青空に溶けて |
電車に揺られること一時間余り。 変わり映えのしない田園風景が徐々に変化し始める。 ようやく市街に入った。 疎らにしか見えなかった民家がぎゅっと密度を増し、大型店舗もちらほらと見受けられる景色は、生きている街の呼吸を感じさせる。 この活気は僕らの住む田舎町にはないものだ。 夏休みの初め、僕らは母が入院している病院に向かっていた。 電車の中は高校生と思しき集団や、親子連れなどでごった返していた。乗客の少ない田舎町から乗り込んだおかげと言っていいかは分からないが、僕らは席を確保することができていた。しかし、冷房すら入っていない地方の私鉄はひどく暑かった。ただ座っているだけで汗がにじんでくる。 まだ午前中だと言うのに、じりじりと肌を焼くような強い日差しに喉の渇きを覚え、バッグから二本のペットボトルを取り出す。 そのうちの一本を、対面の席に座って景色を眺める少女に差し出した。 少女は特異な容姿をしていた。 銀色の髪に、白色の肌、そして赤色の瞳。 と言って、外国人というわけではなく、血の繋がった僕の妹だ。 雪音と言う。 雪音はなにも答えずに少し水滴の付いたペットボトルを受け取ると、僕と同じく喉が渇いていたらしく、両手を添えて一口飲む。 しかし余計な一言が付け加えられていた。 「ぬるい」 「仕方ないだろ。暑いんだから、ぬるくなるのも当然だよ」 そう僕はぼやいたが、長い付き合いのせいか、雪音のそんな発言には慣れている。 僕もペットボトルのお茶を一口すする。ほろ苦い甘みが口の中に広がり、喉を潤してくれる。確かにぬるいが、そんなに気にならなかった。 雪音はペットボトルにふたをして、また景色に視線を戻す。なにを怒っているのかうかがい知れないが、あまり機嫌が良さそうではない。しかし、僕は雪音が不機嫌なのはいつものことなので気にしなかった。 雪音はいつもなにかに腹を立てるように面白くなさそうな顔でいる。 せっかく整った顔をしているのに損をしていると思う。もう少し愛想が良かったら学校でも友達ができるはずだが、本人はあまり気にしていないらしかった。 雪音は学校でも浮いた存在だ。 一歳年下の雪音が高校に入学してくる時、僕は中学の頃のように孤立しないで欲しいと願ったものだが、その願いが叶うことはなかった。 容姿の珍しさも手伝って雪音の周りには人垣ができたが、それも入学して数日でなくなった。 雪音はアルビノであり、生まれつき肌や髪の色素が欠乏している。雪音はそんな銀髪を長く伸ばし、家の中以外ではシニヨンにまとめている。子供の頃から姿勢が良く、細い柳のような立ち姿は、きっと男女問わず人目を引くだろう。 加えてファッションセンスにも優れている。雪音は今、長袖の白いブラウスに、黒いフレアスカートを合わせ、スカートから伸びるほっそりとした足には黒いタイツを穿いていた。傍らにはレースをあしらった白い日傘を置いている。バスが二時間に一本しか走らないような田舎町でそんな格好をするものだから、町の中でひどく目立つ。 現に、今も電車の乗客たちの視線を集めていた。 ただ雪音は性格に難がある。人と群れることを嫌い、周囲に壁を作って、その内側に籠っている。 僕のように容姿の上では特筆すべきことがなくても、それなりに人当たりが良ければ友達はできる。雪音にもそうして欲しかったが、そんな願いはやはり叶わないのだった。 雪音は乗客からの好奇の視線を完全に無視して、先ほどから景色を眺めるばかり。 僕はと言えば、特にすることもないので文庫本に目を落としていた。気の利く兄であれば不機嫌そうな妹になにか声をかけてやるのかもしれないが、生憎僕はそんな気遣いをする方ではない。 やがて車内にアナウンスが流れる。 間もなく電車が駅に着いた。 ドアが開くと、じっとりとした湿り気を帯びた熱風が吹き付けてきた。それだけで汗が噴き出てくる。 畳んだ日傘とハンドバッグを提げた雪音を連れ、雑踏を縫うように歩き、改札口を通る。それから僕らはバスに乗り、母が長く入院する病院へ向かった。 いつものように打ちのめされることを覚悟しながら。 僕らの母は、精神を病んで病院に送られた。 おそらく一生退院することはない。 母が心を病んでしまった原因は僕には分からないが、時期は分かる。 僕を産んだ直後、母は唐突に姿を消した。神隠しではないか、と町の人々は当時噂し合ったと聞く。 その半年後、ぼんやりと町の道路を歩く母が町の人々によって保護された。その時、母は妊娠していた。それが雪音だった。 父の子ではないことは誰の目にも分かっただろう。 雪音を産んですぐ、すでに心を病んでいた母は父によって病院に送られた。以来、父は一度も母を見舞うことはなかった。 それでも僕らはお金を貯めては母を見舞いに行った。行ったところで会話が成立しないことは分かっていたし、行くたびに病状を悪化させている母を見るのは辛かった。それでも雪音にとってはおそらく唯一血の繋がった親だ。可愛げのない妹ではあるが、心を病んだ母と二人きりで対面させることは僕にはできなかった。 一時間ほどの面会時間が終わり、僕らは言葉もなくバスを待っていた。 見舞いのあと、僕らの間の会話は一層少なくなるのが常だった。 午後になり、日差しはさらに厳しさを増していた。 