『不信』
 余計なことに首を突っ込んだと自覚しながら、その一言が気になったわたしは、聞き流さずにいられなかった。
「つまりそれは、」
「ああ、いや、そうじゃなくて」
 鹿沼さんはこちらの言葉を打ち消して、自分の声を被せたのだった――

 何を今さら。自分の失敗を棚にあげるようだが、今思い出しても、すっきりしない。休憩中のわたしに話しかけてきた鹿沼さん。彼の話に出てきた「そういう人」は、暗にわたしのことを示しているに違いないのだ。
「じゃあ、点検よろしくね」
「鹿沼さん」
 ピークを捌いてカウンターから出ようとする副店長を、わたしは呼び止めた。機嫌の悪いときのような、悪意のある声だという自覚があった。対して、鹿沼さんはふつうに―― お客様にものを尋ねられたときのように―― 微笑みを乗せてこちらを向いた。
「いいんですか? わたしでも」
 これからその作業を行おうとする人間が言うには、相応しくないと思ったが、わたしの口からはごく自然に洩れた。
「ん? やり方がわからない?」
「いえ、そうではなくて」
 すると鹿沼さんは、すぐにわたしの言わんとしたことを汲み取った。そして明るい声で、
「お願いします」
 と残して、バックルームに消えていった。
 お願いされてしまった。もっとも苦手で、失敗の多い業務を。作業は、レジのなかのお金を数えること。お客様から確かに過不足なく預かり、過不足なく釣銭を返しているかどうかが、差異となって現れてくる。札も小銭も大量に相手にしなくてはならないその業務は、わたしに不必要に時間を使わせた。
「あせらずにね」
 夕方の時間のベテラン、松山さんがそう声をかけてくれたけれど、店内はすでに混み始めていた。
「いらっしゃいませ、こんばんはー」
 入口にいちばん近いレジでは、こんど大学生になるという高間さんが元気にお客様を迎えている。
 混み具合に応じてレジを空け、落ち着いたらまた数え始める。レジ点検が合わないたいていの原因は数え間違いだから、正確に数えることが必要だ。だがそれ以上に、レジ内の金は必要な分にとどめる、札はまとめておくといった、早くからの準備も重要になる。
 一台ずつ、中のお金を数える。用紙に記録したらほかのクルーに確認してもらう。その流れを繰り返し、三台とも済んだときには、退勤の20分まえだった。
「入力してきます」
 わたしは小走りでカウンターから出た。慌ててバックルームに入ると、ユニフォームに袖を通した夜勤さんたちが一服していた。
「これから?」
「はい」
「もっと早くね。じゃないと、10時に帰れないよ?」
 パソコンの前に座っていた高橋さんは、そう言うと場所を空けてくれた。
「おちついて。あせらないで」
 鹿沼さんの声が、背後から降ってきた。
 用紙に書いたのと同じように、パソコンに数字を打ち込んでゆく。手汗のひどい右手で、最後のクリックをした。


