Maybe we can think up some good idea |
クリフォードは、このところ二冊立て続けに読書に失敗していたので、というのは、つまり、二冊とも途中でどうにもつまらなくなってしまい、投げ出してしまったので、次の小説選びはほんとうに慎重にならざるをえないなと考えていた。 クリフォードの読んだそれら二冊は、共に八百枚を超えるなかなかぶ厚いものだったが、ぶ厚いだけに三分の二ほど読んでも未だにつまらないというのは、致命的であった。もっとも致命的に読書力がないのはクリフォード自身の方なのかも知れないのだが。 そんなこんなで、図書館やブックオフで物色しているものの未だに次の読みたい本が見つからないクリフォードは、とにかく「お話」に飢えていた。 そんな折、クリフォードに「アラビアン・ナイト」みたいなお話会への招待状が届いた。 招待状といってもただのメールに過ぎなかったが、実はフィルターで弾かれて迷惑メールのフォルダにそれは入っていたのだった。 都市伝説でも童話でもジュブナイルでも、艶笑小噺でもなんでもいい、とにかく俺らはお話に飢えているのだから……という主催者の素晴らしい前口上のあと、お話会はスタートした。 車座になったクリフォードたちは、右回りでひとりずつ話していくことになった。面白い話がむろん、いちばん良いわけだが、テレビでやっているような滑らないレディメイドな話ではない今この場で即興で作ったものをいちばんこの企画は求めているのであり、よってそれほど完成度は高くなくとも、そのアドリブ性の高さの方を重視しているようなのだ。完成度は、あとで高めていけばいい。だから、勢い辻褄が合わなかったり、支離滅裂なものもないではなかったが、それはそれでまた味があるのだ。 お話はどんどんと進み、次の次でクリフォードの順番がやってくる。クリフォードは、じっくり時間をかけても駄目なのに即興でお話が作れるわけもなく、何のネタも仕込んでこないまっさらな状態だったので、とにかくはじめは、ごく短いものを何本かアドリブでやり、最後の方でまた順番が廻って来たならば時間切れの朝まで話続けられるほどの長い話をと考えていた。 たとえば、登場人物を五十人くらいにして、ストーリーもなにもない、それらの長台詞だけで構成して朝までなんとかもたせようという試みである。それは、卒業式で行われる在校生からの送る言葉のようにひとりひとりに結構な長台詞のある、れいのやつのように。それをクリフォードは声音を変えてひとりでやろうというのだ。 ところで、蛇足になるが、卒業式の在校生の送る言葉の本番で、自分の番が来たにもかかわらず、勝手に劇的効果を高めようとの演出を為そうと結構長いインターバルを空けたものだから、在校生全体がざわつきはじめ、次の人が先に台詞を述べてしまい混乱が混乱を呼び、雪崩式に崩壊して式全体が台無しになったというおぼろげな記憶がクリフォードにはある。 そして一度目は、バスガスバクハツ的な超短い早口言葉系でなんとか誤魔化しおおせたクリフォードに、いよいよ、二回目が廻ってきた。そして……。 * むかしむかし、そのまたむかしのむかしむかし。 とある村にタキオンゼルロペというホモセクシャルな男の子がいました。タキオンゼルロペは、誰にも理解されない自分のホモセクシャルな性癖を悔やみに悔やんで、とうとう恋人のヤンと駈け落ちする約束をしたのでしたが、駆け落ちの当日、ヤンはいつまでたっても約束の場所には現れず、文字通り途方に暮れたタキオンゼルロペは、一緒に連れてきた愛犬のタロウにこんなことを言うのでした。 「タロウ、ぼくはもう生きてゆく気力がない。いっそのことあの谷底に落ちて死んでしまった方が生きていることよりも辛くないのではないかなどと思うんだよ。なぜぼくたちは愛し合っているのに男同士だからという理由で後ろ指を刺されなければいけないんだろう。いや、もういい。どうだっていい。とにかくぼくはもう何も考えたくはない。くたびれてしまったんだ、心底この人生に。さあ、タロウ死出の門出に何かおまえたちの歌でも歌っておくれ」 すると、タロウは、グルルルルと唸ったかと思うと、前足を揃え顔を見事な満月にまっすぐ向けて、朗々と歌うように吠えはじめました。タロウという名前は土佐犬とか柴犬みたく純和風でしたが、輝ける素晴らしいシルバーグレーの毛並みを誇るれっきとしたアフガンハウンドでした。今、その彼が崖っぷちに立つロンリーウルフのように遠吠えをはじめたのです。 高く低くワォーン、ワォーンとタロウは遠吠えすると、今度は、声をひそめて詩を朗読するように、あるいは歌を歌うように語りはじめました。 さてここで、タロウは主人であるタキオンゼルロペを勇気付けるために、こんなことを語っていたのでした。 バウバウ。 プラトンの「饗宴」のなかで、アリストファネスという喜劇作家がなかなか面白いことを言っていたのを思い出しましたよ。それは神話らしいのですが、もともと人間というのは、個の存在ではなく、コインの表と裏のように、ふたりでひとつだった、というのですね。つまり、その組み合わせは、男と女はむろんのこと、男と男・女と女の三つのパターンがあるわけですが、この三種類のいわゆるヒトは、とても強くまた賢く、神様をも凌駕するほどの存在になってゆき、そこで出る釘は打たれるというわけで、デウスさまから鉄槌を下されまっぷたつにされてしまうのです。それで、ヒトは失った半身を求め続けるということらしいのです。