っても大丈夫だよ」 「…………」 しかし、何か喋る気配はない。 やはり、怒っているのだろうか。僕とミナモトは結局ルナの件で仲違いしたままだ。でも、今はそんなことで争っている場合じゃないだろう。 「……あっ」 そして、気付く。僕、病院服じゃないか。 ポケットに手を突っ込む。万年筆がなかった。おい、今までの全部ただの独り言じゃん……。 僕は急いで自分の病室に戻る。持ち物は棚や引き出しに入っているはず――あった。すぐに見つかった。 「これ、か……?」 そこには、紙で包まれた棒状の物が入っていた。ほかに万年筆らしきものは見当たらないし、これなのだろう。 恐る恐る開いてみる。 「ッ!! ……そん、な……」 そこには、砕けた万年筆があった。ペン先は逆を向き、塗装はこげたように黒ずんでいる。キャップの部分は割れ、中身が露出していた。 ミナモトはどこだ……? その時、胸の中で何かの温度を感じた。まるで、人の温かみのように淡い熱だった。 「……お主、余はここじゃ」 「?」 そう確かに聞こえた。どこか力ない感じだが、ミナモトの声に違いない。 しかし、どこにも彼女の姿は認められないし、どこから声が聞こえてきたのかも分からなかった。例えるなら、カナル式イヤホンをつけているような感じだ。音だけが体内に鮮明に響く。……しかし、僕の耳には何もついていない。 「ミナモト、どこだ……? 万年筆が壊れてたけど……」 「宿るものは何だっていいのじゃ……書いたり、刻んだり、そういう記すものならばな」 そうなのか。確か、以前に宿るものは変えられるというような話をしていた。そもそもそうでなくては、紫式部の筆から万年筆に移れないし、可能なのだろう。 「それで、何に取りついてるんだ?」 「お主じゃよ。お主の中の《魂素子》、もっと言えば、お主が戦闘で使用するナイフ――双剣じゃな」 「そう、か…………それで、どうして僕は生きている?」 あの時、僕は確かに心臓を貫かれたはずだ。 「余が、神の力を使って生き返らせた」 ミナモトの答えに、僕は顔をしかめた。 「……生き返る? 神の力? 何でもありかよ。そんなこと、あるわけないだろ」 「厳密に言えば生き返りは違うの。心臓が壊れた後、その部分を修復しながら、心臓の代わりに血液を循環させておった。……神にもランクがある。そして余は、最高位から一つ下の位、分かりやすく言えば、Bランクにいる。――いや、いた」 含みのある言い方が引っかかる。 「恒彦が余のために捧げてきた百以上の良質な物語、力――それによって余はBランクになっておったのじゃ。相当なエリートじゃな。……そして、その力をほぼ全部使い切って、お主の肉体に干渉した。文字通り――神の力を行使した」 本当に、ミナモトにそんなことができるのか……? しかし、理屈から言えば、僕は一度も死んでいない。魂を云々ではなく、物理的に干渉したのか。そのくらいなら、確かに――《神威》なんて攻撃を放つくらいの力があるんだ、できるかもしれない。 「それによって、余は現在、最低ランク。そして――もうじき、神の座を追われる」 「はっ!? ……何? どういうこと?」 ミナモトは苦笑いを浮かべる。 「本当に、ほぼ、全部の力を使ったのじゃ。どれくらいすごいことをしたのか分かってないのかの? 人間の生命に関わること――それは最高位の神でさえ絶対にしない。力を使い過ぎて己が消滅しかねんからじゃ。余はそれをやった。だから、大体――持って、あと二日じゃろうな。お主……五日も寝ておったし」 ミナモトが死ぬ――それは、僕の死にも直接関係してくる。 僕は、ミナモトと契約している。僕がこの《上書き》の力を使い、ミナモトはその物語を糧とする。この力は――人知を超えた強力な力だ。僕はその代償として、ミナモトに命を預けている。 「でも、でも……ミナモト、僕が死んでもミナモトは死なないじゃないか! どうして、どうして……僕なんかを助けた」 「つまらないことを聞くな。……それより、お主、死にたくなかったら……その二日以内に、余に新たなエネルギーを与えてくれ」 するすると、僕の胸から糸状の何かが出てくる。それが人の形を成して、僕の目の前のベッドに腰掛けた。何度櫛をかけても少しの抵抗も感じさせないであろう艶ある黒髪に、異界の者を思わせる紅の瞳。ミナモトだった。 体の色が、若干透けているように思う。実体化するエネルギーすら足りないのか。 「エネルギーを与えるって、ミナモト……それって……この物語を終わらせろって、そういう、ことか――?」 ミナモトは寂しさ、物憂い、困惑――を、独特の比率で混ぜたような表情をしていた。 「……………………」 「……………………」 沈黙が続く。僕とミナモトの間には気まずい雰囲気が流れ続けている。 こうしてまじまじとミナモトの姿を見ていると、この世界が始まった時のことを思い出した。もう随分と前のことのように感じる。あの時はまだ、良かった。何も知らなかったのだから。 ――どうして、こうなってしまったのだろう。 物語を、閉じなくてはいけない。撫子がいないと知ってから、その決意は固いままだ。何があっても、絶対に、この世界を終わらせてやると心に誓った。そしてミナモトが失われそうな今、二日という時間制限がついたことになる。もう、ほとんど時は残されていない。今こそ、実行する時だ。準備してきた全てを持って、《鬼神》を殲滅する時だ。 「……………………………………………………」 《鬼神》――、撫子。 僕は、今まで、撫子を殺す準備をしてきたのか……? そこに至ると、突然限界が訪れる。思考の制御がきかなくなり、感情の波が、僕の理性を飲み込もうとする。 「ミナ、モト……」 「なんじゃ?」 優しく、彼女は返事をした。いつものように、まるで、何もなかったかのように、馬鹿な掛け合いをするときのように、僕を見る。 その表情を見ると、目の奥に痛みを伴う熱を感じた。そして、何かが、溢れ出る。 「撫子が、僕の妹が――《鬼神》だった……。この世界は――撫子を殺すことによって閉じる。撫子は、死ぬ……しかない……。分かってるんだ、この世界で殺したって、この世界が終われば、撫子は生き返るッ! 分かってる、分かってる……だけど、そんなのは、そんなことは、間違っている。絶対に! 間違ってるんだ! ……くそッ……」 「…………」 膝をつき、縋るように泣く僕を、ミナモトはどんな表情で見ていただろう。 「そんなプロットが、そんな物語が、僕に書けると思うか? ……撫子を殺す、なんて、そんな話が、あろうことか――僕の作った物語で、創ったこの世界で……起こっていいと思うか……? 想像してくれ! もっと、頭を働かせるんだ、撫子が死ぬときに感じる、その思いを――五感で、想像してくれよ……僕には、あいつを殺すことなんて、できない。世界が、元に戻らなくなったとしても、撫子を殺すなんてことは、絶対にさせない。僕は、大事なものを失ってしまう……僕は、――僕はッ! こんなことのためにッ! 小説を書いていたんじゃないッッ!」 「…………」 「それとも、捨てろって言うのか……? 人間を、やめろって、そう言ってるのか? 妹を殺して、そして、元に戻ったその世界で、――何も知らないあいつに、僕によって殺されたとも知らないあいつに――笑顔を向けろって、言うのか……? そんなのは、もう、人間じゃない。僕はな――神じゃないんだよ。人間なのに、一世界の神になってしまった……。ミナモト、僕は、君みたいには…………なれない」 「…………そうか」 ベッドの軋む音がして、――ふわり、とミナモトが僕を抱き締める。頭を胸に抱きかかえるように、そっと包み込んだ。キャミソールの生地がさらさらと頬に触れて心地よい。 香りがした。人間の、温かな、血の通った、人間の香り。 それが僕に少しの落ち着きを与える。 「ミナモト……分かってるんだ。僕に、この力は、大きすぎた。じいちゃんみたいには……使いこなせない」 熟慮を重ねて、これ以上ないというくらいに考え抜いて、限りのある時間の中で、ベストの答えを導いてきたと――この世界を、ハッピーエンドへと向かわせてきたと、思っていた。 だけど、何かが違う。ルナがいつか言っていた。 ――この世界は間違っている。 「間違っていたのは――僕だ。そして、僕の創ったこの世界が間違っている。失敗した。僕は、失敗したんだ。世界の設計図に、致命的なバグを残してしまった。――もう、後戻りはできない。……覚悟を、決めるしかない――。道は、一つしかないんだから……。責任は、僕が取るしかない。何を捨てても、僕が責任を取るしかないんだ。ちゃんと、分かってる。今回の選択肢は、一つしかない。ベストも何も、それを選ぶしかない。そしてそれは――人間として、絶対に間違っている」 「…………」 「ミナモト。僕は、間違ったこの世界を、間違った方法で、終わらせる。世界中をこれ以上、巻き込んではおけない。……お前にいつか言ったな。お前が、ルナを殺そうとした時に――、お前の気持ちなんて分からないと。お前は、神であって人間ではない、人間の気持ちなんて少しも理解できてないんだと。……でも、そうじゃなくて、ミナモト、お前は――人間を理解して、それで、あの行動をとったのだと、そう、今なら思える。だって――お前が正しかったのかもしれない、から――。……何か、こうなる前に、僕は、もっと浅いところで、――間違っておくべきだった。最悪を回避するために、悪を犯しておくべきだったのかも、しれない――」 だから、僕は、人間として大切なものを捨てよう。 目的を最優先にして、そのためなら、どんな手段でも行使する劣悪な何かになろう。 そう――やっとのことで、決意を固めたその時に、 「ならん」 と、ミナモトが言った。 「! なんで、だよ……」 せっかく、決意を固めたのに。この世界を、救ってやると、決めたのに。それを鈍らせるようなことを、言うなよ。 「……余は、お主のことが好きじゃ。すっごく好きじゃ。好き好き大好き超愛してるじゃ」 そう言って、ミナモトは優しく微笑みかけた。そして、悟ったように、僕を見つめる。 「だから自分の命をかけてもお主を助ける。――だから、お主が壊れてしまうかもしれないことを、させるわけにはいかん」 そう言って、彼女はより強く僕を抱き締める。僕は照れくさくなって、顔が紅潮するのを感じる。 「な、なんだよ、急に……」 「何故だと、思う?」 「知らないよ……最初から、そんな感じだっただろ」 ミナモトは「ふふ」と小さく笑った。 「余はお主のことをよく知っておるからじゃ。お主の、困っている人を見過ごせないところを、自分が犠牲になってでも助けるところを、――そんな男らしいところに惚れておったのじゃ。