御話喫茶 |
七月八日、午後二時三十分頃。 期末テスト明けで、早帰りの今。いつもなら隣に居る存在を思い出し、はぁとため息をつく。どうして伝わらないんだろう。純粋に好きという思いを、ただ伝えたいだけなのに。幼馴染という壁が、邪魔でしょうがない。 葛西陽太という、あたしの幼馴染兼好きな人は、多分、あたしのことをただの“幼馴染”ってくらいにしか考えていない。一方通行の片思いを、もう十年も続けているのが笑えてしまう。 陽太は、名前の通り太陽のように輝いていて、女の子にも結構人気があって。それがたまらなく悔しいから、あたしは思いを伝えたいのに、上手く言葉に出来ない。今日だって、そうだった。恥ずかしいという気持ちを制御して、 「こんなに陽太のこと知ってるの、あたしくらいだよね」 とか言ってみた。あたしは、努力賞を自分に与えたいくらい頑張った。なのに鈍感な陽太は、 「そりゃあ、十三年間一緒だしなっ!」 とか満面の笑みで答えたから、あたしはそれに凄くムカついて、 「もう……、陽太なんて知らないっ!」 と言って、いつもなら一緒に帰る存在を、取り残してきた。 「……本当、ふざけてるよね」 嗚呼悔しい。目から見える青い空が、水溜りに映る滲んだ空のように滲む。 「どうしちゃったんだい?」 凛とした真っ直ぐな声が背後から聞こえて、あたしの耳に響いた。あんなに真っ直ぐで綺麗な声を、あたしはこれまでに、聞いたことがあっただろうか。思わず振り返ってみたけど、在ったのは人ではなく、古びた大きな木のドアだった。さっきまでの滲んだ風景が、嘘みたいにはっきりくっきり見える。ドアには小さな可愛い小石で、『OPEN』という字が書かれた木のボードが掛かっている。 「え……、何これ」 あからさまに、私に入って欲しい、という雰囲気をかもし出しているそのドアとお店は、さっきまで絶対になかった。というか、通学路なので毎日通っている私には分かる。このお店は、絶対に今まで一度も見た事がない。何よりおかしいのは、後ろにドアがあった、ということ。これでは、私がさっき“そのドアから出てきた”、という状況になる。何もかもが分からない。分からなくなったけど、ドアから聞こえるはずの無い(というか聞こえていない)「おいでおいでっ」っていう声が聞こえた気がして、私は、思い切ってその重いドアを開けた。 そこには、床、天井、壁などが全部木で出来た、喫茶店のような空間が広がっている。明かりは、シャンデリアというには派手すぎて、普通の電気には到底届かないような、ガラスで出来たろうそく立てのようなものがあった。あたしには綺麗としか言いようがない、ろうそくにともった火。そして、カウンターの奥に居る、ボサボサの髪にだぼっとした服のマスター。そのマスターは、さっきの凛とした声で 「おかえり」 と、言った。まるで、全部見透かしているかのような、深みのある笑みを浮かべている。それが少し怖くって、ほんの少しだけスクールバックを握る手を強めた。 足が、マスターの居るカウンターに吸い寄せられるようにして、前に動く。カウンターのすぐ横には、大きな窓があって、そのすぐそばに鮮やかな緑色の木々がある。光は何故か差し込んでこないけど、緑に当たる光がとても綺麗だった。 カウンターの後ろのさらに奥には、どっさりと積み上げられた本がある。そして、マスターの背後には大きな本棚と、そこにきちんと整列している沢山の本。そして、マスターの周りには、書きかけの白い紙。多分小説で、そのそばに万年筆が一本、置いてあった。とても喫茶店には思えない。 「うわぁ……」 「あはは、何だか整ってなくて悪いねぇ。ええと、先に説明させて頂くけど驚かないでくれよ? あたしもいまいち分かっていない事なんだから。とりあえず、座りな」 あたしはマスターの目の前の席に座って、右隣の席にスクールバックを置く。マスターは人差し指をあたしに向け、ズバリ、といった感じで言った。 「あんた……琴原莉遠ちゃんは、あたしが今まさに書いていた小説の、主人公なんだ」 「え? ……どういうこと、ですか?」 「んーと、あたしも説明できないんだけど……。私は今、この世界に居るじゃない? で、莉遠ちゃんはさっきまで“下校していた世界”に“居た”よね。そこは分かるかい?」 「ええとはい、何となく」 確かにこの喫茶店は、あたしがさっきまで“居た”世界とは少し異質な感じがする。何がどう、具体的に何処が違うの?とか聞かれてもおそらく答えは出ないんだけど。そんなことより、何故マスターはあたしの名前を知っているのかが、とても気になる。 「それでまぁあたしは、駆け出しの小説家なのだけれど……今日も、お話を書いていたのね。女の子が、恋をしている話。それでまぁ、毎回此処に来るお客さんがそうなんだけどさ、どう書いてもその子は悩みの種を抱えている。それで、どうしちゃったんだい? って呟いたら、あんたがこの店に入ってきた驚いたけど、毎回のことで慣れたんだ。」 