秋飛行

 
 エへ、と笑みがこぼれる。
 だって今、わたしってば、飛んでいる。
 ほうきに乗って、十月の澄んだ青空の中を飛んでいるのだ。
 高度は三百メートルを越えたあたり。こんなところから見下ろす街は、四角い建物の合間に道路や線路が走っていて、まるでコンピューターの回路みたい。人里離れた山脈の方に目を向けると、覆う樹々が秋らしく赤や黄に色を染め変え、カラフルなブロッコリーの連なりを思わせる。
 なーんてふうに、わたし詩人、わたし神様、って気分に酔いしれてしまう。
 それなのに、
「おい、小娘! 俺の言うことを聞け! さもないと、これがラストフライトになっちまうぜ!」
 と、空飛ぶほうきのルキントばかりが騒がしい。
 このルキントには人格があって、その内なる声を、わたしの頭のなかに響かせてくる。
「まあまあ。しょうがないじゃん。わたしは初めて飛んでんだから、テンションも上がるってもんだよ」
 ちなみに、わたしは今、一応魔女っぽい恰好でいる。だけど実際は、まったく魔女じゃない。たんにコスプレをしているだけで、さっき初めて、空飛ぶほうきなんてものが、この世に存在すると知った。成り行きで、空を飛んでいるのだ。
「このまま北に向かうんでしょ? 簡単じゃん。のーんびり行こうよ」
「いいか、とにかく俺の動きに合わせるんだ。加速と減速、方向転換、横転、急上昇と急下降、いざという時の宙返り。最低限これくらいは、やってもらわないと困る」
「もう、いっぺんに言われても分かんないって」
 ホント、この口の悪いほうきは、何をそんなに焦っているのか。
 すると、そんなほうきの舌打ちが聞こえた。
「ち、もう来やがったか」
 なんのことだろうとあたりを見渡す。
 わたしは思わず、キュンとした。一枚の紅葉が、ひらりひらりと空中を舞っているのを見つけたのだ。いや、一枚だけじゃない。何枚も何枚も、わたしの後を追ってくる。秋に飛ぶ魔女は、こんな素敵なものと一緒に空中散歩をするのか。さあ、おいで、と誘おうとすると、一枚の紅葉が回転を始めた。喜びのダンスをしているようだ。なんてロマンチックなんだろう。
 すると、紅葉の回転はどんどん速まり、風切り音まで鳴り始め、まるで手裏剣みたいで、もっと言えば回転のこぎりみたいで、そんなものがいきなりわたし目がけて飛んできて、「右だ!」とルキントが叫んだので、慌てて体を右に傾けると、シュン! と回転する紅葉がわたしのこめかみあたりを突き抜けて、――わたしは、死んだのだ。

 なぜか、今朝のことを思い出す。
 今日は十月最終の日曜日で、栃木県内のテーマパークでハロウィンパレードが催される。わたしもこれに参加しようと、魔女のコスプレをして、鏡の前でランラランとポーズを決めたりしていた。そんな時、何か足りないと気づき、慌てて自宅の敷地にある小さな蔵へと向かい、何年も閉じっぱなしの鉄扉を開いた。
 クモの巣を払い、変色した段ボールを押しのけ、立ち昇るホコリにむせ返った果てに、わたしは一本のほうきを見つけた。まさしく、という一品だった。古びていて、節がいっぱいあって、妖しいことこの上ない。でも、あまりにそれっぽすぎて、呪いとかあったらどうしようと手を出すのを躊躇っていると、ふいに、聞こえた。
「お嬢さん、ボクと一緒に空を飛んでくださいませんか?」
 変声期まえの、高く澄んだ少年の声のようだった。
 当然、あたりを見渡すが、誰も、虫一匹さえ見つからない。
「驚かせてごめんなさい。ボクはほうき。ほうきのルキント」
 ついに、ほうきは、自己紹介までし始める。
 いよいよヤバいと思い、わたしは踵を返してその場を離れようとした。
「どうか、どうか、行かないでください。あなたしか、いないんです」
 その時、頭に響く声に、切実なものを感じたのは確かだった。
 わたしは振り返り、じっとほうきのルキントを見すえる。
「ボクは魔法の力を秘めたほうきです。でも、ボクだけでは空を飛ぶことができない」
「空? あんた、ホントに空飛ぶほうきなの?」
 そこでわたしは、ついに尋ねてしまった。
「はい。忘れ去られた存在として、ここで長い時を過ごしてきました。存在を保つために、力の多くを使ってしまい、あと一度だけしか、空を飛ぶことはできません。それなら、あなたのような、かわいい女の子と飛びたい。それができれば、どんなに喜ばしいことだろう」
 あと一度だけ、という殺し文句、そして、かわいいわたしと空を飛びたい、という素直な心。
 話くらいは聞いてやろうと思えてくる。
「でも、わたし、危ないの嫌だよ。それにほら、今スカートだしさ」
「安心してください。そこらへんを、スイスイーと飛べば、それでボクは満足ですから。それに、魔法で飛べば、普通の人間にはその姿は見えません」
「そうなの? それならいいかも。で、まずはどうすればいいわけ?」
「とりあえず、ボクを触れてみてください」
「こう?」
 そんなわけで、あっさり騙されたわたしは、ルキントを掴んだ。
 掴んだ瞬間、「しめた!」というゲスい声がして、驚いて手を離そうとしたが、それは張りついたように離れず、ルキントが急浮上を始めると、そのまま引っ張られて蔵の天井を突き破り、秋の空へと飛び出した。まずは落ちつこうと空中散歩を楽しんでいたが、すぐにルキントのキャラが豹変し、わたしにあれやこれやと命令をはじめ、ついには謎の紅葉がやってきて、――そうだ、そうしてわたしは、死んだのだ。
 