余も、そんな風に――愛してもらいたいと、な」 「適当なことを言うなよ……僕とお前が出会ったのなんて、ついこの間じゃないか」 「会ったのは確かにそうじゃ。でも、余はお主のことをもっと前から知っておる。――なぜなら、お主が書いた小説を、全て読んできたからの」 「――!?」 「驚くな、恒彦に、読ませてもらったのじゃ」 これは、思いのほか恥ずかしい。 「全部って……全部か?」 「全部じゃよ。『雷戦士イナズマン』から、全部じゃ」 おい、それって、じいちゃんにしか教えてない僕の処女作じゃねえか……。 「だからお主を知っておる。誰よりも、お主の心に触れてきた」 だから、――ならん。と、ミナモトは言った。 「……お主の小説には必ず、正義がいて、ヒロインがいて、悪役がいる。正義はどこまでも正義で、人々に認められて、絶対に間違わない。――だから、正しいことしかしない。だからこその、正義。ヒロインは、そんな正義を支える。認めて、抱擁する。守られながらも時には戦い、正義のためには己の身さえ差し出す。そして――悪役は」 彼女はそこで息を吐く。 「悪役は――どこまでも悪じゃ。人々から忌み嫌われて、間違ったことしかしない。それがお主の小説の欠点。薄っぺらいところじゃの。悪役が何故、そこまで悪を貫くのか、何も分からん」 「うっ」 面と向かって批判されるのは、やはり少しくるものがある。 「――どうしてそうなってしまうか、それは、お主が悪というものを心底、嫌っておるからじゃ。何か嫌な思い出でもあるのじゃろう」 悪――。それは、徹底的な悪であるべきだと、そんな分かりやすい構図であるべきだと思った。正しいことをするために、悪を行おうとするなんて、そんなことは、嫌だと。小説では、そんなことはしたくないと――思ったのだった。 「お主は、正義になりたいのじゃ。だから、悪にはなりたくない、そこに敏感なのじゃ」 「違う――そうじゃなくても、人なんか、殺せるものか」 「そうかもしれぬ……、でもな。お主は、気付いておるのじゃろう?」 「何に」 ミナモトは、ここで僕の体を解放し、そして肩を掴んだまま、僕と一ミリも目を逸らさないで、言った。 「正義も悪も、ないのだと。そこは、表裏一体というより、同一なのだと。そして、それ故に、世界は間違っているのだと」 「…………」 「そもそも笑えるじゃろう。正義と言っておきながら、暴力で解決するなど。やっていることは悪と同じじゃ。――そう、割り切ってしまえ」 「…………僕は」 正義を、悪を、否定していいのか? その枠組みを、壊してしまって、いいのか? 間違った世界を――そのまま、受け入れてしまっていいのか? 「そんなもんじゃよ。だからお主は、何をしても正義じゃ。この世界を救うという一大使命を全うするために、戦う――正義じゃ」 ミナモトのザクロのように輝く瞳が、僕を見つめる。真剣な眼差しが、とろんと優しく笑った。母性さえ感じさせるその表情は、僕の全てを優しく包み込む。 「余は、余だけは、お主を見ている。この世界で何をしようとも、余だけはお主の味方で、お主を支え続ける。お主の全てを理解して、お主を受け入れる。一生――お主が捨てぬ限り、傍に居続ける。……失敗してもよい。その時は、潔く、残り少ない時間を共に愛し合おう。だから、……だから――お主は、お主のままで、妹子を殺して壊れることなく、この世界を、終わらせよう」 彼女の目尻から輝く水滴が零れ落ちる。僕は――呆然としていた僕は、それを指で掬って、そして――口を開く。 「……ありがとう、ミナモト。これからも、ずっと、頼む」 ――僕らは、妹を殺さずにこの世界を終わらせることを決意する。 方法は、ない。 それから僕は、その病院の中で、ボールペンを片手にネタ帳を広げ、ただただ考える。何か抜け道はないかと、考える。 プロットを見る。 『群青さんと僕が出会う(済)→群青さんと仲を深める(済)→鬼神アバルが攻めてきて群青さんと僕を襲い、僕がピンチに(済)→群青さん、何かを乗り越えてパワーアップ→決戦。』 プロットによる縛り。 残り二日という時間制限。 そして――撫子を殺さないという前提。 これを全て満たして、終わらせなくてはいけない。 そんな方法が本当にあるのだろうか――、そう思う度に僕は、答えがあることを前提にする。正しい道があって、僕は、そこに向かって今進んでいるのだと。 考える。考える。考える――。 「…………はっ」 顔を上げる。時間は午前二時五十分。 意識が数秒飛んでいた。ショートスリープをしていたのかもしれない。やはり体がまだ本調子ではないらしく、頭も痛いし、眠気も限界だった。 「寝てる場合じゃないんだよッ!」 ボールペンを握りしめて、それを太腿に突き刺す。全身を痛みという電流が貫き、血がどくどくと溢れ出る。痛い痛い痛い――、しかし、僕の頭はまだ少しぼうっとする。 「……つうッ…………」 傷口をボールペンでえぐる。ぐりぐりと、できるだけ痛みを与えるように。少しだけ目に涙が滲む。 太腿には同じような後が四か所程あった。意識が飛びそうになる度に、僕はこうやって太腿を突き刺している。体に痛みを与えることが、結局一番目が覚める。 方法は、まだ思い付いていなかった。残り時間が二日と言っても、その二日まるまる方法を探すだけに使えない。実行する時間、または予定外の何かが起こった時のための時間―― いや、予定外など起こる余地を残してはだめだ。この失敗は僕の、そして何よりミナモトの命に関わる。僕は、何としても、百%、絶対に、一厘の、一糸の隙もなく、完璧に物語を組まなくてはいけない。緻密に、計算するように、物語を構成する。 「緻密に……」 そこで思い出すのは、撫子のことだった。彼女はミステリー小説を書く。だから、いつも物語に緻密な構成を仕込んでいた。読者が気付かないように、そして、伏線になるように、微妙で、しかし確実に、意識に上るように、書いていく。 そして行き詰った時に、彼女は樹形図を書いていた。前提から全てを見直し、何か展開がないかと見つけ出すのだ。視覚的になって分かりやすいらしい。 「やってみるか」 僕はさっそく前提から見直すために条件を全て書き記す。そしてそこから起こりえる可能性を書き、線で繋ぐ。 正解はあるんだ。必ず、何か、あるはずなんだ。 気持ちばかりが焦る。陽が昇って、昼頃になったら準備をし、何か行動を起こしたい。 撫子には、少しでも体力を温存してもらおうと、人の形を維持しないで、おとなしく双剣の中で眠ってもらっていた。一人で考え出すしかない。 「スゥ――ハァ――」 深呼吸。落ち着け。アイデアというのはがっつけばがっつくほどやってこない。少しばかりリラックスした時、トイレや風呂なんかで何気なく湧くものだ。時間がないからこそ、リラックスが大切になる。 背筋を伸ばす。体がほぐれて気持ちいい。 ……撫子。 今、何をやっているだろうか。僕のことは覚えているのだろうか。もう随分と話していないような気がする。……最後に話したのはいつだったか。 ああ、僕がこの世界を展開する直前か。 確か『無能探偵タダヒト』の原稿を僕が読んで、その感想を伝えてたんだよなぁ。 「………………………………………………」 何かが、引っかかった。気のせいかもしれない。だけど、僕はその何かを必死に手繰り寄せる。縋るように、勢いよく引っ張り上げる。 そして、その引っかかりの正体が判明した。 「なる、ほどね。これは……使えるかもしれない……いや、いける、はず……!」 来た。アイデアがひらめく。まるで、伏線のように、僕と彼女の話題がキーとなる。 「でも、まだ問題点はある……何かしら、工夫しないと……」 伏線、ね。おもしろい。……いいじゃないか。 ここに来るまで右往左往したけど、それが全部伏線になっていたなんて、おもしろい。そう、僕は今、物語の渦中にいるんだ。それだったら、もう隅々まで使ってやろう。余すことなく、全てを消化して、無駄なことなんて何一つなかったと証明しながら、この世界を終わらせてやる。 空は雲一つなく、空のグラデーションが端から端まで観察することができる。太陽が僕を照らすが、そこまでは暑くはなかった。校庭に涼しい風が吹いているからかもしれない。 ただ今の時刻、十三時ジャスト。場所は学校の校庭、ソロモンの前だ。 体のあちこちが軋み、頭も少しぼんやりする。徹夜明けは辛い。しかも一応まだ病人である。病院服で決戦は嫌なので、一度家に帰って着替えてはきたけど。 「うん、やっぱ、こうして前にすると、とことん異質だな」 ソロモンは刺さっているというより、そびえているといった感じで、やはり半透明で白濁していた。キラキラと太陽の光を浴びて虹色になっている部分もある。 最終決戦は、やはりここがいい。盛り上がりそうだ。 僕の心は、清々しかった。余裕とも取れるその感情を肯定できるほど――僕には自信があった。 「…………」 気配――音が背後から聞こえた。周囲の風の流れも変わる。振り返ると、そこに最初から存在したように、周囲に黒いオーラを放つ――撫子が立っていた。 「今日は地面に足ついてるんだね。……クールな撫子もなかなかいい」 僕の無駄口に反応はしない。襲うタイミングを見計らっているのだろう。 僕はポケットの中にある携帯電話を操作し、予め作成しておいたメールの『送信ボタン』を押す。送信完了の文字を確認すると、それを撫子に――《鬼神》に投げつけた。 それに対して彼女は、ぴくりと眉を動かす。そして、携帯電話は彼女との距離一メートル当たりで何かの壁にぶつかるように砕けた。 「シールド、ね」 何の前触れもなく、彼女は一瞬で最高速度に達し、僕の腹部に拳を打ち込んできた。携帯電話を投げたのがいけなかったのかもしれない。 「かはッ――」 肺から空気が強制的に押し出される。体がくの字に曲がり、少なく見積もっても五メートルは飛んだ先で地面と衝突する。ざりごりずずず、と僕の体の皮膚を摩擦で焼いた。 「お、おい……まだ双剣出してないんだから身体能力のアップは望めな――」 起き上がって彼女がいた方を見ると、既にいなくなっていた。どこに――? と思考すると同時に背後から気配を感じる。 「っぶね――」 後ろから放たれた蹴りを身をよじってかわす。が、かわしたと思っていたのは僕だけであった。風が僕の頬を切り裂く。かまいたちである。 「蹴りも飛び道具かよ……」 僕が落胆する間もなく、次の瞬間には、彼女は僕の懐に飛び込んでいた。そのまま二、三、四発と拳を受け、彼女のぐりんと上がった足によって後ろ回し蹴りの餌食になる。顔を地面にねじ込むように回され、僕は身動きが取れなくなる。地面と足によって完全に固定されてしまった。 「…………」 足に体重を乗せられ、喋ることはできない。体中が血だらけになり、一見重傷に見えるが、ほとんどは擦り傷なので見た目ほど痛みはなかった。