はんぶんこ
 愛子ちゃん、さようなら。
また明日。      じゃあねー。
           バイバイ!
 お別れの挨拶は再会の約束。ささやかな契りを言葉に預け、先生や友達との距離が肥大する。大抵の人は徒歩で帰るけれど、中には家まで遠いことから、自転車通学を許されている子もいる。
 笑い声を弾ませて、遊びの約束や、レンアイのあれこれ、好きな物や嫌いな物についてお喋りする。たまにはケンカもする。日に照ったコンクリートはあっという間に涙の跡を乾かしていく。
 帰り道に、最終下校のチャイムが鳴り響く。小学生の私はまだ校門の前。
 今日は、パパの日。明日は、ママの日。といっても、父の日じゃない。といっても、母の日じゃない。

 父と母が別居中。そんな環境は別段珍しくもなければ、ありふれた不遇のひとつに数えられる。だから物語の主人公にはよくある設定として扱われるし、お涙頂戴、拍手喝采へと昇華させる愛らしいスパイスだ。
 なんて言ったら、眉をひそめられるだろうか。現実問題、家庭環境は子供に大きな影響を及ぼすし、人格形成にも関わってくる。創作物のハッピーエンドならまだしも、悲劇的要素が深刻に絡んでくる現実においては、重大さは計り知れない。
 ――ママ、私のこと、好き?
『言うまでもなく大好きよ。どうしたの急に? 変な子ねぇ』
 ――パパ、私のこと、好き?
『はっはっはっ、当たり前だろう。どこのどいつが、自分の子を愛さないだろうか』
 それならば、どうして。
「愛子、愛子ってば」
「えっ、ああゴメン。ぼーっとしてた」
 思考に没頭するあまり、五感が仕事を疎かにしていたようだ。頬の肉はなんだか重くて、上手く笑えない。そんな私に、もう、と言ってふくれっ面をする美帆は、小さい身体に溢れんばかりのエネルギーを湛えた、十六歳の恋する乙女だ。
「それで、愛しの京介くんはなんて言ったのよ?」
 半分茶化すように喋る私を、赤い顔をして咎める彼女は、直視するのを躊躇わせる太陽の眩しさで煌めいていた。瑞々しい果実を一口ずつ囓るふうにして、想い人の話をする。隣で歩いているのに、指一本も届かないような距離が存在している事実を、相槌を打つたびに私は学習していた。
 アーケードを抜けて、住宅街に入る。カーブミラーが二人を歪曲させる場所に立てば、楽しいひとときに終わりが告げられる。
「じゃあね、愛子。また明日!」
 私が左、美帆が右。同時に足を踏み出すと、世界が途端に静まり返る。
 よろめくように竹垣へもたれると、私は震える手のひらをぎううときつく握りしめた。風の呟き、午後の光は温く私を包み込む。
「……行かなきゃ」
 静寂の中、十分が経とうとしていた。もう美帆は家に着いている頃だ。踵を返し、反対側の道へ向かって歩き出す。再びカーブミラーにお目見えすると、そこに映っている自分はひどく頼りなく見えた。少し開いた口、力のない目、姿勢は悪くないのに、どこか肩を落としているように見える。
 小学生の時から何もかもが変わって、なんにも変わっていない自分がそこにいた。嫌なものを振り払いながら、美帆が歩いた道を進む。こんなことは、何かがヘンだ。けれど、それが私にとって当たり前でないと言うには、十年の歳月を要しても不可能な気がした。
 ――今日は、パパの日。

 父と母と私。三人が同じ屋根の下で暮らしていた記憶は、古すぎてもはや信憑性に欠ける。それが私の創りだしたイメージ像だと言われても、恐らく否定はできない。
 両親が別々に暮らしていることを、誰かに口にしたことはなかった。だから正面切って指摘されることもなければ、それが普通とすら思っていた時期もあった。それも中学校に上がるまでの話。
 生活に疑問を持ち始めたのは、これといったきっかけはあったのでもない。友達を家に呼んではいけない理由も、覚えるべき電話番号や住所が二つあるわけも、なんとなく飲み込めてきた『大人の事情』だ。
 パパの日には、父の車が迎えに来て、父の家で過ごす。
 ママの日には、母の車が迎えに来て、母のマンションで過ごす。
 両親の話になると、私は誇らしかった。ウィットに富んだ人柄に加えて、敏腕シェフの父に、キャリアウーマンの母。上等な親を持っているという一種の優越感。それは、その日どちらか一人が私の親であり得る、といったターン制の家族関係を構成することになっても、揺らぐことはなかった。
 揺らぐことはなかった、が。
 父が母の話をすることはなかったし、母は父などいないかのように私に接した。お互いが、お互いを忘れているかのようだった。初めから二人が出会うことなどなかったように。
 ――キモチワルイ。
 そのくせ私が生きているということが、辻褄が合わない気がして、気持ち悪い。

