いつかあなたと歌う♪ |
キッチンから流れてくる味噌汁の匂いと、トントンと何かを切る音と、それと一緒に流れてくる母の歌声が好きだった。 学校から家に帰ると、リビングのテーブルの上には決まって500円玉と、ノートが置かれていた。 その500円玉でおにぎりやお弁当を買うか、肉や魚、野菜を買って簡単な料理をした。あまったお金は貯金箱に入れるようにしていたが、放課後に一緒に遊ぶ友達にお菓子を買ってあげたりすることが多かったかもしれない。 放課後の習い事を嫌がる友達がいる時には、今日ぐらいさぼってもいいんじゃない、とそそのかしては一緒に遊び、例えそれが私が何かを買ってあげることを目当てとしていても構わなかった。そんなことがあったことも忘れた頃にその子のお家に遊びに行くと、「なんかうちの子に、いつもお菓子買ってもらってるみたいでありがとね。 でも、お小遣いは自分のために使うものなのよ。うちの子もお小遣いをもらっているから必要ないの。大切なお小遣いを他の子に使っちゃだめよ」と友達のお母さんからよく諭された。 リビングのテーブルの上に500円玉と一緒に置かれていたノートには、私が学校へ出かけた後に母が書いた1,2行のメッセージが書かれていた。1冊目は、小学校に入学する時に母が買ってくれたものだった。幼稚園の頃、近所の幼馴染の男の子とよく戦隊者の真似をして遊んでいた私は、女の子にも関わらず5人の戦隊キャラクターの写真が表紙に載っている男の子向けのノートを選んだ。母は何度ももっと可愛いノートにしたらいいのにと言ったが、私はこれがいいと言って買ってもらった。中を開くと、「はじめてのえんそくはどうでしたか?おかあさんがかえってきたらおはなししてね」とか「あしたはおやすみだからいっしょにえいがにいこうね」などと書いてある。その頃は、お休みの日になると映画館に連れて行ってもらうのが嬉しかった。その後は決まってカラオケにも行きたいとねだっては2人で歌った。それから一緒に夕食の買い物をして、家に帰って夕ご飯の準備をしてくれる。2人でカラオケで歌った曲を口ずさむ母の歌声がキッチンから聞こえてくるのだった。 小学校3年生の2学期から2冊目に移っており、最初のページには「また同じような柄の新しいノートを買ってきたよ」と書いてある。その頃はもう戦隊者が好きという訳ではなかったが、2年以上そういうデザインのノートを使っていたし、家以外に持ち出すわけでもなかったからそれもいいかと思った。母は毎日仕事で疲れたと言いながら帰ってきたが、その時母はまだ30代になったばかりだったので他の家のお母さん達よりも随分と綺麗だった。今から考えれば、私は母に怒られたことがない。そして、私が学校で頑張っている話をすると喜んだ。その次の日のメッセージには「絵のコンクールで表彰おめでとう。さすがお母さんの子だね」とか「テストで百点すごいね。おりこうさんへのごほうびに今度旅行に行こうね」とか書いてくれた。独りの家は嫌いだったが、外に遊びに行っても暗くなれば帰らねばならない。私は家の電気を点けずに夕ご飯を食べ、暗がりのリビングのテーブルで眠り、母が帰って来るのを待った。 5年生の1学期に3冊目の戦隊者のノートへと移った。「お仕事疲れてお母さん大変」といった母自身の愚痴が書かれてることもあり、「今日は遅くなるから早く寝なさいね」と書かれた日には10時を回ってようやく帰ってくることがあった。責任ある立場に就いて、部下ともお客さんともお食事をしなきゃならないとよく言っていた。この頃になると、週末もお仕事で出かけなきゃいけないと言って出掛ける事が多くなり、映画やカラオケに行くことも、キッチンから母の歌声が聞こえてくることも少なくなった。そんな時は朝起きると1,000円がテーブルの上に置いてあったので、それで友達と遊びに行った。 この3冊のノートに私が何かを書くことはなかった。そこには5年と7ヶ月の母の筆跡だけが残っている。 父の運転する車の中で流れる音楽に合わせて歌うのが好きだった。 平日はいつも遅くに帰ってくる父だったが、週末になると母と私を乗せて、動物園や遠くの公園までドライブに連れて行ってくれた。車の中はタバコの匂いが染み付いていていたが、それは父のにおいでもあったから、私はタバコの匂いが嫌いではなかった。母と映画に行く約束をしたときは、父を巻き添えにして車で連れて行ってもらい映画を3人で見て、カラオケでは母と2人で歌う傍らで父は笑いながら手拍子を打った。キッチンから歌声が聞こえてくる時は、父と一緒に対戦ゲームをした。 母が休日も仕事で出掛けるようになると、父もゴルフに行くからと言って家は誰もいなくなった。休日にタバコ臭い車に乗ることもほとんどなくなった頃、毎週行っていたゴルフをキャンセルした父が来てくれた父親参観日で作文を朗読したことがあった。「お父さん、私達家族のために毎日お仕事頑張ってくれてありがとう。休みの日には、家でゆっくりしていたいと思うのに、車で動物園や映画館に連れて行ってくれてありがとう。最近は、お父さんは休みの日も忙しくてなかなか一緒に遊べないけど、この間のゴールデンウィークにはイチゴ狩りに連れて行ってくれました。