蟻禍
 ○疾走する電車、コップ、青く焼け付いた夜。少女の脚をいっぴきの蟻が這う。

 部屋で葉(はっぱ)をふかしていた。方形の四畳半一杯に、けぶる宵闇が沈鬱で、その濡れたような橙を愛撫する紫煙が気だるげに揺れていた。ラジオから遠いどこかの民族音楽が流れて、でたらめに打ち鳴らされる打楽器の、踊り狂うリズムが僕の心臓の鼓動に似ている。葉(はっぱ)の作用で肉体が高揚していた。気のせいか、幻覚か、強い動悸を感じた。
 少女は隅で本を読んでいる。誰、とはわからないが、日本人作家の小説で、なにやら厳めしい装丁の書だった。
 遠くで工場が稼働していた。ぶううううん、と低く唸って稼働していた。視界を覆う夕暮れを背景に、屹立する煙突のシルエットをくっきりとさせて、無数の蟻を生産していた。すでに都市は蟻で埋め尽くされているのに、これ以上なにを作る必要があるのだろうか、工場は黙々と稼働し続けていた。
 ふふ、と意味もなく笑いがもれる。多幸感にあおられて曖昧な思考しかできない。聞こえるリズム。リ、ズ、ム。リ/ズ/ム。だ。心臓と生命の明確な関係を思うだけで、なぜか泣き出しそうになる。そういえば、昆虫の血管系はひどく効率が悪い、と知人に聞いたことがある。
「窓、あけていい?」
 と、ふいに少女が立ち上がった。僕の返事を待つこともなく窓のサッシに手をかけ、一息に開け放つ。風と黄昏とが吹き込んで、つめたさに背筋がふるえる。そろそろ冬も近い。蟻たちも越冬の準備をはじめているはずなのだが、その気配すら感じられない。
「ちょっと煙たかったから、本が読みづらくて」
 ごめんね、と少女は無機質な抑揚で言った。
「寒いけど、しばらく我慢してね」
 僕はうなずいて、もういちど、今度は窓に向かって、葉(はっぱ)をふかした。勢いよく煙は流れて、あっという間に見えなくなってしまった。
「あ」
 少女の短い声がする。再び、ごめんね、と無機質な抑揚で。さきほど、開けたばかりの窓を、すぐ閉じて。
「どしたの?」
「蟻がはいってきた」
「別にそんなの気にしないで良いのに」
 たしかに蟻の群れが十とか二十とかいう単位で雪崩れ込んできたけれど、今更そんなもの気にしたって仕方がない。工場によって生産され続ける蟻どもの数は、すでに天文学的数字に膨れあがっているという。あの小さな黒い隣人は、いつだってそこら中を這い回っているし、窓を開ける前だって、部屋のどこかへ隠れていたに違いはないのだ。
「わたしがイヤなんだよ。蟻、きらいだし」
 と、少女は憎々しげに言った。ハエタタキで床をぺしぺし打ち付けながら、視線だけは絶対に本から外そうとしなかった。なにぶん数が多いので、振り下ろせばいやでも当たる。次から次へと蟻たちは減っていき、二十いたのが、十五へ、十五いたのが、十、九、八、七、と。
 このご時世だ。そんなことを言っていては生きづらいだろうに。そんなことを思いながら言葉にはしなかった。葉(ハッパ)をふかすと、煙を嫌って、蟻たちはちりぢりに逃げていく。
「あ」
 ちいさくこぼす少女。
「まだぜんぶ殺してなかったのに」
「殺し合うことより、共存することを考えよう。ラブ・アンド・ピースだよ、君、よく笑い、よく愛したまえ」
「なにそれ。そんなのいまどき流行らないよ」
 僕が笑って、少女が笑わない。彼女の背中まで伸びた髪を手で梳いてやって、うっとうしそうに目をつむる様に、そっと煙を吹きかけた。

 夜、ふと起きると、やけに喉がかわいている。隣の少女を起こさないよう注意しながらベッドを降りた。机の上の水を飲む。ぬるい。まずい。
 カーテンの隙間から蒼い月明かりが差し込んでいた。そろそろ満月も近い。まばゆいほどの光量は、起き抜けの目に痛いくらいだ。カーテンをひらく。窓から見える都市の景色も、薄い群青の底に沈んで、すべてが曖昧に停止している。唯一、工場だけはあいもかわらず稼働し続けていた。
 コップの水をもうひとくち。風が吹きつけ、窓ガラスが微震する。うちふるえて、がたがたとうるさい。
 似たような音が遠くからしている。
 がたんだん、と規則正しく鳴っている。
 がたんだん、と近づいてくる。
 がたんだん、だんだん、と。
 あれは電車の走行音だ。都市を延々走り続ける、機械仕掛けの外骨格だ。赤い塗装が暗がりの底に燃えるようで、鉄道は夜に映える。すこし耳障りなのが欠点だけれど。そんな些細なこと気にしてはいられない。
 さいごのさいごをあおった。空になったコップをテーブルのうえに置く。手元が狂って、倒して、くるくると転がっていくのをまたつかまえて、こんどは本当に置く。空いたコップというのは実に不思議だ。光の下でみるとあんな薄っぺらなものはないのに、夜の凹レンズいちまいを纏えば、それだけでかくも気高くなる。あの空虚な透明感は、いったいどこに由来するのだろう。
 コップに似るのが女の柔肌で、だから僕は、コップを通して少女の裸を覗き見た。暗(くら)と暗(くら)のあわいにぼんやりにじむ乳白色があって、それが血に燃える女の肉だ。あれも然りだ。日の下で見た時、あんなにもつまらないものが他にあるだろうか? しかしひとたび夜の魔力を得れば、それはたちまちにして僕らを魅了してしまう。あんな狂気の産物を身に纏っておきながら平然としていられるのだから、女性というものはおそろしい。
 僕はある種の芸術を鑑賞するような心地で、少女の陰影を、上から下までじっくりと眺めた。眺めまわした。長い睫毛、すっきりとした鼻梁、細い首筋にごつく隆起した鎖骨、まるい乳房、なめらかなひじ、薄い腹筋とその下の茂み。やがて視線が太ももにまで達したところで、なにか彼女の肌を穢すものがいることを発見する。
 蟻だ。
 蟻が一匹、少女のももを這っているのだ。白色と黒色との緊張した対比。なにがそんなに苛立たしいのか、蟻はじくざくと痙攣するように動く。無機質な感情をむきだしにして、蟻は少女の線の上をひきつっている。
 しばらくの間、見とれていた。飽きるまでたっぷりと眺めた。それから葉(はっぱ)の吸いさしを火も点けず空ぶかしして、匂いで蟻を追い払う。ふたたび布団にはいって、眠ろうとしたのはいいけれど、やけに興奮して眠れない。寝付けない。


 ○ペンキ缶。ペンキ缶。ペンキ缶! そしてフラミンゴの幻影。

 ピンクのペンキを塗っていた。Kに紹介された仕事だった。駅前に新しくできる駐輪場へ、ひたすらペンキを塗りたくる。八時間働いて、日給は六千円。腰の痛くなる単調な作業だが、頻繁に休憩を取るボスの目を盗めば葉(ハッパ)だって吸える。悪くはない。ペンキの淡い色彩はどことなくフラミンゴを思わせて、それも良い。
 一日かけて指定された箇所を塗りおえると、汗だくのボスから、汗にまみれた給金袋を手渡される。汗染みが内部にまで達して、紙幣の色はところどころ濃くなっている。それをポケットにひねりこんで家へ帰る。それがここ最近の日課だった。悪くはない。こういう生活も悪くはない。ただすこしばかり退屈なのは否めなく、いつまで続けられるものか、それだけが不安だった。

 ペンキには毒が混ぜてあり、蟻が寄りつかない。だから、少女のために、と一缶くすねてやったのだけれど、蓋を開けたまま一夜あけ、乾いてしまえば、すぐに効力が消えてしまった。玄関先に放置されたペンキ缶を見て、少女は、まるでフラミンゴみたいだね、と笑った。間違いない。と僕は言った。いや、まったくその通りに違いなかった。
 ペンキ缶は二日もしたら、蟻にまみれて真っ黒になっていた。

 扉を開けた瞬間、無数の蟻が雪崩れ込んできた。そのことごとくを葉(ハッパ)をふかして散らして、僕は少女に、いってくるよ、と告げた。あんまり長居しないでよ、と彼女は言った。それでなくたってはっぱの吸い過ぎは身体に悪いのに、ふたりでいると、きみたち、いつまでたっても吸い続けているんだもの。わかってるよ、だいじょうぶ、これでも加減はしているんだ。嘘ばっかり、いいよ、勝手に死んじゃえば。
 その日は仕事が休みだったので、Kの家へ訪れることにしたのだった。
 僕は蟻を踏みつぶし踏みつぶしながら、黒い水たまりのようなものをちゃぽ、ちゃぽ、と進んでいく。長靴がみるみる体液まみれになる。その表面を、生きた蟻がうごうごと這い回って、うちの何匹かなどは中にまで入りこんでくる。むずがゆくてたまらない。思わず葉(ハッパ)に火をつけて、歩きながらふかした。途端、あれほどまとわりついていた蟻どもが、一斉に離れていき、はは、愉快だ。右を向き、ほう、と煙をはけば、その方向の蟻めらが、ざわわ、とひいていく。それでも、逃げ遅れた何匹かは踏みつぶしてしまう。
 蟻の内臓はわずかに黄色い。僕の足跡は道路へ黄土色にへばりつくのだが、それもすぐに、蠢く蟻の群れに呑まれてしまう。