つまり、男女の組合せだったならば、男は女を求めるし、女も男を求める。男男だったならば、男性を、女女だったならば女性の半身をそれぞれ希求し続けるということのようなんです。バウワウ。 そして、それっきりタロウは口を閉じて地面にぺたりと腹ばいになったまま、もう顔を上げようともしませんでした。 というところまできて、クリフォードはお話にとうとう行き詰ってしまった。 さて、どうしたものだろう。 話に詰まってしまったクリフォードは、なにか劇的なことが起こってくれないかとか、天にも昇るような解決策が降って湧かないかと祈りに祈って祈りまくってみたが、やはりアニメみたいに絶好のタイミングでそうそう助けがくるわけもなかった。 外的要因で救われることは、もうありえないと思ったクリフォードは、最後の手段として寝逃げするかのように自分の意識のなかへと逃避することを考えた。ただしかし、意識を飛ばして文字通り、あっちの世界に逝くのではなく、意識の流れを垂れ流そうという狙いだ。ただでは起き上がらないというわけで、これでクリフォードもなかなかしたたかだ。 しかし、これをやると完璧に面白くなくなる嫌な予感がひしひしとした。わけのわからないものの垂れ流しにすることほどつまらないものもないからだ。たとえていうならば、赤の他人のブレインストーミングを聞かされても面白くもなんともない。 じゃあ、いっそのことみんなもよく知っていて、追体験できるアチラの方面へとシフトチェンジするか、とか……。 とそこで、いや待てよ、もしかしてとクリフォードが思いついたのは、エンドレスで繰り返しながら少しずつ少しずつ細部を変更していくというミニマルなやり方だった。短いものであっても、繰り返し繰り返し繰り返したならば、途方もなく長大な作品となるというわけなのである。一万回ほどリフレインしたならば、はじめとどのくらい変わってしまうのか、実に興味深い。しかし、創作はともかく、クリフォードはこのところ二冊立て続けに読書に失敗していたので、というのは、つまり、二冊とも途中でどうにもつまらなくなってしまい、投げ出してしまったので、次の小説選びはほんとうに慎重にならざるをえないのだった。 クリフォードの読んだそれら二冊は、共に八百枚を超えるなかなかの大著だったが、ぶ厚いだけに三分の二ほど読んでも未だにつまらないというのは、致命的だった。もっとも致命的に読書力がないのはクリフォード自身という線が濃厚なのかも知れないのだが。 そんなこんなで、図書館やブックオフで物色しているものの未だに次の読みたい本が見つからずにとにかく「変なお話」にクリフォードは、飢えていた。 そんな折、クリフォードに「千一夜物語」のようなお話会への招待状が届いた。 招待状といってもただのメールだったが、フィルターで弾かれて迷惑メールのフォルダに、それが入っていたのを見つけたときには、ちょっぴりうれしかった。 四方山話や純文学、昔話にスラップスティック、怪奇小説なんでもござれ、とにかく俺らはお話に飢えているのだから……という主催者のわけのわからない前口上のあと、お話会はスタートした。 車座になったクリフォードたち六人は、サーバーと呼ばれ、右回りでひとりずつ話していくことになっていた。面白い話がむろんいちばん良いわけだが、面白いといっても様々なわけであって、テレビでやっているような滑らないなんとかみたいなレディメイドな嘘話ではない今この場で即興で作った、リアルなものこそを至上のものとするのであるが、そのアドリブ性の高さのみを重視しているわけではなく、鮮血のような新鮮なアドリヴ性と同時に完成度も当然求められるのだった。よって、勢い辻褄が合わなかったり、支離滅裂なものもは論外であり、実験的な匂いのするものすら毛嫌いされていた。 お話はどんどんと進み、次の次でクリフォードの順番がやってくる。クリフォードは、じっくり時間をかけて練り上げるのは得意な方だが、即興でお話を作るというのはどうも苦手で、さらには何のネタも仕込んでこないまっさらな状態だったので、とにかくはじめは、ごく短いコントをアドリブでやり、最後には時間切れの朝まで描写し続けてやれと思っていた。 冒頭からとにかく描写描写の連続で連綿と続くというか、陸続と連なる屍の山のような温度が感じられず、無機質でつまらないことこのうえない描写で朝までなんとか持たせたいなどという不埒なことを考えていた。情景描写、殊に自然を描写すると文章に品が生ずることは確かであるのだし、勢い前衛風になってしまうかもしれないが、許してもらおう。 そしてやがて二回目のクリフォードの話す番が廻ってきた。前回は、ふとんがふっとんだ的な超短い駄洒落系コントでなんとか誤魔化しおおせたが、二回目はもうそれは許されないだろう。 クリフォードは、おずおずと物語りはじめたが、なにやら考えずともすらすらと口をついて蜘蛛の糸のように言葉を紡いでいけそうな不思議な感覚に捉われていた。 * むかしむかし、そのまたむかしのむかしむかし。 タキオンゼルロペという見目麗しき少年が、サッカーボールを蹴るようにして、なんだかわけのわからない化け物の頭を蹴りながら歩いていると、明らかにヒトの生首だと思われるモノの長い茶髪を鷲掴みにしてブンブン振り回している化け物がいた。 そいつは、全身が深緑で横に黒い縞模様が入っていた。シッポらしきものもあるようだ。どうやら生首でなにをするでもなく、子供が玩具で遊ぶように弄んでいるに過ぎないみたいだが、身体がそれほど大きくなく子どものようにも見える。