久し振りに乗った車はタバコの匂いが臭かったけど、とっても嬉しかったです」 翌週、父は私と母を車に乗せて江ノ島まで行き、鎌倉で一泊、翌日は房総半島を巡った。父は家ではCDなど聴かないのに、最新のCDが車に積まれていた。歌詞カードを見ながら新曲を口ずさんだ。疲れてくると、行過ぎる海岸を眺めながら、「タバコの匂いが臭くて窒息しちゃうよ」と冗談を言った。タバコの匂いの中に、柑橘系の香水の匂いが混じっていた。 いつも独りで家にいるのは嫌いだったが、朝は小雨だった雨も昼には土砂降り変わり、私はその日、身体の具合が悪く精神的にも不安だったので外には出ずに家にいた。雨でもゴルフは出来るんだと言って、小雨の降る中、出掛けて行った。その日からしばらく父は家に帰って来なかった。いや、その日が父と同じ家で過ごす最後の日となった。 その日以降、私は一日置きに父の入院する病院にお見舞いに行った。あの土砂降りの雨の日、父は首都高速湾岸線で事故を起こしたのだった。衝突事故の衝撃でミラーにぶつけたであろう頭を20針縫い、肋骨を折り、内臓破裂を起こしていた。勉強道具を持っていっては父の傍らで勉強したり、映画のDVDを一緒に観たりした。母は水曜日の夜だけお見舞いに来た。リンゴをむいたり、替えの服を整理したりしたが、父と話をしなかった。父も窓際を向き、母には背を向けて眠ることが多かった。2人が話しているかと思えば、何やら書類を見てブツブツと言っているだけだった。 病院と家とはバスと電車を乗り継いで行き来しなければならなかったが、それにもだいぶ慣れた頃、父や母よりも少し歳を取った夫婦が神妙な顔をしながらお見舞いに来たことがあった。父に名前を告げるや否や、父はベットに正座して頭を深く下げた。「こちらは娘さんですか?」とその夫のほうが父に質問をしたので、私は「そうですお父さんです」と父が口を開く前に答えた。「こんなに大きい娘さんがいらっしゃるのにねえ」とその妻のほうが口にした。「今日はもう帰りなさい」と言いながら父は私の荷物を纏め、今度は口をつむぎながら差し出した。 まだ休日の午前中だったから、父の態度がおかしいと感じても、私は何も聞きたくなかった。また明日来れば父はここにいる。それだけで良かった。病院の廊下を通り過ぎて病院を出、駅まで歩いた。私はいつもホームの端っこで電車を待った。その隅っこの場所にはガラスで仕切られた喫煙所があり、スーツを着た男の人達がタバコをくゆらせていた。 電車で3駅行かねばならなかったが、その日の私は体調が悪く、1駅目で降りて駅構内のトイレに向かった。用が済んでトイレから出ると、改札口から出ていく母親の姿が見えた。その日の朝も、今日は仕事だと言っていた。母の勤める会社はこの駅ではなかったが、普段はよく外回りをしているらしいことを言っていた。「お母さん」と呼んではみたが、電車の音にかき消される。私も改札を出て母親を驚かしてやろうと走った。しかし、母は誰かと待ち合わせをしていたようで、柱に寄りかかっていた人に話し掛ける。言葉と笑顔を交わすと、そのまま手を取って歩いていった。改札口を出たばかりのところで私は「どうして」と何度も呟いた。五分ぐらいそうしていたと思う。そうしていれば誰かが何か声を掛けてくれるだろうと考えていた。知らないおばさんが心配そうに「どうしたの」と聞いてくれた。「なんでもない。なんでもないんです。人を待っているんです」と言って、さっき母を待っていた男の人が寄りかかっていた壁まで歩いて行き同じように寄りかかった。校庭のトラックを思いっきり走った後の様に心臓がドキドキしていた。どんなふうに呼吸をすればよいか分からず、プールの中で溺れているようだった。 それからは歩いて家に帰った。線路沿いに電車2駅分と、家の最寄り駅からバス10分の道のりはとても長かった。ご飯を食べずに、電気を点けず、リビングのテーブルで眠った。夜も10時を回った頃、母はお仕事疲れたと言いながら帰ってきたが、普段と変わらずに「お帰りなさい」と言えた。「ご飯食べたの?」と聞かれたから、「お父さんの病院で食べた」と答えた。母はキッチンで何かしながら、久し振りに歌を口ずさんだ。私は母に他の男の人がいると分かっても、その歌声を聞いていたかった。「お父さんもお仕事お休みしているから、お母さんますます仕事頑張ろうと思うの」ノートに書かれているこのメッセージは、その次の日のことであるのをよく覚えている。 父が退院する日、休日だけど母は仕事だと言ったから、私は一人で病院に行った。荷物をダンボールに詰めて病院の近くにあるコンビニまで運んで配達手続をした。家とは反対に方向に1時間程電車に乗った。駅ビルの地下で果物を買って外に出る。駅のすぐ目の前にあるその病院は父が入院していたのとは比較にならないほどに大きな建物だった。面会受付のカウンターのところで誰かの名前を告げた。エレベーターに乗って10階の階ボタンを押す。 廊下はガラス張りになっていて眺めが良い。綺麗な個室のドアをスライドしながら開けると、そこには若い女性が一人ベットに座って本を読んでいた。「久し振りだね。身体の具合はどうかな?」