梅花の散りゆく運命(さだめ)は |
梅花の散りゆく運命は 私は案内されるままにその女中について行った。今の時代に女中というのも不自然な感じがしたが、本人がそう言うのだから女中と呼んでいいのだろう。年の頃は五十前後だろうか。柿色の着物に淡い橙の帯を巻いた女中は、右足を引きずって歩く私を気遣いながらゆっくりと先導していく。まだ午前中だというのに左右に壁が迫る狭い板張りの廊下は薄暗く、歩を進めるたびに足裏がきしきしと音をたてた。 最寄りの駅からタクシーで小一時間、くねくねとした山道を登ってようやくたどり着いた温泉宿。齢七十を数えた体にはいささか堪える道中だった。それでもここを訪れる多くの人は秘境然とした山奥の湯治場という期待通りの雰囲気に満足げに笑みを浮かべるのだろう。しかし、今の私にそのような笑みを浮かべる余裕などあるはずもなかった。自由のきかない片足を引きずりながら旅館の奥へと誘われるにしたがって、自分を待ち受ける事柄に対する緊張から全身がこわばっていくのをただ漠然と感じていた。 「最近はいつもお部屋にこもりきりでした」 わずかに後ろを振り返りながら女中が言う。 「亡くなられた日もお部屋で書き物をされていたようです」 「亡くなられた」という言葉に私は無意識に漏れかけた嗚咽を喉の奥でぐっとこらえた。血流が滞留するような感覚が、私の脊髄から脳幹を絞り上げるように駆け登っていく。同時に彼女の面影が脳裏に思い浮かんだ。 「こちらです」 女中が足を止めたところでそう言って薄く明かりが漏れる障子をゆっくりと開くと、そこは書院造りの清楚な和室だった。正面に配された細竹がはめ込まれた明かり取りの丸い小窓の下には硯と筆が置かれた小さな文机があった。違い棚の一輪挿しにはまだ蕾の残る梅の小枝が一本、すっと生けられていた。文机の隣にある小さな仏壇が目にとまる。それがどうもその部屋の空気にそぐわない気がして私の心の内に何とも言えぬ異物感を抱かせた。 「敏子さんはいつもここにいたのですね」 私は女中に尋ねた。 「はい。まだお元気で宿に出ていた頃もお暇を見つけられてはこちらにこもっておいででした」 敏子が、私の妻がいた場所。微かに残る畳のい草の香りを鼻腔に感じながら足を引きずり文机へと近寄る。使い込まれ、黒く鈍い光沢を放つ机。正座ができない私は左膝であぐらをかき、右足を投げ出すようにして畳に腰をおろした。両手で机の縁をなでると刻まれた年輪のわずかな凹凸が手の平を優しく刺激する。敏子も同じようにここに手を置いていただろうか。今となっては感じることができないそのぬくもりを探すように私は机に手を乗せ、意識の中で彼女の面影を辿った。 昭和十七年春。私は海軍少尉として北海道厚岸(あっけし)から重巡洋艦「那智」に乗艦した。北方部隊第五艦隊の旗艦であった那智への配属はそのまま大戦における制海権争奪の最前線に投入されることを意味していた。戦争に赴く恐怖と緊張が無かったと言えば嘘になるがその時点では戦況が有利であったこともあり、旗艦に乗務できたという誇らしい気持ちのほうが強かった。 運が良かった。北海道出身の自分がこの厚岸から晴れて出征できることに私は天恵を得たように思った。お陰で家族の見送りを受けることができる。もし、海軍兵学校がある呉からの出港ではこうは行かなかっただろう。もしかしたら上官のなんらかの配慮があったのかもしれないとも思ったが、一少尉に過ぎない自分にそこまで目をかけている上官がいるだろうかと首を横に振った。何はともあれ故郷から胸を張って出港できることが嬉しかった。 私は航海長補佐として艦橋に登った。スラバヤ沖での勝利の余韻が微かに残る艦内は、戦時下とは思えないほど穏やかな雰囲気だった。第五艦隊司令長官細萱戌子郎中将以下、幕僚達が居並び心地よい緊張感と静寂に包まれる艦橋内。それとは対照的に岸壁では見送りの人たちが、それこそ腕がちぎれんばかりに手を振っていた。私は胸を張り「気をつけ」の姿勢のまま目だけをせわしく動かし、見えるはずのない彼女の姿を探した。その年の二月に結婚したばかりの妻、敏子の姿を。 「ヨーソロー」 艦長の「半速前進」の命令に応えて操舵手が声を上げた。機関が唸る振動が足下から脳天へと響く。全長二百四メートルの巨体が海面をゆっくりとかき分けながら前進を始める。 私は敏子の姿を探してもう一度群衆を見渡した。万歳の声を張り上げ、一心不乱に手や旗を振っている群衆を端からゆっくりと見やったが、私はなかなか彼女をみつけることはできなかった。 あきらめかけて前を向き直そうとした時だった。群衆の後ろにある桜の木の袂にいる女性に目がとまった。それが敏子だという確信はなかったがそうであって欲しいと思い、私はその女性に向かって敬礼をした。ようやく満開になった桜の下、太い幹に身を寄せるように立つその女性に花びらがひらひらと舞い落ちていた。 「見えるか?」 隣から声が聞こえた。姿勢を崩すことなく目だけで声の主を確認する。そこにいたのは、自分と同じく航海長補佐として乗艦している同期の奥田信宏だった。十六歳で海軍兵学校に入校してからずっと互いに競い合う仲。造りのはっきりした顔立ちに、意志の強い大きな瞳が映えるいい男だった。同期の期待を一身に集める優秀な男で、私は奥田を尊敬し、目標にもしていたが在学中は決して追いつくことは出来なかった。 この前日、宿泊した宿で敏子と奥田と三人で夕食を共にしていた。私は妻に奥田を紹介し、敏子もまた、好印象をもったようだった。奥田は夫婦水入らずの時間に邪魔をしたことを心底詫びているようだったが、そのときの私にはどうでも良いことだった。私が奥田に勝てる唯一の自慢は、妻敏子だったのだから。独り身の奥田が恐縮する様子を見ているのは愉快だった。 私と同じように見送りの人々を眺めながら奥田が続けて言った。 「あの桜の下。敏子さんだろ」 私は奥田のその言葉に安堵した。見間違いではないようだった。私は自分の思いこみがあの女性の姿を敏子に見せたのではないかと不安だったのだが、そうでないと分かってふっと肩の力が抜ける気がした。 「ああ、そのようだ」 私はすっかり遠く小さくなった敏子の姿を見つめながら言葉を返した。