だが、成体であるかも知れずとにかく油断はならない。 化け物はどこからでもよく見えるような、交差点の朽ちかけた美容院を背にして立っていた。なぜまた物陰に潜んでいずに、そんな見晴らしのいい場所に突っ立っているのだろうか。よほど自分の殺傷能力に自信があるのか、狩りの相手を油断させるためのポーズなのか、まったく緊張感ゆるゆるのおマヌケな化け物に見えた。 すると、もう車など走ることなどない雑草に半ば覆い尽くされている車道のずっと向こうの方から物凄い速さで何かがやってきた。タキオンゼルロペは瞬時に悟った。ズミぺコナフチャロフスカだ! ズミぺコナフチャロフスカに違いない。そいつは伝説の化け物で、やつの目を見たものは、必ずやズミぺコナフチャロフスカの性の下僕にされてしまうのだった。 ヤッベー! マジ、ヤッベー! タキオンゼルロペはこの状況を心底楽しんでいるようだった。で、タキオンゼルロペはそのとき、そうか! と思った。わかったぞ、そうだったのか、美容院の前にアホ面下げて突っ立っているあの化け物は、妖怪ガタチナヨヴコンチャロフソナチナヴヨだ! で、これからズミぺコナフチャロフスカと一騎打ちだ。 竜虎相食むってやつだろうか、タキオンゼルロペはこれから行われるであろう殺戮に武者震いした。どっちが勝つんだろう。やっぱ伝説の化け物ズミぺコナフチャロフスカだろうか、はたまた伝説の妖怪ガタチナヨヴコンチャロフソナチナヴヨか。 どっちでもいいけど、どうしたんだ、殺戮は。まるで顔見知りみたいに立ち話ししたまま、それも談笑といった感じで、酸鼻をきわめたジェノサイドなんてどこへやら、和やかな雰囲気すら漂いはじめているではないか。 いい加減見るのにも飽き飽きしてきたタキオンゼルロペは、くそ面白くもないので、足許の生首をそれこそサッカーボールに見立てて、二十メートルのフリーキックを決める感じで思いきり化け物たちをねらって蹴り込んだ。 生首は、蹴られたことによって傷口が開いたのかドス黒い血飛沫を吹き上げながら、真一文字に化け物たちめがけて飛んでいき、見事に化け物おやじたちに命中してホールトマト缶の中身をぶちまけたように炸裂した。 いや、炸裂したのは生首だけではなかったようだ。それとわかる化け物の青い血が、ピューピューと四方八方へと飛び散っている。みると、青い返り血を浴びながらガタチナヨヴコンチャロフソナチナヴヨのハゲ頭に鋭い牙を突き立てているのは、ズミぺコナフチャロフスカだった。やはり、談笑めかして話をしながら殺るタイミングをずっと計っていたのだ。 と、ズミぺコナフチャロフスカの視線がスーッと流れた。来る! と直感したタキオンゼルロペは、チノパンのポケットをまさぐって、チビたHBの鉛筆を取り出すと、躊躇することなく自分の右の鼻の穴に思い切り突き刺した。凄まじい痛みと出血で意識が遠退きかけるのだけれど、激しい痛みがそれを許してくれず、結局タキオンゼルロペは、怖いくらい激しくケイレンしはじめる。 やがてタキオンゼルロペは、ねらいどおりに変身を遂げていた。ズミぺコナフチャロフスカの天敵、ヌベナパベヌマメリシロヒトゥだ。なにか少し既成のアニメキャラに似ているけれども、とんでもない。なんせ、ズミぺコナフチャロフスカをいとも簡単に葬り去ることも可能なほどの潜在能力を秘めているのだ。 ヌベナマメリシロヒトゥにメタモルフォーゼしたタキオンゼルロペは、こちらに向かってくるズミぺコナフチャロフスカを返り討ちにしてやろうと、てぐすねひいて待ち構えた。しかし、さすがはズミぺコナフチャロフスカ、雲行きが怪しいとみると風見鶏のごとく戦術を変えてくる。そして、その百戦錬磨の最後の切り札である呪文を唱えた。 「キリキリクウ」 すると、どうだろう。タキオンゼルロペの、いや、ヌベナパベヌマメリシロヒトゥの皮膚という皮膚がべロンと剥がれた。まるでイナバの白ウサギだ。そして、元のタキオンゼルロペの姿に戻ってしまった。しかし、タキオンゼルロペも負けてはいない。右の鼻の穴に突き刺さったままのチビたHBの鉛筆を抜き取るや、すぐさま右の耳に差し込み、そこをグーで真横から叩いた。HBの鉛筆は、完全に見えなくなり、血液がどっと耳からあふれだした。 タキオンゼルロペは、再び恐ろしいほどのケイレンに見舞われ、やがてアメフラシみたいな見たこともない化け物に変身して、ズミぺコナフチャロフスカと刺し違えようとした。 意味のない無駄死にだけはしたくはなかったものの、結果そういうことになってしまった。タキオンゼルロペは、ほんとうに己の浅知恵を呪った。かくなるうえは、マジに……なんて思っているうちにも、早くもタキオンゼルロペのアメフラシ的頭は、ズミぺコナフチャロフスカの毒牙に刺し貫かれるや、スルメスイカみたいに真っ二つに裂かれて、脳漿をジュルジュルと吸われつづけていく。 タキオンゼルロペは、意識が薄らいでゆくなかで自分がおっぱい星人などではなく、人類であったらよかったのになんてチラっと思った。人類ほど冷酷で残虐な生き物はないからだ。 過去が走馬灯のように、脳裏を過ぎっていく。 おっぱい星人の父とヒトの母の間に生まれたタキオンゼルロペ。現在進行形の恋愛真っ只中だったのに……。 若い身空でこの世とおさらばしなくてはならないなんて、あまりにも現実は、残酷すぎる。 そして。 途方に暮れたタキオンゼルロペは、駆け寄ってきた愛犬のタロウにこんなことを言うのだった。 