「……よく分かんないけど、あたしは今、マスターさんの世界にいるんですか?」 「うーん……あたしの世界っていうかここは、“沢山の世界が入り混じっていい空間”とでも思ってくれたらいいよ」 漫画でも、小説でも、ドラマや映画でも、こういう話は聞いたことが無い。入り混じっていい世界なんて、本当に聞いたことが無かった。お互いが、神様に、不意打ちを受けたのかもしれない。 「それにしても莉遠ちゃんは、本当にあたしの想像通りの子だ。肩下十五cmの髪に、セーラー服がよく似合う、中学校三年生」 「そう想像したんですか。……凄いなあ……」 「あたしばっかしが莉遠ちゃんのこと知ってるのは悪いし、名前くらいは教えるよ。あたしは染須星乃。マスターとか言ってるけど、出せるのはココアくらいだよ。此処でのことは、全部夢って考えておきな。間違っても自分が自分の意思で動いていない、とかそういうことは考えるんじゃないよ? あたしが、別の世界の莉遠ちゃんの行動を記録しろって、命令を受けているんだ」 マスター……星乃さんが深く笑う。凛として迷いの無い声だから、何でも信じていい気がする。この人は多分いい人だ。 「で、莉遠ちゃんは何があったんだい? 良ければ説明してくれるかな?」 「はい……そうですね、その、幼馴染のことで悩んでいて……」 あたしは、伝えたいことを全部、言った。陽太とは十三年の仲で、あたしは、十年前からずっと陽太のことが好きだということ。陽太が人気だということ今日の努力とか、そういうことを全部。星乃さんは、 「あはは、そっかそっか」 と声に出して笑ったので、あたしは、何が面白いんですか?と聞いてみるけど、似たようなこと言ってた奴が居たのさ。としか言ってくれなかった。 「これで全部だね? よーし。じゃあたとえ話と、ココアを用意するから。そこで待ってて?」 「はーい」 星乃さんが、奥のほうにゆっくりと歩いてゆく。窓を見たら雨が降っていて、意識すれば分かるけど、雨の音が少しした。折り畳み傘、入ってるかな。スクールバックを開くと、不運にも入っていなかった。帰るまでに止むのを、祈るしかない。 そんなことを考えていたら、星乃さんがこちらに戻ってきて、手に持っているピンク色の可愛いコップから、湯気が立っていた。七月上旬なのに、暑いという感覚はない。クーラーは無いけど、それでも寧ろ少し涼しいくらいだ。世界の気候も逆転しているのかもしれない。 「はい、できた。まあ、飲みながらでも聞いてくれたら嬉しいよ」 「頂きます……。うわぁ、美味しい。心まで温まるって、こういうことですね」 「それは大袈裟な表現だよ。じゃあ、ある少年が恋をする話をしようじゃない。その少年は、何とも思っていなかった女の子に、恋をしました」 寝る前におとぎばなしを語りかける、お母さんのように、半分くらい開いた目でゆっくり話し始めた。表情豊かな星乃さんの声が、あたしの脳に直接語りかけてくる。内容はこうだ。 恋をした男の子は、気がついたら目で女の子を追っていたり、どきどきしたり、わくわくしたりの日々が、ずっと続いていた。告白する気は無いという。 「……けど、少年は、この繰り返しで充分だというのです。知りたいけど、知りたくない、って逃げていました。でも……、ある日少年は気がついた。結局自分は、何も知らないんじゃあなかろうか、と。何もしなければ、いつかは終わってしまう。想いを伝えることが出来なければ、他の男の子に奪われてしまう。ってね。さぁ莉遠ちゃん、そばにいる人が何でも知ってるとは限らないし、見てるだけなんて論外なのさ。心なんて、それこそ神様にしか見えない。そうだろう?」 星乃さんは、真っ直ぐあたしを見つめた。どこまでも見透かされてる。心は見えない、と言っても、星乃さんにあたしの心は丸見えなんだと思った。 雨の音は消えて、今度は、蜂蜜をとろりと流し込んだような、食パンに塗りたくったマーマレードのような、そんなオレンジが、緑だけじゃなくてカウンターにまで、流れ込んでくる。 「おや、もうこんな時間か。夕立も止んだし、こんなに綺麗に夕日が出てるし……帰さなきゃね」 「はい。ええと、有難う御座いました」 「ううん、これから莉遠ちゃんの話、ちゃんと書けそうだよ。ああ、後もう一つ。心が見えるのは神様と、自分の心を含めるのなら、自分自身さ。それじゃあね」 右手で古い大きな木のドアを開ける寸前、星乃さんは手を振りながら言った。あたしは、心を整えて、重い重いドアを、力強く押した。 「……あれ」 ドアを押したと同時に、あたしは瞬きをした。次に目を開けた瞬間広がったのは、自分の部屋の天井。あたしはベットに仰向けになっていて、時計を見たら、午後六時三十分を指していた。あの喫茶店は本当に夢だったのかもしれないけど、そんなことは大した問題じゃなかった。とりあえず、陽太に想いを伝えないといけない。 