父が問いかけると、「来てくれたのね。寂しかった」と女性は本をパタッと閉じて祈るような形の格好になった。「うちの親が入院中にうかがったみたいだけど、何か失礼なこと言わなかった?」「悪いのは私だから、何を言われても仕方ない。でも君とのことを本気で考えていることだけははっきりと伝えたつもりだし、分かってくれたと思う」心臓がドキドキし、呼吸の仕方が分からなくなる。「これは、俺の娘なんだ」と私のことを紹介した。女性は「はじめまして」と真っ直ぐに私を見詰めたまま言った。何か言おうとしたが、呼吸ができずに声にならず、「あっ」と言ったまま顔だけ会釈しただけだった。なんでこんな感じになっちゃうのだろうと思っていると、父が「お前に、分かってほしいことがある」と父も私の目を真っ直ぐに見詰めて言った。父が車で事故をしたときに、この女性は助手席に居たのだという。他にもいろいろ言っていたが覚えていない。覚えているのは、今後父はこの人と一緒に暮らすということ。母もそれは承知済みであること。最後に言ったのは、「お前のお母さんは強い人だ。だから、お前はお母さんと一緒に暮らしていくのが幸せだ」と言った。それならそれでいいと思った。その当時は既に毎晩遅くまで家に一人で居たし、あまり変わらないのだろうと思った。ただ、その父の話を聞いている時、心臓は物凄い勢いで鼓動が脈打ち、手足は痺れ、息を吐くことが出来なかった。小学校5年生の2学期だった。 それでも、毎朝起きてリビングに行くとテーブルには500円玉とノートが置かれている。ノートには母のメッセージが残されている。「テスト頑張るのよ」とか「体の調子はどう?」などと母親らしい言葉が書いてある。学校では良い成績を取るように頑張った。そうすれば母が喜んだからだ。「家にはいつ来ても良いから」とクラスの友達に言うと、放課後に遊びに来る子が増えてきたので楽しかった。親があれしろこれしろとうるさくて嫌だ。私は自由そうで羨ましいと友達は口を揃えて言った。夕方になるとスーパーに買物に行き、家で肉野菜炒めや魚を焼く程度のものを作った。味噌汁は毎日作って、キッチンでは鼻歌を口ずさんだ。寂しいとは思わなかった。 ある時、夜中に帰ってきた母が私の部屋に入ってきたことがあった。「驚かないでね。お母さん再婚しようと思うの」私は眠かったので「そんなんだ。分かったよ」と言ってそのまま眠り続けようとした。母も、「ごめんねこんな時間に起こしちゃって。でもちゃんと話しておきたかったから」と言って出て行った。再婚する。きっとあの駅で見かけた人だろう。母が幸せならそれでいい。きっとこれからも毎朝500円をもらえるだろう。それなら私は大丈夫だ。心の底からそう思っているのに、鼓動だけが止まなかった。 小学校6年生の1学期だった。その日のメッセージにはこう書いてある。「お母さんのお腹に赤ちゃんができました。しっかりしたお姉ちゃんがいるから安心してます」嬉しかった。弟でも妹でも、少し歳が離れていても、兄弟ができると思うことは今まで生きてきたなかで1番嬉しい出来事だった。母はまだその時、まだ再婚はしていなかったから、新しいお父さんと呼ぶ人がこの家に来ることになるのか、またどこかへ引っ越すことになるのか、いずれにしても家族が突然増えることになる。母も近くにいてくれるだろう。嬉しかった。母は出産するまでの1年は仕事を休職して家にいるから、今まで本当に寂しい思いをさせてきたけど、また一緒に映画やカラオケに行こうなどと話しては、私も早く兄弟が欲しいよと言って部屋を駆け巡ったりしていた。 2ヶ月くらいそんな話をしていたが、結局、新しいお父さんという人が現れることはなかった。母は仕事を休む気配はない。夜も帰りが遅いままだった。そして会社の部下の女性に連れられて、酷く泥酔しながら帰ってきたことがあった。「あんたじゃまなのよ」母は部下を振り払って、玄関から上がろうとしたが足元がおぼつかずに母は頭からつんのめって倒れた。「ちょっと何やってんのお母さん。赤ちゃんが可哀想でしょ」私は始めて母に怒鳴りつけた。「えっ、赤ちゃんて?」部下の女性は口に手を当てた。「お母さんのお腹の中には赤ちゃんがいるんです。だからお酒も飲んじゃ駄目だし、転んでお腹を打ったりしたら大変なことになるの。何でお母さんそんなことも分からないの?」「え〜、そうなの?早く言って下さいよ。何で私達を飲みに誘ったんですか?ベットはどこ?早く連れて行かなきゃ」部下の女性と2人で母の寝室まで運んだ。母は「ごめんなさい。ごめんなさい」と言って泣いていた。 翌日は平日だった。あれだけ酔っていたにもかかわらず、朝は起きて朝ご飯の用意をしていた。「なんで、お酒なんか飲むの?赤ちゃんのこと考えてないの?」と私は母に問い質した。「ごめんなさい。お母さん、だめだね。もっとしっかりしなきゃいけないのにね」母はトースターからパンを取り出しながら言った。真っ黒に焦げていた。 その日残されていたメッセージはこうだった。「赤ちゃんは天国に行きました。短い時間だったけど、あなたはしっかりしたお姉さんでした」どういうことなのか。状況が分からない。天国に行ったなんて書かずにちゃんと話してくれればいいのに。