腹立たしい日々を過ごしているのである。怒りが喉で支え、まともに飯も食えぬ。今すぐにでも、この喉を支える怒りの意思のままに動かなければ、私は死ぬだろう。怒りというのは何かと大雑把に物事を進ませる。最近、仕事が大雑把になってきているのは怒りのせいだと思う。昨日、上司に叱責された。
 「お前!仕事をしに来ているんだろう?だったらきっちりやれよ!」
  死ね。と思った。なぜかは分からぬ。だが、私は生涯で初めて、死ね。と思ったのである。極めて自己中心的であるのだが、私は自らを戒める事も無く、ただ自らの異変に気付いたのである。
 やはり、怒りがいけない。今私の身に起きている異変の根本は怒りであろう。怒りは『あの時』から時を経て、腐敗しつつある。腐敗に湧く蛆虫が肉体を進み、その小さく痛い体で私を刺激する。私はなんだかリンパ液に浸かる様な気分である。
 あの時。私は愛する彼女に裏切られた。浮気。これである。私が彼女を愛している事を彼女は知っていたのである。知っていながら、私の愛を指先で操り、巧妙に生意気に嘲笑を浮かべながら、他の男の上で腰を振っていたのである。
 私に独占欲はない。されど愛はあった。与える愛に見返りを求めていたわけではない。されど愛されていると信じていた。恋愛は相互の愛の上になるものであろう。私は恋愛をしているつもりであった。あぁ、どうした事だろうか。本当に腹正しい。
 元彼女を殴ろうと思う。こうするしかないのである。彼女は感情のままに浮気をしたのだから、私にも許される筈だろう。いや、殴るだけでは気が済まぬかも知れぬ。いっその事、犯してはどうだろうか。泣き叫ぶ彼女に、挿入し、掻き回し、私の体液と彼女の涙を滴らせてはどうだろうか。「おはよう!おやすみ!おめでとう!ありがとう!」笑顔で言いながら、私は怒りを膣にぶちまけたい。彼女は日常的な挨拶をされる度に、私の怒りを思い出す事だろう。悲惨な思い出を彼女に刻みたい。頭がおかしいと言われようが、かまわない。なぜなら彼女が憎いからである。それにしても、暴行の計画は旅行の計画をする時のように、実に楽しい。いざ、旅行に行くとなると、畏まる私であるのだが暴行は大丈夫である。きっと、大丈夫である。
 早朝に彼女は出勤の為にマンションを出る筈であるから、私はマンションの前で彼女を待った。手筈としては、彼女がマンションから出てきた所を捕まえ、同意の上で私の車に連れ込む。そして、暴行を加える。
 待っている間、私はまた別の異常を認めた。なんとも、倫理観というものは邪魔である。倫理観が私の腐敗して臭いを放つ怒りに干渉し始めたのである。最も恐れていた事態だ!怒りは倫理的で無いと言うのだろうか!怒りに従い暴行を働く事は人間的ではないと言うのだろう!いや、考えて見れば倫理を無視し、浮気をした彼女は既に人間ではないだろう。そして、その人間でないものが私に傷を与え、私は怒りを覚えた。それならば私の暴行の背中を押すものは正義だ!私は正義を持って、人間でないなにかを成敗する。正義というものは倫理的であるが、側面では暴力の正当化であるし、勿論、正当化された暴力を働く事も許される筈である。私は正義を持って彼女を殴る。
 私はマンションから出る彼女を認めると、車からゆっくりと出て彼女の元へと向かった。彼女の方も私を認めると、歩いたまま眼光を一瞬飛ばし、私に目もくれずに歩き出した。私はまたそれに怒りを覚えたのだが、彼女の近くに歩みより、こう言った。
 「ちょっと来てくれる?俺の部屋にあなたの忘れ物があったから、持ってきたよ」
 「ええ?ほんとに?わざわざありがとう」
 彼女は微笑しつつ言った。なんとも微笑にあどけなさが含まれており、私は彼女の浮気の事実を疑ってしまった。
 「車にあるから、ついて来て」
 私はこう言うと歩き出した。そして彼女の足音も私の足音と絡み合う。車まで来ると私は運転席に乗り、助手席側のドアを内側から開けて、意味も分からず立っている彼女を車に引き入れた。そして、彼女を助手席に座らせた。
 「なに?ねえ?」
 彼女は畏怖の荒い声を出した。なんだか私の目前に悲しさが流れたのだが、私はそれを読み取るのを拒み、彼女の頬を殴った。
 きゃあ!と叫び体制を崩す彼女を見て燦然とした花が散る様な悲哀を覚えたのは何故だろうか。叙情的に思えたのは何故だろうか。とても犯す気にはならなかった。もう十分であった。既に私は彼女を犯したのだ。彼女を殴った瞬間、私の腕は骨と肉との重みを引き寄せ、だらんと垂れた。
 「もう最低!」
  彼女は頬を押さえ、目を涙で膨らませ叫ぶ。そして彼女は車から飛び出した。
 「お前なんか死ね!糞女!」
 私は去る彼女に言い放った。ほぼ意地であったし、子供のようであった。車内に自らの叫び声が反射を繰り返し、虚しさとなって耳を撫でた。私は狼狽したし、悲しかったし、泣きたくなった。
 私には分からない。私はどうすればよかったのか。全く分からない。だが、またしても彼女に操られていたのだろう。我ながら恥ずかしい事でございます。
com
2012年09月05日(水) 06時18分37秒 公開
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No.3  com  評価:0点  ■2012-09-07 17:13  ID:L6TukelU0BA
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>>星野田さん
分かりにくいかな、と自分では思っていたのですが、バランスが良いとおっしゃってくれて嬉しい。すごく嬉しいです。
感想ありがとうございます。

>>azzさん
感想ありがとうございます。
矛盾した感情の中での人間はなんだか悲しいものです。
やはり情けなく見えますしね
No.2  azz  評価:50点  ■2012-09-07 00:21  ID:.FdyIjK459A
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僕はこういう情けない男は嫌いじゃありません。
交差する矛盾した感情での人間がよく表現されていると思います。
No.1  星野田  評価:50点  ■2012-09-06 02:13  ID:p72w4NYLy3k
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なんていうかこれはとても、小説を読んだ、って気分になりました。
非常に、人間の内面を、ありのまま書いてる感じを読んでいて受けます。
いろいろと混ざり合う感情を、整理整頓したわけではなく、しかし読んで受け入れられる文章としてまとめられている。
使われている言葉も、説明しすぎるわけではなく、かといって読み取れないほど不足しているわけでもない、とてもよいバランスと感じました。
とても巧い作品であったと思います。

掌編としてきれいにまとまっている、と思うのですが、
一方でこのまとまりは、もっと大きなバックグラウンドの中の流れの一つなのだと思います。
もっと長い作品の、一つのクライマックスというか、掴みの部分として、この作品で書かれているものを読んでみたいなと思わされたりもしました。

良い物を読ませてもらったと思います。
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