横目で彼女を見上げると、右腕を引き、僕の胸を貫手で貫こうとしていた。 このままでは僕はもう一度殺され、《魂素子》を抜かれるだけだ―― 彼女が、間を溜めるまでもなく貫手を繰り出す。 ガチンッ―― しかし、僕の胸は貫かれることはなかった。胸の部分に双剣を作りだしたのである。手だけでなく、体に触れていれば問題ない。僕の双剣は相当に強化されているので、《鬼神》の攻撃に耐えることもできる。 その時、声が聞こえた。 「有葉くん!!」 「有葉っち、……《鬼神》ッ!」 群青さんとルナであった。学校を囲む柵を飛び越え、走りながら武器を生成する。もう少しタイミングが早かったらベストだったが、しかし仲間が助けに来るタイミングなど実際こんなものかもしれない。 僕が撫子に携帯電話を投げつける前――予め二人に救援メールを送っていた。その間にある程度血まみれになり、重傷に見せる必要があった。 そして今の状況、血だるまの僕は撫子に顔を踏みつけられ、身動きが取れない。二人から見れば、僕が重傷でピンチのように見えるはずだ。 「くッ――有葉っち、どうして病院から……!」 ルナはそう言いながら二丁拳銃で撫子を射撃する。群青さんも日本刀で撫子を切りつける――しかし、その攻撃は二つとも容易に避けられてしまう。 僕は解放されるが、敢えて動かない。 「群青、さん……」 苦しそうな声も出してみる。 「有葉くん!!」 群青さんが心配し、僕を覗き込んだ。 「もう、逃げて……撫子には、勝てない…………」 「有葉くん……戦う覚悟をしたのね……。そんな、一人で戦うなんて……、覚悟ができたなら、最初から私達を呼んでくれたら……」 彼女は泣きそうな顔をしながら、僕を抱える。抱え方にもいろいろあるが、お姫様抱っこをされたのは屈辱的だった。しかし、重症患者役なので声は上げない。今、撫子はルナによって足止めされている。銃によって撫子と距離を詰められないようにしている。なるほど、ルナの拳銃は撫子との戦闘に適しているらしい。 その間に、僕は校庭の隅――ルナの背後に置かれる。 「待ってて――私が、必ず倒してくるから……。有葉くんを傷付ける奴なんて――例え有葉くんの妹でも、絶対に、絶対に、絶対に、絶対にッ! 許さない!!」 もう彼女はヤンデレ化していた。纏う雰囲気が代わり、いつもより発せられる武器の光が強かった。 撫子は首狩り鎌を既に出して、ルナと戦闘していた。あの首狩り鎌は《光護隊》の男を殺した攻撃――斬撃を飛ばすことが可能だ。群青さんも可能だが、近距離用の武器が中距離まで延長するというのは非常に強力だ。ルナも苦戦していた。 「はあああぁぁぁッ!」 群青さんもその戦闘に混じる。 近距離では群青さんが、中距離からはルナが――それぞれ猛攻する。撫子も負けずに、その攻撃全てに対応する。しかし、攻撃をしかけることはできないようだった。余裕がないのが見てとれる。 ――ああ。 全部、順調だ。そのことに楽しみさえ覚える。思わず顔がにやけてしまった。 ここまで来るのに、様々な失敗を想定して策を練ってきたというのにそれを全て使うまでもなかった。ストレートに、何の問題もなくここまできた。幸先がいいぞ。 さあ、これでプロットの『群青さん、何かを乗り越えてパワーアップ→決戦。』という部分は満たした。これによってプロットの呪縛は消え去る。 後は、――撫子を救えれば、それでいい。 そして、それこそが最大の難関であることは確かであった。 僕は先ほどからずっと戦闘を注視していた。撫子、群青さん、ルナ――三人の動き、癖、技の種類――それらを把握するためだ。 「お主、順調か?」 ミナモトが内から僕に尋ねる。 「ああ、完璧だ。……そろそろ、撫子が無傷では済まなくなるし、行動するよ」 「……そうか、気を付けるのじゃぞ。特に最後のは――タイミングが命じゃからな」 「分かってるよ」 僕はとりあえず起き上がる。重傷ではないと言っても、体中が擦り切れて出血している。動くたびに動かした部位がすれて熱を持つ。しかし、動けない程ではないし、心臓を貫かれた時に比べれば、無傷も同様である。 三人に見つからないように、僕は校庭をぐるりと半周回る。それによって、二人から守られる位置から、撫子を三人で取り囲むような位置関係になった。 双剣を装備する。大丈夫、三人は戦闘に夢中で僕にまで気が回っていない。音を立てないように限界まで撫子に近づく。 そしてタイミングを見計らい、――撫子に向かって一直線に跳び込む。 「うおおおおぉぉぉぉッ!」 丁度、群青さんの攻撃を首狩り鎌で受け止めている最中だった。 三人が僕の存在に気付く。しかし、時既に遅し。 僕は、後ろから撫子の首に腕を回し、後ろに引き倒す。そのまま馬乗りになり、彼女の胸に両手をあてた。 「戻れ、《魂素子》」 「あっ……」 僕がそう言うと、撫子の表情が初めて変化する。群青さんとルナは、攻撃をやめて呆然と僕を見ていた。 「あ、ああ、あああああ……うああァァァッ!!」 手をゆっくりと引くと、彼女の体を透けて、真っ黒な《魂素子》が姿を現した。手に収まらないほどに大きく、そして空間が無くなっているかのように真っ黒だった。《魂素子》が抜けるほどに撫子から狂気が抜け落ち、まるで洗い流されるように黒さが消える。 「有葉、くん……?」 群青さんがようやく声を発する。 ずるり、と全ての《魂素子》が抜けると、撫子はびくん、と反応したきり、目を瞑り動かなくなった。大丈夫、気を失っているだけだ。 《魂素子》は僕の横で浮遊する。 「有葉っち、今のは何デス……? どうやって……? いや、有葉っちにどうやってと聞くのはナンセンス、デスか。……有葉っち、それを、どうするつもりデスか?」 「ん? いやぁ、まあ、……そうだねぇ、あはは」 僕は首を傾げて、にやりといやらしい笑みを浮かべた。 「! 答えてください!」 「有葉くん、怪我は……」 殺気立つルナと違い、群青さんはまだ状況を把握できていないようだった。 「群青さん」 「な、何?」 僕の、場に似つかわしくない笑みを見て、不安そうに返事をする。 「おかしいと、思ったことない?」 「何を……?」 「うーん、そうだな……例えば、どうして《鬼》に殺されたはずの僕の妹が《鬼神》なのか、とか……どうして、僕ばかりが《鬼神》だって疑われるか、とか……」 「え……?」 「ソラっち! そいつと話をしちゃだめデス!」 群青さんは自らの不安を打ち消すように力強く僕を見つめる。 「そんなの、おかしいなんて思ったことない! 確かに……どうして私の有葉くんばかりがこんな目にあるんだろうって思ったことはあるけど……でも、疑ったりなんか、そんなこと、一回もしたことない!」 「はは、疑われてる、なんて一言も言ってないじゃん」 「! そ、それは……」 「思ってたんだよ、群青さんは。僕がもしかしたら……ってね」 敢えて確信的なことは口にせず、不安を煽る。 「まあ、そうだよね。疑うのが自然だと思う。……どうせルナからいろいろ聞いてるんでしょ? 僕が《鬼神》の名が《アバル》っていうのを知ってることとか――」 「やめてよッ! どうしたの有葉くん! 何かおかしいよ!」 群青さんが叫ぶ。 「例えばこんなのはどうだろう。僕は、一緒に暮らしている撫子がある程度の『素質』があることを知り、群青さんの目の前で、《鬼》に撫子を攫わせた。そうすると、君は撫子が殺されたと思い、《鬼》ひいては《鬼神》を恨む。……一方で攫われた撫子は《魂素子》を植え付けられ、《鬼神》へと成っていた。群青さんは優しいからねー、かつての仲間となかなか戦えないよね」 「何を、言ってるの……ねえ、有葉くん……」 「それをさ、世界を助けるためだってことで……悲しみながらも、かつての仲間を殺すんだよ。素晴らしいストーリーじゃないか」 「……ソラっち、有葉っちから離れてください」 ルナが僕に銃口を向ける。 「やめてルナちゃん! そんなもの下ろして!」 「それは無理デス。だってもう、――明らかじゃないデスか」 群青さんは仕方ないと思ったのか、ルナから僕に向き直る。 「で、でも、そんなこと、有葉くんがする必要、ないでしょ……? 実際、そうなってないんだし……」 「はっ、なーに言ってんだよ。君が優し過ぎるからちょっと路線変更したんだ。このままだと撫子の不戦勝になっちゃいそうだったから、僕という戦う理由を作ってあげた。あーんな小学校の頃の話なんかを真に受けてさ、……調べてあったに決まってんじゃん」 「えっ……?」 今までの反応とは異なる表情の歪み方だった。自分自身の根幹に関わる何かが疑わしくなっている―― 「君の過去の話だよ。僕が君を助けたあの男の子だと思ったんだろ? んなわけないっつの。どんだけロマンチックなんだよ」 僕は溢れそうになる涙をこらえる。今は、信頼を、全て破壊しなくてはいけない。絶対に演技だと見抜かれてはいけないんだ。 「な、何を……有葉くんが……えっ、どういう……そん、な…………そんなことって」 群青さんは武器を力なく手放し、――何かが決壊した。俯き、ただ涙を流す彼女は、どこか狂気じみて見えた。 「これでちょうどバランスもとれて、もっとこうねー、ばーっと盛り上がると思ったんだけどなー。なかなか戦い盛り上がんないじゃん? 撫子より僕の方に気持ちが向いちゃったみたいだし……このまますんなりいくのもつまんないなーと思って、……で、思ったわけよ。ここで僕が正体現したら最ッ高に盛り上がるんじゃないかって。あははっ! 僕、超天才ッ! あははははは!」 僕は隣に浮遊している《魂素子》に手を突っ込む。すると、それはみるみる縮み、僕に全て吸収された。 後ろ手に持っている双剣で、僕は先ほどから地面に文字を刻んでいた。それがようやく完成する。ミナモトがこちらに宿っている今、これが万年筆の代わりだった。 『橘有葉、身に黒いオーラをまとう。双剣も黒色になる。シールドを張れるようになる。』 まとう、が平仮名なのは勘弁してほしい。漢字は書く数が多すぎる。そこまで手先は器用じゃない。――これ以外にも変更点は多くあった。例えば、撫子から《魂素子》を奪った能力。あれは昨晩付加したものだ。 吸収が完了したタイミングで僕の体からは黒いオーラが放たれ、双剣が禍々しく黒くなった。 「つーわけで、僕が真犯人、《鬼神アバル》でした。一つよろしく」 「何でわざわざこんな回りくどいことを! 今までアタシ達を殺すチャンスなんていくらでもあったはずデス!」 「はあ? んなの盛り上がんねーからに決まってんだろうが。僕は小説書くのが好きって知らないのか? やっぱこういうのは盛り上がりが命じゃん。全部、全部、ぜーんぶ、盛り上がりのための演出だっつーの! お前を助けたのだって、ただの演出だ。