ばあちゃんに彼女を紹介します |
十二月十二日 今日、漢字テストがありました。きんちょうかんが分からなかったから、金長官とかいたら、先生から放課後に呼び出されて、怒られました。先生はいつもテストで分からない問題があったら、何か書けと言っていたのに、どうして金長官がダメだったのかわかりません。悔しいからこの漢字テストは、この日記ノートにはさんでとっておきます。文句があるならばあちゃんが、先生と話をする準備がいつでもあると言っています。 実家の畳の上であぐらをかいて、ばあちゃんの遺品の片づけをしていたら、随分と古い日記が出てきた。多分というか、間違いなく小学生のときのものだ。あわせて、一枚の色褪せたプリントが落ちる。 「金長官危機一髪ねぇ」 バツがついているところと、マルが付いているところを繋げて読むと笑うしかない。別に悪意はなかったのだけれど、先生にしてみれば、ふざけたとしか思わなかったのかもしれない。 「いいかい、雅治。そんなに悔しいなら、これは取っておきなさい。日記にもその通り書いて、先生に読ませればいいんだよ。それで先生が文句を言うなら、ばあちゃんが出て行ってやる。大事な孫だもの、ばあちゃんが守ってやる。雅治はまっすぐ思ったようにやりなさい」 怒って泣いて、学校から帰った俺にばあちゃんはそう笑った。金の入れ歯をきらめかせて、楽しそうだった。でも俺は、本当にそれでいいのか、不安でばあちゃんを見上げていた。ばあちゃんはそんな俺の頭を優しく撫でた。 「心配しなくていいだよ。学校の先生なんて、ばあちゃんにしてみたら、ちょろいもんさ。なんたって、海千山千のじいちゃんをものにしたんだからね」 胸の前で拳を作ったばあちゃんの左手の薬指に、ターコイズの指輪が青く光った。ターコイズの指輪はじいちゃんが太平洋戦争に行く前に、ばあちゃんにプロポーズで贈ったものらしかった。母さんから伝え聞いただけだったから、俺は詳しいことは知らない。ばあちゃんもじいちゃんのことは何も話さなかった。ただばあちゃんはきっとじいちゃんのことを本当に好きだったんだと思う。というのも、ときどきじいちゃんを引き合いに出すばあちゃんは、誇らしげに鼻息が荒くなるからだった。だから、俺はじいちゃんとは、一度も会ったことはなかったけど、今も凄い人だったんだと確信している。 「なんだったら、白装束で薙刀でも担いで、行こうかね。美代子、あれはどこに仕舞ったかね」 そう呼ばれた母さんは、いつもばあちゃんを止めたものだった。 「ちょっとお母さん。やめてくださいよ。ヘルニアが酷いんでしょ」 「ふん。孫のためにヘルニアの一つや二つ。なーんてことないよ。このくらいでへばってたら、じいちゃんに笑われちまうよ」 ばあちゃんは俺ににこっと、これ以上なく口を開いて、きらめく入れ歯を俺に見せたものだった。 「面白いおばあちゃんだったのね」 日記ノートを読んでいた俺を、後ろから婚約者美香が抱きとめながら、右の耳元で呟く。美香の吐息が少し漏れて、その熱を耳たぶに感じる。 「ああ。最高のばあちゃんだった」 「なんか、おばあちゃん子って言ってた意味が、良く分かったわ」 「そうか」 普通こういうときって、マザコンとかと一緒にされて腹を立てるか否定するかするところかもしれないけど、ふと俺とばあちゃんのつながりを少しでも分かってもらえたようで、素直に嬉しいと思えた。俺は軽く笑っていた。 「ニヤついて、なんか気持ち悪い顔ね」 「そんなこというと、ばあちゃんが化けて出るかもしれないぞ」 「それはそれで、いいわね。私もお会いしてみたいから。貴方の生涯の伴侶としてふさわしいのかどうか、聞いてみたいわ」 「ああ、そんなことか」 俺は鼻で笑う。背中に感じる美香の重さが心地良い。 「何よ。何がおかしいわけ?」 背中で美香の鼻息が荒くなる。むくれたらしい。 「いや、ばあちゃんのことだから。多分――」 俺は視線を日記ノートから上げた。目の端に水仙の花が映る。ばあちゃんが好きだった花だ。仏壇の脇のに花瓶に一輪、黄色の花弁を開かせたものが生けてあった。 「ばあちゃんのことだから、何よ」 美香が俺を揺する。その感触が気持ち良かったから美香になされるままに、任せて、 「ばあちゃんなら、俺が好きになった女性に間違いはないって、断言するよ」 俺が微笑むと、ピタリと美香の手が止まる。 「それはそれで面白くないわね」 「なんで?」 「だって、私がおばあちゃんに認められたわけじゃないじゃない?」 また美香がむくれた。俺は右手で美香の頬を撫でる。 「俺がお前が好いって言ってるんだから、良いんだよ」 俺が右を向くと、今にも唇が届きそうなところに美香の顔がある。 