 頭のなかが真っ白だった。22時35分。本来なら、夕勤はとっくに退勤している時間だ。
 わたしは一人残って、また数えていた。隣では夜勤さんが什器を掃除しつつ、レジの対応をしている。ほかの夕方のメンバーには先にあがってもらった。 店のなかは相変わらず盛況だった。さっき確認したばかりのなのに繰り返し数えるものだから、作業はいつまでも終わる気配を見せなかった。
「はやく! レジ締めるなら締めて」
 お客様が途切れたところで、高橋さんの声を聞く。どうにか点検宣言を終えたわたしは、パニックになった頭のまま、バックに駆け込んだ。
「お疲れ様」
 入力まえに、鹿沼さんはそう言ったけれど、結局二回めも上手くいかなかった。
 カウンターに戻って夜勤さんに報告し、バックに入ると息苦しい沈黙が流れた。
 わたしは、鹿沼さんが防犯カメラの画像を眺めている横で、報告書を書いた。
「できました」
 鹿沼さんは無言で頷いた。それからまたしばらく、カメラの画像を眺めていた。
 ―― あんまりお金の間違いばかりするとね。そういう人はさすがに、ほんとうにこの子大丈夫なの?ってなっちゃうからね――
 休憩中に受け取った鹿沼さんの言葉を、わたしは幾度も反芻していた。
「申し訳ありませんが」
 やがて、絞り出してわたしは言う。鹿沼さんは、ちらとこちらを見たが、そのままわたしが無言でいるので、視線を画像に戻した。
 申し訳ありませんが。わたしがそう断りを入れると、最近の鹿沼さんはいつも不安げな顔をする。今もそうだった。わたしが、金にからんだミスを頻発させているからだろうか。
 口にしそうになって飲み込んだ言葉を吐き出すのは、それはそれは恐ろしく不安であった。
 いつになったら、わたしは「慣れた」と言えるのだろう。これもできて、あれもできて、こっちは苦手だけどあっちなら得意―― そう言えるような成長をしているだろうか。たしかに、対面でのトークには慣れた。いまだに子供とは目を合わせられないけど、アイコンタクトも取れるようにはなった。ただ、それは自分なかだけでの成長だ。
「申し訳ありませんが」
 もう一度口にすると、今度は体ごと向きを変えて、鹿沼さんはわたしを待ち構えた。
 ああ、明日もまたここに来なくてはならないのか。そう考えては、手のつけられない不安の波がどっと押し寄せてくるのを、胃が軋んでいることで感じていた。
「あの、来月……」
「辞めたい?」
 わたしの言葉は、鹿沼さんにぷつりと切られた。
「来月、シフト、減ると思います。学校が始まるので」
 ぶつ切りの言葉が、ボトボト床に落っこちてゆく。
 鹿沼さんは困ったように笑った。わたしが意図的に解答を避けたのを察しでもしたのだろう。
「まあ、学生さんだからね。おかげで、まだ夕勤の来月のシフトが組めていないんだ」
 それから、しばしの沈黙。
「まあ、予定がわかったら教えてね」
「辞めませんよ……」
「ん?」
 蚊の鳴くような声で言葉を紡いだ。
 明日の揚げ物づくりも、レジ点検も、やはりわたしが行うのだろうか。不安はそうそう拭い去れないようだ。それでも逃げるわけにもいかず。
「自分からは辞めません。必要とされるように、踏ん張ります」
 すると、鹿沼さんはわたしの肩を二度軽く叩いて言った。
「遅くなるからさ、帰ろう?」
 売り場に出ると、商品の補充担当の夜勤さんもレジに入っていて、カウンターの前は大忙しだった。順番待ちのお客様の間を縫って、夜勤さんたちに会釈して外に出た。
「また明日もよろしく」
 その気遣う目と、ばっちり合った。
「お疲れ様です」
 同じ失敗をくりかえす人間に気を遣った鹿沼さんを思うと、心苦しかった。
 3月下旬の夜は、まだ寒かった。コートのポケットに両手を突っ込んで、わたしは歩き出す。満員電車に乗りに行くのだ。
 白色の街灯が映すわたしの影は、夜と同じ色をしていた。それは明日の憂鬱のために、右に左に揺らいでいた。そうして、辺りの暗がりをみんな吸い込んでひどく重たくなってゆく。
 わたしは、そんな自分の影を引きずって歩いているのだ。
はしずめまい
2012年03月31日(土) 14時24分26秒 公開
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■作者からのメッセージ
 自分のブログに載せた、いつかの作品。

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No.14  はしずめまい  評価:0点  ■2012-04-12 17:43  ID:WxNBhfvelVw
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昼野さん、コメントありがとうございます。


改良の余地はまだまだあるので、バックグラウンドに意識を向けることを課題に、また次回作に活かしてみようと思います。

恐れ多いお言葉ばかりで、恐縮してしまいます。これからも、リアリティは大事にしていこうと思っていますが、もっと虚構性を出した作品に挑戦したいとも考えています。

お読みくださり、ありがとうございます。
No.13  昼野  評価:30点  ■2012-04-09 03:25  ID:FJpJfPCO70s
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読ませていただきました。

皆さんおっしゃってますがリアリティーがあっていいですね。派手な事があるわけではないけど、そこにいるかのような迫力を感じました。
ラストの描写も良かったです。
下手に書くとただの愚痴になりそうな内容ですが、うまく小説に昇華してあるなと思いました。
No.12  はしずめまい  評価:0点  ■2012-04-06 02:00  ID:GWcRNeDnHto
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ゆうすけさん、コメントありがとうございます。