「タロウ、ぼくはもう生きてゆく気力がない。いっそのことあの谷底に落ちて死んでしまった方が生きていることよりも楽なのではないかなどと思うんだよ。なぜぼくたちは愛し合っているのにヒトではないからという理由だけで戦わなくてはならないのだろう。いや、もういい。どうだっていい。とにかくぼくはもう何も考えたくはない。くたびれてしまったんだ、心底この人生に。さあ、タロウ死出の旅路に何かおまえたちの歌でも歌ってくれないか」 すると、タロウは、グルルルルとひとつ唸ったかと思うと、前足を揃えると顔を見事なフルムーンにまっすぐ向けて、朗々と歌うように吠えはじめた。タロウという名前は土佐犬や柴犬みたいに純和風だったが、輝ける素晴らしいシルバーグレーの毛並みを誇るれっきとしたシベリアン・ハスキーであって、その彼が崖っぷちに立つロンリーウルフのように遠吠えをはじめたのだった。 高く低くワオーン、ワオーンとタロウは遠吠えすると、今度は、声をひそめて詩を朗読するように、あるいは愛を囁くように語りはじめた。 さてここで、タロウは主人であるタキオンゼルロペを勇気付けるために、こんなことを語っていたのでした。 バウワウ。プラトンの「饗宴」のなかで、アリストファネスという喜劇作家がなかなか面白いことを言っていたのを思い出しました。それは口伝えに伝えられてきた民話のようなものらしいのですが、もともと人間というのは、男と女の別はなかったというのですね。クリトリスとヴァギナの共存はヒト本来の素質としてあるべきももとされる両性具有の確たる証拠であり、昔は皆そうであったというのです。皆がペニスとヴァギナを備えていたわけですね。ということはつまり、男でも女でもないヒトは、男でも女でもあったということで、子宮も各々が有していたわけです。そして、それらの生殖器はなんと自家受精できるような位置に配置されていたのです。バウワウワウ。 そして、それっきりタロウは口を閉じて地面にぺたりと腹ばいになってしまい、もう顔を上げようともしなかった。 というところまできて、クリフォードは描写もまったく出来ないまま、お話にとうとう行き詰ってしまった。 自分でべらべらと話しておきながら、それを聞いて考えこんでしまったのだ。両性具有のことをいっていたのだろうか。つまりは、女性の方が男などよりも完全体に近い、というか完全体そのものなのか。 長きにわたり女性は虐げられてきたようだが、現代でもそれは根強く残っているのだろうか。正直のところ、ミソジニーなどというものがあることじたい、ピントこないのだった。これは、自分が男だからだろう。差別は、被差別者にしかわかりはしないのだ。というか、人類の歴史は差別の歴史といっても過言ではないだろう。人を蔑むことでしか生きていけない弱い生き物、それが人間というものだからか。 そしてクリフォードは、なにか劇的なことが起こってくれないかとか、天にも昇るような解決策が降って湧かないかと祈りに祈ってみたが、やはりアニメみたいに絶好のタイミングで助けがくるわけもなかった。 外的要因で救われるのは、もうありえないと思ったクリフォードは、最後の手段として寝逃げするかのように自分の意識のなかに逃避することを考えた。 そこで、いや待てよ、もしかして、とクリフォードが思いついたのは、エンドレスで繰り返しながら少しずつ少しずつ細部を増殖するやり方だった。短いものであっても、繰り返し繰り返し繰り返したならば、途方もなく長大な作品となるというわけなのである。一万回ほどリフレインしたならば、はじめとどのくらい変わってしまうのか、実に興味深い。しかし、創作はともかくクリフォードは、このところ二冊立て続けに読書に失敗していたので、というのは、つまり、二冊とも途中でどうにもつまらなくなってしまい、投げ出してしまったので、次の小説選びはほんとうに慎重にならざるをえないのだった。 クリフォードの読んだそれら二冊は、共に八百枚を超えるなかなか分厚いものだったが、ぶ厚いだけに半分読んでも未だにつまらないというのは、致命的だ。もっとも致命的に読書力がないのはクリフォード自身なのかも知れないのだが。それに比し、その二冊の前に読んだビアフラ共和国の成り立ちのことが書かれてあった千五百枚くらいの小説は、もうとまらないほどに面白かった。 そんなわけで、クリフォードは図書館や本屋、ブックオフで物色しているものの未だに次の読みたい本が見つからずにいたが、どうやらそれは自分がとにかく「お話から逸脱すること」に飢えているらしいことに薄々気づきはじめ、それ故に読みたい本が見つからないのではと思いはじめていた。 そんな折、クリフォードに「アラビアンナイト」みたいなお話会への招待状が届いた。招待状といってもただのメールだったが、実はフィルターで弾かれて迷惑メールのフォルダに、それは隠れるようにして入っていたのだった。 アンチ・ロマンにヌーヴォー・ロマン、探偵小説にポルノグラフィなんでもいい、とにかく俺らはお話に飢えているのだから……という主催者のごく当たり前なつまらない前口上のあと、お話会はスタートした。 しかし。読み物に飢えているとは、いったい何に飢えているということなのか? ほんとうの面白さ? ただ面白ければいいのか? しかし、なぜまたヒトは物語が好きなのか? ねじくれズレまくった道を正す秩序を欲しているのか? 車座になったクリフォードたちは、右回りでひとり置きずつ話していくことになった。