姫め! |
横抱きに抱き上げられ夢栗希(ゆめくりのぞみ)はげんなりしていた。自分から言い出したこととはいえ、もう勘弁してほしい。 「姫……」 希を姫と呼んだ高名由人(たかなゆうと)はというと、最初は渋っていたというのに、なんという豹変ぶりだろう。うっとりと見つめられても、彼女には自分が姫扱いされているようには思えなかったが。 昼休みだけ開放される威澄(いすみ)中の屋上で、二人は「お姫様ごっこ」をしていた。風が冷たくなってくる季節柄、屋上が貸し切り状態になっているので見咎める者は誰もいない。いつもは希の彼氏・桑名時満(くわなときみつ)と由人の彼氏・有塚園夫(ありづかそのお)を交えた四人で平和に弁当をつついているのだが、今日は一学年上の時満と園夫は進路指導室に呼ばれていてまだ来ていないのだ。 だから助けはいつ来るのか分からない。 希はため息をついた。 ことの発端となったのは、昨夜テレビ放映されたファンタジーものの洋画だ。春に劇場公開されたそれは、四人で観に行く約束だけはしておきながら予定が合わずお流れになってしまったという代物で、希と由人はずっと楽しみにしていた。 ある国の王子が敵国の寵姫と恋に落ちるという内容で、不義がばれ国外追放となった姫を王子が救出するという場面がある。王子は森の中、座り込んでいた姫をお姫様だっこするのだ。 希と由人は大興奮で感想を捲し立てあっていた。 「あそこが一番よかった〜。お父さんがくっさい屁こかなきゃもっと泣けたんだけどね」 「うちは家族で息を殺して集中してたよ。キスシーンではみんな大泣きでさ」 「羨ましい!」 と、こんな具合である。 「そういえば、のぞみんってちょっと姫に似てるよね」 「えっ?」 目をキラッとさせた希に、由人は称えるような眼差しを向ける。 「アジア系美女だったしね。キリッとしててさ。のぞみんもかっこいいもんね」 「いや〜、それほどでも……あるかもね!」 得意げに流し目をくれた希の目は切れ長だ。黒のショートヘアが似合う長身の彼女は、肌も白く若さに光り輝いていた。 「姫ほど色っぽくはないけど……」 ガクッと希の肩が落ちる。 「自信過剰なところが瓜二つだよね」 「ちょっと、それで褒めてるつもり!?」 「えへへ、だって……」 由人は悪びれもせず言ってのけた。 「のぞみんが調子に乗るから」 ガーン――…… 希は言葉をなくした。 「あ、あんたね……!」 やっとのことで唸り声を発したときには、希の怒りを火種に燃え上がった炎がとぐろを巻きはじめていた。だが彼女は、由人のへらへら顔を睨みながらも、怒鳴りつけたくなる衝動を懸命に抑える。 別に遠慮しているわけではない。学習の成果を発揮しようとしているのだ。希は長年、大声を出しては由人に泣かれ、なあなあのまま許させられてしまうという日々を繰り返してきた。だが……! (あたしだって、言うときゃ言うのよっ!) 希はふっと笑みを浮かべた。 「よく見りゃ、ゆーも王子に似てるよ」 きょとんとしている由人を見据え、彼のうつくしさを称えてやる。目には目を、歯には歯を作戦だ。 「イギリス人とのハーフってのは伊達じゃないわよね。金髪碧眼で色白、長身だなんて夢のようだもの。あたしに身長で勝ってるの、ゆーくらいだし。あんただったら、あたしのこともお姫様だっこできるんでしょうね」 「うん」 即答された! 「っ……!?」 あまりにも当然そうな顔で返されたので、希は一瞬めまいを覚え 「でも、のぞみん」 それが命取りになった。 「僕は浮気はしないよ?」 どこか、憐れむような口調だった。 (なんですって――!?) 続くはずだったのに。『でもあんたほど、見掛け倒しって言葉が似合うやつもいないわよね』と。 なのに由人は、口をぱくぱくさせている希をどう取ったのか、真摯な目をして言ってくる。 「時さんが忙しくて寂しい気持ちは分かるけど、そんなことしたら駄目だよ。あとで傷つくのはのぞみんなんだから。今、頑張ってる時さんと園くんのためにも、もう少し我慢してようよ」 手を包み込まれた。 「きっとまた前みたいに、四人で出掛けられるようになるからさ」 希はずばん、と手を振り払った。 「なんでそうなんのよ!?」 「わああぁっ!?」 更に突き飛ばすと、由人が尻餅をつく。