ノイジー・ガール
 冬の長い日差しが差し込んでくる。その中に煙草を咥えたまま寝転がっていると穏やかな気分になれる。数少ない休日だ。やっぱりこんな風に使わないといけない。午前中はこうやってだらけて、午後になったら掃除でもしようか。買出しも済ませれば良い時間になりそうだが、偶には外で夕飯を済ますのも悪くない。
 ふと、玄関の呼び鈴が鳴った。一気に気分が暗くなる。
「来たか」
 煙草を灰皿に預け、耳を塞ぐ。再び呼び鈴が鳴る。僕は無視をする。再び鳴る。無視をする。段々間隔が狭くなり、やがて唐突に鳴り止んだ。
「行ったか?」
 続いて聞こえて来たのは携帯電話の着信音だった。往生際の悪い奴だ。無視を決め込んでしまっても良いのだろうが、それでは余りに可哀想に思えたので出てやる事にした。
「なんだ?」
「お出かけしてるんですか?」
「いや? 今起きたトコ」
 どうせ気付いているのだろうが、そいつは二つ三つ小言を並べただけだった。つまり僕とそいつはそう云う関係だ。傍から見れば恋人同士に見えるらしいが、当人同士は大して互いを意識していない。こいつは腐れ縁をこじらせ世話を焼いているだけで、僕は疎ましく思うだけで感謝さえしていない。確かに見た目は可愛いが、今更何かを感じる事は無い。妹のようなものだ。部屋に上げてやるとそいつは当然のように冷蔵庫を開き、中を確認した。
「また卵切らしてるんですか」
 長い髪がゆらゆらと揺れている。
「あ? もうねぇのか?」
「ええ」
 確認してみると本当に無かった。それどころか色々と足りていない。
「朝ご飯はもう食べましたか?」
「未だだ」
「では、あるもので作りますので、終わったら買い物に行きましょう」
 ついでに昼飯を食べて、午後も時間を潰して帰ってくる事になりそうだ。そういえば先週の休みもそうやって潰れたんだったな。我ながら全く進歩していない。
「何か予定でもありましたか?」
 しれっと訊いてくる。気になるなら来る前にメールの一通でも欲しいもんだが、無理だな、こいつじゃ。
「別に。何もねぇよ」
「相変わらず暇な人ですねぇ」
 右手で口元を隠して小さく笑う。友人に言わせればたまらない仕草らしいのだが、見慣れた僕にはその意味が理解できない。
「お前こそ他にやる事ねぇのかよ」
「特にありませんよ」
 誰に頼まれた訳でもないのに、こいつは他の奴の誘いを断ってここに来ているらしい。言い寄る男は多いそうだから、恐らく防波堤に使っているのだろう。それにしても暇な奴だとは思う。
「友達、居ない訳じゃないだろ?」
「ええ。でもそっちは平日の夜や土曜で事足りますから」
 言葉の端に一抹の不安を覚えながら煙草を咥える。でも、まぁ、実際はそんなところか。日曜くらい自分の為に使うか。否、それなら家に居ろよ。
「また難しい顔して、どうせ良い考えは浮かびませんよ?」
 頭を掻く。それは確か中学の頃から言われ続けている事だと思う。
「さ、冷めちゃう前に食べて下さい」
 テーブルの上にはいつの間にか朝食が並んでいた。トースト。一枚残っていたハムとキャベツ、トマトのサラダ。買い置きのコーンスープ。本当は卵スープでも作りたかったのだろう。
「ああ、お前は?」
「今何時だと思ってるんですか。とっくに済ませましたよ」
 時計の針は九時を回った辺りだった。日曜だというのにせっかちな奴だ。
「毎回思うんだが」
「はい?」
「見られながらだと食いづらい」
 向かいに座ったそいつは頬杖を着き、何か複雑そうな表情をした。
「それだともっと早く来ちゃいますけど」
「別に良いよ」
「でも、寝てるじゃないですか」
 毎回起きてはいる、とは言えなかった。
「それかもっと遅く来るか飯を作らないか、どれか選べ」
 多少の面倒を避ける為により多くの面倒を引き寄せた気がした。いつもの事か。僕は余り人間が向いているタイプではない。
「では、八時くらいに、と言うかそれならいっそ土曜の夜から居た方が楽なんですが」
 不意に掘ってしまった墓穴に嵌まり込み、見上げる空は大層気分が悪いものだった。
「何でそうなるんだよ」
「二人分の食材がある保障がありませんし、何よりそれより前なら洗濯とかも済ませたいです」
 夜のうちに買い出しをして、朝から洗濯機を回し、食事が済んだらそのまま掃除、と言いたいのだろう。こいつの事だからついでに昼飯の仕込みまでしそうだ。
「お前、疲れないか?」
「はぁ、特には。貴方こそ休みだからとだらけてしまって、週明け大変じゃないですか?」
 どうやら僕とこいつの間には生涯埋まる事の無い深い深い溝があるらしい。そもそも埋める気がないのも事実だが。
「折り目正しい生活は息苦しいんだよ」
「貴方らしいです」
 とりあえず用意された朝食を腹に押し込み、タイミング良く出された珈琲を啜った。あいつはさっさと食器を下げて洗っていた。恐らく珈琲を飲み終える頃には済んでしまっている。そしてだらだらと歯を磨く僕にちゃんと髪の毛を直せと言うのだろう。
「なぁ」
「何ですか?」
 食器を重ねる音が聞こえた。
「お前、疲れないか?」
「何度同じ事を聞くんですか。そう思うなら少しぐらい労わって下さいよ」
 そう言われても何をすれば良いのか皆目見当もつかない。僕が頼んでやって貰っている事ではないのだ。
「何をして欲しいんだよ」
 エプロンで手を拭きながらそいつは少し驚いたような顔をしていた。
「やってくれるんですか?」
「だから、何をだよ」
 エプロンを外し、そいつは僕の目の前に立った。
「キスして下さい。それで良いです」
 僕は危うく珈琲を噴き出しそうになりながら、しかめっ面を作った。
「お前」
「労わってくれるんじゃないんですか? それに、それ程高いものではないでしょう?」
 ならば要らないだろう。とは言えなかった。そいつはやや頬を赤く染め、外したエプロンを握り締めていた。それで何も感じないほど冷たい血は流れていない。
「分った、分ったよ」
 本当は、全部知っていたのだろうな。見たくなかったのか。変わりたくなかったのか。両方か。何もかも僕には似合わないと知っている。でも、だから、なんでこいつは。
「好きだからやってるんです。何回も言ったじゃないですか。だから、ちょっとで良いので応えてくれると嬉しいです」
 それは多少曖昧な表現だろう。僕はしかめっ面を近づけ、そいつは目を閉じた。唇に熱が残っているうちに、何か新しい言葉が見つかれば良いのにと思った。
笹森 賢二
2012年05月31日(木) 00時00分00秒 公開
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No.8  笹森 賢二  評価:--点  ■2012-06-15 22:11  ID:TQuxQJnwtBs
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>らた様。