奥田はそれきり黙り、敬礼を終えて姿勢を緩めた後も敏子の話題には触れなかった。恐らく私の惜別の念の深さを気遣ったのだろうと思う。 帰って来ることが出来ないとは思っていなかった。もう二度と会えぬかも知れないとも考えなかった。私たちは勝利をただ信じていた。那智に乗艦している誰もが、そして敏子のように私たちを見送った誰もがそう信じていたに違いなかった。私と奥田の目の前にはいつの間にか真っ黒な海原が広がっていた。 しばらく文机を見つめて過去を振り返っていた私の背中で、女中の声がした。 「このお部屋はもともと旦那様が使っていたものでした」 私は自分の胸の鼓動が幾分早くなるのを感じた。敏子の「旦那」。それが誰を指すのかを条件反射で思い出したからだ。女中が言う旦那様とはもちろん私のことでは、無い。 結局、私が敏子を見たのは、あの厚岸の岸壁が最後だった。あれから五十年。私が敏子を知っている何倍もの時間が過ぎ去った。私の知らない敏子を知っている人がいったいどれだけいるのだろうか。その人たちに敏子は私のことをどのように話しただろうか。女中が旦那様と呼ぶ者には私のことを何と言ったのだろうか。いや、きっと敏子は何も言わなかっただろう。私はそう信じたかった。私は女中に向き直った。 「その旦那様は、いつ?」 揺れ動く胸中を悟られないように、平静に努めながら女中に問う。 「もう十年になります。それはお優しい旦那様でした。旦那様を亡くされてから奥様も急に弱くなられました」 私は文机に目を戻した。敏子がここで過ごした時間は誰を思ってのことだったのだろうか。きっと、私ではあるまい。私と敏子の時間は止まってしまったのだ。そう、止まったのだ。とうの昔に。 轟音に体が震える。敵艦隊からの砲弾が船体のすぐ傍をかすめて海面へと突き刺さる。自分がいる艦橋まで届こうかという水柱が水龍の如く立ち上がり、着弾の高熱で瞬時に蒸発した海水が霧のように甲板を覆う。 昭和十八年三月二十七日アッツ島沖。味方輸送船団の護衛のために出撃していた第五艦隊は、未明に米軍艦隊と交戦を開始した。午前三時頃から始まった戦闘はお互いに決定打を与えることが出来ず一進一退のまま推移していたが明け方五時を過ぎた頃、ようやく味方の砲撃が敵重巡洋艦「ソルトレイクシティ」を捉えた。黒煙を上げた敵艦は急速に船首を返していく。それが戦線離脱を計る動きであるのは明白だった。 「追撃戦ヨーイ! 各艦最大戦速!」 司令長官細萱中将の声が艦橋内に響いた。全艦突撃の命令。伝声管を通じて各所から命令の復唱が聞こえる。航海士がその声に耳を傾けていたが、顔を上げると声を上げた。 「指揮所返答なし! 伝令!」 伝声管が破損したのだろう。艦橋の上にある防空指揮所からの復唱が無かった。そこには旗艦の防空を指揮する曽爾艦長がいる。艦長が命令を下さなければ那智は突撃を開始することが出来ない。旗艦が機を失すれば艦隊行動に支障を来すことになる。 「伝令行きます!」 自分の隣で奥田が声を張り上げた。奥田も自分と同じ思いだったに違いない。奥田は本来なら自分の役目では無いのは十分承知のはずだったが、指揮所へ続く扉の目の前にいたこともあり、叫んだときにはすでにその扉を開けていた。開け放たれた厚い扉の向こうから潮と火薬の臭いが混じった風が勢いよく吹き込んでくる。高角砲の咆吼や機銃が唸る音が艦橋内に共鳴しひどい耳鳴りのように空気を軋ませた。 奥田が階段を駆け上がって行った直後だった。甲高い風切り音が聞こえたと思ったとたん、目の前にすさまじい火花が散った。至近弾が艦橋の防弾壁をかすめたのだ。艦橋にいた全員が無意識に顔を伏せる。数瞬後、がんがん疼く頭を押さえながら目を開けるとわずかに開いた扉の向こうに血にまみれた腕が見えた。 「奥田!」 私はすぐに扉の向こうにある階段へと飛び出し、奥田を抱え上げた。おそらくかすめた砲弾の破片によるものだろう。右半身に肩から腰までいくつかの貫通傷を負っているようだった。みるみるうちに奥田と自分の軍服が赤黒く染まっていく。 「伝令を」 私の腕のなかで、奥田が目を閉じたまま呻いた。その声を聞いた士官が勢いよく音を立てて指揮所へ続く階段を駆け上がっていく。 「伝令を……。伝令を」 奥田が繰り返す。 「伝令は大丈夫だ! 奥田! 大丈夫だからな!」 私はうわごとのように「伝令、伝令」と繰り返す奥田に向かって叫んだ。 奥田の代わりに伝令のため指揮所へ駆け上がっていった士官が艦橋に戻り、艦長の命令を操舵手に伝える。 「艦長伝! 機関最大戦速!」 命令を受けた操舵手は、前を見たまま声を張り上げた。 「最大戦速! ヨーソロー!」 那智の船体が唸りを上げた。頭上高く突貫を意味する信号旗がするすると昇っていく。艦の速度が上がるのを体で感じながら私はその場にいた下士官数人とともに奥田を抱え上げた。大量の血が流れたはずなのにやっぱり重いな、と妙に的はずれな事を考えながら救護所へと運び込んだ。蒼白になった奥田の顔を朝焼けが照らす。私にはどこか現実離れした光景であり、まるで夢でも見ているような錯覚に陥っていた。私は友が傷ついたその時、初めて戦争というものを実感した。 結局、輸送船は守ったものの敵巡洋艦をもう少しのところで取り逃がした第五艦隊は消沈しながら帰国の途についた。 数日後、俺は救護所のベッドに横たわる奥田の隣にいた。奥田は一命を取り留めた。しかし、右肩と右足太ももの傷が深く、帰国したら船を下りることになっていた。 「すまない」 奥田が言う。なにがだ、と聞いた私に奥田は続けた。 「お前より先に船を下りることになるなんてな。俺がいないとこれから先、苦労するだろう」 俺は笑った。 「思い上がるな。お前がいようがいまいが、那智は沈まん。お前は命があっただけ良しとしておけ」 奥田も痛みをこらえながら薄く笑う。 「そうだな。まあ、しばらくは陸(おか)でゆっくりさせてもらうさ。だが、必ず戻ってくるからな。松山、それまでこの艦を頼むぞ」 「ああ、わかってる」 私はそう答えるしかなかった。たかが航海長補佐の自分にどれほどのことができるだろうかとも思った。すでに戦局が楽観できるものではないという認識もあった。