ある夜のライブチャット
 東京に来て一年が過ぎた。
 僕はまだ中学生だったころ東京の大学に進学すると夢の実現のために非常に有利だと考えた。それはとても魅力的な考えに思えた。だから受験勉強をかなりがんばった。
 がんばったのは勉強だけではなかった。高校ではサッカー部に所属していた。所属していたサッカー部は決して強くはなかったけれど、僕はレギュラーで活躍した。
 テレビを見ていたら、学生時代は体育会系、でも、いまは文化系という芸人がモテていた。その芸人は雑誌のインタビューでも見かけた。そういう男は、人を、とくに女を引きつける何かがあるらしい。なので、部活の仲間とサッカーをしながら休日はひとり図書館へ行き文学全集を読んだ。目標到達のためとはいえとてもキツかったが、態度には出さなかった。
 ほかにも、ファッションの勉強と、トークの練習をしなければならなかった。どれも手を抜きたくはなかった。しかし、大学に落ちてしまうと元も子もないと思った。だから受験勉強を重視した。
 自分でいうのもなんだけれど僕は優等生だった。でも、優等生を演じるのはキツかった。クラスメイトには誰にでもやさしい笑顔で平等に接した。教室のすみっこにいる影の薄い連中を馬鹿にしたりはしなかった。そんなことを続けていると、ストレスで自分の感情をぶちまけてしまいたいと思ったこともあったが、あいつはいい奴だ、というレッテルがはがれないように必死で耐えた。
 高校を卒業し、念願かなって東京の大学に入学できた。東京に憧れがあるわけではなかったが、人の多さは魅力的だった。僕の地元の田舎よりも出会いが増えそして可能性も増えるだろうと考えたのだ。
 大学では写真のサークルに入った。なぜかは知らないけれど女子が多かったからだ。彼女をつくることが目的ではなかったが、女のあつかいを身につける必要があった。僕はデジイチ(デジタル一眼レフ)も持っているが、古い二眼レフカメラで撮影することが多い。デジカメと違いフィルムはなにかと手間がかかるので閉口することだらけだ。けれど、これで撮影していると知らない人から話しかけられることが多かったし、あまり面識のない人にモデルを頼んでも、物珍しさからか断られれることが少なかった。モデルの機嫌を損ねずにあれこれ指示するのはトークの練習になった。写真をスキャンしてこまめにブログにのせていたら少しだけど読者(ファン)ができた。これは予想外だった。
 大学へ入ってからも読書は続けた。映画も見ることにした。ジョギングもした。音楽も聴いた。多くの人と出会うためにイベントなどにも積極的に参加した。
 僕はカリスマ・シリアルキラーになるためだったらどんな苦労だってするつもりだ。そして、これまでうまくやってきた。でも、正直にいうと少々じれてきた。いつまでこんなことを続けなければならないのか。いっそのこと、どこの誰でもいいから殺ってしまおうか、と思うこともあった。だが、そうするといままでの努力が台なしにってしまう。


