白日夢 |
1 その日目覚めると戸塚孝之の身体の中に音叉から発生されるような、奇妙に反響する金属的な音が響いた。これまでの孝之の人生においてこの音は非常に重要な役割を果たしてきた。それはこの音が何かの予兆になっているということだった。非現実的かもしれないが、事実彼が中学生の頃この音が響いたときには、父の則之が宝くじで千万円という大金を当て、高校生の頃に鳴ったときには悲しいかな彼の祖父が自殺するという事件が起きてしまったのだ。出来事の良し悪しは別として、この音が鳴ったときは彼の身かあるいは彼の親しい人に何かが起こるのであった。 しかしこの金属音が鳴ったからといって、孝之には変えようもない運命的な事象を変えることは不可能であり、彼はただ自分の身の回りで起きることを受け流すくらいしか出来ないのだ。とは言っても彼の平凡な人生でこの音が鳴ったのはこの二回だけであった。何せあまりに特筆すべき点がないこの戸塚孝之という男は、本当に何の起伏もないような人生を送ってきたというより、彼自身それを望んで人生を送っていたので、自分から何かを引き起こすということはない。だからこそ彼は身構え同時に諦めもしていた。彼としては天災に充分に備えるとかそういったものではなく、まあとりあえず構えぐらいはしておくかくらいの気持ちなのだが。 今日一日孝之の気分は沈んでいた。何せ朝からこの音が鳴ってしまったからだ。確かに何か起こるかもしれないなか一日を過ごすというのはストレスになろうが、何もそこまで落ち込まなくてはと思う程に彼は落ち込んでいた。いつもは耳に入るはずの大学の講義も耳に入らず、友人と談笑していても心ここにあらずと言う感じだった。いつも出席するはずのゼミ、サークルも欠席した。欠席とは言ってもどちらも自由参加で孝之はそのどちらにもほとんど出席していなかったのだが。 しかしそのように落ち込んではいたものの結局空が朱色に染める頃になっても、夜になっても彼の身に何かが起こる、また彼の親族に何かが起こるということはなく、今日という一日は平穏無事に終わった。 彼は今日ほど平和と言う物に感謝したことはなかった。そして彼は思う。このような日常を過ごせるというのはある意味奇跡的なのではないか、というよりこの日本と言う世界一治安が良い国に生まれたことが何か奇跡的なことではないかと。そう思うと彼の感謝の念は一層強くなった。何せこの当たり前の一日を、紛争等で未だ争いを続けている国の人々は怯えて過ごしているのだし、貧富の格差が大きい国では貧民層の人々はその日食う物を手に入れることに必死になり正に生きるか死ぬかの生活を送っているなか、自分一人というより多くの日本国民が平和を味わうことが出来るのだと思うと一入だった。 彼の心は満たされそのままカーテンを閉め眠りに就いた。 孝之が目を開けるとそこには白く異質な空間が広がっていた。普通の人間ならば目の前に広がるこの非現実的空間に疑問を抱くが、孝之は今自分が夢の中にいるのだと即座に分かった。何故そうまでして瞬時に思考が働いたのかは彼自身分からなかったが、おそらくこの時彼の中で第六感のようなものが強力に働いたのであろう、とにかく彼はここが夢であると理解していた。 しかし何だろうと思う。今までこんな奇妙な夢を見たことがあっただろうか、そして自分が夢の中にいるとこうまではっきりと理解したことがあっただろうかと。いやなかった。この出来事は彼の人生で初めてのことであった。もしかしたらと思う。音はこの奇妙な夢を報せたのではないかと。しかしとも思う。確かに不思議な夢ではあるがこんな物を見たところで周囲の人間どころか、自分にすら一切影響を与えない。これが一体どうしたというのだろうと。音はこんな夢を報せたのではない、きっともっと重大な何かを報せたのだと。 色々と考えても仕方がないので、とりあえず彼はこの空間内を歩いていみることにした。 一体どれくらい歩いたのであろう、いつまでたっても白が続くだけであった。白一色、一切の汚れがない完璧な白はどこか数学的な美しさがあった。最初この空間にいることに彼は巨大な孤独感や恐怖感を感じていたのだが、しかしこうしてぼうっと見渡してみると何だか非常に心地良くなっていた。誰からも干渉されないこの完璧に孤立した異空間はここを安住の地にしても良いのではないか、と感じさせるほどに奇妙な魅力を持っていた。 そんなことを考えていると突然目の前が真っ暗になった。 目覚まし時計のけたたましく耳障りな音が彼の耳をつんざいた。彼の心には失望しかなかった。あの夢はもう終わってしまったのかと、あんなに心地良い夢があんなにも短い時間で終了してしまったのかと。夢の中ではほんの数十分しか経っていないように感じたのに、現実では何時間も経っていたのかと。孝之はこのときほど人間の体感時間という物を恨めしいと思ったことはなかった。快楽を感じる時間こそ体感的に長くなればいいのにと。しかしそうはいかないのが人間の不都合な点である。 孝之がカーテンを開けると空は濃い灰色の雲に覆われていた。今にも雨が降りそうな天気だった。それを見て彼の心も曇っていくのだった。 大学の講義というものは高校のそれとは違いかなり難度の高いものであり、特に孝之の通うS大学の偏差値は相当高く、講義内容も一般の大学よりも数段上だった。そのハイレベルな講義にいつもは熱心に耳を傾け、内容を脳に叩き込み、自身の血肉としていたのだが、今日はそれどころではなかった。彼の心は未だにあの白い空間にあった。それほどまでにあの夢は孝之にとっては魅力的であったのだ。早くあの夢を見たいという思いしか今の彼にはなかった。 しかし一体あの夢は何だったのだろう。第一今まであんな夢を見たことがないというより、夢の中にいるのだと理解できる夢を見たのは初めてだった。その感覚が何よりも彼の心を掴んだ。もしかしたら、あのままいたら俺はあの空間を思い通りに操ることが出来たかもしれない。そんな今まで彼が経験したことがない、物事について圧倒的な理解を得ることが出来たという知的な喜びと、何かを完全に操ることが出来るかもしれないという支配的な喜びとが混じり合い、それが彼の心を掴んでいたのだ。 講義が中盤に差し掛かった頃ドアを開け静かに入ってくる者がいた。孝之の彼女、友永栄子だった。彼女は講義に遅れたというのに悪びれるでもなく優雅に周囲を見渡し、孝之の姿を見つけると彼の隣に座った。彼女のことを咎める者は誰もいなかった、というよりこの広い大講堂でいちいち他人の遅刻など気にしてられないし、それにそんな阿呆にかかずらわっている暇がないというのが講義を真剣に聴いている学生諸君及び講義をしている教授の本音であった。本来栄子には講義を受ける権利などないのだが、皆面倒臭いので栄子が講義を受けるというのを黙認しているのだ。 現実と空想の間を漂っていた孝之は、栄子の悪戯好きな子供のような無邪気な顔を見てようやく現実に戻ったのだった。 「どうしたの。ぼおっとして。珍しいじゃん」 「別に。ちょっとうとうとしてたんだよ」 「寝不足? ちゃんと寝た方がいいよ」 「レポートやってたんだよ」 「真面目だね」 「お前が不真面目なだけだろ」 そうおちゃらけている栄子だが孝之は彼女がずば抜けて成績が良いことを知っていたし、お調子者のようで実はとても努力家で裏で熱心に勉学に励んでいるのを知っている。女性はよく男性を好きになる条件として「ギャップ」というものを挙げるが、孝之は正にそれだった。彼女のあどけなさを残してきたような少女のような、それでいて大人の女性としての知的さも表われている端正な容姿以上にそこに魅かれたのだった。そして栄子の方も孝之の魅力的な容姿に惚れたというより、無理に自分という物を作ることなく、常に自然体でいる彼のその内面に魅かれたのだ。 「ノート見せてくれない?」 「悪いちょっと寝てたから何も書いてないんだ」 「本当に珍しいじゃん。講義中に寝るなんて」 「そういう日もあるんだよ」 「まあいいや。他の人に見せてもらえば」 孝之は昨日見た夢のことを栄子に話そうかどうか迷っていた。別に話そうが、話すまいがどうでもいいことのように思われるが、彼にとってあの夢は自分一人で独占したいものであった。他人に話したら何か崩れてしまい、もう二度とあの夢を見れなくなるのではないかと、しかしこの喜びを誰かに話したくて疼いているというのもまた事実だった。 