感想有難うございます。
地の文は男主観なので、こういう風に纏める時は会話分と違わないように気を使います。
合っていたならば成功、です。

想定は読み切りなのですが、矢張り完結というには少し人物が遊び過ぎてますかね。
「こういう二人がいる」という感じで終わりたかったのが作者の本音です。
掌編らしいしゃっきりとした結末を目指したいものです。
No.7  らた  評価:40点  ■2012-06-12 17:24  ID:9hhwgmk6ESY
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拝読しました。
テンポが良くて、読みやすかったです。
語り手の男性の性格に近しいところがあるような歯切れのいい文章で、
一人称で書かれているので当たり前っちゃ当たり前ですが、
でもすごくしっくりリンクしていて世界観に入りやすかったです。
所々にきゅんとくるようなときめきがあって楽しめました。
この微妙な関係性や淡々としていて慣れ切った会話が、この二人の以前やその後を想像させてすごく気になってしまいました。
なんだか温かい気分になれました。読んで良かったなあと思います。
拙い感想で申し訳ないです。ありがとうございました。
No.6  笹森 賢二  評価:--点  ■2012-06-06 19:54  ID:TQuxQJnwtBs
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>Phys様。

感想有難うございます。
気に入って頂けたようで何よりです。
彼は照れ屋と言うかなんというか、まぁ、ダメな奴です。

分ったはですね、パソコン任せの変換だったのですが……。
調べてみると少々ややこしいようなので、分かった、とする方が良いようです。
漢和辞典ではそうなっています。

「唇に熱が〜」の下りは、実は結構格好悪いです。
どうせ見つからないだろうとか、気まずく黙ってしまったらどうしようとか、ちょっと後ろ向きです。
次に書くときはそういう部分もちゃんと書けるように努力したいと思います。