もし目の前にちゃぶ台があったらみそ汁とごはんごとひっくり返してやったのに。 「あんた、ほんとに失礼な奴よね。一度あんたの、そのでろでろに煮立った毒々しい頭の中身を、塩素系漂白剤で真っ白にしてやりたいわ!」 「ひ、ひどいよ。のぞみん」 「どっちがよ!?」 希の頭からは「理性」という言葉が完全に吹っ飛んでいた。 「よりによって浮気だなんて、言いがかりも大概にしてよ。しかも相手があんただなんて……へそで茶が沸いちゃうわ!」 「え、違うの?」 不思議そうに瞬かれた。 「違うわよ。どこから出てきたのよ、それ!?」 「だって〜」 ひーん、と由人は泣き声を上げる。 「お姫様だっこして、なんて言うから」 「はあ!? 言ってないし!」 ふん、と希は鼻息を荒くする。 「大体、なんでお姫様だっこが浮気なのよ?」 聞いてやると、由人は目を白黒させた。 「へっ? だからさ、そういうのって好きな人同士でするものでしょ? そりゃ、僕だって子供の頃からそういうの憧れてたし、育ちすぎちゃったのぞみんが時さんにそれを頼めない気持ちも分かるけど……」 ブチィッ! 「言ってないって言ってんでしょ――!?」 「わああんっ!?」 胸倉を掴まれ逃げ腰になる由人の眼前に、頭突きせんばかりの勢いで希が迫った。 「あんたの頭の中がお花畑だからって、あたしまでそうだと思わないでよね! そりゃ……ちょっとは、あたしだって……時にしてほしくないわけじゃ、ないけど……」 一瞬、時満の優しい笑顔が頭を過ぎった。焦げ茶色の髪を横に流し、茶道部の部室で優雅にお茶を点てている――彼は副部長なのだ。 「けど、夢と現実をごっちゃにする気は、あたしにはないの。……大体、あんただってアリとお姫様だっこなんて一生かけても無理なくせに!」 アリとは園夫の愛称だ。どこまでも雄々しいボクシング野郎である彼は、恋人と同級生以下の人間が名前呼びすることを認めない、上下関係にうるさい奴。出会った当初は希も「有塚さんと呼べ」としつこく言われた。時満と由人の執り成しのおかげで、なんとか今の形に落ち着いたが、いくら由人の涙を以ってしてもこの件ばかりは無理に決まってる。 される方など屈辱でしかないだろうし、する方では体格差が問題になる。園夫の身長は平均より少し低い程度だが、由人の身長は二メートル近くあるのだ。園夫がいくらムキムキでも、さすがに分が悪い。 とはいえ 「うっ……うっ……」 (あー……) ちょっと言い過ぎたかな、と思った途端。 「うわあああんっ、のぞみんの馬鹿。考えないようにしてたのに、なんでそんなこと言うんだよ〜!?」 「な、なによ。あんたが先に言ったことでしょ!?」 「のぞみんの馬鹿〜! 冷血漢〜!」 「なんですって!?」 「わあああんっ、わああああんっ!」 由人は手足をばたばたさせ、駄々っ子のようにコンクリートの床を転げ回りはじめた。 (ああああー……) 希はふらふらと由人から離れた。その場で頭を抱えてしまう。 (またやっちゃった……) 後悔しても、もう遅い。どうして自分はこう、こらえ性がないんだろう。勝率はあったはずなのに。それともこれが、自分の宿命というやつなのだろうか? 希は瞑目した。 こうなっては仕方がない。潔く負けを認めよう。放っておけばいいじゃないかと人にはよく言われるが、この幼なじみを見捨てることは到底できそうにない。 そうして希は、大きな赤ん坊を宥めるために猫撫で声を出しはじめた。 それがどうして、こんなことになっているのかというと。 「ちょっと、いい加減降ろしてよ」 「やだ。せっかく、抱き心地がいいのに」 「やめてー!」 力無く嫌がる希に由人はすりすり頬擦りした。はしゃいだ彼に抱き上げられたまま、走り回られぐるぐる振り回された彼女は乗り物酔い状態になってしまい、怒鳴る気力も、もはやないのだ。 希は知らなかった。お姫様だっこが、こんなにも人を無力化できるものだったなんて。 ――つまり、ごっこ遊びで機嫌を取ることにした、というわけだ。 由人は最初、宥めてもすかしても謝ってみても、ただ泣き叫ぶばかりだった。気を逸らさせようと、屋上からの景色に注意を向けさせようとしても、遊びに誘ってみても駄目。それで考えてみた結果、彼はお姫様だっこがしたいのにできないから泣いているのだと思い至った。 