「気を保て! 安心しろ、死にかけたが死んでねえ! 俺は、進行方向に対して右に避けろって言ったんだ。それくらい分かれよ、もう!」
 というルキントの叫びにハッとする。
 ブルルと頭を振ってみた。
 うん、死んでない。まだ生きている。だけど、こめかみ辺りの髪が相当数散ったのは確かだ。あと数センチ、回転紅葉の軌道がずれていれば、わたしは本当に死んでいたかもしれない。
「身の危険を感じたせいかな、ちょっと前のことを思い出してた。走馬燈っていうの? どうせならもっと楽しい思い出が良かったよ」
「それなら大丈夫だ。多分これから、たっぷり見られる」
「え? まだこんな目に遭うの? ていうか、何、さっきのあれは何?」
 あれ、とはもちろんわたしを殺しかけた回転紅葉だ。
「あれは、俺を襲うもの。追うもの、狩るもの、殺しに来るものだ」
「はあ?」
「俺も昔は、やつらの眷族だったのさ。おまえにわかるように言うなら、自然界の精霊ってやつだ。だが、今はいろいろあって、こんなほうきに宿っている。やつらからしたら、俺は眷族の面汚し、邪魔者ってことになる。だから、今の季節にあるもの――つまりは、秋の実り、旬のものを使って、俺を襲っているんだ。わかったか?」
「いや、よくわかんないけど、わたしは関係ないじゃん!」
「そう言うな。今は運命共同体だ。とことん付き合ってもらうぜ」
「いやだ。降ろして、降ろせぇ!」
「高度は五百メートルを超えている。俺がおまえを魔法でコーティングしているからこうやって会話もできているが、手を離せば真っ逆さま。あっという間にグシャンだぜ」
 そんな会話を続けていると、また、キーンと風を切る音が鳴りだした。先ほどは一枚だったが、今度は大量の紅葉が高速回転している。今にもこちらに向かって来そうな勢いだ。
「嘘でしょ? まだ来るの? 怖い、めっちゃ怖いんだけど!」
「とにかく逃げる」
 回転紅葉が襲い掛かって来ると同時に、ルキントはスピードを上げた。得体の知れないコーテイングされていても、風圧はかなりのもので、吹き飛ばされないようにしがみ付く。
 栃木上空から猛スピードで北上していく。
 数十分と飛んだところで、耳障りな風切り音は聞こえなくなった。恐る恐る振り返ると、回転紅葉はもういない。だけど、気分は冴えなかった。今度は、無数の茶色い物体が迫っていた。
「あれって、何? 茶色くて、丸々としているけれど、先が尖がっていて」
「ち、次は栗か」
 言われてみれば、確かに栗だとわかる。
 秋といえば、栗。特に栗ご飯はわたしの大好物だ。だけど、今に限ってそんなことはどうでもいい。
「いや、おかしいでしょ。栗なんて、空飛べるわけないし」
「よく見ろ。薄っすらとした光の羽を生やしている。いがぐりも混じっているか。気をつけろ。コーティングがあっても、当たれば滅茶苦茶痛いぜ」
「いや、気をつけるって、わたしに何ができんのよ」
「言われてみりゃそうか。じゃあ、まあ、祈っとけ」
「く、覚えてなさいよ!」
「睨むなよ。北海道までの辛抱だ」
「ほ、北海道? なんでそんな遠くまで?」
「そこが俺にとっては特別な場所なんだ」
「そんなん知らんわ! やだやだやだ! あんたを降りたいし、あんたを折りたい!」
「は、早まるな。共倒れは避けようぜ。っと、こんな話してる場合じゃねえ。回避に専念する。どんどんと来るぜ、秋のやつらがよ」
 そう、それは確かに増えていった。
 わたしたちは、秋の実りを盛大に引き連れ――実際は抹殺を目的とされ――北海道を目指す。しめじやシイタケ、それにマツタケといったキノコ類が対空砲火のように、次々と地上から打ち上げられる。ゴボウにいたっては、ほとんど槍の投擲で、突き刺されば致命傷は避けられない。まさに命がけの回避が必要だった。羽を生やした完熟の柿や梨を見つけた時は、疲れているから糖分補給をしたくもなったが、手を伸ばそうとした瞬間、また走馬燈が見えそうになって、仕方なく手を引っ込めた。なんか臭いと思えば銀杏の実で、これは小さくて威力はそれほどでもないが、その分もの凄く速い。何度か頭にコツコツ当たって、泣くほど痛いし、頭が銀杏臭くなってしまった。
 そこらへんの弾幕シューティングなんて目じゃないほどの死線を掻い潜り、わたしたちはついに、海へとたどり着いた。方角が間違っていないなら、津軽海峡ということになる。
「やったぜ。海の上では精霊たちの影響力も鈍って、追ってくる連中の速度は落ちるはず」
「そ、そういうもんなの。良かった。これで安心なんだね」
 わたしは、そこでうつ伏せの状態から、上体を起こした。
 海の濃い青と、抜ける空色の合間で、ようやく一息つけるのだ。ホウキを掴んだままだけど、うーん、と唸りながら背筋を伸ばしてみる。
「つっかれたー。二時間くらい飛びっぱなしだったんじゃないの? おなかも減ったしさ」