「今日さ、変な夢見たんだよね」 「どんな夢」 「前『2001年宇宙の旅』を一緒に観たろ。あれのラストに出てくる真っ白な部屋にいる夢。ただ映画の部屋と違って何もないの。本当にただ白いだけ」 「でもそういう夢ってけっこうな人が見るんじゃない。私もそれに近いようなの見たことあるよ」 「そうかもしれないけどさ、この夢は何が凄いかって、ここが夢だって分かったことなんだよ」 「どういうこと」 「夢見てても俺は今夢を見ているって分からないだろ。でもさ分かったんだよ。夢の中にいるって。完璧に」 「本当に。凄いじゃん。それ見た時どんな感じだった」 「何だろう、一瞬で全部分かったっていうのかな。それに何か心地良いんだよ」 「羨ましいな。私もそんなの見てみたいよ」 「多分無理だろうな」 「大丈夫よ。私頭良いし」 「関係ないだろ」 結局栄子に話してしまった孝之だったがむしろこれで良かったのだと思った。変に独占するよりこうして話して恋人と盛り上がれる方が有意義であるし、それに何よりこの喜びを他人に不器用ではあるものの言葉を使い伝えることが出来たのは何よりも嬉しいことだった。そもそもだ独占などして何になるというのだろう。 その日孝之は夢を見た。しかしあの白い部屋ではなく何の意味もないような前衛芸術的な映像が続いていくだけの、奇妙としか言いようがないものだった。孝之はその夢を見ているだけで、自分が夢の中にいる、これが夢なのだと自覚することは出来なかった。 自分の見た夢は一体何なのだろう、そもそも夢という物は一体何なのであろうと疑問に思い孝之は書籍やネット等で調べてみることにした。 そもそも夢という物自体が未だ完璧には解明されていない曖昧なもので、夢というのは睡眠中に脳が記憶の整理を行っている最中に現れるバグのようなもので特別な意味などないのだという説もあるし、自身に起こった出来事、また自分でも気付かない事象を抽象的に表現しているという説もあった。いずれにせよ夢という物が一種の神秘性を持っているということは確かだった。 そして孝之の見た夢はその夢の中でも特殊な部類に入る「明晰夢」というものだと分かった。この夢は自分が夢の中にいるというのが理解出来るだけでなく、自分の思い通りに操ることが出来るのだという。(そもそも夢が自分の脳内で生み出されたものなのだから、自分の思い通りに出来ないはずがなかろうという意見もあるのだが) そして孝之の見た「明晰夢」なる物は寝ているにも関わらず脳が夢を見ているとき以上に覚醒しているときに見るのだということだ。まだはっきりとしたことは分かっていないらしいが、それでもこの夢が夢以上に夢らしく、また神秘的なヴェールに包まれているものだということは分かった。そして調べていく内にこの明晰夢を見る、見ると言っても必ず見れるようになるわけではないのだが、訓練することにより高い頻度で見ることが出来るようになるのだと分かった。この夢を見るには、一つに自分の体調を万全に整え睡眠に就くことが必要不可欠であるというのだ。しかしこれはどうなのだろうと思う。あの日孝之の調子は万全ではなかった。というより何かが起こるかもしれないという不安で精神的なコンディションはむしろ最悪に近いものだったのだから。こんなことより重要な鍵となるような条件があるのではないか。そう思い調べ分かったのが「夢日記」を書くというものだった。自分の見た夢を詳細に書き、そのことにより夢という非現実的な物をよりリアルにするのだという。孝之はこれこそ明晰夢を見る最良の条件なのではないかと思う。多くの書物に書かれたこの方法は確かに現実的であるし、オカルト的な要素が排除してあり(そもそも夢というもの幾らかオカルト的な要素を含んでいるので、夢からオカルト的、超心理学的要素を排除するというのは少し変なことであると思われるが)具体的だったからだ。 早速この夢日記を書こうと思った矢先、また孝之の身体にあの音が鳴り響いた。ぽおんという鐘の音を軟くしたようなあの金属音が。 予感がした。もしかしたらまた明晰夢を見れるかもしれないという淡い期待が。 その日また彼は夢を見た。あの白い異空間の夢だ。彼は歓喜した。それと同時にやはりあの音は今までとは異なり、この夢を見る日に鳴るのではないかという疑念が確信に変わりつつあった。 彼はここが夢の中であるとはっきりと理解していると同時に、明晰夢の持つ自分の思い通りに出来るという特性を思い出した。 そこで彼は白い空間に正反対の黒色の巨大なスクリーンを思い浮かべる。すると瞬時にして目の前にスクリーンが現れた。何ということだろう! これが明晰夢の力なのか! そして次に彼は羽毛で出来た高級ソファに腰掛けているところを想像した。すると次の瞬間には彼は極上の肌触りのソファに優雅に座り、スクリーンと向かい合っているのだった。 あれやこれやと彼は想像する。喉が渇いた水が飲みたい。とびきり美味い水を。腹が空いた。この世のものとは思えないくらいに美味い物を食いたい。出来るなら牛肉が良い、次々に妄想し彼は自分の欲求を満たしていった。果たしてこんなことがあっても良いのだろうか。夢の中とはいえ全てが、というより世界そのものを構築、改造、消去することが出来て、自分の欲求を余すことなく満たすことが出来る。ここは人間の思い描く限りの最高の理想郷ではないか。そう思い彼が分厚いステーキを租借していると突然目の前が真っ暗になった。夢の終わりだった。 孝之は未だかつて感じたことがないほどの最高の目覚めを感じていた。しかし所詮は夢の中の出来事であり、決して現実にはならないのだなと思うと少し残念という気持ちもあった。しかしそれ以上に幸福の方が大きかった。僅かな時間とはいえ俺は絶頂と言えるまでの快感を味わってしまったのだ。なんて、なんて幸せなのだろう! カーテンを開けなくても陽光が隙間から入って来た。空気を換気するため窓を開けると、彼の目に目が痛くなるほどに眩しい太陽光と、春だというのに初夏の来訪を予感させる透明なブルーが飛び込んできた。 2 あの夢を見てから数週間が経っていたのだが、あの日以来孝之が明晰夢を見るということはなかった。日々見た夢の詳細を丁寧に書き込み、体調も一応は整えたのにだ。やはり快楽というものはそう簡単に得ることは出来ないものだなという思いと同時に、苛立ちも募っていた。早くあの夢を見たい、こんなにも自分はやっているのに何故見れないのだと。むしろ日を増すごとにその思いが強まっていった。人間の欲とは何と悲しいものだろう、冷静な孝之でさえ自分が心の底から望むものが手に入らないと、こうまで焦りや苛立ちを覚えてしまうのだから。 しかしこの夢を見れないというのは彼にとって一つ利点を生んだ。それは友人が増えたということだった。この夢を見れない苛立ちを解消するために彼は普段あまり出席しないゼミやサークルに出席してみたのだが、あまり気の合わない人とでも熱心に会話をするというのは、普段あまり他人と会話をしない孝之にとって非常に知的好奇心を満たされる経験になった。人によってこんなにも見方が違うのか、こんな角度からの見解もあるのか、一つのことについて様々な見解を得ることが出来それを自分の脳内でまとめ血肉としていく、これは何よりも面白いことだった。そして何故自分は今までこんな面白いことをしなかったのだろうかと。別に孝之は人嫌いというわけでも、周囲を内心で侮辱しているような傲慢な精神の持ち主でもなかったのだが、もしかしたら自分の意見は真っ向から叩き潰されてしまうという恐怖感から本当に親しくなったり、気の合ったりする、例えば栄子のような人物以外とは接していなかったのだが、こうして多くの他人と会話をするというのは大袈裟な表現をしてしまうようだが彼にとってはスリリングであり楽しいものであった。 確かに明晰夢も相当魅力的なのだが、今の彼は他人と触れ合うという喜びも感じていたので日々募る苛立ちは徐々に消失していった。 このように何を契機にして人間というものは進歩するか分からないものである。 「最近サークルにもゼミにもちゃんと出てるじゃん。どうしたの。何かあった」 多くの学生で賑わう食堂でいつものように悪戯っぽい笑みを浮かべながら栄子は聞いた。 「春になったから」 「何だよそれ」 そう笑い合う二人の関係は第三者の目から見たらとても親密なものになっているように見えた。 というのも孝之は無口であまり喋らず、それに対して楽しげな栄子は何か必死になっているという印象を周囲に与えており、何と不釣り合いな二人なのだろうと思われていたからだ。