(改訂版)サクラにヤドルキモチ |
死を身近なものとして捉えるようになったのは九年前、私がまだ五歳の女の子の頃だった。 母が死んだ――交通事故だった。 犯人は捕まった。まだ二十代の学生だったそうだ。 父が言うには、その犯人はもう刑期を終えて社会に出ているらしい。 でも、犯人がどうなっていようと、私には関係ない。 ただ、私にとって重要なのは、死というのはとても身近な物だということ。 そして、母は私を愛していなかったということだ。 ※ ある春の昼下がり。春休みも終わり、新学年になったばかりのある日のこと。。 通学路で猫が死んでいた。 三毛猫だった。 首輪はついていないから、たぶん野良猫だろう。 通路を行きかう多くの人は見て見ぬふりをする。顔を背ける。 確かに見ていて気持ちのいいものではないだろう。 このままでは、保健所の人が来る前に、人通りが無くなるのをじっと待っている電柱の上のカラスに食べられてしまうと思われた。 私は鞄の中に入っていたビニール袋を右手にはめて猫の首を持ち上げた。 このままビニール袋に入れて、近くの公園の中に埋めてあげよう。 そう思ったら、 「ここに入れて」 私と同じ学校の制服を着た短い髪の男の子が段ボールを持って、声をかけてきた。 「どうするの?」 私は言われるまま段ボールに入れ、彼に訊ねた。 まさか、そのままゴミとして捨てるんじゃないだろうか? と少し不安にもなった。 「とりあえず供養。うち、神社だから。暇なら一緒に手を合わせてやってくれる?」 段ボールの蓋を絞め、彼はそう私に尋ねる。 「供養って暇だから行くものじゃないでしょ? それに、私ってそんなに暇に見える?」 「可愛そうな猫を放っておけないくらいは暇でしょ?」 「死んだ動物は可哀想じゃないよ。でも、この猫に家族がいたとして、その家族がこんなところでこの猫の遺体がカラスに食べられたって聞いたとき可哀想かなって思って」 「現実主義なのか神秘主義なのかわからない台詞だな。猫より猫の家族の心配か。一応言っておくけど、勝手に埋めたらダメだぞ。よっぽど深く掘らないと野犬が掘り返したり、雨で流れ出たりするからな。あと、土壌汚染や腐敗臭の恐れもある」 そう言って、男子学生はダンボールを抱えて歩いていく。 私は結局のところ、彼についていってしまった。彼が思っている以上に私は暇だったから。 彼の言う神社とは、母が生きていたころ秋祭りに行ったことのある神社だった。 「ようこそ。うちの神社は美人は歓迎だからね。あとでお茶の用意をするから、先に供養済ませちゃおうか?」 「お茶は結構です。供養だけで」 「そう? うちの神社結構広いから案内したかったんだけどね。まぁ、俺は次男で兄さんが神学系の大学に行ってるから跡を継ぐ可能性は少ないけど」 砂利の敷き詰められた道を歩きながら彼は笑いながら言った。これだけ広い神社なら、遺産問題とかもあるんだなぁと私は他人事として考え、 「あ、いま他人事だと思っただろ。一応だけど、俺と付き合うならそこのところよろしくって意味で言ったんだよ?」 彼が予想以上に軽い男なんだと改めて知った。 「もしかして、猫のことも、女の子に優しい男性だと思われたいため?」 私は少し意地悪な質問をぶつけてみた。すると、予想外にも、彼は頬をかきながら、 「……い、いや、そういうわけじゃ……いや、そう、そういうことにしておいてくれ」 彼はそう言って、ダンボールを置いて、「ちょっと待っててね」と言うと、彼は本殿脇のおそらく倉庫と思われる場所に入っていった。 一人残された私は別に何をするでもなく、ただ境内を見ていた。 人気のない神社だった。 この広い土地を見て、神社は固定資産税かからないんだっけ? などと考えつつ、最初から気になっていたそれを改めて見上げた。 大きな神木だった。 私が昔来た時は秋祭りの日のことで、あの時には当然花など咲いていないから何の木かわからなかったが、今、満開の花をさかせているこの木を見て初めてそれが桜の木だということに気づいた。 「見るだけなら綺麗だろ?」 彼が出てきた。見るだけ、という言葉の意味もすぐにわかった。 彼が持っていたのはシャベルと半透明のゴミ袋に詰められた桜の花びらだったから。 