「もう少しの辛抱だ。すまねえが、耐えてくれ。あとちょっとで、あいつのところに着くんだ」
「あいつ、ねえ」
 直感的に、女だな、と思った。
 だけど、本人によれば、ホウキの前は精霊だったというし、何がどうなって命がけの約束をする羽目になったのか。ここは一つ、追及しないといけない。
 ねえ、という呼びかけを、しかしわたしは飲み込むことになる。
 海面に、無数の影が見えた。それらはやがて太陽光を反射し、キラキラと輝き始める。
「お魚さんかな」
 なんて、余裕たっぷりに言っていると、そのうちの一匹が海の上を跳ねた。
「と、トビウオさんかな」
 と、もう少し余裕をかましていると、とんでもない数が大きく跳ねて、どういうわけか、海面に着水をしなくなった。海面すれすれで、低空飛行をしている。
「それは、ない、よね」
 嫌な予感がし、それは間違いなく的中するという確信が芽生えてきた。ただ、どうしても認めたくはなかった。
「あれってサンマ? サンマの群れ? なんか飛んでるんだけど?」
「俺としたことが抜かったぜ。旬のものには違いないが、まさか、海の連中まで利用するとはよう。気をつけろ、やつら、一斉に襲ってくるぞ」
「だ、だけど、おかしくない? さすがにそれって無理がない?」
「そもそも、人間と一緒に空を飛ぶこと自体が、精霊にとってはご法度なのさ。それは過ぎた干渉なんだ。それを良しとせず取り締まろうという連中は、その間、自然界のルールを無視する。スピード違反を取り締まる警察が、法定速度を守らないのと一緒だ。わかるか?」
「だから、わかりたくないって!」 
 わたしの叫びも虚しく、ルキントからシリアスな雰囲気が漂ってくる。今度こそヤバいということが、まるわかりだった。
「さすがに旬の魚だけあって、脂が乗ってギラギラしてやがる。いいか、あれを魚と思うな。魚の形をしたホーミングミサイル数千発が、ひっきりなしに襲ってくると思え。かするのも駄目だ。ちょっとでも接触すれば、摩擦熱と衝撃で、身体が木っ端みじんだ」
「ちょ、脅さないでよ。わたしには、何もできないんだし」
「ちくしょう。こうなった以上、力の温存は考えない。俺も、全速で海を越える。それに賭けるしかねえ。北海道に上陸しさえすれば、まだ策はあるんだ」
 ついに、数千のサンマが、わたしたち目がけて飛翔した。
 その流線型のフォルムのせいか、加速性能が今までの連中の比ではない。
「いっくぜー!」
 ルキントは自分を奮い立たせるように叫ぶと、今日一番の高速飛行をはじめた。
 とはいえ、相手は広大な海の全方向から迫るサンマの群れだ。ただまっすぐ飛べばいいというわけじゃない。時に上昇し、時にくるりと横転し、意表をついて宙返りをし、敵に的を絞らせないように細心の注意を払いつつ、北海道上陸を目指す。魔法によるコーティングはもうほとんど機能していないようで、まともに息ができなくなっていた。その上、サンマだらけのせいで生臭く、頭が次第にぼうっとしてくる。何度も振り落とされそうになって、慌ててルキントにしがみ付くことを繰り返した。
「見えた!」
 ルキントがそう言ったのを聞いて、わたしは伏せた顔を上げる。確かに、陸地が見える。ついに北海道までやってきたのだ。
「これで、助かるの?」
「そのチャンスがある」
「す、すんごい頼りない言い方なんだけど」
「これから、急上昇と急下降、そして急上昇と連続で決める。やつらは獲物に向かって突撃するだけだ。たいした知恵はない。高高度から、一気に地面すれすれまで下降し、そこで不意を突いて急上昇すれば、やつらは慣性に抗えず地面に激突して、もう追っては来られない」
「そんなアクロバティックなことすんの? わたし、生身の人間なんだよ」
「すまねえ。最後にもうひと踏ん張りしてくれ」
「どこに踏ん張れってんだ!」
 ルキントの残された力と、わたしの命を賭した、飛行がはじまった。
 まずは急上昇。とてつもない重力に、全身の骨が悲鳴を上げる。空飛ぶサンマの群れは螺旋に渦巻き、わたしたちを追いかける。充分にやつらを引きつけたところで、宙返り。たった一瞬、群れのすき間を狙って、垂直急下降。極めつけに、地面が目の前に迫った瞬間、急上昇をかける。あわれ、知能の乏しいサンマたちは、勢いそのままに、地面にぶっ刺さっていく。
 と、今はそういうことが起きている、らしい。
 もちろん、生身であるわたしには、何が何やらわからない。その数秒は、常に死が間近にあって、変なイメージが山ほど浮かんでは消えてを繰り返した。
 だけど不思議なのだ。
 ルキントが最後の力を振り絞っているからだろうか。その心の奥底にある声が、わたしのなかに沁みわたってくる。それは、今だからこそ知らないといけないことに思えた。わたしは、命がけの状況下で、その心にゆっくりと触れていく。