早い話、面白い話がむろん、いちばん良いわけだが、落語のようなレディメイドな話ではない今この場で即興で作ったものをいちばんこの企画は求めているのであり、よってそれほど完成度は高くなくとも、そのアドリブ性の高さの方を重視しているようだから、完成度は、あとで高めていけばいいのだし、勢い辻褄が合わなかったり支離滅裂なものであっても、それはそれでとりあえず無から有を生じたものであるのだし、たとえ小説の体をなさなくとも自分から出てきたものであるのだから、ストアする価値はあるのではないか。 お話はどんどんと進み、次の次でクリフォードの順番がやってくる。クリフォードは、じっくり時間をかけて構造を考えるなどいうのは苦手であり、むしろ三語で即興的にお話を作る方が自分には向いていると思っていた。別段テーマもないし何の狙いもないまま、ただ三語を嵌め込むことだけを念頭に置いて、まっさらな状態で書くのが好きだった。そんなわけで、今回もとにかく自分で適当に三語を設定し、ごく短いものを何本かアドリブでやり、最後の方でまた順番が回ってきてしまったなら、かなりきついが、時間切れの朝となるまで話し続けるほどの長い話をするために、キーワードをガンガン増やしていけばなんとかなるのではないかと思っていた。 だが、なぜか途中からクジで語り部を決めることに変更がなされ、結局朝までクリフォードが話すことはなかった。 しかし、登場人物を五十人くらいにして、ストーリーもなにもない、それらの長台詞だけで構成して朝までなんとかもたせようなどという小賢しいというか、小っ恥ずかしいアイディアしか浮かんではこなかったクリフォードだったが、話す機会がまったくないとなったら、なぜか無性に話したくなってしまうのが人情というものなのだろうか。 そしてクリフォードは、意外な行動に出るのだった。 隣に話す番が廻ってくるその前に、隣のやつに順番を譲ってくれないかと交渉したのだった。いちもにもなくそれも無条件で、交渉が成立したクリフォードは、話したがっている自分に驚きながら話しはじめた。 * タキオンゼルロペは、このごろヘンゼルとグレーテルのお話に出てくる、お菓子の家をよく想いうかべる。 それが、どんなお話だったのかほとんど憶えていないにもかかわらず、ヘンゼルとグレーテルという題名と、そのお菓子の家だけは鮮烈な印象を伴なって記憶にいつまでもとどまっている。 というか、記憶を何度も呼び起こしているから、ログはいつまでも消えないのだろうか。あるいは、ただの食いしん坊ということなのだろうか。 タキオンゼルロペは、ある日、一生懸命ごちそうを運ぶ働き蟻たちの一本の長い隊列が、神社の庭をよこぎっていくのに出くわして、面白くて時間も忘れて眺め入ってしまった。 そして、ありという響きからか、ふとアリババと四十人の盗賊を思い出した。 確かアリババは、盗賊の唱える呪文を聞いて、それを憶えてしまうのだ。そして、いわずもがな洞窟の前で呪文を唱え、まんまとお宝をgetしたかに思われたのだが、しかし、それからがアリババの正念場だった。 タキオンゼルロペが、しゃがみ込んでいた蟻の行列の前から立ち上がると、木立ちの間から飛行機雲が、西の空の方へとすーっと伸びていくのが見えた。 ずんずんと伸びていく飛行機雲は、しかし、後ろの方から少しずつスカイブルーの内へと、吸い込まれるように消え入ってゆく。 記憶も、ちょうどそんな感じなのかもしれない。アクセスがなければ古いものからオートマティックに次々と消えていく記憶たち。 それは、むろんソフトの記憶容量を護るためなどではない。ヒトの脳は、九割がた使われてはいないのだ。 タキオンゼルロペは、神社の境内から、遥か彼方へと吸い込まれてしまいそうなスカイブルーを眺め、私は、このかけがえのない故郷の景色を決して忘れることはないだろうと思った。 神社の十数段ある石の階段を下り切り、なだらかな坂をゆっくりとした足取りで歩いてゆくタキオンゼルロペは、つい最近東京から引っ越してばかりの男の人の家の前を、またわざわざ通って帰った。少し怖いもの見たさ、みたいなことがあるのかもしれない。 その男の人は、独り者らしく、いったい何で収入を得ているのか、まったくわからないのだった。たとえばタキオンゼルロペの大好きな梨や桃を栽培しているとか、あるいは、炭鉱で働いていて身体を壊してしまい、いまは、骨休めしているのだとか、あたかも人生のリタイヤ組とみせかけて、実はバリバリのデイトレーダーで毎日が給料日だったりとか、あるいは、ガテン系で、防塵マスクをつけて、毎日どこかの現場でハツリ作業をやっているだとか、実は、マネーロンダリングの名人であるとか、大きな麻を押入れの中で愛を以って育んでいたりとか、蟻の門渡り的短い一生をまさに迎えんとしているところだとか、おじさんは、そのどれにも当て嵌まらないようなのだ。 だが、とにかく働かなくとも生活ができるだけの貯えがあるらしいことは確かなようだ。 で、その日はいつものように、そうなのだ、タキオンゼルロペは実はこのところ毎日遠回りして、その男の人の家の前を通って帰るのが、クセみたいなことになっていた。だけれども、タキオンゼルロペには、迂回して男の人の家の前を通って変えるのも、もう今日が最後になるかもしれないということが、薄々わかっていた。 というのも、タキオンゼルロペの家のお隣の木下さんちでタキオンゼルロペが以前から飼いたくて仕方がなかったマンチカンを飼いはじめたからだった。