姥桜 ―咒者 紫堂佳雅― |
「あの老木を伐りたいのだが」 請われて訪れた邸宅。趣は良い。池を囲む庭は緑の苔に包まれ木瓜の紅い花、梅の名残り。桜の樹が一つ、ちらほらと可憐な花を咲かす。庭を望む邸宅の美しい造形も、気配りの行き届いた設いも、場と人が積み重ねた歴史の上になる落ち着きと過ごし安さを趣として醸す。 が、何かが悪い。この妙な、場にそぐわない、気に障る空気の元凶といえば…… むすりと庭を眺める大柄な男。五十の頃合いだろうか、整えているつもりだろう身嗜みが、どうにも醜悪に見えてならない。 庭の隅、池の畔に控えめに咲く枝垂れの桜を見て、 「どうにもしょぼくれて好かん」などとほざく。 紫堂佳雅は咒者である。 見えないモノが視える。視えるが故に見、祓えるが故に祓う。儀礼も宗旨も何もない。故に異端、異端の中の異端、いわゆる爪弾き者である。 そんな紫堂にも恩人と呼べる人はある。断りはせずとも、非常に不本意であることに変わりない。そこへもってきて主人という男の横柄な醜悪さ。かの御仁の紹介でなければ、疾うに奈落の底に叩き落としている。 「お茶が入りました」 応接間から声を掛ける四十絡みかという女。仕立ては良いが地味な着物姿。細君であろう。本人も伏し目がちで、掛ける声もか細く不安げに聞こえるほど。よほど人の目を惹きたくないのか、あるいは…… やはり横柄に頷き、早々に下がらせようとするのを留める。 「奥方の話も聞きたい」 尻込みする奥方、亭主が 「これは不調法で人様にお出しするようなものではなくてね」 と恥を隠すような言い方をするのに 「貴様の意向など知らん」 一蹴。蔑ろにされた主人は始め唖然とし、そして顔を真っ赤に滾らせ、 「儂を誰だと……」 「自己紹介したければ他でしろ。貴様が誰でも構わん。かの御仁の勧めがなければ来るものか。帰って良いなら今すぐ帰るが」 にべもなく捲し立てる。 折れるのではないかというほどの歯軋りを隠そうと亭主は、下がろうとする口角を意志の力で押し上げ、笑顔らしき歪んだ表情を作る。 「茶でも飲んで落ち着こう」 などと言うのは噴飯物ではあるが、あの御仁の影響力を考えればそうなるか――わざと挑発していた佳雅は心中で落胆の息を吐く。やれやれ、これで付き合わざるを得なくなった。 「伐ろうとする度、障りが出るのだ」 主人が差すのはかの桜だった。木一本、伐りたければ勝手に伐れば良い。それを咒者に問うということは、そういうことだろう。 それにしてもあの桜を伐ろうなどとは。 「なぜ伐る」 無遠慮な佳雅の言い種に面を顰めつつも 「老いて付ける花も少ない。若木に替えようと思う」 面白くもなさげに鼻を鳴らし佳雅、 「細君はいかが思われる」 「私は……」 「差し出口を挟むでない。年増の癖に色気付きでもしたか」 びくりと身を震わせ黙り込む細君。 「私の金で維持しているのだから私の邸も同然。私の好きに木を伐って何が悪いのか」 一人憤慨する。 「あの桜、大切なものなのでは」 佳雅は主人なる男の言など歯牙にもかけず、細君に話を向ける。 亭主が何か言いたがるのを眼光で圧さえ、 「あれは貴女を想って植えられた木だ。貴女そのものだと言っても良いほどに、貴女自身の思いも籠もっている」 「あれは、祖父が私の誕生を祝って植えさせたものです。私はあの桜と共に生きてきました」 未だ遠慮がちに、けれど亭主の顔色を覗うことなく細君が語り始める。 「仰る通りあの桜は私の分身のようなものかもしれません。あの桜を見れば幼い頃からの思い出がつぶさに思い出されます」 「何を言うか」 怒りだす亭主を冷ややかに睨める佳雅。場の空気が凍える。 「余り大きな口を叩かぬが良い。解っておるのか、ここは貴様にとって敵地のようなもの。ここには代々この邸に住み暮らしてきた人々の記憶と思いが染み着いている。そして――」 佳雅はおもむろに告げる。 「私は咒者だ」 びくりと亭主の肩が跳ねる。愚者であっても財を成す経済人、損得の理解は素早いと見える。 「あんたを呼んだのは儂だ」 「違う。私をここに来させたのはかの御仁。かの御仁が貴様如き小物を歯牙に掛けるとは思えん。ならば、この家の縁であろうよ」 はッとしたのは細君の方。 「祖父が、『かの御仁』と呼んでいたお知り合いがおられました。