体温の距離を縮めて |
昼となく夜となく大人たちは私を買いに来る。 お母さんの教えてくれた通りにすると大人たちはとても喜ぶ。 褒めてくれる。 洋服をくれる。 お金をくれる。 そのお金を日々の糧として私とお母さんは生きていた。悪いことだということは分かっている。けれど他にどうしろというのだろう。幼くして私は諦観に支配されていた。そこから救い出してくれたのが先生だ。 「君はそんなことをしなくていいんだよ」 初めて抱きしめられてうれしいと思った。 その日から私たち二人はずっといっしょにいる。 学校へ行ったことのない私のために彼が全て教えてくれた。だから私は彼を先生と呼ぶ。先生という言葉には特別な響きがあると思う。お父さんでもなく、お兄さんでもない。先に生まれた点は同じでも決定的な部分が異なる。 先生とは人生の師。 人生の道しるべとして教えを乞うべき人。 私は先生に出会えて良かった。 「これ、きれいです」 雑踏で私は先生のコートのすそを引っ張る。 私の視線に気づいた先生が店のウィンドウで華麗な装いに身を包むマネキンを見る。 困った顔で先生は笑う。 「でも、あれは女の人が着る服だからね」 そうか。 先生の一言で私は気付いてしまった。 私は男だ。 男は男らしくしなければいけない。可愛らしく着飾っていれば喜ばれた幼い頃とは違う。今さら男に戻れず、今から女になれず、なら私はいったい何と呼ぶべき生き物なのだろう。そして私はどんな存在として先生のそばにいれば良いのか。 私は、先生に対する自分の気持ちの変化を自覚してからずっと、ただの尊敬とは言い切れない気持ちを持て余していた。 言えない。 今の関係を壊したくない。 これ以上を望んではいけない。 でも諦められるだろうか。 私の料理を美味しそうに食べてくれる先生が好き。私の髪を撫でてくれる先生が好き。 好き。 先生が好き。 体温の距離をもっと縮めたい。 「学校ですか?」 唐突な提案に私は戸惑う。 先生がパンフレットを渡す。 「そう学校。もう君は俺を卒業していい頃だと思う。君の学力ならどこでも入られる」 そこは全寮制の学校。 学校へ行きたいというのは私の夢だった。その夢が叶う。 それなのにうれしくない。 私の一心は先生と別れてしまうことで占められていた。心臓が破裂しそう。全身で訴える。 「嫌です」 「どうして?」 「先生と離れたくありません。好きなんです。大好きです」 言った。 言ってしまった。 もう後戻りはできない。 私は訴え続ける。 「先生に拾われなければ今の私はありませんでした。先生は私の全てです。離れるなんて言わないでください。お願いです、ずっとそばに置いて欲しいんです」 涙で前が見えない。 それでも声の限り気持ちを言葉に換える。 やがて声が詰まった。 それを待っていたように先生が口を開く。 「俺も君を手放したくない」 私は思わず息をのむ。 信じられない思い。 一方で私は納得もしていた。先生が私を捨てるはずがない。私たちはずっと同じ道を歩んできた。それは出会った頃から変わらない。 体温の距離を縮めて私たちは初めてのキスを交わした。 |
クジラ
2013年03月11日(月) 16時38分56秒 公開 ■この作品の著作権はクジラさんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.2 クジラ 評価:0点 ■2013-03-31 19:56 ID:1uvxQElyDno | |||||
>東野春雨さん 題材が重い割に枚数が少なかったですね。 これは長編向けの話だったのだと思います。 いろいろと駄目な点の多い作品に目を通していただき、 ありがとうございます。 >山田花子アンダーグラウンドさん 感想ありがとうございます。 お言葉は嬉しいですが、 あまり参考になる作品ではないかと。 もっと良い作品がたくさんあると思います。 |
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No.1 東野春雨 評価:20点 ■2013-03-30 16:34 ID:29BjbIEMg3s | |||||
読ませていただきました。 一文一文が短く、テンポよく内容が頭に入って来ます。 内容というか、『私』の思考ですね。一人称の文章の巧妙なところは、登場人物からすれば当然の独白を、読者からすれば他人の独り言のはずなのに、あたかも自分自身のことのように思わせてしまうことです。語り手が自問自答すれば、それはそのまま読み手へも跳ね返ります。読み手は、書き手との間の齟齬を意識しつつも、感覚を共有していきます。 その点において、短文で感情を連続して綴ることで、句読点のたびに読者と『私』は周波数を合わせていくことができます。 この作品では、『私』が幼いためか、「先生が好き」という愛情と、「〜はいや」という拒絶、これら単純でわかりやすい心の動きが大きく描かれているため、いっそう感情移入しやすいです。 ただ、「親子そろっての売春」「体と心の性の不一致と葛藤」「大切な人との決別」という重く食べ応えのあるテーマが目白押しにして、このわかりやすさは、正直おかしいとも言えます。子供の『私』視点での描写だから難解な語彙がないとしても、すんなりと消化できる題材ではありません。僕は一大学生なので、売春の暗さも性の苦悩も別れの辛さも知りません。その僕がさらりと一読しただけで「ああなるほど」と思ってしまう。これは、少し奇妙なことです。 もちろん、こんなことを言い出せば、ノンフィクション作家しか認められないことになってしまいますが、僕の言いたいことは、文章で表さない、「行間の表現」をもっと読んでみたい、ということです。 長々と失礼しました。読み飛ばしていただいてもかまいません。僕も日々精進精進と自分に言い聞かせています。お互い頑張りましょう。 |
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総レス数 2 合計 20点 |
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