四月の風 |
「あはは、しょーこさんだー」 誰がこんな余計なことをしてくれたのか。 隣で上機嫌にばしばしと背を叩いてくる香住に祥子はうんざりと溜息をついた。 新学期お花見会と称したクラス会は四月の終わりのこの地方では桜の時期に行われた。クラス会は大変盛り上がっていたが、転校してきたばかりの祥子にとっては少し居心地が悪かった。 ただ「みんな来るから」というその会を何か理由をつけて断るのも面倒で、仕方なく一人隅の方で目立たないようにしていた。結局夜遅くその会がお開きになる頃には、やっぱりくるんじゃなかったという気持ちで腰を上げることになった。 が、 「ねぇ、これどうにかしてよ。完全にできあがっちゃってんだけど」 という言葉が聞こえふと顔をあげた。 そこには困った顔のクラスメイトが委員長にすがるように泣きついていた。 「ねぇーきぃちゃあん。もっと朝まで遊ぼうよー」 よく見ればそのクラスメイトの腕に張り付いている人物がいた。 「もー、まったく」 クラス委員は困り果てたように頭を抱えて盛大に溜息をつく。 「だれか香住の家の近くの人に連れて帰って……」 というところで、ふと委員長と目が合う。 「あ」 その顔がぱっと名案を浮かんだように晴れて、 「そういえ森谷さんて、香住の家の近くだったよね」 と笑顔を向けられる。 「い、」 いや、違います。 と、自宅から徒歩2分とかからない香住の家を思い出し、祥子は言えずに言葉を飲む。 この状態で委員長が何を言いたいかはわかるが、正直、面倒なことはしたくない。 というか、酔っ払いの世話なんて冗談じゃない。 しかも、相手はあの神崎香住だ。 出会って一カ月だが、クラスでとても目立つ存在だった。明るくて、いつもお調子もので、何もしなくても周りから好かれるタイプ。 人づきあいが下手で騒ぐのがいまいち苦手な自分とは真逆の位置にいるような人間だ。 そして、神崎香住は天才ピアニストだ。 いや、そうだと、聞いた。 風の噂で。 おせっかいなクラスメイトが教えてくれた。 香住が学校をよく早退しているのはピアノのレッスンに通わなければならないから、と。 学校も特別扱いをしているのだと。 きっと同じ大地を踏みしめて、同じ地にいても香住の見える世界と自分の見える世界は違うのだろう。もっと大きな世界に、もっと大きな舞台に彼女は立っているのだ。 そう思うと自分からは遠い存在の人間だと思っていた。 だから、関わりたくないと思ってたのに。 「ねーぇ、しょーこさぁん。もっと遊ぼうよぉ」 結局、断りきれなくて、香住に肩を貸して連れて帰ることになった。というわけである。 「ねーしょうこさーん」 返事をしないとしつこく着ているカーディガン肩口をぎゅーぎゅーひぱってくる。 「なによ」 うんざりしながら、返す。 なんだって自分がこんなこと。 と、思いながら振り向いた先で、 「あたしのこと、好きー?」 香住の茶色く澄んだ瞳が見上げてきて一言。 そんな言葉をなげかけられた。 「は?」 さすがに酔っぱらいの言葉とはいえ驚いて思わず目が丸くなる。 一瞬、腕の力が抜けたせいで、香住の体がぐらりとゆれる。 慌ててそれを受け止めるべく、その両肩を掴んだ。 丁度真正面からみあげてくるような形になった香住が顔を上げる。自分より華奢だと思っていた少女は意外にも目の前にくれば身長差は些細なもので。近づきすぎるその顔から逃れようとした顔は彼女の手によってぐっと捕まえられた。 「ね、好き?」 再び、そう聞かれる。 「な、に言って……」 思わず目を逸らす。 今まで他人にこんなこと言われたことがなかった。 男の子に好きだと言われたことはあっても、自分のことを好きかどうか。どう思うかなんて聞かれたことも気にしたこともなかった。 「だってぇ、祥子さん、私のこと無視するんだもん」 「はぁ?」 「教室でもぜんっぜん声かけてくれないし、せっかく隣の家に越してきたのに、一緒に学校行ったこともないし」 「……」 言葉に詰まる。 この少女は誰もが自分のことを気にかけてくれると思っているのか。 天才ピアニストだから、皆が注目してくれるのが当たり前だと思っているのか。 「だから……だから不安で」 目の前の香住の顔が歪む。 子供が泣き出す前のようなそんな顔だ。 「不安、で……」 「……そんな、ことないけど」 慌ててそう言うと、ふっと香住の顔が明るくなる。 心底ほっとしたというように。 その表情に祥子は違うとおもった。 ああ、違う。 その逆だ。 皆に注目されるのが当たり前だからだ。 天才ピアニストだから、周りにいつも評価されてきたから。 だから気にしてきたのだろう。 どんな風に思われているのか、不安で仕方なかったのだろう。 「じゃあ、メールアドレス教えてくれる?」 「う、うん」 「明日から学校でも話してくれる?」 「……うん」 「宿題も写させてくれる?」 「……それは自分でやんなさい」 頷きそうになり思わず切り返すと、香住は嬉しそうにえへへと顔を緩ます。 その顔を見てなんだか力が抜けた。 いきなりの父の転勤でこの地へ来てから、意地を張ることに精いっぱいでなにも見えなかった。周りがどんな風に自分をみているかも、自分が周囲をどう思っているかもわからなくなっていた。 ただ、一から頑張っていくことがしんどくて、クラスにうまくなじめないのも、毎日が憂鬱なのも、全部あとから親の都合で振り回されたせいにしてしまえばいいと思っていた。 環境が悪いから、いきなりのことだったから仕方ないから、だから。 「ねぇ、祥子さん。今度、星見に行こうよ。」 ふっと香住の手が離れていく。 先を二、三歩行って、くるりと踊るように回った香住が振り返る。 桜の花びらが散る夜の闇の下、白いワンピースが視界で揺れた。 「すっごい綺麗だから」 ね? 一緒に見よう、と。 「うん」 それにゆっくりと頷いて、祥子は空を見上げた。 息を吸う。 満点の星はすっごく綺麗だろう。 今日みたいに月が明るくない日。星たちだけが輝かしくちりばめられて明るく輝く日。 「うん、そうだね」 その情景に思いを馳せて祥子は今度ははっきりと頷いた。 わたしにだってまだ見ていない景色が、ここにある。 きっと楽しい時間がそこにあるから。 一人で殻に閉じこもっている暇なんてない。 そう、だって。 まだ季節は始まったばかりなのだから。 桜が散れば、新緑が芽生え、じめじめとした梅雨が来る。 その先には初夏の香りと真夏の日差しが待っている。 そんなことを想像して大きく息を吸い込んだ。 少し冷たい四月の夜風がうきうきとして紅潮した頬に心地よく吹き付けた。 了 |
さかさき
2012年06月23日(土) 12時37分40秒 公開 ■この作品の著作権はさかさきさんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.1 笹森 賢二 評価:40点 ■2012-06-24 22:45 ID:TQuxQJnwtBs | |||||
とても視覚に気を使われた綺麗な作品だと思いました。 その細部であれば三点リーダーは不要かな、と思います。 見やすく纏められているので、一つ言葉を足す方がより綺麗に見えるのかなと感じます。 好みの差かな、と思う部位ではありますが。 僕は夏の星が好きなので次は夏の星をなぞる二人を見たいなぁと思いました。 湿った風にゆらぐような星空は、一つの芸術であると思っています。 |
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総レス数 1 合計 40点 |
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