ご学友の方だと記憶しますが」 そういうことだ。 顔色をなくす亭主。 佳雅は完全に関心を失う。それよりも、 「貴女は貴女を許して良い。誰も貴女の不幸を望んでいない。貴女が責任を感じ、自分を閉じ込める理由にしている相手にしても」 初めて彼女が顔を上げる。俯き暗い瞳をしていなければ、整った顔立ち、生来のものか生活習慣からか、きめ細かな肌は艶やかで、見姿で引き籠もる理由は何もない。 「貴女は美しい。貴女が貴女を許し、貴女自身を諦めない限りは」 ただ白いばかりだった頬にほのかな色が差す。 「お前のような姥桜が何を色づいている。お前は私に傅いていればいいのだ」 恐らく見た事もないだろう細君の表情に、何を掻き立てられたか亭主が激昂する。同時に屋敷中の空気が凍り付き、騒めき、ざわざわと、何かが蠢く気配、みしりと鳴る、そして冷たい熱を帯びる。 「貴様、彼女に惚れていたのであろう。若い頃相手にされなかった女が何かを切欠に自信を失い殻に引き籠もった。更には財を失い家を守ることにも困る事態に陥って、それに付け込んだ。なんとも――」 蔑みの瞳。 「卑小なことよ」 ガタガタ震えだす男。気にも止めず、 「姥桜とは葉の出るより先に花を咲かす桜のこと。ならば染井吉野とて姥桜であろう。誰もが目を惹き付けられ魅了される。下らぬ駄洒落から始まった思い込みに捕らわれることなどない。花は花、人とて同じ。歳も、誰の女房であるかも関わりなく、人は人として、貴女は貴女として美しくあれば良い」 目を閉じ、けれど俯くことなく女。ほろりと涙。 「言葉は聞えずとも、気配は感じよう。貴女を取り巻く人々が、貴女を常に祝福している」 こくりと頷く。そして、 「あの桜は伐らせません」 きっぱりと言い放つ。 男はたじろぎつつも、最後の虚勢、 「なんだ、その言い種は」 だがその言葉に先までの威勢はない。 「ところで私の噂はご存知だろうか」 色もなく佳雅。 はッと眼を向ける男。 「『常世送り』とかいうらしい。気に入らなければすぐに常世に送ってしまうとか。全く人聞きの悪い話だ」 さて―― 「こちらの者が向こうへ行ってしまえば、向こうのモノを態々呼ぶ必要もない」 そうは思わないかね――と。 「私は大変に機嫌が悪い。大層愚かな依頼をして来た馬鹿者が目の前にいるからだが、どう処置するのが良いとだろうか」 誰に問うのか。顰めるでもなく、嗤むでもなく、ぼんやりと宙に向けて。 すると、 「その様な愚か者もまだ使い道がございます。どうかお留め置き下さいませ」 と女が。 先程までとは打って変わって、まるで蝶が蛹から羽化したように、咲きあぐねていた花が急に花開くように、毅然として張りのある声、そして浮かべる微笑みは、今まさに庭の片隅に咲き誇る満開の桜のように美しかった。 * 後日、請われて訪れれば香りよい紅茶に華やかな色取りのショートケーキ。お礼をしたいと微笑む彼女に、陰となって捕らえる籠はもはやない。 |
お/蒹垂篤梓
2021年03月26日(金) 17時58分51秒 公開 ■この作品の著作権はお/蒹垂篤梓さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.3 お/蒹垂篤梓 評価:0点 ■2021-05-24 12:22 ID:z2rHODU7quc | |||||
ゆうすけさん、山田さん、お久しぶりです!返答遅くなり申し訳ありません。 暫く見てたんですがね、ぶっちゃけ、投稿したことすら忘れてしまってました。平に平にご容赦を。m(_ _)m 最近はTwitterばっかやってます。#呟怖 てので140文字小説書いてます。人の繋がりも出来はじめて結構楽しいです。 元々3500字ほどで書いたのをイベントの規定に合わせて3000時に納めたんですがその時のまとめ方が良くなかったのかも知れませんね。反省点です。 咒者という今更感満載のキャラですが、少しでも愉しんで頂けたなら幸いです。 |
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No.2 ゆうすけ 評価:40点 ■2021-04-06 18:29 ID:5Mv/AhRAbIQ | |||||
