俺と僕 |
一 俺は仕事を始める あー、ホンジツハカイセイナリ、快晴なり。あちぃ。じりじりする。陽炎が揺れる。空が青い。容赦ない太陽だ。 ガキどもが缶蹴りをしている。 「タク君、みーっけ、1、2、3」 ブランコは鉄の音を響かせ、ジャングルジムからは笑い声が聞こえてくる。水遊びをしている男の子が二人。そんな木曜日の公園。そこが俺の仕事始めだ。 透明の四角形の建物に、緑の電話が置かれている。ケータイ全盛の中、密やかに生き残っている電話ボックス。そのドアを開けると夏の空気がむっとする。カバンから資料、それがクラスの名簿かメガネ屋の顧客情報か、そんなことは定かではない。とにかくそのアイウエオ順で一番目の文字の列を目でなぞる。眉を潜めつつ、電話をかける。 これから俺の名前は相澤直也、アイザワナオヤだ。 二 僕は実家に帰る 何処からか車窓は一変する。あれだけ灰色のビルが詰め込まれた所から、茶と緑が大半を占めるまでになった。僕は会社の営業をさぼって、つり革につかまっている。 「丸山ー、丸山ー」 電車を降りる。もう徒歩十数分で僕の実家だ。風が心地いい。ビルがその流れを邪魔しない。夏草の臭い。田舎の空気だ。ヒマワリがしなびた花びらを並べている。 あの時はとにかく都会に行けば格好いいと思っていた。何か道が開けると思っていた。でも、毎日毎日、嫌がるお客さんの前で、製品を売りつけようと必死に嘘をつくのに疲れてしまった。そう、疲れたのだ。 『相澤』という表札。僕の実家だ。僕は相澤直也だ。 鍵がかかっていないのに、中には誰も居ない。これも田舎だからか。台所に入る。大き目のテーブルに椅子が二つ。父と母の分だ。僕のはもうない。冷蔵庫には麦茶が専用のポットに入っている。それをグラスに注ぎ、飲む。ちょっとほろ苦い、懐かしい味だ。その時だった。 電話のベルが鳴ったのは。 三 俺は話しかける ベルが鳴り続ける。何しろ緊急事態だ。何回でも待ち続ける。十回、二十回、三十に至るまでに繋がった。 「もしもし、相澤です」 生気のない低い声だった。父の方か。 「オレだよオレオレ、直也だよ。ちょっとバイクで事故ちゃってさ。あっ、身体は大丈夫だよ。心配要らないよ。それよりお金がさ。警察官も来て大変なことになってるんだ。今、代わるよ」 「あのぅ」 声の調子を変えて 「もしもし相澤さんのお宅ですか。こちら四谷警察署の斉藤です。あの、ですね。息子さんがトラブルを」 「いや、あのぅ」 「何です?」 「直也は僕ですが」 「はぁ?」 「振り込め詐欺。オレオレ詐欺と言うものですか。もう古いものと思ってたのに、今もやってるんですね」 「そんな心外な。ちっ、違いますよ」 「だって直也は実家に居て、今話している僕ですよ」 何だと。恥じぃ。全身から、どっと汗が出る。よりによって本人の前で、こんな猿芝居を演じていたのか。 「何やってんだよ」 「え?」 「仕事とかあるだろ。何であんたが実家に居るんだよ」 四 僕は語る 「サボったんですよ。ショウもない仕事でしたから。毎日毎日同じ繰り返し。がっかりして、怒られて、人を騙して」 「騙すのはこっちの専売特許だった筈だけどな」 「何処でも一緒です。多かれ少なかれ、みんな嘘をついている」 「そんなもんか」 「そんなもんですよ」 深く息を吐く。 「もともと僕は嘘をつくのが苦手なんです。我慢して嘘をついても、それが顔に滲み出てしまうようで。だから営業成績もドベの方なんですよ」 「それで逃げたってわけかよ」 「えっ」 「実家にまで逃げたっていうのかよ。ホームシックにでもなったのかよ。くだらねぇな」 えぐられた感じだった。 「本当に何で実家に帰ったんでしょうね。色々なことに疲れたのかな。懐かしいものに触れたかっただけなのかもしれません」 少しの沈黙。ついで 「でも、甘えられる場所があるってのはいいな。俺なんか親父からカンドウされちまったよ。で、詐欺師の真似事してるわけだけどな」 「強いですね。僕なんかには無理だなぁ」 「何言ってんだ。仮にも社会人として、やってんだろう。あんたの方が立派だよ。俺なんかよりも」 「けど、落ちこぼれですよ」 「けども何もねぇ。あんた、自分が思ってるよりも、しっかりやってるよ」 知人の言葉ではそこまで響かなかっただろう。ただ、あかの他人だからこそ、他人だからこそ、響くこともある。心の底の方が暖かくなった。ありがとう、と言いたくなった。 五 俺とアイスクリーム 何をやってんだ。俺は。こんな商売にも為らないやつ相手に。それよりも今すぐ電話を切って、次のターゲットに狙いを絞るべきだろ。なのに 「暑いなぁ」 「えっ? はい。そうですね」 「こういう時はアイスを食べたくなるよなぁ。こう、ラムレーズンとか。スイカバーとか。サーティワンのトリプル乗せとか」 「ああ、あのコーンの上に三つアイスが乗っているやつですね。でも、あれ、もの凄く食べづらいですよ」 「本当に食べたのかよ。いいな、ブルジョワは」 何を話してるんだ。 「中学生のときですよ。