「これで燃やして供養しよう。さすがにこの時期は落ち葉もないし、かといって紙くずだけで燃やすのはちょっと可哀想だろ?」 死者は悲しまないというのが私の考えだったが、あえて彼の考えを否定する必要はない。 「花びらが飛び散らないように簡単な囲いを作るんだ。燃えた花びらが本殿に燃え移ったら大変だからね」 彼はシャベルを使って穴を堀り、その周りに石を組み上げ、簡易の火葬場を作り上げた。穴の中には桜の花びらと猫が入ったダンボール箱が入れられている。 わざわざ穴を掘って作ったのは埋めるのが楽からだろう。 「手伝ってくれてありがとうね、あやめちゃん」 「…………え?」 「覚えてないかな? 隣のクラスの楠祥矢(クスノキショウヤ)なんだけど。合同の体育の授業とかで見てない?」 「……覚えてない」 そう言えば、体育の時間、やけにはしゃいでいる男子生徒がいたような気がするけれど、もしかして彼だったのかな? と少し考えた。 やっぱり顔までは思い出せなかった。 「そっか、なら覚えて帰ってね」 どこかのデビューしたての(もしくは芸歴だけは長いけど認知度の低い)お笑い芸人コンビのようなことを言う彼――祥矢の名前を、私は覚えようと努力した。 たぶん、明日までなら覚えていられるはず。 「じゃあ、燃やすね」 そういい、彼は火のついたマッチをダンボールの上に放り投げた。火種はすぐに花びらに燃え移り、ダンボールへと燃え広がっていく。 穴が深すぎたのか、火の勢いはあまり強くなく、花びらが湿っていたのだろうか? 煙がやけに多い。 「ごほっ、ごほっ」 煙が目に入った。 「大丈夫? ここは俺があとで埋めておくから社務所に行こうか。これで猫も成仏するだろ、」 笑顔で言う祥矢の声に、私は返事することができなかった。 「どうしたの?」 「あ……うん、多分だけど、成仏できてないと思う」 幽霊否定派だった私の口から、成仏という単語がこんな感じに出てくる日はなかったと思う。 【うむ、成仏できにゃい】 声は明らかに人間の言葉だった。だが、その言葉を発したのはおそらくだが―― 【ワシを成仏させたければ、ロイヤル猫缶一年分をよこすのにゃ】 丸々と太った猫が浮かんでいた。 「……成仏……できてないね」 祥矢が振り向かずに嘆息を漏らす。 「……これ、本物?」 私がそれを指差して訊ねた。 【『これ』とは失礼にゃ奴だにゃ。ワシは雄猫の中の雄猫、名前はまだにゃい】 ますます胡散臭い。 素人参加型のドッキリ番組の撮影にしては手が込みすぎている気がする。 そもそも、三毛猫はほぼ全てメス猫と相場が決まっている。遺伝的な関係で、雄猫の三毛猫はレアだったはずだ。 かなり高い値段で売れると聞いたことがある。 ……生きていれば、の話だが。 まぁ、雄の三毛猫より、人間の言葉を喋る三毛猫の幽霊のほうがさらに珍しい。 「じゃあ、お前の名前はとりあえずサクラで」 祥矢がめんどくさそうに名づけた。 【ワシは雄なのににゃにゆえサクラにゃんだ?】 「桜の花で燃やしたから」 【にゃんたる適当なにゃづけ方】 「よし、名前もつけたし、成仏しろ、サクラ」 祥矢が追い払うかのように手を振る。その光景を見て、私はただ呆れていた。 「えっと祥矢……くん、驚かないの?」 「あぁ、慣れてるから」 驚きの台詞だった。神社の息子ならば幽霊など日常茶飯事なのだろうか。 「よくあるの?」 「たまにね。猫を野ざらしにできなかったのも、ああいう状態だと悪霊化しやすいからなんだ」 【ワシは心優しい霊だから安心しにゃさい】 サクラが右前足で胸を叩いて言い切った。 「……ねぇ、サクラはなんで成仏できないの?」 私は尋ねた。 【いいところに気づいた、小娘よ。褒美にいいネズミの狩場を】 「いらない」 【ならば、ワシにできるお礼はない】 「いいから教えて」 【……ふむ、ワシはただ、死ぬ前にもう一度会いたかったおにゃごがおるのにゃ】 「おなごって、メス猫か? 死ぬ前に女に会いたいとはよっぽどの好きものだな」 祥矢が呆れたように言う。彼が言っても説得力には欠けると思うが。 【そうじゃにゃい。いつも、ワシにおやつをくれる人間のおにゃごだにゃ。