 Kは僕の友人で、ペンキ缶の卸売りをする業者だった。毒入りのペンキは彼の考案したものだ。彼の会社は都市のかたちに沿って大きくなっていって、今は限界一杯に飽和していた。彼のペンキは蟻のいるこの街でしか役に立たない。それでも彼はその発明で大金を手にした。仕事といえばときおり契約を更新することくらいだったから、毎日を遊び歩くか、葉(ハッパ)を吸うか、古書を読みあさるか、そんなことに費やしていた。
 正直にいうと僕はKをねたんでいたけれど、僕らの友情はその程度で崩れるようなものではなかった。
 K宅で僕たちはふたり、なにするでもなくぼんやりと風を浴びていた。紫煙が流れ、かたちの移っていく様子がおもしろい。日差しは強いが気温は低く、日陰にはまだ早朝のすずしさが残る。テレビには高校野球の中継が映っているが、蟻がアンテナのあたりを歩くのか、とぎれとぎれにノイズがまじる。
「蟻というものはだね、キミ」
 Kは衒学者を自称しており、葉(ハッパ)を吸って酩酊するとわけのわからない理屈をこねくりはじめた。
「あれはつまり一種の装置だよ。激情の装置さ。工場長のやつ、よっぽど鬱憤が溜まっているとみえる。毎日、毎日、飽きもせずに蟻を生産し続けて。はた迷惑なことだよ」
「そうか。あれは装置か」
「ああ。より正確にいえば、蟻や工員を含めた工場の運動すべてが装置だ。工場長の、いや、人類の激情を表すためのな。古い時代、シュルレアリスト達はしばしば装置を芸術に置換したが、これもその魔術の一種さ。工場長は工場を操作する、工場は蟻を産み出する、蟻はわれわれを圧倒する。つまり工場長はわれわれを圧倒する。圧倒とは、すなわち芸術のことさ。ほら、説明してしまえば簡単な理屈だ」
 Kが長々と葉(ハッパ)をふかす。巻紙が先端からヂリヂリと燃える。彼の大きな鼻腔から白い煙が漏れ出すが、全て風にながれていってしまう。Kは満足げな顔をして、骨を鳴らしながらゆっくり首をまわした。
 窓は開け放していたが、葉(ハッパ)のため蟻は寄りつかなかった。庭を見ると、蟻と地面との境界線が僕らを中心に大きく円を描いている。
「仕事の調子はどうだよ。ほら、あのペンキ塗りの。あの監督は僕の得意先でね、悪い人ではないはずなんだが……」
「上々だよ。腰は痛くなるけどね。収入があるだけでもいい。うちの連れも機嫌をよくしてくれる」
「おお、あの子、まだキミんところにいるのか。物好きというか、向こう見ずというか、いや、愚かさというのも時には愛しいものだね。もし僕があの子なら、今すぐにでもキミを見捨ててどこかしらへ飛んでいってしまうだろうが」
 笑うKに紫煙のひと吹きで応える。
「まったく、あれはいい子だよ」
 僕はうなずいて、それから、ちびた吸いがらを灰皿に突っ込んだ。

 夕方、K宅を後にした。日は曇って、空気が鈍色に沈鬱している。景色は単色の濃淡によって構成され、薄い非現実の薄皮を纏っている。浸透圧の関係で、酩酊した肉体に都市がしみこんでくる。それが心地よい。
 おとといから、工場の生産量がおちてきていた。蟻の数がすくなくなっている。そろそろ雨が降るのかも知れない。少女も喜ぶことだろう。
 粘性の足音は底にへばりつくようで、べちゃ、べちゃ、とうるさい。踏みつぶされる蟻の体液に汚れ、道路は極彩色にぬめっている。工場の稼働音がひびく。どこか、遠くで、がたんだん、と電車がはしる。
 まだ葉(ハッパ)の作用が残っていた。まずいことにはKに勧められた幻覚剤のききめもわずかに残存していて、僕の隣をフラミンゴが歩いていた。フラミンゴはしきりに僕に話しかけてくるのだが、その内容が、造物主の精神性がどうの、だとか、集団心理のカタストロフがどうの、だとか、どうにも掴みかねるものばかりであって困った。蟻の脳から成分を抽出して作ったクスリだ、とKは言っていたが、だとしたら蟻達はいつもこんなことを考えているのだろうか。
「……すなわち都市は人造の生命ではなく、進化論にしたがい連綿と発展してきた生態系の、悠久なる流れの終着点、つまり生命の究極とも呼べる存在の、その偉大なる入り口であるのです。都市はやがて神と呼ばれることでしょう。あなたならおわかりでしょう? 人が都市を造ったのではなく都市が人を作ったのですよ。都市こそ造物主であり、我々は造物主を作り出すために産まれたのだ!」
 僕は聞こえないふりをしていた。フラミンゴは気が狂っているのだとはっきり分かった。同時に確信した。この粘膜の色をした鳥類は、同時に工場長でもあるのだ。僕は手提げ袋をなでさすった。なかにはKからもらったペンキ缶がはいっている。こいつがいけないのだ。ありもしないものを幻視してしまう。僕はペンキ缶をフラミンゴに投げつけた。缶は鳥の頭にあたり、だらり、と血が流れた。赤い粘性の液体がゆっくり羽をつたい垂れていく。やがて水滴となって地面へ落ちて、そこに蟻どもが群がった。
 フラミンゴはしばらく寂しそうな目をしてじっと突っ立っていたが、やがてくるりときびすを返し、無言のままどこかへ去っていった。僕はつかのま罪悪感にとらわれかけたが、すぐにあれが幻影だということを思い出し、後はなんとも思わなかった。地面に落ちたペンキ缶は裂け目がはいり中身が漏れ出していた。ピンク色に触れた蟻が息絶えていた。なかには染料に覆われてしまったのもいて、女性器のような肉桂色から足だけがとびだしぴくぴくと痙攣していた。

 夜中にふと目が覚める。幻覚剤に胃でもやられたのか、吐き気がひどくてトイレに駆け込んだ。喉の奥に手を突っ込み嘔吐する。寝てる間にのみ込んだのだろう、吐瀉物には蟻が混ざっていて、それも一匹や二匹という数でなく、数える気にもならなかった。うごうご手足を動かしているのを、レバーをひねって流し去った。


 ○朝から雨が降っている。少女はラジオを聞くことを好むが、アンテナだけはかたくなに伸ばそうとしない。

 日が明けて、朝から雨が降った。監督から電話が来て、今日は仕事が休みだと言う。そうですか、と応えた。明日は晴れたらやるから、ちゃんと来てね、頼むよ。はい、了解です。んじゃ。ええ、それでは。
「なんて?」
 と、少女が聞く。
「ああ、今日は仕事休みだって」
「へえ、よかったね。あ、ごはん、たべる?」
「うん。なにつくるの」
「なんにしようかな。冷蔵庫の中身、覚えてない」
 冷蔵庫には卵しか入っていなかったので、結局、オムレツと、白いごはんとで朝食をすませた。オムレツにケチャップをかけすぎたせいで、すこし味が濃かった。
 少女がラジオをつけると、棒読みのアナウンサーが近頃のニュースを淡々と読み上げていた。この街に工場ができてからもう何年もたつ。彼女の読み上げるニュースは、同じ国のできごとだというのに、どこか遠い世界での出来事のように感じる。例えば政治家の汚職事件なんかを聞いても、なにも感じない。たしかに僕たちの生活と直結しているはずなのに、怒ることも悲しむこともできない。僕たちの内部に存在する空白は蟻に埋められていて、他のものがつけいる余地もなかった。蟻は確実に都市を蝕んでいる。名前も知らない政治家の話よりも、工場長の行方が聞きたい。昨日ペンキ缶を投げつけてからいったいどこへと行ってしまったのか。謝りたかった。幻覚剤のせいにするつもりなどない。とにかく謝りたかった。ふとすると立ち去る間際の、あの寂しそうな瞳がちらついて辛かった。しかし、僕に語りかけたあの工場長は、気が狂ったフラミンゴは、ただの幻覚だと僕自身わかっているのだった。この、あからさまな矛盾というか、空虚な自虐を繰り返すのは単に幻覚剤のせいかもしれないし、あるいは雨で気圧の低いことが影響しているのかもしれない。どちらともいえないし、それはわからない。
 工場長が、と、アナウンサーが言ったので、はっと意識が戻った。少女のほうをみると、彼女はちいさくうなずいた。工場長が、と、アナウンサーは再び言った。次に、僕らの都市の名前を言った。
「……市といえば、いまや蟻禍でよく知られる街と……ましたが、その蟻禍の張本人、えー、……ばた工業の社長、さ…………と氏が行方不明になったとして、現在警察が……さしています。えー、警察の発表によると、きの…………た、社員が社長室をたず…………時にはすでに………誘拐の………、………、…………「ああ、もうっ」」
 ラジオのノイズに負けないくらいの大声をあげて、少女が乱暴にラジオの電源をきった。
「蟻たちは自分の親玉の話くらい、わたしたちに聞かせてくれないのかしら」
「またラジオのなかに蟻どもが入りこんだらしいね。またKに言って外部の安いヤツを卸させてくるよ」
「この街以外では、ラジオが百円で売ってるなんて。いまだに信じられない!」
「工場ができるまえはこの街でも百円だったけどね」
 少女をなだめるようにしながら、僕は先ほどのニュースのことを考えていた。工場長の失踪。それは僕に予想外の衝撃をあたえた。幻覚と現実が混ざり合ったような、奇妙な感覚が腹の底の方でうねっていた。一笑に付したかったが、できなかった。工場長はフラミンゴの格好をしたまま、どこへいってしまったのか。ぼんやりと、そんなことに思いを馳せている。