奥田の怪我も回復まではかなりの時間がかかるだろう。それも互いに分かっていた。それでもこの約束は果たしたいと思った。痛み止めが効いているのだろう。目の前で静かに寝息をたてはじめた奥田を見ながら私は最後までこの船を守ると誓った。 友との別れは実にあっさりしたものだった。担架に乗せられて下船していく奥田に私は自分の爪と髪の毛を入れた守り袋を渡した。 「敏子に、頼む」 奥田は何もいわずにそれを受け取ってぐっと握りしめた。それきり互いに言葉は無かった。ただ、二人で見上げた空が妙に青かったのを覚えている。 私は奥田が那智を去って行くのを見ながら深い溜息を吐いた。それが安堵の溜息であることに気が付いて胸がざわついた。なぜ私は奥田が去って安心したのだろう。きっとあいつが死ぬところを見ないで済むからだろう。きっとそうに違いない、と自分を納得させた。それでも何とも言いようのない何かが腹の底に溜まっているのを感じずにはいられなかった。その後、私と奥田が生きて再会することはついに無かった。 無意識に文机の横にある仏壇に目が移った。中には位牌と小さな遺影が二つ見える。 「線香をあげさせてもらえますか」 私は女中に言った。 「どうぞ」 そう言いながら女中はすっと立ち上がり仏壇の前に正座すると置いてあったマッチを擦って半分ほどに熔け落ちている蝋燭に火をつけた。火の消えたマッチから漂う細い煙とともに独特の臭いが鼻をつく。 線香を二本つまんでちらちらと揺れる蝋燭の炎にかざすと、私は自分の指先が震えているのに気づいた。その震える手を伸ばして線香を立てようとした時、目の前の写真の人物と目があった。その瞬間、私の心の中に言いようのない悔しさと怒りが溢れ、思わず奥歯を噛みしめた。 モノクロの写真。すっかり年老いてはいるが、一目でそれが敏子だとわかった。口元にうっすらと微笑みを浮かべて優しく見つめ返すその表情はあの厚岸の港で手を振ってくれた当時の面影を残している。しかし、私の視線を釘付けにしたのはその隣にある初老の男の写真だった。白髪ではあったが、あの当時と変わらず私を見返す大きな瞳には強い意志が宿っている。それは紛れもなくあの奥田信宏だった。 敏子は私を待っていなかった。それどころか私が親友と信じていた男と再婚し、幸せに暮らしていたのだ。もっとも私がそれを知ったのは、二人がすでに私と話す機会を永遠に失ってからのことなのだが。 那智での最後の戦闘で怪我を負った私はフィリピンの病院に送還され、そこで終戦を迎えた。程なく傷病兵として帰国したが、国に自分の居場所はなかった。両親は空襲で、弟はサイパンで死んでいた。敏子は私が出征してしばらくしてから呉に移っており、その後の消息はわからぬまま。私はほそぼそと両親が残した畑を耕した。食うに困らないだけの仕事をし、その日その日を生きてきた。生きていることを自問し、どこかでそれを責めながらの人生だった。 敏子が呉にいたというのを知ったのは終戦を迎え内地に帰還した後、リハビリに励んでいた病院に見舞いに来た旧友の話からだった。私の消息をいち早く知るために海軍の中枢があった呉に移り住んでいたという。しかし、その後の足取りはまったくといっていいほど分からなかった。もともと身よりもない地での暮らし。その後の消息を知りようもなかった。兵庫で小さな旅館を営んでいると知ったのは全くの偶然からだった。奥田と入れ替わるように那智に乗艦した、懇意だった一等水兵と再会する機会があったときの雑談で、生野町という山間の湯治場で旅館をいとなむ女将が、那智で前の旦那を亡くしているというのだ。詳しく話を聞くと女将の出身は北海道だという。私はすぐにでもそこを尋ねたかったのだが、その旧友の記憶も曖昧で頼りなく、その旅館と女将を特定できたのは話を聞いてから一年を過ぎようかという頃だった。 私は電話をした。対応してくれたのはいまお茶をいれてくれた女中だった。私は自分の素性を名乗り、事情を話した。女中も敏子の過去については詳しく聞いてはいないようであったが、私の話にひどく驚いているようであった。聞けば旅館はすでにひとに譲り、旅館の仲居を務めているこの女中と二人で暮らしていたそうだ。敏子は電話よりひと月早く逝っていた。 敏子の姓が「奥田」であると言った女中の言葉が気にかかり、再婚相手の名前を聞いた私は愕然とした。それまでの友の名が、その時全く違った意味を持って私の心に刻まれたのだ。重症を負い呉で那智を降りた奥田が広島の病院に移されたことは風の便りに聞いていた。しかし、原爆投下によってその後の情報が断片的にしか分からなくなり、奥田の消息もそこで切れてしまった。私は敏子の消息を探す傍ら、同じように奥田の足跡を探そうと苦心したのだが、行方はようとして知れなかった。いつしか私の中で奥田は原爆で死んだのだという思いが強くなっていった。しかし奥田は生きていた。しかも、敏子と共に。 なんと馬鹿げた話だろう。私が生きることだけで精一杯だったこの五十年、その苦しみの中で探し続けた二人が、一緒に幸せに余生を送っていたなど、他人が聞いたら笑い話でしかないではないか。花を手向けることも出来ずにいたことを悔やみながら友を偲んでいた自分が、急に愚かしく思えた。 きっと待っていてくれる。いつか会えるかも知れない。そのわずかな希望だけを支えにして、この自由のきかない体に必死になってしがみついてきた。生き残ってしまったことを死んだ戦友達に詫びながら、それでも自分を待つ人のことを想い続けて生きてきた。それなのに、ついに見つけたその人は私を待ってくれているどころか、私が詫び続けた友と一緒になり、幸せに人生を全うしていたのだ。これを自嘲せずにいられようか。 「私は何のために生きてきたのでしょうね」 線香の小さな火を見つめながら、思わず言葉がこぼれた。女中は私の問いかけに困ったようにうつむいたままだったが、もともと答えを期待したわけではない。慰めて欲しかったわけでもない。ただ、吐き出さずにはいられなかっただけだ。行き場のない怒りと悔しさに胸が張り裂けそうで、仕方がなかった。だから、何も言わずにそこにいてくれる女中につい漏らしたのだ。 不意に舌足らずな鶯の声が聞こえた。顔を上げると円窓の向こうに梅の木が見える。