ドロイドといち

「たのも〜ぅ」
小さな平屋が立ち並ぶ下町。そこに、こぢんまりとした剣術道場が立っていた。
「たのも〜ぅ……。もう十回目なんですけど〜」
剣術道場の固く閉ざされた木戸の前で、十七、八歳かと思われる袴姿の青年が声を上げている。
「たのも〜ぅ。はい十一回〜。二十回言わせたら罰ゲームだかんな、たの……」
次の瞬間、勢いよく戸が開く。青年はゴツンと鼻をぶつけて、その場にうずくまった。
出てきたのは、年の頃十五、六といった風体の少女だった。稽古の最中だったのか、紺色の道場着を着て、息を切らしている。
「……あり? 誰もいない」
鼻を押さえてうずくまっている青年の姿が目に入らなかったのか、少女はキョロキョロと左右に目を配ったあと、再び戸を閉めようとする。青年はあわてて手を伸ばし、木戸を押さえた。
「……フガモゴッ!」
喋ろうとしても、ぶつけた拍子に出た鼻血のせいで、発話もままならない。しかしなんとか少女の注意を引くことには成功した。
「……」
道に落ちている軍手を見るような眼で、青年を見る少女。
「……フガモゴッ!」
青年は懐から「紹介状」と書かれた封筒を取り出し、印籠のようにかざした。
「……あぁ」
少女は納得したようにポンと手を打つ。
「どうぞ、中へ。えっと、ふがもごさん?」
「……ふが……」
青年は少し涙目になりながら、少女について中へ入っていった。


 時は、あの黒船来航から今年でちょうど三十年。現在も日本は、侍の統べる国だ。当時浦賀にやってきた四隻の船を出迎えたのは、興味津々の江戸っ子たちと、ちょんまげ姿の幕府の侍、そして、黒船の三倍はあろうかという巨大な船艦だった。長く続いた鎖国政策のため、諸外国には全く知られていなかったが、日本は世界中のどの国よりも進んだ科学技術を持つ国家だったのだ。
その後、日本は諸外国と日本優位の不平等条約をつぎつぎと締結し、幕府による統治を存続させながら、現在に至っている。そんな日本の首都である江戸で、この少女、多紀しゅうは小さな道場をひらいていたのだ。


「……ふがもごさん、じゃないんですか?」
青年はざしきに仰向けに寝かされ、両方の鼻の穴にティッシュをつめこまれていた。なかなか鼻血が止まらないようだ。
「ちらいまふ」
「え?」
スポッ、と多紀が勝手に鼻のティッシュを抜く。
「ちがいます、俺にはといちと言う立派な名……」
「あら、いけない。鼻血がたれて……」
話の途中にも関わらず、多紀はといちの鼻にズボッとティッシュを押し込んだ。
「……きしゃま、ほ(お)れにへ(け)んかをふ(う)っているのか……まぁいい」
といちは、鼻血が止まったのを確認してから慎重に起き上がり、居住まいを正して座り直す。
「ここの道場主にお会いしたい。きみ、呼んできてくれるか」
尊大な態度で、多紀に「早く行け」と手真似するといち。が、多紀はすすっとといちに近づくと、その正面にストンと腰を下ろした。
「何をしている」
「わたしが道場主の多紀しゅうです」
ちょこん、と頭を下げる多紀。といちの顔に激震が走る。
「貴様が、道場主……?」
「はい」
ちょっと待て、とといちは腕を組み、目を閉じて数秒間考えをまとめる。
「いくつだ」
「もうすぐ十七です」
「おとーさんは?」
「いません」
「塾頭は?」
「いません」
取り付く島のない返答に、といちは頭を抱えた。
「門下生もいなくて、困ってたんですよ〜。ほんと、といちさんが来てくれて助かります」
にこにこ笑いながら多紀が言う。
「俺は門下生になりたくて来た訳じゃない」
抱えていた頭を急いで上げて、といちが言った。
「え? だって、紹介状を……」
多紀が不安そうな顔をする。
「いや。ちょっと腕の立つやつに頼みたい仕事があって来たんだが。……どうやら紹介所のじじぃに騙されたらしいな。忘れてくれ。邪魔したな」
といちは澄ました顔で立ち上がり、スタスタ帰り始めた。が、突然うしろからえり首をつかまれた。ゴキュッといやな音がする。
「のぅっっ……、首が……。おい、気をつけろよ。首が取れたらどうする気だ」
「セメダインでくっつけます。そんなことより……」
多紀は期待のこもった眼でといちを見つめた。
「仕事ってなんですか?」
「女にやらせる訳にはいかん。危険だ。じゃ……」
立ち上がって再び帰ろうとしたといちだが、またもやすごい力でえり首を掴まれた。
「のぅっっ! ……ちょ、本当やめて。俺センサイだから。首取れたらどうすんの」
「セメダインでくっつけます。そんなことより……」
もはや多紀はといちの襟元を掴んで放さない。
「私、こう見えて腕は立つんです!」
「いや、でも」
「なんなら、この場でお見せしましょうか?」
襟元を掴む手にグッと力が込められ、といちは反射的に首をガードした。
「いい。もう十分だ。貴様の実力はわかった」
といちが引きつり笑いを浮かべながら言う。
「じゃあ、私にその仕事をやらせてくれるんですね?」
「そんなに仕事が欲しいなら、門下生を集めればいいだろう。ここは道場なんだから」
むりやり多紀の手を振り払い、自由になったといちだったが、ふと多紀の顔が曇っているのを見て足を止めた。
「……そんな顔したって同情してやらないぞ」
少し警戒しながらといちが言う。
「同情するなら仕事をください」
「いや、そもそも同情してないから」
といちはため息をついた。
「昨今はそんなに門下生が集まらんのか?」
多紀は言おうかどうしようか、少し迷ってから口を開いた。
「うちは、幕府公認の流派じゃないんです」


 現在江戸には、五十そこそこの剣術流派があり、街には道場がひしめいている。そのほとんどが幕府の認可を受けた流派だった。この道場のような非公認の剣術流派、通称闇剣は、過去に関係者が事件を起こしたなどの理由で、幕府の認可が下りない、または取り消された流派のことで、たいていの場合門下生が集まらず、数年かそこらで廃業に追い込まれるのが普通だった。


「でも、腕は立ちます! やっぱり、この場でお見せしたほうが……」
満面の笑みでにじり寄ろうとする多紀に、といちは思わず後ずさった。
「いい。腕が立つのはわかってる。わかってるから」
「強いんですよ〜」
「わかった! ……ねえ、聞いてる?聞こえてないのかな?」
「りんごとかね、両手で握りつぶせるんです。こうやって……」
「ちょ、多紀さん? あの、多紀さん? ……わかった! わかったから!」
といちはたまらず大声を出した。
「そ、そこまで言うなら仕事をやろうではないか!」
「本当ですか? わ〜い、やった」
打って変わって子供っぽい様子を見せる多紀に、といちは拍子抜けしたが、前言撤回するわけにはいかなかった。