「それで?」女がたずねた。
「 ……都会に出たらすてきな出会いがすぐにあると、そんな風に考えていた時期が俺にもありました」
「刃牙のAA?」ふふっ、と女が笑った。
「殺せるなら誰でもよかった。だなんて、たとえ死刑にされそうになったとしても死んでもいいたくないセリフだね。テッド・バンディのように殺す相手は育ちのいい女の子や、貞淑(ていしゅく)な主婦と決めている。それ以外は認めない。断じて僕は認めない」というと、スピーカーから男の声が聞こえなくなった。
 女は目を大きくして、うん、それから? というような表情をして、カメラの前にやや身を乗り出して、話に興味があるようなポーズをつくって続きを待った。カメラの隣に置いてある鏡に女の顔がおおきくうつった。
 やや間があったが、女は姿勢を変えなかった。やがて男の声がした。「認める気はまったくない。ないのだけれど、そういう相手がなかなかいないのも確かなんだ」
「なるほど。出会いがない、というわけなんだね」
 女はそういうと壁と背中の間にある大きなビーズクッションにもたれかかった。ばふっ、という音がした。女の体がクッションに埋もれた。
「キミがドラキュラじゃなくてよかったよ。もしそうだったら、えり好みばかりして、きっといまごろ飢え死にしちゃってるだろうからね」ホワイトとピンクの色をしたカラフルなヘッドセット。そのマイク越しに女はいった。
 女は源氏名を紅井あるみと名のり、昼はOLをしているといった。たまご型の顔。髪はセミロングでストレート。色はアッシュブラウン。目は少したれていて、ブラックの、セルフレームのスクエア型メガネをかけていた。ニコニコと笑っているが、その眼差しは好奇心が強そうに見えた。首まわりが大きめに開いた長袖チュニックワンピースはホワイトとブラックのボーダー柄。それに暗い色をした迷彩柄レギンス。細くて華奢(きゃしゃ)な体つきだったが、胸だけは細くも華奢でもなかった。
 ライブチャットで使っているマンションの一室は女が借りているものだった。パソコンにつなげられたカメラには、彼女と、大きなビーズクッションと、ローテーブル、その上にワイヤレスなキーボードとマウス、そしてアイボリーの壁しか写さないようにしていた。それ以外の、カメラ用の三脚に取り付けられた、白熱灯のライトや、光をやわらかくるためのディフューザーやレフ版などが複数、カメラに写らないように置かれてあった。
「このことを誰かに話したのは初めてだけど、あるみさんは平気な顔をしてるね」男の声はゆっくりとしていた。「絶対引くと思ってた」
「まあ、ふつうは引くだろうね。ネットの向こうに殺人鬼見習いがいると思うと」女は笑顔でいった。「わたし、少し変わってるからさ」
「……ああ、そうか。あるみさんは僕のことを中二病だと思ってるのか」つぶやくような声だった。
「ちゅうにびょう…… ねえ、知ってる? 人って、本当に怒ると笑顔になるんだよ、かっこ、暗黒微笑、かっことじ、とか、うう、俺の闇の右目が疼(うず)く。邪悪な力が憎しみのエナジーによって、いま封印をとかれた! とか、そういうの?」というと、からからと笑った。「思ってないよ」
 男からの返事はなかった。女は背筋を伸ばして、きちんと座ろうと姿勢を変えた。すると、すこしかたい表情になった。胸を守るように腕くみをした。
 自分の表情をチェックするためにカメラの隣に鏡を置いてあった。それは女しか知らない。その鏡に女の顔がうつっていた。それを見ながら女は自分の表情をやわらかい笑顔になるように整えた。
「僕のいまの話を信じるのかい?」男の声が聞こえた。男が選んだコースはマイクを使ってお互いの声は聞こえたが、映像はそうではなかった。女の姿は向こうで見られるのだが、客である男の姿を女は見ることができなかった。
「信じたら何か問題でも? 斑鳩(いかるが)さん」女はおどけながらいった。
「いや、いまの話だとわたしより年下だから、斑鳩クン、か。あのね。キミとここで何回か話してて感じるのはキミの頭の良さだよね。いや、お世辞じゃなくて。
 ここはノンアダルトのライブチャットだけど、おっぱい見せて! なんていわれることは結構あるのね。悲しいけれど。でもキミはそんなことをいわない。いままでいったことがない。
 ああ、オトコと知的な会話がしたい、なんていう気はないけれど、ここにはマンガ以外の本を読む人なんてめったに来ないのよ。だけど、キミは映画とか本とか、そんな話題が多いよね。まあ確かに、サブカルというより女子受けしそうな作品を話題にすることが多いな、とは思ったけどさ。
 そんなキミと映画評論家の話をしていたら、シリアルキラーになるためにがんばってきたといいだした。たしかに、突然そんなことをいい出したので、びっくりはしたよ。でも、ウソだとは思わないね。なぜなら、いままでのキミの話にはウソがなかったから。映画の話だって本の話だって、キミは知ったかはしなかった。知らないことは知らないといった。自分を大きく見せようとするために吹いたりしなかった。誠実さがあった。だから信じる。
 それに、僕は人を殺した、という言葉と、僕は人を殺したい、という言葉はちがう。でしょ? もしキミが、殺した、といったのなら、ポリスメンに通報しないといけないけど、そうじゃない」
「……あるみさんも詳しいよね、映画。でも、あるみさんが柳下毅一郎を知っているとは思わなかった」
 へへ、と笑って女はいった。「詳しいってほどじゃないけれど、映画は好きだね。秘宝も学生のころは毎月欠かさず読んでたよ。本屋さんで」
「立ち読みなんだ」楽しそうな男の声が聞こえた。
 その声を聞いて女は笑った。「一度も買ったことはないんだけどね、秘宝。CUTはあるんだけど」
「僕が利口なんじゃない。まわりの連中がバカなんだ」ゆっくりとした低い声だった。
「じゃあ、こうしよう」女はとっさにそういったが、なにか考があったわけではなかった。女はモニターに表示してある時計をちらと見た。いつも通りならこの客はそろそろログアウトする。あまり時間はないな。「じゃあ、とりあえず私を殺してみたら」そういうと女はにこりと笑った。女のこの言葉は賭けだった。
「えっ」虚を突かれたような男の声が聞こえた。姿は見えなくても表情はわかるような声だった。女は手ごたえを感じた。
「わたしの個人情報、住所とかは教えられないけれどね。でも、キミなら頭が良さそうだから、そのうちどうにかできるでしょ。それで、直接会う前に、そうだな…… 今度ここで話すときまでに、わたしの殺人計画をつくってくるってのはどう? わたしがキミのお眼鏡にかなうかどうかは別としても、練習にはなるでしょ」明るい声で女はいった。「念のためにいうけれど、わたしは冗談をいっているわけではないよ。無様に失敗する可能性がちょっとでもあるのなら、わたしで練習してその可能性を減らしたほうがいい。違う? あるいはストレス発散とか。うん、それがいい。それとも、育ちも良くない、貞淑でもないわたしを、たとえ練習だったとしても殺すのは嫌?」
「嫌じゃないけど……」
「じゃあ、今度話すまでにつくってきてよ。わたしの殺人計画書」
「う、うん」男は答えた。その声はうめきに似ていた。イニシアティブは自分にある。女は確信したが、顔に出ないように用心した。
「あ。そろそろ時間だけど、延長する?」
 もごもごと別れのあいさつをすると男はログアウトした。ログアウト直前に「ありがとう」というささやくような男の声が聞こえた。男が去ったことをモニターで確認すると、女もログアウトした。