 ○工場長の足音がぺたぺたと間近に聞こえるようだった。失踪したのではなかったのか。だが彼はすぐ近くにいるように感じる。雨は降り続けている。流れる水のうねりが都市を飲み込んで、蟻たちは次々と溺れる。工場長はそれを悲しんでいるのかもしれない。

 冷静になってみればなんてことはない。ただ幻覚剤のききめが、いまだに抜けていないというだけの話だ。僕は葉(ハッパ)に火をつけた。


 ○葉(ハッパ)を吸ったのは間違いだった。僕は酩酊し、夢とも現実ともつかない幻覚をみる。老紳士=工場長は、この後おもむろに近づいてくると僕に親しげに話しかけてくるのだが、その内容については一切の記憶がない。

 少年は闇の中で裸になっている。銀で出来た十字架に磔られている。彼の瑞々しい肌は自ら光を放射し、一切を塗りつぶす無明の中にほのかな肉色の影が浮かび上がっている。無数の人影がそれを眺めていた。それぞれ葉(ハッパ)をくゆらせたり、得体のしれない錠剤を舐めたりしながら、楽しげに脈絡のない話をしている。無数の視線に全身をまさぐられ少年は恍惚しきっている。ときおり脇腹が小さく痙攣し、そのたびにどよめきが沸きあがる。澄んだ瞳には鉱物のような涙がちいさくたまっていて、一滴だけこぼれて、落ちて、はじけた。それをめざとく見つけたひとりの老紳士がにっこりと笑う。彼の口の端には涎が泡となって、深い闇を反射している。
 少年の勃起した陰茎からは精液がちろちろと漏れていた。その白濁に溺れて、いっぴきの蟻が触覚をひっしに動かしている。それは生と死の境目だった。蟻はあがく。が、そのかたちは次第に飲み込まれていく。ついには頭部まで隠れて、触覚が小刻みに震える。それもやがて沈んでしまうと、その哀れな昆虫を見ることはもう二度と無かった。


 ○僕は、僕自身の倦怠を眺め、手に取り、弄び、時には友人とし、時には仇敵とし、時には恋人とし、時には無視する。

 目が覚めるとまだ雨は降り続いていた。
 全身に汗をかいていて、じっとりとした不快感がまとわりつく。頭が痛い。さいわい、吐き気はない。
 ろくでもないものを掴まされた、とひとりKをうらむ。水をのむと、すこしだけ痛みが落ち着いた。
 少女が心配げにこちらを覗いている。ジェスチャーで、心配ない、と知らせる。すこしだけほほ笑む。お互いに。
 暑い。
 窓を開けると冷気が流れ込んでくる。雨や土や工場の匂いがする。ノスタルジーが鼻腔をくすぐる。こういうのは嫌いじゃない。息を吸って吐いてする。匂いが身体のうちに充満して、中をめちゃくちゃにかき回していく。それもわずかな間のことで、郷愁はすぐに、呼気とともに排出される。
 雨は少し弱まっていた。
 このぶんならあと二、三時間したらやむだろう。あれだけ分厚かった雲も、今はところどころ薄くなってきている。悪くはない。こういう心地は、悪くない。だから雨は嫌いではない。
「雨がやんだら、散歩にでもいこうか」
 そう提案すると、一瞬、きょとんとしたような表情だった。それからすぐにうなずいて、いいねそれ、と言った。
 もういちど、水を飲む。コップにはまとわりつくように水滴が群生して、それが僕のてのひらを濡らす。コップに夜が似合うことは分かっていたが、こうしてみると雨も似合う。同じく水に関するものだからか、それともコップと太陽とが相反するものであるからか?
 少女は今日も本を読んでいる。背後から、細い首に手を回す。驚いて声をあげるが黙殺した。

 肉と肉のぶつかり合う音に、雨音がとけこんでいく。雨水になったような錯覚が僕の感覚を麻痺させていく。抽送が激しくなる。窓が開いているから、部屋の中はすっかり涼しくなっていた。熱だけが浮き彫りになって、僕も少女も生命だけをぶつけ合っている。性感の渦にまきこまれながら僕が単なる生き物であることを自覚する。蟻も僕らも、そして都市も、宇宙すらも、本質的には変わりがないのだ。
 喘ぐ少女の瞳が濡れている。頬が紅潮していて、舐めると汗の味がする。だんだんと雨音が弱まっていく。ふと窓の外を見ると晴れ加減だ。遠い雲間からかすかに、しかし力強く降り注ぐ陽光を見て、その生き生きとした様に驚いた。ふと、なんだか萎えてきてしまう。つい客観的になる。熱が冷めて、意識の中で理性が浮き彫りになっていく。少女の嬌声だけが勢いをましていく。圧倒されてしまう。かじりつくように性交を続ける。翻弄されている。今、少女はひとつの濁流だ。よがり、あえぎ、肉を楽しんでいる。僕はもう駄目だ。そろそろと充血がひいていくのを必死に押しとどめている。雨になにを感じていたのか知らないが、やんでしまうとさっぱりだった。濁流に流されていく。蟻のように。ふと性交というものがおそろしく感じた。それは噴出する火山のようなものだ。溢れて僕らを圧倒する。僕を圧倒する。その熱におびえながら、どうしてか、萎えてきたのがふたたび勢いを取り戻していった。充血が痛いくらいだ。流される蟻に過ぎなかった僕は、自らも濁流と化し、性交の爛熟した反復運動へ没頭していく。
 少女は気付いていないが、さきほどから工場長がこちらを覗いていた。窓のふちのまるい瞳。それは明らかに鳥類特有のもので、目やにがこびりついていて、にやにやと笑っていた。額の傷はもうかさぶたになっている。
 熱が僕らの思考を溶かしていく。液状の感覚が沸騰している。

 少女とふたりでシャワーを浴びる。流れ出るお湯といっしょに、蟻の死骸の破片が僕らに降り注ぐ。少女が悲鳴をあげる。大きく後ずさり悪態をつく。
「この街はシャワーも浴びれなくなってしまったの? 狂ってるのは前から知ってたけど、まさかここまでなんて」
「雨の影響で上水道にまぎれてしまったんだろう。しばらくこのままにしておけば大丈夫なんじゃないかな」
 けれど、結局、蟻の死骸はいつまでも湧き続けた。しかたがないので死骸もろとも湯を浴びた。途中、少女は反吐を二度ついた。彼女は工場長を悪し様に罵って、涙目で死骸と反吐の堆積を片付けていた。手伝いを申し出たが、断られた。
「デリカシー、っていうものを知らないの? いいよ、こんなの、わたしがやる」
 僕は風呂場を出た。少女の反吐を吐く姿が執拗にフラッシュバックする。
 服装はなるべくきらびやかなものを選んだ。僕が選んだ。それでもすこし地味すぎるくらいだった。街にでも服を買ってやろうとしたが、洒落っ気のない彼女はそれを断った。

 すでに日は暮れ始めていた。夕映えが西の空いっぱいに充ちていた。触れれば手ざわりのありそうなほどに密だった。家を出た近所を僕らは歩いていた。往来には蟻の一匹も残ってはいない。空気が澄んで冷たかった。顔にあたる風は水気を含んで芳醇だった。足音がしけっている。
「すがすがしいね、なんていったって、蟻がいない。あんなやつら、みんな流れていけばいいんだ。工場も、工場長も、いっしょにだ」
 少女の顔は上気したように紅い。
「そこまで蟻がだめなんだ。こんなところ、いつでも引っ越してやるのに」
「キミはいつもそういうけれど、そのお金をどこから工面するのか考えたことは一回もないでしょ。それに外の街へ抜けたところで、今とは大して変わらないよ、どうせ。なら住み慣れたところのほうがいいじゃないか」
 すでにはあはあと息切れしている。普段、部屋を出て運動をする、ということがないから体力がおちているのだ。また手と足が細くなっていた。その様子は餓えた野良猫を思わせる。
「もっと動いた方がいいよ。ほら、こんなに痩せてしまってる」
「雨がふったら、ね。こうして散歩に出るよ」
 そう言うと水たまりを蹴り飛ばした。しぶきが僕のズボンにかかって、裾を濡らした。へへ、と少女は笑う。
「こんどうるさいこと言ったら、もう一回やってやるから」
「はいはい」
 肩をすくめた。葉(ハッパ)の箱をポケットから出して、火をつけて、歩く。ただ歩く。ふたりで歩く。煙が風で流れていく。その風に乗って工場の稼働音が聞こえる。
「わたし、河口に行きたい」
 そう言った。
「どうして」
「意味はないけれど。どうせ目的もなく歩いてるだけなんだし、いいじゃん」
「確かにね」

 河原からは工場がよく見通せた。煙突がまっすぐに屹立していて、黒曜石のような硬質な煙をもくもくと吐いている。少女はそれを忌々しげに見つめていた。夕焼けはいよいよ烈しさをまし、赫々と燃えさかる様は紅榴石を思わせた。総じて鉱物のような光景、時間の中に僕らはいた。息苦しい密度に閉じ込められてこの一瞬が永遠のように感じられ、また永遠を一瞬とも思わぬような歓喜が密度の内部に渦巻いていた。川だけがとまってしまった時間に逆らい変わらぬままに流れ続けた。無数の蟻どもがその流れに巻き込まれていた。少女はそれを見てげらげら笑っていた。
 雨の日は人の往来が劇的に増えるのがこの街の常であったが、こんなはずれまでくるとあたりに誰かを見かけることはなかった。うち捨てられたガラクタだけが寝苦しい夜に見る悪夢の残骸のようにそこいら中に堆積し山となっていた。少女がまだ火薬の残っている手持ち花火を拾ったので、試しに火を付けてみたが、湿気って煙も立たない。僕と少女は顔を見合わせた。そうして互いにすこしだけ微笑んだ。よい気分になった。