私はそう憤慨した。その晩、母に問い質す。 「お母さん、赤ちゃんが天国に行ったってどういうこと?」 「お母さんのお腹の中には、もう赤ちゃんがいないの」 「それは分かったから、なんでいなくなっちゃったの?」 「赤ちゃんが、もう僕は充分生きたんだよって言ったの」 「お母さん、私はお母さんが思っているほど、もう子供じゃないんだけど」 「そうね。お母さん、もう若くないでしょ。この歳だと赤ちゃんが流れちゃうことがよくあるみたいなの。残念だけどそうだったの」 「そう。ごめんなさい。本当に残念だね」 「仕方ないでしょ。もう戻らないんだから」 母も辛かったのだ。私は「お母さん、一緒に寝たい」そう言って母のベットで手を繋いで眠った。 小学校6年生の夏休みは母と一緒に海外旅行に出掛けた。一ヶ月間に渡るイギリス生活だった。ロンドンでホームステイをしながらミュージカルを見たり、母と一緒に語学学校に通ったりした。週末はコーチでドーバ海峡を渡り、パリまで行った。ルーブル美術館を巡り、シャンゼリゼ通りを歩き、シャネルの香水を買ってもらった。庭園でのティータイムでは、いろいろなことを話した。 「学校の友達でね、うちらの親子のことを羨ましがっている子がいっぱいいるの。あんたは毎日自由だし、お母さんは綺麗だしって。親子じゃなくて姉妹みたいだよねって言うよ」 「やだー。女の子はよく見てるわね。やっぱり家にいるよりお仕事していると若く見られるのかしらね。でも姉妹って、あんたが老けて見られてるだけかもしれないから怒ったほうがいいんじゃない?」 「女の子だけじゃないよ。男の子も、お前の母ちゃんだったらいけるかもって言ってる」 「ちょっとどんなこと話してるの?そう言えば、好きな男の子とかいるの?」 「えっ、まーいいなーって思う人はいるけど、なんかよく見るとかっこつけてるのに子供っぽくて、なんかもっと大人になってほしいと思うんだけどね」 「あんたはしっかりしてるからね。お母さんが仕事できるのもあなたのおかげだよ。本当にね、あなたは偉いよ」 物心がついてから、母と一日中、ずっと一緒に過ごしたのはこのイギリスでの一ヶ月間だけだった。姉妹なんかじゃなく、本当の親子だった。 小学校6年生、10月15日、この日のメッセージにはこう書いてある。 「ごめんなさい。私の子供に産まれてしまって、ごめんなさい。私は、あなたという子供を産んだことが一番の誇りです。それなのにその誇りを傷付けようとしています。その誇りを悲しませようとしています。ごめんなさい。ごめんなさい」 母は、あの日駅で見かけた男、新しいお父さんになるはずだった男、一度は胎内に宿した命の父親である男のマンションの屋上から飛び降りた。屋上には、母のバッグが置かれていた。警察の調べによると、携帯に残っていたメールには、お願いだから中絶をしてくれ、結婚は出来ない、なんで今更そんなこと言うの、という内容やり取りが残っていたようだった。お葬式は母の弟が喪主となり、その男も父も参列した。母方の祖母や、叔父は男に対して早く帰ってくれと言って追い返した。父に対しても、今更よくこんなところに来れたものだと言った。 父はそれには黙っていたが、私が今後どうやって生活して行くかを話さなければならないのでと祖母や叔父に言った。父は取り敢えず私が連れて行きますと言った。しかし、祖母が「おばあちゃんが面倒見るから。うちも部屋が空いてるから一人ぐらい大丈夫だよ」と私に向かって言った。「今後どうしたいか、自分の考えをまず言いなさい」と父に言われた。私はどう答えて言いか分からなかった。母がいなくなるということを考えたくなかった。 母と今まで通り暮らしていきたい。それしか考えられなかった。「お母さんと一緒にいたい」それしか言わなかった。祖母は「あの子が自殺したのは、元はと言えば、あんたが勝手に他の女に走ったからなのよ。全部あんたが悪いのよ。そんな人間の所で育てたらこの子だってろくな人間にならないよ」と言った。「この人はさ、保険金が欲しいんだよ。相続分を全部かっぱらおうとしているだけ。育てようとか思ってる訳じゃないんだよ。この泥棒が」 私はもう自分で決められないと父に言った。父は強引に私の手を引っ張って連れて帰った。 父のマンションには、もちろん、父が退院した日に別の病院で会った女性も一緒に住んでいた。彼女は妊娠していた。「ゆっくりしていいのよ」と目を真っ直ぐに見詰めながら言う。私は視線をそらし、伏目がちに頷く。私は転校した。朝ご飯も、夕ご飯もその女性が作ってくれた。洗濯物の、私がやるから置いといてと言ってくれた。 私は家で何もすることが無くなったのでテレビばかり観ていた。「おやすみなさい」と、与えられた4畳半の部屋のパイプベッドで眠りにつこうとしたがなかなか眠れない日があった。父と女性の話し声が聞こえる。私はドアを開けて側耳を立てた。 「こんなこと言うのも可哀想だけど、いつまで置いとくつもり?ずっと一緒に暮らしていくつもりなの?」 「当たり前だろ、あいつは俺の娘なんだから」 「そうだけど、あちらのおばあちゃんとか、叔父さんとかも引き取っても良いって言っているんでしょう?それも一つの案じゃないの?」 