そこで希が「あたしがアリの代わりをしてあげる」と提案してやったのだ。 とはいえもちろん、それとて由人は嫌がった。希がなけなしの母性を総動員して誘ってやったというのに「僕は絶対、浮気はしない」の一点張り。目の方は物欲しげにこちらを向いているのに、そこまで操立てするのかと、ちょっとイラッときたものだ。 だが希はそれでも笑顔を保った。「そんなこと言ったら芸能人なんて恋愛できないじゃない」とか「これはごっこなんだから浮気になんてならないのよ」とか言葉を尽くして説得し、なんとかここまできたのだ。 ――失敗だったが。 (誰か助けてー!) 「のぞみん軽ーい。いい匂いー。やっぱり女の子は収まりがいいな〜」 (収まりって何よ、それ!?) 希は胸中でだけ悲鳴を上げる。……吐きそうだ。 (どうしてこんな目に。好きでさせてるわけでもないのに……) よく分からない喪失感のようなものに、希は支配されていた。 そのとき。 バン! 「わりーわりー、遅くなっちまった――」 校舎側から扉を開けて園夫が飛び込んできた。 同時に、感じたのは浮遊感。 「なっ……!?」 「希……!?」 園夫と、少し遅れて出てきた時満が愕然としている。希は、両腕を万歳させたまま硬直している由人の手を遠く離れ、空に投げ出されていた。校庭と威澄町の全景と、秋晴れの空が希の視界を横切っていき――。 「だあああーー!!」 キスしつつあった希と床との間に滑り込んできたのは、一番フットワークの軽い園夫だった。 ゴスッ! 希の膝が園夫の脛にヒットする。 「ぐおあああおっ!?」 園夫はたまらず彼女の下から転がり出た。 「園くん、大丈夫!?」 「うおああああっ!?」 血相を変えて走り寄る由人と、苦しむ園夫。希が呆然とそれを見守っていると 「希、大丈夫か!?」 同じく駆けてきた時満に助け起こされた。 「うん、ありが……」 バッシン! 「いだあっ!?」 と、由人の悲痛な叫び声が飛んできた。 「何やってんだ、馬鹿由人。夢栗が死んだらどうすんだ!?」 (……いや、さすがに死なないけどね) とは、フォローしてやる気になれない希だった。 屋上には気まずい雰囲気がたちこめていた。仁王立ちして太い眉の間に深い皺を刻んでいる園夫と、その足元で正座し青ざめている由人。これまでのいきさつを怒り心頭で語っている希と、それを複雑そうに見ている時満。 希の声だけが威勢よく響く。 「まったく滅茶苦茶よね、ゆーは。大方、アリに浮気の現場を目撃されたくなかったんでしょうけど。大体、お姫様だっこしたくらいで浮気っていう発想が理解できないわよ。ほんと、お子様なんだから」 「……なるほどな」 と、園夫の声が地を這うように響く。 「よく分かったぜ」 振り向いた希に視線を合わせ、園夫はかっと目を見開いた。 「てめえがどんだけ無神経かってことがな!!」 「っ…………!?」 希は気圧され、一歩下がった。更に詰め寄ろうとしてきた園夫から庇うように、時満が前に出る。 「やめろ、園」 「時、てめえは腹が立たねえのかよ!?」 「大声で威嚇するな。希が怖がるだろう!」 「ちょ、ちょっと……!?」 希は混乱した。自分がそんなにおかしなことを言ったのだろうか? 「僕はやだって言ったんだ……」 と。 ぽつりと由人が発した言葉で、不意に沈黙が訪れた。全員が注目する中で 「僕はやだって言ったんだ!」 由人は涙と鼻水を迸らせながら勢いよく顔を上げた。園夫の足に縋りつく。 「信じて、園くん。僕はやだって言ったんだ。なのに、のぞみんが無理矢理……僕はほんとは嫌だったんだ!」 「なっ!?」 「見苦しいぞ、由人!」 園夫が吠えた。だが由人は手を放さない。園夫のグレーのズボンにシミが広がっていく。 「僕は初めては好きな人にって……園くんにって決めてたんだ。僕が好きなのは園くんだけだ。だから……!」 「俺だけ……?」 その言葉その必死さに、園夫は少し心を動かされたようだった。 「ちょっと、変な言い方しないでよ!」 「……由人」 と、園夫の表情が少し緩む。ぐすぐすと泣きながら見上げてくる由人の顔を、じっと見つめた。 やがて、目を伏せる。 「分かった」 「はあ!? 何が分かったのよ!?」 理不尽さに叫んだ希に園夫は冷たい一瞥をくれ、すぐに由人に向き直る。 「分かったから、安心しろ」 園夫は由人の頭を撫でた。