 ○金星は何も語らず、倦むこともなく、黄昏に対抗し、それを飲み込もうとする。濁流は多弁で、気まぐれで、しかし、やはり、やすやすと、僕らを捉えては飲み込んでいく。

 ふたりで川をくだっていた。河口まではまだ少し距離があった。時折、潮の匂いがまじるようになっていた。
 歩きながら空を仰ぎ、金星を探している。しつこくけぶる夕日もそろそろ沈む。夜が来る。東の空から隊列をなし闊歩してくる。遠くで電車が走っていて、がたんだん、と走行音が聞こえる。
「見て、蟹が歩いている」
 少女が指をさす方を見る。確かに蟹が歩いていた。キチン質の足が機械的に動いている。その動きにはどこか洗練された清潔さを感じる。比べて蟻の生々しさはいったいどこからくるものだろう。彼らからは土の香りがする。そして、その香りこそが僕らと蟻とを結びつけるのだ。
「冬になったらさ」
「うん」
「蟹を食べようよ」
「うん」
「鍋がいいね。とびきり温かいの」
「うん」
「はさみはわたしが食べるんだ」
 そんなことを話しながら歩く。たわいもない会話というのは良い。ともすれば陰に落ち込みがちな僕らを日だまりのような気持ちにさせてくれる。
「ねえ、なんでそんな上を向いているの?」
「金星を探してるんだ」
「へえ、金星を」
「うん」
「悪くないね」
「だろう?」
「だけど、ちょっと、むかつくね」
「なぜ」
「デートの最中にVenusを求めるのはちょっと失礼じゃなくって」
「一理あるね」
「でしょう?」
 だから、視線を地に戻し、少女と一緒に蟹を追いかけた。蟹は見かけのわりに素早く、走る姿はまるで発射された弾丸のようだった。あっという間に見失って、僕らは立ち尽くした。心地よい虚しさを共有して、言葉にしがたい幸福と、気まずさとがあった。
 ふたりで流れる川を眺めていた。強く風が吹き、潮が香った。僕の目の前に少女の小さな頭があって、その向こうに漠々と流れる川があった。ふと、思い立ち、僕は少女の背を押した。少女は前のめりに川へと落ち、しかし予想していた飛沫はあがらなかった。彼女が落ちたところにちょうど泥が堆積していたのだ。少女は頭から落ちた身体を、苦労して仰向けにした。それから、力尽きたようにぐったりして、しばらく空をじっと見ていた。僕は彼女の隣に降りて、手をとって起き上がらせた。ふんばると足が泥へのめりこむ。靴の中へ汚泥が潜り込んでくる。なるほど、これはひどく骨が折れる。蟹が、パニックになった蟹が、無数の蟹が、僕らの周囲で踊るように駆けずり回っていた。中に一匹、とんでもなく紅いのがいて、夕映えをうけてこの上なく美しかった。
 それから、ふたりで河原にあがった。ともすれば足が泥にとられて苦労したが、痙攣する魚のような動きで、なんとか這い上がることができた。
 泥まみれのまま河口まで歩いた。どこまでも無言だった。沈黙は過度の緊張を強いられていて、いまにも弾けそうに張り詰めていた。身体から土の香りを強くただよわせ、なんだか蟻もになったような気分だった。
 河口は手狭で、ゴミが捨てられ放題になっている。あたりをやたらに埋め立てられて、対岸には工場が建ち並び、しかし確かに海の気配をまとっていた。カモメが一羽飛んでいた。波が寄せ、川の流れとぶつかって渦巻いていた。少女はそれをじっと眺めていた。僕は、そんな少女の横顔に見とれていた。
「なんであんなことしたの」
 視線を動かすこともなく、なんの前触れも無しに唐突に、その言葉はふたりの間の沈黙をつんざいた。
「ごめん」
 と、僕は言った。事実、心の底から許しを乞うていた。必要とあれば少女に対する信仰をすら告白しただろう。それは今現在においてまず間違いのない真実だった。
「なんであんなことするの」
 少女の語調は変わらなかったが、彼女の言葉が指す事柄に、過去における僕の失態までが含まれたのは明らかだった。
「ごめん」
 ふたたび。
「わたしはキミを責めているんじゃないんだよ。でもわからないの。キミは意味もなくああしてわたしを辱めて、そしてそれを心の底から後悔してる。そんなことを何回も繰り返してる。どうして? なんでそんなことするの」
「ごめん」
「そうやって、謝っていればいいと思ってる?」
「……だけど、自分でも説明がつかないんだ。反射的なものなんだよ。自分でもコントロールが効かない、自動化された動きで、どうしようもないんだ」
 ふとした誘惑から通常では決してしないような行動をとる。それは僕の病理のようなもので、発作的に衝動へ抗う力を全く失ってしまうのだった。いや、多かれ少なかれ、たいていの人にはこうした苦悩はつきまとうのだろう。ただ、僕の場合は、それが他人よりもすこし根深い問題だというだけなのだ……。
 少女はなにも言わなかった。怒っているという風でもなかった。むしろどこか悲しげであった。それは同情だった。僕は少女に同情されていた。
「やめてくれ」
 懇願するように言う。
「そんな同情は、やめてくれ」
 けれど、少女は悲しげな顔をやめなかった。僕は目をそらした。工場のサイレンが鳴る。遠くで電車が走っている。日が沈みきる前の、断末魔のような夕焼けが僕らを覆っている。どちらから、というのでもなく手を握った。
「だけど不幸なことにね」
 と、少女は言った。
「わたしはキミのことが好きなんだ」
 やがて夜が来て、都市の一切を飲み込んでしまうだろう。しかしこの瞬間、赫々たる世界の底で暴発した祝福の一撃だけは永遠で、夜はいつまでも訪れず、はっと気がつくまで僕は立ち尽くすのみだった。


 ○一切は金星と濁流に飲み込まれた。やがて大いなる春が来ることだろう。

「私が考えるだに、存在とは自らの領土を拡大する運動そのものではないのだろうかね」
 と、工場長は言う。少女はすでに眠っていて、僕は窓際で葉(はっぱ)を吸っていた。工場長は少女の胸をにやにや弄んでいる。そのぺらぺらとした薄笑いに強い憤りを覚えたが、さっき少女にしたことを思い出して、身動きがとれなくなる。
「キミは私の正気を疑っているのだろう。アリなど生産してなんになるのか、とね。ははは。アリ。ははは。なるほどなんの面白みもない。黒くて、小さくて、可愛らしい生物だ。アリ。はは。しかしだ、アリこそが我が領土であり、運動であり、すなわち私の存在であるのだ。アリはやがて都市を占拠するだろう。そのときはじめて、私の都市に対する反逆は成就するのだ」
 再びアリは数を増しはじめていた。工場のある西方から、徐々に黒く染まっていく。明日の朝、少女はどんな愚痴をこぼすだろうか。僕はそれを慰めなくてはならない。……完璧に、だ。僕は僕の失態を許せなかった。許すことを拒み、また許されることを拒んだ。それは僕自身からではなく、少女から与えられるべきものだ。そして僕はそのためにはどんな尽力をも惜しむことはないだろう……。だからこそ今、僕は目の前の光景、あの工場長のまさぐるような指先に対し、限りなく激昂し、身震いし、しかし罰として、神罰として、衝動を外へ発することはせず、内へため込み、その圧力に押し潰されそうになりながら、同時に破裂しそうになりながら、ただ身震いし、身震いし、身震いすることによってのみ自らの内心を吐露し、あとは頑なに口を閉ざし、身震いし、内省し、身震いした。
 だから、工場長がなにか語っているが、僕の耳には、それが明瞭な言語として聞き取れない。あるいはそれを知ってこそ、工場長は少女の胸を弄んでいるのかも知れない。もしくは、もしくは……。否! 否! 全ては幻覚で、意味のないものだ。明日、仕事終わりにKのもとへと訪れ、薬が抜けきらないことを訴えよう。奴なら対処法を知っているはずだ。
「氾濫だ。氾濫だ! 私は氾濫する。燃え尽きんばかりの濡れ羽色の生命をもって都市に氾濫する。氾濫だよ! 一切が溢れかえり、都市は混乱に沈み、私は、私は……、極まる、いや、これは不適当だ……、ああ、言葉すら見当たらぬ歓喜と化すのだ! 氾濫、氾濫だ!」
 葉(ハッパ)の吸いさしを灰皿代わりの空き缶へねじ込み、水を一杯飲んだ後、ベッドへ潜り込む。隣に横たわる少女の体温が、唐突にかげがえのないものに思え、不意の涙を懸命にこらえることに必死だった。僕は少女を愛していた。愛こそ僕の生きる道なのだと思った。ふいに飛び起き、残っている葉(ハッパ)を全てゴミ箱に捨てた。
(真に人間となろう)
(真なる人間となろう)
 それまでに感じていた一切の空虚が埋められていく。生きる、ということに自覚的になる。
(そのときはじめて、俺は倦怠から解放される。春が訪れるぞ。生きとし生けるもの皆が得るべき、人生の春だ。全き春の時代が来る! この僕に来る!)
 いまいち上手く眠れなかった。やけに興奮していた。しかし、目を閉じれば工場長の幻覚も消える。幻聴だけは耳を離れないが、意識して聞かないよう努めることは可能だ。それが精神安定の効果をもたらして、しだいにまどろみ、やがて完全に眠りにおちた。