意表を突く、どこか滑稽にすら聞こえるその鳴き声は、負の感情に支配され固くこわばっていた私の心中を刹那にほぐした。私は全身から余計な力が抜けるのを感じた。それまでなにか澱のようなものが溜まっているようだった部屋の空気が、急に清らかになったような気さえした。 「どうぞ引き出しをお開け下さい」 まるでその鶯の声が合図だったかのように女中が動いた。文机を手で指して、引き出しを開けるように促す。私は言われるままに机の右側に三段ある引き出しの内、一番上のそれを引いた。予測していたよりもかなり軽い手応えで引き出されたその中からは、沢山の封書があふれるように現れた。 「すべて貴方様あての手紙です。ほかの引き出しもすべて一杯になっています」 私は次々と引き出しを開けた。女中の言うとおり、ほかの二つの引き出しにも封書が飛び出さんばかりに詰められていた。 「読んでもよろしいでしょうか」 胸を打ち付けるように早くなる鼓動に耐え、体を震わせながら私は女中に尋ねた。 「もちろんです。どうぞ」 言われるより早く、私は沢山ある手紙の一つを手に取り封を開けた。期待と恐れの入り交じる複雑な気持ちのまま、震える手で中身を取りだし広げた。瞬きも忘れて目を走らせる。 松山善雄 様 春まだ浅い寒い日に、梅の花を愛でました。白く可憐な花びらが、春日に照らされ熔け落ちる雪の露にきらりと輝きながら凛と咲いておりました。どこまでも澄み切った蒼色の空に、漆黒の木幹と白い花が瞳に痛いほど映えておりました。それはわたくしの心の内にある貴方様のお姿そのもののように思えたのです。 いずこかに在られます貴方様に想いを募らせること幾年月。私の思いは春日に熔けるどころかどこまでも積もるばかりでございます。梅の木に飛びくる鶯のたどたどしい鳴き声に「ああ、わたしもおまえのように空を飛べたら」と心を乱すのでございます。 こうして筆を取るたびに宛先がわからぬ故、送れぬ文があふれていきます。もはや文机の引き出しには収まりきれなくなりました。便箋が重なるにつれ、積もり行く時の重さについ溜め息をもらすようになりました。鏡に映るわたくしの顔は齢を重ね相応に変容いたしましたが、瞼を閉じて描くあなた様のお姿は颯爽と発ち往くあの時のままなのでございます。その後ろ姿を頼もしくも口惜しくお見送り致しましたあの日の情景がつい昨日のことのように思い出されます。 緞子のように艶やかに桜舞い散る春でした。厚岸の港で貴方様が南方へ向かう船に乗り込むタラップを一段一段上っていかれるのを見て、私の胸の鼓動は早鐘のように騒いだのでした。暗い蒼色の海に浮かぶ漆黒の船に真っ白い詰め襟をお召しになった貴方様が乗り込んで行かれるのです。桜花吹雪で霞んだあの情景を思い出すたびにわたくしの視界は涙で霞むのです。 嗚呼、今このとき貴方様はどこにおられるのでしょう。いま、窓の外では日が沈まんとしております。あのお天道様を貴方様は何処で見ておられるのでしょうか。これから昇るお月様をあなたは何処で見るのでしょうか。輝く星たちを何処で愛でるのでしょうか。 貴方様からの便りが届かぬ理由をわたくしは知っているかもしれません。気がついているのかもしれません。息災で在られますことを願ううちに恐ろしい予感ばかりが膨らんでわたくしの心は狂わんばかりに千々に乱れていくのです。 梅の花がはらりはらりと落ちていきます。もうすぐ桜の季節です。今日も涙で手紙が滲まぬうちに筆を置こうと思います。どうぞご自愛下さいませ。 かしこ 手紙を持つ両手が、自分のものでは無くなったかのように震えていた。こみ上げる感情に抗いきれず溢れ出た涙が頬を伝い落ち、ぱつんと手紙を弾いた。嗚咽をこらえながら何度も何度もその手紙を読み返す。その手紙には失われた私たち二人の五十年があった。敏子の想いのつまった言の葉をむさぼるように読み取りながら、私は自分の中で在りし日の思い出が急に膨らんでいくのを感じた。 昭和十九年十一月。私の乗艦である那智は第二遊撃部隊旗艦としてレイテ沖海戦に参加していたが、スリガオ海峡で重巡洋艦「最上」と衝突。中破したため戦線を離脱しマニラ湾で修理を受けていた。 「松山、貴様も内地が恋しいか」 厚岸出港以来会えずにいる敏子の面影を思い出しながら湾内を見るともなく眺めていた私に山根航海長が声をかけてきた。すかさず靴を鳴らして気を付けの姿勢を取り返答する。 「いえ、私は策敵をしておりました」 航海長は私の目をじっと見据えた。年は四十前後だったと思う。海軍学校で教鞭を執っていたことがあり、そのころから懇意にしていた人物だった。特に長身というわけではない。いつもどこか力の抜けた人の良さが目元に滲む温厚な上官であった。その航海長がやんわりと私を見据えて言った。 「貴様は目視で策敵をするのか。見える距離で敵機を見つけてどうする。内地の新妻でも思い出していたんだろうが」 心の内を正確に読まれた私は自分の顔が熱くなるのを感じた。恥ずかしさから半ば自棄になって反論する。 「御国の非常事態であります! そのようなことは断じてありません!」 一瞬、航海長の表情が曇ったように見えた。 「松山、いいんだ」 航海長は目線を体ごと湾へ向けながら諭すように、言った。 「貴様は貴様が守るべきものを守れ。こんな事を言えば軍法会議ものだが、国を守れと言われても俺は実感がわかん。女房や子どもを守れといわれた方がよっぽど分かり易い」 そう言うと右手を掲げ、私の左肩に乗せた。ずしりとのし掛かるように置かれた手の重みが膝にまで伝わる。航海長の表情は、いつもの飄々としたものに戻っていた。 「生きて帰ることができれば、それはそれでひとつの勝利だ。国が生き残っても貴様が死んだら残された者はどうする。それに貴様はまだ若い。まだまだ遊び足りんだろう」 私が「はい」と答えると航海長は満足げに笑った。それからは二人で艦橋から湾を見渡し、他愛のない雑談となった。海軍兵学校時代の思い出や、内地に残してきた家族のこと。そして、戦友達のこと。 「奥田に会いたいな」 雑談の中で航海長がおもむろに言った。奥田は航海長の将棋の相手を良く務めていた。航海長は五回に一回くらいしか奥田に勝てなかったという。 