外見的なことを言えば、周囲が羨むような美男美女の二人だったのだが、内面的な物で言うとあまり魅力的なものには見えていなかったのだ。栄子に、あんな退屈な男とは早く別れたら、とアドバイスする者もいたのだが栄子は軽く受け流していた。周囲には必死に見えても、栄子にとって孝之と会話をするのは苦でも何でもなく、むしろその喋りが原因で周囲から敬遠されがちだった栄子にとって、自分の話をこうも真剣に嫌な顔一つせず聞いてくれるというのはとても喜ばしいことだったのだ。孝之も栄子の滲み出るような明るさに癒しを得ていたのでこの二人は正に相性ぴったりというわけである。 それが最近孝之が活発になり、自ら積極的に会話もするようになりこの二人の関係は益々温まっていただけのことなのだ。 「そういえばさ、あの夢まだ見るの?」 「いやもう見ないよ」 「そうなんだ。あれさあの時言わなかったんだけど、明晰夢って言って自分で夢の中を思い通りに操れちゃう凄い夢だったんだよ」 「知ってるよ。それに一回操ったし」 「本当に。羨ましいなあ。私も見てみたいな。ね、どうやって見たの。教えてよ」 「教えてって言われてもなあ。俺も本当急に見たんだよ。別に特別な何かをやったってわけじゃないよ」 「本当に」 「本当だよ。ただあれ見た後また見たいなあ、って思って色々試してはいるんだけど、駄目だよ。そう都合良くは見れないみたい」 「そう簡単にはいかないんだね」 「そういうもんだろ」 「それもそうだね」 昼ご飯を食べ終わり、椅子から立ち上がった正にその瞬間だった。孝之の中にあの音が響いたのだ。夢の到来を告げる福音が。前までは酷く鬱陶しかったその音は今では幸福の響きに変わっていた。 彼は歓喜した。一瞬あまりの嬉しさと、唐突にやってきた予兆に驚き、彼は少しの間宙を眺めていたのだが、食堂を満たす騒音と栄子の「どうしたの?」という一言で我に帰った。 「いや何でもない。ちょっと変な虫がいたから見てたんだ」 「あ、そう。蠅か何かかな」 二人は食堂を後にした。自然と孝之の足取りは軽くなった。 孝之は以前まで大人数で行うようなそれなりの規模の飲み会には参加せず、というより飲み会自体に積極的に参加していなかったのだが、今日は参加した。新人歓迎会という名目で行われる義務感からではなく、わいわいと楽しい時間を過ごしたいという思いからだった。 その顔ぶれを見て孝之は驚いていた。普段見ないような学生までもが来ていたからだ。本当にこんな人いたっけというような学生までもがここぞとばかりに集って来た。 そこで酒を飲み楽しく談笑していると一人の男が孝之に絡んできた。明らかに酔っていると分かるその軽薄という言葉を具現化したような男の口元には普段からそういう笑みになるのか、それとも酔いのせいなのかは判別がつかなかったが、何か悪意のような物を含んでいるような気がした。それを見て孝之は何か嫌な予感がしたのだが、その軽薄男は小動物を捉える肉食獣のように強引に彼に近付き、その酒臭い息を浴びせ会話というより一方的に話しかけてきた。 孝之の周りにいた女子学生は「もう先輩、酔ってるじゃないですか」「あっちいってください」等とまた彼女等も酔っているのだろう、冗談交じりに言ってきたが、軽薄男名を滝川というのだが、はそれをばねにし益々積極的になっていた。 「なあお前さ、ここあんまり出てなかったよな」 「そうですね」 「どうしちゃったの? 楽しくなった?」 「はい。まあそんなところです」 「よかった、よかった。楽しけりゃいいよ」 酒気と居酒屋の様々な料理とが口や胃の中で混じり合っているのだろう、滝川の口からは臭く粘っこい息が口を開く度に漏れていたし、その口調も息同様他人に不愉快に絡みつく粘度を持っていた。 「まあね、嬉しいよ。消極的な奴がこうして楽しげになるってのは」 「ありがとうございます」 「そうだ、名前は」 「戸塚って言います」 「あ、そう戸塚。まあもう戸塚ちゃんでいいや。な戸塚ちゃん」 「そうですね。それがいいと思います」 適当にあしらっていた孝之だったが、滝川はそんなもの我関せずというか全く気付いていないようで、ひたすらに絡んできた。内心孝之はいらついていたのだが、飲み会という席でのことでこのような人が出るのは予想はしていたし、最初は別にいいかとも思っていたのだが、まさか自分に絡んでくるとは、酔っ払いというものがこんなに鬱陶しいものなのかとこの時孝之は初めて知ったのであった。 「こんなどうでもいいこと話しにきたんじゃないんだ。ああ、そうだ。君さ女の子と付き合ってる?」 「え、はいまあ」 「うん、まあ知ってるんだけどさ。綺麗だよね彼女。栄子ちゃんだっけ」 「はあ、ありがとうございます」 「いいよな。あんな彼女俺も欲しいよな」 「先輩にはいないんですか」 「何? 喧嘩売ってんの」 「いやそういうわけじゃ」 「ごめん、ごめん、冗談だよ。冗談」 そう茶化してはいたが、「何? 喧嘩売ってんの」という言葉には張り詰めた緊迫感というのだろうか、少し怒りのような物が混じっていた。 「いいよな。でもさ、何で君みたいなのが栄子ちゃんと付き合えたわけ」 「え、さあ」 「だって君みたいな退屈な男より、俺みたいに話の上手い奴の方がモテないとおかしいわけじゃない。いや実際モテてるんだけどさ。だけどさ寄ってくるのはブスばっかでさ」 そう言い終わる前に周囲の女子学生からは「えー、先輩ひどーい」「そんな風に思ってたんですかー」等といった耳障りな甲高い声が入ってきた。それに対して滝川は「違うよ。君たちのことじゃないよ。皆可愛いよ」と言っていたのだが、孝之は見逃さなかった。女子学生達の方から自分の方に振り返るときに、彼女等を睨み、彼女等には聞こえないように小さく舌打ちしているのを。 「ああごめん。でさあんな綺麗な子は寄ってこないわけよ。本当不思議な事ってあるよな。俺みたいなところに栄子ちゃんレベルの女の子が来なくて、君みたいな退屈極まりない奴のところに寄っちゃうんだから。本当ふざけるなって感じだよ。なあ!」 「は、はい」 するとそこにやってきたのは栄子だった。栄子も結構な量のアルコールを摂取していたはずなのだが、滝川とは違いけろりとしていた。 「どうしたんですか」 「お、栄子ちゃん。君のことで話してたんだよ。栄子ちゃん綺麗だよなってさ」 「やめて下さいよー。そんなこと言って」 「本当だよ。なあ戸塚ちゃん」 「え、はい」 「ねえ栄子ちゃんさ、おっぱい触らしてよ」 「嫌ですよ。もう酔いすぎですよ」 「いいじゃん。ちょっとだけ」 そう言うと滝川は栄子に無理矢理近付いた。当然栄子は嫌がり抵抗したのだが、それでもなお滝川は近付く。周囲の人間も状況から目を逸らしたり、止めようと入りにしようとしていた。 遂にその手が栄子の胸と太股に伸び下品に撫で廻すと同時に、真っ先に孝之は立ち上がり滝川の事を殴り飛ばしていた。孝之の心は今怒りに満ち満ちていた。自分が不愉快になるだけならよいのだが、愛する彼女にこのような屈辱を与えるとは何事だろうか! 目の前にいる滝川という下品な男をこれでもかというくらいに打ちのめしてやりたかった。すると傍にいた大柄な男が滝川と孝之のことを押さえつけた。「お前何やってんだ!」というその声で滝川も目が覚めたのだろうか深刻そうな顔をしていた。しかしその顔を見せたのは僅かな時間ですぐに孝之と栄子を睨み罵ってきた。 それをきっかけに飲みの場は白けてしまった。 夜道を栄子と歩いている間孝之は今日の出来事が頭から離れなかった。周囲の人間は二人の事を気遣ったり、懸命に慰めたりしてくれたのだが、それでもなお彼の滝川に対する怒りは治まらなかった。 公衆の面前で愛する者を凌辱されそうになった屈辱は孝之の心に深く残ったし、栄子の心にも深い傷を与えていた。 孝之は滝川の事を殺してやりたいとさえ思っていた。一歩一歩歩く度に、そして悲しそうな栄子の顔を見る度に滝川に対する殺意は肥大化していった。 「ごめんね、私のせいで」 「何でだよ。あいつが悪いんだろ」 「でも」 「謝るなよ」 無論栄子は悪くないし、孝之にも何ら非はない。全てはあの滝川という糞忌々しい屑のせいなのだが、こうして栄子に悲しげな顔で謝罪されると孝之は途端に自分にも非があるのではないかと思うようになった。