 朝目覚めると少女の姿はなかった。家中を探したが、どこにもいない。玄関先を覗く。靴はない。どこかに出かけたのだろうか。外を覗くと、アリの群れはまだちらほらとしているにすぎない。不審に思いながらも、仕事のための身支度を整える、朝食は用意されていなかったので食べなかった。気がかりなまま家を出る。仕事をする。金を受け取る。帰ってきて、まだいない、というところにまできて、ようやく、少女が家を出たのだ、と気づいた。ゴミ箱からクシャクシャに潰れた葉(ハッパ)を拾いだし、火を付けぼんやり吸っていたが、思わずむせて、とっさに口を押さえた手のひらを見れば血がこびりついている。それをズボンでぬぐって、今度は決してむせないよう細心の注意をはらいながら一本を吸い終わる。ベッドにはいると寒い。それもそのはずで、我が家には暖房器具などないのだ。今までは少女の体温で暖をとっていたのだが、彼女なき今、そんなことなんぞできるはずもない。
「ははは」
 と僕は笑った。完全無欠に笑った。確かに僕は倦怠から解き放たれた。今あるのは底深い虚無のみだった。春は来た。大いなる春は来た。そしてあらゆる全ては去っていった。


 ○語るにあたわず。

 数日たった。その日はひどく身体の調子がよかったので、K宅へ向かうことにした。まだ太陽が登っている時間帯で、すこし早すぎるかもしれない、と心配したが、Kは嫌な顔をするどころか勢いごんで謝ってくるのだった。
「ああ、キミか。すまない。こないだのクスリはよくない代物だった。僕が軽率だったのだ。本当にすまないね」
 確かにこの間の幻覚剤についてはある程度問い詰めるつもりで来たのだが、この調子だとこっちも気が抜けてしまう。
「信頼できる人物から入手したのですっかり安心していたんだ。それがいけなかった。僕もあれを吸うのは初めてだったのだ。糞ったれだ。まだ後遺症が抜けていない。ときおり吐き気がする」
「症状は吐き気だけなのか?」
 僕が言うと、Kは不思議そうな顔をして、しかし申し訳なさそうに言った。
「いや、頭痛と倦怠感もある。もちろんある……。とにかくすまなかったな。埋め合わせはいずれ必ずするよ」
「いや、いい。君の失態を見ることができただけでも儲けものだ(そう言うとKはすこし笑った)。それに僕も謝らなければいけないことがある」
「ほう? どうした」
「君から紹介された仕事だが、辞めてしまった。すまない」
「なんだ、勿体ないな。この時勢だ。悪くない仕事だとは思ったんだがな。彼は……、監督はなにか言っていたか?」
「いや、特になにも言ってなかったな。そうか、とだけ。それだけだ」
 正確に言うと辞めたのではなくサボタージュしたのだが。だからボスがなにを言ったのかなど知るよしもない。少女の失踪を知ってから、僕は部屋の中でじっとラジオを聞いていた。特に意味もなく聞いていた。途中挿入されるニュース番組で、語られる犯罪の数をかぞえたりしながら、間延びした時間を潰していた。疣に爪で傷を付けるような、痛みと快感が混ざったような心地のよさだった。電話はかかってきたが、全て無視した。それでも時折、思い出したようにかけ直してくるのだが、昼前にはぴったりと止み、ラジオを聞くことに集中できた。何度か眠ろうとしたが寝付けなかった。食欲は無かった。冷蔵庫は空だったのでちょうどよかった。紙いっぱいに書き詰めた犯罪の数々をライターで焼き捨てるとほのかに心地が良かった。一度だけ同じようにして指先を炙った。熱かった。当然のことであるはずの、この、熱かった、という事実がひどく新鮮に思えて繰り返し炙った。水ぶくれができるまで炙った。できても炙った。

 どうも最近Kの事業は忙しいらしく、葉(はっぱ)をふかす僕の横でしきりに電話の応対をしていた。怒鳴りつけたり、頼み込んだり、よくまあこれだけの変わり身を見せられるものだ、と感心する。雲行きはどうにもよくないらしい。電話をかけるごとに哀願の調子が混ざっていった。
「僕はもう駄目かもしれない」
 一段落ついた昼過ぎにぼそりと呟いた。
「おや、珍しいな。弱音なんて、ここ最近ついぞ聞いていない。そんなに具合はよくないか」
「よくない。最悪だね。ことによっちゃあ僕のこの完璧な生活は終わってしまう。そうなるとどうするかな。キミのようにその日その日で生きていくのもいいかもしれない。僕にできるかは別としてな」
「オススメはしないかな」
「だろうね」
 僕は彼にそれができないことを知っていた。彼自身、内心では無理だと分かっていることを知っていた。彼の生活は彼自身にも干渉できないほどに肥大化していることを知っていた。
 そしてまた、僕が彼についてどう考えているか、彼もちゃんと知っているのだ。
「僕は堕落した」
 と呟き、葉(はっぱ)をふかした。それから心底残念そうに、こう付け足した。
「キミ以上に」
「なんだなんだ。今日はえらく落ち込んでいるな。らしくない。たかが事業じゃないか。そんなものいつだって捨ててやればいい。それこそ自由だ。そうだろう」
「そうだ。自由とはそういうものだ。そして僕は今囚われている。しかし何に囚われているのかは分からない。金か。名誉か。それとも怠惰か。ああ、キミがうらやましいよ。どうしてか今日のキミはいつも以上に溌溂として見える。それだけ僕が僕自身をみじめだと感じているからかな。今の僕は葉(ハッパ)の味すらろくにわからないんだ」
 確かに今日の僕の精神は調子が良かった。むやみに昂揚していた。おそらくは前日までの鬱屈とした生活の反動なのだろう。太陽を見るたびに、息を吸うごとに、会話を交わすごとに、葉(はっぱ)をふかすごとに。朝起きてからのことごとくが充足していた。無論、少女の出て行ったという事実は強く胸を締め上げる。それは悲しむべき事だ。しかし、そういった相反する感情の軋轢が僕をハイにさせていたのもまた確かだった。
「なにを弱気なことを。そんなもの一時的な感傷だよ。気付かない間に妙な愛着が湧いてしまったんだろう。よくあることさ。そしてそれら悲しみを綺麗さっぱり忘れてしまうことも、またよくあることじゃないか」
「そうかな」
「そうだとも! もちろん喪失の悲劇はそれぞれかげがえのないものだ。愛し慈しむべき大切なものだ。しかし僕らはいったい何度それを繰り返してきたのだろう。反復は感覚を麻痺させる。僕らは鋭敏にそれを感じ取り、増幅させ、全身に行き渡らせることができる。そうやって摩耗していかなければならないのだ。それが生きていくということじゃないか」
「そうか。そうだな」
 しかしその日Kは沈鬱とした面持ちを保ったままで、調子はいっかな戻ることがなかった。葉(はっぱ)の灰ばかりがうず高く積み上がった。