貴重なアドバイス、ありがとうございます。表現への配慮が足りなかったようです。実体験、ということに寄り掛かりすぎたかもしれません。

自分は、書き手と主人公の世界を分けて考えることができないので、次載せるときも実体験をちょろっといじった形になると思いますが、ぜひ今回の反省を生かしていきたいと思います。

お読みくださり、ありがとうございます。
No.11  はしずめまい  評価:0点  ■2012-04-06 01:53  ID:0GKMrW4CcjM
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五月さん、コメントありがとうございます。

いろいろな観点からの発想、参考にさせていただきますね。



貴作ですが、わたしは、演じるには書き直しは必要なく、あれで充分だと思います。

扱いとしては、創作落語になりますね。うーん、あまりわたしの落研では創作落語をする人ってほとんどいないからなあ、たとえば大きな会で演じるのはちょっと……。

でも、わたし個人としては好きな作品ですし、新ネタの合間に練習してたりします^^


そんなところです。
お読みくださり、ありがとうございました。
No.10  はしずめまい  評価:0点  ■2012-04-06 01:45  ID:9AnPLbZ9GzE
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らたさん、コメントありがとうございます。

共感いただけたようでうれしい、というか安心に近い気持ちを抱いております。

コンビニよりスーパーのほうがレジ打ちが大変そうです。素早く何枚ほどの袋が必要かっていう判断を下せるのは、あれ近くでみていて「すごいな」と思ってしまう自分は、まだまだです……。

ただ、ゆうすけさんもおっしゃるように、もっと表現に気を遣うべきだな、って思います。そうすれば、わたしが伝えたかった焦りや悔しさ、不安がもっと伝わったように思います。

お読みくださり、ありがとうございました。
No.9  ゆうすけ  評価:30点  ■2012-04-05 10:02  ID:1SHiiT1PETY
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拝読させていただきました。

圧倒的なリアリティ、存在感を感じました。応援したくなる気持ちが沸々と湧いてきます。頑張れ! と叫びたくなるような。
実体験……これにまさる話しのネタはないと思います。そこで感じたこと、悔しさ悲しさ切なさ、その感情こそが作品の種になるのだと思います。
失敗したこととか泣きたくなるようなことを、ギャグに昇華して書くのが好きでしてね、さえない男を描くのは得意なんですよね。

「ピークを捌いてカウンターから出ようとする」などの専門用語がちょっとわかりにくかったです。一回読み終わり、全体像を把握してからだと想像できるのですが初見だとなにがなにやらです。一般的に分かりやすい言葉に変換できたら変換していただくと助かります。
No.8  五月公英   評価:30点  ■2012-04-11 19:22  ID:7v0CJ4yD46U
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自分のことを書いたものはリアリティがあっていいですね。ブログ記事のようなくだけた文体とかでもおもしろそう。

No.7  らた  評価:40点  ■2012-04-04 13:52  ID:9hhwgmk6ESY
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拝読しました。
私もバイトでスーパーのレジの経験があるので、とても共感、というか、描写や動作のリアルさがすごく面白かったです。
特に夜勤の方との交代の感じ、ベテランさんが優しい言葉を掛けてくれるけれど、それが逆に圧力として受け取ってしまう感じ……半年前のことなのですが何だかそわそわしました。
仕事の出来ない自分に対する嫌悪感に負けそうになる、けれど、踏ん張る主人公に好感を持てます。読んでいくほどすすす、と応援したい気持ちが沸いてくるのです。
この失敗は何度も許されるものじゃないのに、またやってしまうという焦燥、またやってしまったという罪悪感、そして優しいひとがもう許してはくれないのではないかという恐怖、許されなくなる前に辞めてしまおうという誘惑、どの描写もとてもシンプルなのに、しっかりと染み込んできました。

個人的な経験もあって面白味がプラスされて特した感じです。ふふふ。
ありがとうございました。
No.6  はしずめまい  評価:0点  ■2012-04-04 00:08  ID:0GKMrW4CcjM
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白星さん、コメントありがとうございます。

共感……その言葉を見たら、悩みを相談したときのように気持ちが楽になりました。

自分から見限りつけて、「わたしは必要とされる人間でない」正直、そう思うばかりの日々です。

明日もまた踏ん張ってきます
No.5  白星奏夜  評価:30点  ■2012-04-03 21:04  ID:wlKc4GrBaxk
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白星と申します。拝読させて、頂きました。