「あいつがこの家にいたらだめか?」 「だめじゃないけど、やっぱり前の奥さんとの子供っていうのも引っかかるし、私達との子供との3人の生活が一番いいんじゃないのかなって、母親の違う姉がいるっていうのは、これから産まれてくる私達の子供の教育にも良くないかなって思って」 「大丈夫だろ、歳も離れているし、あいつも大人だから変なことはしない」 中学に入学すると、皆はなんらかの部活に入ったが、私は家庭科部に入った。運動系は放課後は毎日、休日も参加しなきゃならないのは時間の無駄だった。家庭科部なら週一の活動だけで済んだ。私は芸能オーディションへの応募を繰り返した。何とか一人で生きる術を探さなければならない。ある事務所から連絡が入り、話しがしたいと言われた。私は父に新しい服を買ってもらい、美容院に行ってから、原宿にある芸能プロダクションに行った。自己紹介をしてとか、写真を撮るからと言って撮影されたり、パンフレットを持ってきてはレッスン生から始めてみましょうとか言われた。まずはレッスン料を払い、演技や歌のレッスンを受けそのうちに仕事もらえるというものだ。きちんと親に話してからまた来て欲しいと言われた。その日は、そのまま家に帰り、何事もなかったかのように家でご飯を食べた。一週間後、事務所に連絡を入れ、やはりレッスン料は払えないと伝えた。非常に残念だと電話口から聞こえてきた。こんなにいい逸材はいないから特別に無料でレッスンを受けさせてあげようと言った。 そのまた一週間後、まずはダンスのレッスンから参加しようということになって、ジャージを持参して事務所の隣にあるダンススタジオに向かった。20人ぐらいの女の子達と一緒にステップから教えてもらった。それからは放課後になるとダンススタジオに通い、3ヶ月経った頃にはボイストレーニングも開始した。歌には自身があった。いつもカラオケで母と歌い、いつも父の車で歌を歌っていたから。それでもあるとき、突然に声がでなくなったときがあった。心臓がドキドキを脈打ち、呼吸が出来なくなる。なんでだろう。緊張しているのか。あの時の場面が蘇ってくる。母が知らぬ男と手を繋いだ場面。父が見知らぬ女に笑顔を見せてる場面。私は2人に幸せになって欲しかった。2人が望むなら、見知らぬ誰かを好きになっても全然構わなかった。それなのに、苦しくなる。私は歌おうとすると、呼吸が出来なくなった。そして涙が溢れて、泣いてしまうのであった。 ボイストレーナーが、それを事務所の社長に伝えたのだろう。「何か悩みを抱えているみたいだから、今度、食事でもしながら話をしよう」と言った。指定されたのはお台場のレストランだった。ゆりかもめに乗って指定のレストランが入っているホテルに入るとロビーに社長がいた。レストランに入り、何か注文をしている。 「どうだ、レッスンは。楽しいか?」当時30代後半だった社長が聞いてきた。 「楽しいですよ」 「いつか、テレビや映画に出てみたいか?」 「はい。昔から映画が好きでよく観てましたから」 「歌を歌おうとすると、涙が出てきてしまうようだね。きっと感受性が強いんだろうな。歌手に向いているかもしれないな」 「そうですか。でも歌を歌うのは好きなんです。好きなはずなんだけど、途中で変になっちゃうんです。どうしてか分からないんですけど、だめになっちゃうんです」 「そうか。なんでだろうな」 「なんでだと思いますか?好きなのに出来ないって、すごく悔しいんです」 「そうだな。表現をするってことは、いろいろなことを経験していなきゃいけない。伝えたいことがあるからこそ、それを言葉にしたり音にしたりできる。表現せずにはいられなくなる」 「私はいろいろ経験してきたつもりなんですが、まだまだってことなんですね」 「せっかくこういう仕事をしようとしているんだ。僕が人生の先輩としていろいろと教えてあげるから心配するな」と言った。レインボーブリッジの明かりが綺麗だった。 私はダンスと歌に加え、演技のレッスンも始めた。歌には自信があるのに、やっぱり途中で苦しくなってしまうので、そうなった時はそこでその日のレッスンは終わりという形を取っていた。レッスンに通い出してから半年ほど経った日、初めての仕事が入りそうだと社長から連絡があった。お台場のレストランに来るようにと指定された。この間と同じようにホテルのロビーで社長は待っていた。私が近付くと、吸っていたタバコを揉み消して、 「よく来たな。喜べ、初仕事が入ったんだ。今日はその通知とお祝いだ。レストランの予約を入れていたんだけど、どうやら手違いで席が満席になってしまったらしい。他のレストランも恐らくいっぱいだろう。ちょうどこのホテルに隣接したレンタルマンションを借りてるんだ。料理はこのレストランから運んできてくれる。眺めも良いし、そこで食べよう。さあ」と言いながら腰に手をあてて私を促した。マンションと言えどもフロントがあり、レセプションの受付嬢から鍵をもらってからエレベータに乗り込む。20階にある社長のマンションからは東京湾が見渡せた。チャイムが鳴り料理が運ばれてくる。 「どうだ。綺麗だろ」 「なんか、こんな場所ってテレビでしか見たことない」 「そうだ、新しい仕事ってのはな、雑誌のグラビアだ。