 翌日、再びKの元を訪れると、なにやら先客がいるようだ、あからさまに見慣れぬ外車が駐まっていて、町中にふっと猛獣が現れたかのような威圧を覚える。物音をたてないよう注意しながら玄関をあけると、奥から笑い声が聞こえた。その声はあくまでもなごやかなのだが、Kは笑ってはいない。
 客はよっぽど声が大きいらしい。玄関先にいてもなんと言っているのかはっきりとわかる。それにつられてか、Kの声もやけに大きい。ふたりの会話は手に取るようにわかった。
「あはは、いや、これであの忌々しいペンキ缶を見ることもなくなるというわけだ」
「まあ僕もスッキリしますよ。あの不労所得というやつは捨てがたいところがありますがね。しかしあれだけ大きな事業を背負って生きる、というのも大変だ。双肩に天蓋を抱くがごとしですよ」(おそらくこれは本心だろ。しかしうじうじとした話だ。まるで負け惜しみにしか聞こえない!)
「結構、結構。なに、私も君が憎くてやっているわけじゃない。ただあのペンキだけはどうにも我慢がならなくてね……」
「僕もあなたを非難するつもりはありませんよ、工場長」(こうじょうちょう。と、確かにKは言った)
「もちろんそれはわかっているとも。君は気の良い男だ。寛大で自由な人間だ。私とは違う。信じてくれるか? これは僕のまごうことなき本心だ。(信じます、とKは言った)ありがとう、ありがとう。君には先に忠告しておこう。友人としてだ。ビジネスを度外視した友人としてだ。私の工場はこれから大きな飛躍をとげる。その結果、瞬く間に都市は変容するだろう。数日もいらない。下手をすると一日にも満たないかもしれない。今日の夜と明日の夜が違う、ということもありえるのだ。あはは、気をつけたまえ」
「つまり、それは、あなたの芸術が完成する、ということですか」
「そうだ。その通りだ。私は余念なく進み続けてきた。これまでも。そしてこれからも。その一つの結末をここで成就しよう、とそういうことなのだよ」
 Kはなにも答えなかった。やにわに葉(ハッパ)の匂いが漂ってきた。
「君は面白い人間だった。ペンキのアイディアにははらわたが煮えくりかえりそうだったがね。しかし君らのような反都市的な人間と知り合う機会は、これまでの私にはなかった」
「そのような人間だという自覚はないのですがね」
「嘘をつくのはやめたまえ。いや、いい。とにかく、今回の決断がどれだけ辛いものだったのか、それを君がわかってくれれば私はそれで満足なのだよ」
「正直に言いますとね、わからないでもないのです。しかし、わかりたくはありませんね」
「あはは、いや、いい。それでいい。そうだ、例の幻覚剤はいるかね。またすこし作ってみたんだが」
「あれは欠陥品じゃないですか。ひどい吐き気に何日も悩まされましたよ」
「すこし改良したのだ。まあ騙されたと思って打ってくれたまえ。私の気持ちをすこしでも汲んでくれ」
「なぜそんな僕にかまうのです」
「言ったろう。君は面白い人間だ」
「馬鹿にしている」
「まさか!」
 ……これ以上盗み聞きすることはないだろう。と、僕は判断した。はからずとも彼のだいたいの事情を知ってしまったわけだ。そして彼の没落の避けられないことも、また決定的になってしまった。僕はそのことに対して同情的だが、それを嬉しく感じているのもまた事実だった。彼は僕と同じ所にまで引きずり落とされたのだ。誰の手によってか。運命によって。そしてまた、激情によって。それがたまらなく愉快だった。
 僕はそういった自分を否定したかった。より良く生きたかった。それも本心だった。両者は矛盾しながら僕の内奥に存在していた。対立することもなく、むしろ馴れ合うようにだ。
 一旦、K宅を出た。僕は都市に繰り出した。その内蔵のように複雑な道のりをふらふらと歩き回っていた。都市の様子は、獲物を絡め取る食虫植物を思わせる。それはひどく魅力的で、そのくせ尽きるところがない。
 僕が一歩を踏み出すたびに、蟻めらが無数に死んでいく。どことなく、その数は雨が降る前より多いように感じる。長靴はぬるぬるした。街ゆく人々、全員が同様に長靴をてらてらと生光りさせている。
 歩いているうち、ふと少女のことを思う。どういうわけか無性に泣けてきて。物言わず、音立てず、ひっそりと涙流す。
 喪失! それは僕らを摩耗させる。そして傷口に塩を塗り込むように、摩耗した僕らを嬉々として愛撫するのだ。繰り返し、繰り返し。執拗な反復はがそれを耐え難いものにし、同時に慣れ親しんだ気安いものとする。この矛盾に悩まされるのだ。悩まされるしかないのだ。
 ふいに道行く人を殴った。それはリーマン風のスーツを着た男だった。休憩中らしく、ゆったりと歩行しながら缶コーヒーを飲んでいた。殴られて彼は一瞬ひるんだようだったが、すぐに激高し、僕を殴った。僕も逆上した。殴り合いになったが、葉(ハッパ)で身体をぼろぼろにした僕はすぐに負けた。男はなお執拗に僕を殴った。僕もまけじと殴り返した。楽しかった。男も笑顔だった。鼻血が出た。額も裂けた。男の拳からも血がにじんでいた。お互いの返り血と蟻の死骸とにまみれて、僕らは殴り合った。警察が来るまで殴り合った。パトカーのサイレンが聞こえて、別れ際、僕らは固く握手をした。それからそれをすぐにほどいて、二度と会うことの無いように、と祈りながらそそくさと逃げた。喧嘩の痕跡を蟻の群れが即座に飲み込んでいく。


 ○語るにあたわず。

 K宅に戻ると、丁度工場長が帰るところだった。現実の彼の顔はこれといった特徴のない、道で会えばすぐに忘れてしまうような、そんな顔立ちをしていた。彼は僕を見た。僕も彼を見た。それだけだった。
「あれが工場長だよ」
 工場長の車が去ってしまった後、Kが近づいてきた。すこし笑っていた。愛想笑いのような作り物めいた笑みだ。
「商談にきたんだ。僕のペンキの流通をとめるように、とね。笑うといい。僕は破産だ。素敵なことだ」
「失踪していた、と聞いていたのだけど」
 彼が訝しげな顔をする。工場長のことだよ、とつけたした。
「そうなのか。僕は初耳だな。あまりラジオを聞かないせいかもしれない。まあ、なんにせよ僕はもう駄目だ。さ、あがってくれ。彼に新しい幻覚剤を貰ったんだ。改良したらしい。彼曰く、だがね。しかしものは試しだ。ここはひとつ賭けてみようじゃないか」
「気乗りはしないけどね。いいよ。付き合おう」
 Kが工場長の失踪を知らない、というのは正直意外だった。気にかかったが、考えても詮無いことだと、思い巡らすこともなく放置した。それよりも興味は幻覚剤の方に向いていた。口ではああ言ったが、改良した、という工場長の言葉に、期待を抱いているのを隠すのは相当な努力を要した。

 葉(はっぱ)と幻覚剤の効用で、僕らはひたすらに酩酊した。

 気がつくと夜だった。隣に半裸の女がいた。少女ではない。Kが呼んだ娼婦だ。残りの二人は部屋の中央で踊っている。それをKがはやし立てる。ラジオから響く低音の反復が高揚をさらに加速させていく。片方の女が扇情的な様子で服を脱いだり着たりする。もう片方の女はすでに脱ぎっぱなしだ。形のいい大きな乳房がたてに震える。
「ねえ」
 と、半裸の女が声をかけてくる。
「喉渇いちゃった」
「水でいいかな」
「うん。水道水でもいいよ。気にしない」
「それはよかった。この家にミネラルウォーターなんてないからね」
 僕がそう言うと、女は本当に驚いたように、目をまんまるに大きくさせる。
「へえ、珍しいね」
「なにが」
「水道水を飲む家って。最近あんまりないじゃない? ほら、アリとかの影響もあるし」
 友達がさ、鍋に水をくんでたら足が入ってた、って大騒ぎだったよ、こないだ。丁度ミネラルウォーターきらしちゃってたみたいで。と、女はつけたす。
「ああ、そういえば、もうそんなもの気にしなくなってしまったな。多少混じることはあるけど、飲んでしまうね」
「意外とおおざっぱなのね」
「意外かな」
「うん。もっと繊細そうな人に見える」
「そっか」
 台所へと行き、コップ二つに水をくむ。さいわい蟻の死骸が混入することはなかった。ガラスの婉曲が向こう側の風景を歪ませて映し出す。部屋へともどってきた僕は、半裸の顔をコップのフィルター越しに見る。こうしてアイコンを曖昧にさせてみると、どことなく少女の顔に似ていなくもない。
「いいじゃないか。いいじゃないか! いや、なかなかそそるね。あんな子にこだわっているのが馬鹿らしいくらいだ」
 気がつくと隣に工場長がいる。昼間見た本物ではなく、鳥類の顔をした、僕にとっては馴染みの彼だ。
「うるさいな。黙れよ」
 そう言ってから、もしや彼に話しかけたのはこれがはじめてではないのか、とハッとする。なにか大事な一線を越えてしまったような気がするが、あとには戻れない。
「なんだ。つれないな。昼間はあんなに楽しかったじゃないか。白昼堂々殴り合ってさ」
 言われて、僕はサラリーマン風の男について思いを巡らす。まさかあれも幻覚だったのか。しかし冷静に考えてみれば違うということはすぐわかるのだ。なんといったって警察まで出張ってきているのだ。幻覚沙汰に警察が出張ってこようはずもない。幻覚を殺したからといって逮捕された人間もいないではないか……。
「あれはあなたじゃない。まったく関係のない人間だ。現実の人間だ」
「キミって人はなんて興ざめなんだろう。まったくつまらない奴だ! ほんとうのことはわかっているくせに、気がついていないふりをしている。そりゃ悪徳だよ」
「ねえ。いったい誰と話しているの」
 と、半裸。そこで我に返って、薄ら笑いを浮かべ、なかば冗談めかして、
「いやクスリがききすぎちゃったらしくてさ」
 安心したのか半裸も笑う。笑った顔はどことなく蟻に似ている。彼女が少女めいた風貌を維持できるのは、コップ越しに彼女を見たときだけらしい。僕は水を飲む。蟻の体液をすすっているような心地だ。悪くない。女の隣に座ると、その柔らかい身体をもたれかけてくる。汗ですこし湿っている。しっとりと吸い付く。
「顔の傷、どうしたの? ずっと気になっていたんだけど」
 おずおずと、さぐるように女は言った。媚びるような上目使い。吐息が二の腕にかかる。
「別にたいしたことじゃないけどね。ちょっとした喧嘩だよ」
「あの人と?(半裸はちらりとKのほうへ目線をやった)」
「いや、知らないおじさんだ。三十から四十ってとこかな。こてんぱんにやられたよ」
「やられたの」
「ああ、やられた」
「だめじゃん」
 半裸はくしゃ、と顔をゆがめて笑った。その顔はやはり蟻を連想させる。
「あーあ、やっぱりこの子はだめだな。愛嬌はあるが、笑顔がよくない。なにかが足りないんだよな、ファックする気にもなれないね」
 工場長の言うことは全て無視だ。女の額に口づけする。
「わたし、傷のある人って好きなんだよね。なんでなのかな、ちょっと自分でもわかんないんだけど。守りたくなるっていうか。母性がくすぐられるのかな。キミはどう思う?」
「そんなの、僕もわからないよ」
「そっか。じゃあ、どうしようもないね」
「どうするもこうするも。こういう時にすることなんてひとつだ」
 目を閉じ、ふたたび女に口づけする。今度は唇に。しかし、感触がおかしい。硬い。輪郭線がはっきりとしている。まるで嘴のようだ。
 はっとして目を開く。愕然とする。半裸は頭が蟻になっている。なにか言おうとしているのだが、顎をかちかちと鳴らすだけで喋ることが出来ない。二本の触覚が僕の顔をくすぐる。まぶたを、鼻の穴を、額の傷を、愛撫する。
「あははは、こっちのほうが断然いいじゃないか。清潔で確固たる外骨格だ! すてきだ!」
「うるさい。黙ってくれないか」
「わかった、わかった。すまないね、黙るよ。私のことなど忘れて行為に没頭してくれたまえ」
 僕は半裸の乳房をなでる。あたたかい。やわらかい。肉だ。指に力を込めると、ずぶずぶ沈んでいく。ところが頬となると違う。触れると大理石のようだ。ひんやりとして、澱むところがない。
 半裸とキスをする。顎を舐める。半裸が唇を甘噛みしてくる。鋭い痛みが刺す。
 なんの感情もわきあがらなかった。しかし、奇妙な美しさがあった。僕は蟻と性交している。現実を凌駕している。あらゆる理性をおびやかしている。この交合によって、人知れず転覆を企てている。その美しさが、僕をとらえて離さなかった。
 挿入する。動く。すぐに果てる。半裸がかちかちと顎を鳴らす。何を訴えようとしているのか。中に放出したことに怒っているのか。
 だが、僕はもう萎えてしまっていた。性交直後に特有の、苦い爽快さをともなう空白に陥っていたのだ。僕は半裸に二言三言声をかけてから、そっと体を離した。それから水を飲んだ。一度、コップ越しに彼女の顔を覗いてみたが、やはり少女の面影は見えない。かちかち、と半裸はいつまでも顎を鳴らす。
「ずいぶんと派手にやったじゃないか」
 と、Kが軽口を投げかけてくる。いつのまにか、二人の女がKにまとわりついて愛撫している。Kは彼女らの頭を撫でながら、しかし刺激には無頓着な様子で僕に言うのだ。
「でもいいのか。万が一のことがあってみろ。あの子が怒るんじゃないか」
「かまわないさ」
「へえ、キミもあの子についてはもっと俗な考えをもっていると思ったのだけど、ずいぶん達観しているんだね。意外だ」
 僕はそれ以上は答えなかった。工場長がクスクスと笑ってくるので、その頭を殴ったのだが、彼が避けてしまったので、バランスを崩し倒れ込んでしまう。
「ちょっと、キミ、さっきから大丈夫なの?」
 Kの太ももを熱心に撫でていた女が心配げに聞いてくる。
「私は君たちにそう問いたいね! あは!」
 工場長が言う。僕も同感だった。しかしそれを叫ぶには遅かった。遅すぎた。僕はもう諦念しか持ち合わせていなかったし、それは彼女達だって同様だった。だから、代わりにピースをした。それから、あはは、と笑った。彼女達もあはは、と笑った。かちかちかち、と半裸が顎を鳴らす。


