異国の地での独り言 |
いかがお過ごしですか。真夜中に失礼します。ここ中東の都市にもボルダリングのジムがあるようです。今度機会があったら行ってみます。 そんなことより、先日、夕食にある人を誘ったのです。出会いは突然でした。週末に参加しているテニスです。少し遅れてきた彼女の歩く姿が目に入った瞬間に、僕はボールを打ち返すことすら出来ず、ただ見とれる以外になす術はありませんでした。整った黒髪、涼しげな瞳、華奢な体躯には絹のように白い肌。僕は挨拶すらまともに出来ずに恋を覚えたばかりの少年のように彼女を目で追うばかりでした。僕は心の中でひざまずくのです。あぁ、神よ仏よそしてアラーよ。あなたはなんというお方を私に出会わし給うたのだ。天使のようではない、まさに天使ではないか。 やがてテニスは終わり、何人かは車持ちの人に送ってもらうことになりました。方向から考えて、彼女と僕は同じ車に乗り込むことになったのです。そこでようやくお互いの名前を交わすことになります。驚いたのは、彼女の住居は僕のホテルから徒歩5分の場所であったことです。あまり便の良い立地ではなく、そうそう日本人が住む場所ではないのですが。おぉーアラーよ。あなたはなんて……。 それからというもの、事務所からホテルへ帰る際には、わざと彼女の家の前でタクシーから降りては歩いて通り過ぎるという日々が続きます。ここで彼女に会うことはありませんでした。いや、会わなくて良かったのです。こんな場所で会ってしまっては、いやらしい自分の心を見透かされているのではないかと、きっと目をそらしてしまったでしょうから。 偶然の再会は必然とも言えるものでした。ある商社の方と飲みに行こうとタクシーで移動している時です。信号待ちで止まっていたタクシーの前を、あの時の天使が横切ったのです。ワンピースに身を包み、あの時よりいっそう美しい羽を携えて。信号が青になると、無常にも天使を置き去りにタクシーは進んでしまったのですが、そこで奇跡が起こります。商社の方が、天使と一緒に歩いていた女性をご存知のようで、今から一緒に飲まないかと電話をし始めたのです。僕らは共通の知人から、再度引き寄せられることになりました。その後はこの都市でも飛び切りお洒落なバーでグラスを傾けては、沈む夕日に照らされながらお互いを語ることになります。 彼女は日本の最高学府の大学院で修士を取得され、NGO職員として主にイラクの復興にご尽力されています。特に劣化ウラン弾による放射線障害の子供達への支援をされているようです。イラクにも危険を省みずに行かれているとか。嗚呼、素晴らしい。可憐で聡明で、それでいて精神的な強さを持ち合わされていて。 お酒も進み、商社の方のご自宅で飲み直そうという展開になります。外に出てタクシーを探しているとき、天使と青年協力隊の何気ない会話を耳にします。要約すれば、年頃なのに彼氏もおらずこんなところまで来てしまったという内容です。ねぇアラー、あなたはどこまで……。 結局10人くらいの2次会家飲みですが、The商社の如くにカミングアウトゲームをしたのです。ある人が質問を出し、その答えをコインの裏表でYes Noを意思表示し、テーブルクロスの下に隠しながら置くと言うゲームです。夜も更け、少しディープな内容も含みだした頃、私は鎌を掛けるのです。「僕と付き合うのは有りというう人はコインを表にして出して下さい」と。テーブルクロスをめくった先になんと1つだけ表のコインがあるではないですか。誰が表に置いたか分かりませんでしたが、前途に光明を見出したのです。 私は焦りませんでした。出方を間違えたら全てが消え行くのを知っていました。それから一週間は、飲み会の時に撮った写真に映る彼女の澄んだ瞳と、可愛らしく膨れ上がった胸に溜息をついては、抑えきれない劣情に身を委ね、架空の彼女と愛し合っては何度も身体を昂ぶらせることになります。 時期を見計らい写真をメールに添えて、何気なく夕食に誘いました。彼女は毎日自炊をしているから中華を食べに行きたいですとの返信が来たのです。そうでしょう。健康な彼女がヨこの中東の都市に来て一ヶ月、女性の疼きが無い訳はないのですから。中華レストランを調べ、トークのネタを10テーマは書き出してはホテルで練習を重ね、ハイヤーを手配し、彼女の家の前まで迎えに行きます。待つこと10分、待ち合わせの時間調度に遠くからやってくる彼女が視界に入り、彼女と僕の距離が狭まる毎に僕の心臓の鼓動は速くなるのです。