「俺が勝つときは、あいつが手加減していたんだ。なかなか要領の良い奴だよ、あいつは」 そうだろうな、と思った。奥田は機転も利くし行動力もある。海軍兵学校にいた頃からずっと私は競い合うつもりでいたが、いつもあいつの背中を見てきた。成績にほとんど差はなかったが決して奥田を追い越すことが出来なかった。そして今の航海長の話を聞きながら、私が奥田に対して抱いていた感情が劣等感であったということに気が付いた。私はあいつをうらやんでいたのだ。もしかしたらあいつはいつも私に気をつかって手加減をしていたのではないか。そうでなければ私があいつと肩を並べることなどできやしなかったのでは無いか。奥田が船を下りた時にこみ上げた安堵感はこの劣等感から解放されるという無意識の反応だったのだろうと気が付いた。 私はなんと矮小な人間なのだろうかと思った。嫉妬と畏れ。それは近くにいればこそ抱く感情だ。奥田と離れたことで一層、自分との差を意識することになった。いまその相手は病院のベッドの上で怪我と戦っているのだろう。自分はどうだ。安穏と海を眺め、友として尊敬し無ければならないあいつを蔑むことで自分を正当化しようとしている。喉の奥に不快な澱のような感情がこみ上げてくる気がして唾棄したくなった。 「貴様は厚岸からの乗艦だったな」 航海長は急に話題を変えた。私は瞬時に頭を切り換えることができず、数瞬間をおいて「はい」と答えた。 「生きて帰ったら、奥田に礼を言えよ。あいつが俺に言ったんだ。『松山を北海道から送り出して欲しい』と」 思いも寄らない話に、私は言葉を失った。私が所帯を持ったばかりで、呉から乗ったのでは北海道の家族はとても見送りには来ることは出来ない。それを何とかしてやりたいと、奥田が教官としてつてがあった山根航海長に相談したのだという。 「俺も最初は私情は禁物だと怒鳴りつけたんだがな。あいつはどうしてもと言い張ってな。あまりにもしつこいんで貴様も一緒だぞ、と条件をつけて上に話を通したんだ。どうしても俺の下に松山と奥田を付けて欲しいから、こいつらふたりを厚岸から那智に乗せてくれってな」 私は思わず水平線の彼方へと目をやった。見えるはずのない友の姿を脳裏に描き、赤心から感謝をした。あいつにはやはり敵わないのだなと痛感した。出港の前日、敏子との夕食の席で居心地の悪さを滲ませる奥田を見て嗤った自分がひどく卑しく思えた。生きて帰って謝らなければならない。死んではならない理由がひとつ増えたと思った。 紺碧の水平線に水色の空が交錯して真っ白い入道雲を立ち上らせている。深い波音に混じって海鳥の声が微かに耳に届き、南洋独特のさわやかな海風が艦橋を通り抜けていく。それは厚岸を出港して以来の穏やかな時間だった。しかし、そのつかのまの平穏は伝声管から聞こえてきた悲鳴にも似た声に突如かき乱された。 「電探室より報告! 敵編隊接近中! 距離一〇哩(マイル)!」 士官達が瞬く間に艦橋に詰めかける。 「総員戦闘配置!」 「総員戦闘配置! 伝令、行きます!」 司令長官の指令を受けて、伝令が艦橋を飛び出し、靴音高く階段を駆け下りていく。 「信号旗上げ! 機関前進、最大戦速! 湾を離れろ!」 「機関前進、最大戦速! ヨーソロー!」 私は矢継ぎ早に出される指示を聞きながら、目の前の海図を確認し進路を測定する。山根航海長がほんの数分前とはまるで別人のような鋭い目つきでチャートを睨み、コンパスを握りしめる。重巡洋艦は狭い湾内では射撃訓練の的に等しい。いち早く自由に動きのとれる外海へ逃れる必要があった。平時は偉容堂々たる戦艦も出港時の始動はもどかしいほどゆっくりと感じられる。ようやく離岸を果たしたかと思う内に雲霞のように迫る敵機の群れが目に入った。 「十一時方向! 敵編隊確認!」 「対空戦ヨーイ!」 戦闘開始直前独特の無言の重圧が「那智」を押し包んだ。機関が全力で唸る音だけが無機質に響いている。それに次第に接近するグラマン機の羽音が重なる。敵機はすでに個々が識別できるほど近づいていた。 「高角砲! 打ち方始めえ!」 数瞬をおいて四門ある高角砲が一斉に火を噴く。閃光と耳をつんざくような轟音とともに反動で艦がわずかに右に傾斜した。 「機銃各個打ち方始めえ!」 号令直後に二五ミリ連装機銃の唸る音が荒々しい振動となって艦橋まで伝わる。被弾した敵機が艦首の遙か先に黒煙を引きながら墜落し海面に炎を上げた。海面が極彩色に燃える。 味方の航空支援無しに敵航空部隊と戦闘を行うのは弾雨の中を裸で通り抜けるようなものだ。みるみるうちに劣勢が明らかになってくる。那智はまるでスズメバチの一群に襲われた人間のように海原をのたうち回っていた。 戦闘開始からどれくらいたっただろう。ほんの数分だったかも知れないし、何十分も経過していたかも知れない。私の視線の先で敵機が腹を見せて急上昇した。反射的に海面に目をやると、海中に白い航跡がまっすぐに伸びてくる。それが何か分かった瞬間に衝撃が来た。右舷に魚雷が命中したのだ。 「オーモカージ! イッパーイ!」 「モドーセー!」 続く魚雷を回避しようと艦長が指示を出す。それに合わせて操舵手が奮闘するが、抵抗空しく二度目の衝撃が那智を襲った。突き上げられるようにして床から体が跳ね飛ばされる。私は無意識に手を伸ばし掴まれるものを探して精一杯に虚空を掻いたがそれは叶わず、無様に床と接吻した。 「トーリカージ! イッパーイ!」 艦首が左へ急速に流れる。魚雷が右舷すれすれに航跡を引き彼方へと泳いでいく。しかし、すでに二発の魚雷を受けた那智は右に大きく傾いていた。左舷側の隔壁に注水し水平に戻そうと試みたが、注水能力以上の浸水により断念された。艦上で最も高い位置にある艦橋もかなり大きく傾いている。その傾いている右舷側の壁には海図や鉛筆、コンパス等がまるで箒で掃き寄せられたかのようにかたまっていた。司令官以下、そこに在るめいめいは手近な物にすがりつきながらようやく立っているような状況だった。 「右舷! 敵魚雷接近!」 観測手が叫ぶのとほぼ同時に右舷に艦橋まで届くほどの水柱が立つ。その衝撃で艦橋内にいた全員が床に転がった。私は立ち上がろうと必死に四肢で床を掻いたが、みるみる傾斜が険しくなる。