その日で人生終ったら、何をしようかと考えてたら、そんな贅沢が。そういや、あの日も暑かったなぁ」 もう止めろ。 「結局、アイスが溶けていって、一番上の一つがずれ落ちそうになって、必死で手で支えて」 もういい。 「あの時と変わってないなぁ。結局、僕は僕のまま、この年齢になっちゃたんですよ」 ああ。 「わかったよ。じゃあな」 受話機に叩きつけるようにして、電話を切った。額をぬぐう。気がつけば汗でびっしょりだ。まったく無駄な時間だった。何をしようとしてたんだ、俺は。 幕間 僕と俺 ツーツーツー。突然、電話が切れた。 いや、しごく真っ当な対応か。こんな僕の身の上話、一銭の得にもならない。 一旦台所に戻って、麦茶のおかわりをする。冷たい。一つ、風が吹いた。ちりぃん、ちりぃんと、風鈴が鳴る。 顔も名前も知らないが、もう一度、声を聞きたいと思った。無骨そうだけど、根はいい人だと思うから。不思議と、電話のある玄関口まで来てしまっていた。今すぐにもまた電話が鳴りそうな。そんな気がした。 電話ボックスから出る。柔らかな空気。久し振りの開放感だ。俺はそのまま隣のジュースの自動販売機へと歩を進める。 ある人が言っていた。運命は自動販売機みたいなものだと。お金を入れる。そこまではいい。だが、買いたいジュースを選んだとき、運命は決する。ゴトンと落ちてくるジュースは、既に定められている。変更なんか出来ない。あれだけ有った可能性は、ゼロになる。 それはともかく、コーラにしようか少し迷って、アイスコーヒーのブラックを選んだ。缶が冷たい。 乾いた喉に染みる。暑さと会話で、喉がカラカラだった。あの相手も、相澤直也もそうだったのだろうか。 ふと、思う。このままで良いのかと。 6 僕には言いそびれたことがある 「もしもし」 「ああ、俺だよ。俺」 「何でまた?」 「ほんと、何でだろうな」」 意外ではなかった。ただ、伝えたい言葉がある。その声を聞いた時、僕は震えた。 「あんた、趣味は?」 「えっ、いや、特には」 ぎこちない、だんまり。 「無趣味ですいません。読書、とか言えばいいんでしょうけど」 また、だんまり。 「じゃああんた、好きな映画は?」 「えっ?」 「無趣味でも、何か好きな映画ぐらいあるだろう」 少し間をおいて 「ショー・シャンクの空かな」 「あの刑務所の、最後にどんでん返しがある」 相手も知っているようだった。 「そう、空と海が綺麗で。それで、あなたは?」 「俺はサイダー・ハウス・ルールだよ」 「さいだー・はうす・るーる、どんな映画なんです?」 「優しい嘘もあるって映画だよ」 「はぁ」 「今度、観てみるといい」 「今度、ですか。今度。僕にはあるのかなぁ。実を言うと僕はこのまま終ってもいいと思ってるんですよ。世界は僕が居なくても平然と回っている。平然と明日を繰り返す。なんなら僕みたいなちっぽけな存在は消えていってもいいかなぁと。生きるというのは地球の、いや宇宙というキャンパスに、ただ一つゴミくずみたいな点を付けているに過ぎないんじゃ」 「聞こえねぇよ!」 「えっ?」 「くそっ! 夕立だよ! 通り雨だよ! 通り雨が電話ボックスを打ち付けて、聞こえねぇんだよ! こんな、か細い声!」 7 俺は仕事を終える 頼むからそんなしみったれたこと言うなよ。 人生に疲れる、絶望するには早すぎるだろ。 まだまだ、これからだろう。 赤い空き缶が跳ね、地面にバウンドし、転がる。弾んだ声がワッと重なる。 ガキどもが五月蝿い。 空が青い。 快晴だ。 「くそっ! 夕立だよ! 通り雨だよ! 通り雨が電話ボックスを打ち付けて、聞こえねぇんだよ! こんな、か細い声!」 快晴だ。 「いいか、また一からやり直しだ。終ったらウルセェでも何でも言って、電話を切りやがれ!」 「えっ?」 いくぞ! 「オレだよオレオレ。直也だよ。急に声が聞きたくなって。ああ、最近調子悪いんだよ。少し。でも元気だよ。元気にやってるよ。心配しないで。ただフトコロがさぁ。金足りてないんだよ。ああ、でも大丈夫だよ。心配することなんてない。あと、ちょっと疲れちまってるかな。仕事がさぁ、大変で、向いてないのかもしれないなぁ。でも足掻いてみせるよ。最後まで踏ん張ってみるよ。それで駄目なら駄目でさぁ、再就職すればいいんだし。とにかくこっちは少しの浮き沈みはあるけど、元気だよ。とにかく元気でやってるよ」 つばを飲んで、受話器に耳を押し当てる。 そして、しばらくの後 「ありがとう」 声が震えていた。 「なっ、何言ってんだよ。さっさとオレオレ詐欺さんご苦労様、って電話を切れよ」 「ありがとう。もうちょっと、しっかり生きてみる」 「もう、俺には何も残ってないぞ。さっさと切ろ」 「電話を切ったら、また会えるかな?」 それは無理な相談だ。 「そりゃもう会えないだろうな」 「そうですね。じゃあ切りますよ」 「ああ」 沈黙がきまずい。 「さっさと切ろよ」 「最後にもう一度言いたいんです。あなたに会えて良かった。ありがとう」 「ああ、じゃあな」 「ええ、さよなら」 電話は切れた。 終幕 俺と僕 電話ボックスから出る。夕日が真っ赤だ。憎らしいほど赤い。ぎらぎらとしている。 その光に目を細めつつ、要らなくなった紙くずを、ゴミ箱に放り投げた。とにかく今日は何時もより早めに寝よう。明日からはハローワーク通いだ。ったく、何やっても駄目だな。俺は。 結局、父と母は帰ってこなかった。でも、今の僕の顔を見せても、恥ずかしくなるだけだろう。今度は堂々と里帰り出来るようになろう。夕日はオレンジ色だ。何処かであの人も見ているのだろうか。とにかく精一杯生きてみよう。そう思った。 |
