蛇口をひねると熱いお湯が出た。和雄は全裸のまま風呂場を飛び出し、寝室の押入れを開けた。とたんに笑顔がこぼれだす。真智子が毛布にくるまって眠っている。ウサギのように弱々しい姿。埃っぽいのを感じ、マスクを抽斗から取り出し真智子に装着させた。「帰ってきたんだ」そう呟かずにいられなかった。和雄は台所でウインナーを焼いた。この時のために特上のウインナーを銀座で買ってきたのだった。オリーブオイルがきれていたのでサラダ油をつかった。夕陽がちょうど窓ガラスから和雄の目に差し込んでいた。片目をつむってフライパンをかたむける。換気扇をまわすのを忘れていて急いでつけた。ゴーっという鈍重な音に腹の音がかぶさった。そういえば自分も朝から何も食べてなかったんだ。新聞屋が階段をかけあがる音が聞こえた。今日のイチローはヒットを打てたろうか? 和雄はとにかく嬉しくて仕方なかった。熱々のフライパンをそのまま寝室へ運び、古い新聞紙を下にひいてそこに乗せた。真智子は同じ姿勢で静かに眠っている。唇の形が相変わらず和雄の胸を焦がす。焼いたウインナーの匂いで目覚めるといいな、と和雄は思った。剥き出しの足首に赤い痣があるのを見つけた。和雄は抽斗からガーゼと包帯を取り出して、そのか細い足首に巻いた。黒いマニキュアがところどころ剥がれていた。それから和雄はそっと真智子を起こした。
「ウインナー焼けたよ、熱いうちに食べて」
 真智子は眉間に深い皺をよせてから、ゆっくり目を開く。じっと和雄を見つめる瞳。不安と苦悩が織り交ざった瞳。
「わたし、戻ってきたの」
「うん、戻ってくればいいよ、いつでも」
 和雄はウインナーをフォークで刺し、真智子の口元にもっていった。
「でも、きっとすぐわたし出ていっちゃうよ、また」
 ウインナーを齧る真智子。その唇、和雄の宝石だった。 
クレナイ博士
2011年10月17日(月) 13時19分11秒 公開
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No.5  青山カヲル  評価:40点  ■2012-04-28 01:21  ID:7o6OMGvVWos
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小品ながら、いや、小品だからこそ
際立つ美というものもあるんですね。
素敵でした。
No.4  沙里子  評価:40点  ■2011-10-29 14:13  ID:HEMfk5/qpBI
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拝読しました。

こういう雰囲気のある作品、大好きです。
甲斐甲斐しく女の人の世話をやく主人公の異常なまでの執着や思いが伝わってきました。
たったこれだけの文量でさまざまな背景や状況が想像できてしまう。とてもすごいと思います。

最後に、
>熱々のフライパンをそのまま寝室へ運び、古い新聞紙を下にひいてそこに乗せた。
なぜかここの文章がどうしようもなく好きです。だからなんだという話ですが……

拙い感想で申し訳ないです。

No.3  zooey  評価:30点  ■2011-10-25 01:23  ID:1SHiiT1PETY
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はじめまして、読ませていただきました。

良いですね、この作品。なんか好きです。
真智子さんが目覚めるまでの、主人公の行動を淡々と描いている部分が、
ラストの

>その唇、和雄の宝石だった。

という部分の切なさを強調しているように思いました。
私は心情描写を書きすぎてしまう癖があるので、見習いたいなと思いました。
これだけの分量で、切なさや愛おしさを表現できるのはすごいことだと思います。

ただ、やはりこれだけだと背景が見えてこないので、何かしらの情報がほしかったなというのが正直なところです。
もう少し長い作品のラストとかであれば、とてもいいシーンになったと思います。
あと、言葉の選び方が少し引っかかりました。
マスクを装着するという部分の「装着」という表現が、少し全体からすると違和感がありました。


あまり参考にならない感想で申し訳ありませんが、そんな感じでした。
No.2  クレナイ博士  評価:--点  ■2011-10-24 18:32  ID:mWPJnUMHTjo
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ありがとうございます。
自分でも何が良いのか悪いのか判別つきません。
有難う御座います、コメント。
何か、雰囲気で書きたかったのでしょうね。
No.1  YEBISU  評価:10点  ■2011-10-22 19:36  ID:AdjJZ9RooXE
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読ませていただきました。

‥全体としては読みやすい文章と思うのですが、ただ、今ひとつ内容が伝わってこないというか、作者の想いだけが空回りしているというか‥。
「真知子」が、人であるにせよウサギであるにせよ、その状況は(読者が)勝手に想像できる。
ただ、その情景を想い浮かべることが出来ないというか、読んで、それっきりというか‥。

う〜ん。もう少し評はあると思うのですが、今ひとつ、言葉になりません。
以上、勝手な言い分ですいません。
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