 ○語るにあたわず。

 午前三時頃から、明らかに蟻の数が増してきていた。それを最初に指摘したのは、他でもない半裸だった。彼女は畳の上を歩く数匹の蟻を捕まえて、僕に見せびらかしてきた。この部屋には葉(ハッパ)の毒が蔓延しているので、普通蟻が登ってくるはずがない。現に半裸の手につままれた蟻も、力無くあえぐように痙攣しているだけで生きている、という感じがしない。不審に思い、窓の外を見ると、水たまりのようになった蟻の群れがおしめきあい、ひしめきあい、波うっていて、居場所の無くなった何匹かが縁側までたどりつき、さらにそのうちの数匹が自由な空間をもとめて窓のわずかな隙間をくぐりぬけ、この部屋へと入りこんでいるらしい。
 僕は他の三人を手招きで呼び寄せた。女二人は眉をひそめた。Kは憎々しげに工場長の名を呟く。
「つまり、これが工場長の意図だということかな」
 僕がそう尋ねると、Kは小さく頷く。
「蟻の数はまだ増えるだろうね。彼は都市を蟻で飲み尽くすつもりだ。このあいだ、蟻とは激情の装置だと言ったね。あれは僕の考えなどではなく、工場長自身がそう表現していたのだ。ただの比喩だと思っていたのだが……」
「でも、たかが蟻でしょう」
 と、これは女のひとりが言う。
「そうだ。たかが蟻だ。蟻の群れだ。我々は蟻に敗北するのだ。おそらく、蟻の量は今後さらに増えていくだろう。工場が生産し続けるだろう。そして都市は蟻に埋もれるのだ。これはね、工場長自身の氾濫だよ。ただの蟻の群れなどと思わない方がいい。人ひとりの存在が、激情が、増幅され、拡大され、僕たちを襲うのだ」
 女達は心底から怯えあがったようで、ふたり身を寄せて、戯画めいた仕草で震えていた。彼女達が本気なのか僕は判断に迷ったが、考えないことにした。それよりも僕は半裸のことを見ていたかった。彼女はしだいに蟻へと近づきつつあり、四つん這いで部屋を歩き回り、二本の触手をたくみに操りながら、蟻を捕まえては僕の元へと運んできた。僕はそのたびに彼女の冷たい頬を撫でてやるのだった。かちかち。顎が鳴る。


 ○蟻の群れは洪水となり、都市は外骨格に沈んだ。蟻たちは家の中にまで進入してきたので僕らは屋外へと逃げるしかなかった。半裸の女は蟻の海を泳ぐようにして楽しんでいたが、やがてどこかへ行ってしまった。

 言い表しがたい感触に膝上まで浸かっていた。蟻たちの強固な輪郭は人間の柔らかい皮膚を傷つけていく。それらのひとつひとつこそ大したものではないが、絶え間なく執拗につきまとってきてくる。一歩踏み出すごとに粘着質の足音がする。くるぶしのあたりまでが黄色く濁っている。
「これはたまらないな」
 とKが笑う。張り付いたのをぬぐったのか、彼の額にはゴミクズのようになった蟻の死骸がまっすぐにこびりついている。女ふたりはさっきからキャーキャーとわめいてうるさい。不快そうな顔をして、Kがひとりを押し倒した。女は顔こそ沈没を避けたもの、その体は肩までどっぷりと浸かった。なお悪いことには、Kの持っていた一枚のTシャツをだぼつかせて着ていただけだったので、全身の素肌で蟻たちの蹂躙を甘受せねばならなかった。
「なにするの、このクズっ」
「性交だよ」
 険しい声をあげる女に対して、Kはあくまで笑っていた。笑っていたが、彼の行動は有無をいわせないものだった。女は組み伏せられたままだった。そしてそのまま、十分も二十分もKと蟻たちの蹂躙をうけていた。

 K自身も蟻まみれとなって、それでもようやく満足げな表情をしたとき、女は放心したような、宗教的恍惚にも似た表情をしていて、蟻たちを手に掬ったり、さらさらとこぼしていったりしていた。口の端からよだれが泡となってこぼれている。そこに蟻たちが殺到する。
「……つまり、蟻たちの尻からだされる分泌物自体が、ある種の麻薬にも似た陶酔を生むのだな」
 と、Kは言った。彼はKであるのと同時に工場長でもあった。頭の側面をぽりぽり掻くと、ピンクの羽毛が二本三本と抜け落ちていく。K(=工場長)は男根を屹立させたまま、ふたたび例の幻覚剤を噛み砕いた。
「この子はそいつにやられてしまったんだナ」
 そう言って、ふたたび頭を掻きむしる。
 もうひとりの女はとうの昔に逃げ出している。蟻たちの量はさらに増し、今では太ももの半ばにまできていて、このままでは蟻の群れに溺れてしまうことは必至であった。
「ひとまず逃げようじゃないか」
「逃げるっていったって、どこにさ」
「そうだな……、電車だ。電車に乗ろう。都市の外にさえ出てしまえばなんてことはない」
 僕は真剣に言ったのだが、K(=工場長)はけらけらと笑って、それから頭のてっぺんまで蟻たちの中に潜ってしまった。
「どうした? そんなことをしている暇はないぞ」
「こうしているとね、蟻たちがダニを食ってしまってくれるんだよ」
 僕はKを振り切って逃げた。走ろうとしたが、足下がふらついてうまくいかない。間違いなく、僕にも蟻の毒がまわっているのだった。ゆっくりと、歩くように、僕は前へ進んでいく。


 ○歩く。

 とにかく酩酊がひどい。意識はとぎれとぎれで、次から次へと異なる光景が降ってくる。街外れをさっきまでKと共に逃げていたはずが、今は自宅の中にいて、工場長と共に酒盛りをしている。女達とたわいもないことを話していたと思えば、電車の中でひとり孤独に沈んでいる。駐輪場で声を上げながらはしゃいでいると、つまづき、蟻禍の渦へと前のめりに倒れ込んでしまった。


 ○歩く。

 僕は少女を抱きたかった。肉体的に、というだけでなく、彼女の精神をすらこの腕に抱え込みたかったのだ。しかし肉体の輪郭がそれを許さなかった。ぶよぶよと柔らかい肉を僕は憎んだ。互いに精神のみの存在となってしまえばよかったのだが、それはできなかった。少女と肌を触れあわせているとき、そこには計り知れない空虚があった。快楽はすばらしいものであったが、それが不純なものであることは否定できなかった。その快楽を彼女と共有できているのだ、という考えだけが唯一の救いだった。何度となく肌を重ねたが、一点の曇りもない、といえるような性交は年に一、二回あるかないかで、それすらも多分の妥協を含んだ到達点であった。
 僕の病、決して押さえきれぬ歪な衝動はそこからきているのだろう。極端な表現が許されるならば、僕は少女の肉体を憎んでいたのだ。そしてその柔らかくぶ厚い壁を越えようと、無意味に、痙攣的にあがいていたのだった。