えんがわ
2012年12月23日(日) 19時06分09秒 公開 ■この作品の著作権はえんがわさんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.4 えんがわ 評価:--点 ■2013-01-01 00:40 ID:43Qbmf87t4Y | |||||
うわー、お久しぶりです。あけおめです。 初期のレスポンズを貰えなかった立ち食いや募金缶にコメントを頂き、とても嬉しかったことを覚えてます。今でも、もがいてるのですが。 とにかく台詞中心って感じでやってみました。あー、心地いいお言葉をいただきありがたいです。 でも、もうちょっと微細な描写や繊細さがあってもと、反省してしまいます。 劇ですか。ロクに劇なんて観ていないのに、少し意識してみました。うーん、でも場面場面が短すぎて、ダメ出しされそうっす。 自分は黒いところで、黒いことをやっているのですが、絵とか付くと反応がまた違うみたいです。(何か曖昧ですいません) |
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No.3 帯刀穿 評価:30点 ■2012-12-31 10:22 ID:DJYECbbelKA | |||||
独自性の強いシナリオ作りは健在のようで、何より。 文章を描写ではなく、飽くまで台詞にしたのは、電話でのやりとりという形態を取ったからだろう。しかし、下手に要約してしまうより、やりとりのほうがわかりやすい性質なら、やりとりを選択したほうがいいだろう。 戯曲として成り立ちそうな内容なので、やり方次第では演劇にも使用可能だろう。いなければならない人数も少なくて済む。 戯曲を載せているようなサイトがあったかどうか、記憶に定かではないが、演劇をしている人々に一読してもらい、評価を聞いてみたい気がする。 |
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No.2 えんがわ 評価:--点 ■2012-12-27 19:28 ID:43Qbmf87t4Y | |||||
わー、RAWさんだ。毎度、微妙な文章に目を通していただき、ありがとうございます。ありがたいことだー。 すっきりしたと言うか、精緻な描写を元から出来ず諦めて、話すように、テンポ重視で書いてしまった感があります。 それはRAWさんの感じてくれたいいところかもしれませんし、逆にややライトといった深みの無さに出てしまったのかなーとも思います。 もうちっと再読に耐えられるものを目指したいなーと。 キャラクタは微妙な感じを出したかったのですが、うん、こう受け取ってもらって嬉しいです。 勉強しまっせ。「おらおら、安いからって気軽に手を出すんじゃないわ、ボケ。社会の勉強させたるわ」って感じだったんでしょうか。 何か悔しそう…… うーん、自分は得点も30点しか付けれないし、感想返ししか出来ないのですが、気軽に感じたことをコメントしてくださると、弾みます。 ありがとうです。 |
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No.1 RAW 評価:40点 ■2012-12-25 22:32 ID:3.rK8dssdKA | |||||
読ませていただきました。 面白かったです。 ワルになりきれない詐欺師、少し気の弱い主人公、すっきりした描写(なんて言っていいのかなあ?)が心地よく、テンポが良くて台詞の掛け合いも良かったです。街と田舎のイメージもすっと入って、賑やかな子供たちというアイテムも良かったです。ラストも、両親が帰宅しなかった所に何故か味がありました。 気になった所も無いのに点数は辛目ですが、ややライトかな、という感じですみません。 余談ですが僕が無職の時、勉強しまっせと書いていた自動販売機に110円入れるとランプが消えシステムダウンし、お金も戻って来ませんでした。余談ですすみません。 投稿サイトなのにこういった作品に出会えると、なんだか元気をいただいたみたいでうれしいです。 失礼しました。 |
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総レス数 4 合計 70点 |
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