高級中華レストランに入り、食事をオーダーします。イスラム圏はラマダンと言う断食の時期ですのでお酒はオーダー出来ませんでしたが、「残念だね。僕、お酒飲みたかったのに、残念で仕方がないよ」と、この食事の後の行方を示唆する伏線の台詞を吐きます。「君は九州出身だったよね。やっぱりお酒飲みたいでしょ?」「そうね。残念。この時期は外でお酒を飲めないみたいだから家にはワインをストックしてあるの」おや?まさかそういうことじゃないよね?いいや違う。そんなに早い展開を考えての言葉ではないはずだ。僕はインテリジェンスを装いながら即席出来合いのトークネタを差し出しては、彼女のトークを引き出すように努めました。しかし固いテーマの話では彼女からはなかなか弾んできません。その代わり、彼女は東京でゲイカップルと同居していてそのゲイカップルは1年に1回しかセクスをしないだの、年始に医者とのお見合いを親にさせられたけど世間知らずそうだから遊んでから断ってやったなどと下衆な話を楽しそうに話してくるのです。お嬢様が強がっているのか、それとも俺をちゃかして試しているのかなんて思いながら、それでも食事の場だし僕もそんな話の方が乗りやすいし軽い話しで楽しんだのです。ここは僕が払いますからとお勘定を済ませ、外に出て涼しいアラブの風に吹かれながら、「やっぱりお酒飲みたいな」と呟いてみせます。「お酒飲めるところに行こうか。でもなかなか見付からないよなー。そう言えば家にワインあるんだっけ?由美子ちゃんの家に行ったらまずいよね」下衆な話をしていたせいか、予定外の言葉を抵抗感も無く吐きます。「今日は食事だけじゃないの?」「なんか物足りないし、せっかくだしさ」「テラスで飲むくらいならいいよ」「じゃあ行こう」タクシーを拾い彼女の家に向かいます。 彼女の家はNGO事務所件自宅でワンフロアー貸切のだだっ広い部屋でした。360度一周出来るテラスにはテーブルも椅子も備わっておりセレブと呼ぶに相応しいものでした。音楽をかけながらワイングラスを傾け、そして白ワインと赤ワインの空ボトルは僕達を饒舌にさせていきます。 「本当に可愛いよね。初めて見たとき目を疑ったんだ。そのあまりの可憐さにね。でもよくあるだろ、ゲレンデや海辺の水着姿に目を奪われるけど、街で会ってみたら思っていたのとなんか違うってことが。君のこともそうなのかもしれないって疑ってたんだ。日本人の女性がいないこの地だからときめいてしまっただけかもしれないってね。ごめんよ。でも君は違った。本当に美しいよ」 「私ね、よくそう見られるの。外見は可愛いの。前に付き合った人には処女なんじゃないかって思われて馬鹿かと思った」「それはないよね。でもそう見えてもおかしくないくらい清楚だよ」「セフレだって日本に3人いるし、浮気だって絶対にするし、1人だけと付き合うなんて出来ない」これが本当なら僕はここで2つのことに落胆することになります。本当に清純な女性であって欲しかったのです。処女であって欲しかったわけではありません。ただ、性というものに真摯であってほしかったのです。2つ目は、それを僕に告げたことです。少なくとも今後本気で付き合うことに発展する見込みはないと彼女はここに来るまでの間にジャッジしたことになりますから。そして、「ここに来たのも、男関係を全部切りたかったのが大きい。海外に行って男からのうざい連絡が切れたらすぐ戻るつもり」とも言い放ったのです。僕は悔しかったのです。僕は思わず飲みかけたワイングラスを投げつけるところでした。彼女にはもっと大きな志を持っていて欲しかったのです。いや、照れ隠しや冗談もあるのかもしれません。それでもそこにプライドなど欠片も見えなかったのです。 それからは、彼女の歪んだ、人を小馬鹿にした、薄汚い思想を延々と聴くことになります。私の父は大学教授だから私と釣り合う人がいないとか、同日に3人のセフレをはしごしてやったことがあるとか、男はみんな私の可愛さに騙されて別れると泣かれて気持ち悪いとか、本当に吐きそうになってしまいました。僕の芽生えそうだった恋心は花咲く前に摘まれました。私は萎えました。 その夜、私は彼女の家に泊まらせろと言いました。そして今日、先日の飲み会に居合わせた二番目に可愛かった女と飯を食らってきます。こんなところにいる女はブスか歪んだ性格しかいないのです。「良い女はブスの中にしかいない」歪んだ男の独り言です。 |
はなぶさ葵