漫画雑誌のトップを飾るんだ。今は取り敢えず顔を売るぞ」 「グラビア?それはあんまり考えていなかったんだけどな」 「大丈夫だ。水着になるだけだから。お前は可愛い顔をしているし、肌も白い。きっと売れる。そして金もいいぞ」 「そうですか」 「名前はせいらで行く」 「もう名前まで決まっているんですか?」 「大丈夫だ。俺に任せておけば大丈夫だ」 私は歌が歌いたかった。でも、今の状況では歌えない。なんでもいい。中学生でも稼げるのはそれぐらいしかないのだろう。 「グラビア。やらせてください」 「そうだな。今日からお前はせいらとして正式にうちの事務所からデビューすることになる」 彼がくゆらせたタバコの煙が漂ってくる。「おめでとう。お祝いだ」 うつむいていた彼の顔が近づき、そっと唇を重ねてくれた。タバコの匂いがする。心臓の鼓動がドキドキと早くなる。呼吸が出来ない。彼のタバコの匂いのする舌が入ってくる。男の人の舌なんて、もっとごつごつとしたものだと思っていた。それはとっても柔らかかった。 頬をすり寄せて、耳元で囁いてくる。 「可愛いよ。ねぇ、今まで彼氏はいたことあるの?」 「ないです」 優しく髪を撫でてくれる。 「そうか。大丈夫だ。僕が君を育ててあげるから。仕事もプライベートも何も心配いらない。力を抜いてごらん。心も身体もすべて僕にあずけてごらん」 洋服の下から彼の手が入ってくる。ブラの中に指が入ると、つまんでくる。 「いやっ」と声が出ると、 「いやなのか?」と優しく問いかけてくる。 「うんうん。いやじゃない」と言うと、「可愛いな。いい子だよ」と頭を撫でた。 「さあ、腕を上げて」 ブラのホックが外れると、彼が乳首に吸い付いてくる。 「ああ、真っ白なおっぱいに、綺麗なピンク色をしていて、とっても可愛いね」 片方の乳首を舐め、もう片方は指で優しくつまんでくれる。 チューチューと吸い付く彼の頭を撫でて、胸の中で抱きしめた。気持ち良かった。 「痛くない?」と聞くから、 「痛くないよ。なんかすごく気持ち良い」と言った。 彼の手が背中を抱き、下に下がっていく。乳首を吸いながら、左手は乳首をつまみ、右手はお尻を優しく揉んだ。 そして、私の女の子を優しく触れた。身体をびくんっとさせると、「大丈夫だ。力を抜いてごらん」と言われ、息を吐いたが「ああーん」と吐く息に声が混ざってしまう。 「可愛い鳴き声をするんだね。いいよ。我慢しないで、声を出していいんだよ」 私は、「ああーん、ああーん」と鳴いた。 彼は低い声で、「あれ、なんかクチュクチュって音が聞こえるよ。なにかな?」と囁いた。 私の女の子はジュンジュン湿っていて、彼の指でクチュ、クチュという音を立てていた。 「ああーん、ああーん」という声を止められずに、「ごめんなさい。気持ちよくて、声が出ちゃう。なんか、クチュクチュしちゃう」と言った。 彼は、「男の人のオチンチン見たことあるの?」と聞くから、「子供のならある」と答えた。 「そうか」と言うと、ボクサーパンツに手を掛けた。ボクサーパンツのゴムの部分が引っ掛かり、彼のものが中々出てこない。彼はゆっくりと下げると、突然パチンッと彼のお腹を鞭打つものが出ていた。 「えっ」と私は言った。 「どうした?」 「やだ、何それ。おっきいよ。私が見たことあるのと全然違う」 「そうか、大きいと思うの?俺のオチンチンはそんなに大きいほうじゃないんだけどな」と言った。 彼は私の手を取ると、根元を握るように促した。前後に摩るように手ほどきされ、固くて血管の浮き出たものを撫でた。 「これ、入れてみよう」 彼は私の足を開くと、女の子に彼のものを押し付けた。 「待ってよ、力を抜いて、大丈夫だぞ」 キュッ、キュッとなる部分があり、「痛い」と声が出た。 「ごめんね。痛いか?締め付けないで」 「締め付けてないよ」と言った。 私が「痛い、痛い」と言うものだから、彼があてがっていたものを女の子から離そうとした。 「何で止めるの?やだ。してほしい」と言った。 その瞬間、私の中に熱いものニュルッという音を立てて入ってきた。 「あうーん」という声が出てしまい、彼も「ああっ」と顔を歪めた。 「ああ、狭いよ。とっても狭いよ。気持ちい良いよ」と言った。 「いやー、いやー」と私は言った。 「待ってね。動いちゃだめだからな。動かないでね」彼はそう言うと、私を抱きしめキスをしてくれた。 「ほら、今ひとつになってるんだよ」 私は彼にしがみつき、彼は私の乳首に吸いついた。チューチューと音を立て、「ああーん、ああーん」と声が出る。「我慢できなくなっちゃうから腰は動かさないで。もっと中にいたいんだ」と彼は言った。 そして、「お顔を見せて」とお願いされ、彼の目を見詰める。「ああっ」と声を発っしたかと思うと、 「可愛いよー、可愛いよー」と声を荒げながら、私の胸に甘えるようにしがみついて、ビクンビクンと動いた。それは少年が母親にしがみつくみたいで可愛かった。その後も、彼は私の乳首に吸い付いてチューチューと音を立てて、私を抱きしめた。彼の髪の毛を撫でると、タバコの匂いがした。 父と母はどれだけ抱き合ったのだろう。