>境様。

感想有難うございます。
言われてみれば確かに線が細くて髪が長くてゴスロリな男の……なんでもありません。

僕は悪い人を書くのが苦手なのでどうもこんな話ばかりになってしまいます。
もっとどろどろした質感の話も書きたいのですが、どうにも、薄味になりがちです。
今後の研究課題です。
No.5  境  評価:30点  ■2012-06-05 18:15  ID:gNCXE32rH2E
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 読ませていただきました。

 タイトルと「妹のようなものだ」という説明さえなかったら、これ別に男×男でもいけたんじゃ? と不穏なことを考えてしまいました。すいません。

 最近こういう可愛らしい恋愛ものを読んでなかったためか、斜に斜に読もうとしてしてしまいました。
 そういう意味では、とてもほっこりさせていただきました。
No.4  Phys  評価:40点  ■2012-06-03 22:39  ID:23ii74h.ekI
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拝読しました。

すごくいい……! すごく好きなタイプの短編でした。その後はその後は?と
先が気になります。押しかけ女房してキスをせがんじゃうところなんて、とても
可愛いなあと思いました。最近自分で書いている中編に全く同じような場面を
挿入していたので、非常に参考になりました。

呼び鈴連打やメール攻撃など、私の身近にもそういった積極的なアプローチを
受けている同僚がいるので、なんだか親近感を感じてしまいました。彼は内心
嬉しそうでしたが、この主人公さんはそんなに興味がないようですね。でも、
感想コメントを拝見すると、本当は意識してるけど照れ屋さんなのでしょうか。
今後が楽しみです。(続編みたいな感じでまた投稿して下さると嬉しいです)

それから、私の不勉強で恐縮なのですが、「分った、分ったよ」は送り仮名と
して正式なものなのでしょうか? もし変則的な用法なのだとしたら、ご教示
願えれば幸いです。

とにかく、最後の
>唇に熱が残っているうちに、何か新しい言葉が見つかれば良いのにと思った。
という内面描写がとても格好いいと思いました。素敵な短編を読ませて頂いて
ありがとうございます。

また、読ませてください。
No.3  笹森 賢二  評価:--点  ■2012-06-02 14:49  ID:TQuxQJnwtBs
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>白星奏夜様。

感想有難うございます。
まだ名前も無い子ですが気に入って貰えたようで良かったです。
男の方がかなりアレなので引きずられながらゆっくりと進展してゆくのでしょう。
愛想を尽かされないか些か心配ではありますが……。


>山本鈴音様。

感想有難うございます。
僕は呼び鈴や扉についているベルが好きなのでよく使います。
これから人が入ってくる、或いは誰かを見送るような感じが好きなのです。
食べ物は色々な意味で重要なので上手く溶け込んでいるなら嬉しく思います。
疑問に関してですが、彼女が女として彼を意識してない、という意味ならば、それは男の勝手な思い込みです。
男の方が、という事ならば、それが彼の性格です。
ものぐさというか、甲斐性なしというか、自分からは決して踏み込まない、しかし割りと流されやすい。
ダメな子です。
No.2  山本鈴音  評価:30点  ■2012-06-02 08:54  ID:xTynl89qwNE
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冒頭五行から吸い込まれるように読みました。
呼び鈴の鳴らし方、いいですね。

上品な恋愛、に近い恋愛未満。
現代小説では光の当たりにくい関係性がニクいです!

他所の小説も拝見させてもらってますが、状況と食べ物のチョイスがぴたりと合ってますよね。
皿などの音の使い方も、たっぷり雰囲気出てますし。

一点大きな疑問が。ツッコむべきかどうか……
慈愛溢れてて守りたい系の妹系の可愛い子、でも女として意識していないとは、これいかに??
No.1  白星奏夜  評価:40点  ■2012-05-31 21:09  ID:2JviV1GxTEQ
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はじめまして、白星と申します。拝読しました。

二人の雰囲気に、ついつい引き込まれてしまいました。こういう物語は、とても好きです。最初は疎遠な関係かと思わせて、そうではない(勝手な解釈ですが)という進み方が上手いなぁと思いました。

余計な説明はなく、会話から心情を読み取ることができて楽しかったです。個人的な好みですが、こういう女の子は大好きですし、好印象ですね。
二人が今後、どうなるか。物語が長くても、私は続きが読みたいなぁと思いました。
素晴らしい一時を、ありがとうございました。拙い感想ですが、失礼致します。ではではっ。
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