 翌朝。指定された場所で、多紀はといちを待っていた。
昨日といちからは「今こいつを探している」と、五歳くらいの男の子が写った、一枚の写真を渡されていた。
「かわいいですね」
「それは十五年ほど前の写真らしい。現在の姿はそこから想像しろ」
といちが無茶苦茶なことを言う。
「……無理です」
「仕方ないんだ。写真はそれしか無いんだから」
結局、それ以上のことはまるで知らされていなかった。が、おそらく自分は用心棒役をこなしてさえいればいいのだろうと思い、多紀は今日も動きやすい袴姿に木刀を携えて来ていた。
「……くぅん」
「お?」
ふわふわした子犬が一匹、多紀の足元にじゃれついてくる。
「わん」
「よ〜しよし、お前野良か? 野良なら、エサくれそうな人をちゃんと見分けないとだめだぞ」
「くぅん」
「エサくれそうな人を見つけたらね、首根っこをこう、ギュッと。掴んででも放しちゃダメだからね。押して押して押せば、案外何とかなるものよ? 私もきのう……」
「何の話をしている?」
背後から急に声をかけられ、多紀は驚いてふりかえった。
「ひぃっ! といちさん」
いつの間にかといちが後ろに立っていた。
「うしろを取られるなんて、不覚であります!」
「ふん、野良犬相手に本音を垂れ流す方が不覚だと思うがな」
といちは機嫌が悪そうだった。
「……この犬が見えるんですか? わあ、すごい。実はこの子は心のキレイな人にしか……」
「黙れ」
行くぞ、とといちは先に立って、細い路地へと歩き出した。
その路地は、社会の日のあたる場所にはあまり出てくることのない、いわゆる反社会的組織の事務所が集まる通りだった。昼日中であるにも関わらず、どこか薄暗くてジメジメしている。あちこちにある無造作に捨てられたゴミや、「殺す」「ぶっ壊す」などという落書きや、むき出しの錆びたパイプが、ここがどんな場所かを物語っている。
「なるほど、今日の仕事はかちこみですか?」
「違うっっ!」
かちこみ、という多紀の言葉に、近くにいた目つきの悪いおじさん二〜三人が反応したので、といちは慌てて否定した。
「平和的に話し合いをするために来た。ホラ、ちゃんとお持たせも用意している」
といちが得意気に紙袋を突き出す。
「お持たせ……」
中身は、有名でもなんでもない店のカステラだった。
「あ。半額のシールついたままですよ」
「あ、本当だ。マズイマズイ」
はがした半額シールをペイッ、とそのへんに捨て、二人はまた歩き出す。
「そういえば、仕事の説明がまだだったな」
といちが明るい調子で話しかける。周りの雰囲気から完全に浮いていた。
「俺は江戸で何でも屋みたいなことをしている、まあ今風に言うところの青年実業家だ」
「あはは」
「笑う所じゃない」
「……すみません」
といちが咳払いをし、気を取り直して続ける。
「今回依頼されたのは、人探しだ。だが、調べてみたらやっこさん、はにを組から多額の借金をしていて、取立てに追われているらしい」
うんうん、と多紀が相槌を打つ。
「こっちで見つけ出す前にヤクザに消されては元も子もないからな。今日は、はにを組と協力関係を結ぶために来た」
カステラの紙袋をぎゅっと握りしめるといち。果たしてヤクザにお持たせが通用するのか、多紀は一抹の不安を感じた。
「で、私はもしもの場合に、といちさんの骨を拾えばいいんですね?」
「ちがうっっ!」
といちは本日二度目の大声をあげた。近くにいた眼帯をつけたおじさんにギロリとにらまれ、二人はせかせか足を早める。
「そういう不穏な展開になる予定はない。貴様は俺の横でぼーっとしていろ。できれば、あまり喋るな」
「了解ですっ」
多紀は明るく言った。


 はにを組の事務所は、うす暗い雑居ビルの二階にあった。
「何の用じゃ、小僧」
といちと多紀は、階段を上りきったところで、スキンヘッドの二人組に呼び止められた。
「組長に話があって来た」
といちが尊大な態度で用件を告げる。言い方が気に障ったらしく、スキンヘッドに血管を浮き上がらせながら二人組はメンチを切ってきた。
「組長にハナシだとぉ〜!?」
「しばくぞ、ワレ」
威圧的な顔を近づけてくる。といちはハァ、とため息をついた。
「多紀くん、説明しなさい」
「へ?」
急に話を振られ、多紀はすっとんきょうな声を出した。
「私はなるべく黙っとくんじゃなかったの?」
「俺と彼らじゃどうも話が合わん。貴様なら丁度いい」
スキンヘッド二人組がさらに顔を真っ赤にする。
「何が言いたいんじゃ、クソガキャァァ!」
「いてこますゾ、ワリャァァ!」
「まぁまぁまぁ」
多紀があわてて間に入った。
「あの、私たちただの下賎な一般人で、この馬鹿野郎がお気に触ったのならすみません。この人ちょっと緊張してるだけなんです」
といちがムッとして反論しようとしたが、多紀に口をふさがれ、フガモゴ言う。
「えっと、今日伺ったのは、お宅からお金をお借りしている……名前なんだっけ?」
「ふがもご(在部あるべ直記)」
「在部直記さんのことで、お話があって来たんです」
口をふさがれていた手を振り払ったといちが、「今のが聞き取れたのか」と驚きの眼差しで多紀を見つめる。
「てめぇら、在部の関係者か、あぁん?」
「貸した金返しに来たんか、あん?」
一人が多紀の、一人がといちの胸ぐらをつかんで揺さぶった。揺さぶられるままに、首をグラグラさせる二人。
「おい。事態が一向に好転しないぞ。どういうことだ」
すこし苦しそうな声で、といちが多紀に話しかける。
「といちさん、ここは一旦ドロンして、出直しませんか」
多紀もヒソヒソ声でといちに返した。
「それはできん」
「なんで?」
「このカステラの消費期限は今日だ」
「といちさん……」
多紀が涙目になりかけたとき、
「おめぇら、何しちょる」
一段とドスの効いた低い声が、廊下の奥から聞こえてきた。
「わ、若頭……!」
スキンヘッド二人組が、といち達の胸ぐらを掴んでいた手を急に放し、ひざに手をついて頭を下げる。畏まる子分のポーズ。多紀はそんな二人の豹変ぶりをぽかんと見ていた。
「西島、向井。客を通せ」
声の主を見ると、スキンヘッドの二人組よりは大分若く、二十歳前後といった印象の、しかし眉間のしわには海千山千の貫禄が漂う男が、そこに立っていた。
「し、しかし若頭!」
西島と呼ばれたスキンヘッドが何か言いかけたが、若頭にひと睨みされて口をつぐむ。そして、くるりとといちと多紀に向き直った。
「坊ちゃん、嬢ちゃん……」
打って変わって恭しく接せられ、ぶるると多紀が身震いする。
「どうぞ、こちらへ」
「うむ、ごくろう」
当然のように尊大な態度に戻ったといちを見て、スキンヘッド二人組は殴りかかりたそうに顔を歪めたが、そのまま多紀とといちは奥の部屋に案内された。


