国境の橋
川のせせらぎに陽の光が反射してキラキラと輝き、川に架かる沈下橋からダイビングする子供達の姿があった。
此処は、のどかな光景が広がる高知県では最長の一級河川、全長百九十六キロの清流四万十川である。
 その四万十川を、観光客を乗せた屋形船が通過して行く。子供達は屋形船の観光客へ一斉に手を振る。
 観光客達も同じく手を振り笑顔を浮かべる。子供達にとっても観光客は大事なお客様でもある。

 屋形船の運営に携わっているのは子供達の親や親戚が殆どだ。だから子供達も心得たものだ。
この子供達もいずれは親の跡を継ぎ、屋形船に観光客を乗せ親と同じ道を歩むだろうか。
 代々そうして四万十川と共に生計を経てて来た。だが一人だけ違う夢を見ている少年が居た。

 四万十川で、まず浮かぶのは日本三大清流のひとつでもあるが四十〜六十橋もある沈下橋であろう。
 谷津祐輔はこの四万十川の近くで育ち、谷津家の長男として生まれ四万十川と共に生きて来た。
 一人っ子の祐輔は幼い時から四万十川と川に架かる橋が好きだった。川は母であり橋が父ように。
 父母は屋形船で生計をたて、祐輔は四万十川の橋の周辺で近所の友達と遊ぶ毎日だった。
 村の子供達も同様、町に出る事が少ないが、それでも満足だ。万十川は四季を通して飽きる事なく楽しませてくれる。
 村人達には四万十川は生きて行く上でかけがえのない宝であったが、時には自然の猛威を振るう事もある。

 人々は自然の幸と引き換えに台風などで大雨が降ると、母なる川も悪魔の化身のように変貌する。
 そして生活の基盤でもある橋を破壊して行く。村は分断され生活をも脅かす。
 自然界は人々に生きる喜びも与えるが試練も与える。それが自然と云うものだ。
 だが村人達は負けていなかった。流せるものなら流して見ろと濁流にも負けない沈下橋を作った。
 沈下橋には両脇に柵がない。水の抵抗を少なくする為の知恵である。でも同じ沈下橋でも沢山の形がある。
 裕輔はそんな橋に興味を持った。沈下橋より色んな橋を見てみたくなった。いつも橋に関する本を見て育った。
 橋は魅力的だが何も人が渡るだけが橋ではない。
 大きく別けて道路橋、鉄道橋、水道橋、歩道橋、併用橋と使う要素は別れている。
 橋の造りも主な物は桁橋、トラス橋、アーチ橋、ラーメン橋、吊橋、斜張橋などがある。
 橋に使う材料も様々だ。鋼橋、コンクリート橋、木橋、土橋、複合橋そして石橋は沈下橋に多く使われる。

 裕輔は親からも友達からも橋博士とからかわれた。中学を卒業する頃には、これ等の橋の構造や種類を熟知していた。
 橋の魅力に惹かれる祐輔の将来を既に決まっていた。
 高校生になった裕輔は高知県だけでなく四国、九州と春休み夏休みなどを利用して橋の写真を撮り続けた。その枚数は五千枚を超えた。
 やがて裕輔は高知市の高校二年生になった夏休みのこと、将来について両親と相談した。
「裕輔……どうしても東京の大学に行きたいのか」
「分かってくれ、父ちゃん母ちゃん。長男の俺が親の跡を継がなくてはならないのは承知している。でも俺は橋を造りたいんだよ。だから東京の大学で学び、橋の設計施工する会社に入りたい」
 父は落胆していた。てっきり屋形船の跡を継いでくれるものと思っていたからだ。だが母は言った。
「父ちゃんいいんじゃない。裕輔を田舎に縛りつれて置くのは親のエゴってもんだ。息子が立派になってくれれば、それも親孝行というもんじないか」

 なんとか両親が納得してくれた。でもいつかは帰って来て親の跡を継ごう。そう心に決めて。
 やがて橋の設計施工の科目がある大学に入り、卒業と同時に設計施行をする東京の会社に就職した。
 そして会社に入って早十年が経った。裕輔は国内では此れまで数々の橋を手掛けて来た。
 ある日、社が初めて政府から橋の設計施工の工事を受注した。しかも初の海外での仕事である。
 日本の技術を世界に広げ、社名を一気に高めるチャンスと社を挙げて早速チームを選りすぐりのメンバー集めた。
「では最後の一人、一番若いがこれまで実績を評価し谷津祐輔をこのチームに加える。以上だ」

 裕輔の実力は認められた。このチームの一人として選ばれたのだ。大変名誉な事である。
 会社に入って十年だが、この世界ではまだまだひよっ子の存在だ。それでも選ばれた事が何よりも嬉しい。
 社には二十〜四十年と経験豊富な先輩が大勢いる。そんな中から選ばれたのだから凄い事である。
 裕輔は超の付くほどの橋好き、専門が施工設計だが現場に行くと黙ってはいられない性格のようだ
 そのせいだろうか本当に日本人かと思われるほど浅黒い顔をしている技術者の裕輔だが、橋となると黙って見ていられない程の性分で率先して現場に入る。
 だから体格も良く技術者には見えない。思い通りに橋が出来上がった時は子供が、はしゃぐように喜ぶ。

 初の海外での工事、場所は東南アジアのラオスとベトナムを繋ぐ国境に架ける橋だ。洩れた者は羨ましがった。
 会社の情報によると日本とラオス、ベトナム国交樹立五十周年記念事業らしい。
 その為に日本が両国に無償援助する工事で、外国で橋を造れる技術者として誇りを持って仕事が出来るのだ。
 選ばれた人員は七人、勿論この中で裕輔が一番若くして選ばれて気分は上々だった。
 他の作業員は現地で雇う事になっているが、国の役人が一人だけ同行するが手続きが終われば帰国する。
 あとは現地の国の役人が引き継ぐそうだ。
 東京に出て十四年、故郷の父母には滅多に連絡しないが出発の前夜、明日派遣されると電話を入れた。
 両親に報告したら喜んでくれたがラオスとベトナムと聞き顔を曇らせた。
 治安を心配したのだろう。だが裕輔は親の心配をよそに海外で橋を作れる喜びに胸の鼓動を高ぶらせていた。