拝読させていただきました。 お久しぶりです。作品を読んで、執筆者に会ったような感覚を覚えることがここではたまにありましてね、まあかなり昔のことですが、作品に気合というか個性を込めてこめているのが伝わってくるからでしょうな、今作もそんな感じで、そこに息遣いのような何かを感じました。 文章の感じ、雰囲気、作品世界を見事に描き出していると思います。平仮名の擬音でとぼけた雰囲気を出したりと軽妙な文章だったと記憶しておりますが、今作は随分と鋭くて趣のある文章だと驚いています。 近頃ちっとも文章を書いていなくて……読めないよ〜。主人公が! タイトルが! 無念、時間は私をつまらないおじさんにしてしまったようです。悔しいので私もまた書き物をやりたいな。 さて魅力的な人物が登場したぞ、そしてストーリーの幕開けだ、ここからどんな活躍を見せてくれるのだろう? と感じちゃいました。壮大なストーリーの第一話、ジャンプとかの特別読み切りみたいな感じ。これは面白いキャラを見ると毎度感じちゃう私の個人的な気持ちなんで。 ショートケーキの取って付けた感は、まあしょうがないですね。突っ込まれるのを覚悟の上だと思います。 心に潤いをありがとう。 |
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No.1 山田さん 評価:40点 ■2021-04-02 16:08 ID:UQcHp6qyFKU | |||||
なんと、何気なくチラっと覗いたらおさんの作品が! 凄くお久しぶりです、もう忘れられてしまっているかもしれないですが、山田です、どうも。 さっそく拝読しました。 大変に失礼で僭越な感想を真っ先に述べさせていただきますが、お気を悪くなさらないように。 「あれ、おさんってこんなにスゴイ文章書いていたっけ?」 これが僕が真っ先に感じたことです。 勿論、過去の作品の文章も素晴らしかったと思うのですが(実は少々、記憶が薄れていますが)これほどに圧倒される文章ではなかったように思います。 古風で和風でリズムが良くて圧は強いんだけれど決して読み手を排除しない。 言葉の選択も読み手を刺激してくれるし、決して衒学的にはなっていない。 お見事、だと思います。 適度に造語も混ざっているのでしょうかね。 なにしろ勉強不足なもので「咒者」をなんて読んでいいかわからない……「じゅしゃ」ですかね? 僕の好きなタイプの文章であり、僕が書きたいと憧れているような文章です。 それだけでも「ああ……勝てない」と思ってしまいます。 きっとずっと書き続けてこられたのでしょうね。 僕はもう何年も何も書いてないので……。 気になった点は3つ。 一つ目は最初の方で「むすりと庭を眺める大柄な男」が誰なのか。 紫堂佳雅なのかこの庭の持ち主である亭主なのか、一瞬迷いました。 読み進めればすぐに判明するので、問題はないと思うのですが、ちょっと気になりました。 二つ目は細君の暗から明への移り変わりがちょっとあっけなかったような印象です。 長い間かなり抑圧されてきたようにも思えるのですが、ほんの瞬時にその抑圧から解放されてしまったように感じました。 もう少し逡巡があってもいいようにも思います。 あるいは紫堂佳雅にそれだけの力量があるのかも知れないですが、この短い文章の中では少しそれが感じ取れなったです。 3つ目はこれは多分仕方ないことなのでしょうが、最後の「ショートケーキ」という単語はやはりこの作品の世界にはふさわしくないかなと。 まぁ、これはおさんご自身も「ショートケーキは無理矢理ぶっ込みました」と書かれておられますので。 とまぁ、書きたい放題書かせていただきました。 何かと生意気なことも書いておりますが、未熟な半人前の読み手の戯言程度に受け止めて下さい。 おさんやかたぎりさんに刺激されたので、僕も数年前にちらっと書いた作品に手を加えて、3本くらいここに掲載しようかと思ってます。 枯れ木も山の賑わい。 少しでもこのサイトが昔の元気を取り戻せればいいな、なんて儚い希望を抱いていたりします。 |
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総レス数 3 合計 80点 |
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