 女はヘッドセットをとると、足をくみ、下腹部に手をあてて、ゆっくりと呼吸をした。鼻から息を吸い、口から出した。肺にあるすべての空気を吐き出そうとするように。しばらくのあいだ目を閉じてそれを続けていたが、やがてやめると立ち上がった。そして、かぶっていたウィッグをとった。ショートカットの黒い髪があらわれた。胸元に手を入れると、二枚にかさねたヌーブラをとりはずした。はずしたそれらをテーブルの上に置いた。
 女のいる部屋は静かだった。ショールームのような生活感のない1DKにエアコンの動作音がわずかにひびいていた。音をたてる者は女以外ここにいなかった。
 キッチンへ行き冷蔵庫からクリスタルガイザーのペットボトルをとった。キッチンは暗かったが、扉を開けた冷蔵庫から放たれる明かりで女が照らされた。わずかに手が震えていた。女はそれに気がつくとうすく笑った。ボリッ、という音を立ててキャップの封が切れた。喉をならしながら水を飲むと、ボトルを持っていない右腕で口もとをぬぐった。
 冷蔵庫を閉めると女は部屋を見た。ライブチャット用にとつくった一角がこうこうと照らされているのを見た。その明かりに照らされてぼんやりと見える別室に目をむけた。開け放ってある引き戸の奥には、畳に上に置かれてあるちいさなベットのほかに、スタイルの違う洋服やウィッグがたくさんあった。寝室のようにも衣裳部屋のようにも見えた。
 ライトで照らされているところ以外は暗かった。その照らされていないところに女は立っていた。
「嘘でも本当でも、どっちだっていいじゃない。それで仕合わせになれるのなら」とつぶやいた声は楽しそうだったが、その表情は暗闇で見えなかった。

蒼井水素
2012年09月09日(日) 21時42分14秒 公開
■この作品の著作権は蒼井水素さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
自称「未来の連続殺人鬼」とチャット・レディのお話です。

7月の頭くらいに、夏向けに怖い話を書こうと思って書き始めたのですが、もう9月です。どうしてこうなった。

この話は、怖い話ではありません。ですが、怖い話を書こうとしていた時の名残があります。名残というか、引きずっているというか…… でも、怖いというほどではないと思います。たぶん。

ライブチャットについては、よくわからないのでテキトーに書きました。想像で書いたので、実際とは違ってると思います。

この作品の感想をお寄せください。
No.4  蒼井水素  評価:0点  ■2012-09-12 02:34  ID:SEvuKDAF.vU
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zooey様