艦全体が軋み、まるで断末魔の叫びのような擦過音があらゆる方向から耳を刺す。やがて傾斜が臨界を越えて海水が甲板に流れ込むと、那智は右舷から水中へと引きずり込まれていった。 「この船を沈めるな」 混乱の極みの中、奥田の声が聞こえた気がした。私の脳裏に友との約束がよぎった。 「総員退艦!」 どこか遠くから今更ながらと思われるような号令が聞こえてきたが、もう自らの意志では自分の姿勢をととのえることはできなかった。物理の法則通りに重力にもてあそばれた私は艦橋の扉から海面へと放り出された。 「すまん、奥田! 那智が沈む!」 私はそう詫びながら海に呑み込まれた。 片時も忘れたことはなかった。こうして寂寥の思いがつづられた文(ふみ)を読んでいると二人の気持ちが少しも変わっていなかったことを今更ながら思い知る。それがやりきれず、悔しかった。どうしてもう少し早く、ここへ来られなかっただろうか。二人が生きている内に。 戦争末期であった当時、大陸にいた陸軍ならまだしも遠い南洋にいた私には手紙は届かなかったのだろう。私も便りを出す術がなく、互いの安否を知ることすらできなかった。 次々と読む手紙を通して過去へ思いを遡らせている私に、横から手がすっと伸びてきた。 「どうぞ」 女中がお茶を差し出した。春先とはいえまだ冷気が厳しい。湯気を立てる湯呑み茶碗は過去を思い出し、張りつめていた私の心の緊張をふわとほぐしてくれるようだった。私は、出されたお茶を一口すすると女中に話しかけた。 「結局、私は何も守ることができなかったのですよ」 年寄りが泣きはらした目で愚痴をこぼすのは、あまり見られたものではないだろうなどと思いつつも、私は思いを吐き出すのを止められなかった。 「上官は私に国を守るんじゃない、自分の大事な人を守るんだと言いました。しかし、私は彼女に何もしてやれなかった。寂しい思いばかりを押しつけた。だからきっと奥田と一緒になったのでしょう。あれは本当に良い人間でした。私はいつもあいつには敵わなかった。自分の妻さえ奪われてしまったのですからね。私は戦争で親兄弟を亡くし、右足の自由を無くし、敏子との幸せも失いました。知れば友も友では無くなっていた。もう、私を待つ者はいない。私が守るべきものはもう何も無いんです。いま、この手紙を読んであらためて自分の無力を思い知らされました。私は、只ただ、無為に生きてしまったのだと」 私はむせびながら言葉を吐いた。女中にしてみれば、突然尋ねてきた老人が泣きながら話す愚痴など疎ましいと思っているだろう。敏子の声が聞きたかった。奥田から話を聞きたかった。しかし、それはもう叶わない。ふたりがどういう人生を送ってきたのか。それを知る術は永遠に失われてしまったのだ。 「これを」 不意に女中が、襟元から取り出した封筒を差し出した。私はそれを手に取り中身を取り出した。それは古びた写真だった。 着物を着た女性が、赤ん坊を抱いている。裏を返すと霞んだ文字で昭和十七年十月二九日と書かれてあった。白黒で所々茶色く汚れてはいたが、写真の顔ははっきりとわかる。すっと通った鼻筋に、大きめの瞳。私の瞼に焼き付いているままの敏子の顔だ。写真の彼女には疲れた表情の中にも、子を慈しむ愛情が滲んでいる。赤ん坊の顔はよく分からなかったが、大きさから見ると産まれて間もない頃だろう。 「抱かれているのは私です」 女中が言う。 「貴方様を見送ったとき、母は妊娠していたそうです。お知らせしなかったのは貴方様が憂いなくお勤めできるようにと母が気遣ったのでしょう」 予想もしていなかった女中の言葉に、私は固まった。 「母は女手ひとつで私を育てながら終戦の混乱を乗り越え、ようやく買い取った小さな民宿を旅館にまで大きくしました。旦那様、つまり、その、奥田様ですが、あの方がお見えになったのはここが旅館になって間もない頃でした」 女中は淡々と話を続ける。奥田もまた私同様身内を亡くし、孤独な身の上となっていたそうだ。私の髪の毛の入った守り袋を渡し、立ち去ろうとした奥田を敏子が引き留めたという。 「きっと母は、奥田様を通して貴方様の面影を追いたかったのではないでしょうか。そんな母の気持ちを奥田様がしっかりと受け止めておられたのだろうと思います」 私が手にした写真を見つめながら女中は、いや、娘は続けた。山間の旅館を立ちいかせるのには相当な労苦を伴ったそうだ。女将としての責任を負いくじけそうになる敏子を、奥田は必死に支えたらしい。それからかなりの年月を経てから夫婦の契りを交わした二人だったが、奥田は娘のことを自身の子だとは決して言わなかったという。 「お前は戦友から託された大事な宝だ」 そう話していたそうだ。そして、敏子に対しても同じように考えていた節があったらしい。 「気丈な母でしたが、つらくなるといつも手紙を書いておりました。私は手紙をしたためる母の背中を見ながら大きくなりました。貴方様への手紙を書きつづる時の母の表情はいつも安らかでした。母のその顔は私の支えでした。そして母の支えは貴方様だったのです。たとえ近くにいなくても私は母の表情から父の愛情を感じておりました。そんな母を奥田様はそっと見守っておられました。本当は母にはご自分の事だけを見ていて欲しかったでしょうにそんなそぶりを全く見せずに母と同じように貴方様を待ち続けておられました。あの方はよくこうおっしゃってました。『俺はあいつに大事な船を預かってもらった。だから俺はあいつが帰ってくるまであいつが大事にしている人たちを守ってやるんだ』と」 娘の口から語られる話に熱い想いがこみ上げて言葉が出てこない。おもむろに娘が奥田の位牌を手にとって私に裏側を見せた。そこには奥田の名前と没年月日のほかに四文字の漢字が刻まれていた。 「朋我一如」 友と私はひとつなり。奥田の遺言で刻まれたものだそうだ。 それを目にした途端に奥田との思い出が走馬灯のように私の意識の中を駆け巡った。呉の海軍兵学校で桜舞い散るなか、互いに自己紹介をしたあの十六の春こと。厳しい訓練でくじけそうになりながらも励ましあった日々。仲間と酒保の配給を賭けて大勝ちして二人で大酒をくらい、泥酔して上官にぶん殴られた夜。