 七人の中では裕輔だけが独身だ。両親は高知に住んで居るし見送りには誰も来ない。
 一番の年配者は平井監督五十二才の責任者であり、他の四人は四十代で妻子持ち、もう一人は三十五才の新婚さんである。
 先輩達はここ数日間、暫く日本を離れるとあって家族と過ごしているが、裕輔だけは三十二才の独身男、女友達は居たが恋人と名乗れるほどの女性は居なかった。
 裕輔は友達と会話する時は、いつも橋の話ばかりで、橋男と変な異名まで貰うほどだった。
 恋人より橋、周りの女性達も橋の話ばかりする裕輔は、恋人としては対象外だったのだろう。

 いよいよ準備が整い、裕輔達は成田から一路ベトナムヘと向かった。
 成田空港からベトナムハノイに到着した。ここから鉄道を使って行くのかと思ったら、なんと車で行くそうだ。
 舗装のない悪路を揺られてやっと、ベトナムの国境に近い町のラオバオに到着した時はクタクタだった。
 このラオバオの町はベトナムが経済発展地域としてラオスとの貿易経済特区と定めている。
 だから今回新しく建設する国境の橋は両国の貿易に重要な役目果たし事になる。
 その割には寂れた町で、道は砂利を敷いただけの道を古いバスや錆びた車がガタゴトと走っている。
 宿舎はホテルかと思いきや仮宿舎らしい。橋を越えてラオス側のデーンサワンにあるそうだ。
 そこには今にも崩れ落ちそうな古い橋が架けられていた。その隣に今回新しく建設する橋となる。
 国境の橋といっても、田舎町の小さな橋だが国境とあって大きいトレーラーなどが沢山通る。
 その橋の手前にあるゲートが開くのは朝七時からと決まっているそうだ。

 前日から車は長い列を作っている。おまけにこのボロ橋は重量の関係で片側通行をさせているありさまだ。
 それに歩道の隔てもない橋は所々に穴が開いていた。そんな国境の橋を歩いて渡る人の列も見られる。
 沢山の車が往来する橋は川幅が百メートル両側の土手の高さに橋を掛けるから全長は倍少しメートルといった処だろうか。
 それ程大きな橋ではない。国内ではもっと大きな橋を造って来たからやや物足りないが。だがこれは手始めである。
 この橋が予定通り完成したら次はラオスとタイを流れる大河、メコン河へ架ける橋を手がける話も浮かび上がっている。スタッフも裕輔も夢は大きく開く。
 この川の増水はどうかも調べる必要がありそうだ。日本と違って雨季には集中豪雨も考慮しなくてはならない。
裕輔は早くも橋の工事を行なう上で工事状況を想定し、この土地の雨季にどれほどの雨量になるのかデーターを調べた。

  川の水はやや茶色に濁っているように見えるが、洗濯などをしても問題はないそうだ。
 日本のように川は透明とは限らない。よくそんな濁った川で洗濯や野菜を洗えるのか不思議だが。
 元々ラオス、ベトナムに限らずタイ、マレーシアも川は濁っている。土も同様に赤茶色が普通だ。
 日本なら土の色はまず黒で、川の水は透明と決まっている。
 色は茶色だが洗濯やシャワーに使うし野菜なども洗う。ただそのまま飲めば一発でゲリをする。
 出来ればこの国の人々に日本の川を見せてあげたい程だ。そして目の前で川の水を飲んだら驚くだろう。
 日本は水に恵まれた国である。恐らく川の水をそのまま飲める国は数少ないだろう。
 ただ何処の国でも、その環境の中で生活している。特に不便は感じないそうだ。

それを裏付けるように濁った川で、確かに近くでは子供達が川で遊び、洗濯している主婦の姿が見えた。
 橋を架けるにあたって当分の仮住まいとなる宿舎に案内された。
 国境に架かる橋だから近辺の警備は厳しいかと思ったら、警備兵ものんびりして警戒心も見られない。
 しかし此処にも日本の影響が残されている。第二次世界大戦でベトナムもラオスも日本の占領下にあった。
 中国、韓国ほどではないが、日本人を良く思っていない事も確かである。
 ただ日本は経済成長と共に東南アジア諸国に多大な寄付をして来た。今回もその一環である。
 今では日本人には、なんの偏見を持たずに受け入れてくれるようになった。
 そういう日本人はと云うとアメリカを憎んではいない。良いか悪いか過去を振り向かないのが日本人なのだろう。

 裕輔達は此処に橋を造りに来たが、第一優先として両国との親善を努めなくてはならない。
 親善を兼ねた事業である為、工事のイザゴサでラオス、ベトナムとの親交を損ねてならない。政府からのお達しである。
 日本人スタッフは宿舎へ案内された。ただ宿舎とは名ばかりの古びた平屋の鉄筋作りの家だった。
 勿論エアコンなんて洒落たものはない。扇風機があるだけだ。かつて国境を警備する警備隊宿舎が使っていたようだ。
 皮肉にも近くには真新しいラオス国境警備隊の宿舎があった。
 だが国力の違いか、川を超えたベトナム側の国境検問所や国境警備隊の建物は数倍立派だった。
 監督の平井は両方の宿舎を見比べて苦笑いして、諦めたように宿舎に入った。
 到着するとラオス側の政府の人間が出迎えてくれた。日本側責任者の平井監督と握手を交わした。