不満げな希の目の前で、由人に手を差し出し、立たせる。 「おまえが反省してるってのは、よく分かった。夢栗の傍若無人ぶりもな」 「ちょっと……!」 園夫はもはや希を見ない。 「この女が相手じゃ、おまえも分が悪かっただろう。ずっと俺が守ってやれてりゃよかったんだが……嫌な思いをさせちまったな」 「園くん……!」 由人の目から更なる涙が溢れ出る。 「うわあああんっ!」 由人は園夫に飛びついた。園夫はその大きな身体をしっかりと抱きとめてやる。 もはや二人の世界だ。 希は呆れた。もはや何を言う気にもなれない。まあ、園夫の注意が逸れてくれたのには助かったが。 しかし……。 「希」 呼ばれて、希はどきっとした。 「時、あたしは……」 何か言い訳しようとして、何を言い訳するのか分からず口を噤んでしまう。だって希は悪いことなどしていない……はずなのだ。 不安げに時満を見やると、彼は希の両肩に優しく触れる。穏やかに笑ってくれた。 「考え方がすれ違うことなんて、あるのが当然だ。大丈夫、こんなことくらいで俺は希を嫌いになったりしないよ」 「時……」 抱き締められて、希の身体から緊張がほぐれていった。もっと時満の温もりを感じたくて背中に手を回すと、安心感が心を満たしていく。 「ただ……」 肩口からためらいがちな声が上がった。 「俺もやっぱり、他の奴にお姫様だっこされてる希なんて見たくないんだ。だから、できればこれからは改めてくれないかな?」 「でも……」 希の眉間に皺が寄った。納得できない。 だって、つまりは時満も「お姫様だっこ=浮気」と思っているということなのだ。ごっこ遊びでも駄目なんだろうか? そんなのちょっと堅すぎないか? だって彼には……。 そこまで考えて目を閉じた。 (これ以上、問題をひっかき回したくない) 「時じゃ、あたしをお姫様だっこできないじゃない」 「え」 (……あ) 希は硬直した。頷こうとしたはずなのに、ついつい本音がぽろりと零れた。 時満は固まっている。俯いたまま、後ずさった。 「ごめん、今のは……」 「…………」 時満は反応しない。希は唇を噛んだ。 わがままを言ってしまった。だが同時に、これが自分の本心なのだと気がついていた。 希はお姫様だっこなんて夢でしかないと思っている。だが、ちっとも憧れていないと言えば嘘なのだ。自分より背が低い時満に、無茶なことを要求して彼のプライドを傷つける気など彼女には毛頭なかったから、とっくに諦めたつもりでいたのに、まだこんなことを考えていたなんて。 だからあのとき、由人ならできるなんていう言い方をしてしまったのだろうか。それを咎められたから、あんな風に言い返してしまったのだろうか。 時満がぱっと顔を上げた。希ははっとするが、目を剥き、たじろぐ。 「ちょっと……?」 恐怖が背筋を這いのぼった。 時満は笑っていたのだ。別に希を睨んでいるわけじゃない。だがだからこそ、なお怖い。彼はその表情を保つために顔じゅうの筋肉を緊張させていたのだから。頬や眉のあたりが痙攣し、こめかみには青筋が。口が微妙に引きつっている。 (こ、怖い……!) 初めて見た、時満の怒り顔だった。 「俺にだって……」 時満が距離を詰めてくると、思わず希は震え上がった。 「俺にだってお姫様だっこくらい、できる!」 「きゃっ!?」 時満は身を屈めると希の腰に取りついた。よろけた彼女の背中を自分の腕で支え、膝裏に手をかける。 (ひいっ!?) ひっくり返る! 希が目を瞑った瞬間。 (え……?) 希は浮き上がっていた。 「うぐぐぐぐ……」 時満の呻き声に目を開けると。 希はぽかんとした。 (お姫様だっこ……) されてる――!? わっと胸が熱くなった。頬が上気し、頭がぽーっとなる。 「時……」 うっとりと、名前を呼んだ。 時満は顔を真っ赤にしている。なんとか踏ん張ってはいるが、両腕はぶるぶる震えていた。だが必死に、希を喜ばせようとしてくれている。 きゅん、と胸が締め付けられた。 「ど、どうだ!?」 希は満面の笑顔になった。 「うん、これが一番嬉しい!」 求めていたのは、これだったのだ。 時満は笑い返そうとして力尽き、二人は簡単にくずおれてしまった。だが彼が希を守るように抱き締めてくれていたので、彼女は足を少し打っただけで済んだ。 