 それは遠い昔、ルキントが精霊としてこの世に生じたばかりの頃のこと。
 緑に囲まれた広場で、一人の少女が、ほうきにまたがり、飛ぼうとしていた。
 彼女はただの人間だから、当然飛べずに跳ねるのが精一杯。それでも毎日、空に向かおうとしていた。
 周囲の人間たちは彼女を笑い、形のない精霊たちさえ彼女を小馬鹿にした。
 そんな精霊のひとりである、いらずら好きのルキントは、ある時ひとつの企みを思いつく。一度、あの娘をほうきごと空へ持ち上げてやろう。きっと驚き、降ろしてほしいと泣きわめくに違いない。
 ルキントは、タイミングを見計らってほうきに入り込み、一気に少女を浮遊させた。
 さあどうだ、と少女の反応をうかがうが、まるで驚く様子はない。ならばと高度を上げてみても、彼女は動じず、それどころか、その視線は、はるか高みへ向けられていた。
 ルキントは根負けして、地上に降りた。無性に腹が立って、人間と話してはいけないという掟も忘れ、自分を手にする少女に、怒鳴りだす。
「おまえ、何考えてんだ。怖くないのかよ!」
 少女は、一瞬キョトンとし、その声がほうきから聞こえたとわかると、にっこり笑ってみせた。
「怖くなんてない。ずっと夢見ていたことだから。そうか、あんたのおかげだったんだね。ねえ、また飛ぼうよ、一緒にさ」
 ルキントは、正体がばれたと慌て、ほうきから抜け出し、森へと逃げ帰った。
 梢に隠れてこっそり覗くと、少女は、先ほどの飛行がどれほど楽しかったか、ただのほうきに語りつづけている。
「ったく、変なやつもいるもんだぜ。でも、悪いやつではなさそうだな」
 ルキントは、それから少女に力を貸すようになった。
 相性が良いらしく、飛行するたびに高度はまし、より速く、より遠くへと飛ぶこと可能になっていく。ふたりの会話は、空の飛び方についてばかりで、どうすればもっとうまく飛べるかを何時間も語り合う。どちらも真剣で、真剣だからこそ、絆と言えるものが生まれた。
 だけど、そんな関係は、唐突に途切れてしまう。
 ルキントの行為は、精霊の仲間たちから咎められ、一切の関わりを禁じられてしまったのだ。ルキントはしぶしぶ頷いて、少女を遠くから見るだけにすると誓った。
 少女は、それからもほうきを手にしてやってきた。
 必死に跳ねて、転んで傷だらけになり、それでも立ち上がって、また飛ぼうとする。
 黙って見守ると決めていたルキントは、ついに我慢ができなくなってしまった。
 後にもう一度だけ飛んでやろう。そして別れを告げるんだ。
 そう、自分に言い聞かせて、ほうきの中に飛び込んだ。
 少女を乗せたルキントは、高く高く飛んだ。これまでで一番の飛行を見せてやろうと思ったのだ。少女はよく笑った。これほど笑う娘だったかとルキントが驚くほどに。
 日が暮れる頃、少女を地上に降ろした。
 ルキントが別れを告げるようとした時、少女が先に口を開いた。
「今日までありがとう。最高に楽しかった。これで、もう思い残すことはない」
 あっけに取られるルキントに、少女は初めて自分自身のことを語りだす。
 生まれ持った病気が悪化し、歩くことも、立つことさえ辛い時間が増えてきた。すぐに外出することは難しくなってしまうだろう。その前に、もう一度だけ、ルキントと一緒に空を飛びたいと思った。それは叶ったのだから、自分の人生にも意味はあったのだと思う、と。
 ルキントは精霊として幼く、人のことをほとんど知らず、かける言葉を思いつけない。
「また、飛ぼうぜ」
 結局、別れ際にそう言うだけで精一杯だった。
 少女と別れた後、ルキントは自分の中に沸きあがる感情に戸惑う。
 どうして、あんなことしか言えなかったのか。本当にもう彼女と会えないのか。
 ルキントは考えた果てに、こっそりとあのほうきに宿ることを決めた。その姿のまま、少女がやってくるのを待つ。少女が、物置小屋にいる自分に一声かけてくれたら、どこまでだって飛んでやるつもりでいた。
 しかし、精霊が物に長く宿ることは難しく、力はどんどん消耗されていく。
 飛ぶための力までもが尽きてしまってはいけないと、ルキントは、ほんの少しだけ眠ろうと考えた。そして、目覚めた時、見たこともない真っ暗な空間に自分がいると気づく。
 慌てて彼女の気配を探っても、まるで居場所が掴めない。なぜだ、なぜだと自問して、ついにその意味を悟った。
 もはや約束は叶えられない。
 それでも、自分としてやり残したことがあるとするならそれは――。

