青い飛行船を求める旅


「おっぱーい」
 ぼくは歩きながら言った。足が砂浜に食い込んで、踏み出すたびに愉快な音を出している。
「うんこ」
 とまた言った。ぼくはそこら辺で拾った長い木の枝を持って、引きずりながら歩いていた。空は青く広い。大きな青い飛行船が世界の上を飛んでいるみたいだ。あたたかく心地よい風が海の方から吹いてきていて、それは青い飛行船の放屁のようだった。海の方からの風が飛行船の放屁なら、海は飛行船を泳がせる果てしない空の一部だ。海も空なのだ。なんとなくそう思う。海の雲が揺れてぼくの耳に、波のような音を聞かせている。なんだか楽しくなったぼくは、つい子供のようにはしゃいで、
「おっぱーい、ちんこちんこ」
 と言った。歩きながらふと砂浜を蹴り上げると、白い砂がぼくに向かって舞い上がって口に入った。口がじゃりじゃりした。けれどもこれは青い飛行船の糞だ。なんだかぼくは糞を許せて、唾をペッと吐いて一人で笑った。
 歩く先に打ち上げられたワカメがある。永い空の旅をしたワカメだった。
「きみ、顔に皺ばかり寄せて何を考えているんだい?」
 ぼくは近くまで歩くと彼に聞いた。
「きみは唖かい?」
 ぼくは彼にまた聞いた。不意に大江健三郎の、不意の唖、とかいう短編が頭に浮かんだが、難しいことは考えたくないから、ぼくはポケットにワカメを入れた。
「きみもぼくと行こう、すごく楽しいんだ」
 とぼくは彼に言ったが、彼はあれだから口では答えず、ポケットの中で頷いた。
 ポケットはいっぱいだった。ワカメもある、貝殻もある、ヒトデもある、後は忘れた。けれども全部がぼくの旅の仲間だった。大事な大事な仲間で、誰一人として欠けてはだめだった。
 ぼくは木の枝を引きずりながら歩いている。
「ふおおお」
 とぼくは不意に叫びながら飛び上がって、
「おまん…」
 と言いかけたところで恥かしくなってやめた。
 立ち止まり振り返ると僕の歩いた道筋を辿るように、木の枝が線を描いてくれていた。それは飛行機雲だった。だから砂浜も果てしない空で、ぼくは飛行機だったのだ。青い飛行船を追う飛行機だったのだ。ぼくの飛行船を追う旅は長くなりそうだけど、ぼくは今すごく楽しい。ぼくは飛んでいるのだから。
 ぼくはふわふわ飛んで、どこに着くかは分からない。それがすごく楽しい。砂浜も空で、海も空、ぼくは飛行機。それは心地よい眠りで見る夢に似ている。
 その内、雨が降ってきて視界がくろく滲んだ。嵐だ。足下がぐちょぐちょで上手く飛行出来ない。前で飛んでいる、青い飛行船も霞んで見える。風が強くなって、飛行船の放屁と混ざって訳が分からない。
 ぼくは蛇行して飛ぶ。顔にぽつぽつと雨粒が当たって苦しいが、決して引き返さない。前に進むのが旅なのである。前に進んで、進んで、その先に何があるのか分からないが、ぼくはたぶん頑張っている。その自分を褒めたい気持ちも浮かんでいる。
「楽しいたび」
 ぼくは裏声でワカメの気持ちを代弁した。ぼくは笑顔で走り出した。
 しかしその自己陶酔に似た幸福はすぐに終わった。というのもぼくは、砂浜の先で犬の散歩をしている傘を差したババァを見てしまったからである。ぼくはババァの事を全く知らない。けれどもババァが現れた事でぼくは「うんこ」も「ちんこ」も「おっぱい」も恥ずかしくて言えなくなってしまった。ババァはぼくという飛行機を落とした。ぼくは何も言えないワカメになった。それではもう、この旅も興ざめである。
 ババァの犬が雨に打たれながら排便している。軟便だった。ぼくも便意を催したから、家へ帰ろうと思った。ぼくは家へ帰りたくないけど歩き始めた。ポケットのゴミは帰り道のどぶに捨てた。
 手だけが海臭かった。