仰向けになり希の下敷きになった時満が、苦しげに息をついている。希は慌てて彼の上からどいたが、負担にならないよう再び覆いかぶさり 「ありがとう、時」 時満の頬にキスをした。 「希……」 時満が微笑する。 「あたし、もう時以外とは絶対これしないと思う。する必要、なくなったもの」 「そうか……!」 両手が伸びてきて、時満が希の両頬を挟み込んだ。引き寄せられ、今度は唇に口づける。二人はクスクス笑いあった。 由人のことを「わがまま」と言っていたけど、自分は大人になろうとしすぎていたのだろうか。本当は自分も「わがまま」が言いたかったのに。 (たまには、あたしもわがまま言おうかな) 時満にじゃれつきながら、希はそんなことを思った。 一方、園夫と由人は、そんな二人を羨ましそうに眺めていた。 「いいなぁ」 ぼそりと由人が呟く。園夫は冷や汗を流しながらそっぽを向いた。由人の視線を感じるが、目を合わせてはいけないと思う。 園夫とて由人を大事に思っている。お姫様だっこ、ぜひともしてやりたいのだ。 だが物理的に不可能なのだから仕方がない。時満の相手はまだ女だからよかったが、男というのは見た目以上に重量がある。超ヘビー級だ。いくら自分といえど、手に余る。 逆は嫌だ。女役なんて、負けを認めるようなものだ。園夫は、恋人に対しては常に優位に立っていたいのだ。これも一種の男のロマン。少しは理解してほしい。 なのに由人は。 「園くん」 顔を覗き込まれ、園夫はぷいっと横を向いた。すると 「園くんっ」 逆から覗き込まれる。 右、左、右、左と不毛な攻防が続いたあと 「だああっ! しつけー、いい加減にしろ!」 「なんだよ、無視はひどいじゃない!」 ぶち切れた園夫と半泣きになった由人が衝突した。 「一回くらいさせてよ、減るもんじゃなし!」 「ざけんな、減るだろ。おまえ少しは俺の気持ちも考えろよ!」 「考えてるよ。だから一回だけって言ってるんじゃないか!」 「そりゃあ、一体どんな理屈だ!? 俺が長年積み上げてきたものを、おまえはぶち壊すつもりか!?」 「園くんは僕より自分のプライドの方が大事なの!?」 「そっくりそのまま返してやるぜ。てめえは俺より自分の我(が)の方が大事なのか!?」 伸びてきた手を乱暴に叩き落とすと、口をへの字にした由人が唸った。二人は激しく睨み合う。 来るなら来やがれ! 園夫は臨戦態勢だ。 由人の目つきがすっと変わった。 (来る……!) 一瞬のうちに、柔道仕様で腰を落とした由人が間合いを詰めてきた。掴みかかってきた手を払い僅かに身を引くと、彼は身を屈めてタックルを仕掛けてくる。 「うおっ!?」 イレギュラーな攻撃を園夫は横に飛んで躱した。動きに無理があったせいかたたらを踏む由人から、目を離さずに体勢を立て直す。 二人は再び向き直った。 「嫌がられたら無理にでもってか? いい根性してるじゃねえか」 「園くんこそ、こんなに僕が頼んでるのにどうして聞いてくれないの?」 「頼むにしちゃ、頭の位置が高すぎやしねえか?」 話は延々、平行線だ。 そんなことにも気づかずに、二人の対立は深まっていく。 カーン! 決戦のゴングが鳴った。 「絶対するもんね。お姫様だっこー!」 「返り討ちにしてやるぜ!」 二人は闘志を燃え上がらせた。 「……不毛だわ」 ぽつりと、希は呟いた。 「まあ、これでも食べなよ」 「えっ? わーいっ」 ぱくっ しかし時満に弁当の卵焼きを差し出されると、幸せに浸ってしまうのだった。由人たちからは少し離れ、すっかりくつろいでいる二人である。 「させてよ、させてよ、お姫様だっこ!」 「嫌だ。ざけんな。いい加減にしろ!」 だがすぐそばを由人たちが横切っていくと、希はまた心配顔になってしまう。 「二人とも我が強いのよね」 「本音を言い合えるのはいいことだよ」 「えー、でもさあ。どちらかが折れないと問題は解決しないじゃない?」 時満は、ははっと笑った。 「大丈夫、見てな。そのうち園が折れるから」 「えー?」 疑わしげに時満を見ると、彼はいたずらっぽく園夫を指で示した。 「園もゆーには弱いってこと」 (え!?) 希はぎくっとするが 「……ああ〜」 すぐに、しんみり顔になる。 「それに、好きな子に泣かれたんじゃ、プライドもへったくれもないだろうしな」 「あー……、そうだね」 希は複雑な気分になった。