彼女の『空』 |
彼女は自分が信じているモノを『空』と呼んだ。 例えば学校の裏にある人の手の加わっていない山を。 例えば私達の住む町から何十キロも離れた青い蒼い海を。 例えば頭の上いっぱいに、そしてもっともっと遠くまで広がる大空を。 例えば全ての場所を少しずつでも一度にたくさんでも通り抜けて行く風を 彼女は自然のモノしか信じなかった。人を信じなかった。私のことも。自分自身すらも。 「私の『空』は変わらない。もともと、本当にもともとあるモノを『空』にするよ。山を『空』と呼ぶのも、海を『空』と呼ぶのも、空を『空』と呼ぶのも、風を『空』と呼ぶのも凄く紛らわしいけどね。」 彼女はそう言って笑った。 彼女がどうしてそうなってしまったのか、彼女自身が教えてくれたことがあった。 彼女はいろんなモノを信じすぎてしまったのだそうだ。本に書かれていること、インターネットに書かれていたこと、人から言われたこと。そこで彼女は、自分はこれを信じられる、と思ったモノを信じていった。 でも自分はこれを信じよう、と思ったモノが、別の自分が信じていたモノを否定している、という矛盾がおこったそうだ。何回も何回も。 信じようと思ったモノが信じていたモノを否定していると、逆のことを言っているという矛盾。そして彼女は、自分はこれを信じている、と信じていたモノをあまり信じていなかったのではないか?と思うようになった。だけども自分はそれを信じていると信じていたい。これもまた矛盾。 一つの矛盾がまた別の矛盾をよび、それはどんどんどんどん拡大していった。 彼女は矛盾をとこうともがいたそうだ。抗って抗って。矛盾という闇を消そうと信じられるモノという光をまこうとした。けどその光もいままで信じていたモノ、闇の下にあるモノを否定していて、かえって闇を膨らませるだけだった。 重なって重なってその重さに耐え切れなくなりそうになった時に、彼女は突破口を見つけた。 何も信じない、ということ。彼女はソレを見つけた。その通りに彼女は何も信じなくなったそうだ。 でも、ある日彼女は何かの折に海に行ったそうだ。白い砂浜とそこに打ち寄せて白い泡を作る波。視線を遠くにのばせば遠すぎて近くに見えるほど遠くにある丸い弧を描いた空と海の境。頬を撫でていく目に見えない風。彼女はこれが最後と思ってそれだけを、その自然だけを信じたそうだ。 「『たったそれだけのことで?』って思うでしょう?でもね私には凄く大きかったんだよ。いろんな意味でね。」 彼女はそう言っていた。 彼女が信じるモノを『空』と呼ぶ理由は空が一番移り変わりが激しいからだそうだ。「激しいから信じられない」ではないらしい。彼女曰く、「空はそこにあるとわかるから、雨はそこにあるとわかるから」だそうだ。私にはいまいちわからなかった。だったら人もそこにいるというのに。 彼女はいつも黒い服を着ていた。 彼女は「黒は信じられないから。自然の中にあるのは黒じゃなくて闇だもの。私は私を信じられないから信じられない色を着るの。」と言って、黒い無地のTシャツの裾を引っ張った…… これは数年前の話…… そして私は、今は亡き彼女のお墓の前に白い封筒に入れた手紙を持って立っている。 誰が読むわけでもない手紙。内容はたった一文だけ。 [あなたは結局何を信じたの?] 彼女は自殺だったそうだ。「家を出たきり帰ってこない」と彼女の親から警察に捜索願いが出されてから数日後。彼女は家から数十キロも離れた海で見つかった。遺書も彼女の部屋にあったそうだ。 私がこの手紙を書いた理由は、彼女が本当は何を信じていたのかなんとなくわかった気がしたからだ。 それは、信じすぎたという話をした時、彼女は心に広がる矛盾や否定を闇に例えていた。けど彼女は自然にあるのは闇だ、とも言っていた。自然を信じる、と言っていた。だから私は彼女は闇を矛盾を信じたのではないだろうか?と思う。揚げ足をとっているだけかもしれない。けど彼女がそこまで無意識のうちにでも考えて言っていたのかもしれない。 だからもちろん本当に私が思っているのであっているのかわからない。だから手紙は質問になっている。かまかけでもある。 私はお墓の前にそっと封筒を置いた。彼女はなんて答えるだろうか……? |
ナツ
2011年08月30日(火) 11時28分05秒 公開 ■この作品の著作権はナツさんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.2 N章 評価:30点 ■2011-08-31 22:28 ID:pcEL/c9.UVE | |||||
N章と申します。 拝読させていただきました。 実は、僕も友人を自殺で喪っています。ですから、彼を思い出して胸が痛みました。(彼は、彼女の裏切りに耐えられなかったようです。繊細すぎたのでしょう) 拝読後、「人は、何かを信じないと生きて行けないのか?」「矛盾はいけないことなのか?」「そもそも、空を、『そら』と読むか、『くう』と読むか」「これ、禅の話じゃないの?」そんなことを考えてしまいました。答えは未だに見つかっていません。悶々としています。 僕は、魚釣りが好きで、週に一度は海へ出かけます。 晴天の下、大海原に向かってひたすらルアーを投げている時は、至福の時間であります。 何も考えずに、ひたすらルアーを投げる。そのうちに、魚を釣るという本来の目的さえ忘れてしまいます。 「ただ、ひたすらに!」 この瞬間、僕の頭から苦悩は消えています。 |
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No.1 陣家 評価:20点 ■2011-08-31 01:55 ID:1fwNzkM.QkM | |||||
拝読させていただきました。 陣家と申します。 何事も否定から入るとそれに付随する肯定が必ず発生して訳の分からないパラドックスに落ち込みますよね。 ノーミス”する”ってのはとっても難しいですもんね。 子供の頃、何も考えないでおこうと言うことを考えないようにすることにとりつかれていた時期がありました。 うっかり考えてしまうと学校から家までの帰り道中ずっと 「今は何も考えてない、今は何も考えてない、今は何も考えてない、今は何も考えてない、今は何も考えてない、今は何も考えてない、今は何も考えてない」 と、家に着くまで頭の中でつぶやきながら帰ってたりしてました。 まあ、他に考えることが無かったんでしょうね。 もし今踏み出したこの一歩が地雷を踏んだらどうしようとか、いきなり空襲警報が鳴ってチャンスボートF4Uコルセアの機銃掃射を受けたらどうしようとか考えなくて済んでいたのはやっぱり平和な世の中だったからなんでしょう。 人間っていつでも仮想敵を意識の中に用意するように本能的にできているのかも知れません。 最大の仮想敵は死、と言うことなんでしょうけど、それに至るまでのシミュレーションを常に用意しているような気がします。 でも、あまりにそのイメージを増大し過ぎると過剰防衛反応で自決しちゃったりするんでしょうか。 なにごともほどほどに中庸に生きるのが幸せなんでしょうね。 難しいですけど。 そんな感想を抱きました。 それだけです。すいません。 |
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総レス数 2 合計 50点 |
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