 今回の工事はラオス側代表して一括した窓口になるそうだ。これは日本政府から要望である。
 窓口は一本でいい。いちいち双方の意見を聞きながら工事にあたっては纏まる話も纏まらなくなるからだ。
 平井監督とラオス政府の責任者の間に入ったラオス人で男の通訳が説明していた。
 ラオス側で用意した人員は、男の通訳が二名と女性が一名だ。
 他に現地作業員募集を担当する世話係り兼、ラオス政府との連絡等担当する青年が一人、宿舎の食事や掃除洗濯する女性が四人の計八人だ。

 男の通訳は主に現場作業で通訳にあたり、二十五〜六才くらいの若い女性は事務的な通訳を担当する事なになっているらしい。
 現地で準備するのは主に橋建設の経験した作業員を中心に募集する。
 測量機器やパソコンなどは日本から持って来たが鋼材、セメント、重機は現地の物を使う事になっている。
 作業員や鋼材などが揃うまでは半月くらいの日数を要する。
 その間に測量や届いた材木や鋼材の点検、重機の点検をしなければならない。
 地元民を信用しない訳じゃないが、適切な材料が揃わないと立派な橋も出来ない。

 橋の建築にあたって通訳や他にベトナム、ラオス側の橋の建築に関する専門家も必要であった。
 例えば建築材料のセメント、鋼材などを調達する人間、これから雇う作業員の管理責任者ベトナム、ラオス双方から五名ずつ計十名も加わった。
 面接には日本人は介入しない。それは両国の責任者達の仕事であり、後は言われた通り仕事をしてくれれば良い。
 ベトナム、ラオス側から各二十五名ずつ平等に募集しなければならない。双国の公平を保つ為のものだ。
 それ等はラオス政府責任者の青年が担当してなんとか人員と橋建設に使う重機や鋼材、木材、セメントが揃った所で初めての休みとなった。

 しかし休日といっても、どこに行けば良いのか祐輔は暇を持て余していた。
 そんな時、若い女性通訳のビオランが案内してくれると申し出てくれた。
 通訳をしている関係から彼女とは良く仕事上で会話をしていた。
まず海外に行くにはツアー旅行ならともかく、仕事となると現地の言葉を覚えなくてはならない。
 簡単な英語ならなんとかなるが、ラオスとなれば一長一短に覚えられるものではない。
 ラオスの主語はラーオ語でタイ語に類似している。
 それで最低限の挨拶程度の言葉は勉強して来た。
 まず現地の最初に覚えた言葉は(サバーイ・ディー こんにちは)(ラーコーン さよなら)(ンガーム きれい)
(フー 分かっている)(フガー 知らない)(ありがとう コップ・チャイ)(ごめんなさい コトー)など覚えた。
 ただひとつ面白く日本人に分かりやすい言葉がある。汚い醜いはキラーイだ。実にユニークで覚えやすい。
 勿論彼女との最初の会話はサバーイ・ディーから始まった。
 なんとも明るい子で通訳以外でも彼女の明るさと笑顔には日本人スタッフも癒された。
 背丈は大きくないが肌は浅黒くキュートな感じで特に眼が魅力的だ。
 ビオランだけは祐輔が橋の話をしても、嫌な顔どころか眼を輝かせて訊いてくれる。
 そんなビオランを祐輔は断る理由はどこにもない即座にOKした。そのビオランと一緒に行ったのはごく自然であった。
 祐輔だけが独身の特権だろうか? それと世帯持ちの連中は気を使ったのか? 二人で行けと言わんばかりに配慮してくれた。

 いま思えば日本人スタッフは仕事以外プライベートな時間は殆ど取れなかった。
 観光なんて甘え考えだと思っていたが、彼女のおかげで観光気分を味わえそうだ。
 その彼女がラオスの首都ヴィエンチャンを車で案内してくれた。なんと彼女の自家用車だという。
 日本とは経済事情が違う、この国で若い女性が自分の車を持っているは珍しいそうだ。
 こんなに若くて車を持てるのだから裕福な家庭で育ったのかと思っていた。
 首都ヴィエンチャンは世界でも有名な河、メコン川添えに出来た街である。
 デーンサワンとは反対側にある為、観光を兼ねたら往復一日が必要だ。
 観光はアンコールワットが主だが、街は本当に首都なのかと思わせるほど乏しい建物が多かった。
 せっかく案内をしてくれたビオランに申し訳ないが、そんな表情は押し隠して風物の三輪タクシーに乗り、町をひと周りしてから食事をした。
 野外テントを張った店には豚、鶏、スープに細い米を合わせた物を日本円にして七十円ほどで食事が出来るが日本人だったらタクシーも食事も二倍から三倍はふっかけられるだろう。
 すべての値段は交渉で決まるらしい。慣れない日本人には不便でならないが、その点ではビオランに感謝だ。

 日本を十月末に此処の現場に来たが、ラオスは六月から十月にかけて雨季で三月から五月は夏季にあたる。
 二月から四月までを乾季と呼んでいる。ここに来てひと月半が経つ、計算から行くとあと半年で雨季に入る予定だ。
 その雨季の前に地盤と橋台作りを完成させたい。いよいよ本工事が始まった。
 監督を始め日本人スタッフは気合が入ったが、現地の人間の働きぶりには驚いた。
 始業時間は守らない、しかも休憩時間は仕事が途中だろうと勝手に休憩に入ってしまう。
 途中で止めるなと言ったら、今度は三十分前には次の仕事に手を付けようとしない。

 まだ時間があると言うと昼休みまでに終わらないから、やらないと言う始末だ。
 監督や先輩が怒ってラオスの責任者に文句を言ったら、ここは日本と違う、それが当たり前の事で強引にやらせたら暴動が起きるとまったく習慣の違いとは恐ろしいものだ。
 祐輔は思った。国が違えば人種も違う当然日本人の考え方を押し付ける事は間違っているのかと。
 日本では上司に嫌われない為に、休憩を削っても仕事を止めないし、言われなくても残業もする。
 しかし彼等は始業時間に遅れても、都合の良い規則だけは主張する。
 お国柄の違いにイライラする日々が続いたが、度々ビオランとデートするようになり、その時だけは癒された。
 祐輔はビオランに尋ねた。そして現地の人の考え方の違いも教わった。