2011年08月14日(日) 22時55分45秒 公開 ■この作品の著作権ははなぶさ葵さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.4 はなぶさ葵 評価:0点 ■2011-09-21 19:49 ID:WNuKAxdOBio | |||||
> 夕凪さん、 ご感想いただきありがとうございます。高評価いただき嬉しい限りです。 しかしながら、現在、仕事での文章につまずいて10,000字ほどの文章に1週間掛かっています。裏付けが必要な文章は手間が掛かって難しいです。 その後何があったかではなく、投槍に「泊まらせろ」と乱暴に言い放ったことで、彼女に対しての気持ちは一瞬で冷めてしまったということを表現したかったのです。でもやはり気になるところですし、気になっていただけたのであれば嬉しいです。実話ではないので正解はないのですが。 ピアニスト頑張って下さい。 |
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No.3 夕凪 評価:50点 ■2011-09-17 09:27 ID:qwuq6su/k/I | |||||
ネット小説を読んで以来、こんな闊達な噺は読んだことが無いんで吃驚しましたが、毎日お仕事で書類を書かれて居られると聞き 成る程〜と思いました。 山田さんと同じく、僕は彼女に「泊まらせろ」と言った後 どうしたのか判りませんでした。ネットのプロのライターでもここ迄サラ〜っとは、書き上げて無いんで「経験の多い者程、巧い」というのを読んだことが有り、自分もこの歳でピアニストを志し。。。。だうかなぁ・・と思ひました。 |
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No.2 はなぶさ葵 評価:0点 ■2011-08-18 16:23 ID:WNuKAxdOBio | |||||
> 山田さん、 ご感想ありがとうございます。仕事で毎日メールだの報告書だのを書いていますが、物語を書くというのは難しいものですね。 女性の正体が分かってからは動揺しているというか投槍な感じを出してみました。 > 何故この男性が「私は彼女の家に泊まらせろと言いました」という行動に出たのか これについては、真剣に彼女を思うことは止めたが、他の男と同じように身体の関係だけは結ばせろという、投槍で利己的な思いを表したつもりです。その後どうだったのかと言うのを書くと冗長になるのではと思い省きましたが、その後の話が気になると思って下さったのであれば嬉しい限りです。 |
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No.1 山田さん 評価:20点 ■2011-08-16 23:39 ID:iNA2/rsuwOg | |||||
拝読しました。 人生で初めての作品、とのことですが、文章を読む限り、何かと書くことに慣れておられる方のように感じました。 この表現が当たっているかわかりませんが、とても「端正」な文章を書かれる方だな、と感じました。 ただ、これは僕の錯覚かもしれませんが、女性の正体が徐々にあからさまになっていくにつれて、文章もちょっと乱暴になっていっているように感じました。 いずれにしても、きちんと文章は書かれる方だな、という印象です。 物語の内容は正直に言って、もう少し何かが欲しかったように思います。 こういう女性って、割と存在するものだし、これをテーマとするには、ちょっとベタかなぁという思いもあります。 もう一つくらい捻りがないと、ちょっと平凡な内容で終わってしまっているように思いました。 ひとつだけよくわからなかったのは、何故この男性が「私は彼女の家に泊まらせろと言いました」という行動に出たのか、です。 そして彼女の家に泊まって何をしたのか、何があったのか。 例えば僕だったら、彼女に幻滅してとっとと帰宅しちゃうよな、と思います。 あるいはこの男性はあまりにも彼女に立腹したので、その怒りをその晩に何らかの方法で彼女にぶつけたのか。 すいません、いまひとつわかりませんでした(読解力がないだけかも知れません)。 失礼しました。 |
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総レス数 4 合計 70点 |
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