母はどんなふうに父を受け入れたのだろう。私が産まれたとき、2人はどれだけ喜んでくれたのだろう。 私は、雑誌のグラビアで中学生でも収入を得ることが出来るようになった。父は、あまりそんな仕事はするなと言い、私もグラビアなんてあんまりしたくないし、そのうち仕事が来なくなるよと言ったが、予想以上に仕事は入ってきた。通学途中で突然フラッシュをたかれ、クラスの男の子にはAVに出てるのを見たなどと嘘の噂を立てられたこともある。私は高校2年生でグラビアの仕事は辞めさせて欲しいと頼んだ。社長も、せいらの身体を他の男に見られるのは僕も嫌だからと、高校1年生からグラビアはやっていない。また、高校入学を機に、母親が残した保険金と少しの収入で、父親のマンションから出ることが出来た。父の妻(継母)は、「一緒に暮らしたらいいじゃないの」と言っててのひらを返したし、実際無難な家族関係を築いてはいたが、この家にいてはいけないような気がして出て行った。 今、高校2年生の私は、テレビのドラマや映画の本当に隅っこの役をいただいている。 未だ、歌を歌う願いは叶っていない。やっぱり、歌おうとすると、心臓がドキドキと鼓動を打ち、呼吸が浅くなってしまうから。 私は、キッチンから流れてくる味噌汁の匂いと、トントンと何かを切る音と、それと一緒に流れてくる母の歌声が好きだった。そして、父の運転する車の中で流れる音楽に合わせて歌うのが好きだった。 |
せいら
2011年09月02日(金) 02時30分45秒 公開 ■この作品の著作権はせいらさんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.4 せいら 評価:0点 ■2011-09-05 05:41 ID:SsTedtjbnt2 | |||||
山田さん、 ご感想ありがとうございます。確かに母子家庭をイメージさせるような典型的な表現であったかもしれません。母親と父親の思い出を別々に書かないほうが良かったかもしれません。 濡れ場は、この場で描写表現の良し悪しを評価していただきたいという意図がありましたので、必要以上に書きました。 また、投稿したいと思いますので宜しくお願いします。 |
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No.3 せいら 評価:0点 ■2011-09-05 05:35 ID:SsTedtjbnt2 | |||||
陣家さん、 ご感想ありがとうございます。一応、小説と言うか、お話として成り立っているようで安心しました。濡れ場は、ストーリー上不要だったかもしれませんが、表現や描写がどのような評価をいただけるのかを試したいと思って書きました。なるほど、物語り当初は母子家庭のイメージを隆起させるみたいですね。世間一般のイメージと言うものを考えながら表現する必要があるみたいですね。 演出はわざと過多にしました。それでも哀しみや感情を抑え続けているのを表現したかったのです。そして両親は強い子であると思い込んでいるので、父親も不倫相手に会わせてしまう。感情は表には出ない、自分の意識上にも出てこない、それでも拒否反応は身体に出てしまっている。そして成長してからその哀しみに苛まされる。それでも両親が好き。そういう矛盾を表現してみたかったのです。 このような物語の対象読者はどういう方になるのでしょうか? 今後も、感情の矛盾についての物語を書いていきたいと思いますので、宜しくお願いします。 |
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No.2 山田さん 評価:30点 ■2011-09-04 14:11 ID:3RErvQF9ZU. | |||||
拝読しました。 下で陣家さんも書かれておられますが、前作の「天からの会話」で抱いた僕の印象を良い意味で覆してくれた作品でした。 すごいことが起こっているのに、淡々とした抑えられた文章で書かれていて、それがとてもいい効果を生み出しているように思います。 ただ、自殺に関しては僕も思うことがあり、納得できない点もあります。 まぁ、これはあくまでも個人的な感情ですし、作品の良し悪しにこの感情を持ち込むのはフェアじゃないだろうな、ということで触れないでおきます。 読み始めた印象としては、僕も最初は母子家庭の話なのかな、と思っていたのに「あれ、お父さん登場?」とちょっとずっこけそうになりました。 これ、作者さんが意図したものなのか、あるいはまったく意図していなかったものなのか、ちょっと興味があります。 誤字脱字が少々、ちょっと引っかかる文章が少々、ありました。 このあたりはこれからどんどんと作品を書いて、きちんと推敲いていけば改善されると思います。 そして、どんどんといい作品を生み出してくれるだろうな、と期待できそうな方だと思います。 もう一つ、気になったのは「濡れ場も書いたほうが読んでもらえると言われたので、頑張ってみました」ってやつ。 作品として濡れ場が必要であれば、それは書くべきだし、当作品の濡れ場も特に違和はなかったのですが、もし、単純に「客寄せパンダ」として「濡れ場」を書く、という気持ちがおありでしたら、それは違うだろうな、と僕は思っています。 いずれにしても、凄く良い作品を書いてくれそうな方だなと思います。 機会があれば次作も読ませてください。 |