「な、何よ……」 美香が少し頬を赤らめる。俺はじっと美香を見つめる。何か言いたそうな美香の赤い唇が一度閉じて、僅かに開いて、どちらかともなくお互いの唇が近づいていく。 「雅治。お昼ご飯できたわよ。美香さんも一緒にどうぞー」 母さんの声が響いて、俺たちはびくっと肩を振るわせた。俺と美香は照れて、お互いに頭を小突き合わせて笑って、軽く唇を合わせた。 「すいません。今、行きます」 美香は慌てたように声を上げて、すぐに立ち上がるとすぐそこにあるふすまを開ける。 「美香、ありがとう」 俺は座ったままで、背中越しに声を搾り出していた。 「何が?」 美香が聴いてくる。 俺は美香の何に「ありがとう」と言ったのだろう? ただ、傍にいてくれることか? 俺を選んでくれたことか? わざわざ、実家まで付き合ってくれたことか? あるいは、ばあちゃんを受け入れてくれたことか? 「いや……」 言葉にならない。 「多分、いろいろだ」 俺はわざと明るく言う。 「そう。いろいろね」 美香も明るく笑う。 「お母さんには、もう少ししたら来ますって伝えておくね」 美香は俺の返事を待たずに、出て行った。 「なぁ、ばあちゃん。良く出来た奴だろう」 俺は顔を上げる。目の前には、ばあちゃんの遺影がある。あふれ出てくるものが、抑えきれない。 「こんな形で紹介なんかしたくなかったけど……」 目の前のばあちゃんは微笑んだまま、何も言わない。 「本当に、俺にはもったいないくらいなんだ。ばあちゃんも美香なら気に入ってくれると思うんだ」 仏壇の端に飾られた水仙が目に入る。 「ここはばあちゃんとの思い出がたくさんあるから、ちょっとしんどいや。だってばあちゃんは俺が学校から持って帰ってきたものを何から何までとっておいてるんだから、さ」 ふと頭を撫でられた感触を思い出す。 「ばあちゃんに頭を優しく撫でられるのが好きだったな」 その手はもうない。ただ残ったはターコイズの指輪。仏壇に供えられている。 「なぁ。これ、あいつにあげてもいいかな? あいつも十二月生まれだしさ」 見つめた先のばあちゃんは、微笑んだまま何も言わない。けれど答えは分かっている。 「なぁ、ばあちゃん」 涙がこぼれて、頬を伝って、日記ノートを濡らした。 |
RYO
2011年06月27日(月) 23時19分49秒 公開 ■この作品の著作権はRYOさんにあります。無断転載は禁止です。 |
|
この作品の感想をお寄せください。 | |||||
---|---|---|---|---|---|
No.2 RYO 評価:0点 ■2011-07-05 22:29 ID:mVB2W5iH1XQ | |||||
>HALさま いつもありがとうございます。 ふと別の作品のほかの方の、突出してよいところもなければ、悪いところもないといった風の感想を思い出しました。 私らしい作品ではあるのでしょうが、小さくまとまってしまったかなと。 ストレートすぎるのもよくも悪くも私らしいのでしょうね。 もう少し、ばあちゃんのエピソードがあると確かに厚みがでたなーといまさら思います。 そろそろ、新作を書きたいと思いつつ、時間がないな(笑 近いうちに三語は、投票場をつくりますね |
|||||
No.1 HAL 評価:30点 ■2011-07-04 20:08 ID:LM/P1nv22LA | |||||
実は前に拝読していたのですが、すっかり感想が遅くなりました。 いいお話でした。 前に別の作品を拝読したときに、似たような感想を書いたかもしれませんが、よいものをよいものとして、まっすぐに書けるというのは、大きな強みだと思います。そういうことを、自分がなかなかできないでいるので、見習いたいと感じました。 それにしても、この任意お題から、こんないいお話にもっていかれるとは。読み返してあらためて感服しました(笑) 気になった点は……三語の制約があることをあえて脇においていうならば、読み終えて、なんとなく物足りなかったような気がします。途中、もうちょっとアクセントというか、転調がほしかったかなあと。 最初のおもしろ可笑しいエピソードから、途中でいちどトーンが変わりはしたのだけれど、そのタイミングがちょっと、早かったのかなと。それで、相対的にラストが少し冗長なように感じたのかなと思います。と、書きながらいま、まさに己の耳が痛くてなりません……。いつもながら、棚上げ甚だしくて申し訳ないです(汗) 傑作選の主催、お疲れさまです。投票がはじまるのを楽しみにしています。 |
|||||
総レス数 2 合計 30点 |
E-Mail(任意) | |
メッセージ | |
評価(必須) | 削除用パス Cookie |