「切腹上等……」
壁にかけられた標語を、多紀が小さい声で読み上げた。通された部屋は、いかにもヤクザの事務所といった雰囲気だった。
「ああいう日本刀は高いのか?」
といちが床の間に飾ってある二振りの刀を指差して、小声で聞いた。
「知らない……」
「道場主だろう」
「高価なものには縁がないので」
「特注品じゃ」
声がして二人がギクリと振り返ると、さきほどの若頭が部屋に入ってきていた。といちがいそいそと前に進み出、お持たせのカステラを差し出す。
「お時間取っていただいて、ありがとうございます。あのコレ、つまらないものですが」
「おおきに、おおきに」
といちと多紀は、若頭と向かい合ってソファに腰掛けた。遠くから見ても迫力があったが、こうして対面すると息苦しくなるほどの存在感がある。後ろにはさきほどのスキンヘッド二人組が護衛のように立ち、律儀にメンチを切りつづけていた。これも息苦しい原因の一つかもしれない。
「はにを組の若頭しとります。志水二郎いいます」
ナニ若頭に先に名乗らせとんじゃワレ、というスキンヘッド二人の無言の圧力が痛い。
「何でも屋をやっている、といちです。こっちは社長秘書の多紀……」
「用心棒の多紀です」
といちを遮って多紀が言い、頭を下げる。
「ほう、おなごが用心棒とな」
志水は興味深そうに身を乗り出した。といちは「だから言いたくなかったんだ」とでも言いたげな苦い顔をしている。若頭の前でなんちゅう顔晒しとんじゃワレェ、というスキンヘッド二人の無言の圧力が痛い。
「ときに、在部直記という男がはにを組さんから借金していると聞いたのですが」
気を取り直してといちが本題を持ち出した。
「向井、何しちょる。早よぉ、茶ぁ出さんか」
志水が後ろを振り向きもせずに言う。すると、左側のスキンヘッドが「はっ」と畏まり、信じられない俊敏さで奥の部屋へ消えた。
「うちは駿河の茶葉を使うとるんですよ。オジキが茶にうるさいきにの」
話をそらされ、といちは相手の出方を窺うように黙り込んだ。さっき消えたはずの向井がもう戻ってきて、テーブルの上に三人分のお茶を置いていく。
「多紀さん言うたのぉ」
「はっ」
油断していたところに突然話しかけられ、多紀は思わず先ほどのスキンヘッドと同じ反応をしてしまった。
「強いがか?」
志水がお茶をすすりながら聞く。
「……向井さんと、西島さんがお相手なら、良い勝負になるかな〜、とは思いま……ムガッ!」
笑顔で答える多紀の口を、あわててといちが塞いだ。
「用心棒が火種をまいてどうする!」
向井と西島は白眼をむいて激しくメンチを切っている。しかし、志水は笑って手を振った。
「ハハ、ええがじゃ。気にすんな。こん二人はガタイはでかいが、剣はそんなに強うない。機会があったらしごいたってくれ」
「若頭ぁ」
向井と西島が涙目で情けない表情を浮かべる。少し場の空気が和んだところで、再び気を取り直してといちが本題を持ちかけた。
「今日伺ったのは……」
「おまさんらもあの男を探しとるがか」
「はい……」
急に三足飛びに話が進み、といちが少し驚いた顔をする。
「誰に頼まれた」
「それはお話できません」
ふむ、と志水が頷く。しばらくの間、ピリピリした沈黙が流れた。
「どうでしょう、志水さん」
いかにも良い話ですよ、と言うような明るい調子でといちが切り出した。
「こちらで在部を見つけた場合、真っ先にはにを組さんにもお知らせしますよ」
志水が鋭い目でといちを正面から見据えた。
「で、その代わり何をしろと?」
「彼の安全を保証してほしい」
再び重苦しい沈黙が流れた。志水とといちはたっぷり十秒ほど、目を合わせたまま黙っている。する事のない多紀は、向井と西島と交互に目を合わせて遊んでいた。
「……どれだけ頼まれても、それはできん」
志水がゆっくりとつぶやく。
「……わかりました」
先程までは自信満々だったといちが、打って変わってがっくりうなだれる。
「わ、悪いのぅ……」
まさかこれほどすんなりと話が終わると思っていなかった志水は、少し動揺を見せた。
「いえ」
「金借りて逃げとる相手に、手加減なんぞしとったら、この稼業やっていけんき」
「わかりました、お邪魔しました」
といちがそそくさと立ち上がろうとする。多紀はといちの袖をつかみ、小声で訊いた。
「そんなアッサリ帰っていいんですか?」
「ああ。これが志水さんの本心だから、何を言っても変わらんよ」
不思議なことを言うといち。しかしどこか確信を持っているようなあっけからかんとした言い方に、しぶしぶ多紀も納得する。
「おじゃましました。あ、お茶おいしかったです」
お茶を淹れた向井が一瞬ドヤ顔になった。
「……しかしのう」
帰ろうとするといちと多紀の背中に、志水が声をかける。
「あの在部ちゅう男、何か匂わんか?」
といちがキッと振り返る。
「あいつを追っとるんは、俺たちだけじゃないのかもしれん……ああ、気になさんな。ただの独り言じゃ」
志水はといちに笑いかけた。
「……お邪魔しました」
といちも頷いて志水に笑いかける。
「お帰りじゃ。西島、表までお送りせい」


 帰り際、「ぜひいつか立ち合いたいものですな」と皮肉で言った西島に対して、なにを勘違いしたのか、「今度お友達誘ってきてください!」と門下生勧誘を始めた多紀をといちが引きずって、はにを組の事務所を後にした。
「……ホントに来ちゃうぞ、アイツ」
「えっ、そう思います? なら、帰ったらすぐ道場を掃除して、看板を修理して、あ、名札も用意したほうがいいかな……」
ウキウキし出した多紀を見て、といちはため息をついた。
「しかし何だったんだろうな。帰り際に志水さんが言ってたこと」
「え? わかってるような体だったじゃないですか」
「かっこよかったろ」
今度は多紀が、あきれてため息をついた。
「そもそも私、在部直記さんについて詳しいことを何も知らないんですけど。誰が依頼してきたんですか? どんな人なんですか?」
「依頼してきたのは、彼の姉の在部翔子だ。在部直記のことは、大学でバイオテクノロジーを研究している研究者だと言っていたんだが、どの大学をあたってもそんな研究者は見つからなかった」
のっけからの不正確な情報に、多紀は驚いた。
「お姉さんが嘘を言っていたということですか?」
「それが、そうでもないようだ」
なぜそう言い切れるのか、聞いてみたい気がしたが、といちがあまりに確信に満ちた態度で言い切ったので、多紀は口をつぐんだ。
「おそらく嘘をついているのは在部直記の方だろう。翔子さんは、弟の仕事や交友関係についてあまり知らないようだったな」
ふ〜ん、と多紀が口を尖らせる。
「疎遠だったんですか?」
「いや、とても仲の良い姉弟だったそうだ」
理解の範囲を超えている。
「え〜と、仲は良かったけど、弟さんについてはあまり知らないと……?」
「そうだ」
といちは腕組みをして、うんうん頷いている。
「なるほど」
多紀も腕組みをして、とりあえずうんうん頷いた。
「その弟が、二週間ほど前から急に連絡が取れなくなり、心配した翔子さんが家を訪ねてみると、家財道具の一切と弟さんの姿がドロンしていた、という次第だ」
「……それでなんの手がかりもないんですね」
「そうなんだ。俺もう困っちゃった」
珍しくといちが弱音を吐く。そのとき、といちの懐から携帯電話の着信音が聞こえた。気のせいか、一瞬といちの顔が青ざめる。
「……といちさん? 鳴ってますよ」
「ん? あ、ああ」
「出ないんですか?」
多紀が訝しげに聞く。
「出るよ、出ますよ……」
おもむろに携帯電話を取り出すといち。多紀から二、三歩離れ、まじめな面持ちで携帯を耳に当てる。そのまましばらくボソボソと話していた。手持ち無沙汰になった多紀は、広場で憩うハトの数を「ひぃ、ふぅ、みぃ」と数え始める。
「じゅうさん、じゅうし……」
「おい」
突然、といちが多紀の腕をつかんで引き寄せた。
「行くぞ。用心棒の出番だ」


 たどり着いたのは、閑静な場所に建つ立派なお屋敷の前だった。
「といちさん」
「何だ」
「用心棒って何だっけ……」
出番だと言われ、どんな危険地帯に出向くのかと期待していた多紀は、拍子抜けした調子で言った。
「油断するな、多紀。しっかり頼むぞ」
といちは少し緊張している様子だ。そして、意を決したようにお屋敷の門をたたく。すぐに奥からカラコロと下駄の音がして、カタンと戸が開いた。中から出てきたのは、多紀より五、六歳年上の、色白のきれいな女性だった。
「といちさん。お待ちしておりました。それで、直記の居場所は……?」
柔らかな物腰で女性が聞く。あぁ、この人が姉の翔子さんか、と多紀は理解した。
「はい。実は……」
といちが口ごもる。
「実は?」
涼やかな微笑を浮かべる翔子さん。
「今のところ皆目見当もつかない次第です」
次の瞬間、翔子さんは笑顔でといちの首を絞め上げた。
「うぐっ……た、多紀……これ何とかして……」
「必要経費として、あなたにいくらお支払いしたか、覚えてます? 三日で見つけてみせると豪語なさったからといちさんに依頼しましたのに、まだ何もわからないんですか?」
「といちさん、そんな口約束したんだ……」
冷たい目で多紀がといちを見る。
「私、たべものを粗末にする男と、大口叩く男が一番嫌いなんです」
翔子さんはなかなか手を緩めようとしない。といちの顔が青ざめてきたので、ようやく多紀は二人を引き離しにかかった。