ルナ・ラヴクリフト」 「……だからあの時、あのままだと殺されてしまう撫子っちを庇ったんデスね……狂ってマス……」 ルナが余計に表情を厳しくした。 僕が本当に《鬼神》になってしまう。このアイデアは撫子の『無能探偵タダヒト』のことで話している時に出てきた「後期クイーン的問題」だ。犯人だと思った人が偽りで、それはただ操られていただけ――それは、物語的にアリだという話だった。 そう、僕は操りの真犯人。その役目だ。 ――これで、撫子は助けられた。一番の難所は――超えた。 あとは。 僕は、殺されなくてはいけない。それはいいとしても、僕はこの物語を最後まで見守り、全てが終わったその後で、『この物語はフィクションです。』と記さねばならないのだった。そうしないと、この世界は終わらず、このまま現実となり続ける。 ――その策を、一手をこなすだけ。 群青さんが、涙を流したその顔を上げる。表情は――とてもいい。憎しみに切り替わっていた。 「本当に嬉しかったのに……有葉くん……いや、《鬼神》ッ! 私を欺いた罪、償ってもらう!」 「はっ、やってみろよ」 僕が双剣を構えると、群青さんは一直線に切りかかってくる。僕はそれを片剣で受け止めると、空いている方の剣で横薙ぎにする。それを彼女は跳んでかわし、そのまま僕を飛び越える最中、背中に一太刀放つ――が、シールドによって弾く。 「また、何かある……撫子さんと一緒……」 群青さんが着地し、疑問をもらす。 「シールドだ。そう簡単に僕が倒せるとでも? ――っと」 背後から弾丸が撃ち込まれるが、それもシールドによって弾く。ルナが舌打ちをした。 「弾を通さないんデスか……撫子っちの時は通したのに…………ソラっち! しばらく時間を稼いでください!」 「了解!」 恐らく、特殊な弾を生成するのだろう。それによってシールドを破ろうとしてくるに決まっている。 猛攻してくる彼女を、撫子に被害が及ばないに気をつけながら相手する。 「ハアッ!」 彼女が離れた場所から刀を縦に大きく振る。予想通りにそこからは斬撃が飛ぶ――が、僕のシールドによって弾かれる。 「なっ! やはり撫子ちゃんの時とは違う――、シールドがかたい」 「まあ、《魂素子》の量が違うからね。ざっと三倍くらいの防御力じゃないかな」 「――くッ」 彼女はさっきからの猛攻で息が上がっている。しかもここでシールドだ。攻撃がやむ。このシールドは、この作戦で重要となる。 「おいおい、どーした? ……それじゃあ今度はこっちから!」 僕は双剣を交差して振う。一方の斬撃が高速で飛び、彼女はそれを刀で弾く。 「なッ――」 そして、もう一つの斬撃がゆっくりと飛び、無警戒だった彼女の首を掠めた。 「斬撃のスピードが違う――?」 「危なかったねー、簡単に首が落ちたんじゃ盛り上がらないよ? もっとがんばれ。僕の斬撃はスピードを調整できる。――よかったじゃん、新情報じゃないか」 彼女は苦虫を噛み潰したような顔をする。 それぞれの斬撃のスピードが変えられる。これは非常に強力だった。速度が一定なら一度その攻撃を見てしまえば、あとは剣を振ったタイミングと距離で斬撃を読むことが可能だ。しかし、それぞれスピードが違うとそれが出来ない。 「ほら、早くこいよ」 僕が挑発すると、彼女は跳ぶ――が、それは僕に向かってではなく、真上だった。 「喰らえッ――」 そして彼女は横一線、地面を切り裂いた。それと同時に地響きが鳴る。……何だ? この攻撃はまるで予想していなかった。 土埃が大きく舞い上がり、何も見えなかった。切られたであろう地面に近づくと、まるで地割れでも起きたかのように、地面が切断され、ズレていた。攻撃してこないことから、土埃を舞い上げ、逃げるのが目的らしい。 「どこだッ!」 僕が斬撃を四方八方に飛ばし、辺りを晴らすと、校庭には誰もいなくなっていた。気を失っていた撫子もいない。浮遊して俯瞰してみるが、見当たらない。何かの物陰に潜んでいるのだろう。 ――それなら、いい。ここで逃げ帰られて別の機会に再戦となるのは困る。こっちにはあと一日しか時間が残されていないのだから。 その間に、僕は何としても群青さんに殺されなければならない。 ミナモトの声が聞こえる。 『お主、大丈夫か?』 「さっきの攻撃は予想外だったけど、大丈夫だよ、大筋には関係ない」 順調だ、いける。もう成功したも同然だった。 物陰に隠れて作戦会議――これも僕の予想内の行動である。どんな策を巡らしたとしても、僕を殺す方法は一つしかない。僕の殺し方の誘導、そのためのシールドだ。 青い空を仰ぐ。思わずため息をつきそうになるくらいに、疲れていた。 ――僕は、必要悪なんだ。この世界を救うために死ななくてはいけない。それなら、喜んで死のう。少し怖いが、それで全てが救えるのならいい。成功すれば、生き返るのだし。 今まで、ずっとこうやってきたじゃないか。これが僕のやり方だ。結局、どの世界にも敵は必要で、どこまでも報われなくて、そして一番の――正義なんだ。 ――ああ、全員……僕まで、報われたかった。せめて、僕の話の中だけでは。 元に戻ったら、そんな小説を書こう。また撫子に「どこかで見た事のあるようなは話」と言われても、ミナモトに「薄っぺらい」と言われても、悪役がとことん悪くて、皆が報われる――そんな話を、書こう。 *** 一方、校舎の裏の繁みでは、三人が身を寄せ合って話をしていた。 「シールドがかたくて、私の刃も全然通らなかった」 群青が言うと、ルナは出来上がった弾をしげしてと見つめながら答える。 「大丈夫デスよ。この弾ならさすがにヒビくらいは入れられマス」 ルナが作った弾は先端が尖り、ドリルのようになっているものだった。一点集中の圧力と、回転でシールドを破ろうという作戦だ。 「これを、有葉っちに突っ込みながら連続で十発以上発射します。シールドが破壊できたらその瞬間に有葉っちを倒してください。撫子っちの時もそうでしたが、すぐに再生してしまうと思いマス。だから、ためらわないでください。これが最初で最後のチャンスデス」 群青は力強く頷く。 「大丈夫。私はためらわない」 その表情は、橘有葉が花瓶の彼だと知る前の――、冷たい正義の表情だった。 「んっ…………ん、うぅ…………」 彼女達の側で寝転んでいた撫子が薄目を開けた。 「あ、れ……? ここは……? 私、……私、何を」 「目が覚めまシタか! ……お久しぶりデスね。撫子っち。意識ははっきりとしていマスか? 何か具合を悪いところはありませんか?」 「撫子ちゃん……よかった……」 二人が心配するのをよそに、撫子は瞬時に全てを思い出していた。自分が攫われ、《魂素子》を《鬼》にいれられたこと。《鬼神》となって本部を襲撃したこと――そして、兄に守られたこと――兄を、殺したこと。 震えが、止まらなかった。自分は、一体何を、何てことをしてしまったのだろう。 「わ、私……そんなこと…………嘘……お兄ちゃん……」 そしてすぐに思い出す。さっき、兄と戦ったこと。全てを吸い取られたこと。兄が――自分を《鬼神》だと言ったこと。 「何が、起きているんですか……?」 「覚えていマスか? 撫子っち」 「覚えてます、全部……本当に、本当にごめんなさい!」 「撫子ちゃん。謝らなくていいの。あなたも被害者なのだから。真の敵は――橘有葉」 兄が真の敵……。 その流れは理解できていた。今まで意識が朦朧としていただけで、きちんと全てを覚えているのだから。 「私が、《鬼神》になってたのも……お兄ちゃんの、せいだって……言うんですか?」 撫子は無意識に有葉のことを兄と呼んでいた。 「そう。もう証拠も全部揃ってる。橘有葉が《鬼神》……それは確実」 もちろんそう宣言されたことは、撫子にとってショックだった。 「…………」 しかし、目覚めたばかりの意識でも、何かがおかしいと、撫子は直感していた。あの兄が、あんなことをするわけがない。ありえない。絶対におかしい。 撫子は、有葉と長年一緒に暮らして来ている。兄の性格を、どこまでも把握していた。二人が作戦の話をしている中、必死に考える。何がおかしいのか、と。ミステリを構築するその頭脳で、彼女は理を詰めていく。 いくら考えても《上書き》なんていうものに考えが及ぶはずはない。それにはいくつもの論理の飛躍を踏まなくてはいけないからだ。だから、撫子はそこまでは辿り着けない。 結局、何も論理で詰められるところはなかった。もしこれが仕組んであるのだとしたら、よく考えて仕組まれている。もしくは、撫子には分からないように仕組まれている、そう彼女は思った。 論破は出来ない――だけど、説得できる材料なら、少しばかり見つけることができた。これで二人を説得できるか――いや、やるしかない。やるなら、今しかない。取り返しがつかなくなる前に、今、ここで説得する。 「あの、すいません」 撫子が声を上げた事により、群青とルナは黙る。 「何か、おかしくないですか?」 「おかしくないデス。おかしいと思いたくなる気持ちは分かりマスが、全ての辻褄は合っていマス。彼が《鬼神》であること以外、彼の様々な能力を説明することは出来ません」 こうなった今、ルナは、あの時の赤目の童女も、有葉が作りだした何かだと思っていた。 「ソラさん、おかしいと思いませんか……?」 「思わない」 二人はこの世界が始まる前まで、有葉とほとんど関わってこなかった。彼が本当はどういう性格なのかということは、撫子しか知らない。 「……ソラさん。少し気になるんですが、『小学生の頃の思い出』ってなんですか?」 「! そんなこと聞いて、どうするの……」 それは、群青にとって話したくないことであった。自分にとって大切なその思い出が、利用されたことが許せなかったからだ。プライドもある。 そして、その『小学生の頃の思い出』を話さないであろうと、この作戦を考える際、有葉は確信していた。 「撫子ちゃん。確かにショックなのは分かる。だけど、もう決まったこと。彼は《鬼神》」 撫子は憤る。この人達は、何も分かっていない。 ……兄を助けられるのは自分しかいないのだ。その使命感が彼女を後押しする。 「あなた達は! 一体兄の何を見ていたんですか!! ……兄のことをよくも知らないのに、兄を勝手に悪者にしないでください!!」 「……何、言ってるの」 「有葉っちの性格云々じゃないんデスよ。現象として、説明がつかないんデス」 二人の反応は相変わらず冷たい。 撫子は兄を見てきた。自分をどこまでも犠牲にする兄の姿を。自分が悪者になって全てを助けた後で、寂しそうに笑う兄の姿を。 撫子の直感は――兄は、何かを救うために悪役を演じているのではないかということだ。そうなら何とか兄を救いたい。 「私が生きているっていうのは、どうですか? 