棒と穴 |
「男と女は棒と穴」 昨年亡くった父は時たま呟くように口にした。初めてその言葉を耳にしたのは僕が幼い頃であったから特に気にも止めなかったが、中学生ぐらいの下の話を理解できる年齢になると、父がそれを口にする度に軽蔑したものだ。 一度父にそれはどういう意味か、と問うた事がある。父はヘラヘラ笑いながら言った。 「大人になったらわかる」 大人になったら分かる… 高校生ともなれば僕にも彼女が出来る。彼女は顔こそ可愛くはないが性格が実に好みであった。高校生らしい情熱でもって僕は彼女に告白し見事に成功を遂げた。あの喜びは今でも忘れられぬ。 付き合いたての僕たちは恥じらいを持って、表面的にはお互いを少し遠ざけてはいたものの、時たま夕日に照らされつつ一緒に下校したり、休日には互いの家に遊びに行った。そのまま一年の時が経つ。付き合っては別れるを繰り返す学生の中で、僕たちの付き合いの長さは少しの注目を浴びた。時に接吻の噂が流れ、時に性交の噂が流れた。だが彼女と接吻はおろか、体に触れることにすら僕は臆しているのだった。かくして付き合いは長いが一向に二人の間柄は発展せぬという事態へ陥り、それにひどく僕は辟易し、自らの脆弱さを呪う事もしばしばあった。 付き合い初めて二年目の時である。 行為の発展はないが、二年もの時を経ると雪が積もるみたいに徐々に僕たちの間柄は親密になっていく。喧嘩もすることもあった。だがそれは僕にとっては遠慮のいらぬ間柄を鮮明に示す証拠なのだった。 彼女の家に呼ばれたある日、僕たちは初めて抱擁しあい、初めてキスをした。 そうしてお互いを貪欲に求め合う思いが僕たちに芽生え、唇同士だけだったキスも舌と舌を絡め合うようになった。そして、冷え込んだ冬のある日、僕たちは性交した。 僕の上で淫らに腰をうねらせる彼女は何よりも愛しく思い、そして快感もあり、喜びもあった。彼女も僕と同じように思っていたに違いなく、二人は性交の魅力にぐいぐいと惹かれる。 とにかく僕たちは厭きずに性交した。性交後の彼女は僕に抱きつき 「だいすき」 と口にしたことがある。勿論僕もであった。 喧嘩をしたときも僕たちは性交し仲直りした。一度、僕が他の女と遊び回った時期があった。僕は彼女を愛していたが、その女も愛していたし、その女の方でも僕を愛しているふうであった。その女との浮気関係が彼女の耳に入った時に、彼女は怒り心頭の様子で僕に電話をかける。 「家に行くから直接話そう」 彼女の了承を得、僕は彼女の家に行った。僕は強引に彼女を性交へと誘い、まんまと彼女は僕と性交する。その後、怒り心頭であった筈の彼女は僕の胸に顔を密着させて泣き始めた。そのとき僕は 「ごめんね、もうしないから」 と、彼女をなだめ、目の前でその女の連絡先を消した。 彼女は納得し、気分も落ち着いたようで、再度僕たちは性交した。 その日の帰り、僕は一人呟いた。 「男と女は棒と穴。男と女は棒と穴」 僕は大人になったのである。 父は病を患っていた。僕は大学四年生であった。病に蝕まれて行く中、気丈に父は振舞った。 ある日父はお馴染みのニヤけた顔で 「おい、彼女おるか?アレしたか、アレは。彼女とイイことな」 「したよ」 「で、どうだった」 僕は恥ずかしくて何も答えられず、言葉を発したのは父で 「あんまり調子にのるなよ、糞ガキ」 と大きく笑った。 「ガキじゃないよ」 「なら大人か。いや違うな」 そんな会話をした日から一年も立たぬ内に父は亡くなった。夏のことである。 僕たち家族は父の死をひどく嘆いた。棺桶に眠る痩せこけた父の頬を撫でて母が泣きながら言った。 「なんで、死んでしもうたんよ」 父は死んだ。 大学を卒業しても、僕と彼女の交際は続いていた。お互い会える距離ではあったが、仕事により会える頻度は少なくなった。会える日には彼女の家へ行き、性交で貴重な時間を消費した。僕は性交が好きであった。 滅多に会えぬから夜は電話した。最初の頃は毎日、毎日、決まって夜十一時に彼女から電話がかかって来るのだが、彼女の仕事が忙しくなるに連れて、徐々に電話もする事が無くなり、僕たちの繋がりは薄まっていく。 たまにする電話はお互いを憎み合っているかのように喧嘩へと発展した。その度僕はやはり会社まで休み彼女の家へと行き性交したのである。 夏の盆に近いその日も、僕は彼女と喧嘩し、性交での仲直りを求め彼女の家に行く。 いつになく真剣な眼差しの彼女は椅子に座って僕を睨む。僕は彼女に近づき、なんとか性交へと進もうとボディタッチを試みる。 「やめて」 僕の手は強く振り払われた。 「いっつも、あなたってエッチでどうにかしようとするわね。それ以外でどうにか出来ないわけ?」 「そんなわけじゃないよ」 「じゃあ、あなたが私との喧嘩をエッチ以外で解決した事があるの?いっつもいっつも、エッチばっかりで。それしか脳が無いわけ?それに私はいつもあなたと会える事を楽しみにしてたのよ。それでもいっつもエッチエッチ。他の楽しみだってあるわよね。あなたって私の体しか愛してないんでしょ?」 彼女は目を赤くし言った。 「ごめん」 僕はこういうしかない。 「あなたは私の気持ちを全然知らないわ。私達、少し距離を置きましょ。それがいいわ」 「うん」 「男と女は棒と穴」 父の墓はそう僕に語りかける。 彼女との距離を置いて三日目である。