「おい! 小娘!」
 と聞こえて、わたしは意識を取り戻した。
「へ?」と間抜けな声を出してしまう。
 ルキントを片手に持ったまま、わたしはいつの間にか地面に立っていた。
「悔しいけど、ここまでだ。もう拘束は解いた。俺を離して、早くここから逃げろ」
 ハッと周囲を見渡せば、とんでもない数の秋のものたちが渦巻いていた。ルキントの最後の策も功を奏さなかったのだろう。
 身の危険は感じる。だけど、もっと気になることがある。
「あんた、諦めるの? 叶えたいことがあるんでしょ? あの子のところへ行くんでしょ?」
「どうしておまえがそれを……。いや、そうか、見ていたのか」
「ごめん。覗き見みたいなことして。でも」
「謝ることはねえ。さあ、もういいから、行けよ。巻き添えを喰う」
 わたしは両手でがっちり柄を握り、ルキントと向き合う形をとった。
 今だから言いたいことがある。今だから聞きたいことがある。
「わたしはさ、優希っていうの。大場優希。結構気に入ってる名前なんだ」
「何言いだすんだ? 頭を打ったのか?」
「違うよ。わたしのことも、少しは知ってほしいと思ったんだ」
「悠長なことしている場合かよ」
「わたしは、大場優希は、ルキントに聞きたい。望みが叶ったら、その後はどうするの?」
「罰を受けるさ。存在ごと消されたとしても、文句はない」
「じゃあ、決まりだね」
「何がだよ。おい、聞いてるのか! おいって!」
 さーてと、という感じで、わたしは空を睨む。
 東西南北縦横無尽、あらゆる方向から、秋のものたちが集結している。
 熊もいる。猪もいる。鮭までいる。全部が空を飛んでいる。さすが北海道というところか。いつ襲いかかってやろうかと、舌なめずりでもしているようだ。
「だけど、ビビってらんないのよね」
 わたしは両手を口に当てて、大声で叫んだ。
「聞こえる? 聞こえますか? いや、聞いて! わたしはルキントを離さない。それでも襲うってんなら、わたしから先に殺ればいい!」
「おまえ、何言いだすんだよ!」
「ルキントは黙ってて」
 そう今、わたしからあいつらに言ってやりたいことがあるのだ。
「わたしは大場優希。ルキントと一緒に空を飛んでた、特別な力なんてない、ただの中学生だ。でも、こいつの本心を知っている。ルキントは、最後の望みを叶えたら、必ず罰は受けるって言ってる。どんな仕打ちにだって耐える、そういうやつだ。だからさ、その望みだけは叶えさせてあげてよ。なんだったら、わたしも一緒に罰を受けたっていい。ねえ、どうか、お願い!」
 言うだけ言って、わたしは目をつむった。両手を握り合わせて、ただ祈る。
 もともとそれくらいしか、わたしにできることはないのだ。
 いつ襲われてもおかしくないという緊張がつづくが、「その瞬間」はやってこない。
 ゆっくりと目を開くと、そこでわたしは、不思議な光景を見た。
 紅葉や、栗や、キノコや、ゴボウや、魚や、動物たちが、縦に回転しながら輪っかを描き、それを連ねて、ある方向へとトンネルを作っている。
「ルキント、これは?」
「まさかって感じだぜ」
「このトンネルの中を通ってもいいの、かな」
「ああ、目的地はこの先だから、早く行って用を済ませろってよ。ったく、余計なこと言いやがって」
「な、何よ! こっちは必死だったんだからね!」
「分かってるよ。ありがとう。さあ、行こうぜ、優希」
 おうよ、という感じでわたしはルキントにまたがり、秋の実りと旬のもので作られたトンネルをビューンとくぐりはじめた。
 
