青の呼吸
「今日は何を作ってるの?」
 殻となる部分のカーボンを捻じ曲げていると、アヤがやってきて手元を覗き込んだ。
「ウミホタル」
 僕は短く返し、また作業に没頭する。ピンセットの先をうまく使って、透明な板を捻る。繋ぐ。折る。
「そんな小さいもの、よく作れるね」
 アヤは呟き、作業台横の椅子に腰掛けた。
 かすかに漂ってくる甘い匂いをふり払うように、僕は顕微鏡に意識を集中させる。

 僕の趣味は模型作りだ。
 模型といっても電車やロボットのプラモデルではなく、生き物の模型だ。けれど哺乳類や鳥類などの大きいものはつくらない。
 僕が惹かれるのは、微生物である。そのちいさな体にありったけの生殖器官を詰め込んで、シャーレの底を這いずり回り、藻を食む生物。
 顕微鏡のレンズ越しにしか見られないが、確かにそこには世界がある。ピボットで吸い込み、プレパラートに落とし込んだ一粒のしずくにも、たくさんの命が息づいている。
 そんな極小の世界に僕は惹かれ、そして模型作りを始めた。
 微生物の体の仕組みは単純そうに見えて、実は非常に精密である。ひとつも無駄がなく、全てが合理的にできている。
「例えばウミホタルは、ルシフェリンという発光物質を持っている。この物質を酸化させることによって淡く発光するんだ」
 アヤの方に顕微鏡を押しやって、覗かせる。シャーレの上では、本物のウミホタルが蠢いているはずだ。
「どうしてウミホタルが発光するようになったのかというと……」
「ああ、いいよ。ややこしい説明しなくて。どうせあたしには分からないんだし」
 優しくたしなめる様なアヤの口調に、僕は口をつぐんだ。
 顕微鏡から顔を離して、アヤは小さく笑った。「とってもきれい」。
 僕は少しだけ満たされた気分になり、再度レンズを覗き込む。
 青緑色の燐光を放つあざやかな球体が、宇宙のような闇に浮かんでいる。神さまの流した涙のような、落ちる寸前に煌く火花のような、うつくしい青。
 僕はその光景を、シャッターを切るように瞬きしながら網膜に焼きつけた。瞼の裏の残像が消えてしまわぬうちに、手元のカーボンを同じように切る。
「ほんとに器用だね、ユウちゃんは」
 アヤの感心したような呟きが聞こえたけど、僕は何も答えない。
 しばらく経って、アヤがぽつりと言った。
「不思議だよね、生きてるって」
 僕はそのとき、小さなウミホタルの中に潜む、豆粒よりも小さな心臓を組み立てていた。爪の先で部品の方向を調整しながら、ピンセットでそっと螺子をはめ込む。
「自我が付随しない生だってあるんだよね。羨ましいな」
「仕方ないだろう、僕たちは人間に生まれてきてしまった。事実を受け入れなければ」
 小さすぎて着色もできなかったウミホタルの心臓は白く、けれどなくてはならないものだ。生命にとって。
 だから僕はどんな模型にだって、心臓を入れてやる。例え模型という無機物であっても、これだけは譲れない。指先にありったけの想いを込めて、心の生命を紡ぎ出す。
「人間社会が複雑すぎるのよ。生きもののサイクルって、もっとシンプルなものだったはず」
「例えば?」
「左心房と右心房を隔てる弁を取り払ってしまったら、あたしたちは死ぬ」
「単純明快だね。それでこそ生命だ」
 ユウちゃん、こっち向いて。
 ふいに甘い声で呼ばれ、振り返ると抱きしめられた。
 人差し指に乗せたままの心臓の、ざらつく感触を確かめて僕は言った。
「ごめん、部品だけ置かせてくれる?」
 透明なピルケースの中にそっと心臓を置き、僕はアヤの方に向き直った。アヤは少しふて腐れた顔で、それでももう一度僕を抱きしめてくれた。
「ユウちゃんの心臓の音がする」
 目を閉じたアヤの顔はまるで人形のようだった。白くすべらかな目蓋に、つくりもののような長い睫毛。アヤの胸に耳を押し当てると、確かに鼓動が聴こえた。大丈夫、彼女はちゃんと生きている。
 僕はケースの中で沈黙する心臓をちらりと見た。
 これと同じものがアヤの中にも僕の中にも在って、きちんと動いている。奇跡みたいだな、とどこか他人事のように考えた。
 瞼を閉じると、闇の中でウミホタルが青い燐光を放ちながら遊弋していた。ボルボックスも、ミジンコも。僕も、アヤも。
「ユウちゃん」
「なに?」
「生きてるって素晴らしいことだね」
 返事を返す代わりに、僕はアヤの頬にくちづける。彼女はくすぐったそうに身をよじり、小さく微笑んだ。
沙里子
2011年02月08日(火) 17時50分09秒 公開
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■作者からのメッセージ
一時間三語に提出したものを少し手直ししました。ご感想・ご指摘などお待ちしております。