「……という訳でして」
多紀はといちと翔子さんを安全に引き離してから、これまでの微々たる成果をかいつまんで話した。といちは首を両手でしっかりガードし、多紀のうしろに半分隠れるようにして立っている。まるで他人の家を覗き見る家政婦のような姿だ。
「そうですか。あの子が借金を……」
翔子さんは悲しそうにうつむいた。
「きっと無事に直記さんを捕獲します」
といちが力強く言うが、多紀のうしろに隠れたままなのであまり説得力がない。翔子さんは、悲しそうだったがクスリと笑顔を見せた。
「あの子、直記は……昔から頭が良くて、飛び級で大学を出たんです」
「ほぅ」
といちも初耳だったらしく、興味深そうに少し身を乗り出した。
「でも大学を出た頃から、自分のことをあまり話してくれなくなって。とても大きな仕事に関わらせてもらって、やりがいがあるから大丈夫だ、って、笑って言っていたので、私も信じていたんですが……」
うつむく翔子さん。
「大きな仕事、か……」
といちが遠い目になった。
「バイオテクノロジー関係で大きな仕事というと、といちさん、関連する会社も当たってみたほうが……」
「それはもうやった」
といちの答えに、多紀も翔子さんも意外、という顔をした。といちが思いっきり不満そうな顔をする。
「お前ら、俺をポンコツだと思ってるだろ」
「いえいえ、まさか……」
「そんな、ねぇ……」
図星だった二人が、顔を見合わせてごまかし笑いをする。といちがチッと舌打ちをした。そのとき、またといちの携帯電話がプルルと鳴った。今度はすぐに出るといち。
「もしもし?」
電話に出たといちが、何も言わずに多紀に携帯を差し出した。
「電話に出るのも、用心棒の仕事なんですか!?」
多紀が面食らう。
「ちがう。お前に電話」
不信感を露わにしながら、多紀は携帯を受け取った。
「……もしもし」
携帯から聞こえてきたのは、以前にも聞いたことのある声だった。
「多紀ちゃんか?」
「……えっ!? 志水さん?」
思わず大きな声を出すと、といちと翔子さんがいそいで携帯に耳を寄せてくる。
「何で番号が、え? 何で?」
「カハハ。はにを組を見くびったらいかんぜよ。江戸は全て、わいらのシマじゃきの」
電話口で志水が楽しそうに笑う。いたずらが成功した子供のようだ。
「志水のアニキ……!」
驚きのあまり我を忘れて、おかしな事を口走る多紀を、といちがパカンと叩いた。
「ぃたっ……! それで、私に何かご用ですか?」
気を取り直して多紀が聞くと、突如志水は声のトーンを落として囁いた。
「今晩八時。浦賀のふ頭じゃ」
「へ?」
「幕府管轄の理工学問所のコンテナがあるじゃろ。そこに来い」
聞き耳を立てていたといちがピクン、と何かに反応した。一方多紀は未だに訳がわからない。
「は、果し合いの申し込みか何かですか?」
「ハハハ、鈍かのう。男の呼び出し言うたらデートの誘いに決まっとるじゃろ」
志水はまたいたずらっぽく言うと、そのまま電話を切ってしまった。ツーツー、という電子音をたっぷり六回聞いてから、多紀はゆっくりといちに携帯を返した。
「あの、志水さんにデートに誘われたんですけど……」
腑に落ちなさそうに告げる多紀を、といちが哀れむような眼で見た。
「この状況で、どう考えても違うだろ……」
「弟の……ことでしょうか?」
翔子さんが緊張した面持ちで尋ねる。
「おそらく、そうでしょう。明日こそは、弟さんを連れてこの屋敷をお尋ねします」
思わぬ手がかりを手に入れ、意気揚々といった様子でといちが言う。翔子さんも、よろしくお願いします、と言うように頭を下げた。
「……それにしても志水さん、私たちとは協力しないって言っていたのに」
多紀が不思議そうにつぶやく。
「カステラが効いたのかな。やっぱり、持って行ってよかったな」
あはは、と笑うといちに再び若干の不安を感じながら、多紀は翔子さんに見送られて、浦賀へと向かった。


 夜七時。あたりはもう薄暗くなっていた。所々にたつ街灯の明かりをたよりに、といちと多紀は浦賀の理工学問所コンテナを目指してふ頭を歩いていた。
「えっと、これが東燃屋のガスタンクなので、あ! アレです。あの一番大きいコンテナです」
といちが地図は読めないと言い出したので、多紀がなんとか場所を探した。
「思った通りだ」
「フン」
二人はタンク伝いに腰をかがめて移動し、理工学問所コンテナの入口が見える位置に陣取った。
「しっ、誰かいる!」
多紀がといちの腕を引っ張って、近くに積まれていた木箱の影に身を隠す。
「二人……三人か?」
といちが暗がりの中で目を凝らす。すると突然、すぐうしろで人の声がした。
「心配いらん。はにを組のもんじゃき」
「ひぃぃっ!!」
「うわわっ、志水さん!」
といちと多紀ができるだけ押し殺した悲鳴を上げる。いつの間にか、二人の背後に志水が立っていた。
「忍び込むのがうまいのう。てっきり来ちょらんかと思ったぞ」
二人を見下ろしてニッと笑う志水に対し、といちは胸を抑えて「まだ鼓動が聞こえない……脈が……」とブツブツつぶやいている。
「志水さん、在部直記がここに来るんですか?」
多紀が聞いた。
「正解じゃ」
志水は二人のそばに腰を下ろし、声をひそめて話し始めた。
「ちと状況が変わったきぃ、二人にも来てもらったんじゃ。何ちゅうか、ちょっとした緊急事態ぜよ」
志水のただならぬ様子に、多紀は携えた木刀を握りしめた。といちは「カステラ効果じゃなかったのか」とでも言いたげな、不服そうな顔をしている。
「在部を追っとる、俺たち以外の人間いうんが誰か、二人は見当ついとるがか?」
「いえ、全然」
といちが何か言う前に、多紀が答えた。志水はその答えを予想していたかのように、ウンウン頷いた。
「理工学問所の連中じゃ」
といちが息を飲んで固まった。一瞬苦悶するような表情を浮かべたが、薄暗がりのおかげで志水と多紀にはその顔は見えなかった。
「え!? あのコンテナの……?」
多紀が驚いてコンテナと志水の顔を見比べる。
「そうじゃ」
「でも、どうして? あ、お金を借りてたんですか?」
「ちょっと違うな」
志水が苦笑いしながら言う。
「かなり違うだろうな」
といちが被せて言った。
「実はついさっき、うちの若いもんが在部の家近辺をウロチョロしとる怪しい人間をつかまえてのう。そいつが、ちょっと脅したら何から何まで吐いてくれたんじゃが……」
コンテナの方でカツーンと物音がした。三人とも急いで音のした方を凝視したが、そこにはぼんやりと薄暗がりが広がっているだけだった。コンテナ脇に控えるはにを組の人間が、志水に向かって「異状なし」と合図を送る。志水は話を続けた。
「そいつの吐いたところによると、在部直記は元理工学問所の研究員だったらしい。そして、何があったかわからんが、今は学問所が在部を殺そうと躍起になっとる」
「幕府の機関なのに、ずいぶん物騒な学問所ですね」
と、多紀。
「そん通りじゃ」
志水が膝をたたいて多紀の顔をのぞきこむ。辺りはますます暗くなり、お互いの顔さえも見えにくいほどだった。
「この学問所、どんだけ調べても詳しいことはさっぱりわからん。はにを組の全人員が総出で、半日かけて探したのに、住所さえもわからん有様じゃ。しかし、債務者を殺そうとしとるとなれば、黙ってはおれん。この世からドロンされては、取り立てることもできんくなるきにの」
「それで、今晩八時に在部はここに来るんですか」
といちが真剣な様子で聞いた。
「ああ。この情報ば吐かせるのには、ちぃと手こずったが……」
志水が何かを振り下ろすような、物騒な仕草をしてみせる。
「まあ、時間に間に合ってよかった」
「ま、待ってください……!」
多紀が突然、緊迫した声を出した。
「なんや?」
「清水さんがとっつかまえた、学問所側の人間がその情報を持ってたということは、この場にそのナンチャラ学問所の人たちも来てるということですよね?」
「ええ所に気づいたな。そうじゃけえ、はにを組も五十人体制で出張っちょる」
志水の力強い言葉を聞いて、多紀はホッと胸を撫で下ろした。そして、腰にさした木刀をギュッと握り直して志水に向き直る。
「何かあったらわたしも助太刀いたします!」
志水は顔を緩めてあはは、と笑った。
「多紀ちゃんはといちくんの用心棒じゃろう。といちくんを放っといてええんか?」
「あ。そうだった」
多紀もあはは、と笑う。しかしといちは、相変わらず真剣そのものの様子で言った。
「いや、何かあったら多紀は、はにを組と一緒に行動したほうがいい」
不信そうな顔で、志水と多紀がといちをのぞきこむ。
「なんで?」
「何でもどうしてもない」
といちが少し怒ったように、声を荒げた。
「いいから、言った通りにしろ」