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No.1 陣家 評価:30点 ■2011-09-02 22:48 ID:1fwNzkM.QkM | |||||
こんばんわ、読ませて頂きました。 せいらさんの前作もレスさせて頂きましたね。 前作は本当に案内パンフレットみたいで実際ヨガ教室の宣伝かと思ってしまい、あのようなレスをしてしまいました。 失礼しました、しっかりとした向上心と小説を書きたいという志を持った方だったみたいで本当に申し訳ないです。 同好の士であったことを今作を読んで思い知りました。 がんばりましたね。書き始めの段階でこれほど長尺の作品に仕上げるのは並大抵の努力では無かったと思います。 お友達にシナリオや小説を書いている方が居られるのですか、ちょっとうらやましいですね。 ただ、そのお友達の言葉を作者コメントに書かれたのはどうかなと思いました。 なんか、濡れ場に釣られて読んじゃった、みたいに思われそうじゃ無いですか。 けっして、断固としてそんなことありませんからね。 さて、今作は意表を付いて自叙伝っぽい作品ですね。 高校生である現在の私が振り返る子供の時の思い出。 淡々と語られる優しかった母親の思い出。当初は母親にスポットが当てられてお話が進んでいたため、父親が登場したことはちょっと意外に感じてしまいました。 毎日遅くまで働く母親イコール母子家庭というイメージがありますからね。 ともあれ、母親とも父親とも過ごす時間は限られていたとしてもそれなりに平和で幸せだったようで、毎日500円という物質面での豊かさと、ノートでのコミュニケーションという親子の絆を大事にしようとする母親の優しい気持ちが伝わってきました。 で、優しかった父と母が同時に不倫。それも少女が多感な時期を迎えるちょうどその時期に。 まあどちらかが先に浮気していてそれがばれて、その面当てにみたいな感じなんでしょうけど、あくまでフィクションだとして言わせてもらうと、ちょっと演出過多な感じがします。 お母さんの浮気現場の目撃シーンは要らなかったんじゃ無いかなあと。 子供の気持ちを考えるならば、いつもはお母さんにも娘の私にも優しいお父さんが他の女の人と浮気していた。 これだけで胸が押しつぶされるような思いなのでは無いでしょうか。 それなのにその浮気相手の元にお父さんに連れられて会いに行くんですね。 でも別れた後父親は引き取るつもりだったわけではなく、母親の元に残していく。ちょっと不自然かなと思いました。 わざわざ面会させた意味が分かりませんでした。 そしてその後、お母さんは他の男に結婚を拒否されて中絶させられて失意の内に自殺。 うーん、お母さんは自立したたくましいお母さんだと思っていたんですけどねえ??? その後葬式の日に久しぶりに父に再会するわけですけど、ここがちょっと唐突な感じでしたね。久しぶりな訳ですから再会シーンはもう少し丁寧に描写した方が良いと思いました。 その後は父親の元での借り猫状態の生活。絵に描いたような不遇な境遇です。 そしてなんとか早く自立したいとの思いから芸能界に身を投じる。 ここからはなんともはや、さんざんな俗世間の洗礼が始まります。 子役タレントからクレームが来そうです。 で、お待ちかねのじゃなかった、恐れていた濡れ場シーン。 ありがち過ぎる枕営業、それも中学生なんですよねえ。 東京都知事に真っ向から挑戦状を叩き付けるかのような生々しい描写。頑張りすぎですよ。吹っ切れすぎてて痛々しいと思いました。 それでも最後はいつか暖かい家庭を築きたいと願う主人公の思いが語られていて救われた気がしました。 全体的には微妙に一般ピープルとずれた感覚かなあと思わせつつも、最後はそれなりにまとまっていると思いました。 ここまでしっかりした物を書けるのはもしかして作者様の実体験比率が高いのでは、と穿ったことを考えてしまいます。 願わくば自分の邪推で有って欲しいですけれども。 あと、数字表記はこのような小説の場合、漢数字を用いるのが一般的です。まあ横書きの場合は読むのに不都合は無いので自分も実は二桁以上は英数字を使っちゃうんですが、2人、高校2年生、のようにせめて一桁の場合は漢数字を使う方が良いかも知れません。 いろいろ苦言を呈させてもらいましたが、自分はもしかしたら対象としている読者とは全く違うターゲットなのかも知れませんね。 あくまで参考程度に受け取ってください。 これからもがんばってください。また新しい作品ができましたら読ませて頂きます。 それでは。 |
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総レス数 4 合計 60点 |
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