下っていく |
舗装されていない、砂利道の下り坂を後ろ向きに下りていく。車輪が時々深く食い込むので、いっそおぶってしまった方が早いのではないかとも思うのだけれど、我慢してゆっくりと車椅子を引っ張り続ける。 あなたは特になにをするでもなく、為されるがままに揺られている。僕はその、気の抜けた背中を見つめながら坂を下っていく。 やっぱりもう、死んでしまったんだろうか。 あなたを運んでいると、どうしてもそういう気分になる瞬間がある。その度に自分を軽く諌め、埋め合わせになるべくやさしい言葉をかけてやる。 今日、暑いな。しんどくない? あなたは少し呻いてから、(今日は暑いね)という意味合いの言葉を発する。こうなってからもう3年が経つのに未だに慣れなくて、僕はそれきり黙ってしまう。 10月なのに、夏の盛りのような陽気だった。雲ひとつない、高い空が嫌でも目に入ってくる。よく見るとその青さはところどころ色褪せていたりして、いっそうこびり付いて離れない。 車椅子が座礁する。僕は立ち止まり、車輪の周りの砂利を足で払いのけ、またゆっくりと下りはじめる。スーツを着ているので暑かった。額と背中に汗が滲む。あなたの髪の分け目の部分も赤味を帯びていて、まだしっかりと反応出来ている、生きているのだと気づく。 しぶといね、意外と。 僕の中にはそういう想いが性懲りもなく浮かんでくる。歪んでいるあなたは椅子に完全には収まりきらず、宙ぶらりんの右足からは黒い靴が脱げそうになっている。しょうがないので、憐れんでみることにした。かつてのあなたはそれを嫌がっていたけれど、今のあなたは紛れもなくそういう対象であると断言できる。 憐れみながら歩くと、さっきよりは楽になった気がした。僕とあなたはもう、対等ではなかった。 周りには誰もいない。僕らふたりっきりだ。砂利の噛みあう音だけが響いている。山の下の方には古ぼけた倉庫とか、ホテルみたいなものがちらほらと並んでいる。いくつかは廃墟だった。死にきれていないという意味ではあなたと同じだけれど、僕を煩わせない分だけ彼らの方がいくらかマシだった。 誰もいない公園を通り過ぎる。錆びついたブランコの真下の地面は真新しく削れていて、今でも誰かがここで遊んでいるようだった。あの頃に帰りたい、とは思わない。今の僕はそれなりに上手くやっていて、こういう日もあるけれど、基本的には恵まれた人生を歩むことが出来ている。子供の頃に戻って、馬鹿みたいにいつまでも遊んでいたいと思うほどの哀愁は持ち合わせていなかった。 とはいえ、昔のことを思い出した。僕がまだ小さい頃、あなたが最初に置き手紙を残して家を出て行った時のこと。結局はその日のうちに帰ってきたけれど、誰もいないキッチンでおろおろとあなたの帰りを待ちながら、置き手紙を何度も何度も繰り返し読んでいた時の気持ちを、僕はたぶんあなたが本当に死んでしまうまでは忘れないだろう。 そしてたぶん、あの時よりは今の方が悲しいのだと思う。泣いたりはしないけれど。 僕は立ち止まる。順調に進んでいた車椅子も止まり、あなたが振り返る。穏やかに微笑んでいた。死んでしまいたいと思っていたことなど、忘れてしまったかのような、平板な顔つきだった。僕はその顔を睨みつける。 今でも死にたいの? あなたは何も答えなかった。それでも少し、悲しそうな顔をしたように映ったのは気のせいなのだろう。僕はその顔から目をそむけ、また車椅子を引っ張っていく。 あなたがいつか死にゆく時、僕は絶対に傍にいたいと思う。その時のあなたの顔を眺めていたいと思う。腹立たしいほどに間の抜けた白痴が剥がれ落ち、死ぬことに焦がれていたあなたの本来の、そして最期の輝きが、もし本当にあるのならばこの目で見届けたいと思っている。 車椅子が座礁する。黒い靴がぽとりと落ちる。僕は砂利を払いのけ、またゆっくりと下りはじめる。 |
みずの
2011年10月14日(金) 20時21分21秒 公開 ■この作品の著作権はみずのさんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.8 みずの 評価:0点 ■2011-10-27 20:58 ID:tUYcy0OjL5E | |||||
zooeyさま 感想ありがとうございます。 こういうのを読んでいろいろ感じ取ったりしていただけるのは非常に嬉しいことです。 確かに、僕自身の中では物語の設定とかはもっとしっかりと固まっているのですが、それは書けませんし、書きません。 ここらへんに僕の書き手としてのひとつの限界があるのでしょうが、しばらくは(もしかするとずっと)こんなカンジで書いていくのだと思います。 ぞーいーさんのような読者の方々に甘えてばかりで心苦しい限りですが、ちまちまと試行錯誤しつつ、なんとか精進していきたいと思っています。 以上です。ありがとうございました。 |