 彼等との仕事に対する相違から工事予定は当然のよう大幅に遅れた。
 監督は状況を日本の本社に説明するが、本社では依頼された政府には小言を言えない。
 だからその辺は臨機応変に対応し親善が最優先だと、現場任せの答えが返ってきた。
 これは慈善事業なのだ。現地の人間はその辺を理解しようとしない。己の損得だけで生きている。
 この橋造りは日本国の援助で行なっているのに俺達は何しに来たのだと、すっかり意欲を無くした。
 あの若い責任者に言っても返って来る返事は、それが習慣だからと開き直る。
 監督は言った。仕方がない郷には入れば郷に従えだ。我慢しろと言われた。
 親善が第一と耳にタコが出来るほど聞かさせてはいるが……
 ベトナム人とラオス人の仕事ぶりにはイライラが募るが、監督の云うとおり怒っても仕方がない。

 監督以下スタッフ六人は現地のレベルに合わせるしかなかった。
 十二月も終わりに入り日本では正月になる為、日本人スタッフを含め全員が三日間の休日となった。
 勿論ラオスも一月一日は祭日として休日となるが、ラオスでは単なる祝日に過ぎない。
 このラオスの正月は四月十三日〜十五日でビーマイ・ラーオはラオスの新年(水掛祭り)と呼ばれて、お互いに水を掛け合って無病息災祈念する行事があるそうだ。
 あれからビオランとは取れる休日の半分いつも一緒だった。
 今では日本人スタッフを問わずラオス人、ベトナム人の現場仲間では公認の仲となった。
 今日は元旦とあって祐輔は初めてビオランのアパートに招待された。   
 ラオスの主食であるカオニャオ、餅米を蒸して籠に入れたものを手にとって千切って食べるらしい。
 それに野菜、魚、肉などの料理を出してくれた。
 二人は食事を終えたあと、ビオランは祐輔が好きな珈琲を出してくれた。
 祐輔の好みを知っているのか町で飲む珈琲より美味かった。そんなビオランが祐輔をしみじみと見つめている。
 その魅力的な眼で見つめられ裕輔はドキッとする。
 祐輔は生まれて初めて恋をした。ただビオランには過去に恋の経験があるかは知らないが過去は過去だ。
 ビアランは大きな眼に黒い髪を掻きあげてから真面目な顔をして言った。
「私……ユウスケが好きよ」

 祐輔は突然のビオランの告白に驚いた。確かに魅力的な女性だが告白されても先を考えたら難しい話だ。
 例え恋が発展したとしても国は違うし互いの習慣はあまりにも違い過ぎる。
「ありがとう。ビオラン、でも俺は橋が完成したら日本に帰るんだぜ」
「分かっているわ。でも好きになった事に嘘がつけないわ」
 なんとストレートな女性だろう。ラオスの人口六百三十万前後でしかない国で中国、ミャ ンマー、タイ、カンボジア、ベトナムに囲まれた東南アジアで唯一、海のない国である。
 農業と一部の観光と国土の半分が森林で水が豊富でありアジアのバッテリーと言われる水力発電が主な収入源だ
 そんなラオスで比較的恵まれた女性のビオランだろうと思ったが、聞いている内にそうでもない事が分かった。
 頭の良さは抜群で国の援助金で大学を出て通訳の仕事に着いたらしい。
 車は以前にアジアの、大手の会社の通訳を一年ほど勤め、その会社の所長が帰国する為、中古だがプレゼントされた物だと分かった。
 それだけ優秀で信頼を得たからだろう。

「ねえ、ユウスケ。橋の完成はあとどのくらい掛かるの?」
「順調に行けばあと十ヶ月くらいかな。十月末頃完成予定になっているけど」
「そうあと十ヶ月なの……」
 しかし橋の工事は予定より四十日くらい遅れている。休日を利用してビオランとの交際も次第に深まっていった。
 ビオランの云う通りになった。好きになった事には嘘が付けないが、だけど祐輔は此処に仕事に来たのだ。
 それを優先して恋の行き着く先は川の流れに委ねて、流されるままにと勝手に自分に言い聞かせていた。
 そうは云っても若い二人の恋は冷める事もなく、橋の工事とは違い確実に恋は進んでいった。
 工事が遅れても細かい事で現地の作業員と摩擦を起こしたくなかった。橋造りは大事だが友好が何より最優先する。
 二人の交際は今では誰もが認め結婚しても驚かないだろう。
 月日は流れ八月を迎えていた。国境に掛かる橋は順調に進み八割程度が完成していた。
 ただ雨季に入り、川も増水している。纏まった雨が降らない事を祈るだけだ。

 橋の完成が近づくのに比例してビオランと祐輔もなんらかの決断を迫られた。
 複雑さが入り混じって、その完成して行く喜びと完成したと同時に、このままでは別れもやってくる。 
 後ろ髪を引かれる思いで帰国しなくてはならない祐輔だった。
 そんなある日、ビオランが祐輔と日本に一緒に行きたいと言った。
 祐輔も決断した。ここまで来て別れる事はもう出来ない。祐輔もそう思うようなっていた。
 国際結婚ともなれば何かと問題が多いだろうが、ビオランならそれを乗り切り事が出来るだろうと、そして自分もそうなって欲しいと願うようになっていた。
 ビオランなら日本語も出来るし、日本の習慣さえ慣れれば問題ないだろう。