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No.9  沙里子  評価:--点  ■2011-02-14 19:39  ID:9HJIKQhJRFY
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zooeyさま

ご感想、ご指摘ありがとうございます。

>主題
なるほど、と思いました。納得できたというか、そういう解釈もあるんだな、と。
執筆中は(特に時間制限のある一時間三語では)何も考えていません。
話の構成や主題なども一切考えず、気がついたらこんな作品ができていた、という感じです。
なので感想を頂いて初めて、ああ私はこういう話を書きたかったのか、と気付かされます。(おかしな話ですが)

>会話文の口調
仰るとおりです。これから会話文を重点的に練習します。
自然な会話、いつか書けるようになりたいです。

丁寧なご指摘・ご感想、本当にありがとうございました!
No.8  zooey  評価:40点  ■2011-02-14 01:28  ID:qEFXZgFwvsc
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初めまして、読ませていただきました。

結構前に読んでいたんですが、感想だけ遅くなってしまいました。スミマセン。

丁寧で静かな表現でありながら、生命の力強さをじわじわと感じさせてくれる、素敵な作品でした。

複雑な人間社会の中であくせくと生活して、単純な「生」というものの大切さを、どこか忘れてしまっているような人間と、
考えることすらできずにひたすら「生」を全うする微生物が好対照でした。
実際の大きさとは違い、全エネルギーを「生」に向ける微生物に比べて、人間の卑小さ(というといいすぎですが)を感じました。

でも、社会やらなんやらを取っ払った生身の人間には、微生物と同じような生きる力がある、
そんなことを、終盤で感じることができ、いいなぁと思いました。
読み間違いだったら恥ずかしいのですが、私は今書いたようなことが主題の作品なのかなと感じました。

本当なら50点をつけたかったのですが、
会話文の口調が、少し不自然だったように思ったので。
私の好みも入った意見なのですが、会話文は、かなりフランクになってしまったとしても、
普段、使って不自然じゃない言葉で書いたほうがいい気がするんです。

なので、ちょっと厳しめにつけて40点にします。
厳しく点をつけるほどの力量も、本当はないんですけど(笑)

読めて楽しかったです。また、読ませていただきますね。
No.7  沙里子  評価:--点  ■2011-02-12 12:16  ID:9HJIKQhJRFY
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楠山歳幸さま

ご感想、ご指摘ありがとうございます。

>人間を通した世界なので、ユウちゃんが見た複雑な人間社会の描写があれば
執筆中そのようなことをちらっと考えたのですが、一時間三語ということで時間が足りず、力不足でこれ以上の文量を書くことは不可能でした。
手直しの際にでも直しておけば良かったです……

>「彼女はちゃんと生きている」のところでユウちゃんもアンドロイドかな、と少し混乱してしまいました。
これも私の力量不足です。誤解を招いてしまって申し訳ないです。
一応、前文の描写(アヤを作り物のようだと比喩しているところ)の対比として、「大丈夫、彼女は(人形なんかではなく)ちゃんと生きている」としたつもりでした。
ちなみに二人ともドロイドや人形ではなくて人間です。

やはりまだまだ筆力が足りませんね……精進します。
ご指摘本当にありがとうございました!



あや あつしさま

ご感想ありがとうございます。

>「自我のあることは素晴らしい」ということを暗にほのめかすような描写
本当は、「(自我が在ろうと無かろうと)生きてるって素晴らしいことだね」としたかったのですが、私の力量が足りず、うまく伝えることができませんでした。

>一度、泥臭い人間ドラマを書いてみてください
むき出しの感情と感情がぶつかり合うような作品、また書いてみようと思います。
心理描写が主だった作品というか、気持ちの交錯するようなドラマはあまり得意ではないのですが、完成したらぜひ感想を頂きたいと思います。