感想ありがとうございます。

> カリスマシリアルキラーって、言葉もなんだかいいですね。

私も好きです。
自分でカリスマ〜と言うと、サイコなような、でも、間が抜けているような、そんな感じがします。

スタイリッシュ殺人という単語も浮かんだのですが、書くとやりすぎなような気がしてやめました。

> はじめの部分がライブチャットで話している内容だというのは、途中まで私も気付きませんでした。

> ラストは私もちょっとよく分かりませんでした。

あちゃあ、そうですか。頭に浮かんだときは、いい表現かも、と思ったのですが、要改善というか、書き直しです。

小説を書く練習なら、変化球ではなくて、普通の恋愛モノをきっちり書いたほうがいいよ、流れも結末もだいたい決まっているから、といった作家がいるのですが、本当にそうなのかもしれないと最近思います。

ありがとうございました。
No.3  zooey  評価:30点  ■2012-09-11 03:18  ID:1SHiiT1PETY
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読ませていただきました。
題材としてはかなり好きです。
なんと言うか、私自身がやや中二くさいのかもしれませんが、カリスマ・シリアルキラーになりたいという、その感じが何だか好きでした。
カリスマシリアルキラーって、言葉もなんだかいいですね。
冒頭の方で男性の目的がなかなか見えない、そのための不気味な空気感が良かったです。
良い子にしていた理由が、カリスマシリアルキラーになりたいという願望だったというのも、何だかサイコな感じがして好きでした。

はじめの部分がライブチャットで話している内容だというのは、途中まで私も気付きませんでした。
読んでいるうちに、ああそうかと思ったのですが、もう少しそのあたりを分かりやすくしてもらえると良かったのかなと思います。
たぶん、冒頭のチャット部分から女性に語りかけている感じがしなかったり、
チャット部分のすぐ後ろの男性のセリフが、急に敬語になってしまっていたりして、それもちょっと分かりにくくしているのかなと思いました。

ラストは私もちょっとよく分かりませんでした。
おさんへの返信を読んでも、ちょっとピンとこない感じで、これはもしかしたら私が読めていないだけかも知れないのですが、
なんだかよく分かりませんでした。すいません。

でも、作品のタイプとしてはたぶん好きなものなのだと思います。
ありがとうございました。
No.2  蒼井水素  評価:0点  ■2012-09-11 01:22  ID:N6aD3NeZ092
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お様
はじめまして。
そして、感想ありがとうございます。

「なんだかよくわからないけど面白い」だったのなら、こ踊りしていたのですが…… 残念な感じでしたか。

> ただまぁ、うーん、その前まで「僕」の語りだったものが、なぜかその辺りから三人称になってますよね。なぜ?

最初の「僕」の語りの舞台も、女性の部屋なんです。あれは、ヘッドセットから聞こえる声なんです。ただ、それを聞いている女性をまったく書いていないのです。「僕」については声しか書かないようにしました。「僕」からの視点は無いんです。いえ、無いように努力して書きました。

> まぁ、あと、ぶっちゃけ、ラストもよく分かってない僕がいますよ。

ラスト、女性がひとりになった所は「わからない」といわれるかも、と思っていました。女性が何を考えているか、語り手は語らないからです。

これは、最初の「僕」の語りの所と逆になるといか、対になるように、書いたつもりです。
男の言葉はわかりやすいけれど、嘘かもしれない。女の行動は嘘がつけないけれど、よくわからない。

もうちょっと、色々とごちゃごちゃ考えて書いたのですが、もっと考えないといけないですね。

ありがとうございました。
No.1  お  評価:30点  ■2012-09-10 22:37  ID:.kbB.DhU4/c
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どうもです。
うーん、ちょっと、こう、僕なりに残念な感じのする作品でした。
物語り半ば、チャットのシーンはなかなか緊迫感もあって良かったです。
会話の後半、ちょっとドキドキしました。
ただまぁ、うーん、その前まで「僕」の語りだったものが、なぜかその辺りから三人称になってますよね。なぜ?
で、会話の辺りからどっちかっていうと女性視点にシフトして、最後は完全に女性視点の三人称になってましたが……、うーん、どんな効果を期待しての処置なのだろう? ちょっとよく分からないです。ただ、混乱するだけのような。
まぁ、あと、ぶっちゃけ、ラストもよく分かってない僕がいますよ。
彼女は彼だったの? とかも思いましたがそういう振りはなかったような? だとしたら……なんだろう?
カウンセリング? でもないような。
よく分かんねーす。
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