 無論、精神と肉体の不可分がわからないわけでもない。こうした欲求も、幻覚剤による酩酊がなければ気付くことすらなかっただろう。心臓が強く脈打っている。知覚の混迷がひどく、今見ているものが現実なのか幻覚なのかも区別がつかない。

 例えば、僕は河原に立っていた。蟻の流れる轟々としたとどろきに耳をかたむけ、そこいらを歩きながら金星を探していると、空からなにかが降ってくる。なにが降ってきたものかとそれをつまみあげると蟻で、それから堰をきったように、滝のように蟻が降り注ぎ、やがて青空が見え隠れしはじめると、夜の暗闇の正体が蟻によるものなのだと知る。ならば金星の正体とはなんなのだろう、と僕はKに尋ねる。Kは僕を組み伏せ犯している。全身がずぶずぶ蟻に浸かっていた。口を開くとそこへ蟻が雪崩れ込んでくるので、やめろ、ということも言えない。だからおとなしく返事を待っているのだが、一向に答えてはくれない。僕はKを川に突き落とした。飛沫があがる。蟻の体液や内臓の飛沫だ。K(=工場長)は蟻のとどろきに流されながら、けらけら笑って都市の魔術についてなにか講じている。詳しい話はわからない。もしかしたらそんなたいそうな話でもなく、ただ女王蟻の悲哀を叫んでいただけかもしれない。半裸の女も同じ事を訴えてくる。かちかちと鳴るだけの、話すことのできない顎で、僕にせっついてくる。Kの部屋で、僕は葉(ハッパ)を吸う。半裸は逃げ惑うが、いまこの部屋は蟻の洪水に浮かぶ方舟と化している。外に出たら溺れるので、だから無意味に部屋中を暴れ回ることしかできない。僕は笑いながら、半裸の顔をコップ越しに覗く。
 そこで金星の正体を知り、腑に落ちる。


 ○たどりつく。

 蟻の毒により精神は耳から体外へと流れ出したようだ(詳しい理屈は後ほど工場長が説明してくれるだろう)。人々の液体化した精神に沈んで、都市は坩堝と化している。無数の感情の明滅がまばゆく僕の目を覆う。僕は黄昏を思う。少女と見た美しい壮麗な黄昏を思う。都市はあの時の光景に似て、なお鮮烈だ。泣きそうになる。精神のなかでも特に柔らかい部分に、鈍く甘い苦しさがわだかまっている。泣きそうになる。なんだか愛おしくてたまらなかった。むやみに人を愛したくなって、その愛を誰彼かまわず、毒薬のように振りまいてしまいたい。愛は複雑な色をしているが無味無臭で、毒として用いるには申し分なかった。
 愛とは、と工場長が笑う。愛とはなんだろうね。僕はそれだけを探しているのだけれど。
 愛とは、と考える。すぐにでも答えられそうな気がする。いつまでたっても答えはでないのだ、とも思う。
 愛とは、とKは言う。そりゃあもう、性交だよ、そのものずばりさと笑う。しかし彼は本心からそう言っているのであろうか。貼り付けたような薄ら笑いに隠され、意図するところがわからない。
 愛とは、と考える。少なくとも、愛は我々とイコールで結びつきはしない。愛には肉体がないし、外骨格もない。輪郭がない。我々が輪郭によって存在を拡大しているのだとすれば、愛は内奥にどこまでも入りこんでいく重力のようなものだ。それは感情のまばゆい輝きすら捉えて離さない。いや、こんなもの、単なる言葉遊びにすぎない……。
 僕がいつまでも黙っていると、工場長はけたたましく鳴きわめきながら、羽毛をそこいらじゅうに散らして、どこかへ走り去っていってしまった。Kがその後を追う。僕は一人になる。その肩を叩くものがいる(液体状になっているので、正確には肩のように見えるところ、だ)。振り返ると少女がいた。一瞬、身構えたが、彼女は微笑んでいる。そうして言う。
「ごめんね」
「今までどこに行っていたんだい」
「ちょうど遠縁の親戚が隣町に住んでいたから、その人のところへ。無理言ってしばらく泊めて貰ったの」
「愛想をつかされたのかと思ったよ」
「キミのマネをしてみたんだ」
「マネ?」
 聞き返して、すぐに理解する。彼女は僕の悪癖について言っているのだろう。つまり、衝動に流されてしまう、例の悪癖についてだ。
「でも、キミを傷つける方法をわたしは知らなかったし、やっと思いついたのが家出しかなかったの」
「僕としては、ぜひ他の方法を考え出してほしかったけどね」
「傷ついた?」
「そりゃ、もう。存分に」
「やったね」
 と、少女は笑う。
「これでおそろいだね」
「そうだね」
 と、僕は呟いた。それから少女を抱きしめ、精神による交合を試みた。それは無味乾燥な、なんのおもしろみもない情事であった。肉の快楽がなかった。
「思っていたよりつまらないな」
 と、ぼやくと、
「わたしはこうなると思ってたけどな」
 少女はそう言って、笑った。僕も笑った。黄昏に溶け込んでいくときのような、いいようのない安らかさがあった。
 遠くで、近くで、無数の感情が渦を巻いている。明滅している。それは図鑑で見る宇宙に似ていた。否、それは宇宙そのものだった。工場長は宇宙を複製したのだ。人類は都市を造り、都市は宇宙を造る。そうやって宇宙は存在を拡大し続けてきたのだ。
「ごらんよ。これが宇宙の子供らしいよ」
「さっきからずっと見てるよ。綺麗だね」
 鳥のけたたましい鳴き声の幻聴がさざめいた。ぱんぱんに膨れあがった愛で世界の誕生を祝福したかったが、僕の矮小な輪郭では、せいぜい少女ひとりを愛でるにしか至らなかった。明滅のリズムが心地よく、僕はわずかな眠気を感じた。
「ねえ、わたし、ねむくなってきちゃった」
 僕もさ、とちいさく呟いた。眠気に引きずり込まれて、だんだんと意識が沈んでいった、次、目覚めることはあるのだろうか、とすこし不安になったが、あるいはそれもいいかもしれない。やがて訪れるのは、鮮やかな黄昏だ。
弥田
2013年04月02日(火) 23時52分39秒 公開
■この作品の著作権は弥田さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
むだにながいです。読んでくださった方々に感謝感謝。

この作品の感想をお寄せください。
No.4  弥田  評価:--点  ■2013-05-23 12:30  ID:ic3DEXrcaRw
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感想ありがとうございました。返信、大変遅れてしまいもうしわけないです。

>zooeyさん
 百枚前後の作品を書くのがひさしぶりだったこともあって、文章がいつにもまして拙い出来になってしまいました。もっと言葉を選び抜くべきだったかな、と反省です。
 ありがとうございました。

>昼野さん
 バタイユの思想の「過剰さ」をすこし意識してみました。そこで思考停止してしまって、深く掘り進めていくことを怠ってしまったようです。精進いたします。
 ありがとうございました。

>藤村さん
 もったいないお言葉であります。私事ではありますがこのたび小倉先生のゼミに入ることになりました。
 ありがとうございました。
No.3  藤村  評価:50点  ■2013-04-20 22:01  ID:sg12n8JFuiY
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拝読しました。
平伏平伏です。
とてもおもしろかったです。ふわふわと空のうえまでつれていかれるような気分でした。
No.2  昼野陽平  評価:50点  ■2013-04-11 18:19  ID:NnWlvWxY886
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読ませていただきました。

テーマが良かったなと。これだけのものを書くのは素直に凄いなと思います。バタイユの呪われた部分とか思いだしながら読んでました。
反面、小説的な面白みという点ではちょっと物足りない感もありました。イメージとかもっと面白くならないかなとか。

自分からは以上です。
No.1  zooey  評価:50点  ■2013-04-11 13:23  ID:LJu/I3Q.nMc
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読ませていただきました。

大変面白かったです。
それに加えて、琴線に触れる部分の多い作品で、
なんだかすごく好きだなと思いました。
私自身にこの作品について何か言うという力自体がないようにも思うので、大したことが書けない気もするのですが…。

なんというか、感情の抽象に切り込んだ作品だな、と思いました。
それが私自身の内奥とうまく呼応した(と思った)ときに、何とも言えない心地よさを感じました。
そういう、いろんな方向からの抽象への切り込みは、
最終的に、深奥にある愛の探究に集約されていく、という風にみえて、
そのダイナミックさにすげえなーと思いました。
倫理的な愛ではなくて、人間の深奥に存在する抽象的な愛の形を表現する、みたいな印象でした。

人間の激情から生まれる混沌は、表面的な存在拡大の手段であり、おぞましさを持つ反面、
それが宇宙の誕生へとなっていく、そこに感慨がありました。
そして大きな人間愛とか世界愛のようなものを感じました。
この作品に流れる理屈で説明できないような精神がとても好きです。

残念なのは、私自身の言葉の処理能力が低いために、
イメージを喚起するのに時間がかかり、
そのせいで100パーセント作品を楽しむことができていない気がするところです。
それもあってのことなのですが、作品自体が中盤少し間延びしてしまっているかなという気もしました。

が、そんな小さなことを差し引いても、大変素晴らしい作品だと思います。

ありがとうございました。
総レス数 4  合計 150

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