あんなのに絡まれる前にもっと違う場所で仲の良い友人と談笑していればよかった、始めからあの男を打ちのめしていれば、栄子を近づけさせなければ、そもそもこんな場に参加するべきではなかった、そんなifが次々と浮かび、殺意と共に彼の心に深い後悔も湧いてきた。 しかし何故だろう。何故あんな屑のせいでこの二人がこんなにも傷つかなければいけないのだろうか。何と不条理なことなのだろうか。一種の天災のようなものだと思えばいいのだが、しかし天災とは違い滝川には明らかに栄子を犯してやろうという悪意があり、そこが天災とは決定的に異なるところだ。だからこそ孝之は今にも爆発しそうだった。それを何とか抑えようとしているのだが、どうにも治まりそうになかった。この怒りを一体どうしてくれよう。 「家まで来てくれてありがとね」 「いいんだよ。別に」 「本当にごめんね。嫌な思いさせちゃって」 「だから謝るなよ。お前も俺も何も悪くないんだよ」 「でもあんな風に近付かなければ」 「全部あいつが悪いんだよ」 「でも」 「いいから」 そう言って栄子を部屋に入れようとすると栄子が呼び止めた。 「今日一緒にいよう」 「いいよ」 そう言って二人は栄子の部屋へと入っていった。 久しぶりに入る栄子の部屋は整頓されていて、相変わらず女らしさのようなものがないなと孝之は思う。 「お風呂入る?」 「いやいいよ。栄子先入っていいよ」 「いいよ私が後で」 そういって彼女は私服のままテレビを見始めた。 風呂から出ると栄子は私服のままベッドで眠っていた。その顔には目に見えるほどに疲労が浮かび、孝之は益々滝川という存在を憎むようになった。自分の恋人をこんなにまでしたあの滝川という男を一体どんな目に合わせてやろうか。 床に横になっても孝之は精神が興奮しているせいかなかなか寝付くことが出来なかった。しかし全てを忘れようと水を二杯程飲むと急に落ち着きを取り戻し、やがて静かに夢の世界へと入っていった。 孝之は白い部屋に来ていた。これで彼はあの音がやはり夢を見ることの予兆なのだと確信する。今までは何かの予兆として鳴り響いていたが、今は違うのだと。あの音はこの夢のために存在するのだと。 その無機質で機械的な白を見ていると孝之は、このまま自分はこの夢の中にすうっと溶けてしまうのではないか、という感覚が以前にもまして強くなっていた。 そうだ、と思い出す。この夢は俺の思い通りに出来るのだ、だったら夢の中であいつをあの憎き滝川を殺してしまおうと、そんな恐ろしい考えが孝之に芽生えていた。しかし、夢の中とはいえ他人を殺すのには抵抗があった。だがどうせ夢なのだし別に問題はないのではないか、むしろ夢の中でそういった欲求を爆発させる方がよほど健全ではないかと自分を納得させた。 孝之は思い描く、自分が滝川を殺す姿を。そうすると彼の目の前にドアが出てきた。そのドアは白い空間に不釣り合いなほどにしっかりとした木材で出来ており、そのアンバランスな感じが逆に夢にリアリティを持たせていた。 彼が扉を開くと目の前に広がるのは様々な雑誌や衣服が散らばっているいかにも一人暮らしのがさつな男といった感じの部屋だった。もしかしたらここは本当に滝川の部屋なのではないかとも孝之は思ったが、いや違う、これは自分が滝川という男がこんな部屋に住んでいると想像したからこのようになったのだ。にしても目の前に広がる言いようのないリアルは孝之に少なからずとも緊張感を与えていた。 静かに部屋を歩くと部屋の中央にだらしなく寝ている滝川の姿があった。あの憎い滝川が目の前に、しかも反省の色など全く見せずに呑気に眠りこけているとは、そう思うと先程まであった抵抗感はなくなりこの男を殺してしまおうという欲求の方が勝っていた。気付くと彼の手には金属製の太い棒が握られていた。そうだ俺は今からこの男を叩きのめすのだ。この棒を使って徹底的にこの男を破壊するのだと。 そして孝之は棒を振り上げ思い切り滝川の頭蓋に強烈な一撃を食らわしていた。 ごつりという鈍い音が部屋中に響き渡った。孝之の手には何か重さのようなものがはっきりと残っていた。そうして殴り殴り殴り続けやがて滝川の顔は潰れ果ててしまい、最早誰なのか全く分からなくなっていた。 夢の中なのに恐ろしくリアルな感触、人をこの手で殺めたという現実が彼のなかに冷たい重りとなって圧し掛かってきた。しかしだいくらリアルだろうと所詮これは夢なのだ。罪に問われることはないし、誰に責められることもない。そう思うと人を殺したという絶望感や後悔よりも安堵が生まれた。 彼が顔を上げると周りの白はぽろぽろと崩れ、周囲はまた黒い小宇宙と化すのだった。 人間はあまりに衝撃的な出来事に直面すると思考は止まり、結果言葉を一時的に失い、その体内には呆然という二文字しか残らないものだが、そのときの孝之と栄子の状態は正にそれだった。孝之は祖父が自殺をしたときよりも遥かに大きなショックを受けていた。 その報せを知ったのはサークルの友人貝原の口にからだった。 最初孝之は耳を疑った。もしかしたらまだ自分は夢を見ているのではないかと疑いもしたが、目の前に広がる光景、耳に入る言葉は確かに現実だった。 滝川の葬儀場には親族、高校大学の友人と多くの人達が集まっていた。 読経が響くホール内は厳かな空気に包まれており、涙を流しているものまでいた。 孝之は内心気が気ではなかった。死因は急性アルコール中毒とのことだったが、もしかしたら自分が夢で殺したからこうして現実でも死んでしまったのではないか、もしかしたら自分は何かの罪に問われるのではないだろうか、一人の人間の死を悲しむ余裕など今の孝之にはなかった。というより孝之にとっては滝川という男は憎悪の対象でしかないので、悲しむ気持ちなど毛頭なかった。しかし滝川の両親と思われる老夫婦の涙を見ると、あああんな軽薄な人間とはいえちゃんと涙を流してくれる人がいるのだな、そしてもしかしたら俺はそんな人間の命を奪ってしまったのだ、何ということなのだろう、どう詫びたらいいのだろうという謝罪と深い後悔の気持ちが湧いてきた。焼香の番が回って来て彼は他の人以上に滝川の両親に深く深く頭を下げた。 事件性は全くないのだが、孝之は形式的な質問を警察から受けた。しかし警察の方も別段責めるつもりなどはないようで、むしろ孝之に同情してくれるような節があった。サークルの友人らも孝之に同情してくれた。 孝之は警察の人間が自分に近付いてきたとき、ああ俺の人生は終わるのだな、と諦めていたがそんなことは決してなく彼等が去ると孝之の心には深い安堵が訪れた。 しかし孝之は悩み続けていた。もしかしたら俺は本当に人を殺してしまったのかもしれないと。いやそんなはずはない。夢の中で殺しただけ、しかも夢の中では撲殺だったのが現実では急性アルコール中毒というきちんとした名前が付いた病気だ。何ら関係はない、ただの偶然、そうこれは偶然に過ぎないのだと自分に必死に言い聞かせ続けたが、それでも彼の身体は生まれたての小動物のように震え続けていた。 一つの生命を奪ってしまったかもしれないという罪悪感、殺人者になってしまったかもしれないという後悔、そして何より自身に対する恐怖が彼の心を遅効性の毒薬のように責めたてた。 こんな現実が存在するはずない、夢と現実が繋がることなど決してない、そう思っていても夢の中でぐしゃぐしゃに潰れた滝川の顔面を思い出すと今にも孝之は吐きそうになった。それほどまでに滝川の死は彼を苦しめた。 その日の夜孝之が見た夢は明晰夢ではなかったが、彼の心をさらに深く強く追いつめるような悪夢だった。 ああ今思い出しても恐ろしい。孝之が目を開けるとそこは大学の大講堂だった。いつも通りの風景にいつもどおりの人達、彼が今まで過ごしてきた平穏な日常が目の前にあった。しかしそんな平穏な時間もほんの僅かなもので、次の瞬間孝之以外の学生が一斉に立ち上がり彼を囲み、一斉に「人殺し!」「最悪!」「死ぬべきだ!」等と罵り、中には暴行を働こうとする者までいた。それだけで悪夢に違いないのだが、人混みをかき分けて現れたのは上流階級層のみに着るのを許された高級なスーツを着た数人の男達で、彼等は問答無用で孝之を殴り抑え目隠しをしどこかへと連れて行ったのだ。 目隠しを外されると孝之は椅子に縛り付けられていた。そして目の前にいたのは滝川だった。 「よう」 そう語りかける滝川の顔は居酒屋で見せたような下卑た笑みではなく、孝之に対する憎悪しかなかった。 「殺すなんてのはよくねえよな。