 広大な草原に生える一本の大樹。そこが、目指した場所だった。
 周辺には、落ち葉がたくさん散っていて、わたしはいそいそと掃除を始める。
 ルキントはなんてったってほうきだし、手間はそんなにかからない。
 すぐに、落ち葉に隠れた、小岩が見つかった。彫られていただろう銘は、風化のためか判読できない。だけど、今はこれだけが、彼女の存在が確かにあったと示す、唯一の証だ。
 ルキントの最後の望みは、彼女の墓をきれいにしてあげたいということ。
 人と精霊では、命の在り方が違う。残酷なほどに。
 あの時、眠りから目覚めたルキントは、その事実を痛感し、約束は果たしようがないと知った。それでも、彼女の魂の名残りをどうにか探り当て、彼女といた時のままの自分、ほうきのままの自分として、できることをしようと決めたのだ。
 そのためには、ほうきを掃く協力者が必要となり、わたしが巻き込まれたことになる。
 ホント、良い迷惑だよ、と言おうとしたけど、うまく言葉にならなかった。
 ルキントの気持ちを考えると、涙が止まらなくなる。洟もどんどん垂れてきて、ずいぶん不細工な顔をしているに違いない。口の悪いルキントのくせに、さっきから無言のままだ。
「好きだったの?」
 とわたしは聞いてみた。いじわるかな、と思ったけれど、我慢できなかった。
「ああ」
「へ、へーえ、あっさり認めるんだ。ちょびっとは、妬けるかも」
「何言ってんだか」
「じょ、冗談だよ、はは」
「俺はよ、おまえのことも好きだぜ」
「うひ、やめてよね。ほうきはさすがにストライクゾーンを外れてるんだから」
「そうかよ。じゃあ、行くぜ。いろいろありがとな」
「ウソ、もう? じゃあ、わたしも一緒に――……、あれ?」
 ルキントは答えない。
 ここには、手にするほうきの中にはもういない。それがはっきりわかった。
 ため息が出て、それをかき消すように、ばーかばーか、と言ってやった。
「まあいいか。わたしはわたしのやりたいようにやったんだもん。さ、帰ろ、帰ろ」
 そこで、ん? と気付く。
 わたしは今、どでかい北海道のどこかにいる。方角さえよくわからず、北海道って何県だっけ、って気分だ。それに、魔法のコーティングもないせいか、すんごく寒い。ここに来てこの展開かあ、とまたため息が出そうになった。
 その時、聞こえた。
「優希」と聞こえた。
 手にするほうきがまた喋ったのだ。
「ルキント、何してんのよ! まさか逃げてきたんじゃないでしょうね!」
「叱られて戻ってきたんだよ。罰を受ける前に、あの子を元の場所に帰せってよ。気に入られたぜ、おまえ。精霊ってのは人間が好きで、だから過保護にならないように自分たちを掟で縛る。そのくせ、俺にばかり文句言いやがってよう」
「じゃあさ、じゃあさ!」
「ああ、飛べる。でも、次が本当に最後だ。とびっきりのスピードで送ってやるぜ」
「いや、のんびり行こう。今度こそ」
 わたしはルキントにまたがると、今は赤く染まる空を、再び飛びはじめた。
 秋の実りや旬のものが、わたしたちの周辺でふわふわしている。もう敵意は感じられない。どうやら、わたしたちが気になって仕方ないようだ。今更ながら、シュールな光景。でも、今はそれも悪くないって思えてしまう。
 だから、わたしは呼びかけてみる。
「ねえ、せっかくなら一緒に行こうよ、この秋の空を」
かたぎり
2021年01月16日(土) 13時47分27秒 公開
■この作品の著作権はかたぎりさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
数年前、1万字以内程度で秋をテーマに競作を、という某所のイベントで書いたものです。