《魂素子》を奪った時に殺しても良かったはずです」 「《魂素子》を奪ったのなら、撫子っちはもう能力を使えません。それなら敵にはならないと考えたのだと思いマスが。そしてこうやって、あなたがアタシ達を説得し始めるのも、計画の一端かもしれません」 ルナの反論が鋭い。それでも――絶対に、兄を助けたい。 「もし――もし兄が、《鬼神》じゃなかったら……いつもみたいに、自分が悪者になることで救おうとしているのなら――そんなのは、もう絶対に嫌なんですッ!!」 論理という論理はなかった。最初から支配されたように、自分には何もできることなどないのだと、彼女は落胆する。 しかし、最後の言葉に反応する者がいた。 「自分が悪者になることで……救う……?」 群青には、そのことに心当たりがあった。花瓶の少年のことである。 ――抱く、疑念。 それが、真実への突破口になる―― *** 秘策。それはほんの少しの工夫だった。 速さの変わる斬撃――、これをできるだけ遅い速度で空中から地面に向けて放つ。『この物語はフィクションです。』と、その字を書くように剣を振うだけだ。そして僕はそれを今丁度済まし終えた。十分後くらいに、この斬撃は地面に到着するだろう。 そして、――その十分の間に僕は死ぬ。そうすることによって、僕が死んだ後でも、この世界を閉じることができる。 これが、僕の作戦の全てだ。後は――殺されるだけ。 「――!」 僕は浮遊して皆を探していたが、校舎の裏から飛び出してきた三人の姿を認めて、地面へと降り立つ。撫子が意識を取り戻したか――にしても、どうして一緒に出てくる? あいつは能力を使えない。それに――あいつは僕が《鬼神》だと信じないと思った。 まあ、別に支障はない。気にすることでもないか。 「撫子か……意識を取り戻したんだな」 「そうだよ、お兄ちゃん」 お兄ちゃんとか言うなよ、このタイミングで。 「…………それで? 何か策でも用意してきたわけ? 下がる戦いはやめて欲し――」 ギン、とシールドに斬撃が当たる。群青さんが出した斬撃だった。 「うるさい」 ギロリと僕を睨む。よかった、敵意は消えていない。 ――僕は、ここで死ぬ。世界は、救われる。 「ったく、お喋りさせろっての…………はあぁッ!」 僕は双剣を縦横無尽に振う。それによって無数の速度がランダムの斬撃が彼女達を襲った。別々に散ることによってそれを避ける。 「ルナちゃん!!」 群青さんが叫ぶ。 それは合図だったのだろう、ルナが銃弾を発射しながら僕に飛び込んでくる。自分の速度を乗せて、銃弾を放ってくる。 「いくら撃っても無駄だッ!」 銃弾がシールドに到達する――ピシリ、とガラスにヒビが入ったような音が響いた。シールドに銃弾が突き刺さっていた。ピシ、ピシ、と次々に、円を描くように突き刺さる。 「何ッ!?」 そのままルナはタックルするようにシールドに突っ込む。高い音を立てて、僕のシールドはあっけなく砕けた。そしてシールド内に入ってきたルナが至近距離から撃ってくる。僕はそれに対応し、双剣で弾いた。 「くッ! この――」 僕が双剣を重ねて下ろす。普通なら避けて距離をあけるところ――しかし、彼女は銃を頭の上で交差して僕の双剣を受け止め、そして挟む。ミシ、と彼女の二丁拳銃にひびが入った。 そして――その瞬間。 ルナの背後から、彼女が――群青さんが現れる。 「やあああァァァッ!!」 くるりと、ルナの前、僕の懐に入った彼女が横一線、――僕の胴を切り裂いた。ビシャア、と汚らしく血が溢れる。傷口が熱い。腕から力が抜け、僕は双剣を手放した。能力が消える。 ――これで、全てが終わった。 よくやった。よく、僕を倒してくれた。 さあ、最後のトドメを刺してくれ。 「…………?」 しかし、いつまで経っても僕にトドメは刺されなかった。胴からの出血がひどくて、身動きを取ることもできない。手足がしびれている。 誰かの手が、倒れている僕の頭に置かれた。 「なで、しこ……?」 「お兄ちゃん、もういいんだよ」 そう言って、笑った。 「! 何を言ってる……!」 しかし、彼女は安らいだ表情を変えない。 まずい、まずいまずいまずいまずい。ここまで来て、バレたのか? 何か予想外の事態が起きたっていうのか――? そうだとしても、もうどうしようもない。僕は身動きが取れない。 「くそ、女どもが……殺してやる……!」 荒い息継ぎで、彼女達を罵ることしかできなかった。 「有葉くん……」 何故か群青さんが僕を寂しそうな目で見つめる。この表情は……戻ってしまっている。クールな彼女は、どこへ行った。僕を敵意のある目で見ていたのは、ルナだけだった。 「ルナさん、どうですか?」 撫子が、ルナに問う。どうって、何のことだ? 問われたルナは、気まずそうに視線を地面へと逸らした。 「確かに、撫子っちの言う通りかもしれない、デス。……アタシが何らかの特殊な銃弾を用意してシールドを破ることは想像できていたはず――こんな、入り組んだ状況を操作してきた有葉っちなら、それくらい、容易に見破っていた――。それなのに、あっさりと、こういう状況になったデス。……撫子っちの言う通り、彼は、何かのためにこうやって悪を演じている可能性が、ありマス」 「ッ! 何言ってやがる……!」 嘘、だろ……。失敗だ、失敗だ、失敗だ―― ルナの答えを聞いた撫子は、笑顔で頷く。 「それじゃあ、やりましょうか」 やるって、何をだよ。やめろ――僕を殺せ。 「殺して、くれ――! 頼む、僕を……殺してくれ!」 力いっぱいもがく。もう、懇願することしか出来ない。 「苦しいんだ……! もうこうやっていても僕はいずれ死ぬ。いっそのこと、楽に殺してくれ……!」 「お兄ちゃん。そんなはずはないわよ。群青さんが切ったのは薄皮一枚、血は出るけど、内臓の損傷はないから苦しくはないはずでしょ? 出血で身動きは取れないかもしれないけど……」 全部、計算されていた? こんなことなら、作戦会議の時間なんて与えるんじゃなかった。すぐに探し出して決戦に持ち込めば―― やめろ、後悔なんてするな。まだ、――諦めるな。そう簡単に諦めていいことじゃない。 「ほら、有葉くん」 群青さんが、僕を抱き上げる。またお姫様抱っこだった。 そして、僕を――ソロモンの目の前に運んだ。 「何を、する気だ……」 ルナが答える。彼女の目に、もう敵意はない。もっとも、訝しむ視線はあるが。 「ソロモンを使うんデス。ソロモンは、強い意思に反応し、その者の願いを叶えるもの。……もし、有葉っちが《鬼神》なら、世界は滅び、全ては有葉っちに支配されるでしょう。でも――、もし有葉っちが演技でそうしているのなら、あのままの有葉っちなら……何か別のことが起こるはずデス」 「うるさいッ! 殺せ! 殺してくれ! 頼む! 群青さん、僕を殺してください――」 僕の叫びは、誰にもとどかない。 「有葉くん。それじゃあ、始めるよ」 群青さんが僕の手を握り、 ゆっくりと―― ソロモンに触れさせる。 瞬間――ソロモンが輝く。太陽を大きく凌駕して、目の前を真っ白な世界で包む。やがて、視界から三人の姿は消える。ソロモンもない。 そして、僕の意識さえも――ゆっくりと、眠りに落ちるように、奪っていった。 物語は、終わらない。 「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」 目を開ける。今度は知っている天井だった。そう――病院である。そして、同じ病室なのだろう、見覚えがあった。むしろ、状況といい、既視感しかない。 意識が朦朧とした。その中で、僕は何故か手を伸ばす。上へと、掴みとるように、必死に、皆が幸せになれるエンディングを探す。……握ってみる。しかし、何も掴めない。何回も僕の手は空を切る。まるで、本当に、雲を掴むように、皆を救う終末は得られない。 僕は、精一杯やってきたじゃないか。最善を尽くして、皆が幸せになれるようにと、最高の努力をしてきたじゃないか。自身を犠牲にしてでも、僕は正しい選択をしてきた。 それなのに、どうして何も救えないのだろう。 何が、間違っていたのだろう。 「ミナモト……」 「…………有葉」 机の上にあるボールペンから声がした。今はこれに宿っているのか。ポケットに入れる。ミナモトとの意思の疎通は名前を呼びあうだけで十分だった。それだけで、安心できる。僕は一人じゃない。 目だけをずらして時計を見る。七時だった。外の暗さから判断して、午後か。何日が経ったのだろう。――いや、経っていないのか。ミナモトも僕も、生きているんだから。 でも、――もう終わりだ。群青さんは、もう僕を殺してくれないだろう。イベントには時と場がある。それがふさわしくないと、意味がない。そして僕は、そのイベントを逃してしまった。ミスで、全てを台無しにしてしまった。 僕は、ふらふらと上げていた右手をようやく――諦めるように下ろした。 「ふぎゅっ」 すると、ベッドの中の何かに腕が当たり、変な声が聞こえる。 「……?」 恐る恐るめくってみると、そこには群青さんの姿があった。頭を押さえて、涙目になって僕を見上げる。何で添い寝してるんだよ……。つっこむ気力もわかなかった。 「有葉くん、今回も目が覚めたんだね……よかった……でも、頭、痛いよ」 「ごめん」 「目覚めてくれたから、いい。それにお腹切っちゃったから……痛かったよね? 本当に、ごめんなさい……」 「ああ……いいよ、そんなこと。本当に、どっちでもいい」 「……それで、ミナモトって誰?」 「うぐっ」 さっきの会話、というか呼びかけ合いを聞かれていたのか。 「夢を見てたんだよ。源頼朝」 「源頼朝……有葉くんの夢に出るなんてずるい。私のライバル」 「何でそうなる」 その時、病室のドアが開いた。 「あっ! お兄ちゃん! 起きたのね……!」 「……それで、さっそくソラっちに手を出したわけデスか」 ルナと撫子だった。ルナは柿の種のボトルに突っ込みながら、じとっとした目つきで僕を見る。 「な、何やってるんですか、ソラさん!」 「いや……」 群青さんは顔に汗をかきながら目を逸らし、いそいそとベッドから出る。 「……………………有葉くんが」 「僕のせいかよ!」 つっこんでしまった。もう、ここまで来たらどうにでもなれ。 「お兄ちゃん。ちょっと来て! 立てる?」 「え、何だよ」 撫子は、これ以上ないくらいにご機嫌だった。 言われるがままについていく。病室を開けると、そこには大きな窓があった。 「どうしたんだよ」 「ほら、見て!」 「何、別に何もないじゃん………あっ」 何もなかった。ソロモンが無くなっていた。外はただ、ちらほらと街灯がともるだけの街だった。 「これって……どういう……」 「全部。世界中から、ソロモンが消えたのよ。だから《鬼》もいなくなって、能力者ももちろんいなくなった。