つまり、タキオンゼルロペの旺盛な興味は、都会から引っ越してきた見知らぬ男の人から、マンチカンのブルース(そのマンチカンの雄猫は、ブルースと名付けられたらしかった)へと完璧に移行しつつあった。 それは、薄荷のキャンディみたいに、タキオンゼルロペの鼻腔をすうっとすり抜けてゆく涼しい息のようだった。一度もタキオンゼルロペの前に姿を現わさないまま、タキオンゼルロペのなかで男の人は、淡雪みたいに大地に滲むようにして消えてゆくのだ。 しかし、なぜまたヒトは、そんな風に忘れるようにできているのだろうか。つまりは、そう。ヒトは、物事を忘れるように設定されているのではないのかと思うわけなのだ。 そこで不意にタキオンゼルロペは、 「あなたのお書きになるチンカスのような糞テクストをWebにばら撒くのは、ある種犯罪ですよ」 という自分への書き込みを思い出して苦笑いを洩らし、愛犬のタロウにこんなことを言うのだった。 「タロウ、ぼくはもう生きてゆく気力がない。いっそのことあの谷底に落ちて死んでしまった方が生きていることよりも楽なのではないかなどと思うんだよ。なぜぼくたちは人の揚げ足取りばかりしているのだろう。毎日毎晩、貶めること、馬鹿にすること、差別することを一日として忘れたことはない。差別することこそ無上の喜びなのだ。いや、もういい。どうだっていい。とにかくぼくはもう何も考えたくはない。くたびれてしまったんだ、心底この人生に。さあ、タロウお別れに何かおまえたちの歌でも歌ってくれないか」 すると、タロウは、グルルルルと喉を鳴らしたかと思うと、前足を揃え、つぶらな眸で見事な満月をまっすぐ見上げると朗々と歌うように鳴きはじめた。タロウの名前は土佐犬や柴犬みたいに純和風だったが、実はめちゃめちゃ可愛いマンチカンだった。その猫である彼が崖っぷちに立つロンリーウルフのように遠吠えをはじめたのだ。 高く低くワオーン、ワオーンとタロウは狼の遠吠えの真似をすると、今度は、声をひそめて詩を朗読するように、あるいは恋人に愛を囁くように甘く優しい声音で語りはじめた。 さてここでタロウは、主人であるタキオンゼルロペを勇気付けるために、こんなことを語っていたのでした。 ミャウミャウ。プルーストは、確かこんなことを書いていましたっけ。 「肉体的所有行為のなかで、ひとは何も所有することなどない」と。しかし、そもそも所有するしないという感覚は、肉体があるからこそ生まれるものであるから「肉体的所有行為のなかで」とするのはおかしくはないでしょうか。所有という言葉じたいが肉体的なものだからです。ヒトは肉体がなければ生きたい死にたいと思わないでしょうし、肉体があるからこそ貧富の差も美醜も老若も生じてくるわけで、死とは、そういったあらゆる物質的な束縛からの解放でしょう。ミャウミャウ。 そして、それっきりタロウは目を閉じて地面にぺたりと腹ばいになってしまい、もう顔を上げようともしなかったのです。それは、やる気がなくなったわけでも哀しくなったわけでもありませんでした。 それは、装うということ、繰り返しというミニマルな手法によって、この装うということ、これを炙り出せばいいのか。実にうまくそのものになりきっているその仮面を、その装いを剥ぎ取ることに眼目があるのか。しかし、なぜまたそのように装う必然がどこにあるのか。そもそもいったい、装うということはなんなのか。何かを隠そうとする必然から装うことがはじまったのか。などなど疑問やら欺瞞がむくむくと夏空の入道雲のように膨らんでいったからでした。あるいは、真逆であるのか。何かを隠そうとするサマを敢えて強調し描写してゆくということか? などと考えたり……。 というところまできて、クリフォードはお話にとうとう行き詰ってしまった。とにもかくにも、頭に浮かんできたものを、それがなんであろうが、辻褄が合うあわないなどということは端から度外視して片っ端から、言葉にして口から放り出してしまえば、その言葉からまた次の言葉が生まれ、なにか劇的なことが起こってくれないだろうかとか、天にも昇るような解決策が降って湧かないかと祈って祈って祈り倒してみたが、やはりアニメみたいに絶好のタイミングで助けがくるわけもなかった。 外的要因で救われるのは、もうありえないと思ったクリフォードは、最後の手段として寝逃げするかのように自分の意識のなかに逃避することを考えた。 そこで、いや待てよ、もしかして、とクリフォードが思いついたのは、エンドレスで繰り返しながら少しずつ少しずつ細部を変更していくというミニマルなやり方だった。短いものであっても、繰り返し繰り返し繰り返したならば、途方もなく長大な作品となるというわけなのである。一万回ほどリフレインしたならば、はじめとどのくらい変わってしまうのか、実に興味深い試みではあった。しかし、創作はともかくクリフォードは、このところ二冊立て続けに本との出会いに失敗していたので、というのは、つまり、二冊とも途中でどうにも我慢ならなくなってしまい、投げ出してしまったので、次の小説選びはほんとうに慎重にならざるをえないのだった。 クリフォードの読んだそれら二冊は、共に八百枚を超えるなかなかぶ厚いものだったが、ぶ厚いだけに半分読んでも未だにつまらないというのは、致命的だった。もっとも致命的に読書力がないのはクリフォード自身なのかも知れないのだが、読書を怠る者は書けなくなりはしないだろうが、そう遠くないうちに書くという力が枯渇するのではないか、などと思ったりするのだが、読書は相当な影響力を持つものなので恣意的でなく意識的に自分の作風を調節できそうな気もするのだった。 