 そんなある夜の事、作業員と親交を深めようと裕輔は若い者達だけ誘い飲みに出掛けた。
 日本からは裕輔だけ、それにビオランとジオレードその他にラオスの作業員十一人とベトナム側から八人だ。
 居酒屋といいた処だが、こちらは屋台だ。日本円で一人三百円も出せば好きなだけ飲み食べられる。
 ここラオス周辺の国は熱帯地で年間でも一番気温が低くとも十五度態度で昼間は平均三十度以上ある。
 だから屋台は寒さ避けの囲いもない、せいぜい雨除けと日差し避けのシートがあるだけだ。
 二十数人でも三千円もあれば充分だ。裕輔は日本円で給料を貰っているから全員にご馳走しても安いものだ。
 気前の良い裕輔に皆は喜んでくれた。
 勿論、ビオランは通訳に回ってくれた。ジオレードはラオス、ベトナムを代表した責任者で日本語も分かる。
 ただ日本みたいに飲みながら仕事の話をするのはタブーだが、日本人の仕事に対する心構えは伝えられる。
 結局は日本の国について尋ねられた。彼等はよほど日本に興味があるらしい。
 特にラオスは東南アジアでも貧しい国である。

「それで日本という国は生涯同じ会社に勤めると言うのか?」
 ベトナムの若者が聞いた。裕輔は笑って答えた。
「確かに日本は戦前、終身雇用制度というものがあった。そして年功序列で出世し給料も勤めた年数と年齢で自動的に上がる。だが戦後から民主主義へと変わり、働く者の権利が生まれた」
 みんな興味津々で裕輔の話に聞き入る。
「で今の日本は違うと言うのか?」
「そう終身雇用制度は崩壊し働く者の権利、労働組合が出来て会社と団体交渉が出来るようになった」
「ああ、今は何処の国である」
「今の日本の経済成長があるのは、能力給というものを導入し会社に貢献した者は年が若くても出世する」
「それはそうだが、俺達が一生懸命働いても会社は認めようとせず給料が上がらないぜ」

「それはその国や会社によって違うから何とも言えないが、日本ではそれで競って個々の能力を発揮したんだ」
「しかし俺達の国は真面目にやっても、まず認められる事はない。それが働く意欲を閉ざしているよ」
「労働基準法というのは知っていると思うが、日本では一日の労働時間が八時間と定められている。それを超えると残業手当が二十五%増しで支払われる」
「確かにそうだ。だが俺達はタイムオーバーして働いても知らんふりだぜ」
「それは良くないなぁ、働く意欲を削ぎ取る行為だ」
 みんなから完成が上がった。
「そうだ谷津! 分かっているじゃないか。でもこの国には約束守らない会社や上司が多いんだよ」
「では話を戻そう。私は橋を造るのが子供の頃からの夢だった。勿論それは今も変わりはない。だから例え勤務時間がオーバーしようと納得行くまで止めない。それは私だけじゃなく一緒に働いている日本の先輩スタッフも同じなのだ。そんな気持ちがあるから君達にも同じ事を願った。しかし此処に居るビオランから聞かされた」
「彼女はなんて言ったんだ?」
 するとビオランが立って笑って応えた。
「裕輔にはね、こう言ったの。その国には習慣と言うものがあるから日本の考え方を押し付けてはいけないと応えたのよ。でもね、私は羨ましいと思った。損得なしで自分の仕事を誇りに思い時間外でも或いは休日を返上して働く裕輔を素晴らしいと思ったわ。そして日本経済が発展した原点なのだとも思ったわ」

 全員が黙った。それは納得しているかどうかは分からない。損得が全てだと思っている者も多い。
 特にならない仕事を無報酬で働くなんて理解出来ないのだろう。
 そんな中、ラオスの若者が言った。
「確か谷津のやっている事は素晴らしい。最初は当て付けかと思ったが誤解だったようだ。勘弁してくれ」
「いや誤解される行為だったかも知れないな。でもこうして皆と話し合えて国柄も分かる考え方の違いも勉強になったよ。ただラオスにもベトナムにも日本より優れているものは沢山ある。今回はそれを勉強して行こうと思う。そしてこの橋が完成し日本に帰っても皆と一緒に橋を造った事は永遠に忘れないし仲間だと思っている」
「いいぞ! 谷津。ビオランがお前に惚れるのも無理がないな」
 みんながドッ笑った。そして裕輔とビオランが恋人同士である事を誰も認める瞬間でもあった。

 ここのところ毎日雨が降り続いている。五月から雨季入り十月まで続く、しかし橋の基礎は完全であり心配ない。
 誰もがそう思っていた。しかし予想以上の雨量に思わぬ波乱が生じた。予想もしなかった川の氾濫が起きた。
 橋は大丈夫だが川岸近辺に置いてある機材、材木、鋼材それにクレーン車などが流される恐れが出てきた。
 これらの鋼材、クレーン車、その他の工業機具が流されたら工事は大幅に遅れる。
 それに損害額も莫大なものになる。我々日本人スタッフは氾濫の情報を夕方四時頃に伝えられた。 
 現地通訳を通じて機材など工事に必要な物が流されるから、手伝うように作業員に迫った。
 こんな非常事態なのだから全員が当然手を貸してくれものと思っていた。
 しかし彼等は、いつもの事だからと、たいした事はないと帰ってしまった。
 裕輔はガッカリした。あの飲み会の時に少しは理解してくれたと思っていた。
 ただあの夜、全員集まった訳じゃない。若い者が中心だ。年配者が帰ろうと言えば従うしかないのか。

 本社からは仕事よりも友好が第一優先とも聞いているが、彼等は情というものはないのか?
 助け合うことこそ友好じゃないのか? これまで一緒に働いて来た仲間じゃなかったのか?
 日本では考えられない事だ。少なくても自分達で作った橋に愛着はないのか?
 裕輔も悲しかった。あの夜は橋を一緒に造る仲間と思ったのに。
 余りにも無責任ではないか。一体誰の為の橋なのだ? 我慢出来ずに監督になんとかしてくれてと迫った。
 監督はなんどもラオスとベタナムの責任者に至急、人の手配を頼んだ。
 だが今更説得は難しいというばかりだ。祐輔は最後の望みとしてビオランに皆を説得してくれるように頼んだ。
 大量の機材を動かすには人とクレーン車やトラックが沢山必要だ。
 我々日本人スタッフ七人で幾つかの車両三台を川岸から上に上げたが。心配なのは機材などが流されたら大変だ。
 被害を防ぐ為に必死になって働いた。しかし雨が強くなり一向に仕事がはかどらない。
 現地人を恨んだ。誰の為に橋を造っているのか彼等には関係のない事らしい。
 自分達の損益しか考えない連中の為に、どうして徹夜で働くのだ。こっちも放り出したくなる。そんな時だった。