実戦の中で互いに背中をあわせて敵弾から身をすくめたあの時。そして、奥田が艦を降りたときの最後の約束とあの青い青い空。 私は思い出の海を泳ぎながら、はたと気がついた。守り袋を渡したとき、私はすでに決意していたはずではなかったか。あの時に私は敏子を奥田に託したのだ。奥田が私に那智を託したように。そして友はその約束を忠実に果たしてくれた。奥田は私との約束を守ってくれたのだ。何を恨むことがあろうか。何を悔しがることがあろうか。まさしく「朋我一如」ではないか。 とめどなく涙があふれる。悶えるように泣きむせぶ私の姿をじっと見つめながら娘が続けた。 「母は北海道に戻りたかったようでした。ですが広島で被爆しているのではないかと親類から疎まれ、ふるさとを離れ遠い地での生活を余儀なくされたそうです」 そう語る娘にもはや逡巡する様子は無かった。娘が意を決したように私を見据えながら母のことを、敏子のことを語る。私を追い掛け広島へ行き、それが原因で故郷を追われることになった敏子。行き先も告げずにふるさとを遠く離れ、娘と必死に生きてきたのだろう。私に会えることを信じて。そこに奥田が現れたのだ。 「奥田様は私に最初に会ったとき、自分だけ生き残ってしまって申し訳ないと言いました」 私にはそう話す奥田の様子が目に浮かんだ。心底悔しく、恥ずかしかっただろう。そうだ。誰もが苦しみながら生きてきたのだ。自分だけが不幸だったわけではない。今更ながらそう思った。 「そして、母がいなくなったいま、貴方様に、お父さんに会うことができました。お父さんはいつも私たちのそばにいたのですよ。お父さんの人生は決して無為なものではなかったのですよ」 娘の目からいつしか涙が溢れていた。 「女中などといったのは、初めて見る父にどう接したらよいのか分からなかったからです。本当は娘であることを明かさないつもりでした。ですが、母の手紙を読んで涙する姿をみて、ああこの人はやっぱり父なのだと、母の愛した人なのだと思ったのです」 彼女はハンケチで涙を拭いながら、言葉を絞り出していた。きっと悩んだことだろう。いまさら会いに来る父親に何をどう話せばいいのか。他人を装うことで私を傷つけまいとしたのだろう。そのやさしさが沁みた。 「いいんだ。私だって娘がいるなんて聞いていたらきっと二の足を踏んでいただろう。あなたこそ迷惑だったろうね」 無意識に私は娘の手を取った。それは苦労が滲むかのように節くれた荒れた手だった。敏子と娘、そして奥田が歩んできた年月の重みを今更ながら感じた。 写真の中で親友が薄く笑っている。 「何も言うな。すべて分かっている」 そう話す友の声が聞こえたような気がした。それでも言葉を絞り出さずにはいられなかった。 「すまなかった。本当に、すまなかった。もう少し早くここに来られていれば」 私は娘の前で両手をついて精一杯突っ伏し、詫びた。 「いいんです。母は最後にこう言いました。お父さんもきっと私たちを捜しているはずだから、お母さんがいなくなってもあなたは待っていてあげてね、と。私は母と旦那様から本当のことを伝えるようにと託されたのです。いつもお父さんは私たちと一緒にいたんだと」 畳に額を擦りつけるようにしながら聞いた娘の声は、敏子の声そのものだった。私は顔を上げ、もう一度両手で娘の手を取り、ようやく言葉を絞り出した。 「よかった。私は生きていて本当によかった。あれから五十年、この日の為だけに生きてきたように思うよ。ありがとう、よく待っていてくれた。よく生まれてくれた。よくお母さんを支えてくれた。私にはちゃんと守るべきものがあったんだね。あいつは、奥田はしっかり守っていてくれたんだね。本当に、よかった」 涙で滲む娘の顔が、敏子の面影と重なる。 「やっと、お会いできましたね。お勤めご苦労様でした」 そう言ってくれた娘の声は、思い出の中の敏子の声と重なって私の心にいつまでも響いた。 ー 了 ー |
天祐
2011年05月16日(月) 01時33分24秒 公開 ■この作品の著作権は天祐さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.6 闇の吟遊詩人 評価:50点 ■2011-06-04 01:16 ID:Ee3yYWMigJ6 | |||||
戦艦・海戦の描写など「凄い。本当に勉強しているな」と感嘆しました。登場人物の心理描写・言動・手紙なども「美しい」と思いました。 「女中が言う旦那様とはもちろん私のことでは、無い」の後に「数日後、俺は救護所のベッドに横たわる奥田の隣にいた。奥田は一命を取り留めた。しかし、右肩と右足太ももの傷が深く、帰国したら船を下りることになっていた」を読んだ時点で「妻は奥田と再婚するな」と予想できました。 なので、「私と奥田の目の前にはいつの間にか真っ黒な海原が広がっていた」と「轟音に体が震える。敵艦隊からの砲弾が船体のすぐ傍をかすめて海面へと突き刺さる」をつなげて、「その後、私と奥田が生きて再会することはついに無かった」の後に「しばらく文机を見つめて過去を振り返っていた私の背中で、女中の声がした」の章を持ってくれば「再婚のネタバレ」を防ぐことができるかもしれません。こんな感じで「現在と過去が入れ替わる回数」をもう少し減らせるのではないでしょうか。 もっとも「女中が娘だった」ということまでは、私にも予想できませんでした。「女中が娘だった」を強調する場合、「再婚のネタバレ」があっても別に問題はないと思います。zooey さんの言う通り「二人への失望→妻の手紙と奥田の心遣い→喪失感→救済」という形が綺麗にまとまるからです。 ……これだけ「凄い小説を書ける」んですから「すいません」とか言う必要はないです。次回作も楽しみにしています。 |
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No.5 天祐 評価:--点 ■2011-05-22 21:57 ID:ArCJcwqQYRQ | |||||