そんなわけで、図書館や青山ブックセンターで物色しているものの未だに次の読みたい本が見つからずにいるクリフォードは、とにかく「お話をぶっ壊すこと」に飢えていた。 そんな折、クリフォードに「アラビアン・ナイト」みたいなお話バトルへの招待状が届いた。招待状といってもたただのメールだったが、実はフィルターで弾かれて迷惑メールのフォルダにそれは入っていて、開かれるのをひっそりと待っていたのだった。 ホラーでも法螺でも怪奇譚でも、冒険小説でもなんでもいい、とにかく俺らはお話をぶっ壊すことに飢えているのだから……という主催者のごく控え目な前口上のあと、お話バトルはスタートした。 車座になったクリフォードたちは、右回りでひとりずつ話していくことになった。面白い話がむろん、いちばん良いわけだが、テレビでやっているような滑らないなんとかみたいなレディメイドな話ではない今この場で即興で作ったものをいちばんこの企画は求めているのであり、よってそれほど完成度は高くなくとも、そのアドリブ性の高さの方を重視しているようだった。完成度は、あとで高めていけばいいのだ。だから、勢い辻褄が合わなかったり、支離滅裂なものもないではなかったが、血の滲むようなリアルさ、それこそが最も大切なことなのだ。 お話はどんどんと進み、次の次でクリフォードの順番がやってくる。クリフォードは、じっくり時間をかけても駄目なのに、即興でお話が作れるわけもないし、何のネタも仕込んでこないまっさらな状態だったので、とにかくはじめは、ごく短いものを何本かアドリブでやり、最後には時間切れの朝まで牛歩戦術でだらだらとゆっくり垂れ流すように話そうと考えてもいた。 そして再び、クリフォードの話す番が廻ってきた。前回は、ふとんがふっとんだ的な超短い駄洒落系でぐずぐずながらもなんとか誤魔化しおおせたが、二回目もぐずぐずでは許されるはずもなかった。 * むかしむかし、そのまたむかしのむかしむかし。 通称「腹ぼてのオヨネ」と呼ばれるくねくねくねくね曲がりくねってばかりいる坂に夫婦の神様が住んでいました。ふたりには子どもがありませんでしたが、それをお互いに自分の悪い素行のせいだと考えていました。 妻の神様のカデスは、実は人間と一度だけ過ちを犯したことがあって、その罪のために子どもが出来ないのだと思っていました。しかし、夫の神様のタキオンゼルロペといえば、五十年ほど昔に山羊と二度ほど、そして人間の娘とも何回も過ちを犯していたことがあり、それがそもそも子どもが出来ない原因かもしれないと考えていました。 ある日、女神さまであるカデスの方が具合が悪くなって倒れてしまいました。 そこで、タキオンゼルロペは、急いで隣のフクロウ谷に住むオモテサンドゥという八千年生きているという物識りの神様に相談に行きました。するとオモテサンドゥは、こういうのでした。 「因果応報。めぐりめぐっておまえさんの罪が奥方を苦しめているのだ。昔、おまえさん、人間の娘を手篭めにしたことがあるであろう」 タキオンゼルロペは勢い込んで 「やっぱり、それが原因なのか」 と聞くと、いや、そうではない、と意外な答えが返ってきました。 「そのな、その娘を一刻も早く探し出すのだ。その娘がもうこの世にいないのならば、その娘でも息子でもよい。そして、その子と一夜の契りを交わすのだ。ただし、おまえがではないぞ」 「しかし。そんなことでカデスの容態が良くなるというのか」 「ああ」とオモテサンドゥは、言いました。 「つまり、それは呪いの類いということなのか」 「そう。その通り、その人間の祖先が怒っているのだ。おまえ、その娘を手篭めにした後のことを何もしらないだろう。その娘は、おまえの子を身篭ったのだよ。家族は、喜んだ。この子が必ず幸福を運んで来てくれると。しかし、おまえの親がこの子は神の子だからと、取り上げてしまったのだ。そして、その人間の家系はそれを境にして没落寸前までいったのだ。それで、おまえにも子どもができないというわけだ。そして、実にやっかいなことに、さらに問題をこじれさせているのは、カデスの人間との浮気だ」 なに! といったまま怒りに震えているタキオンゼルロペをオモテサンドゥ嗜めました。 「待て待て、それというのも、おまえの人間の娘へのちょっかいが原因なのだから、怒るのはお門違いというものだ」 「いったい、どうすればいいんだ」 「よく聞けよ。カデスはそのとき、懐妊したのだ。そしてむろん、赤ん坊は闇から闇へと葬り去られてしまったのだが、その娘の娘か孫娘、とにかく、孫だか曾孫だかを探し出し、おまえが悪戯した方の孫だか曾孫だかを探し出し、そのふたりに契りを交わさせるのだ」 「わかった。しかしだ。その見つけ出した者が、男同士であるとか、女同士であるとかの場合は、どうする?」 「仕方ない。女同士であったならば、もう一度おまえが子種を分けてやり、男同士だったならば、おまえが女神になって子を孕ませるしかない」 軽く途方に暮れたタキオンゼルロペは、愛犬のタロウにこんなことを言うのでした。 「タロウ、おれはもう生きてゆく気力がない。いっそのことあの谷底に落ちて死んでしまった方が生きていることよりもまだしも楽であり愉しいのではないかなどと思うんだよ。なぜおれたちは愛し合っているというのに相手を裏切るようなことを平気でしてしまうのだろう。