ご感想、ご指摘ありがとうございました!
No.6  あや あつし   評価:30点  ■2011-02-12 12:05  ID:SQw/4/DMZgQ
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作者の方の思いがあふれている作品だと思いました。あやのぶっきらぼうで、さりげないてそれでいて繊細な言いまわしがとても好きです。
「自我が付随しない生だってあるんだよね。羨ましいな」
「仕方ないだろう、僕たちは人間に生まれてきてしまった。事実を受け入れなければ」
瞼を閉じると、闇の中でウミホタルが青い燐光を放ちながら遊弋していた。ボルボックスも、ミジンコも。僕も、アヤも。
「ユウちゃん」
「なに?」
「生きてるって素晴らしいことだね」
逆に「自我のあることは素晴らしい」ということを暗にほのめかすような描写ですが、一度、泥臭い人間ドラマを書いてみてください。
No.5  楠山歳幸  評価:40点  ■2011-02-11 23:31  ID:sTN9Yl0gdCk
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拝読しました。

 文体(?)を変えられたのでしょうか。重みのある落ち着いた雰囲気の中で表現される生命、とても良かったです。青の呼吸(とても素敵な題名です)という雰囲気を楽しませていただきました。「自我が付随しない生」のセリフで思わず固まってしまいました。
 ただ、言いがかりで恐縮ですが、人間を通した世界なので、ユウちゃんが見た複雑な人間社会の描写あれば、小さな世界との対比が引き立ったかな、と思います。読解力の無さからですが、「彼女はちゃんと生きている」のところでユウちゃんもアンドロイドかな、と少し混乱してしまいました。

 自分のことを空高い棚に上げて申し訳ありません。
 拙い感想、失礼しました。

No.4  沙里子  評価:--点  ■2011-02-12 12:05  ID:9HJIKQhJRFY
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としおさま

ご感想・ご指摘ありがとうございます。

>アヤの語り口
全く仰るとおりです……!
物語の流れを変えたいがために無理矢理ひねり出した台詞でして、アヤのキャラクター性や会話の自然さなど全く考えていませんでした。
会話文、もっと練習しなければ……。

ご指摘、本当にありがとうございました!
No.3  としお  評価:30点  ■2011-02-10 17:46  ID:kWriX7DAQx.
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沙里子様へ
読ませていただきました。

流れる水のような、美しい文章でした。
淡く光るウミホタルの美しさとその繊細な命の鼓動、そして触れたアヤの鼓動から体感する命の奇跡。一瞬の瞬いた時を凝縮したこの文に、ダラダラした長文しか書けない自分は嫉妬を覚えました。
正直、40点をつけるか迷ったのですが、一点だけ、少し気になったところがあったので……。

アヤの語り初めが、少しだけ、引っかかったのです。
アヤは語り初めで

『ああ、いいよ。ややこしい説明しなくて。どうせあたしには分からないんだし』

『とってもきれい』

と、直感的、感情的な言葉を言いながら、その後で、

『自我が付随しない生だってあるんだよね。羨ましいな』

と、そこから哲学的、思考的な語りをしているところが、? と、何か違和感みたいなものを感じたのです。
……説明になっていませんね。えっと……つまり、アヤの語り初めで私はアヤを、思考的な説明を拒否する、感情的、或いは直感的な子なのだろうと思いました。でも、その後で哲学的な……思考型の語りをした事に、人が変わったような違和感と言うか、引っかかりを感じたのかもしれません。
……言いがかりみたいなものです。すみません。
それでは。
No.2  沙里子  評価:--点  ■2011-02-10 17:53  ID:9HJIKQhJRFY
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Physさま

ご感想ありがとうございます。
今まで自分を縛り付けていた「純文学」「恋愛」の枠を取っ払えて、ようやく自分らしい作品がつくれたと思います。
まだまだ未完成ですが、これから自分なりの文章の書き方、お話の作りかたを固めていきます。

アヤについての解釈は全く想定していなかったので、びっくりすると同時にそこまで読み込んでくださったことを嬉しく思います。
本当に、ありがとうございました!
No.1  Phys  評価:40点  ■2011-02-09 13:51  ID:NhitLNiuHHw
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拝読しました。

正直、絶句しました。すごいです。完璧に自分の書き方を呑み込んでいると
いうか、文章に慈しみを持って書かれているのが伝わってきます。透明感の
ある沙里子さんの筆力に、さらに磨きがかかったような気がしました。

>僕はその光景を、シャッターを切るように瞬きしながら網膜に焼きつけた
この表現がとても好きです。ひたむきに顕微鏡の中の世界と向き合う『僕』
の姿が目に浮かぶようです。

優しい雰囲気の中で幕を下ろすお話でしたが、もし『アヤ』さんも『僕』の
作った人形なんだとしたら……、と拡大解釈して、なんだか悲しい気持ちに
なりました。とにかく感動しました。ありがとうございます。

また、読ませて下さい。
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