ソフトクリーム泥棒
 陽の照りつける八月。夏休みに入った学生が、冷房の効いた部屋へ引きこもる季節が今年もやってきた。
 ただ、残念なことに我が家はリビングにしかエアコンが設置されていない。昨晩は冷蔵庫にアイスが入っていたおかげで、どうにか部屋に居座る暑さに打ち勝つことが出来たが、今日はそうもいかない。
 昼下がり。蝉の鳴き声と暑さから逃れようと、リビングへ移動したところで、その声は聞こえた。
「おい、お前……裕人この野郎。アイス食っただろ!」
「……は? 食ってない。俺が食べたのはソフトクリームだ。アイスじゃない」
 リビングへ入ると、そこでは双子の弟、裕穂と裕人が何やらいがみ合っていた。話の内容から、裕人が裕穂のソフトクリームを勝手に食べたらしい。中学生にもなって、よくもまぁこんな低レベルな喧嘩ができるものだと思わず感心してしまう。
 だが、食べ物の恨みは恐ろしい――それは、裕穂の鬼のような形相を見れば一目瞭然だった。アイス一つくらいでそこまで怒ることもないだろうに、平然とバラエティー番組を見て笑っている裕人を、今にも襲いかかりそうな勢いで睨みつけていた。だが、歯ぎしりまでして怒りをアピールする裕穂のことを加害者たる裕人は知らんぷりだ。
 自分の部屋よりもずっと、涼しい場所に来たはずなのに、部屋の空気は最悪なものとなっていた。
「おい、裕人……勝手に食ったっていうなら謝ったらどうだ……」
 呆れ半分で双子の弟を交互に見ながら俺は言う。すると、裕穂の怒りアピールを無視していた裕人は俺の言葉には反応を示した。「んー」と態とらしくも考える素振りを見せながら、営業マンさながらの笑顔で振り返ると、立ち上がり、何故かゴミ箱へ向かう。
 何をする気なのか。疑問に思っていると、裕人はゴミ箱の中から一つ、ゴミを俺に放り投げてきた。
「ほら、これ見てみてよ」
「……そふとくりーむ?」
「そう」
 放り投げられたゴミは、コンビニなんかで見かけるプラスチック製の入れ物に入ったソフトクリーム――その容器だった。
 これが裕穂を怒らせる原因となったものなのは先の話からすぐに理解出来たが、どうしてそれを見せられるのかと首を傾げる。
「これがどうしたんだよ」
「いや、よく見てみてよ。名前が書いてないでしょ?」
 ふざけるような素振りで裕人が口にした言葉。その一言に、部屋の空気が固まる。本気で言っているのか何なのか。どちらにせよ、今の一言で裕穂の抱える怒りが肥大したのは間違いない。
「まぁ、分かってもらえた? そういうことで、俺は悪くない訳だ。やっぱり、名前は書かないとね」
 何がどう悪くないのか。俺が胸中で大きく溜息を吐いていると、裕穂が無言のままに立ち上がった。一歩、二歩と歩き、俺と裕人の間で立ち止まる。
「それに――」
 裕人が続けて何かを口にしようとした。瞬間、裕人の顔面に向けて裕穂は拳を叩き込む。
 裕穂の怒る気持ちは分かる。そして殴りたくなる気持ちも、裕人の態度を見ていれば分からなくもない。食べ物の恨みは恐ろしい。裕穂の鬼のような形相を見たときにも考えた言葉を思い出す。ソフトクリーム一つでこうも人は怒れることを知った俺は今後の教訓にしようと肝に銘じる。
 本当は、こうなる前に止めたいところだったが、始まってしまったものは仕方ない。殴り合いに発展した以上、割って入りたくもなかった俺は、結局二人が落ち着くのを待つことにした。
 ――――……しばらく経って、決着のつかないまま二人の弟は床に伸びていた。ずっと涼みながら観察していた俺はというと、そろそろ身体が冷えて寒気がしていたりする。
 そろそろ二人の喧嘩を傍観しているのにも飽きてきた上、十分に涼んだ。落ち着いたであろう二人を置いて、俺は自分の部屋へ戻ろうと立ち上がった。
 すると、そこで裕穂に声を掛けられる。
 次は何をしでかすつもりだ。ドアノブに手を掛けたところで止められた俺は嫌な予感に不安を覚えながらも振り返る。すると、振り返った先では何故か二人は正座をしていた。疲れきった様子で床に伸びていたのは何だったのか。一見、お説教をされる子供の姿にも思えたが、顔は真面目そのもの。俺が立ち上がり、ドアノブに触れるまでの間に一体何があったというのか。
「これから、『結局どちらが悪いのか』ということを決めるため、裁判を行いたいと思います。では、裁判長。……まずは席にお着き下さい」
 裁判長――それは間違いなく、俺のことだろう。低レベルな喧嘩の次は、ごっこ遊びか。最近の中学生がますます分からなくなる。対応に困った俺が唸り声を上げていると、裕穂が右手を上げる。その合図に合わせて立ち上がった裕人がテーブルの椅子を一つ引き、「さぁ、どうぞ」とでも言いたげに視線を向ける。
 だが、座りたくない。身体が冷えてしまっているのも原因だろうが、不吉な寒気が背を駆けている。そうして徐々にリビングの外へ寄っていこうとする俺を見るに見かねたのか、椅子へ向かって裕穂が背中を押してくる。俺は躓きかけながらも椅子の前にまで押して行かれ、そのまま二人によって無理やり着席させられた。
 無理やり着席させられる裁判長の図。それはあまりにシュールだ。
「裁判長より、質問だ。……何がしたい」
 自分のことを裁判長と呼ぶ違和感に晒されながら、とりあえずは聞いてみる。ついさっきまで喧嘩をしていた二人が、突然静かになったかと思えばこれだ。本当はどうして裁判長と呼ばれているのかから聞いてやりたいところだが、そこは敢えて聞かないでおく。
 ……あまり話を長引かせると、それこそ風邪を引いてしまいそうだ。