不本意ながら、園夫の気持ちがよく分かる。 ――そう。 結局、園夫は希と同じなのだ。由人がかわいくて、だから彼には絶対勝てない。ついつい甘やかし増長させてしまう。 わがままで無神経で、自分に正直すぎる由人。彼にどんな魅力があるのか、それははっきりとは分からない。ただ、自由に生きている彼が時々、希は羨ましくなる。彼が自分を見失うことなんて、きっと一生ないんだろうと思うから。 この気持ちがある限り、自分たちは由人に振り回され続けるのだろう。 「園く〜ん!」 「こんちくしょー!」 園夫の絶叫が天を突いた。 「絶対いつか、てめえよりでかくなってやる!!」 (そりゃ、無理でしょ) 冷静なつっこみを入れつつも、希は憐れな同胞の未来に、しばし瞑目した。 終 |
ハギノ改め季織
2012年07月23日(月) 02時45分48秒 公開 ■この作品の著作権はハギノ改め季織さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.4 季織 評価:--点 ■2012-07-25 19:53 ID:pt5S5l.1Z4I | |||||
白星さま こんばんは。お付き合いくださり、ありがとうございました! くだらない馬鹿騒ぎ……まさにそんな、若かりし日の楽しかった思い出に立ち返りつつ書いていたので、懐かしく思っていただけて嬉しいです。それだけでも報われましたv ラブコメ、重くならないギャグ、と決めていて、私としても、どうやって話を終結させたらいいのか悩んだところでした。楽しく明るくは良くても、もう少し何かあった方がよかったかもしれませんね。 ただ、同性愛を「意外性」として扱いたくないという個人的な主義主張みたいなものがありまして、同性愛カップルがいることをネタにはしたくなかったのです。同性愛者も異性愛者も普通に仲良くしているような、自分にとっての理想的な世界を描いてみたくて書き始めた小説だったので。 私が気にしすぎなのかもしれませんけどね(笑) 白星さんのラブコメ、ぜひ読んでみたいですv 好きなキャラを上げてくださって嬉しかったですv どうもありがとうございました。また次の機会には、ぜひよろしくお願いしますねv |
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No.3 季織 評価:--点 ■2012-07-25 19:39 ID:pt5S5l.1Z4I | |||||
脳舞さま 初めまして!お付き合いくださり、ありがとうございました。 たくさん書いてくださって、一生懸命考えてくださったのだな、というのが伝わってきて嬉しいです。 ギャグがすべっていないか〜のお話、本当にその通りだと思います。たしかに、書いたギャグがすべてウケる人なんているはずないですよね。もっと堂々としていようと思えました。 今回、たしかに擬音に頼っている部分があったかもしれません。 ご指摘いただいた通り、どうにも地の文が固くなってしまい、ほぐすことができないという部分で、かなり悩んでしまいまして、少しでも文章の雰囲気が和らげばという思いから、つい乱用してしまいました。 やり方が間違っていたなと痛感しております。 キャラクターの身長も、「二メートル近く」と書きましたが、正確には百八十センチ程度を想定して書いていました。くどくならないようにと配慮したつもりが、分かりにくい描写になっていたようですね。すみません。 実は私は三人称で文章を書くのが苦手で、克服したいという意図から、今回は三人称の文章を使わせてもらったのですが、どうにも文章が固くなってしまい難儀しました。 文章表現をやわらかくする工夫としては、漢字とひらがなを使い分けるというのもいい手なのかもしれませんね。アドバイスありがとうございます。 屋上で希が吹っ飛ぶシーンですが、脳舞さんの言う通り、ギャグだからまあ、いっか、と深く考えずに書いてしまった部分です。 気になってしまったようで……すみません。たしかにやりすぎでした。次からはちゃんと考えてから描写するように気をつけたいと思います。 的外れなんてとんでもないです! 場違いだったらどうしようと思っていたので、同性愛嫌いじゃないと言っていただけて、ほっとしましたし、次につながるヒントをいただけたと思っています。 どうもありがとうございました。次の機会には、ぜひまた来てやってくださいねv |