仮にご感想等いただけても、すぐに返信するというのは、現状では難しいですが、それでもかまわないという方がいらっしゃいましたら、ご意見、ご感想いただければ幸いです。

この作品の感想をお寄せください。
No.5  天祐  評価:30点  ■2021-02-19 19:52  ID:AFI4V1OnFDA
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お久しぶりです。

スジがしっかりしている安定感はさすがです。
これは好みの問題ですが、会話文の多用がもったいないかなと。
地の文を描き切る力があるだけにもっと描写を見たかったなと。
贅沢ですね。
辛口ですいません。
私も近々。という気になりました。
ありがとう。
No.4  かたぎり  評価:--点  ■2021-01-27 20:40  ID:zrJ.A8RISY.
PASS 編集 削除
とりさとさん、ご感想ありがとうございます。
いやー、懐かしいお名前だこと。まさか、こちらに感想いただけるとは思ってもおらず、なんだか恐縮もしてしまいます。

ワンエピソードで終わってしまっており、関係性の育みが描き切れていない、というのがやはり肝なようですね。
そのためには、主人公のバックボーンもしっかりさせないといけませんし、ルキントの過去とそれらが絡み合って、大きな障害をブレークスルーって形が望ましいのでしょうか。

楽しく書けるものを、と当時考えていたと記憶しています。
ご感想からは、作品の雰囲気や、展開的な面はお楽しみいただけたご様子で、そこに関しては、とりあえず良かったかなと。

このくらいの尺の話を書くと、自分の書きたい部分を優先するあまり、物語の要となる部分をあっさりさせすぎたり、ほぼカットしまったりということは過去にもしていていて、進歩してないなと反省です。

最近、隗より始めよ、という言葉が妙に気に入っていて、また仕切り直してものを書こうという前段階に、こうしてこのサイトでご感想いただけたことがうれしいです。いつか、とりさとさんに、面白い、って言わせたいなあ(これまでのところ、その手前の評価どまりな気がw)。

とりさとさんのご活躍は今さら僕がいうまでもありませんが、このサイトでとりさとさんの作品を読ませていただいたり、イベントを共にできたことはいい思い出です。改めて、幸ある未来を祈っております。

ありがとうございました。
No.3  とりさと  評価:30点  ■2021-01-27 18:37  ID:lVkYemXM9E6
PASS 編集 削除
お久しぶりです!

ということで、拝読いたしました。
ふんわりと包み込むような現代ファンタジーの魔法と、なにより、ほうきのルキトンのキャラのよさが魅力的な作品でした。

空を飛んでいるという非日常から始まる滑り出しは、期待感が高まりました。一瞬だけファンタジーか現代ものかどうかで迷いましたが、すぐさま説明パートが入ったのも親切ながら読者のことを考えられて構成でするすると読み解けます。特に空中飛行の道中のかわいらしくも動きのあるイベントは、読んでいてシューティングゲームを見ているかのようなわくわく感がありました。

欠点としては、やはり1万字ということでほとんどワンエピソードになってしまった主人公とルキトンの物語軸にないります。優等生ぶったルキトンが、主人公をだまくらかして空を飛ぶ出会いとスタートは大好きなのですが、そこからの関係性の育みはやっぱりちょっと物足りないかなというのがあります。……一万字制限なので、本当にどうしようもない部分ですが!