 祐輔は双眼鏡を取り出して懐中電灯を照らした。川岸にあるクレーン車がグラッと傾いた。
 そんな筈はない! 祐輔は呆然した。他の車両やクレーン車は作業が終わったら川岸のコンクリートのある硬い所まで移動させロープで固定させて終了する事になっている。
 それなのに砂地の上に置いたままだ。その砂が削り取られクレーン車が傾き水に押し流されようとしている。
 まだ橋は完成していない。クレーン車一台だって高価なものだ。ぜったいに壊してはいけない。
 祐輔はクレーン車を目がけて走った。流される前にクレーン車に飛び乗りエンジンを掛けて安全な場所に移動させるしかない。
 祐輔はクレーンに向ってロープを投げた。ロープの先端に鉄の棒を括り着け三度目でなんとかクレーンの一部に絡まった。
 裕輔はロープを体に巻きつけ、腰まで水に漬かりながらクレーン車に近づいて行った。
 すると平井監督が裕輔に大声で怒鳴った。
「おい谷津、何をやっているんだ。危ないぞ!」
「分かってます。クレーン車のエンジンを掛け安全な場所まで移動させます」
「馬鹿! 何言ってんだ。クレーンが傾いている早く引き返せ」
「でも此のままではクレーン車が横倒しになり使えなくなります」

 祐輔はどしゃぶりの雨が降る中をクレーン車の運転席に飛び乗った。
 必死になってエンジンを掛けようとしている。数分後エンジンが始動した。ライトを点けクレーンの先端を岸に向ける。
 こうすれば最悪の場合でも川に流される事を防ぐ事が出来ると考えた。 
 その頃ビオランはベトナム側の作業員の責任者とラオス側の責任者ジオレードへ電話を掛け必死に説得していた。
「ねぇジオレードどうして分かってくれないの。日本人がこの雨の中を必死で橋を守ろうとしているのよ。それも私達の橋の為によ」
「だってそれが奴等の仕事だろう。俺達は約束通りの仕事をして時間通り帰って何が不満なんだ。俺達の橋というけど、時間外まで働く必要はないだろう」

「あの夜、裕輔の話は聞いてなかったの? 今は非常事態なのよ。せっかく完成しかけた橋がどうなってもいいの。とにかく橋を見に来て。それから判断してよ。お願いだから」
「……分かったよ。ビオラン。個人的には谷津はいい奴だと思っている。とにかく様子を見に行くだけだからな」
 それから十五分ほどして作業員達二十人が橋の周辺に渋々と集まってきた。
 その見た光景はズブ濡れになりながら七人の日本人が慌しく働いていた。
 自分達に気づく余裕さえないほどに。仕事とは何か、あの夜、谷津が熱く語った事が蘇る。
 これまでに親睦を深める為に、作業員達を含めたパーティーを数回開いている。平井監督もこう語っている。
『仕事とは損得の問題だけで動くものじゃない。俺達は仕事に誇りを持ってやっているだから就業時間が過ぎようと時には働かなくてはならない、それが責任であり仕事だ。金は要らないとは言わないが自分の仕事が認められれば、それ相応の対価としていずれ給料に反映される。それが日本企業を繁栄させているんだ』

 あの夜、若者達が裕輔の言葉を思い出していた。戦後日本が経済大国になったのも分かるような気がする。
 裕輔は必死でクレーン車を流されないように濁流の中で、命がけで戦っている。
 あの時、裕輔が熱く語った言葉が再び蘇った。それを言葉通り実証している谷津の姿を見た。
 俺達ラオス人もベトナム人も、仕事に対する姿勢の違いが今更に分かるような気がする。
 我々も日本人のように仕事に取り組んでいたら、もっと豊かな国になっていただろうと。
 俺達を無理やり働かせる口実だと思っていた。
 だが必死で働いている姿に感じるものがあった。彼等は言った。誇りをもって仕事すると。
 それがいま目の前で実証されている。自分の国の為ではなく遠い異国の地でも損得抜きで必死に働いている。
 それも豪雨の危険な中で。これが彼等の仕事に掛ける誇りなのか……。
 三十数名の作業員は互いの顔を見た。少し遅れて数十人がやって来た。
 責任者のジオレードは、なにか胸から込み上げてくるものを感じた。そしてジオレードが叫んだ。

「おい! 俺達だって誇りはある。俺達の造った橋を守ろうでないか。見ろ! 谷津の勇気を!」
 全員が橋に向って走り出した。一緒に現場に来たビオランは黒髪を雨に濡らしながら、願いが通じたことを喜んだ。
 彼等は平井監督の所に集まった。
「監督、橋を守りましょう。俺達の橋を」
「おう来てくれたか、クレーン車が危ないんだ。いま谷津が……」
 そう言った時だった。裕輔が乗っていたクレーン車がスローモーションのようにゆっくりと傾いていった。
 危ない!! 誰かが叫んだ。クレーン車は濁流の中へ倒れていった。
 谷津! YATSU! 全員が叫んだ。ラオス人、ベトナム人達がロープを体に巻き付けて川に飛び込んだ。
 母なる川が悪魔になった。数台あるブルドーザーのライトを横倒しになったクレーン車に向けた。
 だが裕輔の姿が見当たらない。ビオランは泣きながら濁流に消えた裕輔に向って叫んだ。
「いやぁ〜〜ユウスケ! 死なないで!!」