いくらなんでも人殺しはよくねえよな、戸塚ちゃん」 そういって滝川は思い切り孝之の顔面を殴りつける。何度も何度も恨みを込めて。 そして最後には滝川は妙なスイッチを持ってきてそれを押す瞬間に夢は終わった。 目覚めたとき孝之の全身は汗で濡れていた。こんな悪夢を見たのは孝之には初めての事だった。こんなにも恐ろしい夢を見るなんて。そうだ俺は殺人者なのだ。だからこんな夢を見るのだと。これは天罰だ。夢の中とはいえ人を殺してしまった自分に対する罰なのだと。そう言って己の中にある恐怖を少しでも和らげようとはするものの、夢の中とはいえ、今まで味わったことがないような孤立し殺されるという恐怖は彼の心に深く根付いた。 もうあの夢は見たくなかった。あんな恐ろしい夢など見たくはなかった。だがそう思っていても自分の意志とは関係なくあの明晰夢は強制的に見てしまう。だったらあの夢を見ても何も考えなければいい。それだけのことではないかとも思うのだが、今の精神状態であんな所を一人何も考えずに彷徨う自信が今の孝之にはなかった。 目覚めてから大分時間が経ち孝之はやっと立ち上がることが出来た。 大学の講義は孝之の耳には全く入らなかった。一応は出席はしたものの未だ罪の意識に苛まされ続け、そのことで頭が満たされ講義など耳に入ろうはずもなかった。孝之の目に映るもの全てが現実味を持たない幻影のように見えた。というよりそうであってほしかった。本当は現実では滝川は死んでおらず、自分もこんな罪の意識に苛まされることはなく平穏な日常が繰り返されているだけなのだと。しかし孝之が生きている今は、滝川が死んだというのは紛れもない現実であった。 その時だった。孝之の目に滝川の姿が映った。何ということだろう。そうか死んだというのはやはり幻で本当は死んでなどいなかったのだ! そう思うと心が躍った。俺は人殺しなどではないのだ。誰も悲しむ人間など存在していないのだ。気付くと孝之は席を立ち滝川の傍に行った。周囲が奇異の目で見てきたが、そんなことはどうでもよかった。 しかしそこにいたのは滝川でも何でもなく見知らぬ男子学生だった。男子学生は怯えと明らかな敵意を持って孝之を見ていた。 「何か用ですか」 「……いえ」 何と言うことだろう。俺はついにこんな幻まで見るようになってしまったのか。こうなったらいいなという強い願望と、現実から逃れたいという一心とでここまではっきりとした幻覚を見てしまうのかと。孝之は己に絶望していた。俺はもう駄目なのかもしれないと。こんな幻想まで見てしまっては。彼は自分の精神に無色無臭の毒薬が流れているのだと感じた。その毒は強烈ではないし人を殺す効力など持ってはいない。だがこうしてじわじわと人の心を壊していく。そして終いには人格を崩壊させるだろうと。毒が己を崩すイメージは彼の頭に強烈に叩きつけられ、気分が悪くなり退席した。 トイレでこれでもかというほどに孝之は吐いた。吐瀉物には固体は含まれておらず、ただただ黄色く気味の悪い液体が流れていくだけだった。 3 このことを誰かに告げるべきであろうか。滝川を殺したのは自分なのだと。俺は罰せられるべき人間なのだと。しかしその覚悟はなかった。第一夢で殺した人間が現実でも死ぬはずはない、そんなものはただの偶然だから気にするなと言われるだろうと馬鹿にされると思われるのも嫌だったし、本当に信じられて完璧に孤立することも恐怖だった。どう転んだとしても他人にこんなことを言うべきではないだろうと。 しかしただただ彼は懺悔したかった。滝川を殺してしまったということに対して。ただその方法が分からなかった。自首したとしても警察は軽くあしらうだけだろう。どうすればいい。どうすることも出来なかった。このまま彼は十字架を背負い生きていくしかなかった。罪の重さに押しつぶされそうになりながらも、一人この罪を背負っていくしかないのだ。しかし孝之はそれも何か間違っている気がした。仮にそんなことをして何になるというのだろう。俺が殺人者という事実は消えることはなく、誰に責められるでもなく無為に日々を過ごす、そんなことをして償いになるのだろうかと。罪というのは一人背負うものではなく、何者かに知ってもらい、非難されそれ相応の罰を受けてこそ、変な言い方にはなるが罪は罪として存在しうるのではないのだろうかと。そう思うと「一人で罪を背負って生きる」等というのは単なる甘えであり、自己保身の最たるものではないかと。だがしかし他人に打ち明けるというのも抵抗があった。自分が真に孤独になる様はあまりにもリアルに彼の脳内に迫った。それを想像する度彼の目には涙が浮かび堪えられなかった。俺はこんな孤独にはとてもではないが堪えられないと。もしこんなことになってしまったら、きっと俺は俺自身を殺してしまうだろうと。 孝之の周りからは友人が一人また一人と去って行った。 最初は滝川の死のことで思い悩んでいる孝之に皆は熱心に語りかけ、慰めもしたのだがそういった物を孝之はことごとく無視し一人の世界に閉じこまっているだけだった。無論皆の思いは嬉しかったし、それに応じようと孝之は懸命に努めたのだが、どうしてもあの潰れた滝川の顔面と、高い頻度で見るようになってしまった悪夢のせいで、親しい人間の言葉や態度は温度を持たない物になっていた。 結局彼にまだ話しかけてくれる人間は栄子と片手で数得られだけの男友達だけになってしまった。 景気づけに酒を呑んでみても気分は一向に晴れず、日々彼の心は沈んでいくだけだった。最初は大学にも通学していたのだが、やがてそれすらもしなくなっていた。 数少ない友人も孝之のことを「どうでもいい」と放置し諦めていた。そんな彼に栄子は熱心に語りかけた。栄子にとって孝之は何よりもかけがえのない存在であったし、彼女の心の中には孝之以外に自分の事をちゃんと理解してくれる人間はいないとさえ思っていたからだ。純粋な恋心もあったが、半ば孝之の事を独占したいという欲もあるというのも事実だった。 孝之は考える。もし自分の人生がこの狭い部屋の中で完了することが出来たらどんなに楽だろうと。しかし実際はそうにはいかない。食う物、着る物、寝るところ、最低限度の生活を保つための労働をしなければならないし、それに誰に触れることもなく自分の小世界だけで一生を完了させてしまっては、人間味がなくなり機械のように成り果ててしまうだろうと。 その非人間的で生産性のない生活は、何よりも恐ろしいことであるし孝之はそれを充分に理解していたのだが、彼は大学に、というよりまともに外に出ることが出来なくなっていた。日々見る悪夢が彼のことを苦しめたし、恐ろしいことにその悪夢が現実で生きる彼の目にもくっきりと映るようになってしまったのだ。 ある時など道を歩いていると、通りすがりの人達が一斉に責めたてるという白日夢を見てしまったのだ。無論幻覚に過ぎないのだが、その幻は彼にとっては紛れもない現実だった。 どうせ皆心の中で俺を責めてるんだろ、滝川が死んだのは俺のせいだと思っているんだろ、心の中で吐き続けていた。 彼の心は仄かに赤みがかった暗く深い竪穴へと沈んでいた。 「大丈夫だよ」 「そうじゃないんだ。大丈夫なんかじゃないんだよ」 薄暗い孝之の部屋は外が曇っているせいもあってか、余計に陰り、いるだけで精神的疲労を起こしてしまうほどに陰鬱だった。冷えた空気も重なりなおのことだった。 栄子は私は今人の家にいるのだろうかと疑ってしまった。もしかしたらここは孝之の家の形をした鍾乳洞のようなものなのではないのだろうか。しかも普通の鍾乳洞よりもさらに迷路のように入り組んだ造りになっている、入った者を永久に迷わせる自然の悪意が込められた鍾乳洞の中にぽつりといるだけなのではないかと。 「大丈夫だよ。誰も孝之がやったなんて思ってないよ」 「俺がやったんだよ」 「そんなことないよ。だってアルコール中毒だよ。何の関係もないよ」 「本当は皆責めてるんだろ。あの時の復讐だって」 「そんなこと誰も思ってないよ」 「大丈夫」栄子は心から熱を込めて何度も孝之に言った。しかし栄子の言葉は孝之の心の上辺を掠っていくだけだった。 孝之には栄子の善意が分かっていたが理屈ではなかった。一度自分を殺人者と思い込んでしまった孝之の心はそう簡単に晴れることはなかった。 また栄子も栄子で孝之の苦痛を充分に理解していた。この人は一人の死をこんなにも深く受け止め、それを自分のせいだと自分自身で責めたてている。誰も悪くない。