トントン、ドアの向こうからノックをする音がした。お母さんだ。 「莉遠ー、陽太君が来てるわよー」 「え……。あ、はーい!」 タイミングが良すぎじゃない? 頭の中にそんな疑問を浮かべて、二階にあるあたしの部屋のドアを開け、階段を駆け下りる。やっぱり、タイミングが良すぎる。玄関のサンダルを履いて、そっとドアを開けた。 「よ、莉遠。ちょっと今にこにこ広場行けねぇ?」 「え、うん。お母さん、ちょっとにこにこまで行ってくるから」 「いってらっしゃーい」 お母さんの適当な返事を聞いて、あたし達は、にこにこ広場に向かう。無言と、綺麗なオレンジ形夕焼けが、あたしの胸を弾ませた。弾ませるって言っても、わくわくじゃなくて、どきどきなのだけど。にこにこ広場に着くと、陽太はブランコに腰掛けた。反射的に、あたしも隣のブランコに腰掛ける。 このブランコには、宇宙人が座るらしい。最も、お母さんの親友から聞いた話だから、結構前の話になるのだけど。 「昔はさ、こうやって二人で並んで、ブランコ乗ったよな」 「そだね。……幼馴染、だもんね」 「……その幼馴染ってやつ、ヤダ」 「え?」 「あのさ、莉遠にとって俺はただの幼馴染だけど、俺は莉遠のこと、ぶっちゃけるとまぁ、好き、だ。けど幼馴染だし、この関係を保ちたいって思ってた。ギクシャクして、莉遠と喋れなくなるのは嫌だから。……けどさ、ある人に言われたんだよ。心は神様にしか見えないから、行動に移してみないと分からない。ってな」 「よ……うた……」 陽太も多分あの喫茶店で、星乃さんと会ったんだと思う。悩んでいることは正反対だったけど、悩みの種は一緒だった。あたしも、陽太に伝えよう。 「陽太、あたしも陽太が好き。けどさ、あたしは幼馴染ってだけの関係は嫌だ。そりゃ勿論、今まで通りでいいんだよ。けど、幼馴染じゃ無くて、あたしはずっと“好きな人”として、陽太を見てきたんだ。陽太、付き合うとかじゃなくて、これからも仲良くしてください」 あたしは、右手を差し出した。陽太は、あの太陽のように笑って、右手を差し出し握手をした。 手を繋いで帰るとき、長く影が伸びた。この影が星乃さんに届いていて、何処かでまた深く笑っていて欲しいと、あたしは願った。 |
無花果
2011年07月01日(金) 19時52分41秒 公開 ■この作品の著作権は無花果さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.2 山田さん 評価:30点 ■2011-07-18 14:50 ID:GuwX6j.lV5k | |||||
拝読しました。 気持ちが良いですね。 読んでいて気持ちが良いです。 正直にいって文章は拙いし、表現だってたどたどしい。 でもとても気持ち良く読める作品です。 文章なんてどんどんと書いていけばどんどんと上手くなります。 表現だってどんどんと書いていけばどんどんと上手くなります。 ただ読者を気持ち良くさせる「何か」ってのは、そう簡単には取得出来ないと思います。 その「何か」ってのは文章や表現のうまさとは違う次元の才能なんだと思います。 そんな「何か」を感じさせてくれる作品でした。 良かったと思います。 |
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No.1 陣家 評価:30点 ■2011-07-11 01:17 ID:ep33ZifLlnE | |||||
無花果さん、こんにちわ 読ませていただきました 前作も読ませていただきましたが 1.平和な日常 2.仲良しとけんかしちゃった 3.超常現象的なやさしいお導き 4.思いが通じてめでたしめでたし この辺は同じ展開なので、4.のハッピーエンドを崩さない前提であれば、次に挑戦するとするとしたら、 手っ取り早いのは、2.の相手がそもそもどうしようもないくらい意志の疎通が不可能なキャラにしてみる ってのはどうでしょう。いわゆるツンデレキャラってことになるのかも知れませんが。 誰にも心を許さない問題児だけど、わたしだけは彼の美点を理解してる、みたいな? そうすると3.の展開も自ずとインパクトの強いエピソードが自然と導き出されるのでは無いでしょうか。 無花果さんならきっと簡単にやってのけそうな気がします。 とは言ってみたものの、今は感性の赴くままに書いて書いて書きまくるのも悪くないのかも知れませんね。 何しろまだまだ作者様は若く、時間はたっぷりあるのですから。 多分、ある時突然大化けしちゃったりするんでしょうね。 でも、ふんわりした文章と気恥ずかしい位の瑞々しい感性は捨てる必要はありませんからね。 偉そうなこと書いてごめんなさい。また次作も期待して待ってます。 |
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