高架下にて、作品以前の感情 |
私はエステ用のローションを手首まで浸した。 気持ち悪さと心地よさが入り混じったような感覚に陥る。 ローションは粘液に近い。 粘液は人間を含めた生物がある一定の条件下で分泌する液体だ。 私はある何者かの生物と遠隔的に繋がっているのだ。 そしてその生物こそマッサージ師に違いなかった。 遠隔操作された生物の存在に気づいた私は遠隔の糸が切れぬように祈り続けた。 切れてしまえば私は孤独に陥ってしまう。 祈る間だけは切れることがないだろうという迷信を深く信じ込んで。 狂信的な態度を取ることができれば自分は永久に孤独にならないだろうと信じ込んで。 しかし今となってはその方法が通用しないことが分かった。 なぜなら狂信的な心は赤のモノトーンに塗られたようなものであり全く精彩を欠いている。 乾いた水彩絵の具の赤だ。 まだ使いこんでいない絵筆に色を含ませながらマッサージ師の到来を待ち続けている。 しかし筆は一向に赤色を含ませることがない。 せいぜい固い毛先に赤色の粉のようなものが付着するだけ。 確かあなたは私のことをこう評したわね。「未来に希望を失った若者」だって。 私はそれを聞くたびに何か違うと違和感を隠せなかったの。 「未来に希望を失った」という言葉で表現されたせいで、零れおちた部分というのは一体どれほどのものだろう? 「ゆとり世代」から零れおちた部分は? いつかマッサージ師が来るのだと知っているから私たちには輝かしい未来がある。 ただマッサージ師が来るのはもっとずっと先の出来事かもしれない。 マッサージ師が来る前に私の心が乾ききって白いパレットのうえで亀裂が走るかもしれない。 しかしひたすら祈り続けた先にはマッサージ師がいることだけは分かっている。 彼に会うための最短ルートを模索するのが私たち「ゆとり世代」の永遠のテーマだ。 だから私は彼に会うために必要なことを今必死になって探している。 これまで生きてきた大人たちがかつてそうしてきたように私たちは自分で自分のルートを開拓していかなければならない。 大人たちはうまく「アクセル」と「ブレーキ」を使い分けて道を切りひらいた。 高校生のころ「アクセル」と「ブレーキ」という言葉が「カプセル」と「精液」に聞こえて仕方がなかった。 体だけ大人で中身がまだ子供だったからだろう。 その頃の私にとってカプセルといえば「AngelMind」もしくは「抗がん剤」だった。 精液といえばすぐに当時付き合っていた二人の男が出す液の白さが微妙に違うことを思い出した。 私たちと大人たちの違いがなんだかはっきり見えるような気がする。 「アクセル」と「ブレーキ」で堅実に進む大人たちには決して理解できるものではないだろうと思う。 私たちは飛躍を夢見る。 最近になって宝くじの種類が増えているのはそのせいだ。 もう大人たちが車で地上をあらかた走り回ったのだ。 となれば私たちは空へと飛ぶしかない。 そらへと飛んで今まで車が走ってきた車のスリップ痕を眺めて、今までとは違う角度で踏んでやる気持ちをもたなければ。 車から降りて宙に浮かぶことができるかもしれないと信じることができるのは今だけだろうから。 私は宙に浮かぶことを強く祈る。 祈れば祈るほど足首が泥に捕らわれる。 泥の粘りは尋常ならざるものがあった。 みんな泥の執念に屈してしまうのだ。 どんな人間でも泥に膝の辺りまで沈んでしまう。 膝まで沈んでようやく底に足がつく。 そしてその頃には、私の体はもうどうにもならな ◇ ……メモはここで途切れている。 梅雨がコンクリート道路を打ちつけているのが見えた。 水たまりには大きなものも小さなものもあった。 ふだん歩いているときには気づかなかったが、コンクリートの道路というものは、平坦に舗装されているように見えて、実はここまで凹凸が激しいのだ。 女の子の死体は、高架下で見つかった。 首を吊って死んでいた。 その手には、メモの続きが書かれているのであろう切れ端が握られていた。 私は死体を作品にすることを考えた。 警察に通報することだけは、絶対にしてはならない。 警官がこの死体を見たら、日本の年間自殺者数三万人のうちの一人として、統計の力でもみ消されてしまう。 私は彼女を作品にすることを考えた。 