それなのに何故こんなにもこの人が苦しまなくてはならないのだろう。何としても孝之を癒したい、この地の底から救いあげたい、その思いしかなかった。 しかし言葉を交わせば交わすほどに孝之は栄子の善意の重さに堪えられなくなり栄子という存在そのものを遮断し、栄子は自分のこの思いが伝わらないという焦燥感と無力感とで日に日に苛立ちが募っていた。 深く深く寄り添おうとするとお互いを傷つけてしまい、離れすぎればそのまま二人の間には廃墟に吹くような肌寒く金属のような匂いがする風が吹き荒ぶだけだった。他人と適切な距離をとり、しかもそれを保つというのはなんと困難なことなのだろう。今の二人にはそんなことをするのは不可能だった。 部屋のカーテンを開けると孝之の目に飛び込んできたのは多くの人間だった。 誰も彼もが皆無表情でただじっと孝之を見つめているだけだったが、しかし口は読唇術が使えないものでも分かるほどにはっきりと動いておりその口の動きは彼にひたすらに「人殺し」と言っていた。 このような悪夢を孝之は日々見続けていた。しかもそれが現実なのかはたまた白日夢なのかさえも区別がつかないほどに彼は憔悴しきっていた。 栄子は孝之の元から去ってしまった。彼女も他の人達と同様に孝之という人間との向き合い方が全く分からなくなってしまい、自分に出来ることはなにもないのだと己の無力さを呪うと同時に、こうまでしているのに何故変わってくれないのだという孝之に対する苛立ちが募っていた。彼女もまた限界だったのだ。一人の人間に深くかかわるということがこんなにも傷を伴うものだと初めて知りその痛みに堪えられなくなってしまった。 完璧に孤独になってしまった孝之。ふと顔を上げるとそこには滝川が立っていた。これは現実だろうか、それとも夢だろうか。彼は思考することさえも止めていた。 その時だった彼の中にあの音が響いた。あの呪わしい音が。 マンションの管理人が戸塚孝之の部屋を訪れたところそこにいたのは以前とは違う死者のように青白くなり、骨と皮だけになった男の姿だった。そしてその顔にはそんな姿とは裏腹に子供のような純粋な笑みが浮かんでいた。そのアンバランスさは見た者に生理的恐怖感・嫌悪感を瞬時にして与えた。美青年だった頃の面影はもうなかった。 彼の肉体は現在隔離精神病棟にあるが魂がどこにあるのかは誰にも分からない。彼の笑みの真実を知るのは彼のみである。 |
永本
2011年03月28日(月) 15時48分49秒 公開 ■この作品の著作権は永本さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.9 永本 評価:0点 ■2011-04-26 22:09 ID:/PnctNWIznY | |||||
感想遅くなってしまい本当に申し訳ありません。 >>らいとさん 感想ありがとうございます。 この作品は正直に言うと実験作という感じで文体もあえて硬質なものにし、作品そのものを硬く少しとっつきにくい感じにしてみたっかのです。 自分でも言うのもあれですが、そう主人公が格好つけすぎてる。それが最大の問題点だと思っています。だからこそラストも活きないし、あまり感情移入することもできない。 >>しんじさん 感想ありがとうございます。 起承転結や小説の骨格のようなものに関しては、自分で言ってしまうのもあれですが読書によって自然に作られたものだと思っています。 前回の作品でもやってしまったのですが、無意識のうちに描写ではなく「説明」で作品を語ってしまうところがあって直そう直そうと努力しています。 中盤がだるくなり、せっかくの山場も盛り上がりに欠けるというのも欠点ですね。一番の見せどころを魅せることが出来ないというのはまだまだ力量不足であり自分がいかに読書や映画鑑賞といった行為が足りていないかを物語っています…。 丁寧な感想ありがとうございました。 そして感想に気付くのが遅れしまったのと、最近少しバタバタしてしまい忙しかったのとで返事が遅れてしまい本当に申し訳ありませんでした。 |
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No.8 しんじ 評価:20点 ■2011-04-22 06:46 ID:dJ/dE12Tc8A | |||||
読んだので感想しますが、もう言うことがないくらい、みなさんから丁寧な感想が出ていますね。何を書こうかなあと悩むくらい。 起承転結という、基本的な部分はできていたように思います。ただそのそれぞれにおいて、磨いていくべき要素がたくさんある。 起でいうと、出だしからつまらなそうで読み進めていく気にならない。これはプロの作家さんでも苦労されていることだと思うし、冒頭を読んだだけで「面白そう!」なんてことができるのは、一握りの中の一握りだとは思うのですが。 承の部分で、孝之がゼミやサークルにも顔を出すようになる。その根拠が説明によって行われる。 「あまり気の合わない人とでも熱心に会話をするというのは、普段あまり他人と会話をしない孝之にとって非常に知的好奇心を満たされる経験になった」だから、あまり出席しないゼミやサークルに出席するようになった。 これはやってはいけない。小説なのだから、説明ではなく描写しなければ。 転で滝川を殺す。 ここら辺から面白くなりました。 個人的に言えば、殺してもいいと思いますよ。こんな奴は。まあ、葬儀で身内が泣くのを見ると、そうは言えないでしょうが。 夢の中で殺してやった→現実にリンク、というありきたりながら、殺したったぜ、みたいなのは僕は好き(悪) 読んでる側としては、こういうところを広げて欲しかった。殺す→もっと殺す→残酷に殺す、みたいに。 それから、栄子が滝川に凌辱されたあと、孝之と二人は同じ部屋に寝る。なぜそこでセックスしないのだと思う。自分の女が触られたら、「これは俺のもんなんだ」とばかりに触りたくなるもんじゃないかと。そうすることで、滝川に持てる感情は別のものにできたんじゃないかと。 結は、孝之がおかしくなって終わり。オチとしてはイマイチでした。 せっかくの明晰夢という特殊能力を得たわけですから、もっとそれを活かした方がよかったと思います。 プロの小説でも、最初はつまらなくてもあとから面白くなる。だから読む。この作品は、面白くなってきたところで終わったのが残念でした。 小説は、短いほど難しいと言われます。 しかし長いほど読み手は減ります。 そのジレンマは仕方ないことですが、こうした批評サイトがある時代が僕はありがたいと思っています。まあ、気長にやりましょう。 |
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No.7 らいと 評価:40点 ■2011-04-17 10:35 ID:iLigrRL.6KM | |||||
拝読させて頂きました。 全体的な印象は、硬質な感じがしました。文章自体に弛みのない鉄の固まりのような文章という感じがしました。 主人公の生き様という視点で見させて頂くと、少しばかり、この主人公はカッコつけすぎなんじゃないかと思いました。奇妙な夢との対峙、殺人の加害者ではないかと思う事への対峙を主人公はカッコつけて一人で奥に引きこもってしまって、最後には精神病院という。。。。 もう少し人間臭いドラマが、もう少しジタバタするところがあってもよかったんじゃないかなあと思います。まあ、でもというのも、この作品が50枚も削ってしまっているからなのかなとも思います。元の尺の物を読んでみたかったです。 拙い感想ですみませんでした。 |
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No.6 永本 評価:0点 ■2011-04-05 00:48 ID:483QYl/fbbk | |||||