もう《魂素子》なんてないんだから」 「そう、か」 「お兄ちゃんの願いなの。お兄ちゃんの願いが、世界を変えたのよ。それが、証明。お兄ちゃんが悪じゃない証明」 「……ふうん」 「な、何で興味なさそうなの!? すごいことなのに!」 「いや、まあ、すごいけどな」 僕は、群青さんに殺されたかったんだ。 「結局、どういうことだったの? お兄ちゃんは《魂素子》に操られてただけってこと?」 「さあ……そんなこと、どっちでもいいじゃん」 本当にそう、思った。しかし――撫子が言う。 「これで、世界は救われたのよ。元に戻って、全部が全部元通り。もちろんこれからいろいろ直して行かなきゃならないものもあるけど、元凶は去った」 「世界が、救われた――?」 「そうだよ――」 撫子がいろいろ言っているが、もう頭に入らなかった。待てよ、待て。 これは、もしかして、ひょっとすると――成功なんじゃないか? 「ごめん、ちょっとトイレ」 「あ、お兄ちゃん!」 僕はたまらずトイレへ駆け込む。個室に入り、鍵を閉めた。 「ミナモト! これって、これって、もしかして、終わったんじゃないか!?」 「なんじゃお主。気付いておらんかったのか? そうじゃよ。本当の意味で、《鬼神》は倒されたんじゃ」 「なん、だよ――」 なんだよ。本当、なんだよ。 終わってるんじゃないか! 笑いが、自然とこみ上げた。 「じゃあ、よかったんじゃん。本当、全部、よかった」 世界は救われた。群青さんも、ルナも、撫子も、ミナモトも――僕も、全員が救われた。《鬼神》が殺されるのがノーマルエンドなら、これは、トゥルーエンドなのだろう。 「参ったな。……結局、最後は撫子のおかげじゃないか。やっぱプロには勝てないわ」 「お主、泣いておるのか?」 「な、泣いてないわい!」 後は――、後は、この物語に、終止符を打つだけだ。 「…………あのさ、ミナモト」 「お主、だめじゃ」 まるで、ミナモトが僕の思考を読んだかのように言う。 「きちんと、終わらせるのじゃ」 「そう、だな」 少しばかり、この世界に未練があった。本当の意味で、僕は今、初めて、自分の創った物語の世界にいる。それが、楽しくないわけがなかった。 僕は病室に戻る。しかし、僕の病室の前に、一人の女子が立っていた。バリバリと柿の種を貪る、金髪の少女。ルナ・ラヴクラフトだった。 「有葉っち、おかえりデス」 「うっす」 「そして、お疲れ様デス。……結局、何がどうなっていたのか、説明はしてくれないんデスか?」 「しないよ。それが、ルールだからね」 そう言うと、彼女は少しだけ顔をしかめる。 「ふーん……?」 そして突然、僕の腕を掴んで、身を寄せてくる。む、胸があたり申す……。 「はい、あーん」 そして突然のあーん宣言。 「あ、あーん」 何となくノリで口を開けてみる。するとそこに柿の種をぽいぽいと入れられた。 「おいしいデスか?」 「…………んぐっ、辛い……」 「まだまだ修行が足らんデスねー」 「柿の種を食べるのに修行がいるんだな……。ねえ、ルナ」 「ん?」 「本当、ありがとな。お前の協力がなかった、こうはならなかった。僕より、お前の方がよっぽど正しい判断を下してきたのかもな」 「そんなの、当然デス」 そう言って、笑った。 「有葉っち」 「ん?」 「まあ、何というか、結局、私をあの時助けてくれたのは、本心、なんデスよね……?」 何故か顔を赤らめていた。僕は言葉にするのを避け、首肯した。 「そう、デスか。それなら……ちょっと、かっこよかった、かも、デス。それじゃっ!」 ばびゅーん、と廊下を走ってあっという間に姿が見えなくなってしまった。言い逃げかよ。……結局、僕とルナの距離感って微妙なんだよな。あいつは、情をどこまで優先するのかがいまいち分からないし。僕のこと、結局どこまでも疑っていたしな。 病室を開けると―― 「でも、ソラさんはお兄ちゃんのあのこと知らないですよね?」 「あ、あのことって……別にいい、これから思い出は作るから」 「それどういうことですか!?」 「有葉くんは私がいただきますするということ」 「ぐぬぬ……」 何か修羅場だった。 「何やってんだよ、二人共」 「あ、お兄ちゃん、おかえりー!」 僕はベッドに腰掛ける。 ――じゃあ、本当に、そろそろ。これ以上いると、帰りたくなくなってしまうから。 「……撫子」 「何?」 「本当に助かった。最後にお前の機転が無かったら、僕は救われなかったよ。お前のおかげだ。ずっと覚えてるよ、このことは、忘れない。ありがとう」 「きゅ、急に何よ……」 撫子は顔を背けて俯いてしまう。あれ、デレ期間終わりかな? いや、もうこれ一種のデレですよね。 「群青さん」 「は、はいっ」 「一緒に戦ってくれてありがとう。そして、最後は騙そうとしてごめん。まさか、花瓶の時の女の子が群青さんだなんてね……本当に、こんな偶然あるんだね。……よく頑張ったよ、群青さんは、本当によくやってくれた」 「うん……ど、どうしたの? 何かルナちゃんに嫌なこと言われた?」 「いや、別にそういうわけじゃないよ」 僕は、ボールペンを取り出す。 寂しいけど、仕方がない。物語は、いずれ終わるものだから。いつまでも没頭しているわけにはいかない。現実にいつかは帰らないといけない。 ――ただ、その時に、何か得られるものがあったのなら、それでいい。 後ろ髪を引かれる思いをしながらも、僕は早々と決意する。こういう時は、間を溜める程、寂しくなってしまう。僕はペンをしっかりと握る。 力を込め、久遠に刻み込むように、掌に書き記す。 『この物語はフィクションです。』 世界の、崩壊の音が聞こえる。 放課後の図書室に来る人は、ほとんどが少数の常連である。決まってもいないのにいつも同じ場所に座り、文庫本を読んだり原稿を読んだり論文誌を読んだり――ルーチンワークをこなしていくのだった。 椅子が全面合計で八つ設置されている、同じ大机を共有しながら、僕達の人生は交差しない。 僕の側の端では、ルナ・ラヴクリフトが椅子を前後反対にし、背もたれに顎を置きながら、じっとりとした目つきで論文誌を読んでいた。くるくるとカールがかった髪を肩まで伸ばし、制服の上からは何故か白衣を羽織っている。時々何かを書きこみ、そして時々小脇に抱えた透明なボトルから柿の種を食す。図書室が飲食禁止だと知らないのだろうか。 そして僕と反対側の真ん中の席では、群青ソラさんが机に両肘をついて文庫本を読んでいた。たまにする、前髪を耳にかける動作は、その青い瞳も相まって、非常に神秘的だ。 僕は今朝、撫子からぶっきらぼうに渡された原稿、『無能探偵タダヒト(改稿版)』に肘付をしながら目を通していた。大幅に内容が変更されている。 何も変わらないようだが、確かに時は進んでいる。 僕は、――僕達は帰って来ていた。 あの日、目覚めると日付が数日分進んでいた。それは、《上書き》された世界で過ごした時間とぴったり重なっていた。しかし、周りに聞くと、僕はごく普通に生活していたようである。ミナモトに聞くと「そういうもんじゃ。詳しくは知らんが」とのことらしい。こうやって記憶との齟齬を感じるのは、力の使用者である僕だけで、他の登場人物たちには、特にそういった違和感はないようだった。 この世界で、僕だけが、確かにあの世界があったことを知っている。……いや。 ミナモトも知っている。僕とミナモトだけが、知っているのだった。 「橘有葉、いるかー?」 小林先生が、図書室の入り口から覗き込んでいた。 僕は鼻頭をかいて席を立ち上がる。先生と目が合った。心なしか表情が冷めているように見える。僕は原稿をダブルクリップで綴じて鞄に入れて、先生とドラクエごっこに興じる。僕の背後から二つの視線を感じるような気がしたが、それは自意識過剰かもしれない。 「あのな、いい加減にしろよ。学校の物を紛失ばっかしやがって」 「はあ」 職員室で、オフィスチェアに座る担任を前に、僕は後ろで指を組みながら視線を外す。また図書室の鍵が無くなったらしい。 「これじゃあ施錠できんだろ」 「マスターキーとか使えばいいんじゃないですか」 「そういうことを言ってるんじゃない! ……どこまでも反抗的だなお前は」 ため息をつかれた。あやうく僕のとタイミングが重なってハーモニーを奏でるところだったよ。 「お前が持ってるんじゃないのか?」 「いや、持ってないっすねー」 「……適当だな。いいか、俺はお前を心配して言ってるんだぞ? そんなんじゃ将来――」 ここら辺で、僕は話を聞き流し、物事を思考するモードに入る。今日の晩飯は何かな、とか何でもいい。気が紛れる。 というか、図書委員、鍵失くしすぎだろ。これじゃそのうち僕じゃないってバレるんじゃないのかな。まあ、それまではこうやってお説教くらうわけだ……。 嫌だけど、仕方がない。 説教が終わったら、僕から図書委員に気を付けるようにさりげなく言ってみよう。 これがベストだ。世界のためだ。 「失礼します」 「はいはい、失礼しマスよー」 その時、職員室に、群青さんとルナが現れた。一直線に僕のところへ来る。何だろう。 「何だ、お前達。悪いが今、先生は取り込み中だ。後にしてくれ」 ルナが、ボトルから柿の種を一つ取り出し、いじりながら言う。 「そんなわけにもいかないんデスよ。アタシ、これから有葉っちの勉強をみる約束になっているので。アタシも忙しいんで、予定が詰まってるんデスよねー、今すぐじゃないとだめデス」 えっ。そんな約束、ちっともしてないけど。 小林先生は少し気圧されるようにこたえた。 「……それなら、教師である俺がこいつの勉強をみる。それでいいだろう」 「分かってないデスね」 ルナは、まるで興味がなさそうに、それどころが少し面倒くさそうに言う。 「女子が男子に勉強を教えたいと言ったら、二人の時間を過ごしたいという意味デスよ。担任ならそれくらい分かってください」 「「「えっ」」」 僕と群青さんと担任の声が重なる。僕とルナは、同じクラスと言えども、そこまで仲は良くない。まあまあ普通に話す程度の仲だ。決して恋人関係ではない。……まあでも、こいつは、こういうこと言うやつだし……。 「ほら有葉っち、行きマスよ」 「ちょ、ちょっと……」 僕はルナに乱暴に肩を組まれ、強制的に職員室の出入口へと向かわされる。 「先生、これ」 群青さんが、小林先生に鍵を差し出す。形状からして、図書室の鍵だろう。 「図書準備室にありました。どうやら図書委員の人が鍵を定位置にかけておかなかったのが問題のようです。……有葉くんが失くしたわけではないです。きちんと、図書委員の指導をよろしくお願いします」 お、おい。何全部暴いてんだよ。 「え、あ…………」 呆然とする担任を残して、僕と群青さんとルナんお三人は職員室を後にする。 「ルナ、もう放して」 僕がルナの腕をぽんぽんと叩くと、ようやく解放される。 