 蝉が騒ぎ始めた頃、美帆は「涼を取りに行こうよ!」と言って私をファミレスに引っ張り込んだ。家族と過ごす時間が段々と減っていくのを後ろめたく思う反面、こんなふうに友達と過ごす帰路が、実は、とてつもなく嬉しい。
 美帆が注文し、運ばれてきたのは冷製パスタ。夏季限定メニューで、目にも涼やかな夏野菜がふんだんに使われているそれは、私の目を丸くさせた。
「あんた、トマト嫌いじゃなかったっけ」
 好き嫌いの多い彼女だが、中でもトマトを邪険にしていたのを思い出す。ぶよぶよがだめなのだと言って、お弁当に入っているたび私に押しつけていたではないか。それを、今ではなんでもないふうに口に運んでいる。
あんなに毛嫌いしてたのに、どういった風の吹き回しだろう。
「あ、ああこれね……、なんか、意外とイケるなーって最近思い始めて」
 苦笑い、というよりははにかんでみせる美帆。その表情を見て、私は得心がいった。
 じいっ、と疑りの視線を向けると、「ほら、今まで食わず嫌いだっただけなの」とか、「このゼリーのところが格別よね」と慌しく弁解する。しかし、私が勘付いたことを察して観念したのか、笑わないでね、と前置きしてから最後は素直に白状した。
「……京介くんが、好きらしくて、その、トマトを」
「ぷっ、あっははははは!」
「笑わないでって言ったじゃん!」
 静止する美帆を構わず、ひとしきり笑っていたものの、内心でにやつくだけに留めることができた。あまりからかうと泣かせかねない、と思っての行動だったが、どうやら時既に遅し。美帆はそっぽを向いている。こうなったらしばらく口を利いてくれないのだ。
 私が少し反省を覚えてきた頃、美帆はデザートの宇治金時に柄の長いスプーンを突き立てながら、ぽつり、と呟いた。
「好きな人が好きなものって、なーんか嫌いになれないのよねぇ」
「……意外。嫉妬しそうなのに」
「トマトにまで焼きもち焼いてらんないわよ」
 頬を染めていることも相俟って、なんだか、べらんめえ、とでも言い出しそうな様子である。
「美帆」
「ん? なに、愛子」
「私もトマト好きだって、知ってるよね」
 いたずら半分にそう尋ねると、美帆は困るどころか笑って、事も無げに答えた。
「やだあ、嫉妬してるの?」

 父の家からも、母のマンションからも歩いていける高校に通うことを選んだのは、自分の意志だった。ようやく獲得した帰り道は、涙で濡らすには歳を取りすぎていたけれど、その代わりずっと多くの笑顔をもたらしてくれた。もちろん、美帆のお陰だけれど。
 ママが左、パパが右。いつもの三叉路に立つたび、ファミレスでの美帆の言葉を思い返す。
 ――好きな人が好きなものって、なーんか嫌いになれないのよねぇ。
 それならば、どうして、と問いかける言葉が、誰かに届くことはないだろう。この家族という形も、変わることはない。私は、今はそれでもいい、と思い始めている。
 ママ、私のこと、好き?
「言うまでもなく大好きよ。どうしたの急に? 変な子ねぇ」
 パパ、私のこと、好き?
「はっはっはっ、当たり前だろう。どこのどいつが、自分の子を愛さないだろうか」

 好きになろう。好きでいよう。
 そうすればきっと、いつの日か。
Yukariba
http://tomarigiplatz.web.fc2.com/main.html
2011年03月29日(火) 15時26分12秒 公開
■この作品の著作権はYukaribaさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 半端な文章になってしまいました。もっとましなものにするには、どうすればいいのでしょう?皆さんの知恵をお貸しくださいorz
 両親が別居しており、その日寝泊まりする家を決められて過ごしている女の子の話です。

この作品の感想をお寄せください。
No.5  お  評価:30点  ■2011-03-30 01:36  ID:E6J2.hBM/gE
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詩、なんだろうかな。
とか。
てことで。こんちわ。
いや、体裁は小説なんですけどね。
その、余韻の残し方というのか、言葉で語らなさとか、そんなところが。
どうせ小説として書くなら、小説として、がっつり書き込めばいいんじゃないかな? と僕なんかは思ったり。
問題提起がある。それについてさらりと書いた。あと、取って付けたようにラスト解決の糸口というか、主人公の気持ちが書かれた。ただ、ねぇ。彼女がどう考え、どう生き、どう人と関わり、どう変わっていったのか、その度に何を失い、何を得たのか。そう言うことが描かれると、あぁ、小説だなぁと思っちゃう、まぁ、僕がいるわけです。
世知辛いところで疑問点を挙げると、えー、何年、別居してるんだろう? 離婚しないのかな? とか。この辺に事情があるなら、それも書かないと、なんだかよくわかんないし。親権というのを持ち出さないための単なる装置では、よろしくございませんのことよ。とか。
まぁ、なんだかんだは言いましたが、良い雰囲気だしてますねーということが言いたかったわけで。そう言う意味では、大変GOODでした!
No.4  昼野  評価:20点  ■2011-03-29 23:05  ID:MQ824/6NYgc
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読ませていただきました。