返事が遅れてしまい申し訳ありません。 >>おさん 感想ありがとうございます。 確かにこの作品は長さが全くもって足りずそのせいで主人公が追いつめられていく様の描き方が雑になってしまい、中途半端な作品になってしまいました。前半が弱いのとその弱さをフォローするものが何もないというのはやはり決定的な欠点だと自分でも思っています。今度このような作品を書くときにはもっと作品そのものに悪意というか主人公をもっと痛めつけてやるくらいの気持ちで書きたいと思います。 >>zooeyさん 感想ありがとうございます。 こんなにも長い感想・批評本当にありがとうございます。まさかこんなにも自分の作品を分析・評価してくれるとは思わなかったです。 感情移入が出来ない、自分でも読み返してみてそう思います。小説として一番重要な物が全くない。本当に自分でもやってしまったという感じです。もっと推敲を重ね、何度も読み返し、表現に工夫をこらし読者がのめり込めるような物語を次回からは書きたいと思っています。 この三人称というか「語りかけ」のような文体はちょっと試してみるかみたいな感じでやってしまい見事に失敗しました。やはりこのようなことをせずシンプルにやります。 主人公に関しては正直言うとあまり練り込んでいないというか、とりあえず理想通りの二人を出してしまえという思いがあり、それが結果「恋愛ごっこ」になってしまったのはとりあえず美形キャラに頼っとけという安易な発想に胡坐をかいた結果だと自分では思っています。反省します。 前作と今作でねじさんにも指摘されたのですが、書いてるときは何故だかテンションがハイになり理屈なのかどうなのかがよく判別がつかないという悪しき情況になっているので、もっと冷静にそれでも情熱を持って一つの作品と向かい合っていきたいと思います。 やはり長編を無理に短編にするのは今作限りでやめます。やはり長編は長編として書き上げます。もし感想がつかなかったとしたらそれは最後まで、読んでいる人を波に乗せられなかった自分の力量が全然ないという証拠にもなるので次回はこのようなことをせず長編は長編で短編は短編で投稿し腕を磨いていきたいと思います。 きついどころかこんなにも丁寧な感想をいただいて本当に作者冥利に尽きるというかなんというか。 またまた質問で申し訳ないのですが、ねじさんとzooeyさんは書籍関係の編集者(新人賞の一次審査等をしたことがある)かあるいはプロのライターなのでしょうか? 他の感想・批評を見ていても実に的確というか冷静と言うかその作品をしっかりと分析していらしているので何か二人の批評には磨かれた技のようなものを感じましたので。 >>HALさん 感想ありがとうございます。 やはり感情移入が出来ない、というのが最大の欠点のようでこれは本当に反省すべき点だと自分でも思っています。 そしてこの視点から「書く」ということについてもやはり失敗してしまったようで。しかしこれで自分は変な小細工をせずシンプルにいった方が良いと確信出来たので一歩成長出来るなと感じました。 表現に関してですが、いま思えば確かにそうすればよかった! いやそうしたほうが絶対に作品に厚みが出ていたと思います。 感想本当にありがとうございます。 こうして数日おいて見てみる+他人からの的確な批評を戴くことで自分の弱点がはっきりと見えてくるのでこうした投稿小説サイトを見つけることが出来たのは本当に良かったと思います。そしてこうして丁寧なご指摘、批評は本当にありがたいです。作家を目指している自分にとって自分の拙い作品を読みこんでくれる人がいる。それだけで嬉しいことです。 本当にありがとうございました。 |
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No.5 HAL 評価:30点 ■2011-04-03 22:26 ID:sKu.craulwo | |||||
遅ればせながら、拝読しました。 最初、どういうお話なのかわからなくて、ちょっと戸惑ったのですが、読んでいくうちにだんだん面白くなって、途中からはどきどきしながら読んでいました。不思議な現象が起きているのだけれど、周りから見たらただ主人公の心の中の問題としか見えないところが、悲しいなと思います。 ということで、面白かったのですが、のめりこんで読むには、語り手と物語の間に、少し距離があるなあという感じがしました。もともと自分が小説にはどんどん感情移入して読むタイプの読み手ということもあって、個人的には、もうちょっと登場人物の視点に寄った書き方のほうが、より作品にひたりやすいかなという感じです。 もちろん、キャラクター同士の心理のすれ違いや、複雑な構図などを語るときに、神の視点が活きてくる場合もありますし、こういう書き方がいいとか悪いとかいうつもりはありません、念のため。 同じくあくまで私の好みでいうなら、なのですが、感情の描写が……いや、違うかな。感覚の描写が、もうちょっと大目のほうが好きかも? という感じです。同じ神の視点のままでも、「爆発しそうだった」「悪意があり」みたいな表現を、もっと感覚的な描写に置き換えてみてもいいかも、なんて思います。 たとえば憎悪の表現を、「○○は××を憎んでいる。」と書いてあるよりも、「○○の表情は平静だったが、目はぎらぎらと輝いていた。」とか、「○○の口元は笑っていたが、そのテーブルを掴む指が白くなっているのを、××は見た。」的な表現のほうが、読んでいてどきどきするっていうか。……それにしても、たとえが貧相でごめんなさい!(汗) ……などといいつつも、自分は神の視点を使いこなしきれずに逃げっぱなしなので(一人称か三人称単視点ばかり書いている)、完全に我が身を棚上げなのでした(汗) それにしても、200枚程度の作品を何本も書き上げることができるというのが、すごく羨ましいです。見習いたい! あとは些事ながら、誤字に気づいたところが二箇所ありましたので、一応報告を。(自分もよくやらかすので、人様のことを言えた義理ではないのですが、校正の一助になればということで) > 片手で数得られだけの > 栄子は私は今人の家にいるのだろうかと疑ってしまった。 自分の拙い筆を棚に上げて、好き勝手なことを申し上げてしまいました。拙い感想、どうかご容赦くださいませ。 |
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No.4 zooey 評価:20点 ■2011-04-03 16:59 ID:qEFXZgFwvsc | |||||
こんにちは。読ませていただきました。 全体の構成がいいですね。 最初は不吉な存在であった「音」が中盤から魅惑的な「音」になり、ラストでは主人公を滅亡させる「音」に。 こういう構成はとても迫力のあり、面白いです。 しかし、果たしてそれが生かし切れているかというと、微妙な感じが。 「音」の存在が冒頭からあまり不吉なものに感じられませんでした。 人生で二回しかなったことがなく、そのうち一回は宝くじが当たったんなら、 全然不吉じゃない気が……。 なのに、なんかいきなりへこんでいる主人公に「?」という感じでした。 期待と不安が入り混じった心情描写にすべきだと思います。 そのほかにも、このタイミングでなんでそんな心境になるんだ? という部分が結構あり、感情移入は、私もできませんでした。 あとは、主人公の人物像にも、少し違和感が。 平凡な男が狂気におちるまでを描いたということですが、そもそも主人公は平凡には見えませんでした。 「音」が鳴る時点で、何か特別な印象を受けるのだから、 その設定のままでいくのであれば、もっともっと、普通ででつまらなくてチキン野郎で… みたいにしないと平凡には映らない気がします。 で、これは書くと失礼かなとも思ったのですが、私の作品にも率直に書いてくださってたので、書きます。 書き手のナルシズムが見え隠れしてしまいました。 なんとなく、主人公をカッコよく見せようとしている、そんなふうに感じて 逆に主人公を好きになれませんでした。 「退屈な男」とは言いつつ、欠点ってそのくらいしか出てこない。 頭がよくて、見た目も良くて、退屈も裏返せば寡黙とも取れるわけで、 そういう姿って、少し古い気はしますが典型的な男性の理想像じゃないかなと。 栄子も同じような印象です。 そのせいで、正直、作り物の悲劇の恋愛ごっこを見せられているという感じに。 あと、これは長編を短くしたからかもしれないのですが、部分的にあるとてもいい描写が、文章全体、物語全体になじんでいない気がしました。 なんか、いいところが浮いてしまっている感じがして、もったいなかったです。 それと、三人称について、おさんも指摘されてますが、私も同じく語りかけという印象受けました。主人公の視点からの語りかけのように。 それはそれでいいと思う人なんですが、 主人公の視点から語りかけてるのに、途中、いきなり栄子の視点が入ってきて、そこでまた止まってしまいました。 