 それから一時間ほどが経ち、といちの持っている懐中時計では、時刻は午後八時を少し回っていた。ピリリと張り詰めた静けさが、ふ頭を覆っている。さきほどから同じ格好でしゃがんでいた多紀が、ブルっと身震いした。
「寒いか?」
といちが気にかける。
「いえ、あの……」
多紀が言いよどむ。
「気のせいだと良いんですけど、なんか、辺り一面人の気配だらけなんです」
といちと志水が顔を見合わせる。そのとき、多紀がコンテナの方を指さし、抑えた声で言った。
「誰か歩いてくる!」
急いでといちと志水も、コンテナの出入口付近に目を凝らす。真っ暗な埠頭の中に、その部分だけ街頭で照らし出されて、はっきりと浮かび上がっている。まるで一枚の絵のようだった。
「誰も来ないぞ……」
といちが言いかけたその時、街灯の明かりの下に、一人の男のシルエットがふっと現れた。周囲の緊張が一気に高まる。男は、カーキ色のワークキャップを目深にかぶっており、人目をはばかっている雰囲気が手に取るように感じられた。
「あいつじゃ」
志水が低く唸る。在部と思われる男は、足音を忍ばせてまっすぐ歩いていくと、ポケットから何かを取り出し、コンテナの扉の鍵をガチャガチャいじり始めた。水を打ったような静けさの中に、金属がぶつかり合う小さな音だけが響いている。
「……囲め!」
タイミングを見計らっていた志水が、ついに合図を出した。途端に五十人のはにを組組員が四方八方の物陰から姿を現し、気勢をあげて在部を取り囲む。志水、といち、多紀の三人も遅れじと駆けつけた。
「在部ぇ! 大人しく……」
志水が野太い声で叫ぶ。が、それを遮ってといちが声を張り上げた。
「在部さんっ! 僕です!」
包囲網の中心で、逃げるすべもなく固まっていた在部が、その声にピクンと反応した。
「僕です! といちです!」
「と、といちくん……?」
在部が救いを求めるような目で、といちの姿を探す。その場にいる全員の視線を一身に浴びて、といちが前に進み出た。
「といちくん……」
在部がワークキャップを取った。まだ二十歳くらいに見える若い男で、どことなく姉の翔子さんに似ている。ひどくやつれているのは、逃亡生活のプレッシャーからだろうか。
「といちさん、在部さんと知り合いだったんですか?」
多紀がおそるおそるといちに聞いた。志水は、探るような鋭い目でといちを睨んでいる。
「後で話す。今はとにかく、早くこの場を離れよう」
素っ気なくといちが答えた。
「いつから俺たちに隠しとった?」
志水がドスの効いた声で問いただす。といちは切迫した表情で志水に向き直った。
「たしかに在部さんとは知り合いだ。でも本名を知らなかったから、さっき詳しい話を聞くまでわからなかったんだ。事情は後で説明する。頼むから、一刻も早くここを離れよう」
そのとき、在部が急に怯えた声を出した。
「と、といちくん……」
在部につられて後ろを振り返る。と、突然フラッシュをたかれたような眩しさに、多紀は思わず目をつむった。いくつもの大型照明が、一行を照らしていた。先ほどまで真っ暗だったふ頭は、一瞬で昼間よりも明るくなった。
「在部さん、大丈夫です」
といちが怯える在部をかばうように前に立ちふさがった。多紀もそのそばに駆け寄る。まぶしさに目が慣れ、辺りを見回した組員たちがざわめいた。一行を取り囲んでいたのは、まるで警察の機動隊のように完全武装した集団だった。金属製の盾がぐるりと黒い壁を作っている。あまりの威圧感に、何人かの組員が「ひっ」と後ずさった。
「しっかりせんかァ、てめぇら!」
志水が大声で組員を叱咤し、黒い壁と向き合って前に進み出る。
「若頭っ、あぶねぇ……」
組員が口々に制止するが、志水は前に出たまま退こうとしない。すると、黒い壁の一部が割れ、白衣を着た一人の老人がゆっくりと姿を現した。
「灰間博士……」
在部が震える声でつぶやく。
「はにを組のみなさん……」
見かけによらずよく通る声で、老人が話し始めた。
「どうぞご安心ください。我々はあなたがたに危害を加えるつもりはございません」
落ち着いた口調だった。だがそのゆったりとした微笑みに、多紀は薄ら寒いものを感じた。
「そんじゃったら、今すぐお帰り願えんかのう。わしら今忙しいき」
志水は、組員たちの発する殺気を打ち消すように、のんびりした調子で言った。それに対して老人も、世間話をするような悠長な調子で返す。
「この度は、うちの研究員の在部が、はにを組さんにとんだご迷惑をお掛けしたそうで。面目次第もございません。私は、彼が勤めていた理工学問所の所長をしています、灰間驢人と申します」
ゆっくりと灰間はこちらに向かって歩を進める。
「在部がお借りしたお金は、学問所が責任をもって支払わせていただきます。利息もすべて、お支払いしましょう。ですから、在部をこちらに引き渡していただけますか?彼はうちの、大切なブレーンですからね」
灰間は在部を見据えながら、にっこりと微笑んだ。
「んな口約束が信じられるか!」
組員の中から声が上がり、賛同の声がわーんとふくらむ。しかし志水が片手を上げると、途端に全員が口をつぐんだ。
「それはもっともなこと」
灰間は物分りよさそうに頷き、「辺見くん」と黒い壁に向かって声をかけた。再び壁がパックリと割れ、向こうから白衣を着た三0歳くらいの男が現われる。手には、大きなスーツケースを提げていた。
「在部くんがお借りした金額は……」