>zooey様 もったいないお褒めのお言葉、ありがとうございます。 貴方との会話がなければ投稿するつもりがなかった作品です。丁寧な感想をいただき本当に感謝しております。再投稿してよかったなと思います。 これからも精進いたします。 今後ともよろしくお願いします。 ゆうすけ様 漢字の選び方、開き方は常に意識しているところです。細かいところに気づいていただけると大変励みになります。 嬉しい感想ありがとうございました。 今後ともよろしくお願いします。 羽田様 映像で浮かぶ文章が目標のひとつです。そう伝わったのでしたら大変うれしいです。 再投稿してみて、まだまだ描きたいところが見えてきました。今後も精進いたします。 ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。 Phys様 もったいない感想です。 奥田との絡みは初投稿時にはありませんでした。その後の改稿の中で読者の要望やアドバイスを受けて追加した設定です。 それがよかったというのはまさにTCが創ってくれた作品だということでしょう。 もっともっと精進いたします。 今後ともよろしくお願いします。 |
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No.4 Phys 評価:50点 ■2011-05-21 11:35 ID:YyqzxAWUfcw | |||||
拝読しました。 満点以外、付けようがありません。磨き抜かれた刀身、という比喩を以前にも 私は使ったかもしれませんが、無駄のない構成と、人の心に虚飾や嘘を交えず 誠実に描き切られた物語に、心震えました。大げさに言っているのではなく、 本当に目頭が熱くなる素晴らしい小説でした。 過去の作品を読んでいても、天祐さんの作品はいつでも「生き続けること」を 根幹に据えた物語であるような気がします。人が生き、互いに心を通わせる。 それはコミュニケーションの物語というべきでしょうか。 >私は奥田が那智を去って行くのを見ながら深い溜息を吐いた。それが安堵の溜息であることに気が付いて胸がざわついた >奥田が船を下りた時にこみ上げた安堵感はこの劣等感から解放されるという無意識の反応だったのだろうと気が付いた この呼応関係は、載置された場面からして、あるべき位置に収められていたと 思います。妻の遺した手紙から物語は転換し、奥田や妻を責める感情、生きる ことの無力感が変化する中間地点です。その中盤に差し掛かっても油断なく、 隙がありませんでした。(もう、読んでる私はこの辺で涙が止まらなくなって いたのですが…) 女中が○だった(ネタばれすみません…)、という憎らしい仕掛けにも、唸り ました。プロの小説家さんの作品に遜色がないくらい、よく練り込まれている なぁ、と思いました。 小説を読んで涙を流したのは久しぶりのことです。日常の中では感じられない 満たされた気持ちを頂きました。天祐さんの伝えたいものが私にも伝わったと 信じて、感動しました、と言わせて下さい。 また、読ませて下さい。 |
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No.3 羽田 評価:50点 ■2011-05-20 20:39 ID:pRHcQ9uo1pY | |||||
拝読させていただきました。 ああ、映画だ… と思いました。 素晴らしい映画。 胸の奥が揺さぶられるような映画を観たあとのような、そんな気持ちです。 読むことができて本当によかった。 ありがとうございました。 |
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No.2 ゆうすけ 評価:50点 ■2011-05-17 09:18 ID:1SHiiT1PETY | |||||
拝読させていただきました。 感動しました。主人公の心の動き、失望して泣き、そして感動していく様に心を揺さぶられました。 過去を語りながら少しづづ明らかになっていく過程も素晴らしく、その配分など圧倒的な技術力を感じました。細部に渡ってきっちりと描く天祐さんならではの見事な描写に圧倒されました。「熔」この漢字を使う事一つとっても、こだわりを感じます。なんだか映画を見ているように、情景を思い浮かべながら読みました。 自分の事をあとまわしにして仲間を思う、大和魂に感動です。 まだ読んでいない人が他にもいるかもしれません。消さないで残しておいて欲しいと思いますよ。 |
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No.1 zooey 評価:50点 ■2011-05-17 01:55 ID:qEFXZgFwvsc | |||||
読ませていただきました。 素晴らしいです。なんか、感想書くのが申し訳なくなってしまうほどでした。 でも、拙いですが、感想を書かせていただきます。 流れるように美しく、それでいて読み進めやすい文体でした。 映像や心情が読み進めるうちにぼんやりと浮き上がってくるようで、読めば読むほど面白かったです(面白いという表現は適切じゃない気もしますが)。 描写も丁寧で主人公の心の動きが自然に写しだされていました。 構成もすごいと思いました。 思い出は那智に乗艦するところから始まり、奥田と別れる場面が続き、その後に失意のまま二人を捜したが、結局「裏切られた」と感じている現在につながっていく。 そこで、二人への失望を感じた後で、妻の手紙と奥田の心遣いを知り、今度は「裏切られた」と感じた自分自身への失望へ変わり、同時に大きな喪失感を覚える。 で、最後に女中が娘だと知り、自分がすべてを失ったわけではないことを悟る、 時間の流れではなく、そういう主人公の心の流れに沿った構成をとっており、 それが本当にお上手だと感じました。 拙い感想ですみません。読めてよかったです。ありがとうございました。 |
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総レス数 6 合計 250点 |
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