盆で実家に帰省した僕は父の墓の前に座り手を合わせる。隣にいる母も一緒に手を合わせる。 「今年で父さんと結婚して丁度三十年目ね」 と母は静かに言った。 「そんなに経つんだ」 「えぇ」 「父さんのどこがよかったの?」 「さぁわからんね。急にプロポーズされて、あんまり考えずに結婚したからね。指輪も渡されちゃったし」 母は額の汗を白いタオルで拭う。 僕は呟いた。 「男と女は棒と穴」 「え?」 と母が言った。 彼女は皮肉を口にする。 「また、この後にエッチしてどうにかする気でしょ」 「違うよ」 「じゃあなに」 「いや、まず謝ろうと思って。ごめん。もっとお前の気持ち考えるよ」 「ほんとに?」 「うん、ほんとに」 「反省してる?」 「してるよ」 「分かったわ。じゃあ、エッチじゃないことしてね」 彼女は久しい笑顔を僕に見せた。 「わかってるよ。じゃあさ」 僕は汗ばんだ手で鞄をまさぐる。そして自然体を装って言う。 「あのさ、結婚してくれない?」 緊張で手が震えていた。 僕は輝く指輪の小さく丸い穴を、彼女の差し出す、棒のように細く白い指に通し始めた。そして短く長い時を経る。 僕は指輪を通し終わる。 彼女が優しく微笑む。 そんな幸福を前にして僕の頭上を旋回する言葉はやはり、 「男と女は棒と穴、男と女は棒と穴」 |
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2012年10月17日(水) 04時05分20秒 公開 ■この作品の著作権はcomさんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.6 com 評価:--点 ■2012-10-28 16:13 ID:.FdyIjK459A | |||||
蜂蜜さん 感想ありがとうございます! よかった…酷評が来るのではないかとビクビクしておりました! なるほど、『空気感』ですね。もっと意識して書きたいと思います。ありがとうございました。これからもお世話になります。 |
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No.5 蜂蜜 評価:30点 ■2012-10-28 10:04 ID:fxD0PHpbJtA | |||||
面白かったです。 よしもとばななさんが、『棒と穴』について、『デッドエンドのおもいで』(?……記憶あやふやです)という短編集の中で、とても素晴らしい描写をしている短編があるのですが、残念ながらタイトルを忘れました。 でも、それとも違う感じで、良かったです。 ただ、一点だけ気になったのは、全体的に密度が薄くて、描写不足で『空気感』の演出が足りないかなあ、と思ったところです。 小説は、けっして字を読むだけではなくて、読書を通じて、読者の中に、ある種の立体的な空間が広がりますよね? そこには温度もあれば、湿度もある、いわば我々の住んでいる空間とあまり変わらないんです。 そういった、文学空間における、空気感の演出がもっと巧みだったら、さらに良くなるんじゃないかな? と思いました。 ともに、切磋琢磨していきましょう。 今後とも、よろしくお願いします。 |
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No.4 com 評価:0点 ■2012-10-23 22:54 ID:L6TukelU0BA | |||||
がらがらさん(内田さん?) 感想ありがとうございます! 専らアイデア一つで考えず書くのでいつも自分の書いたものを見て変な感情に苛まれます。もちろん、これもでした…。確かにでこぼこですね、アンバランスって言うかそんな感じですね。 ご指摘ありがとうございました |
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No.3 がらがら 評価:40点 ■2012-10-23 21:23 ID:oE2tK3DWyuo | |||||
面白かったです。 けども、文章がいつもの感じじゃなく、デコボコしてるような。 デコボコさせてるんではなく、失敗しちゃったんじゃ? おそらくは、リフレイン(させたい気持ち)と、あと方言?っぽいものに引っ張られてしまって、ミスってるかもと思いました、です。 とか。 |
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No.2 com 評価:0点 ■2012-10-21 23:37 ID:L6TukelU0BA | |||||
星野田さん 感想ありがとうございます! 結婚前に指輪って渡すのかな…?結婚とかよく分からず荒くなってしまいました |
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No.1 ほしのた 評価:40点 ■2012-10-21 22:40 ID:p72w4NYLy3k | |||||
まさかの爽やか・・・! という冗談は置いといて、これは意外と盲点というか、いい落ちだったと思います | |||||
総レス数 6 合計 110点 |
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