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No.7 zooey 評価:50点 ■2011-10-25 01:57 ID:1SHiiT1PETY | |||||
こんばんは、暇を持て余し、今更ながらに感想です。 やはりうまいなあと思いました。 主人公の屈折した愛情と文体が見事に調和しているように感じました。 おさんのご感想と被りますが、描かれていない、これまでの主人公と車いすの主の関係をぼんやりと想像させてくれて、なんだかしんみりした気分になりました。 たぶん、みずのさんの中で、二人のエピソードのイメージは多少なりとも固まっていて、それを小出しで読者に想像させることに成功してるんじゃないかなと思います。 死ぬ瞬間に本来の姿を取り戻すのをみたいという部分に、 煩わしいと思う心の底に潜む愛情を感じて、でも一方では車いすの主への挑戦のようにも感じて、深いなと思いました。 こんなこと考えているのは私だけかもしれませんが^^; みずのさんの作品にはいつもいいことしか書いていない気がして、申し訳ないですが、 たぶんこういう感覚的な作品が好きなんですよね。 相変わらず参考にならずスミマセンが、そんな感じでした。 |
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No.6 みずの 評価:0点 ■2011-10-17 21:23 ID:tUYcy0OjL5E | |||||
陣家さま 感想ありがとうございます。 こんなものにシステマチックに向き合っていただいて嬉しいです。 意図的に描写してないように見せかけているだけで、本当は単に描写出来ないだけなのですよね。 なのでハンデ戦っつーか、ふつーにこれが実力だと思います。 手抜きと取られても文句は言えませんし、たとえ誉めてもらえたとしても、それはラッキーでしかないのだと思います。 まぁ気が向いたらまた書くと思うので、その時はまたこっそりディスってくださいw 以上です、ありがとうございました。 百舌鳥さま 感想ありがとうございます。 うーん、僕の文体が行き着くところがどこなのかはわかりませんが、この作品はちょっと全体的に早まった感が強くて、またいつか書きなおすかもしれません、ってカンジです。 まぁこれはこれで何かしらの手応えみたいなのはあるんで、それはちゃんと今後に活かしていきたいとは思います。 近視的な目線は、多分ですけど、そこは譲れないところな気がするので、直らないと思います。 視野が広くてスマートで親切な文章ってのは、豆腐の角に頭でもぶつけない限り書くことはないと思います。 ま、わかんないですけどw 句読点は全然直そうと思っていませんでしたが、謎の改善を見せたようですねw まぁそれはそれでラッキーでした。 今度いつ書くかさっぱりわかりませんが、気合い入れて書きたいな、とは思っていますが、結局はその時の自分次第なので、その時はまたよろしくお願いします、と言っておきます。 以上です、ありがとうございました。 |
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No.5 百舌鳥 評価:40点 ■2011-10-17 04:32 ID:uAJ7yNko3oM | |||||
取るものも取りあえず、おっとり刀の感想ですよ。どっすん。 面白い。面白いなぁ。みずのさんの文体で読みたかった作品をやっと読めたなぁと、そんなことを思いました。 物語の背景などの書き込み不足は否めませんが、文体が生かされているので引きずりこまれる。みたいな。 渾然とした感情の温度の煮こごりも、熱すぎず冷たすぎない口当たりがとても宜しゅうございます。 ただ、作者の作品への距離があまりにも近視的。読み手に書き込み不足の印象を与えるのはそういうことなのだと思います。 しかし距離を変えることで、感情の描写までもが変質してしまうのも惜しいですよねぇ。 悩ましいその辺りは、みずのさんの『小説を書く』という姿勢の今後にかかってくるんですかね。要期待の40点です。 あ、句読点はかなり改善されましたね。やっぱりやれば出来る子じゃーんww |
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No.4 陣家 評価:30点 ■2011-10-16 19:40 ID:1fwNzkM.QkM | |||||