話の設定そのものは面白くて、これからどうなるんだろうと思ってたところで急に終わってしまったという印象です。
起承転結でいえば、承の部分で終わってる感じです。設定が良いだけに、続きの転結を読みたかった感じです。
文章もちょっとぎこちない感があるので、もうちょっとリズムを意識すると良いと思います。
では
No.3  水川 朝子  評価:40点  ■2011-03-29 22:34  ID:u3lyy/5P.xY
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はじめまして、読ませていただきました。
全体の雰囲気がしっかり決まっていて、違和感なく読みとおせました。このお話ならもっと色々なエピソードを加えれば、もっとお話がふくらむと思います。
パパの日、ママの日というところに何故だろうという疑問が生まれて、すぐにお話に引き込まれました。登場人物も自然な会話で等身大で描かれていて素敵でした。
次回作が楽しみです。
No.2  Yukariba  評価:--点  ■2011-03-29 22:30  ID:lwDsoEvkisA
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丁寧で、かつ的確なご感想をありがとうございます!
自分でも何かがダメだなぁ、と気付いてはいるのですが、
それに対してどうアプローチしていいかが分からず、お手上げでした。

>冒頭で白けさせてしまうとは!申し訳ないことをしました;;
確かに野暮ったいですね。愛子の気持ちというよりは、書き手である私の、
「失礼だけど、気を悪くしないでね!」といった弁解のほうが大きいかもしれません。
>具体的なエピソードを入れる
独白から会話や交流への文章の繋げ方が苦手で、逃げてしまった点でもあります;
生身の人を描いているのに、これではいかんですね。
>三叉路の部分に触れてくださり、ああ、気付いてもらえた! と嬉しかったです^^
複雑な二者択一が迫られる。ここは思っていたよりずっと大事なシーンなんだ、と再認しました。
表現力もそうですが、読者の視点を持って読み返す力が不足しているので、
もっと話の真に迫れるよう精進していきたいです。

改良のヒントをたくさんいただけて、本当にありがたいです!
また、良いところを見つけてくださり、胸が温かくなりました。
zooeyさんのピックアップしてくださった部分を念頭において、
この話をより良いものにしていきたいと思います。m(__)m
No.1  zooey  評価:40点  ■2011-03-29 20:13  ID:qEFXZgFwvsc
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初めまして、読ませていただきました。

全体を包む、やわらかい雰囲気が素敵でした。
節々に、丁寧で描写力に富んだ表現があるからだと思います。

冒頭、主人公の意識の中から始まるのも、とてもうまいつかみだと思いました。
ん? なんだろう? という気持ちになります。
それで、ラストも良かったです。
切実であり、でもやわらかい、少女らしい感情が、短い言葉の中に凝縮されていたと思います。

ただ、気になった点もいくつかあります。

まず、冒頭の

>父と母が別居中。そんな環境は別段珍しくもなければ、ありふれた不遇のひとつに数えられる。だから物語の主人公にはよくある設定(中略)創作物のハッピーエンドならまだしも、悲劇的要素が深刻に絡んでくる現実においては、重大さは計り知れない。

という部分は、ちょっと余計かな、とか思ったり。
せっかく、幼いころの思い出のいい雰囲気の中始まってるのに、
なんとなく、その部分で白けてしまいました。
別に、言ってること自体は頷けるし、問題ないと思うので、
入れるのであれば、小学生の思い出にいる冒頭のところから、語り手としての高校生の「私」に切り替わってからの方がいいと思います。

それと、具体的なエピソードがないのが、さみしいなと思いました。
たとえば

>父が母の話をすることはなかったし、母は父などいないかのように私に接した。お互いが、お互いを忘れているかのようだった。初めから二人が出会うことなどなかったように。

という部分は、とても共感できるのですが、
こういうところに具体的なエピソードを加えれば、
説得力も増すし、描写力がおありになるので、より主人公の心情が際立つと思います。

あと、美帆と別れてから、再び道を戻るところは、
美帆に父親と母親の間を行ったり来たりしていることを知られないように、、
つまり、普通に帰る家はミラーを左に曲がったトコにある一つだけという風に、思っておいてほしいという心情の表れだと思うのですが、
そうであれば、どこかでそのことに触れてもいいのかなと思います。
このミラーのところで、右と左に別れなきゃいけないことが、この作品ではいい雰囲気をもたらしていると思うので。

いろいろ書きましたが、繰り返しになりますが、全体的な雰囲気がとてもいい作品だと思います。
また、別の作品も読んでみたいです。
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