全体的に安定感のある筆致と、安心感のあるほのぼのした世界観ながらも躍動感のある動きが魅力的なお話でした。
それでは!
No.2  かたぎり  評価:--点  ■2021-01-22 20:00  ID:zrJ.A8RISY.
PASS 編集 削除
お久しぶりです。
なんとなく、なんですが、感想がついていると気づいた瞬間、山田さんかもしれないと思いました(チャットのコメントはあとで気づいたもので)。

いやはや、ご感想くださいましたことが、今はなによりうれしいです。
また、過去作についても今なお覚えていてくださっていて、気恥ずかしい部分もある一方、残るものが何かしらあったのだとと思うと、大変光栄です。

さて、本作へのご感想について。
なるほど、物語を急がせすぎたというご指摘、その通りだと思います。ご意見にある「少女」のことについても、かなりあっさりと書いてしまっています。読者が、ここをもっと読みたい、と思うだろう部分をおろそかにしてしまうのは、書き手として大きな欠点ですね。


一番グサッときつつ、頷かざるをえない部分が、会話文の平凡さについてでした。掛け合いの楽しさは出したいと思って書いたものではあるものの、読み返すと会話を進めるための会話になっているなという部分も多々あって、物足りなさを感じてもいました。メインのふたり以外をうまく絡めて、全体的に会話の面白さを増すというのも、確かにいい方法ですね。となると、ボリュームアップが自ずと必要か。100枚くらいで書いて丁度いい話ではないかと今にして思います。

文章では成立するが、実際の会話では意味がわからないという部分については、当然そういう反応もあると思いつつ、思いついたら書かずにはいられないという感じでした。(そういう一種の遊びは、別の形でまたやってしまいそうな気が・・・)

誤字脱字は、申し訳ございません。早速直しておきます。


全体としては、楽しんでいただけたようで、良かったです。
長く、まともな執筆はできておりませんでした。自分のことがいろいろと落ち着けば、またチャンスはあると、長く、書きたいものから目を逸らしていたようなところもあります(実は山田さんが気に入ってくださった生首の話も、どうしても書きたい話のうちのひとつだったり)。今年もまた、余裕のある一年ではないかもしれないけれど、自分なりにできるチャンス、タイミングがあるなら、ひとつでもいいから仕上げたいと思います。

本当に、ありがとうございました。
No.1  山田さん  評価:40点  ■2021-01-22 10:02  ID:UQcHp6qyFKU
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拝読しました。
お久しぶりです。
まさか「クービーがチービー」(←しつこくてすみません)の作者の新作が読めるとは思ってもみなかったので。

全体として1万字以内という縛りがあるせいか、ちょっと物語を急がせ過ぎたように思いました。
例えば「それは遠い昔、ルキントが精霊としてこの世に生じたばかりの頃のこと」で始まる段落で、ルキントが初めて人間の少女と触れ合う場面。
少女は生まれて初めて空を飛んだのだから、その時の喜びの描写などがもう少し欲しかったな、と思います。

あと会話文がちょっと平凡かなと(偉そうにすみません)。
ルキントと少女の二人だけの会話なので、もう少し何かが欲しかったように思いました。
あるいは襲ってくる栗やさんまが話しかけてきて二人の会話に介入してくる、なんて展開も面白かったかな、なんて思いました。
ただ、ラストあたりで「秋の実りや旬のものが、わたしたちの周辺でふわふわしている」場面ではそれら秋の味覚が二人に話かけたりしない方がよりシュールな風景に思えるので、なかなか難しいところですね。

「あんたを降りたいし、あんたを折りたい!」って会話は文章で書かないと上手く伝わらないセリフなので、こういうのはどうなんだろう、と僕は思ってしまうのですが、案外悪くもないかな、なんてどっちつかずの気持ちでいたりします。どうなんでしょうね。

2か所、文章の書き間違い(打ち間違いか)かなと思えたのが以下です。
「こめかみあたりと突き抜けて」
「ルキント精霊として幼く、」

久しぶりなのに偉そうなことを書いてしまって申し訳ないです。
なんか嬉しくなってしまって、キーボードを打つ手が止まらなかったんですね、すみません。
でもお話としては「ベタだ」と指摘されるかもしれないですが、面白かったです。
片桐さん(今は「かたぎり」とひらがな表記なんですかね)の作品は、いつも読後感が良く、読み終わったあとに表情筋がグニュっとゆるむことが多いですが、本作もそんな作品でした。
僕からは以上です。
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