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No.2 白星奏夜 評価:30点 ■2012-07-24 23:22 ID:LuursefdGYI | |||||
こんばんは、白星です。 拝読させて頂きました。バカ騒ぎというか、じゃれ合いというか。こういうの、私も書いてみたいなぁ、と思う今日この頃です。戻れるものなら、中、高、のあの独特な、くだらないことで盛り上がった時代に戻ってみたいです。懐かしい気持ちになりました。 せっかくですので、一言。楽しい雰囲気は伝わるのですが、やはりそこで終結してしまっているような感じがします。最大の意外性であるはずの、同性愛カップルが序盤で分かってしまうので、驚きと興味が減衰してるような。序盤は関係を伏せておいて、お姫様だっこが露見するところで、同性愛も露見した方が面白いように感じました。お気を悪くされましたら、申し訳ないです。一意見として、端の方に置いておいて下さい。 ラブコメ、心の触れ合い、文章にするのは難しいですね。でも、私も書けていったら良いなぁと思います。 拙い感想、失礼致しました。個人的には、希が好きでした!! ではではっ、失礼させて頂きますっ!! |
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No.1 脳舞 評価:20点 ■2012-07-24 23:14 ID:vbFRuyuhwTI | |||||
読ませて頂きました。 話の内容以外のところにやもやする部分があったので、余計なお世話を。 地の文に散見できる「ブチィッ!」「バッシン!」などの擬音が気になってしまいます。使用すること自体は悪いことではないと思うのですが、それだけで状況や展開の表現をしてしまうと妙に文章が安っぽくなってしまいがちです。あくまでそれは補足程度の意味合いにとどめて、しっかりと「何がどうなったのか」の描写を入れた方が良いのではないかと思います。 それから、全体的に軽いノリの話の展開にそぐわない(と私は感じてしまう)単語がちらほらと。「瞠目」は「目を見張った」で良さそうですし、これは完全に好き好きだと思うのですが、字面が硬すぎる「僅か」「呻き」あたりは平仮名に開いても良いのでは、と感じます。 >希は、両腕を万歳させたまま硬直している由人の手を遠く離れ、空に投げ出されていた。校庭と威澄町の全景と、秋晴れの空が希の視界を横切っていき――。 この辺り、屋上から落ちてるんじゃないかと思ってしまったりも。角度的に五メートルやそこらは高く投げ出されているか、相当広大な敷地面積がない限りは視界に校庭なんか入るかなあ、とか。場所が柵の傍ならまあ、なんとかなるのかも知れませんが……。それの高さ次第ではやはり乗り越えてしまいそうな感じが。ギャグっぽいところに突っ込むのが無粋なのかも知れませんけれど。 ギャグがすべっていないかが怖いとのことですが、一〇か所すべっても一か所ウケたらそれでお釣りがくるくらいに思った方が良いのではないでしょうか。書くギャグ書くギャグが面白い作家さんなんてプロにもまず居ないと思いますし。 あと、中学生で身長が二メートル近いというのは……ギャグと言われてしまえばそれまでしょうが……。別に同性愛のお話が嫌いなわけではないのですが(むしろ好物ですが)、ちょっと話に入り込みにくく感じたのはそういう部分なのかも知れません。リアリティを保った中にふいにそういうものを投げ込むからギャグが成立するのであって、全体的にリアリティが薄めだと少し読み手との間に距離が出来てしまうように思います。 そういう感想を求めているわけではなくて的外れだったらごめんなさい。 |
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総レス数 4 合計 50点 |
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