「元金が五千万。十日で一割の利息を加えて、今は五千七百五十万じゃ」
志水の言葉を聞いて、辺見は黙ってスーツケースを開けた。中には、大方の予想通りぎっしりと札束が詰まっていた。
「一億円です」
こともなげに灰間が言った。
「四千二百五十万円余分ですが、それは迷惑料だと思ってお受け取り下さい。さて、はにを組さんはこれで手を引いてくださいますかな?」
沈黙が流れる。組員たちは、戸惑った目で志水の背中を見ていた。ずいぶん長いこと志水は黙っていたが、つとスーツケースを取り上げると、近くにいた組員にそれを投げてよこした。
「……わかった。退くぞ、てめえら」
低い声で答える志水に、といちは観念したように小さくため息をついた。
「多紀」
「なんですか? 金魚に餌をやっといてくれとか、言わないでくださいよ?」
「いや……」
といちがふっと笑った。
「貴様も志水たちと一緒に行け」
「……ほら、そうやって死亡フラグを立てる。縁起でもない」
「お前は何でも茶化すんだな」
吹っ切れたように笑うといちを、少し心配そうな目で多紀が見た。しかし、その視線はすぐ志水に向けられた。
「あれ? ……志水さん?」
多紀がいぶかしげな声を出す。つられてといちも志水に目を向けると、そこには相変わらず灰間の正面に立ったまま微動だにしない志水の姿があった。しぶしぶ撤収しかけていた組員たちも、志水が動かないのを見て足を止めた。
「何の真似ですかな?」
冷ややかな声で灰間が聞く。
「はにを組は手を引くと、仰ったではありませんか」
「ああ、言った。じゃけえ、はにを組は撤収する。お前らさっさと帰れ」
志水がうしろで立ち尽くす組員たちに向かって言った。
「し、しかし若頭。若頭が残るのなら……」
「俺ぁ、たった今、若頭をクビになったき」
志水が声を張り上げる。組員たちは驚きのあまり声も出ないようだった。
「わ、若頭は若頭です」
絞り出すようにそう言ったのは、あの西島だった。
「すまんのう」
顔だけ振り向いた志水は、笑っていた。
「若頭の地位についたとき、オジキと約束ばしたんじゃ。若頭であるからには、何よりも組織のことを、組員のことを一番に考えて行動せい、と。それが出来んなら、若頭の資格はないと。じゃけんど今の俺は、組のためじゃない。そこに居るといちのために動こうとしとる。俺にはもう、若頭の資格は無か」
「志水さん……!」
といちが何かを言いかけたが、志水は手を振ってそれを遮った。
「ああ、悪か悪か。『といちのため』なんざ、といちくんにとったら傍迷惑な話じゃな。とどのつまりは、自分のためぜよ。今日より先も、アンタらの元気な姿を見たいと思う自分のためぜよ」
といちも組員も、何も言えずにただ志水の後ろ姿を見ていた。
「何しとる、お前らはさっさと事務所に戻って、はにを組を守れ」
組員は誰ひとりとして動かなかった。
「早よ行け言うとるだろうがっ!」
志水が肩越しにキッと睨みをきかせる。そのとき、緊迫した空気を破って、突然乾いた笑い声が聞こえた。笑い声をあげたのは、灰間だった。
「何を笑っとるんじゃ、じじい!」
殺気立った組員が次々に口を開く。しかし灰間は相変わらず悠然と言った。
「……いや、これは失敬。やはり、極道さんのお考えになることは、我々には予想もつかんと思いましてな。あなた方相手に話し合いなんぞしようとした、私が愚かでした」
そして、志水からスっと視線を外し、奥にいるといちに目を合わせた。といちもまっすぐ灰間を見返す。
「……とは言っても、こんな人目につく場所で、極道さんと派手にやりあうのも、我々の望むところではない。といち、在部くんを始末しておきなさい」
みんなの視線がいっせいにといちに集まった。しかしといちの表情からは何も窺い知ることができない。
「在部くんを殺せば、学問所への貢献として次の査定にプラスしておいてあげよう」
突然訳のわからないことを言い出す灰間。
「……なに? 査定? プラスって何のこと?」
多紀が小声でといちに話しかける。といちはそれに答えず、黙ったまま多紀と数秒間目を合わせた。多紀がふと後ずさったその時。振り向きざま、といちの手元にギラリと鈍い銀色のものが光った。
「……といち!」
多紀と志水の声が重なる。
「在部さん、ごめんなさい」
といちの顔に暗い影が降りていた。呆然と立ちすくんでいた在部が、ガクッと膝をつく。袴の腹の部分がみるみる真っ赤に染まっていった。
「在部さん! 大丈夫ですか!?」
多紀がそばに駆け寄り、在部の肩を支える。
「とい……ち、くん……」
在部は何か言いたそうに口を開いたが、次の瞬間からだの力が抜け、その場にバッタリ倒れ伏した。
「在部さん! 在部さん!」
多紀が耳元で呼びかけるが、在部はぐったりと倒れたままだ。志水がいそいで在部の首元に手を当て、脈を確かめる。数秒間顔をしかめて脈を探していた志水が、パタリと手をおろして首を振った。
「死んどるぜよ、多紀ちゃん」
清水の言葉を合図に、周囲を取り囲んでいた学問所の武装集団がガチャガチャと撤退の準備を始めた。
「といち」
灰間が、うつむいて立ち尽くしているといちに声をかけた。といちが握っている脇差からは、まだ鮮血がポタポタと垂れている。
「お前もやっとソレらしくなったな」
そして、多紀に視線を移し「せめて立派な葬式でも挙げてやりなさい」と言い捨てて、灰間の一行は去っていった。