com
2013年03月20日(水) 12時46分54秒 公開
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No.9  山田花子アンダーグラウンド  評価:30点  ■2013-04-21 08:24  ID:BrBj.1iOdwk
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一度前に読みましたが、こう改めて読んでみると、この作品も凄いですね。
ワカメの気持ち。いい。こんな小説を目指したい。頑張ります。
No.8  com  評価:0点  ■2013-03-27 11:46  ID:L6TukelU0BA
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昼野さん
感想ありがとうございます。
そうですね、ラフな作風の方がしっくりきますね。詩的なセンスってどうやって洗練させたらいいのかあんまり分かりません、詩的な物でも読むとかですかね
これまでのぼくの作品で一番好きと言ってもらって嬉しいです、励みになります!
ありがとうございました
No.7  昼野陽平  評価:40点  ■2013-03-27 01:36  ID:NnWlvWxY886
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詩的ですね。
comさんの作品はけっこうかっちり構成つくってるものもあったとおもいますが、こういうラフな作風の方がなんというかしっくりくるかな、とか。
これはこれで良かったのですが、詩的なセンスはもっと洗練させる余地があるかなと思います。
これまでのcomさんの作品のなかでは一番好きな感じでした。
No.6  com  評価:0点  ■2013-03-24 12:21  ID:L6TukelU0BA
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藤村さん
感想ありがとうございます。
藤村さんの作品見て、面白ぇーって思ってたので、その方に好きと言ってもらえて嬉しいです。
度々こんな風な物を描くと思うので、その時はまたお願いします。
ありがとうございました。
No.5  藤村  評価:40点  ■2013-03-24 11:11  ID:sg12n8JFuiY
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拝読しました。
おもいきっていてさみしい。
あかるいのが泣けてくる。
なんてことないのに笑いが出る。
なんかそんな感じです。とてもいいと思います。妙に好きです。
No.4  com  評価:0点  ■2013-03-23 13:47  ID:L6TukelU0BA
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ぞいさん
感想ありがとうございます。
なんでもおまんこ、ですか。二人に言われたら自分でもこの作品がなんでもおまんこを想像させるように思えてきます。けれども、なんでもおまんこは好きな詩なので嬉しいです。あそこまで悩み事がどうでもよくなる詩に会ったことがありません。
最後、確かに表現が鋭すぎました。夢は徐々に覚める方がいいかもしれません。すごく参考になります。
疲れてる時におおらかで自由な物を描くのが、楽しいと知ったので、これから度々こういう路線に走るかもしれません。
ありがとうございました。
No.3  zooey  評価:40点  ■2013-03-23 13:11  ID:LJu/I3Q.nMc
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読ませていただきました。

実は私もふぬーんさんと同じで、comさんの作品から詩の「なんでもおまんこ」を連想したことがあります。
以前の「芳しき愛の囁き」です。
独特の大らかさ、自由さ、生命感、そういったものが根源的に生き生きと描かれていて、
それが似てるな、好きだな、と思いました。

今回の作品もやはり同じで、
主人公の大きな心が読んでいて大変心地よく、楽しかったです。
自分が飛行機だった、の部分は本当に自由さや解放感があって、ああ良いなあと思いました。

ただ、それがとても心地よいと感じていたので、
ラストのババァのところで一気に夢から覚めた感じになってしまいました。
狙って書いているのでしょうし、
この作品自体、そのギャップから、
意図されてすらいない無言の世間からの抑圧、というものを表現したものなのかも知れないのですが、
私は、ちょっと、それまでの内容に比して、表現が鋭すぎるかなと思いました。

もう少し、象徴的な、間接的な表現に変えると、
バランスがとれて私には読みやすくなるかも知れません。

ただ、ギャップがあるから良い、というご意見もありそうな気がするので、
いろいろな感想から取捨選択されるのがよいかなと思います。

ただ、私はこういう感性自体はとても好きです。
楽しく読ませていただきました。
ありがとうございました。
No.2  com  評価:0点  ■2013-03-23 03:35  ID:L6TukelU0BA
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ふぬーんさん
初めまして、感想ありがとうございます。
確かに主人公がオナニーしまくりかもしれません、その主人公のオナニーを描いたら勝手にこうなりました。
ワカメの描写を良いと言っていただき嬉しいです、飛行機も。

地面が海臭いってのも、いいと思います。むしろそっちがいいと思いました。
ありがとうございました。
No.1  ふぬーん  評価:40点  ■2013-03-23 00:08  ID:M.xvn985IKI
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初めまして、気になってたので、つい感想書いちゃいたくなりました。
ふぬーんです。
なんでもおまんこを想像したのは自分だけでしょうか。
でも全然違いますよね。全編オナニーですよね。オナニー自身ですよね。
でも爽やかすぎます。
よく分からんけど、ワカメの最初の描写が良いです。
飛行船になるあたりも好きです。

僕は手じゃなく、地面が海臭くなります。
総レス数 9  合計 190

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