 それから十五分ほどしてクレーン車の下敷きになっていた裕輔が作業員達によって引き上げられた。
 だがかなりの重症だ。胸が圧迫され肋骨が折れているようだ。呼吸も浅いし危険な状態だ。
 平井監督が駆け寄ってビオランを呼んだ。
 ビオランが裕輔の側に駆けつけて裕輔を抱きしめた。裕輔が荒い呼吸をしながらビオランを見つめる。
「ユウスケ死なないで、いま救急車が来るから。貴方が必死で働く姿に皆が感動して貴方を助けたのよ。だから死なないで」
 裕輔はビオランに抱かれている事に気付いたのか、何かを言っている。
「は……橋はどうなった」
「何を言ってるの? 自分より橋が心配なの? 橋は大丈夫よ。ユウスケが命懸けで守った橋だもの」

「ビオランと二人で日本に帰りたかった……」
「ユウスケしっかりして、二人じゃなく三人だよ。分かる? 貴方の赤ちゃんがお腹にいるのよ」
「ほっ本当か? そうかぁ嬉しいなぁ」
「だからユウスケ私達を残して逝っては駄目よ」
「そうか……良かった。ありがとうビオラン一緒に帰ろう」
「そうユウスケのお嫁さんになって日本で暮らすのよ」
「いいなぁ、三人で四万十川の辺に家を建てて……」

「ユウスケ!! しっかりして死んじゃ駄目よ。私を日本に連れて行くと約束したじゃない。貴方が自慢していた。シマント川を見せてくれと言ったじゃない」
「そうだった。ビオラン。コイ・ハック・ジャオ(君を愛している)四万十川は綺麗だよ。君に見せてあげ……」
「ユウスケ? ユウスケ! どうたしの眼を開けて……駄目! 死なないで! いやあ〜〜」
 作業員達は裕輔の側に集まり心配そうに見ている。だが裕輔は再び眼を開ける事はなかった。
 やがて裕輔はビオランの腕の中で息を引き取った。見守っていた全員が号泣した。
「すまない谷津、俺達が帰らなければこんな事にならなかったのに……赦してくれ」
 泣き崩れながら裕輔の亡骸を抱きしめるビオランを囲み、みんなは合掌した。

 その翌日は昼頃になり雨が上がると同時に日が射してきた。工事に関係した全員が集まっていた。
 この橋を守ろうとして死んでいった一人の日本人が居ると訊いて大勢の町の人々がラオスとベトナム両側の岸に集まって花束を川に投げ込む。
 それに応えたのだろうか雨上がりの橋に虹が掛かった。みんなが叫んだ。
『谷津裕輔はこの橋と共に生き我々の心の中に生きている。この橋に谷津祐輔の名前を付けよう』
 裕輔が死を持って示してくれた仕事への責任感に、彼等の考え方が変わった。
 就業時間が来ても何かする事はないかと聞いて来る。
 監督以下五人の日本人スタッフは、これも裕輔の力があったからこそだと在りし日の裕輔が眼に浮かぶ。
 監督は必要に応じて彼等に残業を頼んだ。勿論残業手当はキッチリと支払った。
 彼らも嬉しかった。約束通り残業手当を払ってくれる。働き損もしない、これこそが信頼だと思った。
 それから予定通り工事は遅れる事もなく二ヶ月後に橋は完成した。

" 今回建築した橋は斜張橋(しゃちょうきょう)と言われ橋の形式で塔から斜めに張ったケーブルを橋桁に直接つなぎ支える構造のものだ。

"
 別名ハープ橋とも言われ、いくつものワイヤーが張り巡らさせた感じが楽器のハープに似ている。
 日本では首都高速中央環状線の四つ木一丁目付近に架かっている。
 完成した橋の中央には大きな鉄塔が立っている。片側三十本ずつの六十本のワイヤー延び美しく芸術的な橋であった。
 鉄塔にはLED電球が埋め込まれたライトから、ラオスとベトナム国旗が浮かび上がる洒落た仕組みだ。
 町の人々は感動した。こんな美しい橋は見た事がないと。
 橋にプレートが取り付けられた。Rainbow・yatsu(レインボーヤツ)と名付けられた。
 裕輔が亡くなった翌日、橋に虹が掛かったから虹を入れた。そのプレートの下に名前を付けた由来が書かれている。
『この橋に情熱を掛けた一人の日本人が橋を守る為に命を落とした。我々は彼の勇気と情熱を永遠に忘れてはならない。谷津裕輔という名を』
 祝典には谷津祐輔を称える空砲が国境警備隊によって国境の町に鳴り響いた。
 ラオス政府はそんな日本人を称え二〇〇七年一月一日より観光目的で十五日間までの滞在なら日本人はビザ無しで入国できる事になった。
 これは谷津祐輔の貢献に因るものなのかは分からないが。谷津祐輔の名は永遠に刻まれる事になった。

 その式典が終わった後、平井監督からビオランに手渡された物があった。
 祐輔の荷物の中から、ビオラン宛に書いた封筒があったという。
『俺に万が一の事が起きたらビオランに保険金の一部を受け取って欲しい。その金で私の生まれ育った日本を訪ねて欲しい。そして四万十川と両親に逢って欲しい。これが最愛の俺が選んだ女性(ひと)だから』
 ビオランは読み終えて平井監督に抱きついて嗚咽を漏らした。
 まさか祐輔は死を覚悟していた訳ではないだろうが、やはり危険と背中合わせの仕事だから常に用意していたのだろうか。
 平井監督も涙ぐんだ。ビオランはそれ程までに私の事を愛していてくれたのだとまた泣いた。

 それから三ヶ月後、四万十川を見つめるビオランの姿があった。
「素晴らしいわ。ユウスケが自慢していたシマント川なのね」
 ラオスやベトナムでは決して見られない清流四万十川。川の底まで透き通っている。
 濁った川しか見た事がないビオランは余りの美しさに絶句した。
「ンガーム(綺麗)」
 透き通るような聖なる河、橋とこの川をこよなく愛した祐輔が自慢していた川だ。祐輔が生まれ育った母なる川……。
「ユウスケ貴方の故郷は美しいわ。貴方の心のように清んでいて本当なら貴方と私は此処で一緒に暮らせたのに……ユウスケ天国で見ている? 私の愛したユウスケ、私は貴方の両親の元で赤ちゃんを産むわ。それから先は貴方の両親と相談して決めるわ」