 まぶしすぎる照明に代わって、いつのまにか出ていた満月があたりを照らしていた。その場に残されたのは、はにを組組員たちと、志水、多紀、そして血の滴る脇差を握りしめたといちと、倒れたまま動かない在部だった。
「奴ら行ったがか?」
志水がといちに聞く。
「ああ」
といちが用心深く辺りを観察してから答えた。
「もういいですよ、在部さん」
多紀が告げると、死んだはずの在部が突如、ムクリと起き上がった。悲鳴を上げるはにを組の組員たち。
「ど、ど、ど、どういう事ですかい? 若頭……」
志水があっはっは、と笑ってから少し困った顔で答える。
「俺ぁ、在部の脈ば見ようとした時に、多紀ちゃんに言われて、在部が死んどるっちゅう芝居をしただけぜよ。……一体どういうことじゃ、多紀ちゃん?」
多紀も困った顔で答えた。
「いや、わたしも、といちが脇差を取り出す直前に、在部さんを殺すふりをするから、口裏を合わせろって言われただけで……どういうこと? といちさん」
といちがふぅっ、と息を吐く。
「どこから説明しようか……」
「て言うか、血!! この血は? 在部さん怪我してないの?」
はじかれたように多紀が在部の腹のあたりを確かめる。
「……うん、少し切れたけど、大丈夫みたい」
在部が答えた。たしかに、着物には派手に鮮血がついているが、体にはそれほど傷はついていない。
「それは俺の血だ。大丈夫」
といちが静かに言う。
「といちの血?」
多紀が見ると、といちの右手首がざっくり切られており、そこからポタポタと今も大量の血が流れていた。その光景に、さすがの多紀も真っ青になった。
「おいっ、この近くの医者さがせ!」
志水が慌てて組員に命じる。呆然としていた組員たちもハッと我に返り、医者を探しに駆け出そうとした。が、といちは「大丈夫です」とそれを制した。
「大丈夫じゃないでしょ、この大馬鹿……!」
多紀の怒鳴り声が途中でやんだ。よく見るとといちは、顔色もさほど悪くなっておらず、平然とした様子で立っている。多紀と志水は黙ってといちを見つめた。
「この血は……怪我した時に、出血しないと怪しまれるから、便宜上流れてるだけなんだ。平気だよ」
といちが自分の手首の傷を見て苦笑する。
「怪しまれるって……?」
「何を……?」
目の前の光景を信じることができない多紀と志水に、在部がゆっくりと語りかけた。
「といちくんはね、……アンドロイドなんだ」
「あんどろいど?」
その場にいた全員がポカンと呆けた表情になる。
「ああ、あれですか……あの、モンゴロイドみたいな?」
多紀が引きつった顔で、なんとか話を理解できる範疇に引き戻そうと努力する。
「モンゴロイドじゃない。アンドロイドだ」
といちが真面目くさって言った。
「残念ながら、俺は人間じゃないんだ」
あたりは完全に静まり返った。そんな沈黙の合間を縫って、在部がポツポツと説明を続ける。
「理工学問所は、生物学や化学の最先端技術を研究している機関なんです。でも、そういった研究……とくに生物系の研究のなかには、倫理的な面で物議を醸すようなものが多いんです。たとえば生物兵器の作製だとか、クローン技術の研究だとか」
そこまで話すと、在部の表情が苦痛でわずかに歪んだ。
「だから理工学問所は、極秘でそうした研究を進めているんです。そしてその重要プロジェクトの一つが、灰間博士が先頭に立って進めている、アンドロイド造成計画。……僕も、そのプロジェクトチームの一員でした」
罪悪感を噛み締めているような言い方だった。
「どうやってそげな物を……いや、それより……そげな物を作ってどうするんじゃ」
志水が聞いた。
「最終的には、人間ができないような危険な作業を、アンドロイドに任せることで、さらに日本を発展させようというのが学問所の目標です。兵士として戦地に送ったり、過酷な環境での実験を行わせたり……」
在部が気遣わしげにチラリとといちを見た。といちは、ぎゅっと拳を握ったまま黙っている。
「俺は……」
ゆっくりとといちが口を開いた。
「俺は、試作品の第十一号なんだ」
「あっ」
多紀が声を上げる。
「それで、といちなの?」
「そうだ……」
といちは少し微笑んだ。
「試作品は全部で二十体いた。それぞれすこしずつ個性や能力が違って……、こう言うと怖がられるかもしれないが、中には特殊な能力を持っているやつもいる。」
「もしかして、といちも……」
多紀にはいくつか思い当たる節があった。
「珍しく鋭いな」
といちが無理矢理笑顔を作った。
「そうだ。俺は、人がウソをついているかどうか、見分けることができる」
はにを組の事務所で協力を断られたとき、やたら自信を持ってこれが志水の本心だと断言したといち。翔子さんについて、嘘を言っている様子はないと断言したといち。そんな記憶がつぎつぎと多紀の脳裏を駆け巡る。
「学問所は、二十体の試作品を社会に送り出して生活させ、どうプログラムすれば優秀で適応力の高いアンドロイドが作れるのか、実験しているところなんだ」
「そんで、今もちゃんと二十体いるがか?」
二十体いた、というといちの言葉が気にかかっていた志水が、鋭く聞いた。
「ああ、いや……それは」
といちは平静を装っていたが、内心動揺しているのが見て取れた。
「今は十三体だ。毎月の査定で、処分されるものもあるから……」
「処分?」
多紀が愕然として聞いた。
「ああ。社会のなかで結果を出せないアンドロイドは、失敗作とみなされる。そんなものをいつまでも存続させておく理由はないから……」
といちは皮肉っぽく笑った。
「能力が足りないと判断された試作品は、すぐに回収されて処分されるんだ」
志水がギリっと奥歯を噛み締める。一呼吸おいてから、といちが今度は在部を見据えて、話を続けた。
「俺も先月、処分されるはずだったんですよね?」
在部が驚いた表情を見せる。
「知っていたのか? といちくん」
「在部さんが、その処分をやめさせたんですか?」
たまらなくなって多紀が聞いた。
「……先月、といちくんは事故に遭って、修理しないと動けない状態になったんだ」
と、在部。その続きをといちが引き取る。
「俺はもともと、成績も芳しくなかった。だから結果を出すことに、だいぶ焦っていたんだ。でもそれが原因で事故に遭って。学問所は、修理に金をかけるくらいなら処分しようと決定した。でも、在部さんが、修理代は全額出すからと頼み込んで、俺にチャンスをくれたんだ」
志水がハッと気付いたように言った。
「そんじゃあ、俺らから借りた金っちゅうんは……」
といちが頷く。
「俺の修理代だ。貯金をはたいて、家財道具も売って、それでも足りない分をはにを組から借りて、直してくれた。あなたは恩人です」
といちの言葉に、在部は大きくかぶりを振った。
「恩人なものか。きみの仲間のアンドロイドを、もう七人も、僕は処分してしまった」
在部は、身体の震えを押さえ込むようにギュッと両腕を抱え込んだ。
「せめて、このプロジェクトを公表することができたら、償いになったんだが……」
悔しそうに在部が言う。
「公表しようとしていたから、学問所に追われていたんですね?」
多紀が気遣わしげに聞いた。
「はい」
在部が背後にそびえるコンテナを仰ぎ見る。
「逃亡中に、偶然このコンテナの鍵と言われているものを手に入れて。この中には、機材や過去の資料の一部が保管されています。だから、鍵さえあればこの事を公にできると思って来たんですが……どうやら全て、僕を誘い出すための罠だったようです」
在部はしばらく鍵を手にとっていたが、やがてそれをポイと捨てた。
「多紀、それから志水さんと、はにを組のみなさん……」
まだ呆然としている一同に、といちがあらたまって声をかけた。
「危険なことに巻き込んでしまって、本当にすまなかった」
神妙に頭を下げるといち。
「多紀……」
今までと違うといちの様子に、多紀はしどろもどろになった。
「いや、その、巻き込まれたというよりは、私の方から巻き込まれに行った訳だし……」
といちは少し微笑んだ。
「用心棒してくれた報酬は、また郵送するよ。世話になったな」
多紀は驚いて顔を上げた。
「手渡しでいいです!だってまた、次の仕事で会うでしょう?」
ハハ、と短く笑って、といちが首を振る。
「道場、頑張って続けろよ」
といちは多紀に向かってそう言い残すと、在部に「お姉さんが待ってますよ」と小さく声をかけた。それを受けて在部も、一同に向かって深々と頭を下げ、先を行くといちの後を追いかける。
「といちさん!」
多紀が後を追う素振りを見せたが、その腕を志水が掴んで制止した。
「多紀ちゃん、帰るぜよ」
「けど……」
「これ以上関わらんほうがええ。もう俺らの出る幕じゃなか」
厳しい口調で志水に言われ、多紀もはにを組と共に、暗い港を後にした。