拝読しました。 自分はなんでもとりあえずシステマチックに考える人間なんで、一応の解釈を自分なりに立てる読み方をします。 おそらく三年前に首つり自殺未遂で後遺症を負った親に対する主人公の独白って感じなんだろうなと。 主人公の感情の内訳は、愛情10%、義務20%、わだかまり30%、反目40%くらいで錬成されているのかなあ、と。 小説って誰かが読んで始めて完結するものなのだとよく言いますけど、どんな解釈で受け取られようが、あるいは拒絶されようがそこには作者は干渉することはできない以上、想像するしかないんでしょうね。 ただ、作者の意図する物語がちゃんとあるのに、意図的に描写しないというのはある意味将棋で言うところの飛車角落ちのように思えます。 未知の実力を持つ相手に対してハンデ戦で挑む的な。 描写や雰囲気の味で勝負というのは間違いなくありだとは思いますが、その雰囲気が読者の好みではなかった場合にはともすると単なる手抜きと取られる危険性もあるでしょう。 本作はそこまで捻った設定でも無いと、自分的には思いましたが、その辺の謎解きに脳みそを使わせてしまうと、主人公の心象に寄り添う前にすべてが終わってしまうので、もう少し長めに、くどいくらいの心象描写でも良かったんじゃないかな、と思いました。 それでもやはり瞬間を切り取る描写と語彙の微妙なはずし具合などは一級品の香りが漂っていて素晴らしいなと思いました。 |
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No.3 みずの 評価:--点 ■2011-10-16 02:48 ID:tUYcy0OjL5E | |||||
YEBISUさま 感想ありがとうございます。というよりは申し訳ありません。 まぁなんというか、何の感情も抱けなかったのは当然というか、健全な反応だと思います。 なんか今回は知らず知らずのうちに感傷的な作品になってしまったようで、それに見合っただけの描写が足りなかったのだと自分では思っています。 ということで、次がもしあればもう少しマシなのを書きますので、今回は勘弁してやってください。 「」もたぶん次はつけると思います。 以上です。ありがとうございました。 おさま 感想ありがとうございます。 まぁ、ブンガクなのかどうかはわかんないですけど、誉めていただいたのは嬉しいです。 僕はわりと読者の方に丸投げする性質なので、おさんはおさんなりにいろいろ補完しながら読んでいただけると幸いです。 ていうか、おセンチでしたか・・・ その点はちょっと失敗したかなと個人的には思っています。 なにはともあれ、ありがとうございました。 |
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No.2 お 評価:40点 ■2011-10-15 20:15 ID:E6J2.hBM/gE | |||||
おお、ブンガクだ。 みずのさんはこういう文章を書くのですねぇ。 てことで、こにゃにゃちわ。 ブンガクは門外なので、あんまりまぁ適当な感想になったら、てきとーに読み流してくださいませな。 えーっと、僕が読み飛ばしてなければですが、車いすのヌシは明らかにされていませんね。読者に投げちゃうって言うのはなかなか面白いですね。僕は僕なりに想定した人物がいるわけですが、これは読者の取り分なので教えません。ないしょです。 ほんの数分であろう風景で、二人の人物の「人生」を想起させてしまうのはなかなかの手練れですね。おみそれしました。僕のなかでは、これだけの時間の間に、20年、もしくは30年の時間が流れすぎていきましたよ。これもまぁ、読者の取り分なので詳しくはお伝えしませんが。 それにしてもまぁ、おセンチですなぁ。 そうかぁ、みずのさんはそういう人だったのかぁ。 |
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No.1 YEBISU 評価:10点 ■2011-10-15 19:43 ID:AdjJZ9RooXE | |||||
忌憚なく。という事なので、失礼とは思いますが‥。 全文を読み通して、大体の事情や主人公の想いも何となく伝わってくるのですが、ただ、その情景を想い描けないというか、登場人物に対して、何の感情も抱けなかったというのが正直な処です。 それと、これはおそらく、意図的にそうされたのだろうとは思いますが、やはり、せりふの部分には「」がある方が読みやすいのでは、という気がしました。 以上、辛口ですいません。 |
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