「な、なんだよ二人共……」 そう言うと、彼女達二人は一瞬視線を交わす。 「いや、こっちの人はよく知らないデス」 「私も、ルナちゃんが職員室に行ったのは、別の用事だと思ってた」 「……? 示し合わせて一緒に来たわけじゃないの?」 「いや、アタシ、群青ソラさんのことよく知らないデスし」 「私も、ルナちゃんとは話した事ないし、示し合わせたとかそんなことない」 そうか、この世界では、二人は別に仲良くないのだった。 「それで……?」 二人は顔を見合わせ、そしてルナが口を開く。 「アタシはちょっと有葉っちに聞きたいことがあったんデス」 「…………なんだよ」 「あ、それとも、二人で過ごす時間を期待したデス?」 「し、しししししてないしっ!」 「有葉くん……」 群青さん、そんな残念な子を見る視線はやめて。男子は、違うと分かっていても期待しちゃう悲しき業を背負った生き物なんだよ……。 ルナが、柿の種を少しずつ齧りながら言う。 「話半分に聞いてくれればいいデス。今回のだって、また自分がやってもないのに怒られに行くドMな有葉っちを助けるのが目的でしたし、この話は……ついでデス。本当に大したことのない、聞いても聞かなくてもどっちでもいい、そういう事柄デス」 「だから、なんだよ」 「………………ソロモン」 ぼそりと呟かれたそれに、僕の耳はぴくりと反応する。 なんで、どうして――それを知っている。それは、君達の記憶から抜け落ちたはずの、虚構だ。 「何か、知っていマスか? この前観た映画に、そういうでっかい柱が出てきたんデスよ。でも、その映画をどこで観たのか、いつ観たのか、全然覚えてないんデス。有葉っちって何かそういうの詳しいじゃないデスか。題名が分かったら、教えてくれマス?」 これは、何だ。どういう策略だ。思わず、そう勘ぐってしまう。しかし、ここは現実であり、一般高校生の僕等は、大抵何も策略を巡らす必要はない。彼女は、純粋に、言葉の意味のまま、聞いているのだった。 「あっ、それ、私も知ってる。最後、仲間がラスボスのやつでしょ?」 「そうデス。ソラさんも知っているんデスね」 「そのラスボスが、何でかは分からないけど、皆のためにラスボスになってたの」 「デスね、……まったく、有葉っちみたいな野郎デス」 鋭すぎんだろ……。 「私は小説で読んだけど……どういうタイトルだったかは、ごめんなさい、覚えてない」 二人が、あの世界の出来事を、何らかの形で覚えている。それは、作者として、非常に嬉しいことだった。だから、言ってしまいたい。あの世界は確かにあったのだと。虚構じゃなく、ちゃんと、現実として存在したのだと。 「…………ちょっと、僕も分からないな」 でも、僕は言わなかった。やっぱり、あれは物語だから。そういうけじめは、きちんとつけなくてはいけない。 「そう、デスか」 ルナは、少し残念そうに、視線を流す。ちらりと腕時計を確認した。 「では、そろそろアタシは行きマスね。忙しいというのは嘘ではないので。……もう、自分だけが損するみたいなこと、やめてくださいね。見ているとむかつきマスから」 「うっす……」 そう言って、ルナは白衣を翻して去っていく。 今回も、結局彼女が何を考えているのか分からなかった。 「あの、有葉くん」 「ん? 群青さんも何か僕に用事が?」 「私も、聞きたいことがある」 あ、これまずい。そう、僕の直感が教える。彼女のブルーの瞳が、僕を見据えた。 「昔、私が小学生の頃……花瓶にまつわる話があるんだけど、何か心当たりない?」 予感は的中した。 「んー、知らないなぁ」 「額に汗が浮かんでるけど」 「きょ、今日は暑いから」 「どうして目を合わせてくれないの」 ずん、ずん、と彼女は一歩一歩僕に近づいてきて、気付いたら僕は壁に追い詰められていた。さすがに、ここから逃げるのは難しいと思った――が、廊下の奥に、ちらりと撫子の姿を確認する。 「あ、ああ、撫子来ちゃった! 急がないと!」 どうにか、するりと隙間から脱出する。 「あ、ちょっと、有葉くん」 「話の続きなのにごめんね! それじゃまた!」 僕は軽く手を振り、逃げるように撫子の元へ駆け寄る。 「撫子!」 呼びかけると、彼女は振りむく。 「……あれ、有葉。どしたの」 「一緒に帰ろう」 「別に、いいけど」 あれ、今日は随分と素直だな。 開発された住宅地を歩く。犬の散歩をしているおじいさんや、買い物帰りのおばさんなどが目に付く。当たり前の、いつもの風景だった。そこに、白濁色の柱はない。分かりやすい悪なんかいなく、そして完全な正義もいない世界が、ただ凡庸に横たわっている。 僕は、家に着く直前に撫子に普通の会話を振る。 「あ、そういえば、もう原稿読み終わったぜ」 「……どうだった?」 唇に人差し指を当て尋ねて来る。そうだよな、気になるよな。だが、安心したまえ。 僕は家の鍵を開けながら答える。 「前よか全然いい。僕の感性に合ってる。一般受けするかわ分からんけど、僕にとっては面白かった」 「つまり、売れないのね……」 「ひどい!」 僕の感性、全否定かよ。 「だって、ミステリなのに人が死なないし、皆が全員良い人だし、盛り上がりとかないし……」 「いいじゃん。全員が良い人で。新感覚ミステリじゃん」 「いや、もうこれミステリじゃないと思うのよね。……それじゃ、総評書けたらまた持ってきて」 そう言って、部屋へ消えようとする彼女を引き留める。 「あ、撫子」 「何?」 「僕、小説書こうと思うんだ」 「ふーん。…………えっ」 僕は自分の部屋へ逃げ、施錠した。廊下から「ちょっと何よ! 詳しく聞かせてよ!」と聞こえたが、僕は「後でなー」と返事をするだけに留めた。混乱する妹、可愛い。 鞄を置いて、うつ伏せにベッドに身を投げ出す。 すると、胸ポケットに留めてある万年筆から、きらきらと輝く風と共にミナモトが姿を現した。 「ミナモト、華麗に参上! はあ、やっぱり外はいいのう」 「何故わざわざ僕の背中に座る」 「別に重くないじゃろ?」 「まあ、そうだけど。……というか、万年筆から出る時の様子が、何か違くないか」 「そりゃあ、恒彦のあれは古かったからにゅるんとなるし、お主の《魂素子》だったらするするとなるし、新品の万年筆ならきらきらとなるわい」 「どういう基準なんだよ、それ」 この前、僕は、ミナモトにせがまれて新しい万年筆を買いに行った。この世界に戻ってきた時、全ては元に戻っていたが、じいちゃんの万年筆だけはどこを探しても見当たらなかったのだ。……で、すんげー高いやつを買わされたわけである。自己破産してえな。 「ミナモト、何か皆、微かに覚えてるみたいなんだけど」 「それを読んだ、観た、ということになっとるっぽいの。まあ、詳しいことは余も分からん」 何だよ、それ。適当だな。 「お主ー、本屋行こう」 「行かないっつーの。万年筆のせいで貯めてたお年玉まで全部ぱあですよ。しばらく本は買えません」 「なんじゃと!? 嫌じゃ嫌じゃー!」 「うるさい、背中叩くな。……あ、そこいい、もうちょっと上」 「ん、この辺かの」 いつの間にか、ミナモトにマッサージをしてもらう流れになっていた。 「疲れた」 しかし、一瞬で飽きるミナモトだった。マッサージをやめ、僕の上に重なるように寝転んできた。そして、呟く。 「……お主、群青ソラとかいう娘に、自分があの花瓶の少年だと言ってもよかったのではないか?」 確かに、それが真実だし、言ってもいいのだろう。 「ああいうのは隠しておく方が格好いいんだよ。……まあ、バレるのも時間の問題かもしれないけど」 僕は言わない。僕は、ああいう生き方を少し反省すべきだろう。つい癖でまた出てしまうけど。それでも、意識しよう。人のために自分が悪になるのは――、疲れる。それに、自己満足でしかない。からくりがバレてしまうと、相手には罪悪感を植え付けるだけだし。現に、妹に対してあの方法を使ってから、気まずくなったのだ。……だからこそ、僕は小説を書き続けなくてはいけない。 「まあ、お主には余がおるしな」 「そういうこと」 「あっ、有葉がデレた! デレた! デレたぞ!」 ミナモトは僕から降り、窓を開けて、 「有葉を落としたぞー!」 「なんでわざわざ窓を開ける! お前のことは秘密なんだからやめろよ! ってか落ちてない」 「むふふ」 ミナモトは笑い、僕もつられて笑う。 これで、良かったのだろう。 正しいかどうかは分からないけど、それでも、僕の心は晴れている。皆、物語で何か得るものがあって、報われて、ちょっとでも――変われば、変えられれば、それで満足だ。 僕は、思う。 世界なんて気にせずに、もう少し素直に、間違えてみるのもいいかもしれない。 「早く、撫子の原稿を読まないとな」 でも、その前に、少しだけ―― 僕は、小説を書き始める。 |
あおいはる
2013年12月07日(土) 14時20分00秒 公開 ■この作品の著作権はあおいはるさんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.4 あおいはる 評価:0点 ■2014-01-28 20:24 ID:8anh3yC62m2 | |||||
◆青空様、読了おつかれさまです。ありがとうございました。返事が遅くなってしまい、大変申し訳ありません。 (−−;うーん。面白い。 しかし、冒頭で視聴者を掴むキャッチ力が弱く、粗削り……そして、セリフとかに読みにくい箇所がパラパラとありマース。 ◆面白いと言ってもらえて非常に嬉しいです。冒頭、キャッチ力が弱いとのことで、それは僕も「もしかしたら」程度に感じていましたので、はっきりしてよかったです。龍頭になるように考えてみたいと思います。 また、会話、その他に読みにくい点があるのは、確かにその通りで、自分でも読み返してそう思う部分がいくつかありましたので直していきたいと思います。ご指摘ありがとうございます。 この、作者に欠けているものはアピール力デース(−−。日本がオリンピックに招致できたように、JOCを納得させるしつこさがないと、日本は前回のように他国に負けてしまいマース。読者をいかにキャッチし、掴み、逃さないという執念を見せ、百ある小説の中の一番を狙うと、もしかするともしかするんじゃない? という書き方でした。 ◆この小説の魅力を冒頭から見せつけるような構成、演出を考えてみたいと思います。アドバイスありがとうございます。 小説愛を感じてしまい、なかなか、面白かったです。 ◆感想ありがとうございました。いただいたアドバイスを血肉としてよりよい作品が作れるようにがんばっていきます。 |