 二日後。ほったて小屋のような粗末な平屋が立ち並び、細い路地の入り組んだ下町を、編笠をかぶった一人の男が歩いていた。時刻は昼前。あちこちの家から、昼ごはんを準備するせわしげな音が聞こえていた。顔にドロをつけた子どもが数人、路地を駆けていく。一件の家の前で男は立ち止まり、破れかぶれの障子戸をトントン、とノックした。
「はい?」
ガラリと障子戸が開く。
「……志水さん」
「よぅ、といち」
家から出てきたのはといち、訪ねてきた男は志水だった。
「よくここがわかりましたね」
仏頂面でといちが言う。志水がわはは、と笑った。
「お前こそ、うまく隠れとるのぅ。はにを組総出で、探し出すのに二日もかかったぞ」
えらいこっちゃ、と肩をすくめる志水。
「上がらせてもらうぜよ」
といちを押しのけ、志水はズカズカと家に上がり込んだ。


「あ、茶なら冷たいお茶がよか〜」
編笠で自分を扇ぎながら、志水が奥にいるといちに声をかける。
「茶葉を切らしてます」
といちがドン、と志水の前に氷水の入ったコップを置いた。
「おお、すまんすまん」
志水は一気に水を飲み干した。
「……で、一体何の用ですか?」
といちがしびれを切らして尋ねる。
「んん、まあ用というほどでもないんじゃけぇの……」
しばらく沈黙が流れたのち、志水が思い出したようにポンと膝を打った。
「そうそう。多紀ちゃんがものすごい勢いでお前を探しとるぞ」
といちが顔をしかめた。
「ものすごい勢い?」
「ああ。シラミつぶしに聞き込みしちょる。お前、見つかるのも時間の問題じゃな」
といちがため息をつく。
「あの野郎……」
そんなといちを見て、また志水がわはは、と笑った。
「お前、今は何しちょる? また何でも屋か?」
「ええ、まあ」
といちがポツリとこぼした。
「仕事選んでたら、実績が積めませんからね」
「ふ〜ん」
志水がうなった。
「しかし、お前一人っちゅうんもいろいろと大変じゃろ」
「いえ……」
といちは、多紀と一緒に志水の事務所を訪れたことを思い出し、思わず笑みをこぼした。が、目の前の志水に気付かれまいと慌ててその笑いを引っ込める。
「志水さんは、今でも若頭を務めていらっしゃるんですよね?」
といちに聞かれ、志水は頭を掻きながら答えた。
「オジキにど叱られましてのう。ほんに、お恥ずかしい……」
またしばらく沈黙が流れたあと、志水がゆっくりと口を開いた。
「といちくんよ、俺はのう、こういう商売柄、人の目をかいくぐって逃げたり、高飛びしたりするのに必要なコネを、ずいぶん持っとるがよ」
といちは黙って志水を見つめている。
「その、なあ。アホらしい査定かなんかに、もし次引っかかったら、はにを組に来い」
志水が真剣な目でといちを見返した。といちがスっと目をそらし、首を横に振って何か言おうとしたその時……。
スパーン、と大きな音を立てて、障子戸が開かれた。あまりの勢いにそのまま戸ははずれ、バサリと空しく土間に倒れる。
「……多紀っ!」
「多紀ちゃん?」
といちと志水の声が重なる。戸の外に立っていたのは、多紀だった。
「へえ〜、志水さんそんなコネをお持ちなんですね。だったら安心だ」
にこにこしながら、ズカズカと多紀も部屋に上がり込んでくる。
「あ、私は温かいお茶がいいです」
呆然としているといちに多紀が言った。
「おま……何で……」
といちはまだ混乱しているようだった。
「いやぁ〜、多紀ちゃんもしかして、俺のあとをつけて来たがか?ちっとも気付かんかったぜよ〜。さすがやのぅ」
志水と多紀があはは、と笑い合う。
「おいっ! 貴様……」
といちがやっと我に返って叫ぶ。
「報酬はもう払ったはずだぞ。ここに何しに来た!」
「修行です」
温かいお茶を期待して台所の方をチラリと見やりながら、こともなげに多紀が答える。
「修行……?」
「そうです。といちさんと居ると、何だか剣を使う機会が多そうだし、来ない門下生を待つよりも、剣の腕を磨いたほうが、道場復興の近道かな? と思いまして……あ、勝手にといちさんについて行くんで、気にしないでください」
あはは、と笑いながら言うだけ言うと、多紀は「お茶はどこかな〜」と言いながら台所に向かおうとする。
「茶葉を切らしていると言っただろうっ」
といちが、はっしと多紀の腕を掴んで大声を上げた。
「え、そうなんですか?」
「よしっ」
志水がポンと手をたたいて立ち上がる。
「うちの事務所にええ茶葉があるき。多紀ちゃん、といち、来るか?」
「やったぁ、ありがとうございます」
といちは「ちょっと待て、話を聞け」と喚いていたが、まったく無視され、両脇から腕をがっしり掴まれた。そしてそのまま、連行されるような形でズルズル引きずられていく。
「おう、そう言えば、といちくんの持ってきてくれたカステラもあるぞ」
と、志水。
「え?あれ、消費期限切れてるはずですよ」
多紀が言う。
「なんじゃ、それじゃあ、向井と西島にでも食わせるか」
楽しそうに非道いことを言う志水。
「もういいっ! もう引っ張るな!」
といちが無理矢理二人の手を振り払った。志水と多紀は、戸惑った表情でといちを見つめる。といちは二人に鋭い目を向けた。が、ふっと視線を和らげ、頭を掻いた。
「引っ張らなくても歩けるよ」
小声でブツブツ言いながら二人の前を歩き出すといち。志水と多紀は、安心したように顔を見合わせた。
「あ、そうだ。前から気になってたんですけど、といちさん……」
多紀がといちに追いついて話しかける。志水は後ろから悠然と歩いてきた。
「何だ?」
「もし仮に、腕とかが取れてしまった場合、セメダインでくっつけることは可能ですか?」
「……あのなぁ、アンドロイドはプラモデルとは違うんだぜ?」
昼げの匂いの漂う細い路地を、三人は肩を並べて歩いて行った。
umeto
2013年07月10日(水) 16時23分45秒 公開
■この作品の著作権はumetoさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 長い作品でしたが、ここまで読んで下さった方々、本当にありがとうございました!

 タイトルでネタバレしてる……、会話ばっかり……、等のツッコミ、多々あるかと思います。。。
 気になった部分はつっこんで頂けると嬉しいです。
(ちなみにタイトルは、ドロイドといちという語呂の響きがとても気に入ってしまって、そのまま使っている次第です)

 今まで本当に短いものしか書いたことなかったので、長めの作品を書く大変さが身にしみました!拙い文章ですがこれからも精進します。

この作品の感想をお寄せください。
No.4  umeto  評価:--点  ■2013-07-15 23:52  ID:9CoILnHe5/6
PASS 編集 削除
お様、お久しぶりです!
ご感想ありがとうございました。

少年ジャンプ、実は結構好きでよく読んでいるんですが、知らないあいだに作品にまでジャンプっぽさが反映されているとは……。
日頃読んでる物ってやっぱり影響出てくるんですね。食生活みたいなものですね。本当にご指摘の通りです。

キャラクターの軽い感じ、そうですね。ギャグっぽい掛け合いを書くのが好きで、全体的に会話が軽いんですが、一方で登場人物の抱えている思いとか、信条とか、そういう真面目な部分もちゃんと描いていきたいと思っているので、そのへんの描写を丁寧に書くようにしてみます。

展開についても今読み返すと「どうして志水は2人を埠頭に来させたんだろう」とか、苦しいなと思いながら入れたといちの特殊能力の件とか、いろいろ雑な部分が目に付きます。。我ながら。
話を進めることに気を取られていましたが、「志水ちゃんはといちの事を気に入って実は協力する気になってた」あたりとか「といちのどんな所が志水ちゃんの気に入ったのか」とか、やっぱりもっと丁寧さが必要だったと思います。

……そして、京都在住の皆様……すみません
幕末史好きなのにそのへんうっかりしてました。幕末史好きなのに……!

長くなりましたが、いろいろご指摘頂けて、嬉しい限りです。
ありがとうございました。
No.3  お  評価:30点  ■2013-07-14 20:30  ID:.kbB.DhU4/c
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しょ、少年ジャンプだ! と直感的に思ってしまいました。
どうもです。お久しぶりですね。おかえりなさいまし。
とそんなことで。
少年ジャンプっぽい……この言葉が褒め言葉なのかどう、大変微妙と僕も思いました。ある意味褒め言葉で、ある意味褒め言葉でない。
なーんにも考えずに素直に楽しめる。ファンシーでアドベンチャーで、勇気! 友情! どこか80年代ぽさを引きずったジャンプらしさが発揮されていました。
一方で、やっぱり、設定にもいろいろ飛躍が合って整合性が乏しく、いかにもなんか軽い感じのキャラクターで、随分ご都合的な展開だな……という見方もできますしね。
同じ要素が、見方によって、あるいは見る者の好みによって180度正反対にうつる。そんな印象を受けました。ま、あくまで僕一人の印象なので真実は明らかではありませんが。
あと、京都在住者として一言言っておかなければならないのは、江戸時代の体勢が変わっていないなら、首都と言えるのは天皇陛下のおわす京都です! とかね。

評価は、普通というには忍びないので 良い で。
No.2  umeto  評価:--点  ■2013-07-13 18:05  ID:9CoILnHe5/6
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坂倉圭一様、ご感想ありがとうございます!

多紀の戦闘シーン……、仰るとおりですね。
戦闘シーンの描写にあまりに自信が無かったためについ避けてしまっていましたが、
お話の緩急もつけられるし、そういうシーン入れたほうが断然面白そうですね!

多紀ちゃんは「脱・守られるだけのヒロイン」ということで(守りたいと思わせることも立派な一つの才能ですけど……)剣が強い設定にしたんですけど、その意味でも戦闘シーン、あった方がよかったかな、と思います。

生き生きした戦闘シーンを入れることを、次回以降の目標にしてみます!
ありがとうございました。
No.1  坂倉圭一  評価:30点  ■2013-07-13 15:03  ID:31Q5QOLXqEI
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読ませていただきました。
面白かったです。

心残りがあるとすれば、多紀さんの腕前が描写されていないことでしょうか。
西島、向井さん辺りをもっとあからさまな引き立て役にしてもいいのではないでしょうか。
彼らが多紀さんにつっかかり、ひょいひょいそれをよけて、足の裏にセメダインを塗っちゃうとか(笑。 ここではまだ剣の腕前は温存させる感じで。

そして灰間一味に取り囲まれたときに、多紀さんの剣の腕前を描写し、その強さで何十人(何百人、笑)か倒すけれど、あまりに敵が多く、苦戦し始め、そこでといちのお芝居につなげるなんてどうでしょうか。

これなら用心棒としての多紀さんの強さ、爽快さ、も発揮され、読者はもやもやが残らないのではないでしょうか。

いずれにしましても、
楽しいご作品、ありがとうございました。
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