できることなら、彼女にもう一度会いたいのにゃ】 「よし、じゃあ手伝うよ」 私はためらうことなくそうサクラに告げた。 ※ その女の子が餌をくれるという場所は、サクラが死んでいた場所の近くの公園だった。児童公園ではあるが、子供の姿は全く見えない。唯一の遊具であるブランコが風に揺れて音を立てていた。 「それにしても、よほどのお人好しだね。猫のためにそこまでするなんて」 「嫌ならこなくてもいいよ。それに、私はサクラのために頑張ってるんじゃない」 「まぁ、可愛い女の子って可能性もあるからな」 私はそういい、公園にある唯一のベンチに腰掛けた。お尻から冷たい感触が伝わってくる。春とはいえ、まだ肌寒い季節は終わらないらしい。 幸いなことに、待つのは僅か五分程度のことだった。 【来たにゃ! 来たにゃ!】 サクラが騒ぎ出す。そして、確かに女性が来た。 「…………オナゴって、女の子って意味だよな」 「女性全般としても使われているから間違いじゃないよ」 祥矢の考えを私が訂正する。そう、サクラは間違っていない。 現れたのは一人の老婆だった。もう九十歳近いと思われ、年齢と同じくらいの角度分、背中が曲がっている。 年齢に加えて予想と違ったのは、全然優しそうに見えない目つきをしていた。 公園にベンチがひとつしかないことに気づいた私と祥矢はすっと立ち上がり、 「よかったらどうぞ」 と先に祥矢が声をかけた。 「ふん、ひとを年寄り扱いするんじゃないよ」 そう怒鳴りつけ、それでもベンチに座った。 とてもではないが、猫に餌をあげて喜ぶ人間には見えない。 「(本当にこの婆さんなのか?)」 祥矢が声をかけた。 【間違いないにゃ。このおにゃごだにゃ。いつも煮干をくれるにゃ】 サクラ本人……いや、本猫が言うのだから彼女なのは確かだろう。 (ちょっと来て、あやめちゃん) 祥矢が私を連れてお婆さんの視界の届かない場所に移動する。 「よし、サクラ、これで満足だろ? 成仏しろ」 【ダメにゃ】「ダメよ」 私とサクラが同時に叫んだ。 「ちゃんと会ってお礼を伝えさせないと」 【そうにゃ。あのおにゃごにワシの最高のネズミの狩場を教えるにゃ】 「いや、それは無理だろ。だって、サクラ、お前幽霊だから婆さんには見えないぞ。それに、本当に婆さんがサクラを可愛がっていたとしたら、サクラが死んだと聞いてショックでポックリいくかもしれないぞ」 「だけど……でも、やっぱりダメだよ。このまま会わずに別れるなんて」 このままだと、同じになってしまうから。 あの時と同じになるから。 そんなの、可哀想すぎるから。 【おい、おにゃご、ワシだにゃ! にぼしくれにゃ! またお話しようにゃ】 サクラが飛び出していき、おばあさんの前でアピールをした。お婆さんはそんなサクラに気づく様子はない。 「…………ダメ……だよ」 震える声が私から漏れる。 「あぁ……もう、バレたら親父に怒られるよ……ちょっと待ってろ」 そういい、祥矢は何かふっきれたように走っていった。 そして、再び戻ってくるまで、五分もかからなかった。 「それ、何?」 「神木の枝。折ったらバイ菌が入るかもしれないから、本当はダメなんだけどな」 そういい、祥矢はお婆さんの前まで歩いていく。 「少しいいですか?」 丁寧に祥矢がお婆さんに声をかける。 「なんだい、あたしは用はないよ」 「雄の三毛猫のことなんですが」 お婆さんの顔色が変わったのが、少し離れた場所にいる私にもよくわかった。 「あの猫がどうしたんだい? 言っておくが、あれはあたしの猫じゃないよ」 【ワシは野良に誇りをもってるにゃ】 サクラが自慢げに答える。 「知ってます。あなたが餌をあげていたことも。だから、お知らせしておこうと思いまして」 少し間をおいて、祥矢は告げた。 「今日、亡くなりました。僕は神社の息子で、先に供養させていただきました」 「…………そうか、死んだのか、あの爺い猫」 お婆さんが何かを考えているあいだに、祥矢がサクラに何かつぶやく。 サクラは祥矢の持つ桜の枝に肉球を添えた。時間にして僅か数秒だったと思う。 「これ、あの猫が持っていたサクラの枝です。