前作では、ラストの独白が恋人になっているのは、その部分を際立たせるうえで非常に効果的だったと思うのですが、今回の場合は、かなり不自然に感じました。 もし、特定の効果を狙っているのでなければ、このスタイルでいくなら一貫して主人公の視点から描くべきだし、 ほかの視点も入れるのであれば、それをもっと全体に広げるべきだと思います。 心情描写については、ねじさんの意見と同じです。 言語化された心情描写、つまり、理屈で説明されてしまっているものが多い気がします。 心の中のものは実際には言語化されているわけではなく、言葉にならない心情を伝えるためには、もっと表現に工夫が必要だと思います。 ただ、「音」については、その正体を与える必要はなく、このままでもいいんじゃないかなぁと思います。 正体が分かった段階で、魅力がなくなってしまう気がします。 でも、正体が分からなくてもいい、と思えるほどの勢いが作品になかったことも、また確かです。 ラストとても良かったです。構成に似つかわしい迫力あるものでした。 が、そこまでの持っていきかたがかなり乱暴だと思います。 あと、作品の長さについてですが、長編で投稿すればいいと思いますよ。 むしろ、そうすべきではないでしょうか? 作品を投稿する目的は、その作品をより高めたい、あるいは自分の成長の糧にしたいということのはずなので そもそも、本領を発揮してない作品で評価をもらっても、ちっとも参考にならない気がします。 感想はもらうことが目的ではなく、その感想を今後の作品に生かしていくことが目的なのだから、 自らせっかくいただく感想を生かしにくい作品に変えてしまっては、本末転倒だと思います。 ただ、仰っているように感想が付きにくくなることは確かだとも思います。 それは、素人の長編が読みたくないわけではないと思いますよ。 少なくとも私は忙しいからです。仕事してるので。やっと朝10時から夜10時までの拘束時間の時期が終了しました。死ななくてよかった。 それでも、やっぱり以前読んで、いいなぁ、と思った作者さんの作品は、読んだりしますよ。 だから、長編を投稿するまでに「この作者さんの長編なら読みたい」と思えるような短編を投稿することじゃないかなと。難しいですけど。 いろいろきつい感想ですみませんでした^_^; |
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No.3 お 評価:30点 ■2011-04-02 20:25 ID:E6J2.hBM/gE | |||||
硬い。硬いなぁ。 てことで、ちわ。 かたっ苦しい書き方は、きっと、持ち味なんでしょうが、僕には硬すぎて肩がこりました。まぁ、それは嘘ですが。うん。読み進めにくかった。説教上戸の酔っぱらいに延々説教されてる気分? は言い過ぎかな。まぁ、うん。少々、疲れました。 三人称の形態ですが、なんか、ほとんど、語りかけに近い感じを受けました。作者氏の、読者への語りかけ。まぁ、ブンガクていうのは、こういうものなのかもしれませんが、ブンガク慣れしてない僕には、肩こりこり。 中身ですが、前半が弱いですかねぇ。僕も、夢はどうかと思いました。むしろ、理不尽である方が良い。後半のような。閃きのような何か予兆に苛まれる感じで、じわりじわりというほうが、僕は好きかな。夢だと自覚する夢はよく見ますね。自由にはなりませんが。自由になる夢は見たことがないなぁ。多少の意志決定ができる夢はあるけど。夢だと自覚した上に、自由にコントルール出来るというのが、どうも、白々しくも感じれたり。後半差し掛かりのごりごり感は良かったす。ただ、そっから、なんかあっけなかったので、悪夢悪夢悪夢の連続の中で現実との区別を無くし、なにもかも崩壊させていくさまをねちこくねちこく書ききってあると、おーーーと思ったかも知れませんが、本作では(少なくともこの分量のバージョンでは)そこに至らなかったように思いました。 長さですが、まぁ、減りますね、感想。あえて対策を言えば、ちょっと柔らかい目の感想をそこら中に書きまくって、ちょいちょいチャットに顔を出して良い人アピールをしまくれば、感想付くかもしれません。つかないかもしれません。まぁ、人相手のことなので、好かれたもの勝ちなところはあるかも知れませんねぇ。そんなところで。 |
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No.2 永本 評価:--点 ■2011-03-31 22:42 ID:l0JpXo/GvK6 | |||||
>>ねじさん 批評ありがとうございます。 もう自分がこの作品に対して思っていることを全部言ってくれて本当にありがたいです。 明晰夢の特殊性をもっと活かすことが出来ればと自分でも読み直して思います。 こうして長編を短編にまとめるという作業は前作と今作とでいかに難しいかが分かり、またそうすることによって作品を良くするのではなく駄目にしてしまうのだということも分かりました。 実際自分でも読んでみて全くこの作品に愛情のようなものが湧くことはありませんでした。 次作からは短編にまとめるなどといったことをしていない純粋な長編か技術向上のためにも短編を投稿したいと思っています。 しかし技術力のない私が短編を書けるかどうか不安ではあるのですが、努力します。 |
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No.1 ねじ 評価:30点 ■2011-03-30 18:50 ID:ZeBLG8V72F2 | |||||
読みました。 物語と描写に一貫性と推進力があり、一息に読むことが出来ましたが、前作同様、やはり感情移入はできませんでした。 この作品は、主人公が見る「夢」の魅力に引きずられ、日常から逸脱する、という物語です。まず最初に見た白い明晰夢に、主人公は見入られますが、まず私はここで主人公に感情移入ができなくなりました。夢の中で夢だとはっきりと認識する、ということ自体はさほど珍しいこととも思えないし、それ以上の魅力がここで描写されていないためです。 また、ここで主人公が別段特別なこともない夢に惹かれる、あるいはその夢を特別なことだと思う、という描写がされていれば、主人公に感情移入はできなくとも、物語に対して違和感を抱くことはなかったと思います。しかし、主人公の見た「夢」の特殊性と魅力を栄子が肯定してしまったことで、私はこの作品世界と自分との間に距離を感じました。そして、最後までその距離が縮まることはありませんでした。 それ以外にも、滝川に対する憎しみを持つ部分など、説明によって「傷ついた」という事実をぽんと投げ出すような書き方ではなく、読者も一緒に傷つくように書くべきではないかと思います。 また、冒頭の「音」について、一体なんだったのか何の示唆も解釈も与えず、超自然現象のままにしておいたり、何故主人公がこのような目にあったのか、ということにも理由がまったく見あたらないのも、読者の感情移入を妨げているような気がします。私にとって、主人公が体験したことは全て他人事のように思えましたし、また、この作品で作者は一体何を読者に感じさせたかったのか、見えてきませんでした。「猫は鳴きやまない」では、物語の核というものは感じ取れたのですが。 また、長さについてですが、長編を投稿すると、正直に言って感想・批評がつきにくくなる、という傾向は間違いなくある、と思います。しかし、だからといって長編を書くべきではないか、というと、そんなことはないと思います。 ある作家が、小説を書くのは読者のためか、作者のためか、という問いに、「作品のため」と答えた、というエピソードがあったようなおぼろげな記憶があります。小説を書くのなら、その物語が求めたように、正しい長さで書いてあげるべきではないでしょうか。何の答えにもなっていないかもしれませんが。 長々としつこい感想で申し訳ありません。次作も期待しています。 |
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総レス数 9 合計 170点 |
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