 了
ドリーム
2011年07月28日(木) 22時48分29秒 公開
■この作品の著作権はドリームさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
主人公の谷津裕輔は四万十川の近くで育った。
そのせいか幼い時より橋が好きで、やがて橋の施工設計の仕事に取り組む。
橋造りなんて小説はないと思いますが、そして舞台をラオスに持って行った所が今回の焦点になります。
人種の違いは仕事の取り組み方も違って来ます。
今回はそれがテーマです。

この作品の感想をお寄せください。
No.4  ドリーム  評価:--点  ■2011-08-03 20:32  ID:s1osB456sNI
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山田さんお読み頂きありがとう御座いました。
確かに脱字などがありました(笑)
文字の乱れですか、似たような表現がありましたね。
自分でも思うのですが、皆さん小説を書く時に、どのような事に注意するのでしょうか。
私の場合パソコンに思い浮かべるままに、書いてから修正を重ねて行きます。
ですから基本も何もないです。まず基本を学ぶべきでしょうね。
ありがとう御座います。
No.3  山田さん  評価:30点  ■2011-08-02 23:12  ID:fPwdyTnmWVk
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 拝読しました。

 勿体ないと思いました。
 下でPhysさんも書いておられるように、素晴らしい物語ですし、国民性の違いや、細部へのこだわりなど、良い点もいっぱいあると思います。
 では何が僕に「勿体ないなぁ」と思わせたかというと、まず必要な情報が少なくて、あまり重要だとは思えない情報がかなりあるな、と思えた点です。
 僕もPhysさんと同じように、谷津裕輔の生い立ちはもう少し必要だろうと思いますし、逆に同じような内容を表現を変えて書いてある箇所が結構あったように思います。
 内容の取捨選択がきちんと行き届いていない印象を受けました。
 それと脱字や誤記、文章の乱れが多いです……っていうよりも多過ぎです。
 読んでいて、下手をすると「なんて幼稚な文章なんだ」と思われてしまう危うさもあります。
 これはもっともっと推敲を重ねれば回避できることだと思います。
 推敲が足りなかったのか、あるいは書き急いでしまったのか、なんて推測したりしています。

 少し厳しい書き込みになったかもしれないですが、始めに書いたように「勿体ない」と思えたからこそ、書かせてもらいました。
 文章の乱れはきちんと注意すれば簡単に直せます。
 でも面白い物語を書く力ってのはなかなかに獲得できないものだと思っています(僕もそんな力が心から欲しいと常々思ってます)。
 面白い物語を書く力はお持ちのようなので、あとは文章の乱れを無くすことにもっと気を付ければ、とんでもない作品を書くことが出来る方だな、と思っています。

 どうも上から目線的な書き方になってしまいました。
 失礼しました。
No.2  ドリーム  評価:--点  ■2011-08-01 18:45  ID:s1osB456sNI
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M7MoVmhFpfg様
ありがとう御座いました。名前がないのでIDで失礼します。

読んで頂けたのに、高い評価を頂き嬉しく思います。
実はラオスもヘドナムも行った事はありません。
隣にタイ、マレーシア、シンガポールは二度ほど行きました。
この変の地区は、土の色も川も文化も似ていますから同じかなと想像しています。
まだまだ至らない事ばかりですが、特に描写が下手で簡素化してしまいます。
殆どが掌編物で2000文字ほど仕上げるものが多く、その為でしょうか
短編物となると心理面、感情面など細やかに描かない悪い癖が残ってしまいました。
もっと精進したいと思います。
でも少しお褒めの言葉を頂き今後の励みになります。
小説を書く意欲が湧いてくるようです(笑)
有難う御座いました。
No.1  Phys  評価:40点  ■2011-07-31 21:26  ID:M7MoVmhFpfg
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拝読しました。

素晴らしい物語を読ませて頂きました。教養に裏打ちされた記述と、展開する
ドラマ性が見事に調和した作品ですね。読み終えて、一本の映画を見終わった
ような気分になれました。

また、国の文化や言語に関する背景描写がしっかりとしていて、とても勉強に
なりました。(フガー 知らない)(ありがとう コップ・チャイ)。
響きが可愛くて気に入りました。これから先輩に難しいことを訊かれたら、
「ふがー」と答えたいと思います。

日本とラオスの国民性の違いについての考証は秀逸で、フィクションの匂いを
感じさせない点は非常に素晴らしいと思います。私もアジア圏の国は学生時代
いくつか行ったことがあり、同じアジアでも文化や常識の違いを知って愕然と
した覚えがあります。私がその時に感じた様々なことを正しく掬い取って小説
へと昇華なさっていることを羨ましく思います。
(私、食べ物巡りばっかりしてました……)

物語の終盤にかけて、『国境の橋』という壮大なタイトルに相応しいドラマが
用意されており、一つのカタルシスに到達したところで感動が胸に押し寄せて
きました。こういった人の胸を打つ作品、そしてそれだけのストーリーを構築
できる書き手にいつかなりたいと、強く感じました。

以上のとおり、これだけ素晴らしい物語を展開してらっしゃるだけに、細部に
見られる言葉の乱れや誤記が目に付いてしまったのも事実です。ドラマとして
前半の主人公「谷津裕輔」の生い立ちもあっさりとし過ぎていますし、もっと
書き込んで厚みのある作品に仕上げれば、より読み手にとっての感情移入にも
寄与することと思います。

いろいろ勝手なことを書いてしまいましたが、もしお気を悪くしたならすみま
せん。それだけこの作品に私が感じ入ったという意味でこの感想を受け取って
頂ければ幸いです。

また、読ませてください。
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