無題 |
Aの部屋の格子がすこし空いていた。隙間の奥の闇がかすかに白んだ。 正月開けの、十五日目の月が刃のように冴えてみえる時分であった。 玄関にはいり、客間から暖簾ごしに顔を出したAの母に来意を告げた。 Aの母は奥へ引っ込み、しばらくするとまた顔を出しておあがんなさいといった。 Kは何度もここを訪れているが、こう愛想なくあしらわれたことはなかった。これまでHと一緒にきていたのが、今日は一人できているからかもしれない。 Aの母の印象を悪くした理由について考えてみたが、思い当たることはない。とはいえ、不快も不自然も感じなかった。 靴箱の上に置いてある首の細い青白磁が、電球の昼色光を受けて艶やいでいた。梅の枝が活けてあるのを見たことがあるが、今はない。すぐそばで松虫が鳴いていた。 客間に入った。Aは降りてきていなかった。まだ二階の自分の部屋にいるらしい。ソファの隅に腰を沈めて、Aを待っていると、Aの部屋がかすかに白んだことが気に懸かりだした。 今日のような寒い夜に息をはくと目の前が白くなる。その感じに似ていた。 Aは格子が開いていたより少し奥にいて、光の入る加減で、吐息だけが星明かりに照らされてみえたのだろうとまず思った。 玄関に入る前に見上げただけだから、部屋の暖かな風が外気にふれて白くなったのかもしれない。 しかし、白んだのが吐息だったと想像したあとでは、常識の許す結論に身を寄せることは、Kにはむしろ難かった。 指を組んで佇む女が闇に紛れている。姿はみえない。 女は外に目を落としているが、なにも見ていない。 女はいつまでも動かない。吐息だけが女を証すものとして規則的に明滅している。 その架空の場景を、飽かず眺めていているうち、女と、いまの自分の姿勢の相違にKはふと気付いた。 Kも女と同じように指を組み、俯くようにして目を落としている。座っているか立っているかの相違であった。 すでにして女はAではなかった。 Aはまだ二階から降りてきていなかった。 KはAに頼まれていたものを机に置いて、黙って屋敷を出た。 |
新地
2012年10月21日(日) 10時11分06秒 公開 ■この作品の著作権は新地さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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