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No.3 青空 評価:50点 ■2014-01-12 10:13 ID:wiRqsZaBBm2 | |||||
(−−;うーん。面白い。 しかし、冒頭で視聴者を掴むキャッチ力が弱く、粗削り……そして、セリフとかに読みにくい箇所がパラパラとありマース。この、作者に欠けているものはアピール力デース(−−。日本がオリンピックに招致できたように、JOCを納得させるしつこさがないと、日本は前回のように他国に負けてしまいマース。読者をいかにキャッチし、掴み、逃さないという執念を見せ、百ある小説の中の一番を狙うと、もしかするともしかするんじゃない? という書き方でした。 小説愛を感じてしまい、なかなか、面白かったです。 |
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No.2 あおいはる 評価:0点 ■2013-12-12 20:32 ID:te6yfYFg2XA | |||||
◆陣家様、読了ありがとうございます。おつかれさまでした! 返事がおそくなってしまい、申し訳ありませんでした。 まずは一読して、構成、文章も完成度が高く、文章についてはもはや何も言えるべき事はなさそうです。 はっきり言ってライトノベルとしては、すでに充分過ぎるほどの筆力を獲得なさっていると思います。 ◆ありがとうございます。構成がだめだと常々言われたことをきっかけに、構成に注意して書いたものなのでそう言ってもらえて嬉しいです。 ということで、まずは構成。 〜 ただ、やはり基本的には明晰夢的夢落ちなので、緊迫感は薄れがちですね。 なんだかんだややこしい理屈をこね回しながらも、最終的にはミナモトの存在を守れるかどうかの勝負となっているわけですし。 作者さんはおそらく、綿密にプロットを立ててから書き始めるタイプの作者さんだと思うのですが、ざっくりとした所感としては、枚数に対してやや詰め込みすぎかなと感じてしまいました。 文量に対してメンツオーバーというか、キャラクターが表に出てこられない感じです。 ライトノベルがキャラクター小説だというのなら、ここは弱点だと思います。 でも、それは致し方ない部分でもあります。 ミステリというか、ストーリーに重きを置くには、ある程度登場人物には駒になってもらわなければ仕方がありませんし、全員仲良し、全員ハッピーと言うわけにはいきませんからね。 このへんがやりにくくなっているのは、おそらく過剰な萌え≠ェ蔓延している弊害なのだと思っています。 ◆つめこみすぎた感は、枚数が所定をオーバーしたことで感じました。削って、今のような形になっています。おっしゃられる通り、キャラではなく、設定やストーリーメインのお話になっています。これは、僕の弱点だと再確認しました。アドバイス、ありがとうございます。 しかし、最大の問題は主人公に感情移入できなかったことですかね。 冒頭のウインクのくだりや、わざわざ鍵をなくした責任をかぶっておきながら教諭に脱毛の呪いをかける主人公の心の呟きなどは、あえて狙っているのでなければ迂闊な演出でしょう。 ◆なるほどです、思いもしない部分でした。考えてみます。 自分的な好みで言えば、冒頭にソラのエピソードを持ってくるなら、正義の味方になりたかったソラが主人公の世界観を破壊して、ペラい正義感を持つ偽善者主人公のもくろみごと破壊してしまう結末の方が面白いと思いました。 なにしろ、その下地はできているのですから。 この場合、探偵=ソラ、助手=ルナ、犯人に操られる被害者=撫子、犯人=有葉、後期クイーン的黒幕=ミナモト という構図ですかね。 ◆確かにそうですね・・・そうなると、エピローグの雰囲気が変わりそうですが・・・でも、そちらの方がソラの活躍場面が増えていいかもしれません。爽快感もありますし。考えてみます。 あと、誤変換、タイプミスです。 かなり目に付きましたが、憶えているところだけ。 300枚程度の文章でこれだけミスがあるのは、完全に校正不足だと思います。 プロになれば、校正は担当さんがやってくれるのかもしれませんが、文章に対するこだわりと言うか、愛情は持つべきだと思います。 ◆ご指摘ありがとうございます。自分ではなかなか気付けないので非常にありがたいです。 とにかく、ラノベってのは、まずは楽しさありきだと思います。 それはなによりキャラクターの個性でしょう。 特にミステリとは相性が悪いのかもしれません。 この両立はおそらくプロ作家でも苦心されている部分だと思います。 挑戦のしがいがあるところですから、頑張ってください。 今作もキャラクターについては、文量の制限もあるでしょうが、どうにもラノベとしては個性が薄い感は否めませんでした。 でもって、これを書くと作者さんから、またまた返信がなくなるかもしれませんが、あえて書きます。 撫子はなでこ≠ニ読んでしまうし、ミナモトは吸血鬼幼女にしか思えませんでした。 ご一考を。 それでは。 ◆正直な感想は、これからの作品作りのために非常に参考になります。わざわざ言っていただきありがとうございます。キャラクター小説を一本書いてみたいと思います。その時はまた、ここに投稿するかもしれません。 気が向いたらでいいので、どうか、よろしくお願いいたします。 重ねて、読了、そしてアドバイス、ありがとうございました。 |
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No.1 陣家 評価:30点 ■2013-12-10 00:18 ID:kOIbAC2GXGY | |||||
拝読しました。 ここは網走番外地、こんな過疎サイトにわざわざ投下された意気に感ずで、感想付けさせていただきます。 まずは一読して、構成、文章も完成度が高く、文章についてはもはや何も言えるべき事はなさそうです。 はっきり言ってライトノベルとしては、すでに充分過ぎるほどの筆力を獲得なさっていると思います。 ということで、まずは構成。 メタファンタジーというかメタフィクションってのは、つまり登場人物が舞台が虚構であることを意識して物語が進んでいくお話てことですよね。そう考えると昨今流行のVR-MMOもののSFファンタジー系はその典型だと言えます。最終目標が脱出ゲームというのもよくあるプロットですしね。 今作ではそれを物語の精がドリームノートならぬ、ドリーム万年筆で創り出しちゃう、と。 なかなかうまい設定だと思います。 ただ、やはり基本的には明晰夢的夢落ちなので、緊迫感は薄れがちですね。 なんだかんだややこしい理屈をこね回しながらも、最終的にはミナモトの存在を守れるかどうかの勝負となっているわけですし。 作者さんはおそらく、綿密にプロットを立ててから書き始めるタイプの作者さんだと思うのですが、ざっくりとした所感としては、枚数に対してやや詰め込みすぎかなと感じてしまいました。 文量に対してメンツオーバーというか、キャラクターが表に出てこられない感じです。 ライトノベルがキャラクター小説だというのなら、ここは弱点だと思います。 でも、それは致し方ない部分でもあります。 ミステリというか、ストーリーに重きを置くには、ある程度登場人物には駒になってもらわなければ仕方がありませんし、全員仲良し、全員ハッピーと言うわけにはいきませんからね。 このへんがやりにくくなっているのは、おそらく過剰な萌え≠ェ蔓延している弊害なのだと思っています。 しかし、最大の問題は主人公に感情移入できなかったことですかね。 冒頭のウインクのくだりや、わざわざ鍵をなくした責任をかぶっておきながら教諭に脱毛の呪いをかける主人公の心の呟きなどは、あえて狙っているのでなければ迂闊な演出でしょう。 自分的な好みで言えば、冒頭にソラのエピソードを持ってくるなら、正義の味方になりたかったソラが主人公の世界観を破壊して、ペラい正義感を持つ偽善者主人公のもくろみごと破壊してしまう結末の方が面白いと思いました。 なにしろ、その下地はできているのですから。 この場合、探偵=ソラ、助手=ルナ、犯人に操られる被害者=撫子、犯人=有葉、後期クイーン的黒幕=ミナモト という構図ですかね。 それと表現に関する部分ですが、パロデのお題が全体的に新しすぎて、ピンと来ないところが多かったです。 分かる人だけ分かればいいんだよ、というのは理解できるのですが、できるだけメジャーどころを使うのが無難な方法だと思われます。 例えば、 >理樹くんに謝れ などは阿佐田先生(麻雀放浪記の作者、おそらく日本で最も有名なナルコレプシー罹患の著名人)などにしたほうが小説家志望の人物としても自然だし、一般受けもすると思われます。 それと表記についてですが、《》で囲むと、青空文庫形式のフォーマットではルビになってしまうので、使わない方がいいでしょう。〈〉で囲むか、≠ナ囲むのが一般的だと思います。 あと、誤変換、タイプミスです。 かなり目に付きましたが、憶えているところだけ。 まず、ルナ・ラヴクリフトがルナ・ラヴクラフトとごっちゃまぜに出てきます。 主要キャラクターの名前を間違えるのは致命的でしょう。 >おいおい顔赤くするなよ。初心だなぁ。 →初心者、 あるいは心外だなあ、の誤記でしょうか。 >大がかりな機会だ。 →機械ですね。 >無数の速度がランダムの斬撃が彼女達を襲った。 →無数の斬撃がランダムな速度で彼女達を襲った。 でしょうか。 >ルナは柿の種のボトルに突っ込みながら、 →手を、が抜けているようです。 >くるくるとカールがかった髪を肩まで伸ばし、 →かかった、ですね。 >僕と群青さんとルナんお三人は職員室を後にする。 →ルナの、ですね。 300枚程度の文章でこれだけミスがあるのは、完全に校正不足だと思います。 プロになれば、校正は担当さんがやってくれるのかもしれませんが、文章に対するこだわりと言うか、愛情は持つべきだと思います。 とにかく、ラノベってのは、まずは楽しさありきだと思います。 それはなによりキャラクターの個性でしょう。 特にミステリとは相性が悪いのかもしれません。 この両立はおそらくプロ作家でも苦心されている部分だと思います。 挑戦のしがいがあるところですから、頑張ってください。 今作もキャラクターについては、文量の制限もあるでしょうが、どうにもラノベとしては個性が薄い感は否めませんでした。 でもって、これを書くと作者さんから、またまた返信がなくなるかもしれませんが、あえて書きます。 撫子はなでこ≠ニ読んでしまうし、ミナモトは吸血鬼幼女にしか思えませんでした。 ご一考を。 それでは。 |
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