 適当に事情を聞いて、適当に解決して、適当に終わらせる。考えをまとめ、早急にこのごっこ遊びを片付ける決意をした。
「そのことについては、俺から説明をしよう!」
 質問に、何故か天井を仰ぎながら張り切る裕穂。痛々しい弟を前に俺は沈黙する。
「知っての通り、俺と裕人はさっきまで喧嘩していたわけだ。しかし、殴り合ったところで決着がつくことはなかった。なら、何で決着をつけるべきか!? 俺も裕人も、あれだけやったんだ。お互いに『もうやめよう……』なんてなるはずもない! ということで、ここはどちらが悪いのかを中立の立場である兄貴……裁判長に決めてもらおうというわけさ!!」
 バラエティーの司会役を真似てか何なのか、妙な動きを添えて説明をしてくれる。よく分からないが、二人とも何やら役にハマっているのは分かった。
 まぁ、そういうことならと俺は裕人に指をさす。
「悪いのは裕人。お前で決まりだ」
 まさに判決を下すが如く俺はそれだけを告げる。だが、それに対して裕人は不服そうな顔をした。
「裁判長、異議あり!」
 案の定、裕人は異論を唱えようとテーブルを叩く。裁判長に楯突こうとは飛んだ怖いもの知らずもいたものだ。
「両方の話を一切聞かず、判決を下すなんて納得ができません!」
 ……んな、大げさな。そうは思いつつも、裕人の言ったことは正論。少々面倒ではあるが、早く切り上げるためにも互いの話を聞いてやった方が良さそうだ。
 俺はため息混じり二人を見据えると、それぞれの話を聞くことにした。
 まず、裕穂へ「今回の喧嘩、何が原因か」と尋ねる。
「俺が冷蔵庫に入れていたアイス……いや、ソフトクリームを裕人の奴が勝手に食べたんだ」
 裕穂は俺も知っていることをそのまま口にした。これは、リビングへ入るときに聞こえた怒鳴り声からも明白だ。要は、裕人が裕穂の買っていたソフトクリームを食べたということで……これに間違いは無さそうだ。
 それに対して、裕人の話はこうだ。
「冷蔵庫に入ってたソフトクリームは食べた。けど、あれは俺のだ。昨日買ってきて、冷蔵庫の奥に隠してたのを出して食べたんだからな」
 ……これは初耳だ。「嘘をつくな!」と裕穂が怒鳴るが、それに反論するように珍しく裕人が怒鳴った。
「それに――って、言う前に裕穂が殴ってきたんだろ?」
 確かに、何かを口にしようとした直後には裕穂の拳が顔に埋まっていた。あのときの「それに」はそういうことだったのかと今更になって気付く。裕人の方も、この話には飽きてきているらしく、どこか面倒臭そうになっている。今更、嘘を付くような必要もない。
 とはいえ、裕人が嘘をついていないということなら、本当のところはどうなのか。
 裕穂が買ってきていたソフトクリームは一体、誰が食べたんだ――?
 話を聞いている限りでは、裕穂と裕人はそれぞれで買って来ていたことになる。顎に手を当てながら考える俺は、一つの疑問を裕穂へぶつける。
「そういや、裕穂。お前、どんなアイス買って来てたんだ?」
 俺が尋ねると、裕穂は無言でゴミ箱の中に手を突っ込み、裕人が俺に見せたものと同じソフトクリームの容器を突き出した。
 裕人に見せられたときにも思ったが、それは間違いなく昨晩暑さから俺を救ってくれた恩人の亡骸そのものだった。パッケージの色、容器のデザイン……間違いない。昨日、俺が食べた物と同じだ。
 恐らく、裕穂の買ってきたソフトクリームの容器は俺の部屋のゴミ箱に……。
「……なるほど。二人とも、喜べ。謎は解けた」
 いつの間にか裁判長から探偵へ。どういうことか、と言いたげに見つめてくる二つの視線が今は痛い。昨晩、暑さを凌ぐために食べたソフトクリーム。それが裕穂ので、それを原因に真昼間から喧嘩になっていたとは。
 まさに驚愕の事実がそこにはあった。まさか犯人が自分だとも思わなかった俺は静かに頭を下げ、次の瞬間にはリビングを飛び出して二人に言った。
「お前ら、覚えとけ……。裁判長が犯人な場合だってあるってことをな」
 呆然とする弟たちに背を向け、颯爽と焼けたアスファルトの上に躍り出た俺は、二人のソフトクリームを買うためコンビニへ走った。
アマツリ
2011年04月15日(金) 19時20分06秒 公開
■この作品の著作権はアマツリさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 とある企画にて書かせてもらった作品です。

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No.2  イチコ  評価:30点  ■2011-05-09 15:48  ID:zoaOycARDp6
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本当に夏にありそうなお話ですね。
最後の、コンビニへ走る姿がなんだか可愛らしくて良かったです。
No.1  キットキャット  評価:20点  ■2011-04-16 23:37  ID:heA3e64V7ZQ
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「なるほど、そういうことか」というお話です。途中でネタばれしちゃったような。でも、ほのぼのして面白かったですよ。
総レス数 2  合計 50

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