日常の様子、というか働いている主人公の思い、作者の思いにとても心を寄せることができました。
私も、こういう経験をしたことがあります。一生懸命にやっているのに、うまくいかないことは人間あります。何度もミスることはあります。けれど、働いている環境ではそういう人や、出来事に対して非常にシビアです。成長を待つなんて、ほんとに希少なケースだと感じてしまいます。
けれど、作品の中のセリフ、辞めませんよ……のところに希望というか、胸が熱くなるものを感じました。
頑張って、という言葉はあまり好きではありません。投げやりで、定型句な感じがするからです。それよりも、主人公のこれからの道が支えられうように、進んでいくように、と思います。

的を得てない感想で、ごめんなさい。失礼致します。
No.4  はしずめまい  評価:0点  ■2012-04-01 15:03  ID:WxNBhfvelVw
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Physさん、お読みくださりありがとうございます。


自分は、書き手の世界と主人公の世界を分けることが苦手なのです。

小説として書く以上は、小説らしさみたいなものを出したいと思ってはいますが、いつも結末に心情描写をちょろっと入れるだけなんですよねf^_^;

まあ、そこはいろいろ書きながら習得していくことにします。


自分も、基本は救いある作品を書きたいと思っています。でも、たまに救いのない結末も書いてみたくなるんですよねー。
No.3  はしずめまい  評価:0点  ■2012-04-01 14:52  ID:4jK5Q7AefPo
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zooeyさん、コメントありがとうございます。

たしかに、背景が書いてあればもっと小説らしくなるな。日記と小説の境目、みたいな。うーん難しい。

ツイッターでも呟きましたが、自分はこういう手のしか書けませんが、いろいろ読んだり書いたりして勉強していこうと思います。
No.2  Phys  評価:30点  ■2012-04-01 10:43  ID:EMFTjuhIRHw
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拝読しました。

はしずめまいさんの世界観というより、はしずめさんの世界なのかな、と思い
ました。書き手さんと主人公さんの距離が近い作品というのは、私はあんまり
書かないので、読んでいて勉強になりました。日常の一幕を綴ったようでいて
その実きちんと小説作品として成立しているのはすごい技術だと思います。
こういったタイプの作品が評価されるかどうかは、割と読む人に依ってしまう
ものだと思うのですが、私は読み甲斐のある小説だと思いました。

登場人物の台詞や態度に人間臭さが滲んでいてとても良かったです。点数は、
小説としてちょっと物足りないというか、食べたりないなあという印象を持ち
ましたので今回はこれにしました。

>白色の街灯が映すわたしの影は、夜と同じ色をしていた。それは明日の憂鬱のために、右に左に揺らいでいた。そうして、辺りの暗がりをみんな吸い込んでひどく重たくなってゆく

私は心情がかなり安定しているというか、気分で右や左に行くことがすくない
タイプ(周りの人と比べて相対的に、です)なので、自分以外の人がどんな
風に悩み、心を痛めているのかということが分からないこともままあります。
ですので、本当の意味で作品の主題を捉えることはできていないのだと思うの
ですが、私は物語の先に救いがあると思っています。読み終えてからその先を
想像させてくれる作品でした。

また、読ませてください。
No.1  zooey  評価:40点  ■2012-03-31 22:56  ID:1SHiiT1PETY
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こんばんは、読ませていただきました。
とても良かったです。
ツイッターでも、少し感想を書かせていただきましたが、
日常の一幕から主人公の内面が滲んできて、ああ、こういうこと思ったり考えたり、するよなあという共感を覚えました。

特に、主人公が、強く頑張ろうとしているんだけど、一方ではうじうじとした感情のままでもあり、
その定まらない部分が、等身大の印象で、人間味あふれてとても好きでした。
どちらかというと、私自身もタイプとしてはこういうタイプの人間なので、共感を覚えます。

まわりの人々の描写も、自然でよかったです。
ラストの情景と心情が調和する感じも良かったです。

もう少しバックグラウンドが見えたり、
店内とかお客さんの様子なんかがあったら、より良かったかなとも思いましたが、
とにかく、好きな作品でした。
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