よかったら見てあげてください」 「……桜の枝を折るなんて、罰当たりな猫だよ」 お婆さんは桜の枝を受け取り……そして…… 「……あの馬鹿爺猫、あたしはそんなにやわじゃないよ」 お婆さんはそう呟いた。その皺だらけの頬に、一筋の涙が流れ落ちた。 そのお婆さんを見上げるサクラとお婆さんを残し、私と祥矢は神社へと戻っていった。 ※ 「神木は神様が宿る木であるっていうけど、神様だけじゃなくて心が宿る木なんだ。だから、あの枝だけでも十分にサクラの気持ちを乗せることはできた」 神社に戻った私に、祥矢はそう説明してくれた。 途中で放っていたサクラの埋葬を終えたときには、すでに陽も落ちかけていた。 「サクラがなんて伝えたかったのかは俺もしらないけど、きっとその気持ちは婆さんに伝わってると思うよ」 「……そうだよね」 私はほっとして声を漏らした。そして、自分の気持ちを整理する意味を込めて、祥矢に話すことにした。 「小さい頃、お母さんが死んでね。幽霊でもいいから会いに来て欲しいって思ってたんだけど、結局は来てくれなかった。お母さんは私のことを愛していないんだって思った」 だから、私は幽霊なんていないと信じることにした。 幽霊がいるのなら、きっと会いに来てくれると信じていたから。 「普通の人間に幽霊は見えないからな」 「そうだよね。サクラは見えたのに」 私は諦めたようにつぶやく。 「あやめの母さん、この神社に来たことはあるか?」 「……一度、私と一緒に」 「なら、神木、さわってみろよ。うちの御神木様は懐が広いから、きっと一度でもきた人の気持ちなら、伝えてくれるって」 「そうかな」 私は快く騙されることにした。 桜の木の幹に手を触れる。 暖かい木の温度が、手のひらから体全体に広がってきた。昔、母に抱かれたときのような心地よさが。 「…………ありがとう、祥矢くん。なんか落ち着いたみたい」 「そうか……またいつでも来なよ。可愛い女性はいつでも歓迎だからさ」 軽いノリで手を振る祥矢の後ろで、二十代の女性の人影が見えたような気がした。 でも、きっと見間違いじゃないのだろうと思い、もう一度手を振って私は前を向いて歩き出した。 ※※※※※ 「いいんですか?」 あやめが去ってしばらくして、俺は小さく呟いた。 「彼女が神木である桜の花びらの煙をまとったいまのうちなら、太陽が沈むまでの間、貴女の姿も見えると思いますよ」 祥矢が振り向くと、そこに、あやめに似た美人の女性が浮かんでいた。女性は横にいるサクラの頭を撫でて告げる。 【ええ、私の気持ちは御神木を通じてあの子に伝わったと思うから】 「そうですか? でも、いつでも来てくださいね。うちの神社は美人大歓迎ですから……あと、桜の枝を折ったことは親父には黙っていてくださいね」 そう言うと、女性は大人らしい微笑を残し、サクラとともに煙のように消えた。 一人残された俺が夕焼け空を見上げたら、風にゆられた御神木から桜の花びらが降ってきた。 やれやれ、また、掃除が大変そうだ。 |
ウィル
http://twitter.com/tokinoyousuke?lang=ja 2020年02月03日(月) 01時52分29秒 公開 ■この作品の著作権はウィルさんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.1 通りすがり 評価:30点 ■2020-05-16 18:06 ID:UQcHp6qyFKU | |||||
拝読しました。 心暖まる素敵な作品でした。 もう少し長くすれば、もっと心情の変化とかに深みが出てくるかな、なんて偉そうに思ったりもしました。 一人称である物語の視点が最後に「私:あやめ」から「俺:祥矢」に変化していますよね。偶然なのか故意なのかはわからないですが、僕は効果的なやりかただな、と思います。 ただ「祥矢が振り向くと、そこに、あやめに似た美人の女性が浮かんでいた。」は「俺が振り向くと、そこに、あやめに似た美人の女性が浮かんでいた。」だったらよかったのに、とこれまた偉そうに思ってしまいました。 稚拙な感想で失礼しました。 |
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