キリストの死が後世において作品となり、神話になったように 彼女の死が現代の神話となるためにはどうすればいいだろうか。 彼女の死を、後世に残すために。 神を信じる者は、皆家族なのだから。 そして彼女も神を信じていたはずだ。そのことはメモを読めば明らかになっている。マッサージ師という現代的な言葉で、彼女の目はその存在を正確に捉えていた―― しかし、私の胸の内に去来したのは「死体毀損」という、誰が考えたのかすらよく分からない刑法の用語だった。 私が彼女を作品へと昇華したそのとき、おそらく私は罪に問われるのだろう。 法律を全ての盾にして、私との積極的な対話の機会など、初めから設けられることはない。 思考停止したものに、判断停止するよう主張したところで意味が無いのだ。 それならば――複製する力に頼るしかない。 運のいいことに、私はデジタルカメラを持っているのだった。 これで彼女を撮影すれば、何人でも彼女を複製することができる。 その複製された彼女に、私が手を施して作品へと完成させるのだ。 シャッターを押すたび、高架下で閃光が瞬いた。 ちょうど梅雨が、私と彼女の死体を俗世から隔離してくれた。 あとは彼女を作品にする。 そして彼女を、現代の神話的な存在にするのだ。 ◇ 若者の心をつかむのは、いつの時代も音楽だ。 そのシンガーソングライターは地方都市のゲリラライブから次第に頭角を現し始めた。 テレビという、ごく限られた価値観の箱庭で取り上げられることはなかったが インターネット上という、若者の支持を得やすい舞台では確実にその名を知らしめることができた。 デビュー作『高架下にて』の歌詞は、彼女が書いたメモをそのまま引用し ジャケットには彼女の写真が用いられた。 有名動画サイトにてPVも公開された。 高架下において響き渡る歌声が如実に録音され、ふだん人間が耳にする声と遠く離れた魔術的な効果が現われていた。 再生数は確実に伸びている。 彼女は、一個の死から解き放たれて、若者の心に浸透する抽象的な存在へと生まれ変わった。 「優れた作品には、その裏で人が一人死ぬぐらいの荒々しい力が働いているんです。この曲は私の作品ではありません。私が偶然出会った、ごく普通の女子高生が作り上げた音楽なんです」 |
時乃
2012年07月18日(水) 21時05分04秒 公開 ■この作品の著作権は時乃さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.2 季織 評価:20点 ■2012-07-23 03:09 ID:pt5S5l.1Z4I | |||||
こんばんは。読ませていただきました。 深夜で頭が湧いているせいか、よく内容が理解できなかったので、こんな点数です。すみません……。 メモの内容だけでは首つり死体が自殺という感じがしなかったので、実は他殺でカリスマミュージシャンは首吊り少女を作品にしようとしたことが原因で殺人犯につけ狙われて、何かこう、文学的な特殊体験をしてメモの内容を更に昇華させたりとか……そんな長編にもできそうだな、なんて最近サスペンス劇場にハマっている私は想像をたくましくさせてしまいました。 雰囲気がよかったなと思います。 おもしろい作品を、ありがとうございました。 |
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No.1 陣家 評価:30点 ■2012-07-21 19:16 ID:B1I4uPckPEk | |||||
拝読しました。 面白かったです。 実験的な作品ですね。 でも、メモの内容はあまりに文学的で詩的で、リアルな人間の絶望感はイメージしにくかったかもです。 死にたがりの女子高生も、上司との不倫に身を窶すOLも、少女カリスマミュージシャンも、文壇に稲妻のように登場した女流作家も、いつしかフツーのお嫁さんになっちゃいますよね。 江坂駅高架下の女の子の死体は、引き上げられ、うち捨てられていた山崎 富栄のイメージでした。 男のロマンだと思います。勝手な……。 それでは |
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総レス数 2 合計 50点 |
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