僕はバスの時刻表を張り付けたポールの傍らに立ち、道行く車や人を眺めていた。ふと幼い女の子を連れた若い母親がすぐ脇を通り過ぎた。女の子ははしゃぎながら母親の手に引かれている。 気がつくと雪音は、日傘を少し持ち上げて、そんな母子をじっと見つめていた。 あの母と子にあって、僕らの母と雪音にはないもの。 その差は、深い穴のように開いている。 雪音は母子が通り過ぎると、日傘を深く差して顔を隠す。誰にも見られたくないように。 ややあって、顔を隠したまま雪音の声が地に落ちた。 「兄さん。私、養子に行くことになったの。お父さんに聞いてる?」 父はそんなことを一言も僕に言わなかった。 父はそんな大事なことを僕に黙って決めたのか。 僕の内部で憤りが煮え立つ気がした。 雪音に対する父の態度は、親とは思えないほど冷たいものであると僕にも十分分かっていたし、好ましいものではなかった。しかし、父と雪音は血が繋がっていないかもしれないが、形の上では親子なのだ。いずれ距離を縮める時が来ると思っていた。 そんな思いが裏切られたような気分だった。 「雪音。おまえはそれでいいのか」 「いいも悪いもないよ。私の意見なんて求められてない。今まで家に置いてもらえただけでも感謝しなきゃ」 雪音の声音には深い諦念が感じられた。 そんな声で話す同年代の女の子は僕の周りにはいない。けれども、それは僕の認識の誤りで、実際にはいたのだ。 僕のすぐそばに。 雪音はやはり日傘で顔を隠したまま小さな声を漏らした。 「ねえ。このままどこか遠くに行こっか」 あまりにも現実味のない言葉。 見れば、日傘が小刻みに揺れている。 まだ足元の固まっていない兄貴かもしれないが、それでも雪音にとって頼ることのできる肉親は僕しかいない。そのことを痛いほど実感した。確かに可愛くない妹ではある。それでも大切な家族だ。僕は、父が母を見捨てたように、妹を見捨てることはできない。 日傘の柄を握る雪音の手に自分の手を重ねる。 雪音のひんやりとした冷たい手が僕の手に絡んでくる。雪音の手の冷たさは春雪のように儚く僕の心に溶けていった。 「養子になんて行くな。父さんには僕から話す。おまえはうちにずっといていいんだ」 「でも……迷惑、じゃない?」 「兄妹なんだぞ。気にするなよ」 「……」 うなずくように日傘が傾く。 いつの間にか日傘の震えは治まっていた。 それから僕らは手をつないでバスを待った。 見上げれば、鮮烈な原色で染め上げられた空が広がっている。 僕らの想いは、この青空に溶けていった。 |
クジラ
2013年08月31日(土) 12時25分07秒 公開 ■この作品の著作権はクジラさんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.4 クジラ 評価:0点 ■2013-12-10 19:23 ID:52PnvSC7.hs | |||||
>青空さん えろい妹もいいですね。 そういう作品も書いたことがあります。 雨の音、という作品です。 もしよろしければそちらも読んでいただけると嬉しいです。 |
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No.3 青空 評価:30点 ■2013-12-04 22:55 ID:wiRqsZaBBm2 | |||||
妹もの……いいですね。ごほっ、年下……好きです。……ごほっ性格はもっとおとなしい地味な人がいいですが…… おさんと同じでもっとエロでも好きだと思いました。もっと、エロい妹ものでも好きかなあと、性への検閲があるのだけれど、もっと絡んでも……ごほっごほっ |
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No.2 クジラ 評価:0点 ■2013-09-12 20:39 ID:1uvxQElyDno | |||||
>おさん そうなんです。 その「ヨスガノソラ」というアニメのOP曲がイメージのもとです。 作品そのものは好きではありませんでしたが、 曲は大好きでした。 ラストは好みが分かれるかと思います。 感想ありがとうございました。 |
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No.1 お 評価:30点 ■2013-09-08 15:06 ID:wxwaeJFv2JA | |||||
どもども。こんちわ。 うーん、なんかアニメで見たぞ。エロゲ原作のヤツ。ちょっと雰囲気似てる。 ま、これは余計なことでした。 さすがに読ませる文章ですね。するっと読ませて情感を残す。どぎついような設定も重くならないようさらっと流してる。 ただまぁ、とはいえ、重い設定に対して、ラストこれだけ? という感じはありますね。少々バランスの悪さは感じましたが、小品として言い感じでした。 |
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総レス数 4 合計 60点 |
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