いや、もういい。どうだっていい。とにかくおれはもう何も考えたくはない。くたびれてしまったんだ、心底この人生にこの見せ掛けの愛に。さあ、タロウ、自分のことしか考えていないこのおれを叱ってくれないか、おまえたちの歌を歌って」 すると、タロウは、グルルルルと大きくひとつ唸ったかと思うと、前足を揃え顔を見事なフルムーンにまっすぐ向けて、朗々と歌うように吠えはじめました。タロウは、名前こそ土佐犬とか柴犬のように純和風でしたが、素晴らしい毛並みを誇るれっきとしたミニチュアダックスフンドでした。その彼が崖っぷちに立つロンリーウルフのように遠吠えをはじめたのです。 高く低くワオーン、ワオーンとタロウは遠吠えすると、今度は、声をひそめて詩を朗読するように、あるいは歌を歌うように語りはじめました。 さてここで、タロウは主人であるタキオンゼルロペを勇気付けるために、こんなことを語っていたのでした。 バウワウ。プラトンの「饗宴」を読むうちに刺激を受けたのか、景色を眺めながら物を思うということ、これには具象をもって直情的に思うということ共に、具象の具体性にはほとんど感応せずに、その景色とはまったく異なる事柄やら人物やらを思うこと、及び何にも感応せずに漠然と物を思うということがありますが、前者の方では景色が直接心に突き刺さってくるのであり、つまり視覚が思考そのもののようであるようです。つまり、ひとつの景色はそのままダイレクトにひとつの意味しか持たないということ。とにもかくにも見たままなのですね。そこには、まったく連想やら考察の入る余地はありません。秋の収穫の季節に果物や野菜が取れるその様を眺めてみても、収穫は収穫であってそれ以外の何ものでもないし、それ以上でもそれ以下でもない。ああ、柿がとれたなあであるとか、おお、いい栗だなあであるとか、せいぜい美味しそうだくらいの感想は出るかもしれませんが。いや、もうひとつあるかもしれないですね。それは、その眺めによって何らかの紐付けが為された記憶が呼び覚まされるという、れいのプルーストのあれです。ということで、いずれにせよ、生きていく上において刺激というものが非常に大事であることがわかります。そして、心の病とは、この成長することに大切な刺激を一切受け付けないように心の扉を閉じてしまうということでしょう。目を閉じるだけならば、視覚の刺激が失われるのみだし、他の鼻、耳、舌、皮膚の感覚も同様ですが、これらの器官と心、あるいは脳、すべては刺激を受けて発達してゆくようにできています。つまるところ、すべては刺激なのですね。バウワウ。 そして、それっきりタロウは目を閉じて地面にぺたりと腹ばいになってしまい、もう顔を上げようともしなかった。あるいは、真逆であるのか。何かを隠そうとするサマを敢えて強調し描写してゆくということか? というところまできて、クリフォードはお話にとうとう行き詰ってしまったが、なにか劇的なことが起こってくれないかとか、天にも昇るような解決策が降って湧かないかと祈って祈って祈り倒しまくったが、やはりアニメみたいに絶好のタイミングで助けがそうそうくるわけもなかった。 外的要因で救われるのは、もうありえないと思ったクリフォードは、最後の手段として寝逃げするかのように自分の意識のなかに逃げ込むことを考えた。ただしかし……ただしかし、意識を飛ばして文字通り、あっちの世界に逝くのではなく、意識の流れを垂れ流そうという狙いなのだ。ただでは起き上がらないというわけで、これでクリフォードもなかなかしたたかなようだ。 しかし、これをやると完璧に面白くなくなる嫌な予感がひしひしとした。わけのわからないものの垂れ流すほどつまらないものもないからだ。たとえていうならば、赤の他人のブレインストーミングを聞かされても面白くもなんともない。 じゃあ、いっそのことみんなもよく知っていて、追体験できるエロ方面へとシフトチェンジするか、とか……とんとん。あるいは、両性具有性のことを言わんとしているのか。天才の定義とは、男でもあり、女でもあるということ。それは、つまり知のさらに一段も二段も高く深いところの知と無知との組合せである、パスカルのいうところの第二の無知であるということなのか。 しかし、いや待てよ、もしかして、とクリフォードが思いついたのは、エンドレスで繰り返しながら少しずつ少しずつ細部を削っていくというスカルプチャー的なやり方だった。短いものであっても、繰り返し繰り返し繰り返したならば、途方もなく長大な作品となるわけだが、その一方で削り込むという作業も同時進行させていくわけなのである。一万回リフレインして、一万回削ったならば、はじめと終わりとではどのくらい変わってしまうのか、実に興味深い。しかし、創作はともかく、クリフォード自身が、気の遠くなるほどのこのとんでもないループ地獄から抜け出せるか否かのぎりぎりな状況なのだから、最後の手段としてというよりもすでに寝逃げするかのように自分の意識のなかに逃避することしか方法はないようだった。たとへば、女陰ヲ演ずる男根のやうな装置(あるヒは、スイッチ)みたいに。 |
若草物語
2012年10月15日(月) 00時38分37秒 公開 ■この作品の著作権は若草物語さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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